翌朝。
美晴はあまり寝付けなかったせいで体調が良くなかった。だが、露伴は仕事の合間に甲斐甲斐しく彼女の世話を焼き、今日は学校を休む連絡まで入れてくれたのだ。
(今朝の露伴先生、バカに優しかったな……お粥まで作ってくれたし)
つい先程の事を思い出し、ベッドの中で寝返りを打つ。食欲はあるし、熱や頭痛もないのだが、体が重くてだるい。昨日は色々あったし、ストレスのせいなのだろうか。
露伴は来週分の仕事を終わらせると言って仕事場に籠りきりだ。その彼の邪魔をしているのではないかと罪悪感が湧いてしまう。
(やっぱり少し、起きていようかしら。お昼ご飯は私が作ろうかな……)
重い体を起こし、洗面所までゆっくりおりていくと髪を梳かして結び、そのまま歯磨きや洗顔を済ませる。そうした直後に家のチャイムが鳴り響き、美晴は部屋着のままだったが迎えなければと玄関に赴いた。
(……知ってる。この人達、私のクラスの人とそのお友達だわ)
覗き窓から訪問者の姿を見ると、そこにいるのは時代遅れなリーゼントに改造学ランを纏う長身の男子生徒と、顔に傷の入ったいかにもな不良顔の男子生徒、計2名だった。
「はい、何か御用でしょうか」
露伴には"怪しいヤツだったら居留守を使え"と日頃から言われているが、それでも"一応出てやらないと"と思ってしまい玄関を開ける。するとその姿を見た2人は目をまんまるく見開いて彼女に掴みかかる勢いで身を乗り出した。
「み、美晴ちゃんッ!?どうして美晴ちゃんがこの家から出てくるんだよッ!?」
「おい美晴ッ!今康一がこの家に入ってくの見たんだよッ!何か知らねーかッ!?」
リーゼントの彼が美晴の両肩を掴んだ。美晴はそれをハッと息を呑みながら受け、しかし次にはそれを払うように手で押し退けようとする。
「……思い出したわ。あなた"東方くん"ね、同じクラスの。康一って……広瀬康一くんの事かしら……私は知らないわ、ごめんね」
"東方くん"。そう呼ばれた彼——仗助はゾクリと心臓が震える気分になった。まるで初対面のような、よそよそしい態度。いや、本当に初対面だった先月の頃でもここまでではなかったはずだ。美晴の肩を掴んだ手がだんだん冷えていくのが分かる。それを隠すように彼は引きつったような乾いた笑いを零した。
「は……おい、美晴ちゃん。違うよな?"仗助くん"っていつもみたいに呼んでくれよ。なぁ、……違うよな」
「……ごめんなさい、"友達"でもないのにいきなり下の名前って……あんまりしたくないわ」
今度こそザッと顔から血の気が引いていく。それを見た不良顔の——億泰は俯いて視線を背けている彼女の空いている手首を引っ掴んでこちらにグイッと引き寄せた。
「おいィッ美晴ッ!!朝から悪い冗談はよせよッ!!早く着替えてよォ、学校行こうぜ!?」
勢いが凄まじく慌ててそちらに視線を向けるが、その鬼気迫る表情に今度は美晴の方が血の気が引くように「ヒッ」と短い悲鳴を上げて彼らから離れようとだるい体でもがく。
「や、やめて…!離して!」
「離さねーぜェ!?そのタチの悪い冗談を今すぐやめろッ!終いにゃあ怒るぜッ!?」
「や、やめろよ億泰…!怖がらせてどーすんだよッ!」
仗助は億泰と美晴を無理矢理剥がすように力任せに押し除けた。眉間にシワを寄せる億泰と、目に涙を浮かべながら小刻みに震える美晴。
まるで他人のように振る舞う彼女を見て、仗助はすぐに"敵のスタンド使いのせいだ"と悟った。記憶を消されたか操作されたか、とにかくこの家の中にいるのは今まで以上に危険なスタンド使いだ。このまま無理に突撃するのは全滅しかねない。
「……美晴ちゃ、……いや、来宮。何の事か分かんねーかもしれねーけど……俺達が必ず助けるから。康一と一緒に、ちと待っててくれよ」
穏やかな声音と共に、ポンと仗助の大きくて優しい手のひらが美晴の頭に置かれた。そのままサワサワと髪を撫でてやれば、彼女の目にまたじんわりと涙が滲み、頬が赤く染まる。
「……待ってる」
ぽつ、と。涙と共にそんな言葉が零れ落ち、仗助は息を呑んで僅かに目を見張った。しかしそれ以上の言葉が紡がれる事はなく、玄関の扉が彼女の手によって静かに閉じられた。
「さて……億泰。こいつはグレートに厄介なスタンド使いとの戦いになるぜ」
