暑さもすっかり過ぎ去り、紅葉が生え揃う時期。
そのある日の夕暮れに蝙蝠の獣人は人里にひっそりと降りて来て、一つの民家の物干し竿にぶら下がっていた。
「あら、久しぶりだぁね」
そう言いながらも、最初にそれを見つけた祖母は嬉し気だった。
小学生並みの大きさである、獣人の中では比較的小さい肉体を持つその蝙蝠の獣人は、しかし普通の蝙蝠と比べれば遥かに大きい。足の指はぶらさがって長時間体重を支えられる程に強く、爪も鋭い。
翼と足の他に人間のように物を扱える手を持ち、全身は毛皮で覆われている。特に首回りはふかふかな白い毛を数多に生やしていた。
祖母は納屋に行き、リンゴを幾つか持ってくる。
「リンゴ、食べるかい?」
蝙蝠の獣人は嬉しそうにキィと鳴き、それを逆さまになったままシャリシャリと食べ始めた。
干し柿農家である一家にその蝙蝠の獣人がやって来たのは、丁度一年程前の事だった。
血ではなく主に果実を食べる種類の蝙蝠の獣人が、遠くの物陰から干し柿を作っているその一家を眺めていた。
どうして食べても美味しくない渋柿に手を加えているのか不思議な様子で、けれど孫が面白半分で干し柿を投げてやれば、最初は警戒を露にしていたものの、一口小さく齧ると後はその虜になった。
その孫は親から盗み食うようになったらどうするんだ、と強く叱られたものの、臆病らしかったその蝙蝠の獣人はそんな事をする度胸など無かったようで、作業をする一家の近くに時折物欲しげな顔で現れる位だった。
しかし、そんな関係もある時に一変する。
肌寒くなって来たある日の深夜に、唐突に扉が叩かれた。家主が跳び起きて外に出ると、近くには誰も居ないように見えたが、干し柿を作っているその専用の小屋から僅かに光が漏れているのが見えた。
泥棒であった。
扉が叩いたのは誰だか分からなかったが、今はそんな事を気にしている場合ではない。すぐさま警察に電話を掛け、泥棒は敢えなく御用となった。
そしてやって来た警察が取り逃しが居ないかと辺りを見回っている内に、家の近くでぶらさがっている蝙蝠の獣人を見つけた。
一家は彼が伝えてくれたのだろうと納得して、干し柿を何個も与えた。
蝙蝠の獣人はまるでリスのように干し柿を頬張りながら、一家に今まで以上に寄り付くようになった。
「なあカフカさんや、お嫁さんは出来たのかい?」
孫のような目線で蝙蝠の獣人に祖母は呼び掛けた。
カフカと呼ばれたその蝙蝠の獣人は、呼ばれた事を理解しつつも、流石に言葉は分からずに顔を向けながらもシャリシャリとリンゴを食べ続ける。
カフカと言う名前は孫の命名によるものだった。「フカフカだから、えーっと、カフカね!」と言う純粋な気持ちで名付けられたのだが、それが虫に変身する小説を書いた人の名前である事を知っていた読書好きな父親は、少しだけ妙な顔をした。
カフカと呼ばれる事になった蝙蝠の獣人は、そう一家から呼ばれるようになって程なく自分の名前を自覚した。
それは群れの一員として認められるような認識をもたらしたようで、カフカが一家にやって来る事はぼちぼちと増えていた。
近所でも話題になる事も増えたが、泥棒を知らせてくれたという功績に加えて、某所の動物園でアイドルのような立ち位置に居るピピちゃんという個体の認識がある事もあり、幸いにも危害を加えられるような事は無かった。
ただ、カフカが臆病であるという事もあって一家の前以外には余り顔を出す事も無く、人気者になる事も無かった。
その内、買い物から母親が帰って来た。
「あら、カフカじゃない」
買い物袋を持って母親は呼び掛けた。リンゴを食べ終えてべたべたになった手を舐めながらキィ、とまた返事をした。
次いで父親が、祖父と孫が帰って来る。
孫が喜んで続けてリンゴを与えようとしたが、祖母が止めた。
「ごめんね、おばあちゃんがリンゴあげちゃったのよ」
「えー。カフカ、まだお腹空いてない?」
カフカは手を伸ばした。
「まあ、まだ一個位なら良いのかねえ」
「やった!」
