「そのサイコロに触るなッ!!東方仗助ーーッ!!」
次は仗助がサイコロを振る番だったが、露伴はお椀に手を伸ばした彼に向かって声を荒げた。彼と美晴の肩がビクッと跳ね、しかしそれに構う事なく露伴は椅子から立ち上がる。
「触んなって……つ、次は俺の番なんスけど……」
「動くなッ!そこを動くんじゃあないぞッ!美晴は見張ってろ!」
「えっ!?あ、はい…っ!」
露伴はそう言い残して家の中に入っていく。完全に露伴の姿が庭に通じる扉の向こうに消えたのを見計らって、美晴はそっと仗助に近付いた。
「仗助くん…!一体どんな細工をしたの?」
「うぇッ!?え、えーと、それは…!」
声を潜ませながら仗助に問い掛けてみるが、彼は異様なほどに汗をかきながら明後日の方向を見つめている。美晴だって恋人の彼の事を疑うような真似はしたくない。だが、その彼は完全に"何かをした"反応を見せていて、更に眉を顰める。
「なに?否定しないって事は"細工してる"って事なの?」
「えっ!?そそ、そんな、美晴ちゃんまで何言ってんだよォ〜…!」
「私にも言えない事なの?悪いけど露伴先生、こういうのしつこいわよ。ちゃんと言って謝った方が…!」
「な、なにもしてねぇよォ〜!偶然だって!偶然ッ!イカサマみたいだけどよォ〜、偶然なんだよ!」
仗助はアハハハ!と乾いた笑いを零してしまっていた。目の前には訝しげな目を己に向ける美晴がいる。まさか己が彼女にこんな風に見られてしまう日が来るとは思ってもみなかった。
何言ってんだ俺。美晴ちゃんに嘘ついてまでやる事なのかこれェ!?——仗助は考える。今ここに露伴はいない。そもそも美晴はこのゲームに全く関係ない存在だ。
「仗助くん……」
美晴の目は"あなたを疑いたくない"と言っているようにも見え、仗助はゴクリと唾を飲む。
言ってしまおう。言って楽になろう。言ってからどうするか決めよう。
「美晴ちゃん…!実は俺——!」
仗助は意を決して口を開く——が。
「待たせたね。意外と探し物ってのは手こずるモンだ」
庭の扉が開いたかと思えば露伴が虫メガネを手にここに戻ってきて、お椀からサイコロを出すとそれらを虫メガネでじっくりと観察し始めた。
「……露伴先生、私も見ていいですか?」
「いいよ。一緒に見ようか」
露伴が持つ虫メガネを、美晴も隣に並んで覗き込む。完全にイカサマを打ち明けるタイミングを失ってしまった。美晴は仗助を疑ったままで、仗助は再びゴクリと唾を飲み込むと同時に冷や汗が浮かぶ心地になる。
「み、美晴ちゃんまでよォー……それは露伴先生んちのサイコロじゃあねぇかよォー……」
ドクドクとうるさく心臓の音が響くように聞こえてくる。露伴が器用に指先でくるくるとサイコロの目をひとつずつ確認していき、美晴もジッと虫メガネに映るサイコロを凝視している。
「だからこそ調べてみたいのさ。僕が持ってきたサイコロだからこそ、納得しておきたいって事もあるのさ」
「それにこれは私がさっき確かに"何もおかしなところはない"って思ったサイコロなのよ?私だって納得いかないわ」
露伴は勿論だが、美晴の事も相当に怒らせてしまっている。やはり先程彼女が問い掛けてきた時、誤魔化してないでさっさと打ち明けてしまえば良かった。彼女ならもしかしたら秘密にしておいてくれたかもしれないし、味方についてくれたかもしれない。
だが、時既に遅しとはこの事である。来宮美晴は岸辺露伴の味方をすると決めてしまった。東方仗助の側に来てくれる事はこの場においてもうないだろう。
「うーん……なんか、"見られてる"というか……私達がサイコロを見ているのと同じように、"サイコロにも見られている"ような……」
「ああ、"深淵を覗く時、深淵もまた我々を覗いている"……みたいなヤツ?」
まじまじとサイコロを見つめ、しかし美晴はふと残りのサイコロにも視線を転じる。そのうちのひとつがなんとなく水で濡れているようにも見えて、思わず首を傾げた。
(なんだかあのサイコロ……グラスの水滴が掛かったのかしら)
そんな疑問からテーブルに乗ったサイコロを指先で摘もうと手を伸ばすが、ガタンッ!と妙な音がすぐ近くで聞こえて視線はそちらに移った。
