ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~ 作:真夜中のミネルヴァ
扉が開いて相手の姿が目に入った途端、操祈の瞳が驚きに大きく見開かれた。
「どうして……?」
予想外にもそこに居たのはレイなのだった。彼もちょっとびっくりした顔で玄関に立ちつくしている。
「なぜ……貴方がここに居るの……?」
「そのお話は後で、まずは中へお入りください」
「うん……」
訝しげに玄関に入ると、廃ビルに思われたほどの荒涼とした外観とうってかわって、建物内部は目につく限り小綺麗に整っているのだった。
実用的なコンクリートの白壁――時に燻されてすっかりくすんでいた――に四角い灰色柄の樹脂製のパネルを敷き詰めた廊下、正面の上り階段までゴミなど残されてはいなかった。それどころか無駄なものはいっさいなくてすっきり見通せている。いまどき珍しい長い蛍光灯が一本、まだ現役であるらしく天井を這っている。
床材は経時劣化が進んでいるのだろう、パネルにはひび割れや欠損が所々に見られたが、手入れがされているのか捲れ上がったりズレたりしているような容子はないのだった。
玄関の土間も掃き清められたばかりのように塵ひとつ落ちていない。
「よければスリッパをどうぞ」
レイは玄関マットの上に、ホルダーにあったスリッパを揃えて置いた。
来客用のスリッパだけは最近になって用意されたものらしく外来製品の安売り店で扱っているような簡素なデザインで、まるで時が止まったかのように“昭和?”の名残を留めている屋内の古びた雰囲気にはそぐわない真新しさがあるのだった。
「おじゃまします……」
ブーツを脱いで段差のある上がり
「このままでいいの?」
操祈はオーバーコートの胸に触れながら訊いた。
「上にハンガーがあるので、そちらでおあずかりします。黒のロングコート、すごく似合ってますね。びっくりしちゃった……あんまり綺麗でかわいいから」
「ありがと……」
特別におめかしをしてきたつもりではなかったが、恋人から褒められるとやはり心が浮き立ってくる。
「先生は何を着ても似合うし、かわいいけど……どんな姿になってもボクにはみんな新鮮です……ステキだなって……」
「コラぁ、そんなこと言って先生を懐柔しようとしてもムダなんだゾっ、今日は担任教師としてあなたの将来についてしっかり問いただすために来てるんだからぁ」
「うーん、バレてるのかぁ……」
少年はいかにもポーズとわかる仕草で頭をかいた。
レイの眼差しが生徒のものではなく恋人のものになっていて、操祈は用心、用心、と自分に言い聞かせるのだった。
うっかり女の気配を漂わせようものなら、敏感な女親にならばあらぬ疑い――疑いどころかすでに実行犯になっているのだが――を抱かれかねなかったからだ。
表情を引き締めて少年の後ろに続いて階段を上っていく。
「いちおう四階建なのでエレベーターはあるんですけれど、診察フロアとの出入り用としていたので、もうずっと使っていないものですから……」
「この壁の向こう側が診察室ね?」
「そうです……」
実家がクリニックを開業していたり医療関係者だったりすると、そうした生徒の殆どは医学系のコースを志望するものだったが、レイはどうしてそうしないのだろうと不思議だった。
「失礼いたします……」
通された二階はリビングとダイニングを兼ねた細長いワンフロアの部屋で、通りに面した窓際に応接セットが置かれ、部屋の中ほどには十人掛けの大きなダイニングテーブルがあった。
ちょっと緊張していたのだが、両親と思しき人物はおろか、そこには誰も待ち受けて居なくて拍子抜けする。
「ソファでもテーブルでも、お好きな方にお掛け下さい」
操祈は促されて手近のダイニングテーブルへと足を向けた。
室内は空調が効いていて暖かく、寒空の下で老女と長話をしていて冷えた体にはありがたい。
レイは操祈に恭しく椅子を引きながら
「コートと帽子をおあずかりします……」
「ありがとう……」
「あの、まさか下はスッポンポンの素っ裸ってことはないですよね?」
「そんなことしてるはずがないでしょっ」
「なあんだ、残念――」
「もう、なに言ってるのっ」
少年は女教師に向けてぬけぬけとセクハラ発言をしてくる。それどころか受け取ったコートに顔を埋め、くんくんにおいを嗅ぎはじめてさらに操祈を困惑させるのだ。
「ちょっと、なにしてるのよぉっ」