「なっ、何ィッ…!?仗助、美晴がああなったのはスタンド能力のせいか…!?」
億泰は勢いよく仗助を振り返る。彼は家の前にある表札をなぞり、改めてその立派な佇まいの家を見上げる。
「見ろ。ここは"岸辺"の姓を持つ人間の家……つまり、美晴ちゃんが今住んでる家って事だぜ」
美晴は仗助や億泰に電話番号を教える時、まず必ず彼女も"岸辺"という家主の姓で最初に応答する事も同時に教えていた。そしてその家主は男性である事を教わっており、実際仗助が電話を掛けた2回とも男性が出た。それも恐らく同じ人物だ。
つまり、その男性こそが美晴の記憶を改ざんしたスタンド使いで間違いない。
「何のつもりか知んねーけどよォ、一緒に住んでるヤツにまで手ェ出すようなグレートにアブねー野郎が相手だ。慎重にいかねーとミイラ取りがミイラ状態になるぜ」
仗助が一旦敷地から出るのを億泰もついていき、彼が見上げる2階の部屋を見上げる。
「あそこだけ電気ついてら……」
「っつー事はあそこが今岸辺がいる部屋だな。多分康一と美晴ちゃんもいる。億泰はそこの木から窓に移って入れ。俺は玄関から2階に行く。……挟み撃ちだ」
2人で顔を見合わせて頷き、億泰は露伴の仕事場に1番近い木によじ登り、仗助は再び玄関に向かいドアノブに手を掛ける。
(美晴ちゃん……鍵掛けていかなかったよな、さっき。それに"待ってる"って……ちこっとだけ"記憶がある"んだな?)
ゴクリと固唾を飲み、ゆっくりドアノブを回す。それは突っ掛かる事なく回って彼を岸辺邸に招き入れ、そっと足音を立てないように靴を脱ぎ、2階にある仕事場の位置を思い出しながら慎重に階段を上がっていった。
(くそッ……一昨日電話で話した時は、美晴ちゃんの事を大切にしているヤツなんだなって思ったのによー…ッ!)
その夜、岸辺との電話を終えた仗助は彼にからかわれていた事に少しの間クシャクシャに落ち込んでいたが、"よろしくしてやってよ"と言う彼の声は少し優しげにも思えたのだ。
岸辺は美晴の事を大切に想っている。だからしきりに美晴の事をどう思っているのか聞いてきたのだろう。そこには確かにからかいも含まれていたが、僅かな心配や期待も込められていたように感じていた。
だが岸辺は今、美晴に精神的な危害を加えている。己が彼女の恋人だからというのもあるが、彼がこんな暴挙に出ているという事実が1番許せない。
仗助はやけに長く感じた階段を昇り切り、慎重に歩を進めていった。
その数分前。
美晴は玄関の扉を閉めると鍵を開けたまま階段を昇って2階の仕事場へと顔を出した。
「失礼します、露伴先生」
ノックをしてから扉を開けると、そこには露伴以外に背の低い男子生徒——康一がいて目を僅かに見張る。
「美晴さん!仗助くん達は!?」
「え?えっと……あなた"広瀬くん"、よね。同じクラスの。東方くん達なら帰っていったわ」
すぐに康一は美晴に駆け寄ったが、彼女のよそよそしい呼び方に思わず足を止めて1歩ずつ後ずさっていく。
「そ、そんな…!ろ、露伴先生ッ!美晴さんに何したんだッ!」
そして先程から熱心に机に向かっている露伴をぐるんと勢いよく振り向くとエコーズを出して彼を睨み付ける。しかし彼はピタリとペンの動きを止めると自身の座る回転椅子ごと康一を振り返り、口元をニヤリと歪めた。
「なに、ちょいと君達の事を友達だと認識出来なくしただけさ。それより美晴、具合はどう?起きていて大丈夫なのかい?」
「少しだるいですけど……今はなんとか大丈夫です。それよりどうして広瀬くんがここに?」
康一がサッと青ざめるのも構わず、美晴は露伴の方へ歩を進める。それを康一は引き止めるように彼女の体を押さえようと駆け出した。
「美晴さんッ!君はあいつとどういう関係なの!?どうして今まで黙っていたのッ!?」
ガシッとしがみつくように押さえられ美晴は彼に困惑するような視線を向け、次いで露伴にも同じような目を向ける。露伴はといえば、その視線を受けて回転椅子をくるっと1回転させ、やがて戻ってくると脚を組んで再び2人を見据えた。