「やっべ〜〜!!美晴ちゃんが淹れてくれた麦茶なのによォ〜〜!!」
テーブルに横倒しになったグラス。そこから流れる麦茶がジワジワと広がってサイコロが浸かり始める。
「うわッ、気を付けろよなあ〜ッ!!」
「た、大変ッ!すぐに拭きますね!!」
露伴が声を荒げながらお椀やサイコロを持ち上げ、美晴が慌てて家の中へと引っ込むと布巾を持ってきてササッと手際良くテーブルを拭いていく。
「新しいの淹れる…?」
「ああいや!ほら、暢気に飲んでる状況じゃあねぇしよォ〜、俺はいいや…!」
その状況に仕立て上げたのはどこのどいつだよ東方仗助。露伴は真っ先にそう思いながら2人の会話を聞いていたが、やがて溜息を吐くと布巾で綺麗に拭われたサイコロ3つを確認のためにお椀の中に振った。涼しげな音と共に転がり、出た目は165と平凡な役無し。異常なし。
「いいだろう、ゲームを続けようか」
露伴はチップの乗った台車に虫メガネを置き、足りなくなった分のチップを追加する。
「次は君の番だ、東方仗助……君はもう6万も稼いでいるのか、すごいすごい」
口ではそう言うが、表情は全く笑ってもいない。その様子は美晴でも思わず緊張してしまうほどだった。
(仗助くん……ここまでする理由はなんなの……?露伴先生、相当怒ってるわよ)
先程もらったチンチロリンの取り決めが書かれた紙が手汗で湿り気を帯びていく。
「そ、それじゃあ俺は手堅く……2枚でいきます」
スッと互いのチップ2枚が差し出され、仗助は先程と同じようにお椀の中にサイコロを転がした。
陶器の中を3つのサイコロが音を立てて駆け巡る。そしてそれはさも当たり前のように、偶然を装いながら、
「…………ッ!!」
666——滅多に出ない5倍付の"オーメン"を3人の前に叩きつけた。
仗助の身が一瞬目眩のようにクラリと傾く。それは偶然にしては出来すぎているからか、それとも"誰かに頼んだ事が上手くいかなかったから"なのか。
露伴はなんて事ない動作で麦茶の入ったグラスをおもむろに手にしてその中身を一口飲む。重苦しい沈黙の中ではそんな動作すら過敏に反応してしまう。
「2度ある事は3度ある、か。……フフフ、確かに連続で出るかもなぁ」
気でもおかしくなったのだろうか。滅多に笑わない露伴がそうやって笑うものだから、暑さのせいだけじゃあない汗まで浮かんでくる。
「フフフ、アハハハハハ……オーメンは5倍付かぁ。払うよ。出たものはしょうがない、払うよ……」
ザラザラとチップが露伴の笑い声と共に移動していく。
「ア、アハハ……そ、そーっスねぇ……2度ある事は3度あるかもっスねぇー……」
釣られて仗助も首裏を掻きながら乾いた笑い声と引きつった笑顔を貼り付け、いよいよ空気が異様なものへと変貌していく。美晴はオロオロと彼らを交互に見ながら戸惑う事しか出来ず、
「ハハハハハハッ」
「エヘヘへ、ハハハハハハッ」
狂ったような穏やかな笑い声が場を支配する。もう恐ろしくて逃げ出してしまいたくなっていた。
刹那。
バンッ!とテーブルを叩く大きな音が聞こえたと思えば、次にはドスッ!とまた勢いよく別の何かを叩きつけるような音が聞こえて頭が真っ白になった。
チップが宙を舞い、麦茶の入ったグラスがテーブルに倒れて転がり、床にガシャリと音を立てて崩れる。
何が起きたのか。状況を把握するまでの時間は短いものだったかもしれないが、時が止まったかのような沈黙はそれをスローモーションのように長く感じさせる。
「いやぁぁぁぁぁッ!!ろ、露伴先生ッ!!」
その沈黙を破ったのは来宮美晴だった。彼女は血の気の引いた顔で口許を両手で覆いながら見開いた瞳でテーブルの上に広がる"赤"を見つめている。
その"赤"はテーブルに叩きつけた露伴の左手、小指から流れて血溜まりを作り続けていた。その小指は大きく抉られていて、そこに突き立てられたペンにも血飛沫が飛んでいる。
そう、岸辺露伴はテーブルに叩きつけた己の左手の小指を、ペンで突き刺して自ら抉ったのだ。
「何してんだよォォーーッオメェーーーッ!!」
