ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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121話 操と祈りと初恋と III

 時が迫っていても別れがたくて、腕を絡め肌と肌とを接して片時も離れまいとするようにして部屋の外へと出た。

 暖房の効いていない廊下はぐっと冷え込んでいて

「きゃっ、寒いっ――」

「大丈夫ですか?」

 少年の腕に力がこめられて強く抱き寄せられる。膂力(りょりょく)の逞しさに改めてレイに大人の男性を意識させられていた。

「うん、平気……」

 

 巡り逢って二年あまり――。

 児童のようだった子が生徒になって、いま一人の男になろうとしていた。対等のパートナーであるとともに雄として、か弱い性への庇護者であろうとしてくれている。

 それを嬉しく、頼もしく感じてしまうのは以前の自分、少女の頃にはなかった感情だった。

 肌を許したことからくる心の変容に途惑いながらも、女であることをいちばん面白く思っていたのは他ならぬ操祈本人だったのかもしれない。

 強い力を失ってからの彼女は他人に対して心を閉ざすことでしか身を保つこと、守る術を持たなかったからだ。

 自分に近づこうとするものを峻拒するよそよそしさは、きっとレベル5であったとき以上だったのだろう、数学を専攻したのも自身に適性があるかどうかではなく単に抽象の世界の居心地が良かったからだった。

 数学は鉛筆と紙さえあればどこに居たとしても、一瞬で自分の世界に没入することができた。

 孤独は少しも苦にならない、むしろ幸い。

 私をほっといて、ひとりにしてっ――。

 みごとなまでのブロンドの髪をした絶世の美女の放つ接近禁止オーラ、盤石のアイアンドームをかいくぐれるものなど、ごくわずかな例外――ダブルジュンコ――を除いては殆どいなかった。

 それが教師となって子供達の指導をするようになり、そしてレイと心を通わせるようになってからは長い冬の季節を終えて雪溶けとなり、待ち焦がれた開花の時を迎えたように心と体を惜しみなく開いている。

 同時に彼女を見る周囲の眼差しも大きく変化していたようである。

 表情から険がとれ、身にまとっていた棘をすっかり払い落とした食峰操祈は、これが彼女の本当の姿だったのかと人々を驚嘆させるものだったからだ。

 大きな瞳の愛くるしい顔立ちの美貌、優しげな性格をうかがわせる曇りのない明朗な笑顔、それが時に愁いの影が差すと神秘的な雰囲気を纏うようになって彼女をさらに特別な存在にしていた。

 人々の間で彼女が学園都市の女神――と、囁かれるようになるまでにはさほどの時間はかからなかったのだった。

 ただ、本人にはその自覚が乏しかったのだが――。

 

 

「姉の寝室にシャワーがあるので、そっちを使いましょう。このまま裸で三階に下りていくのはさすがにきついですから」

「ええ、そうね……」

 たしか隣は妹の部屋だと言われていたようにも思ったが、“シスター”を言い間違えることもあるのかもしれないと、その時の操祈は特に気にも留めずにいたのだった。

 妹の居室は彼の書斎――よりも遥かに広く、部屋の奥にシングルベッドがゆったりと据えられている。

 マンションの一室のようにバスとトイレ、キッチンまでが設えられているばかりか、ウォークインのクローゼットやドレッシングルームまでも備えた立派なものだった。

 またレイの部屋とは違ってカラーリングはやはり女の子の部屋らしくパステル調で統一されている。

「ここのトイレとシャワーは姉からは使用厳禁を申し渡されているんですけど、今は使っちゃってます。ボクが掃除をやってるんですから、そのくらいは良いだろうって」

「あら、お姉さんも居るの?」

「あ、いえ妹です――」

 少年はちょっと複雑な表情になっていた。

「こっちのはバスタブがないので、ゆっくり温まるには三階の方に行かないとなりませんが、お湯を張るのもめんどくさくて……ボクは真冬でもこっちばっかり使ってるんです」

 脱衣所の扉を開けて操祈を中へと導いた。

 浴室は一人用のシャワーブースで、二人だとちょっと狭苦しい。

「先生は髪を濡らさないように持ち上げていて下さいね」

 レイから言われて操祈は仕方なくそうするが、両手を頭の上に、髪をおさえて全身を無防備にさらす形になるのだった。

「シャワーキャップがあればいいんだけど……体ぐらい自分で洗えるわよ……」

「ありますけど、でもボクがしたいから……」

 少年は彼女の体に温かい湯をかけながら、慣れた容子で肌に触れてくる。

 このところは愛し合った後、彼女の体を洗うのも彼のオシゴト――あるいは少年にとっては夫権の行使のつもりなのかもしれない――になっていた。

「でも時間に余裕がないのはレイくんの方でしょ?」

「ボクはいいんです、こっちはすぐに済みますから――」

「わたしだって自分でやればすぐに済むわ」

「ダメですよ、ちゃんと洗わないと。汚れというのは汚した側の方がよく判ってるものなので」

「………」

「それにボクは全然、汚れてなんかいませんから。本当はせっかくの先生のにおいを洗い流したくなんかないんだけどな」

「もう、すぐバカ言うんだから……」

「でも他の人にキミのステキなにおいを知られるのは嫌だから、顔はしっかり洗いますけどね」

 エロティックな仄めかしをしながら、いきなり開いていた腋の下をペロッと舐められて、操祈は「ひっ――」と小さな悲鳴を発して腕を閉じようとする。だが髪を濡らすわけにもいかずに

