ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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第135話 獄中艶話 その2

 

平成十一年、十二月三十一日、午前〇時過ぎ、

同、二〇六号舎房――。

 

「……そうだ、あんときゃたしか平井でネコを押してたんだ……あっち行けこっち行け言われて、暑くてダルくて、やーな現場だった……ろくすっぽシゴトしようともしねぇガラのワルいのが何人も居て……」

 ネコってのはね、猫車といって工事現場などに行くとよくみかける一輪車の手押車のことだよ――と、チャカが小声で教えてくれて、浩平にはやっと話がのみ込めたのだった。

 それにしても、いざ昔話を始めると、それまでは土気色の顔をした、すっかり人生にくたびれた風だった老受刑者の顔に俄かに生気が蘇ってきたようで、見違えるほどイキイキとしだしので不思議な気分にさせられていた。

「……そんなこんなで、みんなタラタラやってたんだが、どういうわけかオレだけが親方にどつかれることになって、そんで頭にきたもんだからサッサとそこを飛び出しちまった……それから街をふらふら歩いて、駅前で立ち蕎麦をかぶってからようやく気を取り直して、やっとありついたシゴトを無くしちまったと後悔したんだが、もうしょうがねぇや。明日の朝っぱらからまた手配師の列に並ぶのもメンドウだったもんだから、せっかくだ、この辺りでひと稼ぎしておこうかって駅前を離れて、町の奥まったあたりをうろつくことにしたのよ……」

「それでどっかの家を覗いたら、まっ昼間からヤッてる現場だったってか?」

 年寄りの回りくどい話っぷりに焦れたカズヤが先まわりをするが、もう老人はそれにはおかまいなく自分のペースで語り続けている。

「といっても、ちょいと前までとは違って荒川くんだりでも、だいぶ町の様子が変わってしまってな、忍び込むのにちょうどいいような広い庭のある屋敷の代わりに、マンションやらアパートやらがそこいらじゅうに建ち始めて、おいそれと都合のいい不用心なウチなんて見つからなかったのよ。結局、さんざん歩いて、歩き疲れてのくたびれもうけで、公園の日陰で缶コーヒーを飲んで一休みしていたら、ふとすぐ目の前のマンションの一階のベランダに女もののいい下着が干してあるじゃねぇか……」

 そこから徳さんの女の下着の見分け方の講釈になって、浩平は若い女が不用心にも軒先に下着を干したりなんかするものなのだろうかと首を捻ったが、プロにはプロの目の付け所があるらしく、ハンガーへの掛け方や一緒に干してあるものの種類などで、ある程度の絞り込みができてハズレ――を引くのを避けられるのだという。

「……今日のところはアレを戦利品にして引き上げようかと、しばらく周りの様子を窺っていたんだが、真夏でいちばん暑いころだったから、さすがに道でくっちゃべってるバアさん連中は居なかったし、子供は涼しいおウチの中でテレビでも見てたんだろうよ、あたりにはひと気ってのが無くて、それでもカーテン越しにこっちを見てるヤツがいるかもしれねぇと用心しながら、素早くマンションの塀を乗り越えると、あとはツナギのポケットの中に詰め込めるだけ下着をねじ込んで退散、しめしめうまくいったぜという時になって、いきなり自転車に乗ったオマワリが現れたもんだから参っちまった……」

「徳さん、その話まだまだ続くの? もうちょっとはしょってくれないか? ほら、セキトリが飽きて寝ちまってる……オイ、セキトリっ、寝るなっ、みんなガンバって付き合ってるんだからっ」

 森山が既にいびきをかいているセキトリの肩を揺らしながら言った。

 セキトリは「ういっ、我不能※吃❇︎西了」と寝言ともつかない意味不明なことを呻きながら目を覚ましたようだが、そもそもが目が細くて起きているのか寝ているのか薄暗い中ではよく分からない。

「わりぃな、オレは順番通りじゃないと話せなくてよぉ……」

 老受刑者は済まなそうにまた白髪頭を掻いた。

 その後は仲間たちのやりとりもあって、女の下着をくすねた若かりし日の徳さんが、追いかける警官をなんとか振り切って荒川の河川敷の草むらに逃げ込んだのだが、疲労と暑さも手伝ってかそこでうっかり眠りこけてしまったらしい。

「……どんくらい経ってたのかわからねぇが、気がつくと人の話し声が近づいてきてて、それが女の声だったもんだから声のする方を見ると、草むらの隙間からだったが、少し先の方から若いガイジンの女と男の子が仲良く手をつないでこっちにやってくるのが見えたんだ」

 ガイジン女と男の子――?

