来宮美晴は邂逅する
M県S市のベッドタウン、杜王町。人口は約5万8千人。
町の花はフクジュソウ。特産品は牛タンの味噌漬け。
"奇妙"な出会いはこの町で始まる。
———
『杜王ー、杜王ー』
駅のアナウンスがホームにこだまする。開かれた電車の扉からポンと弾かれるように1人の少女がホームに降り立った。
「やっと着いたー、杜王町」
ガラガラとスーツケースを押しながら改札を抜け、外の空気を吸い込んでいる彼女の名前は"来宮 美晴"。両親を交通事故で亡くした彼女を引き取ってくれる親戚が住んでいるのが杜王町で、高校もこの町にあるぶどうヶ丘高校に入学する予定だ。
3月上旬のまだ少し冷えた空気は暖房の効いていた電車内から出たばかりの体には少しばかり沁みる。美晴は広げたメモを頼りにバス停まで移動すると、ちょうどやって来たバスの行き先を確認してからそれに乗り込んだ。
揺られる事数分、目的のバス停の名前がアナウンスされるとすかさず停車ボタンを押し、バスから降りてまた少しスーツケースを引いて歩く。
しかし——
「ま、迷った…?」
さすがはベッドタウンといったところか。住宅街をとぼとぼ歩く事30分が経過しようとしているが、目的の親戚の家が見つからない。困ったように唸りながら右往左往してみるが、あるはずの"来宮"の表札がなかなか見つからない。
「住所からすれば、ここの隣……の、はずなんだけどな」
他の家とは少し外れた位置にある立派な家。その"岸辺"さんの隣が"来宮"のはず(少し離れてるけど)。
「おっかしいな……」
スーツケースに腰掛け、歩き倒しだった足を休まながら改めて辺りを見回してみる。やはり"来宮"の表札は見当たらない。
「……!」
そこで、ふと視線を感じてそちらを振り向いた。視線は岸辺家から注がれているようで、するすると美晴は視界を上から下へ移動させる。
そこから見えたものは——、
「ッ!!」
岸辺家の玄関の隙間から覗く"目"だった。それは美晴をジッと捉えて動かない。
ゾクゾクッ!と身の危険を感じるや否や、岸辺家の玄関がバタン!と音を立てて勢いよく開かれた。そこから現れたのは1人の男——恐らく岸辺の姓を持つ者であったが、彼は真っ直ぐに美晴の方へ歩いて来てはすぐに彼女を見下せる位置まで距離を詰めて来た。
「君かぁ〜、さっきからガラガラと音を立てていたのは」
ギザギザのヘアバンドを巻いたその風貌には少し見覚えがあった。だが、そう悠長に構えていられる雰囲気でもなかった。
「仕事の邪魔だからよそでやってくれないかな?」
「えっ」
岸辺は美晴が腰掛けるスーツケースをペンで指し、心底迷惑そうな表情を惜しげもなく披露している。
「だからさぁ、それを引く音がうるさいっての。集中出来ないじゃあないか」
「す、すみません……」
美晴は何故か謝っていた。こんなどうしようもない事を。じゃあこの男はスーツケースを音を立てずに引く方法を知っているのか。いや、そんな事を言ったらややこしくなりそうだ。だからとりあえず謝っておくしかなかった。
しかしそれだけで終わらせるのはあまりに勿体無い。
「あのッ、この辺に"来宮"って苗字の家、ありませんでしたか?」
美晴はさっさと家の中に戻ろうとする男を引き止めるようにその背中に声を投げ掛ける。
だって私がスーツケースを引いて何度も何度も往復したのは結局それのせいなのだ。それさえ教えてもらえれば、もう彼に迷惑を掛ける事もないだろう。一方の岸辺も彼女が何故ここを往復するようにスーツケースを引いていたのかに合点がいったようで、また彼も彼女と同じ思考に至り考える素振りを見せた。
だが彼は「ん?」と空を見ていた最中に疑問符を浮かべる。
「来宮ならぼくの隣の家だったけど、ついこないだ引越しのトラックが停まってたよ」
ほら、と彼はペンでほんの少し離れたところにある家を指す。やけに静かで、表札のないその家を。
「長い時間作業してたからあれは確実に引越し作業だった。君はそこに何か用事でも?もぬけの殻の家に?」
岸辺はほんの少しだけ興味が湧いた。彼女がスーツケースを持っているという事は、ただの観光目的や立ち寄っただけなわけじゃあない。これは確実に"宿泊をする"準備だ。でなければこんな物は駅前のコインロッカーに預けてしまえばいい。
案の定図星らしい美晴の様子に岸辺はほくそ笑んだ。
「そんな……もぬけの殻だなんて。私はその家にお世話になるんです。親戚の方が引き取ってくれるって……」