「やめてレイくん」

 言葉で抗議することしかできないのだった。

「こんなにきれいな体を汚してしまったのはボクの所為ですから、ちゃんと責任とらないと。でもイヤイヤやってるわけじゃないですから誤解しないでくださいね」

 軽口をたたきながらも手はこまめに動かしていて、女のプライバシーにも自由に立ち入ってくる。

 それが自分自身でするよりも、さらに柔らかくて丹念なので、くすぐったさに甘啼きをしながら胸の裡もまたモヤついてしまうのだった。

 まるで精巧なガラス細工にでも触れるようなデリケートなボディタッチは閨での愛撫そのもの。

「……それに先生は肌もとてもきれいだから、洗うのもすごく楽しいんです……手に吸いつくようにしっとりもちもちで、まるで赤ちゃんの肌みたい……」

 女体への崇敬の念を隠さずに愛情たっぷりのお触り、ボディソープのヌルヌル感がいつぞやの生クリームを使ったプレイを思い出させて、いけないとは思っていても少年の指の中で乳先を目覚めさせてしまう。

「開いて、先生……」

 下腹部のくさむらの中を指先でくすぐるようになぞり洗いをしていた手が、さらに奥を求めて促していた。

 操祈が膝の間をわずかに緩めると、スルリと手が差し入れられてきて、デリケートゾーンがすっぽり包まれてしまう。

「……ああ、レイくん……」

 大切なところを委ねて息遣いは自然に甘えの熱を帯びるようになっていた。

「大丈夫です、ここには石鹸を使いませんから心配しないでください……」

 自分なら汚らわしいものを扱う感じで、いくぶんぞんざいにシャワーの湯を浴びせかけてしまうところを、少年はけしてそのようにはせずに、手のひらに湯をためてパタパタと軽く叩き洗いをするのだった。いちばん敏感な部分にはとりわけ繊細なタッチで撫でられて、それはもうほとんど愛撫と変わらないのだ。ベッドの中でするのと違うのは、さらに踏み込んではこないこと。

 だから彼の優しさが肌にしみる。

 愛されている、大切にされているというのをはっきり感じるから、いつでも女は安心して身をまかせることができるのだった。

 それ以上に、もっと触れて欲しいとさえ思ってしまう。もっともっと可愛がって欲しい、やさしくして欲しい、と。

 褥での操祈がどんどん大胆に振る舞うようになっていったのには、そんな女の本音を心得た少年の狡智と企みとがあった。

 彼女の体を開発するのに少年は信じられないくらい辛抱強く、時間と手間を惜しまなかったのだ。

 デートの度にハードルを僅かずつ上げていき、初心(うぶ)な操祈が、さすがにそれは、と躊躇うとその都度、彼女をほんの少しだけ欲求不満にさせて、最後には女の側に決意を促すようなやり方をされていた。

 これぐらいなら……。

 あとちょっとのことだから……。

 操祈に自らそう思わせる、受け容れるための理由をチラつかされて、巧みに誘導されて、そして気がついたときには普通の女のコならけっしてしないようなことまで、今ではするようになってしまっている。

 なんてひどい子――。

 いい子だと思っていたのに……。

 ひとりになってから、自身が犯してしまった過ちに気づいて羞恥と悔いに身を揉むが、それすらひとしきりの発作のようなもので、時が経つとやっぱり次のデートの日を心待ちにするようになっていた。

 それの繰り返し。

 少年が、いい子などではなくて、自分にとってのたった一人の“良いひと――”になって、

 これでいいのだ、よかったのだ、との納得感が操祈の心を満たしている。

 でも、世の中に居る普通の恋人たちは、はたして自分たちのようなことをしているのだろうかと不安になることも少なからずあるのだ。

 少年の女の体へ向けてくる愛着は嬉しくても、時に常軌を逸しているのではないかと感じてしまうこともしばしばだったからだ。

 いつか、もっと酷いことまで求められたらどうしよう――。

 実際、既に彼からはそんなことも仄めかされている。

 それは女が絶対に他人には見られたくない姿なのだった。 

「ひっ――」

 男の手が彼女のあいせつな凹みにまで指を伸ばしてきて、思わず喉を鳴らしてしまった。身を守ろうとする防御反射に腰をキュンと引いて逃れようとしていた。

 いま少年の手は背後からお尻の谷間をやんわりと広げようとしていて、そこに指をしっかり当ててきて洗おうとしているのだ。

 こちらにはボディーソープの泡をたっぷりとのせられていて、ふわふわの中から現れた陵辱者の指が彼女の体に問いかけるようにヌルヌルと円を描いて(さす)っている。

 何度経験していても悩ましいくすぐったさに、声を切なげにして

「そこは……」

 慈悲をうったえた。

「大丈夫ですよ……痛くしませんから……だから、楽にしていてください……」

「だって……」

 瞼を伏せて目を細くして、恋人の顔に哀切な濡れた眼差しを送って、黒瞳のつくるやさしい視線と重なると、操祈も仕方なく口許だけの微笑みを返してしまう。

 それは諦めと同意のないまぜになったもの。

「可愛いな……キミはどこまでも……可愛いな……」

「あ……そんなことっ……」

 拒む間も与えられずに指先を受け容れさせられて、体を緊張させながら肩を竦めて項垂れた。

「大丈夫、先生のはとてもきれいで清潔だから……すぐに済みますよ……」

「………」

 今、彼の指が周りを丹念につまみ洗いをしていて、長い産毛があることを意識させられていた。

 自分でも知らなかったことまで、もう少年には知り尽くされてしまっている。

 本人よりも女の体のことをよく心得ている人……。

 愛し合うたびにそこにも熱烈な口づけをされているのだから無理からぬことだった。

 初めての時はとても驚いて、恥ずかしさと恐ろしさとで嵐が去るのを待つような気持ちになって身を固くしていたが、それすら是非もなく愛撫のメニューに加えられた今は嫌悪感や敗北感よりも、ゆっくりと受容の心境へと置き換わりつつあるのだった。

