ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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恋人たち

          Ⅹ

 

 

 たとえ判っていたことでも、いざ目撃するとなるとやはりショックだった。

 よい意味でも、そしてわるい意味でも――。

 子供の頃からずっと憧れていた人、自分にとってのただひとりのアイドルがみせるキスシーン。

 映画やドラマの中での作り事などとはぜんぜん違う、本物の恋人たちの思いのこもった口づけ。二人の間にある愛情の交歓はオーラなど見なくてもはっきり判る濃密なものだった。

 だからこそエロティック――。

 静かに唇を重ねているだけなのに、発情した男女のディープキスなんか足元にも及ばない官能美がそこにはあった。

 少女は扉の隙間から、中で抱き合う二人を固唾をのんで見まもりながら、いま自分は(ねや)での恋人たちのようすを、そのほんのとば口を垣間みているのだと思うのだった。

 誰よりも美しい女性から(かも)されてくる、ただならぬ性愛の気配――。

 常の操祈から感じる知的で清潔感のある美貌は、性的なイメージとは結びつきにくいものだっただけに、こうしてセックスのにおいを放っている彼女はとても魅力的で、新鮮な驚きを少女にもたらしていた。

 だが同時にそれは、心に痛みを感じさせるものでもあった。

 少女に、許せない――と、思わせているのは、口づけのさなかにも“彼”が終始、リードしているように見えることにも関係していた。

 男の腕は女のスーツの中にまわされ、薄いブラウスの上から操祈のからだを撫でつけていて、男の人ってこんなふうにして女の身を慈しむのかと思うほどやさしい動きをしている。けれども同時にそれは、女体を(ほしいまま)にできる陵辱者のものであるようにも見えてくるのだ。

 少女は、露天風呂で目にした操祈の裸身を脳裏にくっきりと甦らせた。あの優美な肉体が既に男の愛撫を知っていることを想って胸を熱くする。

 交わりを目的とするようなありふれたセックスが、この類いまれな女性には許されるはずもなかった。

 きっと強い絆で結ばれた二人は、ベッドの上では性行為さえももどかしく感じられるほど一途に愛のありかを探し求めるのにちがいない。操祈はともかく、少なくとも若い男の方には強い意思も情熱もあって、だから女にとってはひどい辱めとなるようなことにも躊躇いなく挑み続けるだろうと思う。