「大好きな女の人のにおいを楽しむ権利を行使してるんですよ……すごくいいにおいがするから……操祈先生らしい、やさしいにおい……もふもふの裏地にはほんのり甘い香りのする体臭がたっぷり沁みついていて……」
「変なことしないで……そんなことしてるのを見られたら……」
セクシャルな振る舞いに操祈は目許を赧らめながら窘めた。
「ねぇご両親は……?」
「いませんよ――」
「え――!? どこかにお出かけ中?」
「ええ――」
「じゃあ、いつ戻られるの?」
「今日はもう、戻ってくることはないんじゃないかな」
少年はニンマリしていて、ドキッとする。それは彼が二人だけになった時にワルい――イケナイ――ことを考えている時の顔なのだった。
「どういうこと……?」
「まずはお掛けになってください、お話はそれからにしましょう」
「いいけど……」
「買い置き、ペットボトルのお茶ぐらいしかないんですけど、飲み物は熱いお茶でいいですか?」
少年は操祈のコートをクローゼットハンガーにかけるとキッチンに行って冷蔵庫を開きながら訊いた。
「え、ええ……おかまいなく……」
ややあって操祈の前に茶托が置かれ、レンジで加熱されたらしい暖かい緑茶が供される。
レイも操祈のすぐ隣に腰を下ろした。
「どうして……? わたし、あなたのご両親とお話がしたくて来たのよ。レイくんもそのことは伝えてくれていたんでしょ?」
「それについてはお詫びします……お忙しい先生にわざわざご足労をお掛けしてしまったのですから……」
少年はしおらしく頭を下げた。
「べつにいいんだけど……でも……」
操祈はそういうことか……と、察しのため息をひとつ。
でも、そんな嘘までつかなくてもいいのにと思うのだ。
デートをするのならそうと言っておいてもらえれば……。
しかしレイのすることだからきっと何か理由があるのに違いないと、窘める前に話を聞くことにするのだった。
「ワケを話してくれるわね……」
こうして少年は事情を説明し、言い訳めいた部分もあったが操祈は納得するしかなかった。
先まわりをすることができたのは、本数は限られているが特急を使えば十五分ほど乗車時間を短縮できるそうで、普段から電車を使い慣れているからだということだった。
「……じゃあ、三年も前からここで独り暮らしだったのぉ……?」
びっくりだった。
子供を一人残して両親だけで長期の海外出張というのはネグレクト、と受け取れなくもない。
だが家庭の事情はそれぞれだ。
男の子で、しかもとても賢明なレイのような子の場合には、親が独り暮らしが可能と判断したとしてもわからぬではなかった。
無用な気遣いを避けようとして、少年がその事実を周りに伏せていたのも理解できる。
「……ですけど必要に応じて連絡はしてるので……ただ電話だと時差があるから、殆どメールに限られますけど……先生のことも伝えてはおいたんですよ……ホラ……でも、自分のことは自分で判断して決めなさいって言うだけで……」
レイがスマホの該当メールの文面を示して、操祈は肩を竦めた。
「仕方ないわねぇ……」
「嘘をついたことは許してください……無駄足をさせてしまったことも……」
「いいわ、勘弁してあげる……私もレイくんのおうちのことが少しだけ分かったし……」
愛し合いながらも、どこか謎めいたところのある恋人のプライベートに触れられたのは良かったと思う。
「……ボク、先生におヘソを曲げられたらどうしようかと思っていたから……」
少年が顔を綻ばせて
「ホッとしたらお腹が空いてきちゃった。今日はそれが心配で心配でお昼が喉を通らなかったくらいだったんですよ」
「ウソっ、そんなことちっとも心配なんかしてなかったくせにぃ」
「でも、先生が笑顔になってくれて嬉しいな」
「ホント、しょうがない子……それで、どうするの? エントリーシートの提出期限は今夜いっぱいなんだけど、ご両親と相談できないとなると……」
「先生が決めてください、ボクの保護者代わりということで」
レイから、保護者代わり――と指名されると、嬉しいようなくすぐったいような気持ちになった。
またひとつ、二人の間の絆が深まって……。
レイくんの実の姉にでもなったみたいね、うふふっ――。
「いいわ、じゃあお姉さんとして、かわいい弟くんの将来を一緒に考えてあげる」
「はい、操祈お姉ちゃん」
「よろしいっ――」
姉として、担任の教師として、そして恋人として、最愛の人の将来をともに考えるのには心が躍る。大好きな人の人生に深く関わるのは、とても責任が重いが、自分もその担い手になれるのだとしたら素敵なことだと思うのだった。
