瑞鶴が総理に就任してから1か月が経過しようとしていた。
普通の艦娘ではおそらく一生関わることがないであろうことを毎日のように経験していた瑞鶴は文字通り目を回していた。
事実、副総理である鈴木男爵たちの支えがなかったら、1週間と持たずに政権を投げ出していたかもしれない。
しかしながら、鈴木男爵たちは総理である瑞鶴を立てていた。
ある日、瑞鶴は、鈴木男爵が持ってきた決裁に対して興味本位で2,3意見してみると、鈴木男爵はすぐに持ち帰り、その意見を反映した内容に修正してきたため、意見するにしても本気で取り組まなければと真剣に反省し、まず知識を習得しなければならないと決めた。
やると決めれば徹底するのが瑞鶴の性格であった。遠回りのようでも確実を期すため、それこそ小学1年生の内容から立ち戻って学習に励んだ。
瑞鶴は、元々空母艦娘として、高速で移動する多数の飛行機を指揮できることから、地頭は悪くなかった。しかし、これまではどちらかというと感覚で動いており、座学も直接戦闘に関わること以外、あまり真面目に聞いてこなかった。そんな過去の自分を大いに反省しながら、睡眠時間を減らして-さすがに寝ないと体はともかく、脳への負担が重すぎるため-日々勉強した。
初めは馬鹿にしたようにも、不安そうにも見ていた官僚たちも、あっという間に知識を習得していく瑞鶴を見て、次第に信服するようになっていった。
瑞鶴は、お飾りとしてではなく、名実ともに総理として、国政全般に責任を負わなければならないのであった。
もちろん、鈴木男爵や各大臣たちも瑞鶴をよく補佐してくれてはいたが、省庁間で意見が異なったりする場合があり、そういったときは頭を絞り、胃薬を飲みながら意見調整した上で、裁定しなければならなかった。
……………
政府は、あらゆる方法で深海棲艦との交渉を呼びかけていたが、返事が返ってくることはなかった。
打開策を探るため、閣議が開かれていた。
「ビラまき、広告、放送・・考えられるあらゆる方法で艦娘内閣の誕生と、交渉を望む旨のメッセージを流していますが、深海棲艦からの反応は一切ありません」
「このままでは、まずい・・」
「私は、今日にでも辞めていいのよ」
「総理も冗談がきつい・・総理が辞意を表明した後に深海棲艦から反応があったら、それこそ笑い話にもなりません」
「あるいは・・」
「深海棲艦は、まだ艦娘内閣を疑っているのかもしれません」
「確かに、それは考えられる・・」
「今でこそなくなったけど、内閣発足当時はすごかったよね・・」
艦娘たる瑞鶴が総理に就任したというニュースに、国外はもとより、国内からですら周到なフェイクではないかと疑われ、
「どうしたら、私が本物の総理だって、深海棲艦に信じてもらえるかしら?」
「総理、帝国議会の召集を陛下に上奏されてはいかがでしょうか」
「帝国議会?」
「はい、帝国議会において、総理として所信表明演説を行うのです。これは本物の総理以外、誰にもできません。フェイクではあり得ないことをやるしかないのではないでしょうか?」
「わ、私が所信表明演説を・・」
「総理なら、早晩行うことです。それなら今やってもいいでしょう」
「私に、あんな長い原稿読めるかな・・」
「読んで頂くしかありません・・」鈴木男爵の言葉に閣僚たちは笑い出していた。
……………
かくして帝国議会が召集された。
貴族院において開会式が行われた後は散会するのが通例であったが、この日は陛下が貴賓席に移動し、そのまま議会を傍聴する。そしてこの様子は冒頭から全世界に向け生中継されていた。
これは、陛下が臨席される中で所信表明演説を行えば、フェイク説を完全に一掃できると判断されたからであった。
「内閣総理大臣より、所信に関する演説を行いたいとの要求がありました。これを許可します。内閣総理大臣、瑞鶴く~ん!」貴族院議長から独特の節で指名された瑞鶴は、陛下、議長、そして議員に向けて頭を下げて登壇した。
瑞鶴に数百人の議員の視線が集中していた。瑞鶴は初陣のとき以上の緊張に見舞われていた。瑞鶴は、かつて翔鶴から緊張緩和の方法として教えてもらった腹式呼吸をした後、原稿に目を落とした。
「私は・・すみません」声が上ずってしまったため、瑞鶴は頭を下げた。失笑なりヤジが飛んでもおかしくなかったが、陛下が臨席しているためか、水を打ったように静かなままであった。
「どうしよう・・やっぱり私には無理なのかな・・」頭が真っ白になる瑞鶴に聞き覚えのある声が聞こえた。
「瑞鶴、頑張って」
「落ち着きなさい、あなたならできる・・」