「いいだろう。まずは康一くんの質問に答えてやる。来宮美晴はぼくが雇った"給仕係"だ。君達が彼女と出会うより前、3月の上旬頃に出会ってその場で住み込みで雇った。口止めしていたのは、ここの住所を割らせないためさ……イジワルなんかじゃあないよ。電話番号は許可してやったしね」
何かと困るだろ?と肩を竦め、一通り答えられたかと思い次は美晴に視線を向ける。
「次は美晴の質問。ぼくは広瀬康一くんが気に入ったから今朝もここに来させたんだ。彼の体験は素晴らしいもので是非ネタとして次のページも提供してもらいたくてね……ぼくの仕事が捗るなら構わないよな?」
そう言って露伴が仕事机から昨日康一の顔部分から剥ぎ取ったページを掲げてみせると、2人してヒュッと息を呑んだ。
「先生ッ…!」
美晴が無意識にガーディアンを出し、康一を守るように腕を彼の前に伸ばすと康一がまんまるく目を見開く。
「み、美晴さん…!?」
一方で露伴もまた、彼女の様子の変わりように驚いたように椅子から身を乗り出した。
「美晴……まさか、君……ッ!!」
ガーディアンの守護を康一に掛けながら、美晴はジッと露伴を見据える。
「……私は本当に広瀬くんとは初対面だわ。さっき下にいた東方くん達だってそうよ……」
康一が己を押さえる手をそっと解き、彼女は露伴の方へ歩く。その意志の籠もった瞳に気圧されたのか、彼は乗り出した身をスッと引っ込めて冷や汗をじんわりと浮かべながら目を見開く。
「でも……私はどういうわけか、"彼らを守りたい"のよッ!例えあなたに何を奪われようと!この"彼らを守りたい"と思う気持ちは、きっとあなたにはどうしたって奪う事は出来ないわッ!」
岸辺露伴の真正面で止まり、胸に手を当てながら来宮美晴はその瞳を覗き込むように見つめる。
露伴は暫く目を見開き口を開けたマヌケ顔を晒していたが、やがてふとニヤつくように目を細めて彼も彼女の瞳を覗き込む。
「ほーう……それで?それで君はぼくに何を言いたいんだね?」
一瞬、"ヘブンズ・ドアーが何かの隙に無効化されていたのか"と勘繰ってしまった。しかし美晴の言葉にその可能性はないと見出し、彼女の背後にいる康一に一度視線を向け、また視線が美晴に戻る。
その一部始終を見てから、美晴は露伴の横にある仕事机から漫画原稿を1枚取るとそれを彼に渡した。
「広瀬くんにはガーディアンの守護があるので、ページは破れません。……私の記憶をどうぞ、好きなだけ使ってください。あなたは私の事をずっと知りたがっていたはずです」
なるほど。美晴のガーディアンは続行中の攻撃はどうしようも出来ないが、これから加えられる攻撃——つまり"康一の記憶のページを破るという攻撃"は無効化出来る可能性がある。康一の記憶にも書いてあった事だ。
そして今の美晴は能力を康一に使っているため、完全なる無防備である。
「フフッ……君のその正義感は素晴らしいね。友達想いで優しく勇ましい、君はヒロインにピッタリじゃあないか」
美晴の頬に片手を伸ばして包み、露伴は恍惚とした笑みを浮かべながら彼女の手から漫画原稿を受け取る。
「では遠慮なく、君の記憶をもう一度……じっくり読んで糧にさせてもらおうかな」
「そんなッ!美晴さん、だめだッ!!」
康一が一歩踏み出すのが、露伴が原稿を美晴の眼前に持っていくのが、まるでスローモーションのように感じた。
刹那。
「その必要はねぇぜッ、美晴ッ!!」
バリィィンッ!と派手な破壊音と共に窓から何者かが露伴の仕事場に突入してきた。それは床を転がり、露伴の背後へとまわる。
「お、億泰くんッ!!」
「なっ……あなた、さっきの!」
康一と美晴が同時に彼——億泰に視線を向けるとすかさず露伴も振り向こうと椅子を動かす。
「おぉーっと!動くんじゃあねぇ!妙な動き見せっとよォ、スタンドたたっこむぞダボがッ!!」
しかし億泰のその声に彼はピタリと動きを止め、ほんの少し考える素振りを見せてから美晴を見上げる。
「……フム。美晴……さっきの呼び鈴に応えたのか。普段から居留守を使えと言っているのに」
ジッと鋭い目で目の前の彼女を見つめると僅かに萎縮しているようにも見えたが、それでも目つきを緩める事はなかった。
(どんな対応をしたかは知らないが、美晴がこの家から出てきたらそりゃあ怪しむな。しかし何故ここに?康一くんの後をつけてきたのか?)
