天才漫画家の給仕係   作:斎草

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心の扉を開ける鍵

 

仗助の怒りがようやく収まった後、露伴は救急車で病院に搬送されていった。担当編集者に連絡を済ませ、美晴は救急箱を手にリビングにいる仗助のところへ向かう。

「なんか……悪りーな、本当に。家具とか後で直すからよォ……」

リビングの椅子に座りながら、仗助はバツが悪そうに頭を掻く。億泰と康一は先に学校に行くと言ってこの岸辺邸を出て行ったばかりで、ここには仗助と美晴の2人だけだった。

「直してくれるのはありがたいけど……露伴先生の事なら気にしなくていいわ。ああなって当然の事をしたんだからね」

死に至らなかったものの、露伴はしばらく漫画の執筆は出来ないだろう。けれども彼が友人達にした仕打ちは本当はそれだけでは収まらないほど美晴は怒っていた。

救急箱を開け、脱脂綿をピンセットで摘むと消毒液に浸し、椅子に座っている仗助の顔に付けられた傷に処置を施していく。その過程で彼の頬に手を添えながら整った顔立ちを見つめているとドキドキと心臓が高鳴るのを感じて、思わず頬を染める。それを見た仗助も消毒液の染みるような痛みを感じながらも、照れくさそうに視線を逸らして頬を赤くしていた。

「というか私の方こそごめんね……うちの人がこんな事しちゃって」

「いや……美晴ちゃんが謝る事じゃあねぇだろ……」

顔ごと視線を背けるように救急箱の中を漁り、絆創膏を出すと封を開けてフィルムを剥がし、傷に貼っていく。

「ん……そうね。でも私が言いたいのは"ごめん"だけじゃあないわ」

全ての傷に貼り終え、彼の頬を包むように両手を添えて、美晴は彼を見つめてからそっと顔を近付ける。

「……ありがとう、信じてくれて」

仗助の頬に、柔らかなものが触れた。美晴との距離がくっつくように近く、何が触れているのかやっと認識するとボッと顔に火がつくように耳にまで熱が籠った。

「なっ、ん…!?み、美晴ちゃ…ッ!?」

「えっ、だ、だめだった…!?」

顔を離し真っ赤になった仗助の顔を見て思わず美晴まで顔が赤く染まったが、直後に今度はグイッと彼女の方が彼に引き寄せられ、再び互いの距離が狭まる。

「だっ……だめじゃあねーよ……だめなわけあるかよ……ッ」

恥ずかしさもあるが、"先を越されてしまった"事の方が大きかった。

仗助は美晴の横髪をサラリと耳に掛けてやり、熱くなった手のひらでその頬を、彼女が先程そうしたように包む。

「俺の方こそ……信じてくれて、ありがとな」

あの時、美晴が信じてくれたから、託してくれたから、彼女を、皆を助ける事が出来た。

そして同時に、来宮美晴は己にとってとても大切な存在である事を実感し、確信した。

「……好きだ、美晴ちゃん」

その言葉は自然と溢れ落ちた。漠然とした恋心が、真実味を帯びながら大きなものになっていくのが分かる。

美晴は彼の優しい微笑みに、己もまた顔が綻んでいくのが手に取るように分かって頬に添えられた手に己の手を重ねた。

「私も……好きよ、仗助くん」

愛おしそうな微笑みを見せ合い、互いに目を細めていく。そのままどちらからともなく、唇同士が重なった。

触れるだけのそれはすぐに離れ、仗助は美晴の体をそっと己の膝に乗せながら優しく抱き寄せる。

「俺も学校休もっかな……」

「それはだめよ。既に遅刻だけど無断欠席はもっと良くないわ」

美晴もギュッと彼の背に腕を回し、2人して互いの肩に顔を埋めながらクスクス笑っていた。

「冗談だって。……ノート、今度は俺が届ける番な」

あの日からきっと、始まっていたんだ。次の日に校舎裏に彼女に呼び出された時に、告白されるのかと勘違いするほど、彼女の事がきっと気に掛かっていたんだ。

仗助は抱き寄せた彼女のぬくもりを体全体で享受しながら、目を伏せてその時の事を思う。

「……ありがとう、仗助くん」

背中に回された腕に、きゅっとまた力が籠るのを感じながら。

 

 

———

 

それから数日が経った。

中間考査も終わり、昼休みには返ってきた答案用紙の点数を見比べ一喜一憂する生徒達が教室や廊下に溢れていた。

食堂にいる仗助達も例に漏れずそうであり、中でも億泰はワナワナと答案用紙を持つ手が小刻みに震えている。

「み、美晴ッ……英語のテストよォ……!!」

「あー……それ、菊池先生だから追試か補講のどっちかになると思うわよ……」

「んなーーッ……!!」

サンジェルマンの焼きそばパンを片手に轟沈している億泰を、隣に座っている美晴がその背中を撫で叩いてあやすように慰めている。

「美晴さんはテストどうだったの?やっぱり結構上位の方?」

斜め向かいに座る康一がおずおずと彼女に尋ねてきた。その康一も実際そこまでいい点数ではなかったらしい。

「"やっぱり"と付けてもらったところ申し訳ないけど、私もそこまでじゃあないわ。総合で中間くらいだし、数学苦手だからそっちはちょっとね……」

溜息混じりな美晴は苦手を他で補うタイプの生徒だ。数学の点数は平均ギリギリだったが、代わりに国語や英語で稼いでいる。そのため総合的に見れば良くも悪くもない、といったところだった。

