『架空の財閥を歴史に落とし込んでみる』外伝:カリブ海に新国家樹立 作:あさかぜ
ユーシコフ諸島共和国(以降、ユーシコフ諸島)は独立を果たした。独立当時の人口は約75万人で、最初の選挙から僅か2年で7万人以上の人口が増加した。この内、約3万人は移民による増加で、残りは自然増となる。住民の多くは近隣地域からの移住者だが、一部は日本や中国、インドや中東からの移住者も存在する。
また、統治委員会の関係者の中には帰化した人物もいる。数で見れば1%もいないが、富裕層であり知識階級である為、国内での影響力は絶大である。
人種による貧富の差は大きいものの、欧米諸国からの支援や政府における腐敗の度合いが小さい事、社会保障制度の充実などによって、少しでも貧富の差を減らそうという努力は行われている。
首都であるユーシコフ・シティの人口は約25万人と、総人口の3分の1が集中している。それ以外のニューコム、マヤーク・シティ、ポート・アリスといった大都市を含めると、実に7割近い人間が4つの都市に住んでいる。
独立後も移民を積極的に受け入れている。多くは周辺地域からだが、統治委員会統治時代の初期は日本や欧米からの移民が多かったが、統治後期以降は中国や中東、インドからの移民が多く見られる。
新規の移民は大都市に集中しており、早期の移民は農民と漁民として地方に薄く広がっている傾向にある。大都市への人口集中の緩和を目的に地方都市の拡大が進んでいるが、移民の多くが大都市に集中する為、今一つ効果が上がっていない。
それでも、地方都市に病院や学校の設立や加工工場の誘致などを行っている事で、建設業を中心に労働者人口が増加している。建設後は商店や工場などの労働者として勤めれば首都への集中の緩和が期待されている。
カリブ海地域の為、ハリケーンによる被害が問題視されている。特に、樹が少ない事による土壌流出で農地や漁場に被害が出る為、統治委員会時代から植樹が続けられている。
植樹によって、通常の雨による土壌の流出は防ぐ事が出来る様になったが、ハリケーンに対しては大きな成果が出でいるとは言えない。大雨に加え強い風もあり、土壌毎樹木を持って行ってしまう事例があった。その為、ハリケーンに対しては植樹だけでは防ぎ切れないと判断され、被害が拡大しない様にと祈るしか無い状況になっている。
ハリケーンに対しては限定的であるが、通常の雨に対しては充分である事は事実である為、独立後も植樹は続けている。だが、土壌流出の防止だけでなく、住民用の燃料資源の確保や新たな外貨獲得の手段としての面も加えられた。
主な産業は農業と畜産業、漁業であるが、数年前からサービス業や軽工業の発展が著しい。サービス業は小売業や飲食業、運送業など元手があまり掛からないモノが多く、軽工業は食品加工業や繊維業が中心となっている。
尤も、軽工業の多くは外資系であり、民族資本はサービス業が中心となっている。独立の数年前から民族資本による軽工業の設立が行われているものの、値段や質の面で太刀打ち出来ていないのが現状となっている。
かつては、海から浮かび上がった影響で土壌に含まれる塩分が多い事から育てられる作物は限られていたが、年月の経過と耐塩性の高い作物を育てた影響で、独立の頃には通常の作物が育つ環境になった。島の主な農産物は、主食系ではコメ、キャッサバやジャガイモなどのイモ類、トウモロコシ、バナナが、商品作物ではサトウキビ、ヤシ、タバコなどが、それ以外では豆類や野菜、柑橘類の栽培が見られる。
また、農作物を原料とする加工業も興っている。特に、サトウキビを原料とするラム酒、ヤシを原料とするヤシ油(ココナッツ油とパーム油の2種類)、タバコを原料とする葉巻には力が入れられている。葉巻は、キューバ革命の混乱でキューバから脱出した葉巻職人の一部がユーシコフ諸島に逃れた事で製造が始まった。
それ以外にも、農業や加工業で出た廃棄物(葉っぱや茎、絞りカスなど)をエサとする畜産業も行われている。元手が掛かりにくい豚や鶏、ヤギが中心であり、牛は場所を取る事やエサの量から少数にとどまっている。
水産物だが、大半がロブスターや貝類となっている。魚も水揚げされているが、殆どが自国内で消費される程度となっている。それ以外も輸出に回せる程の水揚げ量は無く、基本的に自給自足用となっている。
だが、領海は元環礁であるだけに浅い海が広がっている事から漁場として適している場所であり、漁港や倉庫への投資などによって水産業を強化すれば、輸出産業として成長する可能性を秘めている。その為、今後の産業の一角として水産業を重視している。
その為、先進国諸国からの投資や技術の積極的な受け入れが行われており、特に日本からの支援が大きなものを占めていた。これは、漁業の規模と設備を強化したいユーシコフ諸島と、水産物の需要が拡大している日本の双方の都合があった事で実現した。