だとしたら勘の鋭い奴だ。
しかしこの虹村億泰はただのバカである。康一の記憶にも書いてあった。とすれば、ここにはもう1人……東方仗助も来ているはずだ。
露伴は僅かに口角を上げながら、ゆっくりと椅子を動かして億泰を振り返る。
「なっ……おい動くんじゃあねぇッつってんだよォッ!」
まるで余裕を醸し出すような、勝利を確信したような動作に億泰は思わず動揺を露わにした。"ここにいるのはグレートに厄介なスタンド使い"……仗助の言葉を思い出し、汗が噴き出て右手の拳をグッと握り締める。
「"虹村億泰"くん。スタンド名は"ザ・ハンド"。君は兄である"虹村形兆"にコンプレックスを抱いており、決断する事が苦手で……そう、今の状況のような時……」
動揺している様子の彼を上から下までジーっとじっくりその佇まいを観察し、露伴は上がった口角を隠すように口元に手を当て、
「"こんな時、兄貴がいればなぁ〜"……と、思っている」
それでも目は笑っていた。図星をつかれたように肩が跳ね、息を詰まらせる億泰の表情は彼の目には愉快に映っているようだった。
「な、……なんなんだコイツはよォッ!!なんで俺の事ッ!」
「フフフッ!さぁて、どうしてだろうね?君に分かるかな?」
クツクツと喉奥で笑う露伴と戸惑う億泰を交互に見遣り、美晴はどこか既視感を覚えて記憶を掘り起こすように頭の中を回転させる。
(この状況、つい最近もあった!でも何かが思い出すのを邪魔している!私とこの虹村億泰くん……やっぱりどこかで会った事がッ!)
「だ……だ……黙れよッダボがァァァァァッ!!」
考えているうちに億泰の右手がザ・ハンドの右手と共に露伴に向かって振りかぶられ、美晴は反射的にその右手を掴もうと己の手を伸ばした。
「だめよ、虹村くんッ!同じ事を繰り返——ッ!!」
しかし露伴の動きの方が速く、美晴の手が捕らえられたかと思うと素早くその身が彼の腕の中に収まり、反対の漫画原稿を持った手が億泰との間に挟まるように姿を現す。
原稿がザ・ハンドの拳を受け止めグシャグシャに潰れ——る事はなく、ザ・ハンドの右腕は原稿に触れた途端に巻物が解かれるように紙となって分解し、力なくポトリと床に落ちた。
「な、ッ何ィィィッ!?」
「億泰くんーーッ!!」
康一の悲鳴と共に億泰の右腕も同じような状態で分解し、瞬く間に伝染するように胴体にまで及び彼の体が崩れ落ちる。
「そ、そんなッ…!」
「まったく……危ないじゃあないか、美晴。削り取られるぞ」
美晴がまだ億泰に手を伸ばそうとするので露伴はその手を今一度握り締めて更にその身を引き寄せ、億泰を見下ろす。
「虹村億泰くん……君には別に興味なんてなかったが、この屋敷に入ってきてしまったからには仕方がない。まっ、作品に使えない事はないだろうし、資料にさせてもらうよ」
巻物のようになった彼の記憶を拾い上げてスルスルと手繰り寄せ、しかし1、2行ほど目を通したところで不意に視線を仕事場のいつの間にか開いていた扉に注いだ。
「東方仗助……そこにいるんだろ?早く出て来いよ。君の友達、全員ここに捕らえたぞ」
その声に反応した康一、億泰、美晴も一斉に扉に視線を注ぐ。
「仗助くん……そこにいるの!?」
「じ、仗助ェ……!」
「…………!」
東方仗助は億泰が突撃した一部始終を扉の陰から見て、口元に手を当てながら息を潜めていた。
出ていかなければ3人とも何をされるか分からない。しかし無闇に突っ込む事も許されない。残されたのは己だけなのだから。
「さぁ、どうする?東方仗助くん。友達見捨てて逃げるかい?」
岸辺露伴は喉奥から漏れる笑い声を響かせ、仗助に究極の選択を迫っていた。