「仗助くんはどうだった?」

美晴が向かいに座る仗助を見れば、彼は「ん、」と幕の内弁当を咀嚼しながら総合成績の書かれた紙を4人の座るテーブルの中央に置く。

「国語87点、数学85点、理科79点」

「社会85点、英語83点……だとォ……!?」

「す、すごいッ!ほとんど高得点じゃあないか、仗助くん!」

康一がユサユサと彼の肩を揺すりながら自分の事のように目を輝かせているのを、仗助はフフーンと得意げに両腕を組んでふんぞり返りながら受けている。

「今回はグレートにツイてたってヤツよォ〜」

「って事は、もしかしてヤマカンね……」

そういえばやけに隣から何かを転がす音がテスト中に聞こえてきたような気がして、美晴は今朝作ってきた弁当を食べながら思わず苦笑いを浮かべた。それを見て仗助は「あっ!」と声を上げる。

「そうは言うけどよォ〜、美晴ちゃん。俺んとこのお袋って教師やってんのよ。昔っから成績だけはうるさかったんだぜ〜?」

そういえば仗助の家庭事情はジョセフの事もあってなんとなく訊きづらかったが、その新しい情報に3人で「へぇ〜」と頷き、次いで億泰は何かピンと閃いたように仗助を見る。

「仗助ェ!今度英語教えてくれよォ!あと数学と理科とそれと……!」

その声に便乗するように康一と美晴もパッと表情を明るくさせる。

「ぼくも社会教えてよ、仗助くん!」

「私も今度数学教えてほしいわ、ヤマカンとはいえちゃんと計算は出来てるんでしょう?」

ワッと集まる視線を一身に受け、「まぁまぁ、」と仗助は満更でもなさそうに照れ笑いを浮かべている。

「んじゃーよォ、勉強会でもするか?全員の"タメ"になるしよォ、得意分野があったら教え合うのもいいじゃあねーか」

総合成績の書かれた紙を懐にしまい、仗助もまたピンと閃いたように3人を指差してみれば、彼らは一層表情を明るくさせた。

「いいね!ぼくそういうの憧れてたんだァ〜!友達の家とか放課後の教室でさ!それって高校生っぽいよ〜!」

「よォーし!早速今日やろうぜェ!場所どうするよ?」

ワイワイと盛り上がっていたが、しかしそのノリに乗った勢いを遮るように美晴が「あっ」と声を上げた。

「ごめん、今日は露伴先生のお見舞いとか、着替えを届けなきゃならないから……」

そうやって申し訳なさそうに手を合わせる美晴を見て、3人は「えっ!」と一斉に彼女を振り向く。

「露伴先生って…!そんなヤツほっとこうぜ〜!?というかもう一緒に住むのやめた方がイイんじゃあねーのォ?」

隣の億泰がグッと彼女と肩を組んで引き寄せ、"縁を切れ!"とチョップを振り下ろすような仕草を見せる。

「それは同感だな。ありゃ"やり過ぎ"だ。やめないにしても、ちょっと距離を置いた方がイイぜ」

「そうだよ!世話なんか焼く必要ないって!」

仗助と康一も眉を潜めて心配そうに彼女を見つめていた。それを受けて彼女も考え直すように「うーん」と唸ったが、やがて顔を上げると3人を見る。

「それはそうだけど……今までお世話になったのは事実だし……今日会ってきて、それからどうするか決めるわ」

ありがとね、と申し訳なさそうに笑う彼女だったが、それを見た仗助は心配で胸が詰まりそうで、箸がそれ以降進まなくなってしまった。

 

放課後、美晴は一旦岸辺邸に戻り荷物を用意してからバスで露伴が入院している病院へ向かった。

先日ようやく面会許可がおり、それでも"関係者以外面会謝絶"という岸辺露伴の病室へ案内してもらい、ノックをしてから扉を開ける。

「失礼します、露伴先生」

病室に入り真っ先に目に飛び込んできたのは、ベッドの上がった上半身部分に背を預けて読書をしていたらしい露伴の姿だった。彼は美晴を視界に入れるなり、驚いたように目を見張ってそちらを見つめていた。

「美晴……来てくれたの」

読んでいた本を閉じ、彼はこちらに歩んでくる美晴から目を離せずにいた。

「そりゃあ来ますよ、あなたの給仕係ですから。考査期間だったので遅くなりましたけど……これ、着替えと……途中でお花屋さんに寄ってきたので、お見舞いです。置いときますね」

