「何これ?これって日本語だよね?何書いてあるかさっぱり分からないんだけど・・」瑞鶴は、決裁書類の山を前に頭を抱えていた。
「う~ん・・座学をまじめに聞いてなかった私も確かに悪いけど、何も知らない艦娘を総理にしたのがそもそも間違いなんだよね・・誰も私の意見なんか求めてないんだから、このままハンコ押しちゃえ・・」瑞鶴は理解することをあきらめて決裁欄に印鑑を押したのであった。
そんなある日、鈴木男爵が口を開いた。
「総理、あまりにご決裁が早い・・まさか、何も読まずに判を押されているのではありませんか?」
「・・その通りだよ」内容を理解していると嘘をつけば、次に必ずその内容を聞かれると思った瑞鶴は、正直に告白した。
「・・総理が書類に印を押されたということは責任が生じます。例えば、中の書類に総理やお姉様たちを解体すると書かれてあったら、どうなされるつもりですか?事前に気がつけばまだしも、事が終わった後に気付かれても手遅れですぞ・・」
「・・男爵には正直に言う。私、あまり勉強してなくってさ。書いてあることがさっぱり分からないんだ・・」
「お分かりにならないのであれば、担当者を呼んで分かるまで説明させるべきです。みな、それくらいのことはできましょう・・」
「私、下手したら小学校で習うようなことも知らないんだ・・そんなレベルの低いところからいちいち説明してもらったら、何も動かなくなっちゃうよ・・」
「それは違いますな。総理には、この国を率いるという自覚に欠けるのではありませんか?」
「・・私は、深海棲艦との交渉を引き出すためのエサじゃないの?」
「・・仮にそうであったとしても、総理は仮に深海棲艦との交渉ができたとして、人間がそれに同席できると思われますか?」
「それは・・今までのことを考えれば、多分無理じゃないかと思う」
「私もそう思います。・・そうなると、総理と深海棲艦の交渉で全てが決まるわけです。・・ところで、総理。交渉はギリギリの駆け引きがあるでしょう。このままの状態で、何をどこまで譲っていいのかお分かりになるのですか?交渉が成立して、いざ中身を見たらわが国が立ちゆかなくなるような内容だった・・許されるとお思いになりますか?」
「それは・・でも、それとこれがどう関係するの?」
「総理には日頃の政務を通じて、そういった線引きができるようになって頂く必要があるのです。これが、艦娘に大命が降下した理由でもあります」
「表現はさておいて、人に建造してもらった艦娘が、その人に指示を与える・・そんなことが許されるの?また、人がそれを受け入れられるの?」
「少なくとも私や、米内・・それに
「・・無理だよ。私にそんな大それたことなんかできないよ・・」
「それでは何故、総理をお引き受けなられたのですか?」
「それは、艦娘の誰かが総理を引き受けるしかないと思ったから・・今回は、ひょっとしたら深海棲艦にやられるかもしれないんだ・・私が断ったことで、例えば長門さんや赤城さんにお鉢が回って、犠牲になってしまったら、私はとても耐えられない。そんなことになるくらいなら、自分が生け贄になった方がいい・・そう思ったんだ・・」
「私は、御上から総理の後見を命じられた際、一度はお断り致しました・・」
「それはどうして?」
「私は、見ての通りの老人で、耳もかなり悪い上に、軍人が政治に関わるべきではないと思っていたからです」
「それなのに、どうして私の後見を引き受けてくれたの?」
「御上はおっしゃいました『政治など知らなくとも経験があるではないか。その経験で艦娘総理のよき相談相手となり、導いてやってほしい』と」
「陛下は男爵をよく見ているね。・・こんなことにならなきゃ、男爵が総理を務めるべきだったんだよ・・世の中うまくいかないね・・」
「総理・・」
「じゃあ、例えばなんだけどさ・・」瑞鶴は決裁書類をめくり始めた。
「あった、あった。この艦娘に関わる件なんだけどさ。これ、どうかなって思うんだよね」
「どういった点でしょうか?」
「大型艦にテレビや冷蔵庫を整備するってなってるけどさ。はっきり言って軽巡洋艦や駆逐艦たちの方がなんだかんだ働いているんだから、むしろ彼女たちの方こそテレビなり冷蔵庫があってもいいと思うんだよね」
