来宮美晴の休日
形兆が死んだ日、美晴は帰る気になれず近くにある公園のブランコに座り込んでいた。
自分があの時、もっと早く黄色いスタンドの存在に気付いていたなら。そんな事ばかりが頭を過り、己の無力さにジワジワと涙が溢れてきた。
「……!」
ぐすぐすと鼻を鳴らしていると、突然目の前にハンカチが差し出される。その持ち主を確かめるように顔を上げると、そこにいたのは岸辺露伴だった。
「帰りが遅いから探したよ。なにベソかいてんだよ」
彼は見上げた顔に溢れている涙を差し出したハンカチで少々乱暴にぐしぐしと拭ってやる。美晴は嗚咽のせいで上手く言葉が出ず、また露伴が自分を探していた事に対してもポカンとしていた。
「こんなの……ぼくが泣かしてるみたいだ。とにかく帰るよ」
気付けば公園の外灯が明かりを灯し始めていた。露伴は傍に停めてあった自転車のサドルを調整し、美晴を引っ張ってきてから自転車に跨ると後ろに乗るように促す。
「ちゃんと掴まってないと落とすからね」
促されるままに荷台に跨ったが、そう言われて慌てて彼の体に掴まる。露伴はその感触を確認してから普通よりもゆっくりなスピードで自転車を漕いで家路を辿った。
家に帰っても美晴は食欲も湧かず、露伴が作ってくれた食事は半分程が冷蔵庫に収まっていった。
それもそうだ。あんな壮絶な死を見たら、誰だって——。
「美晴、何かあったのかい?学校でいじめられでもした?」
リビングの椅子に座りずっと俯いている美晴の姿に、さすがの岸辺露伴も心配になった。露伴の記憶上、彼女がここまで弱っているのは初めて目にした。親戚に夜逃げされたあの瞬間でさえ、ここまでではなかったはずだ。
とにかく、それ以上の何かが彼女を襲ったのだ。それを知りたい時、岸辺露伴は手っ取り早く事情を知る事が出来る能力を持っている。しかし。
「君の記憶をぼくは読む事が出来ないんだ。君がいつもの能力でガードしているからね。だから君の口から直接聞くしかない」
美晴のガーディアンは岸辺露伴の能力を弾いた事がある。そしてその能力の効果を知った時から、彼女は無意識なのか彼と接する時は大抵能力を使って心を守っているのだ。
「もう一度訊いて話してくれないなら諦めるよ。だから訊くけど、今日何かあったのかい?」
露伴は同じ質問を目の前の美晴に投げ掛ける。彼女は口を少し開きかけたが、少し考えて閉じた。それを見て露伴もフゥー…と溜息を吐く。
「……分かったよ、もう訊かない。けどね、美晴。これだけは覚えておけよ」
彼は席を立つと仕事場へ戻ろうとリビングを出ようとするが、最後に顔だけ彼女の方を振り向く。
「ぼくは君にだけは詮索するのをやめている。だから、君が話したくなった時に話せばいい」
そう言い残して、彼はリビングを出ていった。
「……先生」
今までこんな事があっただろうか。どうやら岸辺露伴、同居人が辛気臭い顔をしているのはどうも収まりが悪いらしい。
だが、まだ話すわけにはいかない。露伴を巻き込みたくない。あの矢で射抜かれた時点で関係者である事に違いないのだが、彼にはいつもの"日常"を過ごしてほしいからだ。普通にいつも通り、漫画を描いて読者を喜ばせ続けてほしいからだ。
それでも、彼なりの優しさがあたたかくて、また涙が溢れてきた。それからまだ泣き足りないのかというほどの涙が止めどなく流れる。
「……まったく、もどかしいな」
その嗚咽を露伴はリビングから出たすぐのところで聞いていた。
一体何を隠しているのか見当もつかないが、なんとなく壮絶なものを背負っているという事は分かる。それを共有する権利が己にない事が何故だかとても悔しかった。
翌朝、美晴がいつもの時間に起きると既に露伴が台所に立っていた。洗濯でもしようと脱衣所に行くが、洗濯カゴの中は既に空っぽで、庭を見てみると洗濯物が物干し竿でパタパタと風に揺られていた。
「露伴先生、おはようございます。あの……」
仕方なく美晴は台所に戻りその背に挨拶を掛けると、それでようやく彼はその存在に気付き振り向いた。
「ああ、おはよう美晴。今朝は食欲ある?」
「え、お腹は空きましたけど……あの、何を……」
