天才漫画家の給仕係   作:斎草

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山岸由花子は恋をする

 

"カフェ・ドゥ・マゴ"は杜王町という田舎町でありながらオシャレなカフェだ。駅前という事でアクセスも良く、待ち合わせ等にもよく使われる。

美晴はそのテラス席の一角で制服の上からパーカーを羽織ってフードを被り、先程注文したアイスティーを飲みながら読書をしている。伊達眼鏡を掛け、パッと見では来宮美晴と判別出来ない。その席のすぐ隣のテーブルには広瀬康一が誰かを待っているのか、ソワソワと落ち着きなくしている様子が見える。

(由花子ちゃん、上手く出来るかしら……相当緊張していたものね)

由花子はあれから康一に告白すると決断した。しかし1人では緊張するし、かと言って美晴の目の前で告白というのも……と悩んでいた。そうして辿り着いた答えが"これ"である。康一がカフェに来たらすかさず隣かすぐ近くの席を陣取り、彼らの行く末を見守る。康一に正体を見破られないかが唯一の心配事であったが、彼はよほど落ち着かない様子で美晴の事など全く気が付いていなかった。

(なんだか親の気分になった感じだわ……あ、来た)

そうこうしているうちに由花子が来て一瞬だけ目が合うとすぐに互いに視線を逸らした。互いの存在を確認したからもう問題ない。美晴は本と向き合うフリを、由花子は康一に声を掛けてから彼と同じテーブルにつく。

 

(……って、)

何故か自分までソワソワし始めた美晴だったが、視界の隅にサッと移動する2つの人影が見えてそちらにチラリと視線を移す。しかしそこにいた人物に美晴は息を呑んだ。

(なんで仗助くんと億泰くんがそこにいるのよ〜〜ッ!!)

なんという事だ。視界に映ったのは木の影に隠れている仗助と億泰であり、思わず二度見したその時に完全に2人に頭ごと視線を向けてしまった。彼らもそんな視線を感じたらしく美晴にチラリと目を向けると、同じように二度見してこちらを見ている。

(くぅっ…!康一くんにはバレてないけど、あの2人には私だってバレてるわ…ッ!!)

だって、あの2人は同時に私を指差したからだ。いくら変装しているからと言って見る人がジッと見れば分かってしまうくらい簡素なものだし、あの2人とは毎日顔を合わせているのだからバレて当然である。

 

「あたし、康一くんの事好きなんです」

そこに突如、由花子の声が響くように聞こえた。その声にハッと意識をこちらに戻すと、気を取り直すようにアイスティーを一口飲む。

そうだ、今の本分はそこではない。私の事などどうでもいいのだ。今は由花子の事を応援しなければ。

「あたし……1日中康一くんの事を考えています」

ついに彼女は康一に告白した。康一は案の定しどろもどろだったが、由花子は一生懸命に自分の気持ちを伝えている。

(ファイトだよ、由花子ちゃん!名付けて"押せ押せ作戦"!これで落ちない男子なんていないわ!)

美晴はこないだ由花子と一緒に考えた作戦を思い出す。康一のいいところやカッコいいところを挙げまくって揺さぶるのだ。由花子はその通りに最近の康一の事を凛々しくて勇気が満ち溢れていて……でも笑うと可愛くて、と、どんどん自分が感じたままの彼のいいところを伝えていく。

由花子が康一の好みのタイプでないなら別だが、聞いている限りでは彼も満更ではなさそうだ。とても失礼な話だが、康一は美晴でさえ関わり始めた頃はどこか緊張している様子だったので、単純に女性慣れしていないのだろう。告白や男女の付き合いなんてもってのほかである事は一目瞭然であった。それが突然美人に告白されるなんて……悪い気はしないはずだ。

「で、でも、こんなに素敵な康一くんには付き合ってる人がいて当然ですよね……」

「そ、そんな!付き合ってる人なんていませんよ…!」

押すだけではなく引く事も大事だ。適切なタイミングで引けば、相手もグラッと倒れ込む事がある。この回答ならあともう一押しすれば康一は由花子の付き合いをOKするだろう。先程から木陰にいる億泰が泣いているようにも見えるが無視である。

