天才漫画家の給仕係   作:斎草

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あなたの給仕係

 

「また、来ますね」

来宮美晴は先日そう言った。しかし、その"また"は明日も、明後日も来なかった。

岸辺露伴は誰も見舞いに来ない病室で、ただただ日々を浪費していった。

味気ない病院食もなんだか食べ慣れてきた。けれどもどこか口寂しく、看護婦に売店で買ってきてもらったぶどう味の飴玉をころころ口の中で転がしている。

漫画は描けないし、待ち人も来ない。スケッチしようにも窓の外は変わり映えしない。

大切なものを2つ同時に失ったようで、露伴の心の中はどこか空虚だった。

 

 

美晴はオーソンに立ち寄ると雑誌コーナーに向かい、今日発売日の週刊漫画誌を手に取った。これは己も読者で、毎週楽しみにしている雑誌だ。少年漫画誌を好む女子高生ってどうなのかなと、常々思いはするが、誌面に躍る多彩なキャラクター達による冒険活劇は胸がワクワクして止まらない。

中でも最近1番好きなのは——、

「……あ」

巻末の目次をなぞり、目的のタイトルを探す。しかしそれは見つかる事なく末尾となり、滑らせた指が誌面を外れる。

「…………」

少し悩んで、雑誌を棚に戻した。毎週楽しみだったはずなのに、火が消えたようにワクワクがなくなってしまった。

「買わねーの?それェ」

「えっ!……お、億泰くん?」

雑誌コーナーから離れようとした時、不意に声を掛けられ肩を揺らしながらその主を見上げると、虹村億泰が「よっ!」と手を軽く挙げて挨拶していた。

「へぇー、美晴って漫画とか読むんだなァ。しかも少年漫画……」

億泰は先程美晴が手に取っていた雑誌を持ち、パラパラとページを捲る。

「ん……変かしら、やっぱり」

「? そんな事ねーと思うけど?」

チラチラと見えては隠れていく漫画がやはり気になり、彼の持つ雑誌の中身をそろりと覗き込む。それを見て億泰は彼女にも見えるようにほんの少し腕を下げてページを捲っていく。

「なー、これ全部描いてる奴ちげーよなァ?話繋がってんの?」

「(あ、そこからか……)これは全部違う作品よ。毎週1話ずつそれぞれの作品が更新されていくの」

「へぇー……」

億泰は曖昧に相槌を打つと雑誌を閉じ、美晴に渡した。

「すげー読みたそうじゃん。なんで戻しちゃったんだ?」

差し出される雑誌を暫く見つめて、やがて美晴はそれを押し戻すように彼の手を遠ざける。

「1番読みたかった作品が……載ってなかったからよ」

"ピンクダークの少年"。先程巻末の目次を辿った時、まるでそんな作品は最初から存在していなかったかのように、何処にも1文字もそのタイトルは載っていなかった。それがたまらなく寂しい事のように思えて、その雑誌を棚に戻したのだ。

「えっ、そんな事あんの?」

「描いてる人の都合でお休みした時は当然、載ってないわよ」

雑誌の表紙を撫でるように手を置き、しかしすぐに離すと美晴は億泰に背を向けてオーソンを出て行った。

「美晴……」

彼女の気持ちがなんとなく分かる。今までそこにあったものが、ふとした拍子に忽然と姿を消してしまうその空虚さは、己もつい最近に体験していた事だったから。

 

 

「露伴先生、ただいま帰りました」

玄関から声を張り上げたが、当然返事はない。もしかしてと思って靴を脱ぎ、スリッパを履いて2階の仕事場へと向かったが、そこの机に向かっているはずの人物がいなくて虚しさが大きくなった。

 

『君はそこに何か用事でも?もぬけの殻の家に?』

『そんな……もぬけの殻だなんて。私はその家にお世話になるんです』

 

