ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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番外 ICCPで

          XLⅡ

 

「どう思う?」

 広田矗之(のぶゆき)は紙のロングカップに半分ほど残るビールを片手に、どこか浮かない顔でホールの壁にもたれながら傍にいた同窓の吉崎慎吾に話しかけた。

「久しぶりに会っていきなりオープンクエスチョンか……いいだろう、本音を言わせてもらおう、いつもながら思うが、こういう立食は実に我々向きのひどい料理ばかりだ、ホテルってのは僕らを完全にカモにしてるんだろうな」

 広田は旧友の昔ながらの軽口にハッハッハと愉快そうに笑った。

「違いない、ボクらの参加費のあらかたがいったいどこに消えているのか、そっちの方が謎だ……保存則を無視しているとしか思えんよ……まぁそれはそれとしてだ……」

「わかってるよ、キミが訊いたのは午後のヴィーダーマン“先生”の話についての僕の意見だろ? 正直、眉唾だ、彼女は間違っていると思う。あんなに簡単に“能力”の定量化ができるとはとても思えない」

「ああ僕もだ。しかしアイツは大物だからな、あの女が喋ると、それなりにここでの議論に流れができてしまう。少なからずの連中には受けてたみたいだからね、まぁ面白いモデルだとは思うけど重要な部分をネグってるよ。だが指摘は鋭い」

「オッカムの剃刀か……なびきたくなる気持ちもわからなくはないけど……『さぁ坊やたち、金鉱脈が見つかったからココを掘るのよ』ここ掘れワンワンってな具合だな」

 吉崎慎吾も苦笑いをする。

「おい、噂をすれば影だぞ、ご本人さまの登場だ」

 吉崎が促した先には、四十がらみのスラリと背の高いブロンドの女性が居た。向こうも壁の花になった二人に気がついたのか歩み寄ってくる。するとモーゼの奇跡のように居合わせた人並みが左右に割れて道をつくるのだった。

「おい、彼女こっち見て睨んでるぞ、広田、なんでだよ? なんかやらかしたのか?」

「逃げるか……というか逃げたいんだが……」

 しかし二人とも、猛禽類にロックオンされてフリーズした小動物がその場でうずくまるように固まって身動きが取れなくなっていた。背を向けて動き出すより先に美女の方から声をかけてきたからだ。

「広田先生、意外なところでお目にかかるわね、まさかいらっしゃるとは思いませんでしたわ」

 ネイティブではなくても、語感に皮肉がてんこもりになっていることはよーくわかる。

 萎縮した様子でうつむきながら広田は、

「お目にかかれて光栄です。シンポジウムには大変に感銘を受けました」

 と、あたりさわりのない挨拶をした。

 すると、まるで気の利いたパンチラインに反応するようにブロンド美女は大きな口を開けて笑うのだ。実に挑発的な嘲笑だった。

「あら、ノブも面白いことが言えるようになったのね」

 高名なドンナ・ヴィーダーマンが友人を愛称で呼んでいることが意外で、

「広田、知り合いなのか?」と吉崎は確かめた。

 相手はドネツ連合医科大の教授にして北大西洋連邦科学アカデミー会員という大物なのだ。一介の田舎大学の准教授風情と比べると格どころか、立っている土俵さえもが甚だしく違う。

「ポスドクでハーバードのダラス教授のところに行っていた時に、当時はまだ学生だった彼女が同じラボに居たんだよ。そのころからいろんな面でものすごく目立っていたけど」

 広田は友人に説明した。

「久しぶりね、ノブ、こちらは?」

「理科学院の吉崎先生です、僕とは大学の同級で」

「吉崎先生、初めまして」

 手を差し出され、吉崎もこわごわ相手の手を握った。

「あら、あなたもアンチサーキット派だったりするのかしら?」

「あ、あ、いえ、そういうわけでは……」

「駄目よ、物事を難しく考えちゃ。人間の頭はそんなに賢くないんだから、私みたいにちょっと鈍感なぐらいが丁度いいのよ」

 正確に翻訳すると『どうせあんたらはおバカさんなんだから、なーんにも考えなくていいのよ』と罵倒されているのだった。

「はぁ……ただスライマン&ボースモデルにはやや懸念を……」

 吉崎慎吾は口にしてから、しまった、と思った。ドンナ・ヴィーダーマンと握った手をまだ離してはいなかったのだ。ドンナは握手したままぐいっと自分の方へと引き寄せながら言った。

「あなた、まだそんなことを言ってるの?」

 スライマン&ボースモデルは、従来型の意識モデルに限界を感じた凡庸な研究者たちが安易に曖昧模糊とした量子モデルへの探求へと転び始めた中、再び堅牢な古典力学のモデルへと引き戻した二人の天才、バージェス・スライマンとジェフリー・ボースの提唱した意識モデルで、今日の意識学の基本理論となっているものだった。両氏はノーベル医学生理学賞と物理学賞をダブルで受賞していて、齢八十近くになった今もプリンストン大の永世教授であるとともに、スライマンはこの国際意識物理学会(ICCP)のボスとして君臨している。

