ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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家庭訪問

 校門前にレンタルしていた軽乗用車を乗り捨てして、操祈が教職員室へ戻ってきたときには午後の七時半を過ぎていたが、室内にはまだ野々村凛子が独り居残っていて、ちょうど給湯器でお茶を煎れているところだった。

「いま、お戻りですか? お疲れ様です」

「凛子先生こそ、遅くまでお疲れさま」

「先生にもお茶、お淹れしますね」

 操祈は、自分で――と、言いかけて

「じゃあ、甘えさせていただきます、カフェオレをお願いしてもいいですか?」

「ええ、操祈先生みたいに上手くできないと思いますけど、勘弁してください」

 年明け以降、凛子とは話をする機会もめっきり増えて、彼女からの呼びかけが「食峰先生」という堅苦しいものからファーストネームを交えた「操祈先生」という、より親しげなものへと変わっていた。

 凛子がすっかり慣れた手つきで給湯器を操作すると、すぐに良い香りが漂ってくるようになる。彼女は淹れたてのカフェオレの入った操祈のマグと、自分用のマグを持ってデスクに戻ってきた。

 操祈が口をつけるのを、ちょっと心もとなげな容子で窺っていたが

「いかがですか?」と尋かれ

「ええ、とっても――」

 操祈は同僚の女教師に笑顔を向けた。

「ああ、良かったです、合格点を貰えたようで」

「この前もお上手だったですから、きっと給湯器さんから気に入られたんだと思いますよ」

「だったらいいんですけど……」

 気の置けない者同士の微笑みを交わし合う。

「でも本当にスゴいですね……操祈先生は……」

 ブラックコーヒーのマグを傾けながら凛子は意味ありげに目をまん丸にして、片眉を吊り上げて傍の操祈を見上げていた。

「そんなに大したことなかったですよ。往復四時間もかかるからって生徒からは脅かされてましたけど、車の方が速くて高速を乗り継いで三時間とちょっとで済みましたし、午後の教科部会はリモートだったので車中で済ませることができたので一石二鳥になって、退屈な会議もラクちんでした」

「私がビックリしたのはそのことじゃなくて……先生、その格好で生徒さんのお家を訪問されたんですよね?」

「え、ええ……そうですけど……それが何か……?」

「ため息がでちゃいますよ……」

「あの、わたし、そんなにおかしいですか……?」

 操祈はにわかに不安げな顔になって自分の身なりをたしかめた。

 たしかにレイの実家近く、最寄り駅前にある有料駐車場に車を停めて家まで歩く道すがらも、すれ違う人がみな一様に不審者を見るように、ぎょっとした顔になって二度見して行き過ぎていったのを訝しく感じていたのだ。

「おかしいっていうどころか……とても中学校の先生には見えませんから……ハリウッドの看板女優さんとか、ヴォーグの表紙を飾るモデルさんとかみたいで……スゴすぎてスゴすぎて……」

「え――!?」

 レイの両親との初対面ということで、普段よりもちょっとだけ身だしなみに気を配って出かけて行ったつもりではあったが、同僚の目にはそれが不自然に映るらしいのだ。

 だが、それも宜なるかな――。

 今の操祈は行き先が真冬の東京だったということもあって、黒のロングコートに黒のロシアン帽、黒のロングブーツという――地味――な冬仕立ての装いにした筈だったが、それはあくまでも彼女の感覚であり、もちろん平凡な防寒仕様などに見えるわけがなかった。

 シックな黒いシルエットにブロンドの長い髪が背中で見事に映えていて、頭身のある白い瓜実顔の美貌とともに映画のヒロインのように説得力のある豪華なオーラを纏っている。

「きっと保護者の方は何者が現れたかと、とても驚かれたんじゃないですか?」

「……別に……そんなこともなかったですけど……」

 結局、レイの保護者には会えずじまいだったが、そのことには触れないことにした。

「一応、志望校については納得が得られて、これで今夜に締め切られる進路振り分け選考にエントリーができますので、担任としては先ずはひと安心です」 

「その生徒さん、たしか密森くん、でしたっけ? おとなしそうな、感じのいい子ですよね。成績もいいし」

「ええ……でも芯が強いというか、なかなかいうことを聞いてくれないこともあって……」

「彼、どうして進路アンケートをずっと白紙のままにしていたんでしょう?」

「さぁ、まだやりたいことが何かわからないからって、言ってましたけど……」

 レイにはこれまでになんども将来、何になりたいのか訊いたのだが、その都度「まだわかりません」と、はっきり答えてもらえずにいたのだ。

 