時間差で仗助も顔を真っ青にして席を立ちながら露伴に向かって叫んだ。対する露伴はブルブルと痙攣したように体を震わせ痛みを堪えながら彼を見据えている。
「て、手当てをッ……救急箱持ってきますッ!!」
美晴は突然の事に目に涙を溜めながら家の中に駆け込んでいく。露伴はゼェゼェと息を切らしながらもそれを横目にしていた。
「東方仗助……きさまは何か"イカサマ"をしている……方法は分からんがなんらかの"イカサマ"をしている……許せん、その方法が分からないところが許せんッ!!」
おそらく美晴も彼が"イカサマ"をしている事については勘付いているだろう。だからこそ一緒にサイコロを見たいと言ったのだ。だが何も分からなかった。イカサマをしているのは確実なのに。
「ムカつくぜ……今までは"美晴"や"ジョースターさん"、"康一くん"に免じてお前に対する怒りを抑えていたが……!きさまは今、この露伴をコケにしようとしている…ッ!きさまが心の中でほくそ笑んでいるのかと思うと我慢ならんッ…!!」
ずっと我慢していたのだ。ジョセフの息子だから、康一の友達だから、そして美晴の恋人だから。美晴が仗助の隣にいる時、とても幸せそうに笑うから。己も大人だから、一歩引いて我慢していた。
このチンチロリンだってそうだ。何か企んでいるだろうとは思ったが、敢えて付き合ってやっていた。——なのにこのザマである。
「手を出せよーッ!俺のクレイジー・ダイヤモンドで治してやっからよォォーッ!!」
それなのに仗助はまるでイカサマの事なんてすっとぼけたようにそう声を張り上げるのだ。その言葉、その声、全てが露伴の神経を逆撫でしていく。
「うるさいッ!なんのためにこの露伴が自分の小指をこうしたのかッ!きさまを"ゲーム"からおろさせないためだぜ、東方仗助!!」
——きさまのそういうところが大嫌いだ。東方仗助。
「きさま程度のスカタンに、この露伴がなめられてたまるかァァーーッ!!」
露伴も鬼気迫る表情で負けじと声を張り上げる。その時視界の隅でビクッと何かが跳ねるように動き視線を合わせると、救急箱を手に小刻みに震える美晴がそこにいた。
「せ、先生ッ…!小指見せてください、手当てしますから…!!」
トコトコと己の方へ小走りで寄っていく美晴を見て、露伴は己より小さいその身に寄り掛かるようによろめく。
「先生ッ!」
「だ、大丈夫だ。それより仗助のイカサマの方だッ…!」
美晴は彼の体を支えながら救急箱を開いて小指の止血を始める。その間も彼は仗助を鋭く睨んでいた。
「あと1回ずつだけ勝負だ…!その間に必ずきさまのイカサマを見破ってやる…!!もしどんなイカサマか、僕が見破れなければ……ッ」
ポケットの中に手を突っ込んだかと思えば、口の空いた分厚い封筒をテーブルに叩きつけるように投げる。その口からは札束が顔を覗かせ、仗助は息をヒュッと呑む。
「ここに200万ある……これできさまのクレイジー・ダイヤモンドに小指の治療を頼んでやる!……しかしイカサマの正体を見破った場合ッ!必ず見破ってみせるが……ッ」
止血を終えたばかりの左手がゆっくりと挙げられ、その指が仗助を、正しくは彼の手元を差す。
「きさまの"小指"をもらうぞ……!東方仗助ッ……!」
こんな時、岸辺露伴は絶対に冗談を言わない。タチの悪いものなら尚更に。
彼は本気だ。本気でそう言っているのだ。その気迫に仗助も、美晴までゾッと血の気が引く。
「お前イカれてるぞ…!た、たかがサイコロで何考えてんだッ!そんな勝負できっかよ!!手を治させろッ!!」
「そ、そうですよ露伴先生ッ!私だって気にはなりますよ!でもここまでする必要はありませんッ!!」
仗助だけではなく美晴も抗議の声を上げるが、彼はそれを左手を引っ込めて右手で美晴の腰をグッと引き寄せる事で黙らせた。
「もう引く事は出来んぞ…!それになあ仗助。"小指"ってのはなにも"手の指"の事だけじゃあない…!!」
その言葉に仗助は思わず己の小指を見るが、すぐにハッと意味に気付くと顔を上げて再び露伴に視線を向ける。視界に真っ直ぐ捉える彼は美晴の腰を抱いたまま頬に手を添え、彼女の目に浮かぶ涙を指で拭っていた。