彼女の顔からスーッと血の気が引いていくようだった。
しかしどうもこの——来宮のお嬢さん?から話を聞くには相当な時間が掛かりそうだ。岸辺は面倒そうに小さな溜息を吐きながらそう思い、改めて完成したばかりの原稿を1枚持ってきておいて正解だと、それと同時に思った。
「ところで君、これをどう思うかな?今完成したばかりの原稿なんだけどね」
岸辺はその様子に構わず、少々強引に話題を変えながら1枚の漫画原稿を彼女に手渡す。「え?え?」と戸惑いながらもそれを手にする彼女は根がいいヤツなのだろう。それでいい。あとは"波長"さえ合えば。
「……!こ、これ……"ピンクダークの少年"、ですよね!?えっ、でもこれって……えっ、まさか"岸辺"って!"岸辺露伴"先生、ですかッ!?」
美晴の表情は青ざめたものから一転、動揺を露わにして視線を原稿と岸辺——露伴とを交互に見比べる。そうだ、岸辺露伴は週刊少年誌で漫画を連載している漫画家。顔も公表していたし己も読者の1人だ。見覚えがあったのはそのせいだったのだ。
「どうやら波長が合ったみたいだ」
しかし、露伴は美晴の質問に律儀に答える事はしなかった。それよりも重要な条件が揃ったから、そんな事は露伴にとってどうでも良かった。
「面倒だから"君"を"読ませてもらう"よッ!」
ペリッ!と何かが裂ける音が聞こえる。それはどこからなのか。
「ッ!!」
美晴は己の耳の限りなく近い場所から聞こえたその不快な音に恐る恐る頬に手を当てがうと、伝った感触にまた血の気が引く心地になった。
まるで本のページを捲るように、己の皮膚が薄く開いていく。
露伴が放った"読ませてもらう"という言葉。恐らくそのままの意味なのだろうと美晴は直感的に思った。
絶対に読まれたくない!
だから彼女の"それ"は発動した。
「!!」
露伴は目を疑った。開きかけた彼女の"扉"がスッ…と何事もなかったかのように閉じたからだ。
「君……今なにをしたッ!?」
今までこんな事はなかった。漫画原稿を見せ、波長が合った人間の"記憶"を文字通り本を読むが如く得る事が出来る……岸辺露伴がつい先月に矢で射られた時から使えるようになった能力。波長が合えば逃れる事は出来ないはずの能力を今、目の前の少女は弾いた。
「"なにをした"は……よっぽどこっちのセリフです!もしかして私の事を"読もうとした"んじゃあないですか!?」
「だからなんだと言うんだい!?君から話を聞くのはまどろっこしい!ぼくは今すぐに知りたいんだッ!」
勝手に記憶を読まれる寸前だった美晴が声を荒げるのも無理はないが、対する露伴も負けじと声を張り上げる。
「君がその空き家になんの用なのかもッ!なぜぼくの能力が君に弾かれたのかもッ!全部ッ!」
ビシッと露伴が美晴を指差した時、シンとその場が静まり返った。彼の向かいには呆然とするように口を開けている美晴がいる。露伴だけがゼェゼェと息を切らしていた。
「……じゃあ一緒に来てくださいよ。あなたのお隣の家に」
美晴はほんの少し考えてから露伴に背を向け、再びスーツケースを引いて歩き出す。
彼の言った通りなら、来宮の表札が掛かっていたはずの家は空き家なのだ。それが何を意味するのか、美晴には予想がついていたが1人で確認するには恐ろしい。ならば事情を知りたいらしい岸辺露伴についてきてもらえばいいのだ。彼はあんなにも知りたがっているのだから、必ずついてくるはずだ。
そしてやはり、スーツケースを引く音に混じって己のものではない足音が後ろから聞こえてきた。後ろをチラリと見遣れば、ついてきているのは岸辺露伴その人だった。
合鍵をもらっていたので家の中にはすんなりと入る事が出来た。
美晴と露伴は玄関から中の様子を窺ってみるが、やはりシンとしていて人の気配はない。靴もなく、念のため靴箱を確認してみたが空っぽだった。
1階のリビングから台所、風呂やトイレも誰もいない。2階に上がって各部屋を覗いてみても誰もいない。それどころか、どこの部屋にも家具らしきものが見当たらなかった。
「ほら見ろ。やっぱり空き家じゃあないか」
露伴は口ではそう言うものの、やはり引っ掛かりを覚えていた。だって彼女は合鍵を所持していたのだ。ただ泊まりに来ただけならば、合鍵をおいそれと渡すだろうか。ここに住む予定だというのは本当の事だったのだろう。
だとしたらこの事態、どう考えても"夜逃げ"だ。