 他人には言えないようなことができるのも、愛している証だから――。

 そう思うことで納得させている。

 女にとって最愛の恋人との間で働く恥ずかしいという感情は、愛を知った心の悲鳴なのかもしれなかった。

 だから他の誰にもできないことを彼にだけは許してしまう。

 これからも……きっと……。

 デリケートゾーンへの仕上げの注ぎ洗いをしている少年の、そのちょっとクセのある黒い髪を見おろして、

「レイくんはやさしいね……いつも……」

 感謝の言葉をなげかけた。

 レイとのセックスがいつでもひとえに彼女を可愛がるためにいとなまれていることを、操祈は肌身を通して良く判かっているのだ。

 いろんなことをして慰めようとしてくれる、愛しくてとっても悪い男の子――。

 男の指がどれほど無慈悲になれるものなのか、くちづけというものがただ唇を重ねるだけでないことを、さらにどんなに大胆なことが可能なのか、それが女にとってどれほど甘美な経験となるものかを、ありとあらゆることをして彼女の体に教えてくれたセックスの導き手、ちっちゃい悪魔。

 でも、神さまみたいにやさしい――。

「だって、こんなに繊細できれいな体を傷めたらかわいそうだから……」

 屈んで熱心に取り組んでいた少年が、憧れに瞳を輝かせて見上げていた。

「指だと、うっかりすると刺戟が強すぎてしまいそうで……やっぱりお口でしたいな……」

 少年は操祈を誘うようにまた舌を長く伸ばしてみせる。その心地よさを知っている体がすぐに反応して甘く疼いてしまうのだ。

 操祈は無言の同意で瞳を潤ませていた。

「先生との時間が、いくらでもあったらいいのに……」

 言いながら、洗ったばかりのところにまた顔を寄せてくる。

 スリルを覚えながら見守っていた操祈は、すぐに彼がそれをしやすくなるようにさらに優雅に脚を開いていくのだった。

 

            ◇            ◇

 

 恋人から託された鍵を使って裏口のドアの施錠をし、駅前のパーキングから建物正面玄関前にまで呼び寄せていたレンタカーに乗り込んだとき、時刻はすでに六時をかなり回っていた。

 レンタルしていた軽自動車は車重が三百キロにも満たない小型の電気自動車ではあったが、一応2シーターで、レイにも同乗の希望を尋ねたのだが、さすがにそれはリスキーだというので辞退されて結局、帰り道も一人旅となっている。

 シートに身をあずけ、下町の住宅街をゆっくりと車を滑らせながら全ての窓をプライバシーモードにすると行き先を告げた。

 搭載されたAIが女声で、

#首都高中央線、及び中央自動車道は渋滞により七時過ぎごろまで五十キロ以下の速度制限となるため、到着予定時刻は午後七時五十分前後になりますがよろしいですか?#

 学校には八時前にはどうしても戻りたかったので、誤差を考えるとちょっと心もとない感じだった。

「もう少し早く着ける方法はないかしら――?」

#東京横断バイパスを使うと早く到着できる可能性が高くなります。第二府中インターから甲州新道、八王子バイパスへ抜けるルートで、距離的には二割ほど遠回りすることになりますが、七時半ごろには到着できるでしょう#

「それでいいわ、そちらにしてちょうだい」

 操祈は指示をすると冠っていた黒のフェイクファーの帽子を脇に置き、ヘッドレストに頭を凭せて目を閉じた。

 ファーカラーから覗く喉もとがさらに白く眩しい。

 細い顎のラインのはかなげな柔らかさは未だ幼さを残してひっそりとした神秘を宿しているよう。

 デートの度に、彼女の体のなりたちを知り尽くした男が繰り出す一途で愛情豊かなプレイに、身をまもる備えのすべて奪われて、あらゆる凹みも襞の間もくまなくねぶり尽くされているのだとは思えない清潔感のある美貌だった。

 長い睫毛に縁取られた大きな瞳の愛くるしい顔立ちは、セックスとは無縁の無垢な輝きを留めている。

 けれども口許を緩めて、ルージュを結んでいない清楚な唇から、フーッと、大きなため息をつくと、たちまち愁が兆して悩ましげな表情になっていくのだった。

 ブロンドの前髪の影が深く落ちて、清らな少女のようだった顔にそこはかとなく大人の女の夜の香りが立ち上りはじめる。

 それも無理からぬことだった。

 レイとは、ほんの十数分前に浴室で別れたばかりだったのだ。

 もうひとつの唇に惜別の思いのこもったキスをたっぷり贈りつけて、心と体に消えようのない恋の炎を灯して去っていったあの子。

「……困ったな……もう、どうしてくれるのよぉ……」

 そちらの方に少しでも気持ちが向かうと、浸出液の薄膜ができたばかりの生傷が、息を吐きかけるほどの僅かな刺激でも疼くように、また女の部分が甘く、(あや)しくほどけてしまいそうになるのだ。

 恋を知って、すっかりしどけなくされてしまった体――。

 そんな操祈の生理を熟知している恋人は、彼女のために生理用品まで用意してくれていた。

 わざわざ一番大きなサイズのものが脱衣籠の中に残してあって、それは今、どんなに粗相をしても大丈夫なようにフワフワが彼女のデリケートな部分をすっぽりと覆うようにして包んでいる。