納屋から出来るだけ良さげなリンゴを取ってきて、カフカにあげた。カフカがまたシャリシャリと食べ始めるのを、孫はすぐ近くで屈んで目線を合わせた。
「美味しい?」
「キィ?」
獣人の表情は人間と同等な程にはっきりと分かる。
カフカは笑顔で孫の方を見た。
「それは良かった!」
中から母親が呼び掛けた。
「ちゃんと手洗いなさいよー」
「分かってるー」
カフカがリンゴを食べ終えるのを見届けると、孫は家の中へと入って行った。
その内戸が閉められ、カフカは空へと飛んで行った。蝙蝠にとってはこれからが活動の時間帯だった。
孫が夕食を食べ終えて外に出ると、もう居ない。
「夏の間に来れば自由研究もできたのになあ」
カフカは冬から夏の間は殆ど来なかった。冬は冬眠。蝙蝠の獣人の繁殖期が春から夏である事は、孫が知るには早い事だった。
秋の最中、干し柿作りも繁忙期をこれから迎える時だった。蝙蝠にとっては冬眠の為に栄養を蓄える時期であったが、獣人であるカフカにとってはそう苦労する事では無いらしく、毎日のように顔を見せ始めていた。
干し柿が出来るまでには早くても二十日程掛かるし、それまでにお零れを貰えないのも分かっているようだが、それでも作業を興味津々というように、適当な所にぶら下がって眺めていた。
そんな姿に対して、祖母が隣に座った。次いでに渋柿と吊るす用の紐を持って、隣で作業を始める。
包丁で皮を剥き、酒精で周りを拭ってから柿の軸に紐を通す。それが五つも出来ると別の箱に入れる。カフカはそれを興味津々な目で見ている。
やりたい、と言うような素振りまでは流石に見せなかったが、もう体に染みついている程に早く正確な手捌きを見るのには飽きる様子が無かった。
そんな様子を孫が見つけると、こっそりとその場を去り、そしてデジカメを持ってくる。
夕暮れ、カフカの目の前で干し柿の作業をする祖母。それは小学生から見ても十分に絵になる光景だった。
ピピッ、ピピッ。電子音を立てて写真が撮られるのにカフカが気付いた。
昨年からカメラで撮られており、顔を向けると一家に喜ばれるのだけは知っていたカフカは、笑顔を向けた。
そして祖母もこちらを向いて笑顔を向けた。
「はい、チーズ!」
祖母がピースをする。カフカがそれを見て、遅れて真似した。
「ありがとー!」
そう言って走り去って行こうとするのを祖母が止めた。
「ちょっと待ちいな。ほらこっち来て」
そう言ってカフカの隣に立たせてデジカメを取る。
「えーっと、ここを押すんだっけな?」
「うん!」
「じゃあ、はい、チーズ」
ピピッ、ピピッ。
カメラを降ろして、祖母は孫とカフカをじろじろと見た。
「後数年もすれば、カフカさんの身長も追い抜けるかねえ」
「そうなの?」
「ちゃんと食べて、運動すれば多分、ね」
「へー……」
まじまじとカフカを眺めるのに、カフカはキィ? と首を傾げた。
祖母はカメラを返して言った。
「協力してくれたカフカさんにちゃんとお礼持ってきな。
みかんが納屋にあったはずだから、四、五個でも」
はーい、と孫は走って、そしてすぐに戻って来る。
「はい、カフカ。ありがとね!」
渡されたみかんをカフカは「ンパ!」と嬉し気に鳴くと両腕で抱えて受け取り、けれどその場では食べずに翼を広げる。
自らの身長よりも広いその皮膜がすぐ近くで一気に開かれると涼しい風が起きた。
「わあ!」
驚く孫に、ありがとうと言うかのように再び笑顔を向けると、ぐっ、と足に力を込めたかと思えば一気に空へと飛んだ。
滑らかな動きで上空へと、そして夕暮れの空、山の方へと飛び去って行った。
「あ、行っちゃった」
そんな様子を見ながら、祖母が言った。
「家族に分けてあげるのかもねえ」
「お父さんとか、お母さんとか?」
「さあ、どうだろうねえ」
適当にはぐらかしながら、祖母は作業に戻った。
すぐに集中し始めるその様子に孫は多少不可解な気持ちになりながらも、家へと戻って行った。
その後、ぽつりと祖母は呟いた。
「お嫁さん、出来たのかねえ」
蝙蝠の交尾は、丁度今頃行われるはずだった。
次いでに言うと蝙蝠は一夫多妻制らしい。