「……あら、だってレイくんのご実家はお医者さんじゃない? 医学系のコースは入れておいてもいいんじゃない?」
「ボクは血を見るのが苦手だってお話しした筈ですよ、ぜったい無理です。骨を切ったり、ひどく損壊した重傷者を診るのなんて、できっこないし、したくないですっ」
「そういうのばかりじゃないでしょ? 医学といってもいろいろあるから……科によっては苦手なことから無縁でいられるのではなくて?」
「そりゃ、婦人科医にならよろこんでなりますけど」
「え――?!」
「ただし操祈先生だけを専門に診るって条件で。ここは譲れないなぁ……基礎から臨床まで先生のカラダは一生をかけて学ぶ価値があると思うし」
油断すると少年はすぐにおかしな方向へと話を脱線させてしまう。
「ボク、一刻を惜しんで一生懸命、勉強しますよ――」
ちょっとエッチな軽口をのせてきて操祈を困らせるのだった。
「こらぁっ」
操祈がはにかんで弱みを覗かせると、少年はさらに彼女の肉体の隅々までを知悉するものにしか言えない猥褻なことを口にして真っ赤にさせるのだ。
ワインのソムリエがするように詳細な吟味と評価がなされていると知って、
「おねがいレイくん……もう勘弁して……」
操祈はとうとう音を上げた。
伝えられたのは彼女が知らないことばかり。
少年の、自分へ向けられた愛着とこだわりには、嬉しさもあるがそれ以上にいたたまれなくなるほど恥ずかしい。
そういうことをしているのだから知られてしまっても仕方がなかったが、そんなことまで気づかれているのかと思うと、またあらためて強い羞恥に身が竦む。
「かわいいな……先生は……可愛い女の人が恥ずかしがっている姿って、なにより可愛いと思います……」
「……いじわる……ホントにイケナイ子なんだからぁ……」
「そうですね……」
少年が手を伸ばしてきて操祈の頭の上に置かれた。子供をあやすようにやさしく撫でつける。
それはベッドの中に居るときのような親密な愛撫なのだった。愛し合った後に恋人の胸の中で甘える時の。
「先生はいい子だから……」
「なぁに、その口の利きようは、先生にむかってナマイキなんだゾっ」
操祈は言葉では抗いながらも愛撫からは逃れない。
「だってしょうがないじゃないですか……ホントに可愛いんだから……こんなにカワイイ女のコ、見たことがない……」
椅子から立ち上がった少年の胸に抱き寄せられた。
「大好き……先生……」
セーターの上から胸に触れられて、瞬間、身をこわばらせたが、すぐにくすぐったくも心地のいいタッチに操祈は目を閉じた。
少年は、いきなり敏感な部分を刺戟しようというのではなくて、いつも探り探りに女の体に尋ねてくるのだった。壊れ物を扱うようにして、やさしくて恭しく、愛情を注がれているのを感じずにはいられないやり方。
きわどいところを巧みに避けたマイルドな心地よさはちょっぴり物足りないもので、操祈にもっとして欲しいと思わせてしまう。気づいた時にはいつのまにか自然に身をゆだねるような形になっているのだ。
口づけ――。
はじめは軽く唇と唇を触れ合わせるだけの、子供同士のするようなキス。
けれども操祈はそれが入り口に過ぎないことを知っている。
男と女が愛を言い訳にしてどれほど罪深い接吻をしうるものなのか、どんなに大胆な行為が可能なのかを知っている。
性の持つ狂おしい深淵そのものともいえる世界へと続く甘美な道、背徳の隘路。
それは一年以上も前のこと、ほんの戯れのつもりのキス、ちょうど今のような罪のない挨拶のキスから始まったのだった。
そこから何ヶ月もかけて一歩一歩、二人だけで積み重ねてきた経験をいまでは一晩の間に何度も通り過ぎていた。
キス……キス……キス……。
お互いさまの口づけ――というのは最初の間だけ。あとはただ一方的に愛されることになる。
彼から求められて拒めることはもうなにもないのだった。
少年は操祈が嫌がっていないことを見届けたらしく、愛撫の手を更に先へと進めてくるのだ。
セーターをスカートの中からたくし上げられて、忍ばせてきた手は易々とブラのフロントホックを外して今度は直に触れてくる。
女の肌の脆さを心得た指が、胸の周りに散りばめられた感じやすい場所を丹念になぞっていて、いつしか操祈の開かれた口もとから甘い吐息がこぼれるようになっていくのだった。
「……レイくん……」