 

 

「……でもなにかあるでしょ? 男の子ならお医者さんになりたいとか、科学者になりたいとか、宇宙飛行士とか……それともスポーツ選手?」

「医師は血を見るのが苦手だし、科学者には向き不向きがありそうだし、ボク、飛行機が大の苦手で見るのも嫌いですから、ロケットに乗るのなんてもっとありえないです……スポーツは体がついていきません……」

「じゃあ画家とか作家さん、タレントさんとかは?」

「全部、才能ないです。先生、ボクのことバカにしてますか? タレントなんてなれっこないに決まってるじゃないですかっ。うちの男子でその可能性があるのはルームメートのヒサオぐらいですよ」

「バカになんてしてないわよぉ、だってほらぁ、レイくん、絵も上手だしぃ……そうだっ、お料理が得意だから調理師さんとかはどう?」

「あれは趣味でやるから楽しいのであって、仕事にすると大変なんですよ。例えばラーメン屋を始めて仮に成功したとすると、一日に三百杯として、一年に十万杯のラーメンを作ることになりますよね? それが何十年も続くって考えたら気が遠くなりませんか? 無理ですっ。きっと途中で飽きてきて、もしもお客さんに変なものを出したりしたら、それこそ大変でしょ?」

「うーん……ならどうしたいのよぉ、もう……」

「そうですねぇ……強いてなりたいものがあるかと言われれば……」

「言われれば……?」

「なれたらいいなって思ってるものならありますけど……」

「ほら、あるじゃない! それよっ、それをあたしに教えてちょうだいっ」

「でも、ボクの一存では決められないから……」

「それって、ご家族の事情とか?」

「うーん……ちょっと違うような気もするけど……」

「もしも言いにくいことだったら、わたしがご両親に口添えしてあげてもいいわよ」

「先生が“口添え”するんですか? それこそ真逆のことになりそうで……」

「どうして――? わたしじゃ力になれないの?」

「そうじゃなくて……“先生にしか出来ないこと”だから……」

「……じゃあ、なんでも言って……なんでもするわよぉ……」

「なんでもですか?」

「ええ、まかせてっ」

「わかりました――」

「なぁに……? あたしはどうすればいいの?」

「それじゃあ――」

 しかし操祈が期待して待っていると、

「ボク、やっぱり先生のショーツになりたいな」

 そう言ってペロッと舌をだすのだ。

「ねぇ、ボクの顔を跨いで、先生のいちばんいいにおいのするところにお口添えさせてくださいな」

 その言葉に、たちまち操祈は真っ赤になる。

「もう、バカぁっ――!」

 こうしてベッドの上での睦言は、結局いつもはぐらかされて、少年は言葉通りに自分がなりたいものになって操祈を悩ませるのだった。

 

 

 

「……あるいは……密森くんにはもっと別にやりたいことがあるのかもしれません……ただ、それを口にすると周りから反対されると思って言えずにいるとか……」

「かもしれません……でもそれがわからなくて、それで保護者の方のお話をお伺いしようと思ったので……」

 操祈も、レイの実家を訪問する前までは凛子が口にしたようなことを頭の隅に置いていた。

 それ以前に舘野唯香からは、二人の関係に気がついているものが学園内に増えていることを指摘されていて、この時期に実家を訪ねるのは控えた方がいいとも言われていたのだが、あえてそのリスクを取ることにしたのは担任の教師として譲れないものがあったからだ。

 それというのも、とうとう彼からは期限までに進路志望アンケートを得られなかったのだ。エントリーシートの提出の締め切りが今夜だったことから、もう後がなくて仕方なく――実際は恋人の家庭環境にも関心があって、動機の相当の部分を占めていたのも間違いなかったのだが――動くことにしたのだった。

