ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~ 作:真夜中のミネルヴァ
平成十一年、十二月三十日、午後十二時前
「……じゃあ、最後は徳さんか、徳さぁん、なんかハナシあるぅ? 無けりゃ、どうかな、やっぱ一位は森山のダンナのテストパイロット話か、おいらの水谷美希の話かってことになるかと思うんだけど」
カズヤはそう言うが、どっちもどっち、二人を含めて四人のネタすべてが面白くもなかったと浩平――湊浩平――は思った。
「ま、ひと晩考えて、決をとるのは明日でもいいか」
元はといえばカズヤがもちかけて始まった深夜の猥談合戦だったが、言い出しっぺの仕切りも悪く、結局、盛り上がることもないままに終わろうとしていた。
浩平は話せるようなことが何もなかったので、賭けにされていた明日の夜の年越しそばの“ごん兵衛きつねそば”は自動的に他の誰かの手に渡ることになっていて、そればかりか二十代も半ば近くになってまだ童貞であることをカズヤから大いに茶化されて、まったく余計なことを始められたばかりに踏んだり蹴ったりの散々な気分でいたのだ。
「浩平っ、オトコの価値ってのはモノにした女の数でキマるのサ、コレ、セカイの常識な」
そう諭したのはカズヤこと池田一八、三十五歳。房内では浩平といちばん歳が近かった――といっても十歳以上も離れていたが――ことから兄貴分として振舞っていて、助かる反面、ウザくもあった。会社の金を八千万も使い込んだのがバレて、横領罪で懲役二年六月、刑期満了までまだ一年近くを残している。
カズヤの話は、どこぞの秘密クラブでタレントの水谷美希――元お○○子クラブの準エースだったそうだ――が枕営業をしていて、その時、おエライさんたちに交じってお相伴にあずかった時の自慢話だったが、そもそも本当のことかどうかの裏を取りようもない上に、芸能界にさほど関心もなかった浩平にはどうでもいいことだったのでピクリともしなかった。
「ウチの店に来るといい、イイコがいっぱいいるからよりどりみどりだ。浩平君になら精一杯サービスするように言っておいてあげるから」
そう言って話を振ってきたのは森山誠だ。
四十九歳、売防法違反、懲役二年――。
短躯だががっしりとした太り
セキトリ――轟天山というシコ名の幕下力士あがり(故に関取には成れずに廃業)のチンピラヤクザで、百五十キロを優に超える巨漢。本名は中島聡。帰化前は王明賢だったという台湾系の日本人で、元の名前にある賢の字も、今の聡も、ともに悲しいまでに不釣り合いな風貌をしていた。ただし台湾語と広東語、それに日本語の三カ国語を話す(日本語の読み書きについては難あり)トリリンガルで、その点については長年英語を学んでも一向に使いものにならなかった浩平の語学力などは遠く及ばない。カチコミで一斉検挙されて傷害で三年刑期をお務め中の四十二歳。四十を過ぎてもまだチンピラなのは少し頭が鈍いのと、きっと生来の性格の優しさが災いしてのことなのだろうと思われた。彼が犯したという罪の割には刑が重いことから、おおかた仲間の分まで濡れ衣を被せられて、組としては扱いを持て余していたところをいい機会だとばかりに厄介払いにされてしまったのだろうとも。相撲でも芽が出ず、とことん向いてない職業選択をしてきた結果の成れの果てが、受刑者、という新たな肩書きに繋がっていた――の話は、まだ来日したばかりの十代初めの頃に相撲部屋のおかみさんに男娼まがいのことをさせられていたことで、ありがちな話ではあるが猥談というよりも悲話に近く嫌悪感しか催さなかった。
