天才漫画家の給仕係   作:斎草

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彼らの"目的"

 

「億泰よォ……敵に情け掛けられるたァ、お前はやはり無能だよ」

「兄……貴……ッ」

億泰の出血が止まらない。美晴は焦りながらもハンカチを彼の傷に当てていたが、何せ数が多い。それなのに、あの兄はまだ説教を弟である彼に説くつもりでいた。

「無能な奴はそばの者の足を引っ張ると、ガキの頃から繰り返し繰り返し言ったよなァ〜……弟よ、人間は成長してこそ価値があるのだ。成長出来てねぇお前がそうなるのは当然だろう?違うか?」

兄の目は冷ややかだった。答える気力のない弟にその視線を投げかけ、緩く首を傾ける。その様が許せなくて美晴は歯を食いしばり、そんな彼女を見て彼はまた長い溜息を吐いた。

「お嬢さんよォ……さっきあんた、億泰に何かしたなァ?見てたぜ。あんたもそこの東方仗助と同じで、昔からその能力があったのかね?」

「だったら、なんなのかしら?」

美晴は珍しく本気で苛立っていた。彼の態度は氷のように冷たくて、それが肉親である弟に対しても同じだったから。だから捻くれた回答を寄越している。兄はそれを聞いて僅かに口角を上げた。

「なにも。ただあんたを殺す、それだけだ。様子を見るに身を守る類の能力だな?それは今、自分に使った方がいいんじゃあないか?」

やはり先程の億泰との戦いを見ていればそう判断するのは難しくないか。そう思った直後、また視界の端でパタパタパタ……と何かが光る。直後、仗助の背後にあった壺がバキバキッと粉々に砕け散った。——無数の穴を空けながら。

「さっきの攻撃だ!また来るッ!」

仗助の声と同時にパタパタパタ…!と四方がまた光る。

 

何かに囲まれている。何か、ヤバい物に!

 

そう考える隙すら与えない間に、床に、壁に、鋭い音を響かせながら無数の穴が空き始めた。

「あいつ自分の弟を巻き添えにしてまで攻撃する気だ!こっちに早くッ!」

仗助がいち早く動き、クレイジー・ダイヤモンドで壁を壊し先に外に出ると億泰を引きずる美晴に手を伸ばし、彼女もそれを掴むために手を伸ばす。

「うぅッ!!」

しかし互いに伸ばした手にまで一瞬で無数の穴が空き、血が噴き出る。

「クソ〜〜ッ!!」

それでも仗助と美晴は手を伸ばした。そしてガッシリと互いの手を掴むと、仗助は抱えられている億泰ごと彼女を外に引きずり出して壁の穴をクレイジー・ダイヤモンドで修復する。間一髪、あの危地から脱した。だがまだ康一を助けられていない。あの兄を倒す方法……それはきっと億泰だけが知っている事だ。

 

「ありがとう、仗助くん」

虹村兄のスタンドの猛攻で負傷した箇所をクレイジー・ダイヤモンドで治してもらった。今までも何回か見てきた能力だが美晴自身の体でそうされるのは初めての事で、傷が綺麗に塞がる様子に思わず感嘆の声が上がる程だった。

「気にすんな。……っと、今は億泰の方が重要だぜ」

仗助は改めて億泰に向き直る。美晴のスタンドのおかげで彼には最初に受けた傷以外はどこも負傷していなかった。

「おい億泰!テメーの兄貴のスタンドの能力を教えろ。教えてくれりゃあ、その頭の傷は治してやっからよォ」

少々手荒かもしれないが、今はそうも言っていられない。あの冷酷な兄が玄関で待機しているとは予想しにくく、玄関より更に暗い屋敷の中で待ち受けているに違いないからだ。

あの中は彼のテリトリーだ。スタンドの正体が分からないままでは、いくら身を守る術があるからと言っても不利な状況はひとつも変わらない。

「だ……だれが、教えるかよォ……ッお前ら、なんかに……ッ!」

だが億泰にもプライドはある。いくら粗暴な扱いを受けたとしても、兄を売る行為は彼に出来るはずがなかった。血を流しながらもこちらを睨みつける億泰に、仗助は「そうだよな……」と溜息を吐く。その次の瞬間、彼はクレイジー・ダイヤモンドの腕を横たわる億泰に向かって振り上げた。