 さらにはドンナ・ヴィーダーマンは二人の秘蔵っ子だった。

「あ、いえ、そうではなくて……まだモデルには研ぎ澄ます余地があるかもしれないのではなかというような印象をもっているような気がしているだけなのかもしれない、ということで……」

 しどろもどろになる貧相なアジア人の中年男を見下ろして、ブロンド美女は哀れむようなため息をついた。

「まぁいいわ……ところでノブ、あなたの昨日のセッションは聴いたけど、能力と知能の発達についての逆相関の説明には私のモデルが適用できると思うんだけど、どうかしら?」

 圧倒的な主流派であってもアンチサイドへのチェックは怠りがない。ドンナ・ヴィーダーマンは異教徒の息の根を止めるまでけっして容赦する気はないようだった。

 

 

「お疲れ――」

 吉崎は広田の肩を労うように軽く叩いた。

「ああ、ツカレタ……」

「おまえ、よく沈められなかったな、あんだけあらゆる方向から打ちすえられて、浮かんでいられただけでもたいしたもんだと俺は感心してるよ」

「ありがとよ、だから逃げたかったんだが……ちっくしょー一歩、足が動くのが遅かった……」

 人称が、ボク、キミ、といったタメの学者同士のものから、学生時代の気の置けない関係、俺、おまえ、に戻っている。

 ホテルの前でタクシーに乗るのも気がのらず、逗留している安ホテルまで歩き出した二人だったが、途中、バーガーチェーンの前に来るとにわかに空腹を意識して、

「なぁ吉崎、バーガーでも食っていかねぇか?」

 広田は友人を誘うのだった。

「おう、そうするか……五百ドル近くも払った上に徹底的にやっつけられて、それでビール一杯だけじゃ合わないよなあ」

 夜の十時をまわって、アジア人の中年男二人がファーストフード店に入ると、店内は体格のいいタクシードライバーやらホームレスに限りなく近い者やらが満遍なく燻っていて、客は肌の色だけではなく髪の色まで含めて身なりもバラエティに富んでいる。見なれたチェーン店だがやはり日本とは違うのだった。

 曰く言い難い臭気に顔をしかめた広田が

「さっさと買って歩きながら食うことにするか」

 と、予定変更を提案すると、相棒の吉崎も同意するのだった。

 街は吐く息が白くなるほど冷え込んできていたが、歩きながらハンバーガーにかじりつく。

「久しぶりに食ったが、美味いな……五ドルあればこんだけ食えるんだからな、五つ星ホテルなんかクソくらえだ」

「まぁ学生連中はそれなりにガッツいてたみたいだから、元はとってたんじゃないか……俺たちみたいな中間層が一番、割り食うのは社会構造からして仕方ないんだろうな」

「俺が若い頃、この国に来たときはすごいなぁと目を丸くすることが多かったが、今は別の意味ですごいことになっちまったんだなぁと思うよ……」

「ああ……しょうがないよ、諸行無常さ……盛者必衰……」

「お、吉崎先生、やっぱり日本人だなぁ……俺もつくづく日本人になっちまったなぁと思うぜ、歳をとると……」

 黙々と食べ終わると、温かいコーヒーをちびちびと含みながら互いの学術的位置を確認しあう。幾つかの点で意見の異なる部分もあったが、おしなべて理解しあえることが判って今後の協力を約束するのだった。

「なぁ広田……おまえ、学園都市に居たんだってな……知らなかったよ。ずっとこっちにいるとばかり思ってたからさ……」

「うん……十年前に木原先生に誘われてね……」

「木原先生って木原幻生?」

「ああ、ちょうど任期がきれて次をどうしようかと思ってたところだったんで、おっかなびっくり覗いてみてもいいかなと」

「じゃあ大変だったろう?」

「まぁね……同僚で実刑を食らっているのが何人もいるから……僕は運が良かった。責任を問われること無く地方私大とはいえ職にありつけたんだから」

「その辺のことは訊かないことにするよ」

「ああ、俺も守秘義務にサインさせられてるから、迂闊なことは言えないんだ、悪いな」

「それより、さっきのドンナ・ヴィーダーマンとの論争を聴いていて、外野でちょっと気になっていたんだが、いいか?」

「なに? ドクター吉崎のご意見を承ろうじゃないか」

「イヤイヤそんなんじゃない、単なる好奇心だよ。で、ホントなのか? 元レベル5の被験者でまともに残っているのがたった一人しか居ないっていうのは?」

「事実だよ。一人、行方不明者が居るが、残る五人のうち四人までが反社会的不適合者――要するに犯罪者に堕ちて当局に収監後、いまもどこかの施設に収容されている。残る一人は二十歳になる前に自死した」