 意外な組み合わせに浩平がその夜、初めて他人の話にまともに耳を傾ける気になると、他の四人もそうだったのか座の空気が変わっているのが窺えた。

「ああ、女は日本人じゃねぇ、長い金髪だったから……」

「それが天女ってか?!」

「ああ、ありゃあとんでもねぇタマだったぜ……遠目にもスラッとスタイルが良くてなぁ……」

 老人の言葉が途切れて座がまた静まり返るが、その沈黙には白けた雰囲気はなく、今度はみなが行儀よく老人が再び話し始めるのを待っているのだった。

「……ただなぁ、暑い盛りの真夏の午後、こっちは汗まみれでいるのに、それなのにそのオンナは黒いコートに帽子っていう真冬の格好をしてたんだ……あんなんで暑くねぇのかなって思って……」

「金髪で黒いコートに黒い帽子っ?!」

 急にカズヤが真顔になる。

「おかしいだろ? 普通なら八月にそんなのとても着てられねぇや」

「………」

「男の子を連れた金髪の黒いコートの女って、まるで梅……」

 ここで珍しくセキトリが口を挟んだ。

 オタクという連中にしばしば見られる、年恰好に比べて異様に不釣り合いな幼児的蒙昧さを見せて。

「轟天ちゃん、そんなこと徳さんに言ってもわかんないって……」

 世代が近いためか、カズヤとセキトリの間には通じ合うものがあるようである。

 どうかしたんですか――? と浩平が訊いても曖昧にはぐらかされて、その間にも老人がまた話をはじめてしまうのだった。

「……なんか妙な二人連れだったもんだから気になって、オレはそっと音を立てないようにして二人の居る方へと近寄っていったのよ。近づくにつれて、そりゃあもうタマゲタ、タマゲタ……」

 老人特有のコホコホという空咳をしながら、

「……いやージツにいいオンナだったんだ……あんないいオンナ、後にも先にも見たことがねぇや……あんまりありがたくて手を合わせて拝みたくなるくらいの、そりゃあもうスゲェ美人だった……やさしそうな、ちょいとさみしげな顔も、いやぁめんこかったなぁ……あの松原知恵子がいちばんキレーだった時分でもかなわねぇくれぇの、とんでもねぇ別嬪さんで」

「松原知惠子に似た金髪さんかぁ、そいつはゴージャスだな」

 森山もすっかり感心したように言う。

「別に似てるってわけじゃねぇけど、ぱっちり大きなお目々をした、ちょっと悲しそうな顔した美人ってなると、やっぱそっちの方になるのかもしれねぇやな、お色気たっぷりのマリリン・モンローとはぜんぜん違う、もっとぐっと清楚で、育ちの良さそうなお上品な感じで……」

 松原知恵子――?

 馴染みのない名前にポカンとしていると、例によってチャカさんが教えてくれた。

「徳さん世代のアイドルというか女優だよ、松原知惠子、良永小百合、栗原小町、今でも十分、美人女優で通るくらいの、まぁさすがにもう娘役は無理だが」

 良永小百合だけは聞いたことがあったが、ここを出たらネットで調べようかと忘れないように、浩平は頭の中で何回か名前を繰り返して唱えてみるのだった。

「オンナの歳はいくつぐらい? 二十代半ばくらいじゃなかった?」

 と、セキトリと目で示し合わせをしながらカズヤが訊く。

「ああそうだな、それくらいかもしれねぇな、若いと言っても未成年ってことはないだろう、二十五ぐらいにはなるかもしれねぇ。ただガイジンってのは子供でも発育がよくて、どうもオレらにはわかりにくいから、案外もっとずっと若いのかもしれねぇけど」

