NEXT:No.5抹消措置
1
新しい素体が手に入った。
まさか、ここを見つけられるとは思っていなかったが、彼も、私も運が良い。
彼は願いを叶え、私は偶然を装って迎えに行く必要がなくなった。
暫くは実験に集中できるだろう。
いや、彼女の世話がある分、少し手間取るか。
まぁ、想定していた範囲の誤差だ。
人間を使った実験は、どれだけ熟そうとも足りはしない。
人間の複雑怪奇さは身を以て知っている。
何か一つでも足りなければ、あるいは余分であれば崩れ去る。
緻密で奇跡的な均衡の元に成り立っている。
肉体と精神の関係性はとても興味深い。
肉体とは、自己修復機能のある物質世界へ干渉するための道具だ。
その中には、臓器に骨、筋肉、そして魂が詰まっている。
そしてそれらの殆どを操作するのは魂だ。
では、魂は何処にあるのか。
私は臓器たちを固体、体液を液体、そして魂を気体として捉えている。
故に全身に隈無く浸透しているであろう魂の位置情報としては肉体とする他ない。
実際、脳の取替実験の結果としては自我はそのままだった。
まぁ勿論、精神が正常である保証はないが。
それに当然のことだが、脳にも魂は染み込んでいる筈だ。
何度も繰り返せば、完全に入れ替わることはなくとも、肉体と精神が混在する症例を作れたかもしれない。
それは置いておいて。
精神とは、記憶の格納庫であり、自我の証明式だ。
簡単に言えば二つの精神を混ぜ合わせた場合、比率の多い方が肉体の自我になる。
ただ、記憶は格納されたもの同士の継ぎ接ぎになる。
よく精神と魂は同一視されるが、これは少し違う。
魂には精神と
肉体は物質世界で言うところの栄養素を食事から得るが、魂は
では、精神とは記憶なのか。
これは少し難しい、私にもまだ結論は出せない。
記憶とは、記録だ、経験だ。
精神がそれそのものだとすると、人間の行動の全てが反復行動に過ぎないということになる。
私は、精神とは記憶を参照し行動の決定権を持つもの、だと思う。
しかし、誰かに与えられたものをまた誰かに与えるだけの存在、それが人間である可能性は捨てきれない。
2
あまりに退屈で変化が見られないからといって、関係のないことで貴重…でもない紙を埋めるのはどうかと思うが、私。
だが、遂に実験体に明確な変化が訪れた。
彼女に即座に沈静化させられていたが、定期検診の際に実験体に撥ね飛ばされた。
今回の失敗の原因としては、肉体と精神の存在強度の乖離が暴走を招いたのだと考えられる。
あるいは、彼女の言うように本当に悪夢を見ていただけなのか。
存外人間というのは単純で、思い込みが状態を決める時がある。
どちらかが異常を訴える時、その片割れも簡単に悪い方向に転がり落ちる。
その逆もまた然り。
心穏やかであれるならば、肉体の異常など些事であるのか。
あるいは、本当に大切なものを知る者たち同士では、精神的な繋がりを持っていたりするのだろうか。
少なくとも、肉体の異常発達という余計に対する、彼と彼女の間にある「何か」が、精神と肉体の均衡を保ち、崩壊を回避していると思われる。
3
生物が眠りの中に見出す夢と呼ばれる領域。
記憶を整理する為に、取り出された要素の集合体。
何故悪夢を見るのか、どんな悪夢を見ているのか、私には分からない。
ただ、取り出した要素が、不安とか絶望とか、そういった悪いものだったのだろうと思うだけだ。
手を握るという行為が、何故悪夢を払拭し得るのか。
彼女は幼少期から、そうしていたと言っていた。
行為の積み重ねによるもの、ではなく最初から効果があったということだ。
肉体による物理的な繫がりを持つことにより、副次的に精神的繋がりを作っているのか。
あるいは初めから精神的繋がりがあるからこその、手を繋ぐという行為をトリガーに設定しただけである可能性もある。
肉体は集団を作れるが、精神は常に孤独だ、眠りの中にあれば尚の事。
精神の孤独感を癒し
いや、そうか、運命を共有しているのか。
行動にはエネルギーが必要だ。
夢には運命を消費しているのだろう。
悪夢なら尚更、燃費が悪い。
持ち上げるのも億劫になるような
連日消費するエネルギーと摂取するエネルギーの釣り合いが取れていなかったのだ。
一人で消耗するより、二人で効率的にする方が当然楽だろう。
人間が夢魔と呼ぶ者たちは悪魔の一種として認識されているが、彼らはただ労働の対価を貰っているだけなのだろう。
まぁ、ほぼ強制的な契約の元の徴収であるのは確かだが。
人間のそれよりは、よっぽど優しいものだ。
夢魔は生物の夢を介し、精神に接続する。
記憶から突然現れた異物に対して、嫌悪感を抱くのは防衛本能の表れだろうが、やはり人間は偏見に満ちた愚劣で醜悪な生物だ。
話を戻して、次の実験には夢魔を使おう。
夢魔のその特性、あるいは技術を使って精神への干渉を実現できれば、私の目的にまた一つ近づける筈だ。
何処かに都合よく死にかけている夢魔が落ちていないだろうか。
死体でも良いのだが。
4
実験体が目覚めた。
おおよそ一ヶ月程の休眠といったところだろうか。
既に彼女も一人で立てるようになり、実験体の世話のついでに私の三食の食事管理をしている。
あれ、お世話されている…?
いや、待って欲しい、私には食事が必要ない。
私の体が壊れたところで薬で戻すからだ。
だからこれは、お世話はお世話でも余計なお世話だ。
そのままそう伝えたのが悪かったのか?
…まぁ良い。
実験体は諦めたような目で、変わり果てた自身の体を眺めていた。
自ら差し出した対価の重みを実感していることだろう。
と考えていたら、彼が悲痛な表情で私の伴侶になることを宣言した時は、思考が停止した。
彼の後ろでとてつもないオーラを放つ彼女のお陰で、直ぐに我に返ったが。
それにしても、動物性愛者呼ばわりは腹が立った。
王子が
しかしだ、私は優しいので彼女を同じものにするだけで許してやった。
実験のせいで捻じ曲がっただろう実験体の性癖に合わせて、同じものにしてあげる配慮は素晴らしいと思わないか。
殺されかけたが。
今の彼らの身体能力で、鍛えるどころか運動すらしていない私が振り回されたらこうなるのは当たり前だろう。
可笑しい、力関係が逆転している。
私は全ての元凶だが、命の恩人だぞ。
対価としてあなた好みの自分をあげますなどと、自意識過剰だとは思わなかったのか。
それに私はけっこういちずなんだぞ。
追記
これは彼女にのみ話してあるが、獣を無理矢理人間の形にしているような実験体の姿を見て分かる通り、肉体の比率は間違いなく獣に寄っている。
実験には死体を使った、故に魂は無い。
いや、死体は綺麗だったからまだ抜けきっていなかったかもしれない。
その場合、より彼の死期を早めるだけだ。
より不味い。
このままでは今はまだ人間だが、いずれ人間としての彼は死に、獣として生きていくことになるだろう。
あるいは獣の魂の残滓が主導権を握り、完全に死ぬか。
それは困る。
私の目的から外れてしまう。
だからこそ、彼女には同じ種族ではなく、同じ個体を混ぜたのだ。
人の身に余る力を二人で制御して貰う。
単純に肉体の比率を、せめて五分に持っていきたい。
この夫婦は、要観察対象だ。