ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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調査報告

          ⅩⅩⅩⅤ

 

「……ソースは上海在住らしい子供のSNSサイトにあったものだったそうで――」

「どういうことかしら?」

 碧子は眉をキリっとさせて対面に座る冴えない太り肉(ふとりじし)の中年男を見据えた。片肘をソファの肘掛けに置いて頬づえをつき、男の風体を値踏みするような鋭い視線になっている。高々と組んだハイヒールの脚は長く白い。

「ネットでダウンロードしていた写真をアレコレ眺めていたら、たまたま映り込んでいたのに気がついたとのことで、それで話題になっていたミスコンのお気に入りの一人に似てるんじゃないかと思って匿名で出版社に送ったそうです……二十代半ばをいくついか過ぎたあたりのパッとしない奴でしたが」

 中年男は自分が十分な働きをしていないことを自覚しているのか、くたびれた上着のポケットから丸まったハンカチを出すと、せわしなく顔の汗を拭いながら言った。そのくせ碧子が脚を組みかえるときには、女主人の美脚を盗み見ようとするヤッコのような――実際、それそのものだったが――あさましい抜け目なさも備えている。

「ソースがソースなだけにアレがホントに食蜂操祈だと思ってやったわけではなかったらしくて、話題に便乗してちょっとした小銭稼ぎにでもなればということだったみたいで……私が話を訊きに行くと自分のしたことが意外な拡がりを見せていることに戸惑っているような感じでした。なんでもそいつはフリーのデザイナーだとかで、ただ作品の参考にするためにノンジャンルの写真を集めていただけのようでして……」

「それだけ――?」

「はぁ……」

「その男の言うことを信じていいのね?」

「ハイ、そいつが言っていたSNSサイトの裏取りもできましたし、間違いありません。サイトは見たところ四つか五つぐらいの――」

 男は、ガキの――と言いかけて言葉を呑込むと

「――男の子のインスタグラムでした」

 と、つけ加えて、その点については自信ありげに保証していた。

 ノンジャンルにSNSにインスタ――こんなモヤッとした情報にどれほどの価値があるというのか? ただ週刊誌に掲載されていた写真がコラージュなどではないということはまず確実になった。わかりきっていたことだから大した前進ではないが、これで食蜂操祈の男関係を洗う動機と妥当性は固まったことになる。

「それでまるまる五日もかけて、判ったのはたったそれだけ?」

 男はもはや意味もなく顔をハンカチでごしごしとやっていて、下品な動きに碧子は頬をピリピリさせている。

「高岡からはあなたは優秀だと聞いていたけど、どうやら見込み違いだったのかしら?」

「情報ソースを明かしたがらない出版社を説き伏せたときにはイケると思ったんですが、まさか撮影者にまで辿りつけないとは、こちらとしても予想外で……せっかく大阪まで出向いたのに収穫がこれだけですから面目ありません」

 どんな手を使って相手を“説き伏せた”のかは与り知らないことだった。

 所詮、チンピラ上がりの探偵だ。だからこそ、仮に非合法な手段をとっていたとしても、すぐに用済みにできる使い捨ての手ゴマとしては丁度いいのだった。

「子供のSNSねぇ……」

「上海に飛んで確かめて参りましょうか……?」

 碧子は問いかけた男を置き去りにして、ひとり思索を巡らしている。

 なぜ上海の子供が――?

 その答えは単純だ。恐らく旅行者として家族とともに日本に来ていたのだろう。そうなると食蜂操祈とはいつ、どこで接点があったのかが次のポイントとなる。映り込んでいたあの女の服装からすると冬ではない。家族の来日目的が仮に観光だとすると――既に帰国しているとすれば、それはほぼ確実だろう――場所は定番の観光地の可能性が高い。首都圏近郊であれば日光、富士山だが枠を拡げれば京都、奈良か――。

 京都も奈良も、つい一ヶ月前に自分たちが訪れていたところだったが、果たしてこれがただの偶然だと言えるのだろうか――?

