天才漫画家の給仕係   作:斎草

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2人の関係

 

岸辺露伴は杉本鈴美が殺された夜、現場にいた。

ザワザワとした胸騒ぎは、まるで透明な水の中に絵具を溶かしたかのように元の感情に戻る事はなかった。

 

「……先生。露……先生」

ボケーッとしながら買い物カートを押して歩く。

「露伴先生ーってばーッ!!」

「うおおおおッ!?」

突如背中に衝撃が走りビクーッと肩を跳ねさせながら立ち止まって背後を見ると、美晴が抱きつくようにして露伴の身を押さえており目をまんまるく見開く。

「み、美晴!?なんだよ急に抱きついてッ!」

「急なんかじゃありません!さっきから呼んでるのに!」

ぷんすこ怒りながら美晴は露伴を引っ張って精肉コーナーへと戻る。

「お肉のところ通り過ぎてるんですってば!今日カレーにするって言ったじゃあないですかっ」

「あ、あれ……そうだったっけ」

「もう〜ッ」

美晴が地団駄を踏みながらむくれていたが、カートの中にある買い物カゴの中にはニンジンやじゃがいもが入っていて「ああこれは確かにカレーの材料だ」とすぐに納得した。

「また鈴美ちゃんの事考えてたんですか?」

気を取り直した様子でパックに入った肉の値段を見比べながら美晴が問い掛けると露伴の頭がピクリと僅かに上がる。

「まぁ……そんなところ。なんだ、嫉妬してるのか?」

カートの取手に腕を置いて寄り掛かり美晴を見つめるが、カゴの中にようやく肉のパックを入れた彼女は呆れたように溜息を吐いた。

「嫉妬なんてしてません……ただ、ここ最近の露伴先生、ずっと元気ないですから……」

前へ進むよう促すように彼の背中を叩き、歩き出すのと同時に隣に並ぶ。

「心配……してくれていたのか」

「当たり前でしょう?露伴先生は私の……」

出しかけた言葉を不意に切り、隣の露伴を見上げる。

「な、なんですかその眼差しは……」

「ん?」

彼の見開かれた双眸。心なしか期待に満ちているようにも見えて思わず眉を潜めるが、本人は気付いていないらしい。

「……露伴先生は私の、大切な人ですから」

気を取り直すように咳払いしてから先程の続きを言い切ると更に瞳に輝きが増したように見えて、思わずプフッとおかしそうに吹き出した。

「もう、なんなんですか?らしくないですよ?」

まだクスクス笑っている美晴を見てやっと気付いたらしい、露伴はフイと顔を逸らす。

「だ、だってさ……君の口からそう言ってもらえるのは、その……嬉し、かった……から」

彼女に見えないように、まるで子供のように拗ねた顔をしながら独り言のように漏らして俯く。

「君は、仗助が1番だと思っていたし……」

"美晴ちゃんのカレシなんで"

鈴美と己の関係も衝撃的だったのは確かだが、仗助の口から出たその言葉にもある種の衝撃を受け、それを思い出すたびに心の奥底が燻るような心地になっていた。当然精神状態はガラにもないがよろしくなく、休載を延長していて良かったと安堵している始末だ。

「1番……1番ですか。難しいですね……」

そんな事を考えていると美晴が「うーん」と難しい顔をしながら唸っていてキョトンとしながら彼女を見つめる。

「確かに仗助くんの事はとても大切なんですけど……私はみんなの事が大切なので、1番とか考えた事なかったですね」

彼女はあっけらかんとしながらそう言い切ってしまったので露伴はまた驚いたように双眸を見開いてしまった。

「仗助が1番じゃあないって事なのか…!?」

「え?えーと……正確には1番じゃあないというより……順位の概念がないと言いますか……」

どう説明したらいいのかと美晴はおろおろしながらも言葉を組み立て始める。露伴に分かりやすいように、かつ露伴が傷付かないように伝えるにはどうしたらいいのか。

「その……露伴先生の事は、仗助くんとは別の意味で大切なんです。仗助くんが彼氏として大切であるなら……露伴先生は……」

考えながら言葉を紡いでみたが、そこでふとある疑問に至る。

(私と露伴先生って、どういう関係なんだ……?)

