ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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少女と乙女のバレンタイン

 

「それならウチに来るといいわ、舘野さん」

 地下のスーパーで買い物――偶然、居合わせた操祈に合わせる形で、ベルギー製のクーベルチュールチョコレートのタブレットをカカオの含量を変えて三種類と、手作りチョコレートに必須のアイテムを幾つか――を終えた舘野唯香は操祈と二人、二階にあるファストフード店で一服していこうと思っていたところだったが、そこへ現れた栃織紅音に彼女の自宅でお茶をしないかと誘われたのだった。

「栃織さんのお家って、たしかこのビルの上にあるんでしたっけ?」

「ええそうよ――」

 また操祈と二人だけでナイショのおしゃべりができると思っていた唯香ではあったのだが、ペントハウスというのにも興味が湧く。庶民とは違うお金持ちの生活の一端を覗いてみたいとも思うのだった。

 傍の操祈の反応を窺いながら、

「でも、いいのかしら?」

「遠慮しないで、わたし一人しか居ないから」

「え、栃織さんって、ひとり暮らしだったのっ!?」

「ひとり暮らしっていうか、去年、住んでいた祖父が施設に移ってからは空き家にしていたのを、今は私が管理するようになったというだけのことよ」

 紅音の場合はこの街の新参者――唯香を含めてほとんどの生徒たちは外部から学園都市へとやってきた転入者だった――ではなく、彼女の実家がここが学園都市と呼ばれるようになる以前から地域に根をはる地元住人であり、わざわざ寮生になる必要もなかったのだが、全寮制ということから常盤台に入学後は寮生として学園内で暮らしていたのだ。

 言ってみればこの街は紅音にとってはホームタウンということになるのだが、しかし彼女が大層な資産家のご令嬢であると知ったのは最近になってからのことだった。

「コーヒーメーカーはお店のものにも負けないから、味の方は密森くんの折り紙つきよ」

「密森くんの? それは楽しみっ。彼が言うのならきっと間違いないわね、あの人、結構、味にはこだわりがあるみたいだから。先生、どうされますか?」

「操祈先生ならきっとオーケーしてくれるわよ、だって先生も何度かウチに来られたことがあるから……ですよね?」

「え、ええ……」

 操祈は相槌をうちながらも何故かうっすら頬を染めていて、唯香は別の理由からもまたちょっと興味が惹かれてくる。

 紅音が自分と同様に操祈と密森黎太郎の関係を知っている――。

 特に確認したわけではなかったが、かなり以前から唯香はそれを感じていた。

 そのことは二人の間での今の短いやり取りの中にも窺えるように思うのだ。単に茶席に招かれたことがあるというだけではなく、教師と生徒である以上のなにかしらの密な接点が臭う。

 ちょうど自分がそうであるように――。

 そして恐らく紅音の方でも、こちらが操祈の恋愛事情に関わりをもっていることに気がついている……。

 それなら、いったい彼女はいつから知っていて、そしてどこまで知っているのだろう?

 通り一遍の見方をすれば、女教師による自身の教え子である男子生徒への性的搾取、虐待ともとられかねない危険な関係のことを。でも真実は、ヘンタイさんのワルい男の子に恥ずかしいことをいっぱいされて、身も心も骨抜きにされてしまった乙女が一途に恋の熱に身を灼いていた。

 身持ちが良くて、心やさしい女神のように美しい人。

 そんな彼女が、女にとっては交わることよりも抵抗感のある愛撫に身をゆだねるためだけに、年下の彼とのデートを重ねている。

 操祈の傍に居て、清潔感いっぱいの清楚な横顔を見ているととても信じられないが、それが二人が紡いでいる性愛のドラマだった。

 破廉恥でアブノーマルな道ならぬ恋、それでも将来を誓い合った恋人たち。

 けっして人には知られてはいけない、もしも知られてしまったたちまち悪意のある良識によって打ち砕かれてしまう儚くも脆い恋だ。

 だから応援したくなる。

 大切な、大好きな人が傷つくところを見たくないから、幸せになってほしいから。

 紅音が山崎碧子のような、敵――ではないことは判っていた。

 密森黎太郎が庶務委員になったことだって、そもそもが彼女の仕掛けだったのにちがいない。

 そのことで学園内では今も彼と紅音との関係を噂する者も少なくなかったが、それが全くのフェイク、あるいは真実の巧妙な隠ミノとして機能していたことを唯香は事実として知っていた。

