『架空の財閥を歴史に落とし込んでみる』外伝:カリブ海に新国家樹立 作:あさかぜ
1958年10月7日に自治政府が樹立した。そして、初めて住民が主体の政府が誕生した。翌年には正式に独立する予定となっている。この一年間は、将来どの様な方針を取るかを模索する事になると見られた。
大統領選挙は独立1ヵ月前に行う事が与野党の間で決められ、選挙と大統領について次の様に決定された。
・大統領候補は1党につき1名のみとする。複数政党から共同候補を出す事は可能。
・現職の大臣や元老院議長、国民会議議長、最高裁判所長官など、国家の中枢の官職に就いている者は立候補出来ない。
・大統領候補が複数人存在する場合、大統領選挙を行う。
・大統領選挙は元老院・国民会議両院による投票とする。両院で過半数の票を獲得した者を大統領とする。
・両院のどちらか又は両院で過半数を得られなかった場合、最も獲得票数が少なかった者を落選とし、再度投票を行う。これを過半数獲得するまで行う。
・大統領の任期は1期7年とする。再任は出来ない。
・大統領は国家元首であるものの、有する権力は形式的・儀礼的なものである。しかし、「国民統合の象徴」としての権威を持つ。
概ね、ドイツの連邦大統領の様な地位である事が決められた。これは、カリブ海に面するキューバや中米諸国、南米各国の殆どが親米独裁国家であり、大統領を長とする大統領制という特徴があった。そこで、環カリブ海地域でそれらとは真逆の議院内閣制が根付くかの実験という側面があった。
アメリカとしても、親米・民主主義国家が出来る手前否定出来なかった。否定してしまえば、自分達の大義が無くなってしまうからである。
政府の顔触れや議会が固まり、独立後の国政も決まった。この後に行われたのは、経済力及び警察力の強化だった。経済力の強化は既に行っており、実質的には警察力の強化が行われた。
統治委員会及び自治政府は固有の軍事力を持っていなかった。また、統治する際の取り決めで各国の軍隊も駐留していなかった。一応、各国の準軍事組織や警察組織が駐留しておりユーシコフ諸島の警察組織の育成に努めており、普通警察についてはある程度の規模を保有する様になっていた。
依然として軍隊を保有していなかったものの、小銃や軽機関銃などが配備されている国家警備隊や沿岸地域での不法漁業を取り締まる沿岸警備隊は存在しており、重装備の警察力は保有していた。
しかし、周辺地域がきな臭くなった事で、より重武装の軍事力が求められた。また、国家の方針が親欧米・民主主義・自由主義となり、それに反する思想(親共・ファシズムなど)を取り締まる秘密警察の必要性も迫られた。
アメリカがユーシコフ諸島を不安定にさせない為に、大量の武器を無償又は格安で譲渡する事を打診した。併せて、秘密警察の育成や独立後に米軍基地の設立を打診した。
自治政府としては、アメリカの打診については概ね歓迎した。人口の急激な増加や貧富の差の拡大に伴う治安の悪化を懸念しており、現状の警察力では対応し切れないという判断があった。また、米軍基地の存在によって新たな雇用や産業の創出、賃借料による収入増などの利点もあった。
一方で、米軍基地への反対派も存在しており、米軍が存在する事でアメリカからの圧力が強まるのではという懸念もあった。また、秘密警察の設立によって、ユーシコフ諸島でも独裁体制になるのではという懸念があった。
アメリカとの交渉で、武器の供与については全面的に肯定したが、基地については「多くの兵力を置かない事」という注文を付けた。そして、組織の育成についての支援も願い出た。
アメリカとしても、ユーシコフ諸島に大規模な兵力を置く事を考えていなかった。ただ、ユーシコフ諸島とその周辺部がソ連寄りにならない様に監視出来る場所があればそれでいいと考えていた。その為、最大でも500人程度の基地で充分と見ていた。
武器の供与と設置する基地の規模から、ユーシコフ諸島はアメリカの提案を受け入れた。そして、他にも以下の事が決められた。
・駐留米軍の基地はユーシコフ・シティ郊外の漁港「ポート・クレイグ*1」に置く。
・基地の制限として、駐留兵力は1,000名までとし、核兵器は配備しない。
・基地の拡大や賃借料の変更、閉鎖などについては、アメリカ・ユーシコフ諸島両政府の協議の上で行う。
