ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~ 作:真夜中のミネルヴァ
ⅩⅩⅩⅥ
碧子は黒田のレポートに目を通していたが、表情は冴えなかった。何度、読み返しても話がまとまる方へと一向に展開しないのだ。獲物が網に掛かったかと思えば、スルリと逃げられてしまう、そんなことを繰り返しているうちに、生来の
報告にミスがあるのかと粗を探したが、添付された公式文書等のコピーは、記載内容に誤りがないことを明白に物語っている。
どういうこと――?
これだと結局、食蜂操祈との接点が殆どないことになるじゃない?
ファミリーが来日したのは六日夜、しかしその翌日には自分たちは修学旅行に発っている。その後は終始すれ違いだ。
あの尻軽女は旅行前日の夜、あさましくも男恋しさに逢い引きに走り、それと一家の挙動とが偶然に重なった――?
ありえない。仮にあったとしても非常に可能性が低い。そもそも写真が撮られたのは夜ではない。
しかしホテルの中庭なら夜でも十分に明るいのではないか――?
彼らの宿泊したホテルは……オークラ……学園都市の外、そうなると、食蜂操祈は市外に出なければならないが
だいたい密会場としては比較的利用しやすい筈の高級ホテルに来ていながら、ひと目につきやすい中庭を使うというのも不自然だ。
次に接点のある可能性は十二日の京都。こちらの方が見込みがあるのかもしれなかった。常盤台のバスが京都駅に着いたのは十四時ごろ。一方、カイフェン一家が京都に到着したのが十時少し前だ。そして京都オークラにチェックインしたのは十八時過ぎ……その間は恐らく市内観光をしていたのだろう。
しかし仮にそうであったとしても両者が接点をもつのはまず無理だ。最終日も強行軍でスケジュールがびっしり詰まっていて、とても男と密会できるような時間などなかった。
要するに仮にニアミスはあったとしても、明瞭な接点といえるようなものを想定するのは難しいのだ。
だが言い換えると微妙なニアミスは確かにあった。京都、というのにもひっかかりを感じる。両者を繫ぐ糸がまだ見つからないだけで、何か見落としていることがあるのではないか――?
碧子は当該児童のSNSサイトに直接、あたってみることにした。中国語を学んだことはないが同じ漢字文化圏ということもあり、AIに翻訳させなくてもうっすらとだが把握できそうだったのだ。
サイトでは“僕の虫日記”というようなものが半年ほど前から一昨日の最新更新日に至るまで継続していて、内容は子供らしい他愛もないものだった。殆ど虫だけで百枚以上の写真がきちんと日付順に並んでいる。虫が嫌いな碧子にとっては黒田が持ってきた粗いプリント物以上に疎ましく、仔細を正視するのには少なからず意志の力を必要としたのだが、疑問は自分の目でも確かめておかなければならないので仕方がなかった。
依然としてわからないのは、なぜ件の画像についてだけ撮影場所と日時が不明となっているのかについて。場所と日時が判明すれば、調査は遥かに
家族の誰かが人の映りこみに気がついて手を加えたのだろうか? しかしそれなら画像自体をトリミングすればいいだけのことだ。
だいたい映りこみ自体が小さなもので画像の質も不鮮明なのだ。例のフリーデザイナーが気づかなければ、誰にも見咎められることなくそのままにされていたことだろう。
その面からすると、他人のそら似――という線も消えたわけではなかった。
ただ、碧子が映りこんだ女を食蜂操祈だと確信しているのは、着衣に見覚えがあったからだった。写真の中の女が身につけている白ニットのノースリーブタートルにチェック柄のスカートというのは、以前に一度だけ、彼女のアパートを訪問した際の普段着の姿がまさにそうだったのだ。
一昨年の冬休み前に行われた会長選挙初当選後の教員への挨拶廻りで、自分となつきの二人で、当時、着任してまだ数ヶ月の新任だった操祈の部屋を訪ねたことがあったのだが、そのときの彼女は相手が女子ということもあったのだろう肌の露出の多いラフな格好のままでいて、教室に居る時とはすっかり別の顔をしていたのだった。
きっと恋人の前では無防備な素の自分を見せるのだろう、まさに垣間みたプライベートの操祈のイメージと件の画像の女の纏っている雰囲気とがぴったり重なっている。
だから、あの女が食蜂操祈であることは間違いない。
では何故、場所、日時が不明とされているのか?
理由として
ただそうなると、考えたくはないが、さらに別の介在者がいることを考慮しなければならなくなる。調査はまた振り出しに逆戻りし、撮影者不明というデッドロックに乗り上げてしまうのだ。
いったい、あの写真は本当は誰がいつ、どこで撮ったのか――?
考えても最後にはループになって堂々巡りをするばかりだった。
はっきりさせるには中国に居る代理人を使って上海の件を洗わせる以外になかった。
碧子は方針を決めると、モニターに向かい、キーボードを叩いて不明点、課題などのリストを作っていく。この後、やってくることになっている山崎家の顧問弁護士のひとり、高岡に指示するためだ。
ひとつの課題にケリをつけると、碧子はもうひとつの気がかりについても策を巡らしていく。
食蜂操祈の能力が、実際、いまどの程度のレベルにあるか、ということも確認しておかなければならない喫緊の課題だった。
ケンセー――
碧子はそのときのことを思い出し、また怒りがこみ上げてくる。
「赦せない……この私をさしおいて……あんな出来損ないのゲスオンナの分際でっ……」
今まで、あそこまで屈辱的な気分にされたことはなかったのだった。
「なぜ私があの女の添え物にならなければいけないのっ?! 冗談じゃないわっ!」
内外メディアの全てが、なべて操祈を主に碧子を従とするような扱いをしていたのだ。
三位である自分よりも五位の操祈の方が扱いが大きいなんてっ!
理由は判ってはいるが、それも含めて大恥をかかされたと感じている。
傍らで親しげにお姉さんぶったふるまいをされたことにも、はらわたが煮えくり返るような怒りを覚えていたのだ。
あのゲスおんなっ――!
常にこちらを見おろすような聖女面が憎かった。
そんななか、デスクの上の内線電話が鳴り、碧子は不機嫌な声で応じていた。
「なぁにっ!」
#あの、高岡弁護士がお見えなのですが……後に致しましょうか……?#
「いいえ、いいわっ、すぐにお通ししてちょうだい――」
碧子はそっけなく応じると受話器を置いた。
デスクから立って執務室の扉の方へと急ぐ。ドアがノックされると自ら扉を開いて、晴れやかな顔をして高齢の紳士を迎え入れるのだった。
「高岡先生、わざわざお呼び立てして恐縮です。満智子さん、先生に……先生はアルコールの方が宜しいですか?」
客人に確認すると、
「お任せするわね、満智子さん、それと私にはコーヒーをお願いするわ」
碧子は足の弱った来客の腕を取って、応接椅子の方へとエスコートして行った。
「私も門限までには寮にもどらないといけないので、長話をして先生のお時間をお取りすることは無いとおもうのですが……どうぞよろしくお願いいたします」
もうその時には陰惨な気配は微塵もなく、どこから見ても淑女然とした山崎碧子になっていた。