 ところが当初は愚かにも唯香自身、紅音が本当に密森黎太郎に懸想していて、それで彼を手元に置きたがっていたのだと邪推していたのだ。

 操祈を恋敵をするような三角関係を懸念していたくらい。

 しかし紅音と接するようになって判ったのは、彼女が誰もが思っているような、ただ学業成績が優秀なだけの陰キャ――などではなかったことだ。

 クラスメイトでありながら、これまでの紅音からは他人と交流を持とうという意識があまり感じられなかったこともあって、つい最近になるまでクラス委員ということ以外での接触がなかったのだが、目立たない容姿にゴマかされがちになるが素顔の彼女は単に学力が高いという以上に犀利(さいり)で鋭敏、機略に富んだデキる女だった。

 操祈を送別会の出し物であるバンドのヴォーカリストにハメこむというルールの隙を突いた悪だくみは、紅音なしには為しえなかっただろう。これは目下、二組の中だけのコンフィデンシャルとなっていて、送別会当日までは対外的には伏せるという了解がクラスで共有されていた。

 それを受けて操祈と数名の女子とでこっそりカラオケを楽しんだり、そこには紅音も参加するなどしていて近頃は距離がぐっと縮まっていたのだが、その上で彼女を知れば知るほど驚き以上のものを感じるようになっていた。

 底が見えないという面ではある意味、碧子以上かもしれないと畏敬の念すら抱き始めている。

 互いにファーストネームで呼び合うまでにはなっていなかったが、このところ人が変わったように社交性を表にするようになった紅音の変化には目を瞠りながら、心理的には古くから付き合いのある友人たちよりも信頼できる相手なのかもしれないと認めていたのだった。

「いま、小田切さんも下に“お買い物”に来ていて、さっき会った時に声をかけたの。済んだら上に来るようにって言っておいたから、彼女が来たら行きましょう」

「え、芳迺(よしの)ちゃんも来てるの?」

 唯香にはちょっと意外だった。紅音が彼女まで誘った意味がわからなくなる。操祈とその事情を知る自分たち以外に、芳迺という部外者――を交える意図が見えないのだ。

「小田切さんだけじゃないわ、特考の結果が出てホッとしたのか、昨日は午後からは女の子たちが入れ替わり立ち替わりチョコレート売り場にやってきては“燃料”をたっぷり仕込んでいってたわよ。みんな週末のことを思ってそわそわ浮き足立ってるみたい。で、そんな中、今日は先生までやってきて、そこへ舘野さんも現れたものだから、もう可笑しくなって」

「わたし、そういうのじゃないから……今年は最後になるから、クラスのみんなに手作りしたものを配ろうと思って……」

 操祈が苦しい言い訳をすると、

「でも義理チョコに紛れて本命を忍ばせるのは女のコの常套手段ですから」

 唯香も事情を知っていながら、ちょっと意地悪なことを口にする。

「そんな……本命だなんて……でもみんな進学先が定まってよかったわ……責任が果たせて、わたしもホッとしたんだゾ……」

 操祈は唯香にするのと同じように、大きな瞳を伏せながら、はにかむような容子で実に素早く紅音の顔色も窺っていて、それで唯香は紅音が“知っている”のを操祈の方でも了解済みであることを察したのだった。

 だからよけいに紅音の誘いの意味が気になってくる。奇しくも女教師の禁断の恋を知る二人が揃って、当人を交えていったい何を企んでいるのか、と。

 操祈と自分に艶っぽい内容のガールズトークでもさせようというのだろうか?

 でもそれはさすがに願い下げだった。たとえ女友達であったとしても、軽々に自身のセックスライフを吹聴するような悪趣味はないし、むろん操祈にもないだろう。

 操祈とは悩みを抱えるもの同士として立ち入った話もしているが、それでも節度はわきまえているつもりで、話せないことは操祈を相手にしてもやっぱり話せない。

 結局、セックスは当人同士だけの密やかないとなみだった。褥で知り得たことは褥の外には持ち出さない。

 それはレディにとっては当たり前のルールだ。慎みを失くしてしまったら、たちまち恋の魔法は解けてしまう。

 そのことを頭のいい紅音が知らないとも思えなかった。

 だとすると――。

「ねえ、栃織さん、やっぱりあなたも知ってたのよね……?」

 唯香の見つめる先の地味なメガネの奥の黒瞳が煌めいた。

「その話はここではアレだから上に行ってからにしましょ」

 当事者を脇に置いての、互いに何を言っているのか分かった上での探り合い、事の重要性を弁えた腹芸だった。

「でも芳迺ちゃんは何も知らないわよ」

「わかってるわ、だから話す内容には気をつけるから……あ、噂をすれば影、小田切さんが来たわ」

 目をやると廊下の先のエレベーターホールに小田切芳迺の姿が見えた。向こうは操祈の姿に気づいたのかボーイッシュなショートボブの顔を驚きに綻ばせて小走りになってやってくる。操祈や唯香と同様に、その手にはしっかり戦利品を収めたレジ袋がぶら下げられていた。