ふといつかの会話を思い出した。

いっそここも本当にもぬけの殻だったら良かったのに。

ここには"岸辺露伴がいた"という全てがそのまま残っていて、声や匂いまでが鮮明に思い出されるのが一層胸を苦しくさせるのだ。

そしてそれはいずれ彼がここに帰ってくる事を示している。その時己はどうなるのか。"給仕係"という住み込み職を失って本当に路頭に迷う事になるのだろうか。

しかし何より、"岸辺露伴との生活が終わってしまう"事の方が絶望が大きいような気がした。

 

このままでは"岸辺露伴と顔を合わせられなくなる"。

もし出会ったとしても、他人のように振る舞わなければならなくなるのだ。

 

「それは……絶対に嫌よ、露伴先生……!」

美晴は鞄を床に放ると机の前まで小走りで駆け寄り、あの日のまま置いてあった漫画原稿を手に取る。仗助がクレイジー・ダイヤモンドで家具や壁を直した時に、原稿も一緒に直っていたのだ。それを露伴がいつも原稿を入れるような茶封筒にしまい、鞄を拾い上げるとそこに押し込んで岸辺邸を出て行く。

バスを待っている余裕なんてない。そろそろ陽が傾き始める時間だ。

美晴は自転車に乗り、全速力で漕いで病院へ向かい始める。途中「あれェ!美晴!」と億泰の声が聞こえたが、構っている時間はなかった。

 

病院に着いた頃には当然息が上がっていたが、構わずに中へ駆け込むと面会時間が終わっていない事を確認して面会手続きをする。

「あの、もうすぐ面会時間終わりますけどそれでも…?」

「いいです、すぐ終わります…!」

手続きを済ませ案内される。病院内という事もあって走るのはやめておいたが、競歩のように足が早まるのが己でもすぐに分かった。

 

「露伴先生!」

グッと扉を開いてその病室にいる患者の名を呼ぶと、ベッドに身を横たえてボーッとしていた彼はゆっくりとそちらを向き、そして、目を丸く見開いた。

「美晴……!」

まだ少し痛む体を起こし、呼吸を上げながら駆け寄ってくる彼女を信じられないといった様子で露伴は視界に入れている。美晴は彼の元へ辿り着くなり鞄の中から少しシワのついた茶封筒を取り出して押し付け、その姿を真っ直ぐに見つめた。

「先生……私、先生に会ってる時に能力使うの、やめます」

「え……?」

息を切らす中、彼女の口から静かに飛び出た言葉に"もしや"と思って茶封筒の中身を見ると、封筒同様ほんの少しシワのついた次回分の漫画原稿が1枚入っていて、ベッド脇にいる美晴に視線を転じる。

「私に"ヘブンズ・ドアー"を使ってください……100%真実なんでしょう……?私が今どう思ってるのか、ちゃんと読んでください……!」

あの騒動が起きた2日間、露伴はヘブンズ・ドアーを美晴に使っていた。しかし彼は彼女をそこまで深く読んではおらず、あくまで康一とのファイルに差異がないかを確認しただけだった。だから今まで色々な事件に巻き込まれていた事を秘密にしていた意味を理解してもらえなかったのだと、美晴は思い至ったのだ。

それにヘブンズ・ドアーで本になった記憶や事柄は嘘を吐かない。心をそっくりそのまま曝け出すのと同じだ。こないだ露伴は己の言葉で癇癪を起こしたが、もしかしたらここに書いてある事柄次第ではあの言葉が嘘ではない事を証明してくれるかもしれない。しかし、何が書かれているのか、今の己には分からない。リスキーではあるがしっかり読んでもらえば、その能力に自信を持っている露伴は今度こそ"ここ"に書いてある事柄に納得してくれるはずなのだ。

だが露伴はもう一度原稿に視線を落とすと、目を伏せて首を横に振りながら茶封筒の中にそれを押し込んだ。

「使わないよ。君にはもう、ヘブンズ・ドアーは使わない」

茶封筒を床頭台に置かれたテレビの脇に立て掛け、今度は美晴の方が目を見開くのを視界に捉える。その瞳が僅かに揺れているようにも見えて、今まで頑なに心の扉を開かれるのを拒んでいた彼女にとってそれが一世一代の覚悟だったのだと悟った。ただ己にあの言葉が嘘ではない事を証明したい一心で、心を曝け出させ、100%の真実を叩き付けるこの能力を使わせる覚悟を決めたのだろう。