「だったら……しょーがねーよなァァーッ!!」

美晴は息を呑んだ。負傷している彼をここに連れてきておいてまた殴りつけるつもりなのかと。仗助までそんな事をするのかと。

 

だが、やはり彼は東方仗助、その人だったのだ。

 

「……!!」

顔に当たる、というところで止められた手。優しい光が億泰を包んだかと思えば、次に手を離した時には彼の傷が完全に治っていた。

「これから俺はまたあの屋敷ん中に入るからよォー……億泰、邪魔すんなよ」

信じられないといった様子で己の顔をパタパタと触る億泰を尻目に、仗助は今度は美晴に顔を向けた。

「美晴ちゃんはここで億泰の事見ててくれ。邪魔するよーなら1発ブン殴っちまってイイからよォ」

そう言って任せるように肩をポンと叩こうとしたが、先程負傷した手の方を挙げてしまい思わず「あっ、と……」と引っ込める。それをすかさず美晴がその手を握ってまだ血が流れ続けている傷を見つめた。

「仗助くん……これは治さないの?」

ハンカチは先程億泰に使って汚れてしまった。止血する物をもう持っていない美晴の心配そうな表情を見て、仗助は困ったように彼女の肩を負傷していない方の手で撫で叩く。

「クレイジー・ダイヤモンドは自分の傷は治せねぇんだ。……世の中、都合のいい事だらけじゃあねぇって事だな。君のスタンドと同じだ」

美晴のスタンドも防御面では鉄壁を誇るが、発動条件がシビアだ。ひとつの物しか守れず、咄嗟の判断、特に不意打ちにはめっぽう弱い。

仗助の言葉は理解出来るが、もっと己の能力が万能であれば彼に怪我を負わせる事はなかったのに——。そんな事を考えているのが筒抜けだったものだから、仗助はその肩に手を置き続けていた。

「ほら、手が汚れちまうぜ。それに昔っから喧嘩吹っかけられるからよー、包帯くらいはいつも持ち歩いてるぜ」

仗助はポケットの中から包帯を取り出すと美晴の手を離させ、負傷した手に巻き付ける。

「康一を早く助けてやらねぇと……能力が効かねぇのは死んだ人間も同じだからな。見張り頼むぜ、美晴ちゃん」

彼が再び屋敷の方へ向き直るが、美晴の視界の隅で何かが動いた。それは立ち上がって仗助を追い始める。

「おい待てよ仗助…!テメーなんで俺の傷を治した!?俺はテメーらの敵だぜェ!?それに兄貴のスタンドの事だって話しちゃあいねぇ!」

億泰だ。彼は今にも背後から仗助に掴みかからんと迫っていたが、美晴に腕を掴まれピタリと動きを止め彼女を振り返る。

「テメーもだよォ、美晴…!兄貴の言う通り、俺じゃあなくテメー自身に能力使えよ!なんなんだよォ、テメーらはッ!危ねー目に遭ってまで俺を助けやがって!!」

それは苛立ちからか、屈辱からか。或いは純粋な疑問からなのか、それともそれら全てなのか。億泰は2人に向かって声を荒げていたが、彼らは冷静に、かと言って聞き流すでもなく、億泰を見つめていた。

「なんなんだってよ……別に深い理由なんてねえよ」

仗助は顔だけ振り返ったその姿勢で、ぽつりと答えるように呟く。

「"何も死ぬこたあねー"。さっきはそう思っただけだ」

彼はそう言い残して屋敷の中へと再び足を踏み入れていった。一方の億泰はと言えば、何か言いかけるも言葉が出ないのか、一度口を開けたかと思えばすぐに黙り込んでしまった。

 

 