 ただ仮にそうであったとしても、そこまでだ。これ以上のコアな情報入手に繋がる線はむしろ薄くなったと見ざるをえまい……。

「子供のサイトをプリントしてきたものがございますが、ご覧になられますか?」

「見せて――」

 男はA4の紙封筒の中から粗末なコピー用紙のカラー印刷物を数枚取り出すと、センターテーブルの上に並べていった。碧子は毛深い指に冷たい視線を送りながら、粗いカラープリントにも眉をひそめる。

 そこにあった写真のプリントコピーは殆ど全てが虫を撮影したものだったからだ。件の児童はよほど虫が好きだとみえて、私的な昆虫図鑑でも作るつもりなのか、さまざまな種類の虫が名前つきで紹介されている。

 問題の写真もその中に見つかった。だが大好きな虫に気持ちが向かっている男児にとって、その近くで行われている男女の交歓などに興味があるはずもなく、当該児童が他にあの女の映りこんだ画像を持っている可能性はかなり低いだろう。

「……カマキリのメス、撮影場所、時期は……不明……?……どうしてこの写真にだけ場所と時期が書かれていないのかしら……他の写真にはみな日時と撮影場所が書いてあるのに……」

 プリントを見ながら碧子はひとりごちたが、訊かれたと勘違いした男は、答えの用意がなくてしどろもどろになっていた。

 それに、すぐ近くに居たはずの保護者は、いったい何をしていたのだろうか? 大人であれば、あの女がハレンチな行為に及んでいることはすぐに判る筈だ。それどころか食蜂操祈が気がつかない筈がない。いかにオーラルセックスに夢中の卑しいゲスだろうと、高位の精神系能力者であったあの女は、今も妙に鋭いところがある。だからこちらも手を焼いているのだ。

 なぜ、誰ひとりとして互いの存在に気がつかなかったのか――?

 これには何か重要な意味が含まれている気がするが、それが何であるのかはわからなかった。

「黒田――」

「ハイっ」

「もうひとつ調べて欲しいことがあるわ」

「なんなりと」

「この子供と家族の身許と来日時期、それと国内での移動先を知りたいの」

「ハっ、それなら既に調べがついておりますっ」

 終始、冷ややかだった碧子の顔が、この瞬間だけ、あら、とばかりに緩んだ。

「この児童の名前はヤン・カイフェン、父親はカイホンと言って上海市内で開業する歯科医です。それに姉がひとり居て、シーリンといいます。経済的にはかなり裕福のようですが、この夏に母親を亡くして、その傷心を癒すために家族で旅行をして廻っているようです。そんな中で日本にも足をのばしたらしく、来日は父親に限ると三回目。一家は先月六日に東京に降り立って翌七日から札幌へ、十日まで北海道を周遊して廻ってます。小樽、十勝、網走、根室、そして函館。翌十一日に青森から国内便で東京へ戻り、十二日からはリニアで京都へ、そこで一泊して十三日は大阪へ行き、そこから船で瀬戸内海クルーズをして広島、別府、その後、桜島をまわり十八日に長崎から海路で上海へ向けての帰国の途についています」

「間違いないのね――?」

 調査結果が期待していたものと微妙に食い違っていて碧子はまた顔を険しくしている。

「ハイ、詳しい報告書はこちらにございます」

 碧子から黒田、と呼ばれた中年の探偵は紙封筒の中に残っていた書類を摘んで封筒の口から覗かせると、そのまま碧子に手渡した。

「ありがとう、ご苦労様……もう下がってもらってもかまわないわ」

「はぁ……あの、上海に行かなくてもいいんですか?」

「あなたを上海に? 行ってどうするというの? 北京語も広東語もダメなばかりか英語もカタコトのあなたに? ボイストランスレーターを使ってだと、こっちとはいろいろと勝手が違うんじゃなくて?」

「……それはそうですが……」

「あとはこちらでやるからいいわ――」

 碧子は男の反応を待たずにセンターテーブルに置かれたハンドベルに手をかけた。チリリンと古風な音を響かせる。するとほどなく正装をした初老の男性執事が現れて碧子に恭しく一礼するのだった。

「お客さまがお帰りよ、玄関まで送って差し上げて。必要なら車の手配を――」

「畏まりました、お嬢様」

 体良く用済みになった男を追い払うと、自身の執務室でひとりになった碧子は黒田の報告書を持ってデスクのハイバックチェアに腰を下ろした。

 固定電話に手を伸ばして内線ボタンを押す。電話に出た相手に、

「私よ、すぐじゃなくてもいいから、高岡先生に今夜中に私のオフィスに来るように伝えてちょうだい」

 そう、言いおくと碧子は電話を切った。

 

 




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