「なんですか……?」
頭の上で落ち着いたトーンの声が尋ねていた。
操祈は童女のように瞳を大きくして恋人の顔を見あげた。自分を見つめる黒い瞳がなんてやさしい色を湛えているんだろうと胸を熱くして。
「先生、ボクの部屋に行きませんか……?」
レイは指のはらで乳房の先をくすぐるように撫でていて、刻々と迫る甘い刺戟に瞳を潤ませながら
「あなたのお部屋……?」
訊く。
「ええ、六時にはここを出ないと門限に引っかかってしまいますけど、それまでまだ一時間以上ありますから」
体を求められていて、それに応じるということはまた性愛の淵へと身を投じることを意味していた。
「でも……まだ大事なお話しは終わってないわよぉ……」
強く誘惑されながら、ギリギリ踏み堪えた。
欲望に負けて目的を取り違えたら本末転倒、元も子もない。
「それなら先生にみんなお任せします。先生がボクのためにしてくれることだから結果がどうなってもボクはかまいません……」
「……わたしがレイくんの将来を定めてしまうことになるかもしれないのよ……そんな大事なことを他人任せにするなんて……」
「先生はボクのお姉さんなんでしょ? じゃあもう他人じゃないじゃないですか……」
「だって……」
そもそも保護者と膝詰めで相談するつもりでいて、さすがに当人から丸投げされるとまでは思っていなかったので、一人の前途有為な少年の未来を自分一人が握ることの責任の重さにはたじろぐものがある。
「ボクがなりたいものを探すよりも、先生がなって欲しいと思うボクである方が正解かもしれないでしょ……そうだっ、きっとそうですよっ」
「私は……押しつけるようなことはしたくないわ……ああっ……」
椅子の背後にまわられて、両の乳房が彼の手の中に堕ちてしまった。
ゆっさりと見事な肉の果実を下から支えるようにされて、乾いた感触の
操祈はせつなげに呻いた。
「じゃあ、ボクが先生の後輩になる、というのはどうですか?」
「……レイくんが……あたしの……後輩に……? それって……」
「長点上機だと数物系はちょっと厳しいですけど……その他なら……」
「あ、レイくんっ――」
腋の下から乳房の縁をなぞって乳先にいたるまでのスイートスポット、感じるところを捉えられてゾクゾクする快感に操祈は身をのけぞらせた。
顔を上向けたところを待ちうけていたように、唇を奪われて今度はディープキスになる。彼の舌が口のなかを探るように動いて操祈の唾液を掻き出していた。
糸をひくような長く官能的な口づけの後、操祈がきつく閉じていた瞼を開いたときには瞳に情欲の炎がちらつくようになっているのだった。
「きもちいいでしょ?」
すっかり目覚めた尖りの先端をくすぐられながら訊かれる。
「うん……」
「先生の体はとっても敏感だから……」
鼻先で髪をかき分けられて、細いうなじにも唇を這わせてきた。
「いいにおい……なんていいにおいがするんだろうな……先生のカラダは……」
耳元に、彼がしたいことをはっきりと囁かれて操祈は目を閉じた。
それは彼が好むことで、淫らでとても恥ずかしいこと。
そして、今の操祈にも密かな希いともなっている……特別な呼び方をされるその愛撫……。
伏せたまぶたの長い睫毛に翳が濃くなる。白い目許を薄紅色に染めて、愁いのある美貌は端正な清潔感がある分、いっそう官能的に映えているようだった。
「ボク、いちばん大好きな先生のいちばん大好きなにおいが欲しい……いいでしょ?」
彼の本気を感じてもう逃れられないと覚悟をするしかなかった。
操祈は仕方なくこっくりする。
「いいわ……」
「良かった……先生はボクに、いつもこの大切な体をまかせてくれる……だからボクも先生に全てお任せします……これならお互いさまになりませんか?」
レイ一流の詭弁を弄されて、操祈はつぶらな目をぱっちり開いて、恋人になった教え子の顔を見つめた。思いをのせてそうしたのは教師としての最後の矜持だったのかもしれない。
この後、女になった自分にはきっとかける言葉など見つからなくなってしまう。
愛しか見えなくなって……。
視線が交わり、二人の気持ちが言葉にもまさる密度で行き来していた。
やがて少年が大人びた微笑みを泛べて、操祈も胸の裡が相手に届いたのだと感じることができたのだった。
椅子から立ち上がると、今度は自分から顔を寄せて唇を合わせた。恋人同士の口づけ、愛し合うことを決意した女のキスを。
「好きよ……レイくん……大好き……愛してるわ……」