おまたせ。
一緒に帰ろう。
かつて王国を襲った漆黒の竜のお話。
とても昔のこと、王国は生きた厄災に襲われました。
王城と同等の巨躯を持ち。
鱗はあらゆる攻撃を弾き。
咆哮は世界を揺らし。
暗い息が街を火の海へと変えました。
勇者は既に魔王を倒し、神の国へと帰った後です。
故に人の力だけでどうにかする必要がありました。
しかし、それが出来るのならば勇者は必要ありません。
人々は神に祈り、縋ることしか出来ません。
どうすることも出来ずに、王国は滅びるかに思われました。
絶望に包まれた王国の中で、一人立ち上がるものが居ました。
お姫様です。
誰も彼も諦めて動かなくなった今、行動は容易でした。
姫は勇者を失った王国に武力で、解決することが出来ないことを理解していました。
ですから、一縷の望みを掛けて邪竜との交渉に挑んだのです。
死の恐怖に折れそうな心を奮い立たせて、震える体を誤魔化して、姫は邪竜の前に立ちました。
露台から必死に、半ば叫ぶように邪竜へと声を投げ掛けます。
不思議なことに邪竜は静かにその声を聞いていました。
目的を問えば、王国の滅亡と返ってきました。
明確な敵意、そして絶望的な返答に姫は泣いてしまいそうでした。
それでもと、諦めることなく興味を持たれている、この好機を逃さない様に話し続けます。
代替案を要求すれば、勇者の亡骸を提案されました。
勇者は既にこの世界に存在しません。
神々が祈りに答える様子もありませんでした。
姫は、震える声で別の案を懇願しました。
姫のその様子を見ていた邪竜が、遂に笑い出しました。
堪え切れぬといった様子で、憐憫と侮蔑と嘲笑を籠めた声音で、唸る様に笑っていました。
一頻り笑った後、邪竜は言いました。
『ならば、お前で良い』
姫は一瞬、何を言われているのか理解できませんでした。
王国と勇者が釣り合うのは分かります。
しかし、そこに自分が並ぶだけの価値があるとは思えませんでした。
それでも、破格の条件であることに間違いはありません。
しかし、返事はできませんでした。
抑えていたはずの震えが止まらず、口はガチガチと音を鳴らすだけでした。
姫には後に続く言葉が容易に想像できてしまいました。
『ここか、巣か、どちらで死にたい?』
自分で死を選ぶことの恐ろしさを飲み込んで、姫は考えました。
邪竜がどんな殺し方をするのか。
死体は残るのか。
生まれた国で皆の前で死ぬか。
一人、孤独に死ぬか。
考えて、考えて、姫は竜の巣で死ぬことにしました。
何より見せしめになるのは嫌でした。
そうなるぐらいならば、誰に看取られることなく死ぬ方がまだ良いと思えました。
『国の為に死ぬると?』
最早立つことも儘ならず柵に掴まるような状態で、しかし姫は頷いて見せました。
『…愚かな』
その声音には、憐憫だけが感じられました。
邪竜は姫を掴み上げると、山の方へと飛び立ちました。
以来、邪竜が姿を現すことはありませんでした。
邪竜が向かったとされる山は、今では竜神山と呼ばれ、立ち入りを禁じられています。
今でも姫が健気に邪竜を留めているとも言われています。
少なくとも、わざわざ竜の逆鱗に触れに行く必要はないでしょう。
めでたしめでたし。
一説には、姫は存在しないのだとか。