「じゃあ一緒にいたガキの方はどんなだった? ブサイクな顔の日本人じゃなかったか?」

「そうだ、あれはたしかに日本人の子供だった……だがブサイクってほどじゃねぇ、十三、四くらいの特にどうってことのない、どこにでもいるような普通の男の子に見えたな」

「普通? なら映画版の方か――」

 なぜか感慨深げのカズヤに、何の話ですか――? と、また浩平は目線で問いかけたがスルーされて、ちょっと気分を損ねてムッとした顏になる。

「メガネをかけてて賢そうな男の子だったな、一見したところ、おとなしそうで身だしなみもキチッとしてたからどっかの名門校の生徒だったのかもしれねぇ」

「え、メガネ?! ガキの方はメガネをしてたのかよ、アレっ、なんでだっ?」

 カズヤが首をかしげていて、

「メガネをしてたら、どうしてダメなんですか?」

 ついに浩平も口を挟んだ。

 なんだかシニアとアダルトの異なる二つの世代が、それぞれの文化的背景と重ねているようで、何も知らない自分一人だけがまったく蚊帳の外に置かれていることが不満なのだった。

「別にダメってこたぁねぇけど、まぁなんちゅうか、コスプレじゃなかったんだなって」

「コスプレ!?」

「まあいいや、坊やにはわからなくても」

「カズヤさん、ボクは来年の春には二十四になるんです、子供扱いするのはやめてくださいよ」

「だってオマエまだ童貞じゃん」

 そう言われると悔しいが、グーの音も出なくなってしまう。浩平は口を結んでそっぽを向くしかなかった。

「まぁまだワケぇんだから、あわてるこたぁねぇよ、ああいうことはやっぱり好きどうしでするもんだからよ」

 意外にも徳さんがまともなことを言って励ましてくれて、浩平の気分は複雑だった。が、老人のどこか覚悟したような温和な眼差しに、と胸を突かれた感じにもなるのだった。

「オレもあんなもんを見ちまってからは、いろんなことを考えさせられてな、岡場所通いもすっかりやめちまった。いくら仕事だからって、嬢だって好きでもねぇオトコに抱かれて嬉しいワケがねぇや……で、泥棒稼業からも足を洗ってカタギになろうと思ったんだが、学もねぇ四十男がまともな職につけるわきゃねぇやな……結局、もとの黙阿弥で半年もしねぇうちに前の生活にもどっちまった……まぁ、それももうじきしめぇだけんどもよ……」

 前歯が何本か抜け落ちた長い歯を見せてニッと笑うが、それが心からの笑顔ではないことは誰でも判った。

「オレはもう遅ぇが、ニーさんはこれからだ、ココを出たら人生をマジメにやり直しな、そうすりゃきっとイイことが待ってるから、お天道さんはちゃーんと見てなさる」

 傷だらけの人生を生き抜いてきた老人の言葉が思いがけず重たく響いて、浩平は布団から起き上がると居住まいを正すのだった。

 なんとなく座が治って、刹那、お開き感が兆したが

「ちょっと待ってくれよ徳さぁん、徳さんが見たっていうのは、もしかしてその二人がやってるとこなのっ!? 外人女と子供がっ!?」

 例によってまたもやカズヤが混ぜっ返して

「なんかまずかったかい? とっときのエッチな話をしろって言われたからよぉ」

「マジかよぉっ……なぁ徳さぁん、それってホントの話なのかよぉ……?」

「それがオレにもよくわかんねぇんだ……」

「わかんねぇって……それじゃあ、さっぱりワケわかんねーじゃん」

「オレはただ、見たことを話してるだけで……」

「まぁ黙って聞こうぜ、爺さんの話を」

「カズっち、もう騒ぐのはナシな」

 チャカが、それまでの、カズヤくん、ではなく略称を使って降格の印象を与えつつたしなめていた。

 

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