美晴と億泰は虹村兄から逃走してきたその場から動かずにいた。

「オメーよぉ……なんであいつに着いていかなかったんだ?」

2人して壁を背に座り込み、仗助が無事に康一を連れて帰ってくるのを、或いは兄が勝利して迎えに来るのを待っているかのようだった。そんな沈黙が耐えきれなかったのか、億泰は美晴に問い掛ける。

「私のスタンドはひとつの物しか守れないのよ。仗助くん、きっと私に使うように言うわ……彼に使ったら、私は無防備になるもの」

そして無防備になった己を叩かれたら、どのみち守護は消える。本体の死はスタンドの死なのだから。無防備になる己の事も仗助は守らなくてはならなくなり、結果的に足を引っ張りかねないのだ。先程の億泰戦の時のように対等であるならまだしも、アウェーな状況である今においては得策ではない。

億泰は「そうかい……」と短く返事をし、この話はそこで終わった。彼女は分を弁えているだけ己とは違うのだと、億泰は俯きながら考える。それに彼女は決して考えなしの行動はしないはずだと、彼は劣等感に苛まれる心地になった。

「億泰くんは、どうしてあんなお兄さんのために頑張ろうと思えるの?」

その声にハッと顔をそちらに向けると、膝を抱えてこちらを見ている美晴がいた。彼女には兄が余程冷酷な男に見えたようで、同時に愚直にもそれに従い受け入れる弟が不憫に思えたようだ。だがそれは違う。違うんだ、美晴。億泰は頭を抱えていた。

「……兄貴は、昔はこんなんじゃあなくってよォ……けどよォ、"目的"を果たせたらよォ!"兄貴だけは元に戻ってくれるかも"って……だから協力してんだよ……」

それから彼は、ぽつぽつと虹村家に起こった出来事を話し始めた。

 

———

虹村家は元々、東京に住んでいた。父は会社を経営していて、それなりに裕福な生活をしていたのだ。"虹村形兆"と"虹村億泰"。彼ら兄弟の仲も良かった。

しかしある時、母が急死した。その後経営していた会社も上手くいかなくなり、膨大な借金を虹村家は抱える事になる。

それから父は兄弟に暴力を振るう事が多くなった。仕事もせずに昼間から酒をあおり、まともな育児もしてもらえなかった。兄である形兆は小学生で学校に行っていたが、弟である億泰は幼稚園に行かせてもらえず、家で父の虐待を受ける日々を送っていた。

形兆は学校から帰るとすぐに億泰の様子を見に行って、泣きつく彼を抱き締めてずっと頭を撫でた。休みの日はずっと億泰に付いて、父からの虐待に耐えていた。

 

それが事件が起こる前、10年前までの虹村家である。

10年前、形兆は8歳、億泰は5歳の時。それは唐突に起こったのだ。

 

億泰がリビングの隅で怯えるように蹲っていると、酒を飲んでいた父が急にもがき苦しみ始めたのだ。本当に突然の事なので彼には何が起こっているのか理解出来ず、泣きじゃくり怯えながら形兆の帰りを待つように玄関の外へ出て行った。形兆は学校から帰ると億泰が泣いていたので、また父に暴力を振るわれたのかと思った。だが弟に引っ張られるようにリビングまで来ると、暴れるように苦しんでいる父がそこにいて思わず足がすくんだ。足音に反応したかのように振り向いた彼の顔は、人間のものと思えないほどに醜悪になっていたからだ。

「救急車呼ばないと…!」

「無駄だ!もうだめだ!"DIO"が死んだから、"肉の芽"が暴走したんだッ!」

形兆は電話のある場所まで走ろうと踵を返したが、それを追い越すように父は駆け出して自室に籠りきりになってしまった。

 

それから父は怪物のような見た目になった。1年も経たないうちに、形兆と億泰の事を家族だと認識出来ないくらい知能も劣ってしまった。

———

 

形兆は10年掛けて色々な事を調べた。父が言った"DIO"という名の男、その男を殺した"空条承太郎"の事。スタンドを発現させる"弓と矢"の事。父は金のためにDIOに心を売り渡し、"肉の芽"という物によって洗脳されていた事。

