その日は食材が冷蔵庫の中にいくらかあったので、美晴は学校帰りに買い物に行く必要がなかった。
いつもと違う帰り道。バス停の前で目的のバスを待っていると、ようやくそれは美晴の自転車に追い付いた。
「よっ、美晴ちゃん」
「こんにちは、美晴さん」
「仗助くん!康一くん!」
バスから降りてきたのは仗助と、コンビニ強盗の時に居合わせた彼の友人——広瀬康一だった。
———
アンジェロの件の次の日、仗助は無事に学校に登校してきた。
「美晴ちゃん、ノートマジで助かったぜ。字もキレーで分かりやすくてよー」
仗助にそう言われた時、美晴は素直に嬉しかった(仗助に好意を抱いている女子達からの視線は痛かったが)。
だから美晴は、昼休みに場所を変えて思い切って言う事にしたのだ。
「東方くん、私と友達になってくれませんか…?」
仗助に好意を寄せる女子達に見つからないよう、校舎裏に仗助を呼び出してそう言うと彼は面食らったような顔をして美晴を見つめ、そしてやがて柔らかく笑ってくれた。
「ハハハ、こんなところに呼び出すからてっきりコクハクでもされちまうのかと思ってよー。でも俺はとっくに美晴ちゃんの事は友達だと思ってたぜ」
「え…?」
驚いたのは美晴の方だった。あの仗助が己の事を"友達"だと、そう言ってくれたからだ。
「それに友達ってのはよー、許可もらってなるもんじゃあないだろ?友達だと思ったら友達。それでイイじゃあねぇか」
ああ、やっぱり。私がこの人と友達になりたいと思ったのは、この人のこういうところなのだ。美晴はその言葉を聞いて心の底から安堵した。
そうして美晴と仗助は友達になったのだ。
———
「オーソンには限定スイーツも売ってんだぜ。俺は食わねーけど」
「そうなんだ、ちょっと寄ってみてもいい?」
「どーぞどーぞ」
今日は仗助と康一に彼らの家の周辺を案内してもらう約束だったのだ。美晴はこの町に来て半年も経っておらず、そこそこ忙しい日々を過ごしていたのでまだ町内を完全に周り切っていない。でもこの2人と一緒に周れば、迷子になる事もない。
「あのー……ぼく、お邪魔じゃあないかな…?」
スイーツコーナーを囲んで美晴と仗助が何を買おうとかこれが美味そうだとかを話していると、康一がおずおずと背後から声を掛けて苦笑いを零す。
仗助と美晴は友達であるが、康一と美晴は今朝挨拶を改めて交わした程度の仲だ。加えて彼には2人がまるで"そういう仲"のようにも見え、だから遠慮がちに、声を掛けるのを躊躇うように小声で話したのだ。
しかし彼らは康一がそんな事を考えていたとは露知らず、振り向くと同時に疑問符を浮かべる。
「何言ってんだよォ、康一。お前も会話に入ればいいんだよ」
「わっ!」
仗助は一方的に康一と肩を組んでグイッと彼を真ん中に押し込んだ。
気を遣ったつもりが、気を遣われてしまった……康一は己の杞憂であった事にどこか恥ずかしさを感じて視線を下にさげる。
「康一くんはどれが1番いいと思う?」
「えっ、ぼくですか?」
しかし不意に美晴に声を掛けられ、再び視線を上げた。康一はあまり女子との接点がない。仗助のようにモテたりはしないし、話し掛けるのにそれなりの勇気がいるからだ。「えっと、その……」とあたふたするので精一杯。
「あ……ぼくは、プリンがいい、かな……」
けれども振られたからには会話はしないと。彼の声はそんな思いで言葉を紡ぎ、目の前の棚にあったプリンを指差してぎこちなく笑った。
「おぉ、プリンか!そりゃあ眼中になかったぜ。これなら形が崩れねーしイイかもな」
「確かに…!康一くん、ありがとう!これ買ってくるね!」
だがその言葉は、康一も思いもしなかった展開を運んだ。テキトーに、その場しのぎで、苦し紛れで放った言葉によって美晴の顔には笑顔が浮かんだのだ。
「えっ…?」
康一はポカンとした顔でレジに向かっていく美晴を見つめる。その背中を仗助はパシンと叩いた。
「いたっ!」
「グレートだぜ、康一!ケーキはどれも可愛いし美味そーだけどよー、自転車じゃあ形が崩れるって話をしてたんだぜ」
ケーキを買うなら倒れないようにそっと運ばないといけない。その点、康一が選んだプリンは立派な容器に入っていて、余程ガンガンに振ったりしない限り崩れる心配がない。美晴はバスではなく自転車で通学しており、ケーキを運ぶには難易度が高かったのだ。
「そ、そうだったんだ……」
康一はホッとしていた。まさか感謝されるとはつい数秒前までは予想すらしていなかった。でも、それ自体は悪くないし寧ろ良い事をしたとなんだか少し誇らしげに思える。
美晴も無事会計を終え2人の元に帰ってくると、3人は店から出て仗助の家の方へ向かって歩き始めた。