 くやしいな……。

 自身の体の機微について、本人以上に通じている男の子。

「あたしはきみの先生なんだゾ――」

 操祈は口角をキュッとさせるが、

「……でも、レイくんにとって、プライベートのわたしはもう一人の女でしかないのよね……」

 ひとりごちて伏せた瞼に懊悩の翳が濃い、それなのに口許にはアルカイックな微笑みが泛んでいる。

 目を閉じると脳裏に、いままで二人で描いてきた数々の愛の物語が蘇ってくるのだ。

 初めは戯れのキスからだった。

 小さな男の子、可愛らしい男の子、酷いことをして彼の心を傷つけてしまってはいけない、そう気をつけながらも受け容れてしまった口づけ。

 賢くて、ナイーブそうで、無垢で、心のやさしい男の子――。

 そう思っていたのに……。

 その彼が、自分に本当の気持ちを向けていることに気がついたときの驚きと困惑。

 けれど彼と共にする時間を重ねるほど、教師としての後ろめたさはあっても気持ちがどんどん傾いていってしまった。

 まるで身内のように気のおけない相手に対する親しみが、実は女の本心を(つくろ)う隠れ蓑ではなかったのかと疑うようになってからは、そういう関係になるのはむしろ自然なことだったのだと今では思う。

 そして肌と肌とを接するようになって、常に彼の方がこちらを気遣ってくれているのが判って……。

 初めから、お姉さんぶる必要なんて少しもなかったのだった。

 愛情を注がれて、可愛がられて……。

 

 

「可愛い人――」

 

 

 今日は彼から、幾度となく甘い言葉を囁きかけられていた。

 愛する人から、可愛い、と言われて嬉しくない女はいない。それがたとえ七つも年下のミドルティーンの教え子からであっても。

 教師としての体裁や、中学男子生徒との淫行に大人の女としての罪の意識を抱くべきだと思いつつ、やっぱり胸が踊ってしまう。

 そして言葉通りに、それ以上に丹念に、それはそれは大切にかわいがってくれたのだ。

 心も体も甘くとろけて、全身がたっぷりの熱い蜜のようにされてしまった。

「……あたし、また男の子とセックス……しちゃった……うふっ」

 セックスをした――というのは正確ではなくて、ちょっと見栄をはって背伸びをしている自覚はあった。

 操祈はまだ本当の意味で大人の女にはなりきれていないのだから。

 今日も寸前にまでいっていながら、彼は頑なにそれ以上を望まなかったのだ。

 正しくは、ペッティングをされた、身体中を隅々まで愛撫された、ということ。

 今もなお、互いの体を一つにするまでの長い、とても長い前戯の最中にいるよう。

 レイはそれを、祈り――と、言ったりもするのだが、その物言いをズルいなと思いながら、でも行為を表す直接の言葉の方は女の口からは触りを感じてもっと言いにくいものでもあるのだった。

 そんな普通のセックスよりもためらうことをデートの度に、時間をかけられてたっぷり経験してしまっている。

 恥ずかしいけど嬉しくて、悔しいのに幸せな、とてもステキな気持ちのいいこと。

 熟練したレズビアンのカップルたちならばきっとその良さを知っているのだろう、けれども同性同士とちがって相手が男の子というのは、本当にいけないことをしてしまっているのだと思う。

 それなのに求められたら、もう拒めない。

 あの甘美さを経験した体は、彼から背中をほんの少し押されただけで、すぐに前のめりになってしまうのだ。

 身持ちのいい女であれば、許してはいけないことなのに、とてもイヤらしいことのハズなのに、二人の間ではそうではなくなっているのだった。

 ほんの数ヶ月前までの自分なら、そのことを耳にしただけで卒倒してしまいそうなくらい恥ずかしくて、それが我が身に起こるなんて想像もできない、したくないことだった。

 自分にはありえない、無縁だからと信じていたことがレイとのデートでは、いつしかあたりまえになっている。

「……先生はどんなときもすごく綺麗でカワイイけど、でもボクの愛撫に歓びを感じてくれている時のキミの姿ほど美しいものはないと思うな……ボクだけがいちばん可愛いキミを知ってるだなんて、それがどんなに嬉しいことか……だからボクはもっともっと、キミをかわいがりたくなる……」

 その日、レイはそうしたことを何度も口にして励ましてくれたのだった。淫らな口づけの最中にも感動で胸が熱くなることを言われて、瞳から溢れた涙は歓びをさらに尊いものへと変えてくれていた。

 どんなに焦らされても、いじわるをされても、最後には必ず思いを遂げさせてくれる。そのことがわかっているから何をされても堪えられるのだった。

「……だってあの子、いじわるなことばっかりするんだもん――」

 ひとりごちて、また頬を紅く染めていた。

 車窓からの眺めは住宅街を抜け、開けた湾岸エリアへと変わっている。

 メガフロートの上に作られた人造都市の幾つかは、規模こそ違え学園都市を模しているのだとも言われていた。

 さらに国と都は今後十年余をかけて、総額千五百兆円を超える空前の予算規模の大規模再開発を推し進めるつもりであるという。

 東京湾ミレニアムシティプロジェクト――。

 一帯は、莫大な予算と膨大な資源を注ぎ込んでの、日本の国運を賭けた巨大な挑戦のまさに最前線だった。

 次に操祈がここに来るときはさらに景観が変わっていて、普通ならその変貌の大胆さに目を盱っているのに違いなかったのだが、いまの彼女の目に映るのは無機的な抽象パターンでしかなく、心を占めているのはただ恋人と過ごした時のことばかりだった。

「あんな酷いことして……あたしを虐めて……きらいよ……だいっきらい……」

 思い出すと恥ずかしさと口惜しさとで体が熱く火照ってしまう。

 

 

 

「先生はボクからお祈りされるの、好き? ク○ニリングスやア○リングスはお好きですか? ステキに巨きなオッパイだけじゃなくて、腋の下やお臍をペロペロされるのは?」

 体をさんざん弄ばれた後に、わざと直接的な言葉を交えて訊かれたのだ。

 きらい――。

 だなんて言えるはずがないのに、そのことを良く知っているはずなのに……。

 応えられずに黙っていると、

「ボクは大好きです。でもそう思うのはキミにだけですけど……」

 言いながら少年は、脱ぎ捨てられて床に落ちたままになっていた彼女の肌着を手にとると目の前でにおいを嗅いで見せて、その唐突な行動に、操祈が一瞬、と胸を衝かれて凝固まっていると、