土地柄、第二次産業(製造業・鉱工業・建設業)については建設業以外では不調となっている。食品加工業と繊維業はある程度見られており、他にも日用品の製造業があるが、多くが外資系だったり手工業の域を出ていない。その為、軽工業で日用品製造の機械化や大規模化を行っているものの、始まったばかりでまだ結果が出ていない。
鉱工業も、鉱物資源が確認出来なかった為、事実上存在しない。島が成立以前はグアノの採掘が行われていたが、島が隆起した影響で表土と混ざり合い、採掘が不可能になった。
一方、建設業については盛んである。未だに都市や道路、鉄道の建設が続いている事から需要が高く、多くの労働人口を吸収している。
第三次産業(サービス業など)は、個人商店の域を出ていないが盛んとなっている。特に、小売業と飲食業、運輸業が盛んとなっている。各種産業に資金を供給する金融業も盛んだが、融資先が小規模であったり金融機関そのものが小規模だったりなどで信用面での問題がある。
その他の産業(交通、通信、医療など)については公社によって運営されているか、産業として成り立っていないなど、発展途上にある。観光業も同様で、将来的には発展する余地があるが、現状は交通の未整備によって産業にまではなっていない。
交通網だが、現状の国内における主な交通手段は道路となる。統治委員会時代から道路が整備され、セラニャ・バボヌエボ両島の横断道路や島の集落を結ぶ道路などが多数建設された。
道路の内、マヤーク・シティ、ユーシコフ・シティ、ニューコム、ポート・アリスの都市内部はアスファルト舗装されているが、ユーシコフ・シティとマヤーク・シティ及びニューコムとポート・アリスを結ぶ主要幹線は砂利道であり、他の地方都市を結ぶ道路やバイパス道に至っては未舗装となっている。
尤も、国内のモータリゼーションは進んでおらず、コンクリートにせよアスファルトにせよコストが大きいので、現状では砂利道や未舗装でも問題は無いと判断されている。勿論、将来自動車が増加すれば舗装道路の整備が必要になるだろうが、それは当分先と見られた。
モータリゼーションが進んでいない為、道路を走る車はバスとトラックぐらいとなる。バスは都市内部を走行する市内バスと都市間連絡バスが運行されており、市内バスは市民の足として活用されている一方、都市間連絡バスは舗装状況の悪さや値段の高さ、競合交通機関である船舶の存在から利用状況は今一つとなっている。
鉄道の整備も進められ、独立時点でマヤーク・シティからユーシコフ・シティ、ニューコムを経由してポート・アリスに至る路線が建設中である。ユーシコフ・シティとニューコムの間にはユーシコフ海峡が存在するが、両都市を結ぶ橋が2本存在する。現状建設中の路線は、南側の橋梁を通る事になっている。工事は順調に進んでおり、1962年に開業を予定している。
計画中の路線として、ユーシコフ・シティとニューコムを北側の橋梁で結ぶ路線や、マヤーク・シティとポート・アリスをユーシコフ海峡の南側を経由して結ぶ路線、ユーシコフ海峡沿いの路線などが計画されている。
路線は、1067㎜・全線単線・非電化で建設されている。用地的には複線化が可能だが、輸送量や費用の関係で単線かつ非電化での建設となった。時代柄と軍事基地への輸送の観点から、運用する車輛は全てディーゼル車とされた。
車輛の内、機関車と客車はアメリカから、気動車は日本からの導入が決定した。アメリカの鉄道の殆どは1435㎜だが、元アメリカ領のフィリピンの鉄道は1067㎜の為、車輛製造のノウハウがある事が決め手となった。
気動車は、アメリカには1067㎜の気動車の製造ノウハウが無かった為、日本に製造させる事となった。だが、エンジンの性能が低かった為、エンジンについてはアメリカ製とされた。
現状の主要な交通手段は水運となっている。陸上交通の整備が進んでいない為、帆船や機帆船による沿岸の都市間の輸送が盛んに行われている。また、漁船が基となっている為、参入がし易い事も現状の主流となった要因となる。
尤も、殆どが個人事業で安全性も低い為、統治委員会時代から規制が行われているが、道路や鉄道の整備が遅れている事から効果が薄かった。また、現状で都市間のスピードが最も速いのが沿岸水運の為、政府も黙認している状況にある。
一方の海運は、燃料や機材などは輸入に頼っている事から盛んだが、殆ど外国の海運会社に任せている状況にある。
航空は、1952年に首都郊外に海外からの来賓用に空港が整備された。滑走路の長さは1800mでコンクリート舗装されているなど、外国の空港と比較しても遜色の無い設備を有している。独立後は空軍基地としても活用される事になっている。
これとは別に、米軍基地に2000m級の滑走路が存在する。戦闘機などは配備されていないが、軍用機用のハンガーが存在するなど、有事の際には配備されると見られている。
尤も、自前の航空会社は存在せず、専らアメリカやイギリス、ソ連からの航空機が離発着するだけとなっている。しかも、アメリカからの要人が訪問する場合は米軍基地に降り立つ為、利用機会は年に数十回程度となっている。