 もちろん抜き打ち訪問などではなく、レイにも話をしていて了解を取っていたし、実家にはレイを通じて連絡をしてもらってもいた。

 午後の授業を終えてから、あらかじめ事情を説明していた村脇静繪の許可を得て一時帰宅、着替えてからオーダーしていたレンタカーに乗ってそのまま東京横断、レイの家に着いた時には午後四時を過ぎていた。

「それで、親御さんとの話し合いで彼の進路は?……担任でもないわたしがお伺いしてもいいのかわかりませんが……」

 仲の良い同僚から遠慮がちに訊かれて、操祈は

「別にかまいませんよ、いずれにしても結果は明日、周知されることになるので……彼は成績が良いので、とりあえず長点上機の数物系を第一志望に、第二志望を同じく長点上機の医学生物学系に、そして第三志望も同様に物性科学にする、ということになりました」

「数物系っていうと、それじゃあ先生の直系の後輩になるんですね、凄いですね、やっぱり出来る子はそうなりますよね」

「私の場合は少しも凄くなんかないんです、劣等生だったので留年していて、半年遅れて進学しているので……」

「でも飛び級で卒業して、大学でも飛び級してるじゃないですか」

「それもたまたまです。遅れを取り戻そうとただ必死にやっていただけで……」

「素敵ですね……とてもかなわない……って、そもそも比較にもならないんですけど……」

 年上の凛子から心理的にも見上げるような視線を送られて、操祈は当惑していた。

「何を……おっしゃられてるのか……」

「だって操祈先生みたいな、なんでも完璧な方が必死に努力することができるなんて……それだけで、とても素敵だと思いますよ……凄い人が努力も凄かったりすると、私のような凡人はただ憧れて見ていることしかできなくなっちゃいますから……」

「凛子先生は私を買いかぶられてるんです……能力があったころはともかく、今の私は大した取り柄のないいたって平凡な女ですから……」

 操祈が弁解すると、凛子はわざとらしく肩を上下させて大きくため息をひとつ、

「またそんなことを言われて……もういいですから……じゃあ、そういうことにしておいてあげます……」

「わたし、また何かおかしなこと言いましたか?」

 操祈はやや不満げに唇を尖らせた。そうすると表情が完成された大人の女性からおきゃんな少女のものに一変するのだった。

「いいんです、操祈先生はそれで。だってわたしも先生のファンの一人ですから、うふふっ……それで、当人はなんと? 進路を当事者の頭越しに親と教師の間で勝手に決めてしまったんでしょ?」

「え? ええ、ただ、そもそも生徒の了解をとっての家庭訪問だったので……それに一応、本人にも面談の後にメールで伝えておいたので、返信がなかったということは同意してもらえたんじゃないかなと……」

 言いながら操祈はまた表情を翳らせた。

 自分の舌はいったい何枚あるんだろうとの忸怩に襲われていたのだった。

 

 

 その四時間ほど前、東東京、県境近くの住宅街――。

 駅前の繁華街を一つ外れると、昼間だというのに通りには人の姿もまばらになって、住みやすそうな閑静な家並みが広がっていた。

 住所録にあったとおりにスマホのナビゲーターに従って、レイの家はすぐに見つけられたのだ。

「三島内科/小児科医院……ここで間違いないわね……」

 通りに面した間口が三間あまりの四階建てのビル。

 いかにも昔からある、町のお医者さん、という感じ。

 閉院してから随分と時が経っているのかクリニックの玄関の観音開きの分厚いガラス扉には、張り出した押し板に頑丈な鎖を渡して幾重にも巻き付けられてあって開かないようにしてあったのだが、その鎖にもすっかりサビが浮いていて赤茶けている。

 見上げると、建物の全ての窓が閉ざされていて人の気配というものが全くといっていいほど感じられなかった。

 こうした中で呼び鈴を押そうにも見つからず、とりあえず奥を覗いてみようかと敷地内に足を踏み入れた時、隣家の住人と思しき老女が境の塀越しに声をかけてきたのだ。

「あの、そこはやってないよ……わたしの言ってること、わかるかい?」

 身振り手振りを交えて訊かれ、こういう状況をこれまで際限なく経験していた操祈は淀みない完璧な東京弁で応じるのだった。

「あら、お嬢ちゃん、言葉、通じるんだね、それは良かったよ。翻訳機使うのは年寄りには面倒なものだからねぇ……嬢ちゃん、患者さんには見えないけど、診察かい? でもそこはもうとっくの昔に廃院しちまってるから、病院なら他所を探したほうがいいね」