露伴はベッドから脚を出して座り、体ごと彼女と向き合うと、そっと小さくてあたたかな手を握る。

「ぼくは君にひどい事をしてしまった。今もそうだね。君の覚悟や優しさ、気遣いを全てぼくは無駄にしてしまっている」

その言葉に、手から伝わるぬくもりに、美晴はハッと息を呑んだ。露伴の瞳が真っ直ぐに己を捉えて離さない。いつの間にか、己もその瞳を見つめていた。

「それでもぼくは訊かずにはいられない。……君が、息を切らしながらもぼくに会いに来たのは、一体なぜなんだ?」

そう問い掛けてきた露伴の姿が急にぼやけて見えなくなった。

本当にこの人はずるくて勝手な人だ。

そう思うと同時に体が動き、目の前にいるその人をギュッと両腕で包み込んだ。

「"あなたの給仕係"だからです……っ!あなたは私を一番最初に救ってくれた人だから…!私のとても大切な人だからです!」

ぐずぐずに嗚咽を漏らし、露伴の肩に顔を埋めていると背中にあたたかな感触が伝ってきてギュッと己の身も包み込まれる。

「すまない……また言わせてしまったな、それ……でもどうしても、もう一度聞きたかったんだ。ヘブンズ・ドアーで読むんじゃあなく、君の言葉で、声で、聞きたかったんだ……」

美晴の耳元で聞こえた囁くような掠れ声もまた、震えているように感じた。それを聞くや、美晴は堰を切ったように唸りながらまた涙を溢れさせる。

「露伴先生ばっかり我儘でずるいです…!早く退院してきてください…!あの家広すぎて独りじゃあ寂しいんですっ……ピンクダークの少年だって、早く読みたいんですっ…!!反省してるならさっさと治してくださいっ!!」

初めて聞いた美晴の我儘。独りよがりで無茶苦茶で、初めてにしては上出来だなんて暢気な事を思いながら、露伴はゆっくりと優しく彼女の頭を子供をあやすように撫でていた。

「ンー、そうだな……薄味の病院食も飽きたし、君のあのしつこい味の肉じゃがとか、火加減間違えて焦がしたベーコンエッグとか……早く食べたいなァ」

「それいつの話ですか…!今は全部あなたの好みに作れてます…っ!!」

真っ赤に泣き腫らした顔を上げて睨んでくる彼女に、思わず涙が溜まる瞳でもフッと笑いが込み上げる。

「そう。ああ、そうだな……じゃあ、注文を変えないといけないか」

クスクス笑いながらまた頭を撫でると途端にむくれる。

ぼくはそういう君が大好きで大切だ。

「フム……じゃあ、ぼくの退院祝いのケーキでも焼いてくれ」

「それは……いつの話ですか…?」

美晴が雑に手の甲で涙を拭っているのを、露伴はその手を退けて柔らかいティッシュで代わりに拭ってやる。

「体育祭までには必ず退院してくるよ。来週だろ?すぐだ」

目を細め、最後に溢れた涙を指で拭うとその手は彼女の両手に捕らえられ、祈るように額に当てがわれた。

「早く帰ってきて……」

力が抜けるような呟きに、そのままその手で頬を包んで撫でる。

「言っただろ、すぐだよ……それと、原稿は今度から大切に扱ってくれ。この"岸辺露伴"という"天才漫画家の給仕係"のくせに、原稿の扱いもなってないとか……恥ずかしいだろ」

苦笑いしながら視線を床頭台のテレビの脇に立て掛けた茶封筒に向ければ、美晴は慌ててそれを手に取って確認し、急いでいたとはいえ無理に鞄に押し込んだ事で封筒のみならず原稿にまでシワが付いてしまっていた事にようやく気付いて、しょんもりと項垂れていた。