美晴は露伴を見上げながら疑問符を浮かべる。

平たく言えば2人の関係は"雇主と被用者"になるだろう。しかし本当にそれだけの関係だろうか?

2人は共に暮らし、嫌でも毎日顔を合わせ、互いになくてはならない存在と言っても過言ではない関係だ。それを一言で表すなら、どういった言葉が適切だろうか?

恋人とも違う。兄妹でもない。友達でもない。そんな私達の関係って?

「露伴先生は……どうしてそんなに私を大切にしてくれるんですか?私達、赤の他人じゃあないですか……」

何か明確な、はっきりとした関係がない状態なのに、露伴は己の事を目に見える形でいつも大切にしてくれる。今更だが考えてみれば奇妙なものである。

一方の露伴もキョトンとした顔を再度晒した後に顎に手を添えて考える素振りを見せた。

「確かにそうだな……僕らは一体どういう関係だろうか?」

周囲からの見立てでは"漫画家とアシスタント"、"従兄妹同士"、"露伴先生に気に入られている女子高生"、などと様々だ。しかしそのどれもが的を射ているようで違う。恐らく1番近いのは3個目のものだが、美晴の方からも露伴に対しての好意がある。

いつものカレーのルーをカゴに放り込み、それでもまだ答えは出ずに会計に並ぶが、それを終えて袋に買ったものを詰めていても2人は珍しく互いに考え込んで言葉を交わす事はなかった。

「あれ?仗助くんだ」

しかし考えている最中、袋詰め台から離れると総合カウンターに見慣れた背中が見えて思わず声を上げる。

「げえーッ……今会いたくないんだよな。行こうぜ」

ただでさえ己と美晴の関係について悩んでいるのに。露伴は傍目から見ても嫌そうなしかめっ面を晒しながら美晴の手を引くが、次いで見えた光景に2人して目を大きく見張った。

「こちらキャッシュバック分の61,500円でございます」

「お、おおッ……」

なんと仗助が震える手で総合カウンターの従業員から現金を受け取っていたのだ。しかも学生にしては大金を。

「おいおいおい!仗助ェ!ついに悪事に手を染めやがったなッ!?」

「げッ、露伴!?」

堪らず露伴が仗助に近付きビッシィィと指差すと彼の肩がビクリと揺れる。

「なんだよォ〜ッ、誰がいつ呼び捨てにしていいって言ったッ!?」

「うえッ……ろ、露伴先生ッ……」

ぐいぐいと距離を詰めるように迫る露伴にさすがの仗助も萎縮するが、その背後に美晴の姿を見つけると更に表情を引きつらせる。

「み、美晴ちゃん!これは違うんだ!誤解なんだよォ!」

仗助の言葉を受け、また容赦も言い訳の余地もない露伴の迫り方を見かねて美晴が総合カウンターに小走りで駆け寄ると、すぐにあの大金の謎が解けてパンッと手を合わせた。

「露伴先生!これ亀友の"ブルースタンプ"ですよ!」

従業員から拝借した、今しがた仗助が持ってきたらしいブルースタンプの貼られた台紙を持ってきて彼に見せる。

「"ブルースタンプ"?あの100円ごとに1枚もらえるやつか?」

彼は羽交い締めにしていた仗助を解放してその台紙を覗き込む。

亀友では買い物100円ごとに1枚、"ブルースタンプ"というシールを配布している。これを何枚か集めると粗品がもらえるシステムだ。ラインナップは季節や月ごとに変わるものもあり、オリジナルデザインの食器や夏になるとアイスなどももらえる。