・アメリカ軍の兵士が公務外時に基地の外で犯罪を犯した場合、司法権・裁判権はユーシコフ諸島が有する。
・ユーシコフ諸島の人民が米軍基地内で事件を起こした場合、司法権・裁判権はアメリカが有する。
・自治政府が保有する軍事力として「領土防衛軍」を組織し、その傘下に陸軍・海軍・空軍の三軍を編成する。
・国防省を新設し、国内の軍事組織の統制及び駐留米軍との連絡などの事務を公安省から移管する。公安省の残務事務は内務省に移管して解散する。
・三軍をそれぞれ統括する「陸軍本部」・「海軍本部」・「空軍本部」を設置し、それらの上位に「統合作戦本部」を国防省の下に設置する。
・内務省の外局として、秘密警察機関「中央捜査局」を設置する。
当初案では、「核兵器の配備」及び「米軍基地内での司法権・裁判権」についての記述は無く、「公務外時のアメリカ兵に対する司法権・裁判権」についてはアメリカが否定していた。
しかし、「核兵器の配備」は秘密裏に持ち込まれて誤作動による被爆や敵国からの攻撃対象になり易くなる事から、最初から明文化する事で持ち込みを拒否した。「公務外時のアメリカ兵に対する司法権・裁判権」についても、主権国家としての義務を明文化したものであり、その対価として「米軍基地内での司法権・裁判権」を認めた。
アメリカとしては、自国外で外国の法で兵士が裁かれる事を嫌ったものの、最終的にこれを認めた。
1959年2月1日、この日に国防省と統合作戦本部、及びその傘下の三軍の本部が設立された。併せて、領土防衛軍も組織され、この日が軍の創立記念日となった。
軍の創立後、アメリカを始めとした西側諸国の支援によって、急速に軍組織としての体が出来つつあった。元々、重武装の警察組織が存在しており、それを基にする事で軍の編制が速やかに進んだ。
一方の中央捜査局だが、こちらは通常の警察とは異なる組織であり、国内に情報機関も無かった為、一から作成する必要があった。ノウハウなどはアメリカやイギリスから提供された。
国内での防諜及び反体制派の摘発が主な任務となっており、アメリカやイギリスの情報機関への情報提供も行う事となっている。独立後及びノウハウの獲得後は大使館や総領事館を通じての諜報を行うとされているが、それが行えるのは短くても10年後と見られている。
1959年の前半は、軍や警察の整備に注力した時期となった。8月頃には軍の編制が概ね完了し、秘密警察の国内での活動が開始した。
経済も一定の規模を有する様になり、未だに企業勃興が続いている。多くが疑問性があるものだったが、立ち上げられた企業の多くは順調に成長をしている。大企業こそ外資しか無いものの、国内を支えつつある中小企業については自立化の目処が立ちつつある。
また、この頃には鉄道の敷設計画が立てられた。これは統治委員会最後の大規模プロジェクトであるが、統治委員会が行うのは計画までであり、建設や運営は自治政府と外資の合弁企業である「地域開発鉄道」が行うとされた。既にルートの選定は完了し、用地の確保も一部では行われており、独立後に工事が始まる予定となっている。数年後には第一期区間であるバボヌエボ島北東部のマヤーク・シティから北部の海岸沿いを通り、ユーシコフ・シティ、ニューコムを経由し、セラニャ島南西部のポート・アリス*2に至る路線が開業すると見られた。この路線はポート・クレイグも経由する事になっており、米軍基地への物資輸送や従業員の通勤の利用も見込まれた。
1959年8月、独立まで2か月を切った事、大統領選挙が行われた。大統領は国家元首としての権威はあるものの実権は小さい為、昨年に行われた総選挙よりは規模は小さかった。
大統領候補は自由民主党、社会民主党、少数政党連合からそれぞれ1人ずつが立候補した。尤も、内閣が自由民主党が中核の連立政権である為、バランスを取る意味から議会では社会民主党からの候補者とする事が予め決められていた。その為、社会民主党候補が両院から7割以上の票を獲得して選出された。
この時の慣例から、大統領と内閣は二大政党でそれぞれ分担するという形が取られる事となる。
1959年10月7日午前0時、この時を以て統治委員会による統治は終了し、独立国としてのスタートが切られた。国号は「ユーシコフ諸島共和国」とされ、国内に大使館を置いている各国は独立を承認した。また、世界各国にあるユーシコフ諸島の連絡事務所が大使館に昇格した。