アンジェロ岩に挨拶をし(仗助の日課らしい)、もう少しで仗助の家に着くというところで見るからに古い、外壁もボロボロな家を見つけて美晴は思わず立ち止まった。年季の入った、しかし綺麗な頃は立派なものだったろうその家をまじまじと見つめる。
「美晴さん、そこは3、4年くらいずーっと空き家なんだ」
それに気付いた康一が踵を返して美晴の方に戻ってきた。それに釣られるように、仗助も足を止めて振り返る。その家は仗助の家の真ん前に建っていて、康一の言う通りずっと空き家だ。もう誰が住んでいたのかも覚えていないし、交流もそれほどなかったかもしれない。
「そうなの?肝試しとかピッタリだね」
2人の会話に入ろうと近付いた途端、"肝試し"というワードが躍り出て仗助はピクッと表情を引きつらせた。
「おいおい!肝試しとか勘弁してくれよォ、俺は行かねぇぜ〜」
声を裏返しながらそんな事を絞り出す仗助は、きっと思った事が口に出てしまうタイプだろう。美晴はそんな彼の一面を垣間見て思わずきょとんとした後に、クスクスと小さく笑い声を零した。
「仗助くん、ひょっとしてオバケ無理派?それに肝試しに行くとは言ってないわよ」
"ピッタリなだけ"とからかってみれば、彼はすぐに「しまった!」と頭を抱えてしまった。
「ハ、ハメたなァァッ!?美晴ちゃん意外と意地が悪いぜェ〜!」
「フフッ!友達にだけだよ、こういうのは」
仗助は人当たりがいい。一方の美晴も決して人見知りするタイプではなく、打ち解けるとこのように明るい面が前に出てくる。こうして2人が会話しているのを聞いていると、まるでもっと前から彼らは友達だったのではないかと錯覚しそうになる。康一はそんな2人を尻目にもう一度空き家に視線を向ける。
「ッ!?」
だが、その廃墟のはずの家の窓に人影が見えて康一は思わず息を呑んだ。ろうそくの付いた燭台を手に、暗がりで顔まではハッキリと見えずとも、こちらをジッと窺うその視線は分かる。
「じ、仗助くん!美晴さん!窓に人影が…ッ!」
康一はすぐに振り返って2人に知らせると、彼らもまた康一の方を振り向く。
「康一ィ!!お前までそんな事言うのかよォー!!」
「ええッ!?」
しかし仗助の反応は彼が思っていたどれとも違っていた。
「ペニーワイズは用水路をすみかにしてるから、もしいたら今も私達の事を見てるかもって話よ」
「なんて話してるの美晴さんーッ!」
どうやらホラーが苦手な様子な仗助を美晴がからかって遊んでいた最中であったらしい。それだから、仗助は康一までホラーじみた話に入り始めたと思い込んでしまったようだ。
地下を示すようにトントンと足でアスファルトを指す美晴に、思わず康一も素っ頓狂な声を上げる。ぼくは真剣に、今己が見たものについて彼らに知らせたというのに。次に視線を窓に戻した時には何事もなかったかのように暗闇だけが広がっていて、思わず"やっちゃった"と溜息を吐いてしまった。
「勘弁してくれよなぁ〜っ、たく……それによォーこの家はホームレス対策で不動産屋がいつも見回りしてんのよ。そうじゃあなくても俺んちの前なんだからよ、誰か引っ越してきたら気が付くぜ」
こんな廃墟のような家、住めるかどうか怪しいのだ。仗助はホラー話を振り切るように努めて冷静に諭す。
「じゃあ康一くんが見たのはペニーワイズ?」
「だからもうその話はよしてくれよ!今夜眠れなくなったらよォ〜…!長電話で道連れだかんなァァ〜…!」
"電話代そっち持ちな!"と彼はまだからかう気でいる美晴を軽く脅していた。
(の、割に……南京錠が壊されている。門自体の鍵も閂も全部開いている……どう考えてもおかしいぞ)
康一はそんな2人を再び尻目に、家の前にある門を改めて観察するように見つめる。仗助の言った通り、見回りが今入っているのなら門が開いているなんて事はないはずだ。
そして美晴が先程から仗助をからかうネタにしている幽霊やホラーの類でもないだろう。それならば、こんな事にはなっていないはずだ。幽霊が鍵を破壊するなんて、そんなまどろっこしい事はしなくても良いはずだからだ。
ペニーワイズは対象が恐怖を感じるものに姿を変える化け物だ。見方を変えれば美晴の言いたい事は想像をかき立てられるもので、例え話としては上出来ではあるが、この状況からして可能性も現実味もあまりない。
しかし人が入っているなら、3人でここに来るより少し前の事になるはず。
康一はそっと開いた門の隙間に首を突っ込んで中を見回す。玄関は開いていない。次にぐるりと垣根の周辺を見てみる。
「あっ…!!」
程なくして康一の声が上がる。その視界が捉えたのは垣根の影で様子を窺うように隠れている人物の脚で、全貌を確かめようと視界を上にあげようとした。
「ぐえッ!?」