家事は美晴の仕事だ。正真正銘、給仕係としての。それをするように命じたのは露伴なのに、何故か彼自身が自ら家事をしているこの事態に美晴は戸惑いを隠せなかった。案の定な反応を見せる彼女に、露伴は作ったばかりの目玉焼きの皿をリビングのテーブルに運ぶ。
「今日は君の給仕係の仕事は休み。休暇だよ。この土日はぼくが家事をやる」
「えっ、ええ!?そんな、露伴先生、そこまでしなくっても……!」
岸辺露伴の優しさが今も続いている事にも勿論驚いたが、突然休暇を言い渡されると戸惑ってしまう。だって、今まで休みなく家事をしていたしそれが当たり前だからだ。家事というのはそういうものである。
「ぼくは別に家事が出来ないから君を雇ったわけじゃあない。家事をしている時間が惜しいから雇ったんだよ。それにぼくだって仕事が早く終われば休むんだ。君もたまには休めよ」
露伴は言いながらテキパキと炊飯器から白米を盛り、味噌汁の入ったお碗と一緒に並べてテーブルにつく。美晴もソロソロとテーブルに近付くと椅子に腰掛けた。"いただきます"と手を合わせてから、思い思いに食事を口に運んでいく。
「今日と明日は休みにするけど、これから休みたい日があれば1週間前には言いなよ」
昨日言った通り、露伴は昨日の事を一切問う事はなかった。ただ代わりに、彼なりに美晴を気遣っていた。彼は我儘で自分勝手だが、一緒にいる彼女の事だけはそこそこ気に掛けている。自然とそうなるのだから、露伴はやはり人付き合いが苦手だ。自分1人の事だけ考えていたいのに、そう出来ない時があるのがとても苦手だ。
今だって、だいぶ食欲が戻ってるのか至って普通に食事をしている美晴を見てホッと安堵している。ぼくは自然とそうなっている。
(別に、"ぼくの料理の方が美味いじゃあないか"って思ってるだけだ)
そう思いたい。
土曜日は1日家でゆっくり過ごし、翌日の日曜日、気分転換に美晴は駅前まで自転車で向かう事にした。
日曜日の駅前。通勤客より観光や行楽目的で利用する人間の方が多い。久しぶりに解放された気分になりながら駐輪場に自転車を停め、まずは駅前にある"カフェ・ドゥ・マゴ"に立ち寄る事にした。ここのスイーツとお茶は美味しい。学校帰りに仗助達と1回入ったきりで、こうしてゆっくりしてみるのは初めてだ。天気が良いので外のテーブルに座り、とりあえずアイスティーとチョコレートケーキを1つずつ頼み品物が来るまで駅前広場をボーッと眺めてみる。
皆楽しそうに道を行き来している。これから何処へ行くのだろう。杜王町は海に面した町で、海の幸だって美味しい。承太郎さんが今滞在しているらしい"杜王グランドホテル"もオシャレなのだと聞く。夏シーズンになると海沿いの別荘地だって賑やかになる。ここは田舎町ながら観光に適した場所なのだ。
「あ、美晴」
そんな事を考えていたが不意に名前を呼ばれてハッと声のした方向に顔を向ける。
「お、億泰くん……」
その人物は、言い方は良くないが今1番会うのは避けたかった人だった。彼は美晴のいるテーブルまで来ると向かいの椅子に腰掛ける。
「ここのカフェってよォ、俺まだ入った事なかったんだよなァ……男1人でカフェって変な目で見られそーじゃん?」
「そんな事は……あ、でも億泰くんの見た目だとびっくりされるかも」
億泰は至って普通に美晴に話しかけてきた。だから彼女も至って普通に会話をしようと試みるが、少しのきごちなさはある。億泰は日曜だというのに学ラン姿で、いかにも葬式の帰り道だったからだ。
そうこうしているうちに美晴が頼んだアイスティーとチョコレートケーキが運ばれ、そのウェイトレスに追加で億泰もアイスミルクティーとミニパフェを注文する。ウェイトレスは億泰と美晴を交互に見遣ってから店内へ引っ込んだ。
「なんか失礼だな!俺達って友達に見えねぇのかな」
億泰はそうやってブー垂れていた。確かにあのウェイトレスの表情は「えー、友達ですかあなた達?マジで?」と今にも言いそうな顔だった。だが——、
(私達、いつの間に友達に……)
美晴も「えー、マジですか?」みたいな顔をしていた。それだから、億泰も軽くテーブルをはたく。
「あっ!美晴もかよ!俺達はもう友達になる他ねぇぜェ!?あのまま終わりなんて締まり悪りぃだろ!」