そしてこのポイントはキャッシュバックといって現金に変える事も可能なのだ。

「という事はこれは正当な取り引きなのか……」

フム、と納得した素振りを見せる露伴だったが、ジーッと仗助を上から下まで眺める訝しげなその目は疑念も含まれ——いや、疑念しかないのかもしれない。

「仗助がそんなに几帳面に貯めるようなヤツには見えないけどなァァ〜〜ッ……」

その言葉にまたギクッと肩を揺らす仗助だったが、台紙を従業員に返却した美晴が呆れたように溜息を吐く。

「だめですよ、いくら仗助くんが苦手だからって……にしても朋子さんってやっぱりしっかりしてる人ね」

ふと美晴は仗助に微笑み掛ける。どうやら彼女は彼の母親である朋子からのお使いか何かだと思っているらしい。結局2人とも"仗助が貯めたブルースタンプ"とは思っていなかったが、そんな事は今の仗助にとってはどうでもいい事だった。

「そ……そうなんだよォ〜、お袋に頼まれてんだよこれ。家計の足しになりゃあいいなァ〜ッ」

「なるわよ、6万もあれば食費かなり浮くし。私も集めてるけどここまではいかないわ……さすが朋子さんね」

引きつった笑みを浮かべる仗助にどこか引っ掛かりを覚えるが、なんとなく並々ならない事情を感じ取ってそのまま美晴はフォローの体制を取る。だが実際、美晴はまだ数回しか仗助の母親に会った事がないが快活で気立ての良い女性だと記憶している。美晴が目指したい女性のお手本のような人だ。

「なんだ、美晴もこんなチマチマケチケチした事やってんのか……」

「露伴先生は景気良くお金を使いすぎなんですよ……もう少し節約も覚えてください」

ケッ、と面白くなさそうな露伴とその態度を見て更に溜息を吐く美晴。上手く話題を逸らす事に成功したのを感じて仗助は彼女に心の中で礼を言うが、彼らの様子を見て自然と頬が緩むのを感じ、フッと笑い声を漏らす。

「なんかよォー、美晴ちゃんと露伴先生って親子みてえっつーか……家族みたいに仲良いよな」

どっちが親か分かんねーけど、と零しながら仗助は2人に微笑み掛け、その言葉に彼らはピンときたように顔を上げる。

「そうやってじゃれてんの、フツーの関係じゃあ出来ねー事だから……ちょっぴりうらやましいぜ」

仗助だって美晴とは恋人同士という関係で親しい仲だと思っているが、ああやっていつも一緒にいるような関係ではない。赤の他人であるにも関わらずひとつ屋根の下で暮らし、おはようからおやすみまでを美晴と過ごす露伴の事を言葉通り羨ましく思う事もあった。そう、今のように。

「……ふふん、そうだろうそうだろう!?うらやましーだろ!?僕は今朝の美晴の寝癖の位置だって記憶しているんだ。晩飯も今日は一緒に作るんだぜ?」

仗助の"うらやましい"という単語に気分を良くしたらしい、露伴はガバッと美晴の肩を抱くとニマニマと彼に向けて得意げに笑みを向けていた。

「ちょ、露伴先生……そんなの聞いてません」

「今決めたんだから当然だ。今日の晩飯は一緒に作ろうじゃあないか」

わしわしと露伴に頭を撫でられながら美晴は本日何度目かの溜息を吐く。まったくとんでもない人に懐かれてしまったものだ。

我儘で強引で人を振り回しがちで、このように年下相手にも平気でマウントを取りに行く。プライドも高い。こんな風に肩を抱かれたってちっともときめかない。

それでも一緒にいてなぜか落ち着くとも思えるのは、ただひたすらに守りたいと大切に思えるのは仗助が言ったように家族のような関係だからなのだろうか。

それは露伴も同じなのだろうか。

「もう……勝手に急に決めちゃうんだから」

気付けば美晴の顔に自然と笑みが溢れていて、仗助と露伴もパチリと目を瞬いて見張ってから柔らかな微笑みを見せる。

「うらやましーっスよ。でもすぐに逆転しますから」

「ほーう?やれるもんならやってみろよ。負けない自信ならたっぷりあるからな」

2人はとことん馬が合わないが、来宮美晴の事に関してだけは意見が合う。今も美晴の笑顔が見れた、ただそれだけで口ではそう言いつつも穏やかな笑みが浮かんだのだ。

「んじゃ、俺もう行きますわ。美晴ちゃん、また明日学校でな」

「うん。また明日ね、仗助くん」

仗助はひらひらと手を振って出口へ向かい始め、その背中に美晴も緩やかに手を振って見送っていた。

 