 そんなことを考えてしまうと、じりじりする焦りにも似た気持ちになってしまうのだった。

 ピアノの連弾をしていたときにはすぐ(かたわら)に居ると感じた大切な人が、いまは手の届かぬほど遠くへ行ってしまったような喪失感。

 紅音は自分が傷ついていることを知っていた。嫉妬――と呼ばれる感情によって。

 だから、代償を求めたい。

 女の自分が、二人の間に分け入ることなんてできっこないことは解っているから。

 それなら、あの白くて豊満な体がいったいどのようにして男の腕の中で表情を変えていくのか、女の弱さもあらわに健気に歓びをうったえるのか是非とも目にしておきたかった。

 それこそが自分の役割であり、操祈への愛のありかたなのだと少女は信じていたのだ。

 できることなら、いま目撃している光景も記録に残しておきたかったのに、と残念に思う。

 超高精細の3D映像として――。

 それが適わない今、自分にできるのはたくさんのスケッチとして残すことだと思い、心の印画紙に細かいところまで焼きつけようと少女はさらに目を凝らした。

 少年の手が操祈の胸を包んであやすようにしている。女が自分の体を慰めるときにも似た()れた動きで。

 愛撫を畏れた操祈が口づけから逃れると、少年はそれを赦さずに、女の細い(おとがい)に指をそえてまた唇を奪った。

 今度はディープキスになって、操祈の眉間に懊悩の縦じわが()くようになる。

 呼吸が乱れて豊かな胸許が大きく起伏し、まるで嗚咽してでもいるようにスンと鼻を啼らして甘い吐息がこぼれている。

 女の命が溶け始めていた。

 すごい――。

 操祈も、そしてクラスメートの男子も、もう自分のよく知る二人ではなかった。まるで別人になってしまっている。

 教師と生徒ではなく、情を通じた男と女になっていた。

 女の耳許で男が何かを囁いている。いったい何を言われたのか、操祈は驚きに大きな目を(みは)るや、たちまち羞恥に白い顔を真っ赤に染めていった。

 哀しげに長い睫を瞬かせて、逃げ場を探し求めるように視線を泳がせる頼りなげな容子。

 こんなにも弱々しい姿を見るのが初めてだった少女には、信じられないものを目の当たりにしたように操祈の姿に釘付けになった。

 少年から何ごとかを持ちかけられて、ついには説き伏せられて操祈はそれを受け容れさせられたようなのだ。愁い顔のまま小さく頷いて同意している。

 一方、少年は満足げな勝者の笑顔で、美しい年上の女の恥じらう顔を見据えていて、その厚かましさに少女は憎しみを抱いてしまうのだった。

 わたしの操祈先生を虐めないでっ――!

 そう叫んで飛び出したいところだったが、それこそが操祈をいちばん傷つけることだとよく解っている少女には見守ることしかできなかった。

#……嬉しいな……#

 幸せそうな少年の声が聞こえてきて少女は耳をそばだてる。

#……ダメって言われるかなって思っていたから……でも今夜一晩だけですから……明日、お返ししますから……#

 少年がそう話しかけると操祈は何も言わずにまた小さく頷いている。今度は表情に諦めの心根が覗いていた。

#だってボクが他の女の人にこんなお願いをすると思いますか?#

#ずるいわ、そういう言い方って……#

#先生は特別だから……#

#そんなふうに言えば、なんでも私が言うことを聞くと思っているのね……#

 少年は大きく頷いた。

#イケナイ子ね……本当にワルい子よ、あなたは……#

#それならいちばんイケナイのは先生になりますねっ#

#……?……#

#原因をつくっているのは先生なんですから、先生さえこの世に居なければ、ボクは絶対にこんなふうにはならなかったから……#

 操祈は大きくため息をひとつ吐くと、また大人の女の頬笑みを取り戻していた。少女にもなじみのあるいつもの操祈の笑顔を。

 仲直りをするように、二人はまた唇を重ね合わせた。

 今度のキスは仲良しの姉弟のような軽やかで親しみのあるものになっていた。

 いつの間にか男と女の艶めいた雰囲気が払われていて、漸く二人に声をかける機会を得た少女は部屋の扉をノックした。

「操祈先生、お茶の用意ができましたので……密森くんはまだここに居たの? 先生の案内をしなくてもよかったの?」

「先生にはだいたいお話をしておいたから大丈夫、あとは下男のボクがわかってれば、たいていののことは間に合うから」

「下男ね……操祈先生、しっかりこき使ってやって下さいね。こんなのでも使いっ走りぐらいにはなりますから」

「ええ、ありがとう、紅音さん」

「先生と私はアールグレーのロイヤルミルクティにしたけど、密森くんはコーヒーの方が良かったんでしょ? お好みのマンデリンを淹れておいたわ」

「え、ボクだけ? ロミティも悪くないよね……」

「後は勝手にやってよね、あたしはもう少ししたら帰るから、あなただって門限あるでしょ、今日はまだ金曜なんだから」

「今何時?」

「じきに7時半になるところ」

「もうそんな時間か……先生はどうされるんですか?」

「わたしは下でお買い物をしてから帰るから大丈夫よ、心配しないで」

「ってことはイチバン時間に追われてるのはボクってこと?」

「そういうことになるわね、わたしは寮まで車で帰るつもりだけど密森くんを乗せるつもりはないから、だから早くしないと間に合わなくなるわよっ」

「あれっ、じゃあさっきの約束は?」

 少年は操祈の顔を仰ぐ。

「また今度」

 そう言うと操祈はウインクをした。

「なんですか? 約束って」

 紅音が訊くと操祈は「ナイショ」と言ってはぐらかすのだった。

 

 




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