「キミのは、なんていいにおいがするんだろうね」

 露骨なものいいをして、激しく赤面させるのだった。

「やめてっ、へんなことするのはっ、返してっ」

 自身の羞恥の極みを奪われて焦る女が、必死に取り返そうとするのを巧みに(かわ)して、

「これ、またボクにくださいな」

 実に愉しげにしている。

「だめっ、もうあげないわっ」

「どうしてですか? だってボクはキミのにおいを知ってるのに、今になって直に嗅ぐのは良くても間接的なのはダメって、なぜですか?」

「そんなこと知らないっ! だって、だって、ダメなものはダメなのぉっ!」

 ひとたび身から離れた肌着に感じる疎ましさは、汚穢だと感じてしまうからだ。けれどもたとえわかっていても、それを女の口から言えるはずもなかった。

「ちゃんと納得できる説明ができたら返してあげますよ」

 当然、聡明なレイはそんな操祈の心の動きを心得ているのに違いない。判っていてするのだから余計にタチが悪かった。

「返してよ、レイくんっ」

 彼が背中に隠した肌着に手を伸ばすと、いっそう肌と肌とが密着してもみ合いになり、仲良くじゃれているような具合になってしまう。そのままギュッと抱きすくめられて、やさしい愛撫を背に受けて、操祈は抱かれたままでいる方を選ぶことしかできなくなってしまうのだった。

「これもさっきのコレクションに加えさせてください」

 恥じらいのパニックをやり過ごして、おとなしくなった操祈の耳許に囁きかけてくる。

「……ずるいわ……こうやっていつもうやむやにするんだから……女の子は可愛がればなんでも言うことを聞くようになるなんて思っていたら、おおまちがいなんだゾっ……」

 言葉では抗ってみせても、結局、また彼の言うままに絡め取られてしまっていた。諦めの念の方が大きくなって拗ねて甘える。

 すると今度は、

「嗅いでごらん――」

 いきなり裏返しにされたクロッチの部分を鼻先に近づけてきて、

「これがボクのいちばん好きなにおいですよ」

 と、またエロチックなからかいを仕掛けられてしまった。

「やだっ――!」

 女の身としては、その饐えた生臭い異臭を感じるともういたたまれない。

「ね、ステキでしょ?」

「やめてっ!」

 耳まで真っ赤にして枕に顔を伏せて逃れた。

「ひどいっ……」

「ひどいっていうのはキミ自身のにおいのことですか?」

「いじわるしないでよぉ……」

 顔を枕に押し付けたまま、くぐもった声で非礼をなじった。

「でも違いますよ……先生にとっては汚れ物かもしれないけど……ボクにとっては何よりステキな美しい香りのするものだから……」

 美しいですって! そんなはずないのにっ――!

 おんなの醜さは嫌でも自覚している。

「だって、この世でいちばん美しい女の人の、いちばんのひみつのにおいだから……尊い命の香り、気貴い魂のにおい……」

「……バカ……レイくんのバカ……エッチ……変態……」

 少年は伏せた操祈の頭を撫でながら、みだれ髪を整えて顔の半分を表にすると、辱めに恨みの色を浮かべた瞳が見つめる前で、肌着の股ぐりの部分に賛美のキスを落として見せるのだった。

 騎士が淑女の手の甲に恭順の口づけを贈って誠意を示すときのように。

「愛してます……」

「……わかってるわよ……そんなことしなくても……いじわるばっかりして、憎らしい……」

 照れ隠しに、つい拗ねた物言いになってしまう。

 けれども少年が肌着の匂いを嗅いで恍惚とした表情をみせると、たちまち心が折れてしまうのだった。

「……ほんとうにキミのはなんていいにおいがするんだろうな……大好き……ボクのいちばん大好きなにおい……」

「言わないで……レイくん……」

「クンニ◯ングスはね、とてもステキな特別な愛撫なんですよ。女のコにとっても特別なことなのかもしれないですけれど、男にとってはそれ以上に特別なこと……だって、ボクは先生にしかそれをしたいと思わないから……」

 そんなの……わたしだってそうよ――。

 操祈は思う。

 好きになった人だから許せることで、あんなに恥ずかしいことができるのはその人のことを愛しているがゆえだ。

 そんなふうに思わなければ心が壊れてしまいそう、それくらい女にとってショックなこと。

 自分のプライベートのなにもかもを失ってしまうのと同じことだった。

 だから、この子にだけ、レイくんにだけ……そう信じることで堪えてきたのだ。

 今はただ堪えているばかりではないことは認めても……。

「きっと先生も同じ気持ちだってことはわかってるつもりですけど……でも、男の場合はもっと複雑で……他の人にはしたくないことでも、大好きな憧れの人にするときだけはこの上ない歓びの経験になるんです……女のコにとってはきっと肉体的な感覚がめざましい筈ですけど、男にとっては何より精神的で、心の満たされ感が大きいものだから……」

 迂遠な言い回しだが何のことかは判っていた。それもまた女の方からは口にしにくい理由。

「だからボクは先生に初めて逢ったとき、こんなにステキな女のひとが居ることが信じられなくて……キミにだけはそれをしたいって強く思うようになったんです……他の誰でもない先生にだけはしたいなって……」

「………」

 少年からこのことを以前に打ち明けられたときには、わずか十二歳の男の子が教壇に立つ教師に対してよもやそのような邪なことを想っているとはと、とても驚いたものだったが彼ならそれも頷けるのだ。