「なるほど」
「それとさ、いろいろ制約があるのは分かってるんだけどさ。お正月だけじゃなく、せめてお盆にも少しでいいから甘い物かお酒をみんなに配って欲しいんだよね」
「その他にありませんか?」
「・・物を大切に使うのは当たり前なんだけどさ、頻繁に故障する物が結構多いんだよね。あれじゃあ、いざってときにまるで役に立たないよ。ちゃんと交換すべき物は交換して欲しいよね」
「まだ何かありますか?」
「・・いや、もうない」
「分かりました。総理のご意向に沿うよう修正させます」
「え?」
「総理のご指示がおかしいと思えば意見致します。しかし、お伺いした限り、一理あるものばかり。予算措置は難しいにせよ、米内とも協議して、できうる限りのことを致しましょう・・」鈴木男爵は、そう言うとそのまま退出していった。
「どうしよう・・思いつくまま言っただけなのに・・でも、きっと検討した
そして翌日の夕方、鈴木男爵は米内海相を伴って瑞鶴を訪ねてきた。
「総理。昨日のお話、米内とも十分協議して、結論を申し上げに参りました」
「うん、それでどうなったの?」
「海軍のことですので、大臣の私から申し上げます」米内海相が言葉を発した。
「・・まず、テレビ、冷蔵庫の件でございます。予算上の制約から大型艦を優先致しましたが、総理のご見解はごもっともです。しかしながら、軽巡洋艦や駆逐艦娘は数が多いため、全員に行き渡らせることはできません」
「やっぱりね・・」
「そこで、駆逐艦娘たちの寮に大型テレビと冷蔵庫を優先して設置することと致しました」
「あら・・」
「次に、お盆にも酒か菓子を配布する件ですが、そもそも正月に配る量が多すぎました。これを減らすことにより、盆にも配布することができます」
「最後に、故障が多発する件ですが、点検整備の徹底を本日、私から指示致しました。これにより順次交換が進むと思われます」
「・・ほとんど私の言ったとおりになっちゃった。・・でも、あれっ?最後の件、予算が必要だよね?どこからお金を持ってきたの?」
「・・海軍の尉官以上の者の給与を一部カット致します。階級が上になるほどカット率を上げ、さらに各鎮守府、警備隊の不要物品を売却することで費用を確保致しました」
「どうして、そこまで・・」
「総理の言葉は重いのです。我々が身銭を切ることなど安いものです。・・しかしながら、総理。予算課の者は帳尻を合わせるため、昨夜は夜を徹して作業に当たりました。後日で良いので、どうか声を掛けて頂きたく存じます」
「分かった。後で海軍省に行くよ・・」
鈴木男爵と米内海相を退出させた瑞鶴は、猛烈な後悔と反省の念がわき上がっていた。
「・・書記官長」
「はい」
「誰か、私に勉強を教えてもらいたい・・私は知らないことがあまりに多すぎる。このままじゃあ、とても総理の責務は担えない」
「承知致しました、すぐに手配致します。・・ところで、どのレベルから始められるのですか?」
「初歩の初歩・・つまり小学1年生の内容から始める」
「そこまで戻らなくとも・・」
「いや、私の場合、どこに落とし穴があるか分からないんだ。分からないことに気付いて戻るくらいなら、最初からやった方が効率がいい・・」
「・・ちょうど私の知り合いに東京女高師に通う者がおります。彼女に声を掛けてみます。世代も性別も同じ、しかも気さくな性格なので、総理とも馬が合うかと存じます」
……………
「初めまして。今をときめく総理にお目にかかれて光栄です。
「瑞鶴です。・・あの、呆れるくらい何も知らないので、ご迷惑を掛けると思いますが、どうかよろしくお願いします」
「ああ、良かった・・」
「え?」
「いえ、深海棲艦と戦われ、武勲著しいとお伺いしていたので、どんなに怖い方かと思っていたのですが・・
「実は、これでも私、頑張ってしっかりしようとしてるんだけど・・油断すると、すぐ言葉遣いが悪くなっちゃうんだ・・って、さっそくボロが出ちゃったよ・・」
「本当に私たちと変わらない。・・私は、軍事のことは
「・・何か話しやすそうな人でよかった。よろしくね・・」こうして瑞鶴は、中野の指導を受けながら、猛勉強に励むことになったのであった。