だがそれよりも首と肩に鈍い衝撃が走る方が速かった。
「人の家勝手に覗いてんじゃあねえぞ、ガキャァ!!」
その声は康一の真上で張り上げ、足で門をグイグイと押す。
観音開きの門である事だけが救いで肩の方が負荷は大きく、苦しいもののかろうじて呼吸は出来ている。しかしどうやっても逃れられない状況に、焦りで呼吸は乱れていく。
「こ、康一くんッ!?」
「おい、なにしてんだテメー!!」
この一大事に騒ぎ立てていた美晴と仗助が振り向き、門を閉めている男と睨み合う。
「康一くんを離してくださいッ!それに"人の家"って…!ここは空き家なはずじゃあないですかッ!」
美晴の言葉に男はピクリと眉を動かした。
「この家は俺の親父が買ったんだ……もう分かったろ、2度と詮索してくんじゃあねえぞ」
男は言いながらも、門を閉める足を退けない。寧ろグリグリともっと力を込めているようにも見える。
「おい……だからよォ、康一の事離せっつってんスよー……」
仗助が一歩前に出て睨みを効かせた。しかし男はまるで動じない様子で首を傾ける。
「なんだァ?口の利き方がなってねえよなぁ…?人んちの前でぎゃあぎゃあ騒ぎやがってよォ」
「テメーが口を利かなけりゃ、もっと静かになるんスけどねぇー……」
このまま怒涛の睨み合いが続くかと思われた。
しかし——、
「ッ!!」
突如、上からキラリと光る何かがスピードを上げて真っ直ぐに飛んできた。それは康一の胸元に当たったかと思えば、そこから血がブシャッと噴き出す。
「なッ…!?康一ッ!!」
「康一くんッ!!」
ほんの一瞬の出来事だった。男が閉めていた門から解放された康一は人形のように力が抜けた様子で地面に倒れ伏す。
「兄貴ッ…!!」
男が窓を見上げるのに釣られ、仗助と美晴もそこを見上げる。
「何故この矢で射抜いたか?それを聞きたいんだな?そこにいる男が、アンジェロを倒した"東方仗助"だからだ」
2階の窓。ちょうど先程康一が指差していた窓に、確かに人影が見えた。顔は見えないが、ろうそくの灯りに浮かび上がる体格と声で彼もまた男だという事が分かる。
「へぇ〜、こいつが"東方仗助"かよ…!」
下にいる男はニタリと怪しい笑みを仗助に向ける。そうしていると倒れていた康一が「がほッ!」と血を吐いた。
「血を吐いたか。そいつにはスタンド能力の才能がなかったというわけだな」
"スタンド"。その言葉に2人は息を呑む。この名を出せるのはスタンド使いだけだ。能力を持たない人間にスタンドが見える事はない。対峙している、恐らく兄弟であるこの2人はスタンド使いで間違いない。
「そっちの女にも矢を浴びせてやる。待っていろ……必ず射抜いてみせる」
窓の男は今度は美晴を指差した。己が指名され、美晴は無意識に固唾を飲み込む。その様子に仗助は立ち塞がるように美晴より前に出た。
「その前に億泰!仗助を始末し!女を押さえろッ!」
窓の男が下にいる男——億泰に命令すると彼は一直線に仗助に向かって来る。そして、背後にスタンドを可視化させた。
「美晴ちゃん下がってろ!狙われてるぜッ!」
仗助は後ろにいる美晴に言い置いて彼もまたスタンド——クレイジー・ダイヤモンドを可視化させ億泰のスタンドに殴り掛かる。すると意外にも、億泰のスタンドはスピードがないのかその拳を顔にガツン!と受けた。
「そこを退けよッ…!今ならまだ康一の怪我を治せるッ…!退かねえとマジに顔を歪めるぜッ…!!」
仗助は焦っていた。康一が生命活動を止めてしまったら、クレイジー・ダイヤモンドでは治せなくなってしまう。前例があるのだ。前例——守れなかった祖父の事が頭を過り、唇を噛み締める。
その時、何かふわりとしたものが舞い降りるような感覚があった。それは己の体を浸透するかのように一瞬だけあたたかく仗助を包む。
「仗助くん、援護するわ!私のスタンド——"守護者"の名を冠する"ガーディアン"でッ!!」
その声に振り向いてみると、美晴もまた彼女の鎧を纏うスタンド——ガーディアンをすぐそばに可視化させていた。先程の感覚はガーディアンの守護を受けた事によるものらしい。
勿論、仗助に能力を使えば美晴は無防備になる。だが、窓の男は彼女もスタンド使いである事を知らなかった。これがどんなスタンド能力であるかも当然知らないはず。今の彼らの狙いは東方仗助であり、本体である来宮美晴が無防備である事を知られなければ、億泰に本体を叩かれる心配はほぼないとも言える。
「へぇ〜、女もスタンド使いかよ……おもしろォ」
億泰は殴られた事で切った口の端から滴る血をペロリと舐める。
互いに臨戦態勢だ。康一を早く助けるため、目の前にいる億泰を倒す。ジリジリと焼けるような睨み合いは続いていた。