「美晴ちゃん…!!」
小指。立てると"恋人"を意味する。
きさまの"小指"をもらう——"美晴を返してもらう"。露伴は仗助から美晴を引き剥がそうとしているのだ。
「勘違いするなよ……僕はイジワルで言ってんじゃあない。"きさまにはもう預けられない"……"美晴の恋人としてふさわしくない"……美晴の保護者としてそう判断したまでだ」
仗助が縋るように美晴に視線を転じたが、彼女は仗助をジッと見つめて心底残念そうに眉根を下げ、やがて露伴の肩に顔を埋めてしまった。
「み、美晴ちゃん……」
「分かったろ。お前の行動はこの僕を侮辱しただけでなく、お前の恋人を失望させた!今更後悔したって遅いッ!」
いよいよ仗助の顔から血の気が引き始める。ほんの少しだけ露伴からお小遣いをもらえれば、なんて考えていた己が甘かった。まさかこんな事に発展するなんて。
「よお〜ッ、盛り上がってますね?お2人さん」
そこに1台のスクーターが庭に入ってきたかと思えば、どこか見覚えのある風貌の男がこちらに歩み寄ってきた。
「こ、"小林玉美"?なんでオメーがここに来るんだよ」
その姿を視界に入れ、仗助が思わず声を上げる。
"小林玉美"。広瀬康一がエコーズを発現させた直後に戦った相手であり、"サーフィス"の"間田敏和"の情報をくれた男である。
「僕がさっき雇った"取り立て人"さ……」
「と、"取り立て人"…?」
そう、彼は露伴が雇った"取り立て人"。しかし美晴は玉美の事は話だけ聞いたのみで、実際に会うのは初めてだった。
「改めて"小林玉美"です。契約した"約束"をキッチリと!迅速に……この心に掛かる"錠前"で"取り立て"させていただきやす」
玉美がそう言って取り出したのはズッシリと重たそうな、文字通り"錠前"だった。それの纏うオーラはスタンドのものと同じで、彼もスタンド使いなのだとその時にようやく分かった。
彼はそういう"取り立て人"だ。人の罪悪感を利用して借金を取り立てるのだ。
「どちらが勝とうと誰だろうと"公平"に仕事いたしやす。手数料は20%、または40万以上です。あと1回ずつ勝負して"イカサマ"を見つけるか見つけないか、ですね?」
「ああ、そうだよ」
露伴がひとつ頷きながら美晴を一旦解放し、椅子に座り直す。
「ただし仗助……お前が"イカサマをしない"という逃げ道もある。だからそれを封じさせてもらう。もし"イカサマ"をしないで振った場合、玉美の"錠前"が自動的にお前を襲うというルールにさせてもらうよ」
今のこのゲームの目的は"イカサマ"を見破る事。仗助が"イカサマ"をしてくれなければ意味がなくなってしまう。そして逃げた場合、仗助の負けが確定し"小指"を——美晴を持っていかれてしまう。
尤も、その美晴も今は露伴の側についているわけだが。
「露伴先生……私も協力します」
「いいや、これは僕と仗助の勝負だ。君がもし分かっても言わない事。……大丈夫、必ず見つけてみせるさ」
露伴は美晴の申し出を断るとその頭を優しく撫でてやっていた。その様子を仗助はグラつく視界の中に収める。
まるで己の方が悪党のようだ。いや、こんな"イカサマゲーム"を持ちかけて一儲けしよう、そんな事を思った時から己は悪党だった。
そしてそれは美晴を失望させてしまった原因でもある。当然だ。美晴は普段から恩人である露伴を兄のように慕っているのだ。そんな人物を目の前でコケにされて怒らないはずがない。彼女のような正義感の強い人間なら尚更に。
そして露伴からすれば、こんな汚い手を使う野郎が妹のように可愛がっている人間の恋人だなんて信じたくもないだろう。引き剥がしたくなって当たり前だ。
しかし仗助はもう"イカサマ"をやりきるしかない。逃げ道を潰された今、やりきって200万もらって露伴の小指を手当てをする道を選ぶしかないのだ。
「さて、中断したところからだから……僕からだったね」
露伴がお椀からサイコロを取り出し、確認するように手のひらの上で軽く転がす。
やりきるか、見破るか。
やけに暑く感じるヒリつくような熱気の中、イカサマを見破るためのチンチロリンは激化の一途を辿っていた。