「あたしの事、好きですか?」

ドンと押し込む。何気に由花子、大胆だ。

「え、えっと、その……あの……」

対する康一はやはりしどろもどろだった。まだ決められていないのだろうか。

「じゃあ嫌いですか?」

「い、いや!そんな急にそうはならないというか…!」

なんだか雲行きが怪しくなってきたように思える。さっきまでは良かったのに、美晴は少し心配になりながらアイスティーをもう一口飲み込む。

「じゃあ好きなんですね?」

「えっ?えっ、えーっと…!」

由花子はもう一度先程と同じ問い掛けをするが……

(ゆ、由花子ちゃん…?ちょっと極端すぎやしないか?)

やはりだ。康一は康一でいくら迷っていると言えどはっきり答えてやらないのも問題だが、由花子も由花子で焦り始めている。本当に先程までは雰囲気も良かったのにどうして——、

 

「ああもうッ!!どっちなのよッ!!好きなの!?嫌いなの!?愛しているの!?愛していないの!?ハッキリしてよッ!!」

突如、バンッ!と勢いよくテーブルを叩く音と共に由花子の感情が弾けた。その声に康一も美晴も、少し遠くで見ていた仗助と億泰もビクッと体が震える。

「ああーーッ!!コーヒー溢しちゃったわッ!!あんたのせいよッ!!」

由花子はそんな周りの様子も気に留めず、テーブルを叩いた衝撃で倒れたカップを見て発狂したように大声をまた上げる。突然の事にもはや4人はポカンと放心するしかなかった。本当にどうしてこんな事に。美晴はクラクラと目眩がするような心地だった。

「……!ご、ごめんなさい、あたしったらつい……そ、そうよね、すぐに決められるわけないわよね……」

しかしハッと我に帰ったのか、今度は由花子がしどろもどろになり始め、ついにはすすり泣く声まで聞こえてきた。

「あたし…!本当にもう…!!」

その急激な温度差に美晴と康一は固まる他なく、由花子はといえば逃げるように帰り支度を始める。

「ところで……また、会ってくれますよね…?」

そんな事を一方的に言い残し、由花子は走り去ってしまった。

 

「ちょっとちょっとちょっと〜、康一くん!」

「うわッ!?み、美晴さんッ!?」

美晴は由花子が見えなくなった頃合いにグイッと椅子を傾けて康一に近付く。パーカーのフードと伊達眼鏡を外せば康一もすぐに気付いたのか、ビクリと肩を揺らしていた。

「だめじゃない、ちゃんと答えてあげなきゃ!こういう時はビシッと答えるのよ!」

「そ、そんな事言われたって〜…!美晴さんも見てたろ!?彼女、なんか怖かったんだよ!」

美晴の指摘も尤もであるが、康一の言い分もまた尤もなのであった。

確かに先程の由花子の態度は何かおかしかった。まるで癇癪を起こした子供のようで、いくら康一がハッキリしなくてもあそこまで発狂するとは美晴も想定外だった。それもそのはず、こないだ2人で話していた時は全く微塵も感じなかったものなので、美晴自身も放心するほど驚いたのだ。

「まぁ、それは分かるけど……うーん、私も予想外だわ…あれは。とにかく由花子ちゃんには、明日それとなく言ってみるわね……」

由花子とはまた明日も会えるだろう。それまでに彼女が反省していれば良いのだが、果たしてどうなるだろうか。もしかしたらショックで学校を休むかもしれない。

「た、頼むよ……ぼくは彼女の事、よく知らなくて……だからいきなり好きか嫌いかなんて分からないんだよ……」

「! それだ……」

何故康一は先程それを言わなかったのか。由花子と康一の間にある溝は、康一が彼女の事を知らないのが原因で出来ている。ならばまずは康一に由花子の事を知ってもらえばいいのだ。少しずつ距離を縮めていけば、きっと2人はゴールイン出来る。由花子は決して悪い子じゃあない……はずなのだ。寧ろ康一の事をよく見ていて、美晴でも知らなかった事がたくさんあったくらいだ。彼女の康一への"愛"は本物のはずなのだ。

(乗り掛かった船だ、最後までちゃんと相談に乗ってあげよう…!)