「唯ちゃんが来てるのは聞いてたけど、まさか先生まで居られたなんて! 操祈先生もチョコレートを仕入れに来られたんですか?」

「え、ええまあ……」

「それって、もちろん噂の彼氏さんにですよねっ?」

 少女はいきなり核心を突く問いを発して唯香をギョッとさせる。

「噂? なんのことかしら……?」

 操祈の表情に動揺の翳が過ぎった。

「先生には都内にアダルトな彼氏さんが居るって、女の子たちの間では噂になってますから、週末にはときどき通い妻までしてるとかなんとか」

「そんなこと、あるはずないでしょ。私は今年が最後になるからみんなに手製のものを配ろうと思って……だからいっぱい買っちゃったの」

 また同じ言い訳を繰り返していた。しかし明らかに的を外した噂に安堵したのか、操祈は優雅に微笑みながらひときわ大きなレジ袋を掲げて見せている。

 チョコレートだけでも四キロにもなる大人買いで、確かにみんなに配るというのは本当だろう。ただ、一緒に買っていたハートの形のケーキ型は一体、何に使うつもりなのだろうと思う。もっとも気づいても、それをいちいち問い詰めないのが恋を知るもの同士の情けというものだった。

「えー、違うんですかぁ、つまんないです」

「芳迺ちゃん、あなただってリオンくんにプレゼントするために材料を集めに来たんでしょ?」

 唯香はなお興味津々といった容子でいる友人に水を差すつもりで口を挟んだ。

 小田切芳迺は無事、第一志望の医科進学予科にあたる静菜の医学生物学系への進学を決め、さらには彼氏である白水(しろうず)リオンも同校の社会科学系への進学となって、来年から同じ高校に通うことになり普段よりもテンションがぐっと上がり気味なのだった。

「ホラホラ、つもるおしゃべりはウチに来てからにしましょ」

 紅音が先に立つ形で操祈をエスコートする。

「栃織さんの家って、ここのペントハウスなんでしょ、凄いわね、栃織さんちってお金持ちだったんだ」

 芳迺は恬淡として言うが、彼女自身も実家は大病院のお嬢様だった。

「そんなことないわ、こんな郊外の古いビルで、今じゃこの建物の大半はウチのものじゃなくなっているくらいだし、さ、みんな一番奥のエレベーターに乗って」

 仮にも業務用の大型エレベーターが四機もある大きなビルのオーナーというのは、いわゆる庶民というものではないと思う。

 紅音がエレベーターボタンのルーフ階を押す慣れた容子に唯香はため息をついた。

「すごいわね……ペントハウスなんて羨ましいわ……あたし、そういうの生まれて初めてかも……」

「何が羨ましいものかしら、将来はこの国の舵取りをしようかっていうアタリの彼氏持ちで、ミスコンにも選ばれるような凄い美人に生まれた人には、その言葉、そっくりお返ししたい気分よ」

「あら、だって栃織さんの彼氏の密森くんだって相当なものじゃない? 頭がいいし優しいしで、おまけにお料理だって上手だし、ね、先生、操祈先生だって女だからそういう男子って気になりますよね」

 芳迺は無知からくる無頓着さで、見事にきわどいところに触れてくる。

「え、ええ……」

 教え子の少女から無邪気な眼差しを向けられて、操祈は当惑気味に視線を泳がせていた。救いを求められるように流し目を送られて、唯香は仕方なく助け舟を出した。

「そんなこと聞かれて先生が、ハイそうねって言えるわけないでしょ、依怙贔屓することにもなりかねないから」

「あ、そうでした。でも、先生がどんなタイプの男性がお好みかは同性としてはやっぱり気になるし」

 紅音が芳迺まで茶席に誘ったのには、ただ親睦をはかるためだけではないだろう、何らかの意図があるに違いなかった。抜け目のない彼女が意味もなく事情を知らないものを同席させる筈もない。

 何を考えてるの? 栃織さん……。

 紅音と視線が交わると唯香は目で問いかけたが、彼女は(いわ)くありげな微笑みを返してくるばかりで、仕方なく唯香は、またあなたの手のひらの上で踊ってあげるわ、というように軽く肩をすくめてみせるのだった。

 




ちょっと短めです

温和な日常の一コマを
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