億泰には難しくて分からない事だらけだったが、形兆が彼に教えた事で理解出来た事がある。

「俺達の親父はよォ……もう元には戻らねーって、兄貴はそう言ったんだ。だからあの"矢"で……"親父を殺してくれるスタンド使い"を探すって、それからなんだ。兄貴はイライラしてんのか、今みたいになってよォ……」

だから"目的"さえ果たせれば、形兆は元の優しい兄に戻ってくれる……億泰はそう信じているのだ。

想像よりも遥かに重い事情を背負っていた億泰に、美晴は終始開いた口が塞がらなかった。

「その……お父さんは今、どこに…?」

10年前、閉じこもってしまった彼らの父親。杜王町に来てからはどこにいるのだろうか。美晴がそれを問うと、億泰はスッと立ち上がる。

「会っていくか…?親父に。仗助の邪魔はしねーから問題ねえだろーよ……」

彼の問い掛けに答えるより先に、美晴は立ち上がっていた。

 

玄関を潜り、薄暗い屋敷の中へ入ると床に血の跡が伸びていた。康一の物と思しきそれは、2階へ上がる階段にも続いている。恐らく仗助もこれを辿って上の階へ昇ったのだろう。

階段に足を乗せると、ミシ…ミシ…と軋む音が響く。薄暗いのもあってホラー映画にも劣らないロケーションである。

こんな場所に2人で暮らしているのか。美晴にはその私生活を想像する事が出来なかった。

「あ……」

しかし階段を昇り切った先にいたのは、部屋の様子を窺う仗助だった。彼はその部屋の真ん中にいる康一を見つめていて、どうしたものかと唸っている。

あんなにあからさまに助けたい人物がいるのは、どう考えても罠だ。仗助が部屋に入った瞬間、先程の正体不明のスタンドによる集中砲火が彼に降り注ぐ。勿論、用済みとなった康一を巻き込んで。

「仗助ェ…!」

「億泰ッ!テメーッ…!」

美晴が動くより先に、億泰の足がそちらにツカツカと歩み寄る。声と足音に反応した仗助が振り向いた頃には、彼はザ・ハンドを出して何でも削り取ってしまう右手を振りかざしていた。"やめろ!"、仗助の言葉が出るより先に、その手で空を切る。

だがそれは仗助と美晴の想像を裏切るかのように康一と2人の間にある"空間を削り取り"、康一の体は吸い寄せられるようにこちらに瞬時に移動してきた。

「まだそんなところにいたとはよォ〜ッ…!だがこれで傷を治してもらった借りは返したッ!俺とお前はもう貸し借り無しだ!これ以上は何もしねーしするつもりねえーッ…!」

億泰はそう一方的に捲し立てる。どうやら彼は義理堅い性格のようだ。変なところで真面目な男なのだ。そもそも考えてみれば、彼は決して外道ではないのである。

「……グレートだぜ、億泰」

何処かで見ているであろう形兆は、この事態に更に弟に苛立ちを募らせているだろう。だが億泰はそうしなければ埒が明かない。仗助はそんな彼の性格を素直にそう評価した。

美晴もホッと安堵したところだったが、ふと億泰のズボンのポケットから白い布が見えているのに気付いてそれをそっと引っ張る。取り出して広げてみると、それは先程美晴が彼の止血のために使った血で汚れたハンカチだった。

「あっ!テメーそれは…ッ!」

だがそれと認識した途端に億泰に引ったくるように取り上げられてしまい、思わず「あっ」と声が上がる。

「あ、洗って返すからよォ…!テメーともそれで貸し借り無しだ…!」

再び折り畳んで元あったポケットに深くしまい込む様子を見て思わずポカンとしてしまったが、その言葉を理解するとふと微笑みが浮かんだ。

「あなた、いい人ね」

「ちげーよタコがッ…!さっさと行くぞボケッ」

億泰の悪態をつく言葉に思わずクスクスと笑い声を零しながら、美晴は仗助が康一の傷を治している間に虹村兄弟の父親がいるらしい屋根裏部屋への階段を昇り始めた。

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