美晴は1人、気合いを入れ直してから帰路につく。明日こそはちゃんと言ってあげよう。

 

だが、世の中そう上手くはいかない事を思い知るのだった。

 

翌日。

「美晴ちゃんッ!昨日"カフェ・ドゥ・マゴ"にいたって事はよォー、知ってるよなァ!?」

「仗助くんに億泰くん……ど、どうしたのよ朝から……」

美晴が登校し、教室にやってくるとすぐに仗助に人気の少ない廊下に呼び出された。そこには億泰が既に待機しており、2人して美晴を囲んで壁に手をつき、逃げられないように見下ろされる。3人の関係を知らなければ、まるで恐喝でもされているように見えるだろう。

「"どうした"じゃあねーよ!美晴よォ……山岸由花子に相談されてたんだろォ!?なんでああなるんだ!?オメーなに言ったんだよ!」

一応2人には、あの手紙の送り主が由花子で宛先が美晴であり、恋愛相談を受けていた事を報告してある。ただ、由花子が"秘密にしていてほしい"と言っていたので、彼女が誰が好きなのかは言っていなかった。だが昨日、2人は告白の現場を偶然見てしまった。更に美晴が告白を見守っていた事も知っている。2人は美晴があの発狂までを由花子にアドバイスしたのではと、そう思っているらしい。

「昨日の事なら私も予想外よ……私、確かに"康一くんのいいところを挙げまくって押してみたら?"とは言ったけど……彼女があんな感じになるなんて思わなくて……」

そう、昨日の事は完全に想定外だったのだ。家に帰ってから自分がどのようなアドバイスをしたか思い起こしてみたが、一度だって脅迫まがいな事をしろとは言った覚えがなかった。

「私、相談に乗った手前ちょっと責任感じてるわ……2人ともまだ登校してきてないし、ショックで休んだりしてないといいんだけど……」

シュンとしおれたように項垂れる。冷や汗だってかいてくる。美晴だって由花子の恋が成就してほしいと、良かれと思ってアレコレと作戦を考えたのだ。それが結果的に由花子のせいで破綻してしまったとしても、彼女の性格を考慮していなかった自分にも少しは責任があると感じていた。康一が言ったように、美晴もまた、"由花子の事をよく知らなかった"から起こってしまった事なのだ。

そんな美晴の様子を見た仗助と億泰は、目を瞬かせた後にポンポンと慰めるように彼女の肩を叩く。

「なんか……悪かったな。責めるような事しちまってよ」

「俺らは康一の方やるから、美晴ちゃんは由花子の方頼むわ」

2人は美晴の事をよく知っている。考えてみれば、美晴がそんな事を人にアドバイスするとは思えなかった。理解し、慰めてくれる2人の言葉に、美晴の中に膨らんでいた不安感が小さくなって安堵から涙がブワッと溢れてきた。

「うわッ!?なんで泣くんだ…!?」

「わ、悪かったって本当によォ…!ハンカチ使うか…!?」

2人がオロオロと慌てながらハンカチやティッシュを出すのがなんだかおかしく感じて、美晴は泣きながらも「ふふっ」と吹き出してしまった。

「私のアドバイスの仕方が間違ってたかもってずっと不安だったものだから……分かってもらえて安心したのよ」

ぐす、と鼻を鳴らしながらも笑う姿を見て、2人は脅すような真似をした事を心底後悔していた。美晴がちゃんと言ってくれなかったら、もっと過激に尋問していたかもしれない。それが康一を思っての事でも、ほんの少しゾッとした。

「美晴ちゃんは嘘つくような子じゃあねーよ……言ってくれてありがとな」

そうならなくて良かった。仗助は持っていたハンカチで美晴の涙をそっと拭ってやった。

 