それは間違いなく翔鶴と加賀のものであった。
「翔鶴姉と加賀さんは、こんなところでも私を励ましてくれる・・」そう思った瑞鶴は落ち着きを取り戻していた。このあたりはさすがに歴戦の艦娘であった。
水を口に含んだ後、最初から原稿を読み直す。
「私は、組閣の大命を拝し、ここに国民と帝国議会の皆さんに対し、所信を表明できることを・・」
いい意味で開き直った瑞鶴は、今度は堂々と原稿を読み上げる。
この内容に議員たちは驚いていた。これまで所信表明演説といえば文語調であったのが、口語調に変わっていたからであった。おかげで何を言っているのか分かりやすくなっていた。
実は、これにはわけがあった。閣議で瑞鶴が深海棲艦のことを説明したとき、「文語調の表現では深海棲艦に伝わりにくいのではないか」との意見が出たからであった。
確かに今や文語調の表現を使っているのは法律や正式な公文書のみで、国民の間からですら「難解だ」という意見が出ていたからだ。
「公文書としての格が下がってしまうのでは」という意見も出たが、瑞鶴内閣の至上命題である深海棲艦との交渉と和平の実現、そして瑞鶴の「口語調が女、子供のものだとバカにされるならそれでいい。だって私、女だもの・・」*1という一言が決め手になって口語調への変更が実現したのであった。
「・・この内閣のなすべきことは、要約すれば1点に集約されています。それは深海棲艦と交渉し、和平を得ることです」
「・・私は、一身を賭して、この戦争終結に向け、あらゆる方法で深海棲艦と交渉を呼びかけ、交渉を実現した上で、和平を実現したいと考えています」
「・・国民と帝国議会の皆さんのご協力を賜りたく、お願い致します」
早口にならないよう、ゆっくりと読み上げたため、要した時間は約10分であった。
何とか読み間違えることなく演説を終えた瑞鶴が、先ほどとは逆の順番で頭を下げ終えた瞬間、ある議員が拍手した。それを受け1人、また1人と拍手し・・そして議場が拍手に包まれた。
瑞鶴は、拍手に応えるかたちで再度を下げた。
そして所信表明演説から10日後、遂に深海棲艦からの通信の傍受に成功した。内容は「艦娘が総理になったことを認める。交渉可否は後日連絡し、その間、こちらからの攻撃は中止する」というものであった。
瑞鶴は総理を続けざるを得なくなった。
……………
瑞鶴は、所信表明演説後に自分の影響力の大きさを改めて思い知らされていた。
まず、女性の社会的地位が飛躍的に向上した。これまで東北帝国大学だけが認めていた女性の大学入学が、ほかの帝国大学に拡大し、さらに官立大学や私立大学にまで拡大されようとしていたからであった。
この影響は教育だけでなく、就職、公民権、そして家族法にまで影響を及ぼしつつあった。
さらに、所信表明演説の口語調への変更が予想外に好評で、それを受けるかたちで公文書が順次口語化、漢字ひらがな表記への切り替えが決まったのであった。
そして、それらに伴って言文一致させようとする運動も起き、文部省を中心に対応が検討されるようになったのであった。
つまり、瑞鶴の決断が国語表記にまで重大な変革を促したのであった。
人ならぬ自分が、人の生活、果ては文化にまで影響を及ぼしてしまっていいのか・・艦娘ゆえの悩みであった。苦悩する瑞鶴に、鈴木男爵が声を掛けてきた。
「総理、何を悩んでおられる?」
「大したことじゃない・・」
「ほぉ、私には、人ならぬ自分が人の世を治める苦悩を抱えているように見えましたが・・」
「何故それを・・」
「カマをかけたのですが、やはりそうでしたか・・」
「やられた・・」
「あなたは真面目すぎる・・」
「私が?」
「自分が何かをすることで人に影響を与えてしまうことを恐れる気持ちがあるのはいい。しかし、逆に何もしないことでも人に影響を与えてしまう。あなたが所信表明演説を口語化したことで、この国の国語表記は変わろうとしている。そして、また、あなたがあのとき総理とならなかったら、この平和は生まれなかった・・」
「それは過大評価ね。艦娘だったら今の状態になったよ、私じゃなくても・・」
「それは違う。良いことも悪いことも結果で政治は評価されるべき。他ならぬあなたが総理指名を受け入れた。今の平和は、そのあなたが生み出したもの。この功績は誇っていいでしょう。自信を持って政治に取り組んでください。我々も、できる限り総理をお支えしますから・・」
「ありがとう・・」進むも地獄、進まぬも地獄。瑞鶴は武人であった。同じ地獄なら、支えてくれる人がいる限り、進んでみようと決めたのであった。