 幼く見えても裡に宿した情熱は女が全身で命をかけて愛せる、たった一人の男性のもの。

「先生はどこまでも特別なんです……ボクにとってのただ一人の女の人……この世でいちばん美しい女神さまだから……だから初めてのとき、先生の長い両脚を腕に抱いて肩に担いだ時、そのリアルな重みを感じてどんなに嬉しかったか……ひどい辱めに(おのの)いているキミの気持ちをよそに、ボクだけは天にも昇るように幸せだった……」

 そのとき操祈の方は、温順(おとな)しい良い子だと思っていた彼の思いがけない行動に驚いて、レイにも自分の身にも取り返しのつかないことが起きる前に止めさせなければと、激しい羞恥を感じながらなんとかして逃れる理由を探していたのだ。

 思春期にある男の子が女体に興味を持つのは自然なことだとしても、さすがにそうしたことは許されないことだと思っていたのだった。

「……びっくりしたのはほんの一瞬のことで、そのあとはもう愛おしくて、これが先生のにおいなんだって思うと頭がおかしくなりそうになくらい嬉しくて……」

 彼女の記憶では彼の本気の愛撫を経験して、女の歓びを教えられたのはさらにデートを重ねた後のことだった。

「あの時は先生を泣かせちゃったから……ごめんなさい……」

「……泣いてなんかいないわよぉ……」

 強がるが、事実、どうしていいかわからなくなって心を乱してしまっていた。するとそれまで余裕を見せていた少年がオロオロ慌てだしたのを間近にして、急に可笑しくなったのを思い出していた。

「そうですね、本当に啼かせちゃったのは、もっと後でしたね。最初は許して貰えなかったから……」

 許さなかったのではなくて求められなかったからだった。だから逆に不安になってしまったのだ。

 自分が純真な男の子を幻滅させたのではないかと恐れて。

 ところがそうではなかったらしい。

 全ては彼の企て、プラン通りの経過を辿っていただけだった。

 時間はいくらでもあるのだから慌てる必要なんかない、先生のペースに合わせて少しずつ慣れてもらえればいい――そんなことを考えていたのだという。

 それを今頃になって打ち明けられて、驚く以上に唖然として脱力していた。

「だって、いきなりじゃ先生の方にも心の準備ができないし、だから最初は次へとつながる期待の種をキミの心と体に蒔くことができればいいかなって思っていたから」

「そんな……そうだったの……?」

 大した女たらしっぷりだった。

「だって、だいじな人だから……」

「もう、悪い子なんだから……いい子だと思っていたのに、ずっとダマしていたのね、あたしを」

「ええ――」

 少年はしれっとして微笑む。

「呆れた――」

 操祈はおどけて頬を膨らませてみせた。

 ピロートークの常で、すぐにまた和やかな雰囲気になってしまっている。

 肌と肌とを接していると、本当に腹を立てたり怒ったりするのがとても難しいのだった。

「ねぇ見て、先生」

「なぁに」

 少年はごろんと身を返して仰向けになると

「ボクは初めての時から、先生のだいじなところのにおいが大好きなんです」

 少年はまた手にした肌着のにおいを嗅いで、腰のものをまた一段とそそり勃たせてみせた。

「もう、バカなことやってないでよぉ……」

 強い羞恥と胸をうつ感動とがないまぜになって、また心と体がモヤモヤしてくる。

「じゃあ、この続きは直にしましょうか?」

「イヤ……」

 操祈は首を振った。小さな女の子がするように肩を頑なにして。

「もうイヤよ……しないわ……」

「ほうら、先生の方がよっぽどいじわるじゃないですか……ボクがいちばん好きなことをさせてくれないんだもん」

 とんでもない開き直り、言いがかりだった。

「あなたのいちばん好きなことって……」

 少年の露骨な言いようには、なんと返したらいいものかさすがに途方にくれてしまうのだ。

「そうに決まってるじゃないですか、だって、こんなにカワイイ女の子のなんだもん」

「ホントに変な子ね……レイくんは……」

「少しも変なんかじゃないですよ、これが健康な普通の男の感じ方ですから。でも先生のにおいはボクだけのもの……」

 その上、どこをどのようにするのが好きなのかを、さらに具体的に、散文的な感想を交えながら言葉にして操祈を困惑させている。

「この肌着よりもずっと濃いにおいがするときもあって、そんなときは嬉しくて、どうしてこんなにステキな香りがするんだろうって謎を解き明かしたくなって……もっともっとって気持ちになるんです……」

 女にとっては耳を塞ぎたくなるような聞くに堪えないことの連続。

 でも彼の心からの思いが告げられているのだと判るのだった。

「もう堪忍して……」

 音を上げて降参するのは、やっぱりここでも操祈の方だった。

「じゃあ、続きをさせて下さいね」

「続き……?」

「ええ、今度は先生が上になってください」

 思いのたけを訴えられて、切々と説かれて、拒めるはずもなかった。

 少年は仰向けのまま唇の間から舌先をチロチロと覗かせて誘っている。

「跨ぐのではなくて片膝を立てるようにすると腰の位置を自由に調整できると思いますよ――」

「………」

「先生が腰を使って、自分から愉しむようにしてくれますか? ボクは顔を動かしませんから」

 結局、最後には少年が思いを貫いて、ノーマルな体位でするのよりもずっと濃いプレイになるのを同意させられてしまっていた。

 完璧といってもいい造形の女体が、人には見せられない姿になって演じる愛の痴態。

 常の彼女を知るものが見たら、きっと目を疑うに違いない。

 けれども歓びもあらわに蜜を求める少年との間には、俗的な肉のいとなみを超えて、女神が人の子に対して情をかけているときのような、神秘なる聖餐の儀式のような厳かな気配がたちこめている。

 少年の思いが女の密やかな谷間を探っていて、操祈も好ましい場所にあたるように自ら腰を動かしていた。

 いい……気持ち……。

 体がとけちゃいそう……。

 こんなにひどいことをしているのに、あたしが女神? この世でいちばん美しい女ですって――?!