美晴は床頭台にフラワーアレンジメントを置き、着替えの入った鞄をその棚にしまう。そうしてからベッドの近くに立てかけてあったパイプ椅子を組み立てるとそこに腰掛けた。

「お加減はどうですか?顔の方はだいぶ元通りですね」

美晴が顔を覗き込んでくるのを、直視出来ない。露伴は俯くように彼女から視線を逸らすと、何かを言いたげに口を開いたり閉じたりを繰り返していた。

「どうして……」

「ん……?」

ようやく絞り出された声。それは情けないほどに小さく掠れていて、彼が聞き返すように声を上げた彼女をパッと顔を上げて再び視界に入れると、何かに遮られたかのようにその姿が歪んで見えた。

「……ぼくは君にひどい事をしてしまったという自覚がある。もう君には会えないと覚悟も決めていた。だのに、何故ぼくの見舞いになんか……」

言葉が嗚咽で詰まるようだった。雫が頬を伝って、膝にかけていた布団を濡らしている。その様子を見て美晴はハッと息を呑んだが、やがてふと目を細めて彼の手を優しく握り締めた。

「聞こえなかったですか?"あなたの給仕係"だからですよ。あなたは私の、大切な人だから……ですよ」

その言葉に、今度こそ露伴はヒュッと嗚咽を漏らして息を詰まらせた。

「露伴先生は、私を最初に救ってくれた人です。……あの時私は、本当はとても怖かったんです。道も、何も、見えなくて……でも、露伴先生が私を導いてくれたんです」

優しい表情で紡がれる言葉を、露伴は歯を食いしばり否定するように何度も首を横に振る。

「そ、そんな事ッ…!そんな事を言うなッ……ぼくは君が"いいネタになりそうだから"迎え入れたんだ。給仕係だって、家事をする時間が惜しかったから雑用が欲しかっただけだ!それを"救われた"だとか"導いた"だとか、過大評価するんじゃあないッ!」

ぬくもりの伝わる手を力任せに振り払い、彼は寝返りを打つように美晴に背を向けた。

「せ、先生……」

「今日はもう、帰ってくれ……」

押し殺したような嗚咽が病室に響く。向けられたその背中がひどく寂しいものに見える。窓からは夕陽が差し込んで、もう少しで面会時間が終わってしまう事を思い出した。

「先生……また、来ますね」

美晴はパイプ椅子から腰を上げるとそれを折り畳み、面会時間が終わる事を伝えに来た看護婦とすれ違うように病室を出て行った。

 

「あ……」

病室を出た直後、すぐ近くの壁に仗助がもたれ掛かっているのに気付くと、彼は体を壁から離し美晴の隣まで来た。そのまま流れるように露伴の病室に背を向けて廊下を歩く。

「悪りーな……つけるような真似してよォ」

「ううん……心配してくれたのよね。……そう思っておくわ」

露伴の病室が、一歩踏み出すごとに遠くなっていく。

仗助はチラリと横目で美晴を見ると「ん、」とポケットからハンカチを出して彼女に渡した。それを見た彼女は目を僅かに見張ってから彼を見上げる。

「泣いてんの……隠しきれてねーっつの……」

彼の言葉にハッと息を呑む。それに気付くと同時に途端にボロボロと涙が溢れ落ち、己の嗚咽が廊下に響いた。

 

露伴に拒絶されてしまった。それが想像以上に深い傷となって、そこから血が溢れるように、代わりに涙が止め処なく溢れてくる。

 

ハンカチも受け取る余裕がない美晴を仗助は体を引き寄せながら近くにあった椅子に座らせ、己も隣に腰掛けるとその手にハンカチを握らせながら背中をさする。公衆の面前というのもあって、抱き締めてやれないのが少し歯痒かった。

どう言葉を掛けてやればいいのか分からない。盗み聞きしたいわけではなかったが、よほど響いていたのか露伴の激昂したような声は病室の外にも聞こえてきていた。幸いその時は誰も廊下を通っておらず、大きな騒ぎにはならなかったが。

(ああいう言葉が出てくるって事はよー……露伴は本当に美晴ちゃんを大切にしてたって事だぜ)

あの電話を通じて己が感じた感情。先程の声は言葉は全く別のものだったが、滲み出てくる感情は同じだった。そこに込められた心配や期待までが、全く同じなように感じた。

けれどもそれを仗助が美晴に伝える事はなかった。今の2人の間に介入する隙間が、彼には1ミリも存在しない事を理解しているというのも勿論あったが。

(そんな事は美晴ちゃんもとっくに気付いてて……だから今泣いてんだぜ)

1番はそれだった。己が今一度それを説くのは余計なお節介だ。

 

今はただ、その雨が止むまで隣にいてやる事だけが、彼が唯一出来る事だった。

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