ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

68 / 140
西伊豆の夏

          LⅩⅤ

 

「ハーイ、ミサキチ――」

 ビーチベッドで怪訝そうな顔で片肘をついて身を起こしていた食蜂操祈に、町村淳子がドライマティーニのグラスを差し出した。

「呑んべのミサキチ好みに、ジン多めにしといてあげたわ」

「あ、ありがとう、淳ちゃん、でも呑んべはないわよぉ、ひどいわねぇ」

 苦笑しながらグラスを手にしても、なお操祈はあたりを窺うかのように見回していて淳子は

「どうしたの?」

 と、訊いた。

「うん……今、そこに誰かが居たような気がして……」

「え? 誰もいないじゃない、っていうか居るワケないでしょ」

 淳子は取り合わなかったが、操祈はまだしっくりしない様子なのだった。

「夢でも見ていたんじゃないの?」

「気のせいかしら……」

 それもそのはず、この西伊豆にある高級リゾートホテルに併設されたヴィラは、一つ一つがプライバシーを保たれるように天然の地形を利用して海岸の絶壁に沿ってレイアウトされていて、それぞれのプライベートビーチにはそれぞれのヴィラからしか立ち入れないからだった。そして各ヴィラへの出入りは専用エレベーターに限られている。たしかに非常用の階段が絶壁を這って崖の上にまで伸びてはいるが、点検以外にそれが使われたことはホテルがオープンして以来一度もなかったとのことだった。

「そうね、そうよね……うん……」

 目に見える範囲、まわりの白い砂浜には不審な足跡もなく、海も遠く沖までつづく白い波頭の連なりが見えるばかりで人の気配はどこにもなかった。

 打ち寄せる波音と蝉の鳴き声があたりを囲繞(いにょう)している。

 淳子は手にしていたビールの大ジョッキをゴクっとやると、操祈の隣のビーチベッドに身を横たえた。

「いい気持ちぃ……ここは静かでいいわぁ……」

「あら、潤子さんは?」

 音が同じ“じゅんこ”で紛らわしいが、操祈は同い年の町村淳子は「淳ちゃん」、一つ年上の潤子・エーデルマン(旧姓:帆風潤子)に対しては「潤子さん」と敬称をつけることで二人を呼び分けていた。

「うーん、帆風さんならきっとフロントに行ったんじゃないかな? エレベーターが上がったままになってるから」

「フロントに――?」

「さっき、今夜のディナーのバーベキュー素材の一部をチェンジしてもらうとか言ってたから……わたしも今までバーに居たから気がつかなかったけど……」

 帆風潤子は学生結婚した後、姓が夫のエーデルマンに変ったが、みんなは今も旧姓で呼んでいた。

「それって私がしなくちゃいけないことなのに……」

 操祈は先輩を気遣うが

「ミサキチはお料理苦手でしょっ、まぁここは“主婦”に任せときなさいって」

 淳子の方はあっさりしたものだった。

 三人はともに先端大の理学部数学科のクラスメートで、ともに最終学年だったが、操祈が先に論文審査が通って秋からは社会人となることが決まったため、卒業旅行と銘打って仲良し三人組でショートバカンスを過ごすことにしたのだ。

「あーあ、ミサキチが九月から居なくなっちゃうなんて、寂しくなるなぁ……」 

「淳ちゃんだって、もうすぐ論文、仕上がるんでしょ? 来年は大学院への進学も決まっているし……」

「うーん、そうなんだけどねぇ……」

 淳子は寝返りをうって操祈の居る方に顔を向けて横臥になると、肩肘をついて頭を支えた。

「ねぇ、ミサキチはどうして進学しないの? あんたデキるのにさぁ」

「私には才能が無いから……」

「ナニ言ってるのよっ、円香(まどか)先生も、もったいないって言われてたわよ、論文も良く書けていて、学科内でも評価が高かったからって」

「………」

「わたしもそう思うのに……」

「あまりわたしを買いかぶらないで……なんでもそうなの、ある程度までは出来るようになるんだけど、そこから先が凡人の悲しさでピタッと伸びが止まっちゃうのよ。ピアノもそうだったし、数学もそう……努力はしても、どれもみんな中途半端……だから、子供たちを教える方がいいのかなって思って……才能のある子が伸び伸び育つように、そのお手伝いをする方が私には似合ってるような気がして……」

「ダレがみんな中途半端の凡人ですってぇっ! この体をしているオンナがそれを言いますか、それをっ!」

「きゃぁっ!」

 淳子が手を伸ばしてきて操祈のワンピースの水着の胸を掴んでゆさゆさ弄ぶ。おとなし目のデザインではあったが、操祈の胸許ははちきれんばかりになっていて、真っ白い肉が盛り上がって谷間は深い陰影をつくっていた。

「あら、仲がいいわね」

 戻ってきた潤子が、さっそくその様子を目撃して顔を綻ばせた。

「帆風さん、まさかその格好でフロントに行ったんですか?」

 潤子は肌の露出の多い大胆なピンクのビキニ姿だったのだ。経産婦ではあっても、肌の白さとみごとなボディラインはいっそう充実することはあっても、少しもくずれては居ないのだった。