「そいつは悲惨だなぁ……能力者ってのは哀れなもんなんだ……」

「彼らは高い特殊能力の代償のように脳の発達が歪というか未熟だったんだよ。その理由についてはドンナはああ言っていたが、僕は彼女の説を支持していない。寧ろ、胚期由来のものだと考えている。まぁ原因はともかく、いずれにしても彼らは特に前頭前野の発達が遅滞していて知性は大半が健全下位層に属し、情動のバランスも不安定だった」

「しかしそういうのが、レベル5というと、とてつもない能力をもっていたわけだろう? キチガイに刃物というか爆発物のボタンを委ねていたわけだから、いったい、どうやって管理していたんだい? 危なくなかったのか?」

「学園都市では管理は……実はしていなかったんだ……というか我々の手に負えるしろものじゃない。だから能力者に能力者を自主管理させていたんだよ。レベル3ぐらいのもので、いわば普通のメンタリティーを持ったものがある程度の数、居たのでね。要は量をもって質に対峙させていた、というわけさ」

「なるほど……バカとハサミはなんとやら、か……」

「あまり大きな声じゃ言えない話だけれどね」

「で、今は一人だけ普通の生活を送っているのがいるんだよね? そいつは、どうして居るの? 興味深いな」

「そうなんだ、われわれ少数派にとっては希望の星とも言える非常に興味深い被験者なんだよ。今は学園都市で母校の教師をしているらしいが、プライバシーに関わるからここだけにしておいてくれよ」

「おう、わかった。しかし、それは良かったじゃないか、きっちり更生したってわけだ」

「彼女ともう一人は知能の発達も標準以上というか、平均よりも遥かに高く極めて優秀の部類に入る特異例なんだ」

「待ってくれ、そいつは女の子なのか?」

「ああ不思議なことにね、高知能のレベル5はふたりとも女子だ。残念ながらひとりは行方不明者になってしまったが」

「するとやっぱり性差があるっていうことか……」

「ある、それも著しくね。ドンナはこの件については少数の例外として無視している。確かに標本数が少なすぎるから結論を急ぐのは危険だけれど、しかし事実だけを言えばレベル5のIQの平均は八十九だが、女子だけに限ると百十を越える。これは彼女のモデルでは絶対に説明できない。特に一人は百四十以上の天才といっていい水準だ。それが今、教師をしている子なんだよ……食蜂操祈……この名前に聞き覚えは無いかい?」

「ショクホウ……」

「食蜂操祈だ」

「ショクホウミサキ? はて、なんかどっかで耳にしたような……うーん……いや、よくわからん、覚えてないな」

「先月、ネットでミスコンがあったろ? 知らないか? けっこう話題になったはずだが」

「ネットのミスコン……ああ、あったあった……え? あの子がそうなのかっ!?」

「うむ……」

「食蜂操祈って、あのものすごくカワイイ子じゃないかっ!」

 吉崎慎吾はまるで学生のように目を輝かせている。

「ああ、僕も何年かぶりに彼女を見てびっくりしたよ。ずいぶん変るもんだなと、何があったのか知らないが、すっかり毒気が抜けて可愛い子になっていたから」

「彼女のことを知っていたのか、そいつは羨ましいな」

「冗談はよしてくれ、あの子ほど現場の我々を泣かせた被験者は居なかったんだからね。とても頭がいい上に強力な精神操作系能力者、少しでも油断するとこっちの首が刈られてしまいそうだった」

「ふーん……なるほどねぇ……」

 吉崎はコーヒーを飲み干すと、紙コップをぐしゃりと握りつぶした。

「あっちの機嫌を損ねると、こっちがこんな風にされちゃうわけね」

「そういうことっ」

「とてもそんな風には見えなかったけどなぁ、気立ての良い子っぽかったぞ……まぁ女の子だからいろいろあるんだろうけど……しかし、僕らとしては是非とも研究発展のために彼女から協力を得たいところだねぇ、サーキットの連中に一泡吹かせてやりたいじゃないか」

「そうなんだ……だが残念ながら、彼女から協力をとりつけるのは無理だろう、あの時代を知っているわけだから……」

「そうとも言えないんじゃないか? 誠心誠意、土下座して頼めば応じてくれるんじゃないか?」

「女のコを口説くのとはワケがちがうんだぞっ」

「同じようなもんだろ」

「まぁ、帰ったらまた協力依頼の連絡をするつもりではいるんだが……また門前払いだろうな……」

 ホテルの前まで来たところで広田は足を止めた。

「キミのホテルは、たしかここだろ?」

「あ、そうか、ありがと、うっかり通り過ぎるところだったよ」

「僕のホテルはあの角の星なしだよ、貧乏大だから出張費もキャップがかかっててさ」

 広田は通りの先のくすんだビルを指差しながら言った。

「さっきの話だけど……食蜂操祈の件は僕もいっちょかみさせてもらってもいいか? 学園都市にひとり友人が居るんだ。彼女に話せば力になってくれるかもしれん」

「学園都市に? ほう、誰だい? そいつは」

「たぶんキミも知ってる筈さ、木原さんのお孫さんだから」

「ああ、彼女か……」

 友人からの提案に広田は中途半端な笑顔で応えるのだった。

 

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