これは、もちろん私の腕でなく、ひとえにF社さんの技術力の賜物です。
そういった訳で(どういった訳?)今回の主人公は雪風さんです。
なお、話の都合上、雪風の精神年齢は成人とさせていただきました。
「大和さ~ん!!」沈みゆく大和に向かって雪風は絶叫していた。
昭和20年4月7日坊ノ岬沖。ただ日本海軍のメンツを保つためだけの無謀な作戦が成功することはなかった。
いや、そもそも「作戦」と名付けること自体がおこがましかった。内容は極めて空虚で、一言で言えば「死ぬまで戦え」というものなのだから・・
それでも雪風は、必死に大和の乗組員などの救助に当たったため、涙を流す
……………
「・・雪風は、また生き残ってしまいました・・雪風は『幸運艦』なんかじゃありません・・仲間の命を吸い取って生きる『死に神』です・・」繰り返し仲間の死を見届けることになった雪風の心は壊れかけていた。
問題は雪風ではなく、上層部の命令そのものにあるのだが、そこまで割り切って考えることができる者の方が少ないのであった。
そんな雪風を、呉の日向は必死に励ましたのであった。
「・・私や伊勢は、レイテで瑞鶴たちを置いて逃げてきたんだ。雪風が『死に神』なら、さしずめ私たちは『人殺し』さ・・」
「そんな・・伊勢さんや日向さんは必死に瑞鶴さんたちを守ったじゃないですか・・それに逃げてきたなんて・・旗艦だった瑞鶴さんが『私たちの代わりに日本に帰ってくれ』と強く命じたと聞いています。伊勢さんや日向さんは敵の空襲を巧みに回避して、瑞鶴さんの最後の命令を守ってくれたじゃないですか。・・瑞鶴さんたちは沈んでしまいましたが、瑞鶴さんたちが残してくれた命がここにあるなら、その想いはまだ生きてるんです!!それに伊勢さんや日向さんは、その後、敵の隙を突いて大切な資源を持ち帰ってくれたじゃないですか・・」
「そう言ってくれるなら、雪風も大和の最後の命令を守ったんだ。自分のことを『死に神』なんて言っちゃいけない・・」
「日向さん・・ありがとうございます・・」
「雪風・・ここでさらばだ・・」
「どうしてですか・・」
「図体ばかりでかくて、
「誰がそんなことを・・日向さんは、私たちでも対応が難しい潜水艦をその主砲で追い払ったのに・・」
「戦艦1隻動かす燃料があるなら、その分駆逐艦を動かした方が効率がいい。誰でも分かる話だ。・・だが、安心しろ。木っ端みじんにならない限り、この辺りの水深は浅いから、沈みきる前に着底するだけだ。・・そして着底なら、死んだように見えても言わば仮死状態だ・・」
「・・・」雪風から涙がこぼれていた。
「雪風・・お前は最後まで生きるんだ・・」
「・・お前もうすうす感じているだろうが、もうこの戦争は負けだ。・・負けてどうなるかまでは正直、私にも分からない。だが、鬼畜とさげすんだ敵であっても、我々を皆殺しにはしないだろう。・・どう考えても割に合わないからな。・・あるいは死ぬことよりもつらいことが待ち構えているかもしれないが、お前には生きて、この戦いが何だったかの生き証人になってもらいたいんだ・・」
「雪風は駆逐艦です。そんな難しいことはできません・・」
「できる、できないの問題じゃない。お前の存在自体が希望になり、そして生きた教材になるんだから・・」
「日向さん・・」
「こんな小さい体のお前に、こんなことを頼むのは酷だということは百も承知だ。・・だが、これはお前にしかできないことなんだ・・」
「・・はいっ、雪風、精一杯頑張ります・・」雪風は、それは見事な敬礼を日向に捧げたのであった。
その後、雪風は舞鶴に向かい、そこで終戦を迎えた。
雪風が呉を去った後、呉は度重なる空襲を受け、伊勢や日向たちは大破着底した。・・伊勢が放った主砲が、連合艦隊戦艦最後の主砲発射であった。
伊勢や日向たちの損害は甚大であったが、それでもなお威容を誇った。
その姿は、衣川の戦いで、主君源義経を守って立ち往生した弁慶のようですらあった。
……………
雪風は、戦後、引き揚げ船として主に南方戦線で終戦を迎えた兵士たちを日本に帰還させるために働いた。この兵士たちの中に「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげるが含まれていたことは有名な話である。
そして、雪風は賠償艦として蒋介石率いる中国・国民党政府に引き渡されることになった。
雪風は、連合国側にも幸運艦として知れ渡っていた上、灰皿に至るまで磨き上げられて引き渡されたため、中国側は「これが敗戦国の船か」と驚いたという。
そして、「丹陽」という新しい名前になった雪風は、駆逐艦でありながら台湾海軍の総旗艦となり、蒋介石が乗船するという栄誉を得たのであった。
その後、昭和44年、老朽化が進んでいるところに台風の被害を受けたため、解体され、その波瀾万丈の生涯を閉じたのであった。
現在、雪風の錨は日本に返還され、江田島の旧海軍兵学校跡地に安置されている。
【エピローグ】
朝鮮戦争が始まったことにより、西側陣営に組み込まれたわが国は、再軍備を始めた。「海上自衛隊」として建造された初めての国産護衛艦、二番艦ではあったが、進水は一番早かったその船の名前は・・「ゆきかぜ」であった。
そして、この「ゆきかぜ」は、昭和49年に発生した第十雄洋丸事件において、燃えさかるタンカーを撃沈するため、実弾射撃を敢行するのであった。