確かに、億泰の言う事は尤もである。あのまま終われる関係ではないのだ、私達は。
東方仗助、広瀬康一、虹村億泰、来宮美晴。4人は虹村形兆の死を目の当たりにした。その衝撃は4人の間だけで共有出来るものだ。
億泰の話によれば、形兆の死因は異常ではあるが"感電死"と断定されたらしい。葬式は億泰の希望で身内のみ、つまり彼のみ参列となった。父親はまだ外に出せる状態ではないらしい。
「そうね……私達、あのままでは終われないわ。あの"レッド・ホット・チリ・ペッパー"の件もあるしね」
形兆を殺した本体不明の黄色いスタンド。奴はあの弓と矢を奪って行った。虹村兄弟との因縁がなくとも、彼を追う理由は十二分にある。
しかし、そのスタンドの名を出した途端、億泰の表情が険しいものになった。
「"レッド・ホット・チリ・ペッパー"……ふざけた名前だぜ。俺は必ずあいつを倒してやる……倒して、兄貴の仇を取るんだ…ッ!!」
その目は恐ろしい程にギラついていた。タイミング悪く注文の品を運んできたウェイトレスはついに「ヒッ!」と悲鳴を短く上げ、ササッとそれらを置いてすぐに店内に引っ込んでしまった。
「さっきからよォ〜、あの店員失礼じゃあねーか?」
「あなたが怖い顔するからよ……気持ちは分かるけど、億泰くんは考えなしに突っ込んでいきそうで怖いわ」
思い出したようにアイスティーにシロップとポーションミルクを入れてカラカラとストローでかき混ぜながら、またもやブー垂れる億泰の様子に溜息を吐く。
億泰はバカだ。突っ込む時は真っ直ぐ前にしか突っ込めないタイプの。なまじスタンド能力が強力な分、その強さを過信している面もある。図星なのか、億泰の表情が固まっていた。
「でもよォ……美晴が守ってくれたら無敵だぜ、俺達は」
億泰は気を取り直してアイスミルクティーを一口飲む。
「確かにそうかもしれないけど……守る対象を常にあなた1人に絞る事は難しいわ」
誰かが狙われているならそちらを優先にしなければならない。承太郎が言ったように、この能力は強力ではあるが守護対象の取捨選択が重要になる。それに虹村形兆のようなケースもあるのだ。不測の事態には対応出来ないため、鉄壁の守りを誇る代わりに使い勝手の良い能力とは必ずしも云えないのである。
「やっぱよォ……俺とお前らはなんか違うよなァ……」
億泰は空を見上げる。あの雲の上に形兆がいるのだろうか。そんな事をぼんやりと、また考えてしまった。
「空間を削り取って瞬間移動させるって技は……兄貴が提案してくれたんだ。俺は何でも兄貴に決めてもらっていた……俺はこれからどうしたらいいんだよ」
グッと伸ばした手を握る。その手を顔の前で広げてみたが、何もなかった。"何もない"、当然なのだが、それがとても虚しい事に思えた。
美晴はそんな彼の様子をずっと見つめ、やがてカランと氷が崩れた音で静かに意識がこちらに戻ってきた。
「それは……これから見つければいいのよ。私も協力するし、仗助くん達もきっと同じようにしてくれるわ」
だって、この悲しみと虚しさを共有出来るのは私達4人だけなのだから。美晴がゆるりと頷くと、億泰は目をぱちぱちと瞬かせてから泣きそうな笑顔を見せた。
「……そうだなァ。お前らがいてくれるもんな。ありがとよ」
ぐす、と億泰は鼻を鳴らしたが、「あっ!」と思い出したように声を上げるとゴソゴソと鞄の中を漁りひとつの小さな包みを美晴に差し出した。
「アレよォ、どうしても落ちなくてよォ……新しいの買ったんだ」
最初こそピンと来なかったが、受け取ってその感触を探ると同じく美晴も「あっ」と声を上げながら包みを開ける。中に入っていたのはあの時億泰の止血に使ったハンカチとよく似た物だった。
「……本当、あなたっていい人ね」
わざわざ買い直してまで返してくれるとは。兄の教育が良かったのだろうか。
「ち、ちげーよ……当たり前だろ、そんなのよォ……」
きっとそうだ。彼が語った"優しい兄"がいたからこそ、弟である彼も優しいのだ。
照れたように頬を掻きながら目を逸らす億泰の姿はなんだか好感が持てた。先程のウェイトレスがあれから店から出て来ないのが惜しいくらいに。