「いえ、あの、わたし、こちらのお家の方に用事があって伺っているのですが……」

 操祈が応えると、

「家の者に用事? だってそこは空き家だよ」

「空き家? そんなはずは……」

「もう何十年も前から誰も住んでないから」

「何十年も!? それじゃあ、ここ以外に三島内科って、近くにありますか?」

「はてどうかねぇ……あたしは知らないけど……」

 あらためて住所を確認すると、この廃ビルこそがレイが学校に申告していた実家の住所であることに間違いは無かった。

 老女の話によると、件のクリニックは先代の院長が亡くなって閉院してからも、その娘夫婦とその子どもたちがしばらく暮らしていたらしいが、一家は旦那の都合でアメリカに渡って以降、それっきりになっているという。噂では飛行機事故で家族全員が亡くなったらしいとのことだった。

 それ以降は権利関係が複雑なのか、それとも相続人が拒否しているのか、売却されるでもなく、とり壊すわけでもなくずっとこの状態が続いているのだという。

「こういう廃屋ってのはねぇ、とかく妙な噂がたちがちでね、なんでも時々、誰もいない筈なのに窓際に人影が見えたりするとかで、近所では幽霊病院とか言われてるらしくて……ウチとしちゃいい迷惑だよ」

 老女は痩せて貧相なシワだらけの額を、さらに顰めて渋い顔をした。

「あの……ご親族には、中学生ぐらいの男の子が居る筈なんですが……出入りしているのを見かけたことありませんか?」

「はてね……そんな子どもが居たかねぇ……知らないねぇ……ここには長く住んでるけど、そういうのはとんと見たことがないねぇ……」

「失礼ですが、こちらにはどのくらいお住まいなのですか?」

「産まれてからこっちずっとさ、七十年以上もここで暮らしてるよ……」

 やがて老女は身の上話を始め、いきがかりからつきあうことになってしまった。

 昔は大手企業に勤務するバリバリのキャリアウーマンだったこと、結婚を約束した相手がいたが、双方の家の事情で叶わなかったこと、二人の間には子どもが出来たが臨月を前にして事故で流産をしてしまったことなど、そしてもしもその子供が生きていれば、自分の人生はもっとずっとマシになったに違いないといって涙する。

 今、病を患って、独り死を待つだけの人生とは、なんと残酷なものなのかと訴えるのだ。

 孤老の繰り言と流してしまうにはやるせない、しかしどこにでもある幸薄いひとりの女の一生を聞かされて、操祈の気分はさらに重たくなってくる。

 長話がようやく途切れ、その場を離れることができたのだったが、見込み違いと、妙に噛み合わない状況とに操祈はすっかり途方に暮れてしまうのだった。

「ここがレイくんのおうちじゃないとしたら……お引越しでもしたのかしら……?」

 諦めかけたが、念のため建物の裏手に回り込んでみた。と、クリニックの玄関とは別に、家人用と思われる勝手口があるのが目に止まったのだ。

 それはドアスコープの付いた古めかしいデザインの鉄製のドアで、気になったのはよくある廃屋のように新聞受けが、詰め込まれた大量のビラやチラシなどで溢れかえっているようなことはなく、すっきりとしていて比較的最近にも人の手が入った跡があることだった。

 管理者がいる――?

 仮に建物の管理人が居るのだとしたら、そこからレイの現在の実家の在り処を辿ることもできるのかもしれない。そう考えた操祈はとりあえずドアの前までやってくると、さらに大きな目を丸くする。

 ドアの表面には消えかけていたがローマ字で『MITSUNOMORI』とプリントされているのが読み取れたのだ。

「やっぱり……ここでいいんだわ……でも……どうして……?」

 なにもかもがひどくくすんでいて、生き生きとした生活感が無いのだろう? 主人を失ってから長い間、放置されていたような感じになっていて、隣家の老女が言っていたように、

 まさに廃屋――。

 その時、不意にドアの内側に人の気配がして、カチャリ、とドアノブが回ると、自分の方へと外開きをはじめたのだった。

 




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