「……私、両親を事故で亡くしたんです」
すると彼女は突然、ぽつりと話し始めた。
「でも私だけは無傷で助かりました。お葬式の時、私の事を誰が引き取るかで結構揉めたんです。私だけが無傷で助かったのが、相当気味が悪かったみたいで」
来宮美晴は高校生になるのだ。という事は、卒業式を終えて春休みを謳歌している彼女の身分はまだ中学生である。1人で暮らしていくには補助がなければ難しい。だが、引き取り手が親戚間では上述の理由でなかなか決まらず、渋々了承したのがこの家の主であったようだ。
「それで、君だけが無傷で助かったというのはひょっとして、さっきぼくの能力を弾いたのと関係があるのかな?」
露伴の問い掛けに、美晴は静かに頷く。そうすると彼女のすぐそばに全身を鎧で覆った人間のような風貌のものが突然姿を現し、露伴は息を呑んだ。その反応を見て、美晴は"彼"が見えているのだと確信する。
「私と同じような能力を持つ人は初めて見ました。私のこの能力は……"あらゆる攻撃から対象を守る"もので……でも、"1つのものしか守る事が出来ない"みたいで、だから事故の時に私だけ助かったんです」
彼女の守護霊のようにすぐそばで佇んでいるだけの"それ"。彼女が生まれた時から彼女を守っていたらしい。
「そしてその"攻撃"というのは、"精神攻撃"も含まれるんです。だから、あなたは私を"読む"事が出来なかったんですよ」
なるほど、それなら合点がいく。彼女が"読まれたくない"と強く思ったから、扉は閉じられたのだ。露伴はようやく己が感じていた疑問に全て納得がいった。
「だからでしょうかね。私今、あまりショックを感じてないんです」
もう用はない。そう思って踵を返そうとした時、彼女の声はまた言葉を紡いだ。それは言葉とは裏腹に、とても寂しそうな響きだった。
(突如として天涯孤独になった少女、か……)
両親を事故で亡くし、引き取ってくれるはずの親戚に夜逃げをされ1人ぼっち。生まれながらの能力によって、取り残されてしまった少女。
「あのさ、1ついい案件があるんだけど」
露伴は再び体ごと彼女に向けて声を掛ける。これまた強引な切り口に美晴も彼に視線を向けた。
「住み込みで給仕係のバイトしない?場所はここの隣の"漫画家"の家なんだけど。給料は歩合制、ぶどうヶ丘高校の学費は出すよ。仕事内容は学校にいる間以外の家事全般。仕事のアシスタントはしなくていい、必要ないから」
つらつらと並べられる"案件"に美晴は暫し固まった。そんな彼女の様子などお構いなしに露伴は得意げな笑みを見せる。
「どうだい?君は今、住むところのないホームレス同然だ。でもこんなイイ条件で住むところを手に入れられる。来なよ、ぼくのところに」
岸辺露伴は人付き合いが苦手だ。だからアシスタントだって雇わない。なのに何故彼女を自ら迎え入れるような事をするのか?
そんなのは——
(この子、いいネタになるぞ!ここで逃すには実に惜しいッ!ついでに給仕係がいる生活!これもネタになる!)
結局それに尽きる。
(いいぞッ!天涯孤独の少女を拾う体験!滅多にないッ!)
露伴はこの願ってもない事態に興奮と歓喜を感じていた。一粒で二度美味しい……今の来宮美晴は岸辺露伴にとってそんな存在である。
「あの……いいんですか?本当に」
「勿論。じゃなきゃあ、こんな事は言わないよ」
美晴もまた、願ってもない事態に喜びを露わにしていた。
これからの生活をどうしたらいいのか、仕送りは誰にしてもらえばいいのか、もしそれが叶わないなら中卒でも雇ってもらえる仕事はあるのか等々、心配事ばかりが頭に過ぎっていた。しかし露伴が提示した条件を飲み込みさえすれば、すべての悩みが即座に解決する。乗らない手はないのだ。
「わかりました。是非そのバイト、やらせてください!」
その日から来宮美晴は岸辺露伴の給仕係だ。
「美晴。今日から学校なんじゃあないの」
いつもの時間にリビングに降りてくると、彼女は制服の上からエプロンを着けてせっせと朝食の準備をしていた。
「もう洗濯は済ませてあるので大丈夫です。あ、掃除は帰ってからしますね。多分明日からもそうなるかと」
「いいよ、別に。汚すほど使ってないから」
露伴はテーブルにつき、朝食を作るその背中を頬杖をついて眺める。ここ最近の日課だし、——
(案外、悪くはないな……この生活)
そう思うのも日課になりつつあった。