 そんなはずないのに――。

 この子にはそう見えるのかな……。

 私はごくごく普通の女よ……せいぜい十人並み、どこといって非凡なところがあるわけでもないわ……。

 かつては(たの)みにしていた自慢の能力だって、今やすっかり無くしてしまって、ろくな取り柄もなく、セールスポイントだってあるんだかどうだかあやしいものだった。

 操祈はそう思って屈折するが、彼女には自身の美貌への自覚が乏しく、自己への評価が辛口になる傾向が多分にあるのだった。

 それは巨大な能力を得て、そして喪うという、単にアップダウンというには留まらない振り切れた尋常ではない思春期を過ごしたからなのか、それとも生来の控えめな性格によるものなのかはわからない。

 男子生徒の多くから関心を寄せられていることについても、自分のどこかに教師としてあるまじき隙でもあるのではないかと考えてしまいがちになる。

 すっかり仲のいい女友達の一人になった舘野唯香からは、しばしば感覚の偏りを指摘されているのだが今もスッキリと胸に落ちているわけではなかったのだった。

 恋は盲目、痘痕(あばた)(えくぼ)というから――。

 納得できるとしたら、そのあたりまで。

 でも、レイくんのまわりには唯香ちゃんをはじめ、同世代の魅力的な美少女たちがあんなにたくさんいるのに、どうして教師のわたしなんかに……。

 こんな年上の女に興味の矛先が向かうのは、長らく母親と別れて暮らすことで本能的に母性を求めているからかな……?

 そう考えると、少し解るような気がしないでもなかった。

 だけど、あたし、レイくんのお母さんにはなれないわよ……お料理だってレイくんに敵わないしぃ……。

 翻って、自身がレイを恋するのは何故だろうと考えてみた。すると、しまった、と思うよりも先に、答えがすぐに像を結んでしまうのだった。

 

 そんなのセックスがしたいから、可愛がられたいからにキマってるでしょぉ、アバズレさんっ――。

 

 インナーセルフだかハイアーセルフだかのもう一人の自分が少女の頃の姿になって現れると、棘のある軽侮を含んだ声で言い放った。

 ちがうわ――!

 と、言い返したかったが、独り寝の夜には彼が恋しくて、体が夜啼きするようになっているのも事実なのだ。

 

 だって、恋をすればセックスをしたいと思うのは、普通のことでしょ……?

 

 あはっ、やっと本音が飛び出したわねぇ、じゃあ、あの子ともセックスがしたかったのよねぇ――?

 

 あの子とも……?

 

 何といったかしらぁ、あの男の子ぉ、ほら、ちょうどあなたが今の彼ぐらいの年だった頃の話よぉ――。

 

 内なる自分の言葉に、操祈は自身の初恋を思い出していた。

 今ではそのころ気になっていた相手の男の子の名前さえもすぐには思い出せないくらい、遠い昔のこと、自分が恥知らずな能力者だった時分の話。たしか、ちょうど今のレイと同い年か、ちょっと上ぐらいの少年だった筈。

 えーと……。

 どうしてるのかな、彼……。

 でも、彼がレイのように振る舞うとは思えなかった。

 そもそも、はたしてあれを初恋というべきかもわからない。

 自分も彼と体の関係を想ったことは一度もなかったし……。

 ただ、いつも一緒に居られたら、いちばんそばに居られたらいいな、そんな風に思うぐらいの、子供じみた実に他愛もないこと。

 いやだ、あたし、なにやってるんだろう、大好きな人と愛し合っている最中に別の男のことを想うなんて――!

 操祈は漂流し始めた思いを打ち消して、自分にとっての初恋は、今なのだと言い聞かせるのだった。

 恋と性とは分かちがたいものだから――。

 愛し合うこと、セックスをしたいという気持ちがいけないことだとは思えない。

 ただ時に後ろめたさを覚えずにはいられないのは、彼がまだ十五歳の教え子であること……。

 でも、愛してしまった……。

 好きになって、大好きな人から体を求められたら、応じてあげたい……。

 そう思うのが自然だし、女の真心の示し方だ。

 だって、セックスは互いの絆を確かめ合うとても大切ないとなみなのだから……。

 オーラルセックスは仮に一方通行なものだとしても、彼が言うように男と女の間に交わされるもっとも親密な愛情表現だった。

 そのことをデートのたびに操祈は教え込まれている。

 恥ずかしいけど、泣きたくなるほど嬉しい、幸せなこと。

 自分が恋人を魅了していると信じられるのは、女の矜持を満たす素晴らしい経験だった。

 でも彼を恋するのは、けっしてそれだけが理由なのではない。

 レイが示す愛情や忠誠は、肌を接している時に限られるわけではなかったからだ。

 どんな時でも彼女を大切にしようとする、守ろうとしてくれる。

 セックスの場面になると、それがちょっと行き過ぎたように感じることもないわけではないが、彼の気持ちを疑うことなどできはしなかった。

 今日のこのデートにしても、少年からは意図があったことを打ち明けられていたのだ。

 単に成り行きでも、思いつき的なものでもないということを。

 周到なレイらしく、ちゃんと綿密に考えた上での彼女を守るために打たれた布石の一つ。

 学内にいる能力者対策の一環として、ということらしい。

 仮に常盤台の生徒の中に高い能力者が居て、こちらのプライバシーの一部が漏れているのだとしても、操祈が恋をすることには本来なんの問題もないのだ。

 若く健康な女が恋人と愛し合っていることを、いったい誰が責めることができようか。

 問題なのは、その相手が未成年の教え子であること。

 その対抗策として、とった手段がこの日のデートなのだという。

 実はレイは今、学校図書館の地下で試験勉強をしている形になっているらしいのだ。

 それこそがアリバイ作り――ということだった。

 居ない相手とデートはできない。もしもそんなイメージが透視できたとしても、それは事実に非ず、操祈のセックスを含めてただの妄想、夢、幻として陳腐化、無効化させることができる。