しかし昼休み、早々に事件が起こった。

「康一くん……その、昨日の事は本当にごめんなさい。あたし、夢中になるとつい、こーなっちゃうというか……家に帰ってからなんてバカな事したんだろうって、とても反省したの……」

仗助、億泰、美晴は無事に登校してきた由花子の動向をこっそり探っていた。その時康一は実験室の掃除の当番で、3人も実験室の入口からそっとその様子を窺っていた。

「ちゃんと謝ってるな……」

「なんだか杞憂だったみたいね……安心したわ」

「おいィ…ッ、2人とも重いんだよォ…!」

下からしゃがんでいる億泰、その億泰の肩に手を置いて中腰の仗助、その仗助に寄りかかる美晴という順で重なっているためか、億泰が音を上げていたが無視である。

「これからは、普通のお友達でいてくれますか…?」

「そ、そりゃあもう…!こちらこそです、ハイ!」

ようやく落ち着くべきところに落ち着いて美晴もホッと安堵した。やはり由花子は悪い子じゃあなかったのだ。自分で距離を詰め過ぎていた事に気付いて、友達から始めるという選択をしてくれたのだ。これならいずれ2人の仲は深まっていくだろう。

 

そこで終わっていればメデタシメデタシ、だったのに。

 

「あたし、もう不安で眠れなかったんだけども……あなたのためにセーターを編んだんです。良かった、ピッタリだわ!身長と胸囲は知っていたんだけど、肩幅が合うかどうか心配だったの」

なんと彼女はバッグを開けたかと思うと、康一に一晩で編んだ手編みのセーターと御守りをプレゼントしていたのだ。直前まで昨日の事を謝っていたのに、その矢先での出来事だった。

"身長と胸囲を知っている"……そんな不穏なフレーズと共にサイズを確かめるため、セーターを青ざめた顔の康一の体に当てる様は全く微笑ましく思えない。

「それからお弁当もこしらえたんです。お昼まだでしょう?一緒に食べようかと思って……」

更に同じバッグからは少し大きめの弁当箱が出てきて3人、いや康一も含めて4人で大口を開けるほどの衝撃を受けてしまった。

「ゆ、由花子ちゃん……」

「こいつはグレートにヘビーだぜ……」

「全ッ然反省してねーぞありゃあ…!寧ろ悪化してねーか!?」

一体なにをどうすればこうなるのか。本当に私の手に負える人なのだろうか彼女は。今弁当の中身を食べるため、口を開けるよう促されている康一と同じように、美晴まで顔が青ざめていく心地になる。

(の、乗り掛かった船、乗り掛かった船…!)

言い聞かせるものの、不安しか出てこない。

「私、降りたいわ……」

ぽつりと呟いた、その時、ツカツカと人影が背後から近付いてきた。

「あんた達、何やってんの?授業そろそろ始まっちゃうわよ?」

その声に振り向いてみると、仗助と美晴のクラスの委員長だった。彼女はバカみたいな体勢の3人に呆れながら、仕方なく反対側の入口の扉を開けて康一を呼び出すと、早いところ実験室のゴミを焼却炉に捨てにいくよう促す。そうして康一は委員長に手伝ってもらいながら、無事に本来の"実験室の掃除とゴミ出し"という仕事に戻っていったわけだが、それを見る由花子の顔は険しく、髪の毛が逆立っているように見えた。

「髪の毛が……」

美晴は疑問に思う。"逆立つ"というのは比喩ではない。本当に"逆立って"見えたのだ。

「ビンゴだ。億泰、美晴ちゃん。由花子追っかけるぞ」

突然、フッと仗助の声が冷静になった。由花子は既に美晴達とは反対の扉から実験室を出て、康一を連れていった委員長を追い始めている。

「もしかして由花子ちゃんって……」

早足で由花子を追いかける3人。あの髪の毛、あの殺気。導き出される可能性はひとつであり、だとしたら今一番危ないのは委員長だ。だが、彼女はもう見えない位置まで移動していて美晴のガーディアンの守護を掛ける事が出来ない。

どうか間に合いますように。そしてあわよくば、予想が外れていますように。そう祈る事しか出来なかった。


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