チャカさんこと長北恒明――四十五歳で現在、この二〇六号舎房の房長をしている。表向きは雑貨問屋を営んでいたが裏では危ない橋も渡ってもいたらしく、今回はその橋から落っこちてしまったらしい。銃刀法違反、凶器準備結集罪で服役してすでに二年近くを過ごしており、年明けには刑期が開けて晴れて出所が待っていた――の話は猥談としては四人の中ではいちばんまともに思えた。学生時代に高校の頃から憧れていたクラスメートだった彼女をモノにしたときの経験談で、やっぱり本人の気持ちがのっていたぶん浩平の心にも響くものがあったのだが、ただそのやり方が拙かった。酒と薬を使った挙句の狼藉は単なる青春時代の恋愛成就譚とは違っていて、まるで死姦をしてでもいるかのように後味が悪かったのだ。眼鏡で痩身の紳士然とした顔の裏に秘めた欲望というのは、誰にでもある二面性というものなのかもしれないが、やっぱり肯定する気にはなれなかったのだった。
「……それで、徳さんはどうする?」
カズヤが最後、最年長の徳さんに話を振ったのは、申し訳程度の意味しかなかったのは明らかで、他の受刑者たちもみな年寄りの話なんかには期待してはおらず、そのまま散会となるだろうと背中に掛け布団を背負ったまま布団に倒れこもうとしていたのだった。
が、その時、意外にも徳さん――並木平輔、五十九歳、牛丼屋で四百円の並盛りを無銭飲食して自首、ここ国立刑務所へ舞い戻ってきていた。同房内の受刑者の中でただ一人、多重服役の前科九犯――が「オレのはぁ……」と、やりだしたのでみんな、刹那、動きを止めて貧相な老人の方を窺うのだった。
「ええっ!? 徳さん、なんかあるんだっ!?」
「とっときのがあるが……さてな……」
すっかり薄くなった白髪頭をポリポリ掻きながら言ったが、
「とっときの? へー、そりゃ楽しみだ」
と、カズヤは気のない声で応じている。
「猥談ってのは、オレが女とやった話じゃなくてもいいんだよな」
「まぁ、別に面白ければなんでもいいけど、作り話はご法度な」
「作り話なんかじゃねえが……けど、ありゃあ、いったいなんだったんだろうなぁ……」
鈍重そうな腫れぼったい瞼の中の目玉が動いてどこか遠くを見つめているような顔をしていたが、その目が一瞬、妖しい光を放ったのを浩平は訝しんでいた。
「オレはぁ……きっと見ちまったんだ……と思う……」
「見たって何を――?」
「……幽霊だったのかもしれねぇし……」
「幽霊だぁ? おいおい、怪談をするつもりなら夏までとっといてくれな、あ、そっか、爺さんがこっちに来るのはいつも冬の間だけだったっけな……冬ってことなら雪女かぁ?」
「いや、ありゃ雪女って感じじゃねぇな、もしかすると天女だったのかもしれねぇから……」
「今度は天女だぁ? なぁ勘弁してくれよぉ、冥土の土産に天橋立に行ってきたって話なら――」
「カズヤくん、天女が出てくるのは天の羽衣伝説で三保の松原だよ」
インテリのチャカ――同房内の受刑者の中で唯一、国立大学を出ているらしい――が注釈する。
「オレには、今でもあれがホントに人間だったかどうかもよくわかんなくてな……」
老人がまたボソリ、と呟くように言い、合点がいかぬというようすで、なおももどかしげに首をひねっていて若い同房者を焦れさせていた。
「爺さん、しっかりしてくれよぉ、人間サマのじゃなきゃ猥談にならねぇだろっ、マツゴローじゃあるめぇしダレが獣の交尾の話なんか聞きてぇもんか」
「まぁいい、みんな黙って聴こうじゃないか、徳三爺さんの話をさ」
しきりに話の腰を折って、かえって進行の妨げとなっているカズヤをたしなめるように森山のダンナがとりなした。
老人は何から話すべきかを考えている風だったが、
やがて――。
「あれは……たしか今から二十年前ぐらいの夏だった……」
カズヤが、むかしむかしあるところに――と、合いの手を入れたのをチャカが軽く手を振って制していた。