「今日のことは噂の発信源となる彼女たちに自分たちが見たものへの自信を失わせることも目的だったんです。所詮、能力者といってもレベル2程度の低レベルのもの。連中の力への信頼性を損なうことができれば、噂も自然に立ち消えになる。それでこの話はおしまいです」

 理由の説明を受けて、あらためてレイを子供扱いしていた自分の心得違いを思い知らされていた。

 こちらが何も知らない間に、気がつきもしない間に、そんなことまで考えていたのかと驚かされるばかりになっている。

「また栃織さんの力を借りたの?」

「いいえ、今回は彼女は無関係です。そうそう頼ってばかりも居られないし」

「うん……」

 紅音との例の“約束”もこちらの履行待ちの状態で、この上さらに借りを重ねることには気がひけるのだ。

 “工作”には件の透明化フィルムもまた一役果たしていて、それ以外にもいくつものトリックやシステムの抜け穴を使うことで少年は今ここに居るのだと言う。

「先生は心配されなくても大丈夫ですよ……この先、たとえどんなことがあっても、キミのことはボクが守りますから……ぜったいに、傷を負うようなことにはさせませんから……」

 愛撫の最中の甘い夢を見ている時にこんなことを訴えられたら、女にはどんな逃げ道があるというのだろう。

 よそ見ができる筈などなかった。それを思い出してまたセンチメンタルな気持ちになる。

「大好きよ……あなたのことが……レイくん……本当に大好きなんだゾっ……」

 ひとりごちた。

「わたしだって、あなたのためならどんなことだってできるんだからねっ……」

 彼のためなら命を失ってもかまわない――。

 でもそれを言うと彼は、

「それこそボクにとっていちばん恐ろしいことですから、どうか勘弁してください」

 と、真顔になる。

「キミはいつでも自分の身を守ることを第一にして、たとえボクが目の前で殺されそうになっていても、放っておいて一目散に安全なところに逃げるんですよ、約束です」

 冗談とも本気ともつかないことを言うのだった。

 わたしだって、同じ気持ちでいるのに……。

 一緒……ずっと一緒にいられたら……死ぬ時も一緒なら……いいのにな……。

 それができるのなら、いちばん幸せなことだと思う。

 とりとめもなく湧き出てくるイメージに遊んでいた操祈が、わずかな加速を感じて瞼を開くと、車はちょうど高速に入ったところだった。前方車間を正確に百メートルとって、ダットサンEV250ポシェットは順調に速度を百二十キロにまで上げていく。

 目的地の到着予定時刻は午後七時二十二分。

「お腹、空いたな……」

 操祈はにわかに空腹であることを意識して、レイがサンドイッチのお弁当を用意してくれていたのを思い出した。

 サイドシートに置かれた紙袋の中には大きめのタッパーウエアと魔法瓶、それにウエットティッシュのお手拭きが入っていた。几帳面で用意周到な少年らしく痒いところに手の届く気の配りようだった。

 取り出したタッパーを開いて、思わず

「うわーっ」と、驚きの声を上げていた。

 短冊になったサンドイッチが断面を上にして、きちんと揃えて並んでいたのだ。デリカで売られているものにも負けないくらいの美しい仕上がりぶりに、いよいよ食欲が増す。

 添え書きには、

 ハムチーズ、テリヤキチキン&レタス、ツナマヨ、ブルーベリー、オレンジマーマレードの五種類とあって、いずれも操祈の好物で、さてどれから食べようかと迷ってしまうくらい。

 まずは左端のハムチーズ、定番を一口頬張って、思わず相好を崩した。

「おいしいっ」

 ハムはプロシュートでチーズはエメンタール、からしバターにわずかにマヨネーズを効かせていて、一口食べただけで、すぐに食べつくして無くなってしまうのが勿体なく思えてくるほど。

 でもその心配は要らないのだった。次に手にしたテリヤキチキンのサンドイッチはアボカド入りのマヨネーズソースとの相性が絶妙で、感動に体がしびれてしまうくらいだったからだ。

 添えられたピクルスで味覚をリセットしながら、瞬く間に残りのサンドイッチを平らげて、ポットのミルクココアで流し込んでいた。

 

 “飲み物はコーヒーの代わりにココアにしました。

 帰りの車中、少しでもお休みになれるようにと。

 きっととてもお疲れでしょうから”

 

 三行目の後に大小ハートマークがいっぱい描かれていて、意図は汲み取れた。

「ええそうね……たーんと可愛がってくれたものね……疲れを知らない年頃のあなたと違って、お姉さん、もうクタクタよ……うふっ」

 お腹がいっぱいになると、にわかに睡魔が寄せてきて操祈はシートを倒して身を長らえた。

「でもいつの間に、こんなお弁当の用意なんてしていたのかしら……こうなると思って予め準備しておいてくれたのぉ……?」

 考えると不可解なことがいろいろと頭に浮かんでくるのだが、瞼が重たくなってくると、それもどうでもいい些細なことに思えてくる。

 大切なことはただ一つ――。

 自分が彼を愛して信じていること。

 きっと彼もそう――。

 だから何も心配することはない……。

 操祈は大きく伸びをすると、モーターの奏でる静かな作動音を子守唄に、漆黒の闇の中にのみ込まれていくのだった。

 




また無駄に長くなりました

家庭訪問のエピソードはこれでおしまいです

ミスが多く、気がついた部分については加筆修正しました
申し訳ありませんでした
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