その後も本屋や画材屋を覗いてから帰宅し、先程決めたように2人でカレーや他のおかず作りに取り掛かった。こうして2人並んで料理をしていると本当に家族のようで頬が緩む。

「私達、家族だったらどんな間柄になるんでしょうね」

カレーを煮込みながらふと零すとレタスをちぎっていた露伴が美晴に視線を向ける。

「仗助の見立てでは"親子"とか言っていたけど……僕ら4つしか離れてないんだから"兄妹"が妥当だろ」

なにを当たり前の事を、と独りごちながら透明のボウルにちぎったレタスを入れ、切っておいたトマトを並べていく。

「兄妹ですか……じゃあ"露伴お兄ちゃん"ですね」

しかし次いで出た彼女の一言に思わず噎せそうになりながら口許を手の甲で押さえた。

「お…っ!おま、お前よォ〜〜ッ、急に変な呼び方するなよなァ〜〜ッ!」

「えっ?じゃあ"露伴兄さん"ですか?」

「あのなァ〜〜ッ!」

彼女がクスクス笑っていたのですぐにからかわれていると気付き、堪らず肘でガスガスと彼女の二の腕を軽くどついてやる。それを彼女は「きゃあ〜っ」とふざけたような悲鳴を上げながら一歩横にズレて逃げていた。

「フフッ、そんな怒んないでくださいよ。でも露伴先生が私の兄さんだったら、とびきりみんなに自慢しちゃいますね〜」

岸辺露伴は人気漫画家だ。そんな兄がいたら鼻が高いだろうし、ここぞとばかりに自慢しまくりたい。そうやって目を輝かせる美晴を見て露伴はニヤリと口の端を片方吊り上げる。

「そうかい。じゃあ〜僕もこんなに可愛くて家事が出来る妹がいるって担当編集に自慢しまくろうかなァ」

サラダチキンを適当に放り込みながら露伴もその様を想像する。

「毎日ご飯を作ってくれて下着も畳んでくれる可愛い妹なんだぜ、ってな」

「や、やめてください、恥ずかしい!」

ほんのり頬を赤く染めて声を上げる美晴を見て、今度は露伴の方が喉奥で笑い声を漏らした。

「恥ずかしがるなよ、事実だろ?まっ、別に妹じゃあなくたって、可愛い僕の給仕係だけどな」

今日の岸辺露伴はどうやら機嫌が良いらしい。手を洗ってから美晴の頭をポンポン優しく撫で、サラダのボウルをテーブルに持っていき席につく。

「別にどうでもいいんじゃあないの、僕らがどんな関係かなんてさ。誰がどう思っていようが、僕らは互いに互いを大切に思っている。それでいいんじゃあないの」

腕枕に頭を預けながらコンロの前に立つ美晴を目を細めながら見つめる。その言葉に美晴はハッと息を呑んでから同じように微笑んだ。

「……そうですね。私達の関係に名前なんていらないですよね」

コンロの火を止め、炊き立ての白米をカレー皿に盛る美晴の姿は己と同じく上機嫌なもので、思わず頬が緩む。

ここは岸辺露伴の特等席だ。毎朝毎晩、ここから見る美晴の料理や配膳をする姿は今のところ己の目だけに映るものだ。これは特別なもので、普遍的な言葉で表す事は出来ないだろう。なぜなら彼らは夫婦でも恋人でも家族でもないからだ。

しかし不思議と調和の取れたこの関係は2人にとって心地の良いもので、それは互いだけが知っていればいい事だった。

「「いただきます」」

こうして食卓を囲むのは何回目の事だろうか。数える事すら無粋に思える。そんな日々を、これまでもこれからもずっと続けていくのだ。そう信じて疑わないほどに、これは2人にとっての日常そのものだった。

「サラダ、美味いだろ?」

「ちぎっただけですけどね」

昔は有り得なかった日常。世間の"普通"とは程遠い日常。

しかしこの広すぎる家の一角に密かに響く笑い声は、ささやかだが楽しげなものだった。





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