「す、すみません……今度から気を付けます」

「ン!よろしい。それは描き直すからいいよ。君がそのまま持っててくれる?」

その言葉にパッと顔を上げる美晴の期待の籠もった瞳にまた思わず笑みが溢れる。ファンにとってこの生原稿は、未完成でも垂涎ものだろう。

「というか、君に持っててほしい……かな」

彼女は己の漫画を早く読みたいと言ってくれた。彼女なら己が大切にしている漫画も、同じように大切にしてくれる。

そして己はそうしてくれる大切な彼女を、今度こそ大切にしなければならない。もう、こんな悲しいすれ違いが起こらないように。

「はいっ……大切にします!」

そうやって嬉しそうに封筒ごと原稿を胸に抱き締める彼女の微笑みを見れる事が、今とても幸せだった。

 

 

面会時間が終わり、美晴は今度こそ丁寧に茶封筒を鞄にしまうと病院を後にして行った。

(早く家に帰って、ケーキ焼く練習しとこっと……)

来週には露伴が帰ってきてくれる。リクエストである退院祝いのケーキをどんなものにするか自転車を漕ぎながら考えていたが、帰宅時間ラッシュで駅前は人の往来が激しく、自転車をおりてスーツに身を包んだサラリーマンやOL達と一緒に歩道を歩いていた。

(まずは少し亀友寄ってケーキの本買おうかな……ケーキって一口に言ってもたくさんあるからなぁ……露伴先生どれが好きかな)

そういえば食事は今まで毎日作ってきたがケーキのような洋菓子を振る舞った事は1度もなく、それを考えると余計に緊張してしまう。

(仗助くん達に味見してもらおうかな……いやでも、露伴先生のためのケーキって知ったら怒るかなぁ……うーん、由花子ちゃんに訊こうかなぁ……)

ぐるぐると頭の中がシェイクされる気分になる。今まで故意に手を抜いた事は一度だってないが、退院祝いケーキをミスるなんて事は許されないし個人的に失敗だけは避けたい。

「わっ」

「おっと……」

しかし考えるのに夢中になりすぎて前方から人が歩いてきているのに気付かずぶつかってしまい、その拍子に自転車から手を離してしまいガシャン!と派手な音を立ててそれが道に倒れた。

「すっ、すみません…!」

「いや、私も余所見をしてしまったからな……こちらこそすまない」

美晴が自転車を起こそうと手を伸ばすより先に、ぶつかってしまった男性の手が自転車を起こしてくれた。薄紫の高そうなスーツに身を包んだ、真面目そうでいかにもエリート社員といった感じの出で立ちの男性は、倒れた時にカゴから飛び出してしまった鞄をわざわざ人の往来の中に取りに行ってくれた。

「鞄も」

「あ、ありがとうございます……」

露伴とは違って我儘なんて絶対に言わなそうな人だなと思った。露伴は露伴で確かにエリートなのだが、纏うオーラが違う、ような。美晴はそんな曖昧な事を考えながら手を伸ばす。

その受け取る時に少しだけ手と手が触れ合った。それだけなら些細な事だったが、美晴が鞄を完全に受け取り終えると男性はその手に手をまた重ねてきた。

「えっ……」

そのままスルリと手の甲全体を撫でられ、ゾクッと心臓と体が震える。次に指の一本一本を丁寧になぞられ、思わず鞄を取り落としそうになるほどにゾッと鳥肌が立った。

「あ、あの、本当にありがとうございます。でも急いでるので、すみません…っ!!」

直感的に危険を感じ、美晴は2、3度ペコペコと頭を下げてから鞄をカゴに入れる動作でその手から逃れ、ササッと逃げるようにその場から立ち去った。

 

「ん……」

その場にぽつんと残された男は道に落ちていたハンカチを拾い上げると、その持ち主であろう少女の走り去った方向を見る。しかしかなり急いでいた様子だったためか既に少女の姿は見当たらず、途方に暮れたように今一度そのハンカチをジッと眺めていた。

「……そのうちきっと……また会えるかもしれない」

男はハンカチを丁寧に折り畳んでポケットにしまうと、あの少女の手の感触を思い出しながら密かに目を細めていた。

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