「まさか、ご心配なく、ちゃんと水着の上にワンピースを着て行ったわよ」

「えーっ、でもエロエロじゃないですかぁ、あのワンピ、スケスケで、胸許が大きく開いてるから首筋にくっきり残るキスマークの痕も隠せないしぃ」

「あら、そうかしら、でもそのくらい平気よっ、うふふっ」

 潤子は恬淡とした笑顔を向けている。

「さすが母は強し、だわ」

「“女王”のご希望に沿って夕食のメインのステーキを一部、ロブスターに代えてもらってきました」

「潤子さん、もうその呼び方、勘弁して下さい。本当に後生ですからぁ……お料理の変更だって自分でやるつもりだったのに……」

 操祈の言葉には哀訴の色が濃かった。黒歴史を掘じくり返されてはくすぐられているのだ。

「ごめんなさい、ついクセが出ちゃって♥……でもいいじゃありませんか、だって、この旅行は操祈さんの卒業を記念してのお祝いなんですから」

 潤子は、かつては操祈の派閥のナンバー2だったが、今はいろいろな意味で先輩だった。大学進学早々に結婚をして出産、今は一歳半になる息子の母親である。

 結婚が公にされた当時、周囲はあのオクテの見本のようだった、帆風潤子――が、とみな驚いたものだったが、逆に今は超美人のママとして学内では尊敬と憧憬の視線を集めている。

 結婚、妊娠、出産などの所為で単位の取得が遅れ、漸く研究テーマが決まったばかりで卒業は早くても来年の春以降になるが、“親友”である操祈の卒業企画というので、一も二もなくこの旅行に参加していた。

「じゃあ、わたし、帆風さんの飲み物を作ってくるわ、何がいいですか?」

「女王……操祈さんは何を召し上がってらっしゃるの?」

「ミサキチにはドライマティーニです。彼女用にスペシャルにアレンジした、ジン、どっばぁーの」

「じゃあ、わたしもそれで――お願いしていいの?」

「ええ、もちろんです」

 潤子に対しては、物怖じしないはっきりした性格の淳子も一目置いていて、その分、操祈との間と較べると距離があったが、むろん気の置けない友人同士であることには変わりがなかった。

 淳子がその場を離れると、帆風潤子は操祈の一つとなりのビーチベッド――淳子が使っていたベッドを一つ間に挿んで――に身を横たえるのだった。

「こんなふうに、プライベートでのんびりするの、久しぶりですね、いつ以来でしょうか?」

 潤子は、今も操祈に対して丁寧語以上の言葉遣いをすることが多かった。あるいは仮に言葉の選択は妥当でも、ニュアンスで敬意を滲ませてくる。それが今の操祈には本当に心苦しいのだった。

「ずいぶん、いろんなことが変ってしまいましたね……」

「あの潤子さんが、今では立派なお母さんですから……」

「わたしは操祈さんが常盤台の先生になるってことにもびっくりしましたよ」

「じゃあ、お互いさまですね……」

 特殊能力者が能力を失っていくにつれて、軽度の人格変容が見られることは珍しいことではなかった。能力によって覆われていた心のコアな部分が、消失とともに表に現れて、その人物がもともと持っていたより本質的な精神性、人格、といったものが以前よりも大きな比重を占めるようになるからだろう、と解釈されていた。また、むしろ逆に変容が見られない場合ほど、適応障害を呈するリスクが上がるとも言われていて、それは女性よりも男性にその傾向が強いという。

 帆風潤子は、力学系の能力者の常として能力消失に至るまでの猶予は短く、性格の変化もそれなりに速かった筈だが、周囲がそれに気がつくのにかなりの時間を要したのは、実生活における彼女の能力への依存度が小さかったことも関連していたのだろう。つまりは特殊能力などに(すが)らずとも、帆風潤子はそもそも周囲からの承認を必要十分に得られていたのだ。

 やがて恋愛に疎い控えめだった美少女は、開花の時を待ちかねていたかのように、長じるや絢爛たる大輪の花を咲かせて周囲を驚かせたのだった。

 一方、食蜂操祈の場合は少し様子が異なっていた。能力消失までの猶予期間は長かったにもかかわらず、自身の変化とその受容に至る道のりは、ある種“闘い”の面があったからだ。変化へのなだらかな順応ではなく、過去の自分の清算と克服という色合いが強かったのだ。ただ操祈はそれを、今では遅れてきた思春期の嵐のように捉えて懐かしむゆとりを取り戻している。

 異性に対しては積極的――と、いってもあくまでも児童のレベルでの話だが――で、周りからは“肉食系”の女子とも看做されていた美少女は、情熱を抑えて控えめになり、生真面目な、どこか脆さも感じさせる大人の女になっていた。

 ついでに食べ物の好みまでもが変っていたのだった。肉よりも魚介類をより好むように。

「お待たせぇー」

 淳子がマティーニのグラスを三つ載せた盆を持ってビーチに戻ってきた。

「はい、帆風さん――」

「ありがとう」

「ミサキチにもお代わり、置いとくわね」

 淳子は自分のグラスを持って二人のビーチベッドの間にある開いたベッドに横になろうとして、既に居る二人を見比べると急に黄昏(たそが)れた顔になって、大きなため息を一つ吐くのだった。

「どうしたの? 淳ちゃん、ため息なんか吐いて、らしくないわね」

「なんだかなあーって思って」

「なんだかなあーって?」

「あたしさー、二人の間に入ると、なんだか捕まったエイリアンになりそう」

「なんですか? 捕まったエイリアンって?」

 潤子は不思議そうな顔をして半身を起こした。ピンクのビキニの胸がゆっさりとした量感を見せつけている。

「いいの、聞かなかったことにして、口にするとかえって口惜しくなるから」

 淳子は間のビーチベッドにドンと横になると、ちょっと不貞腐れたような顔をして、マティーニを口に含んだ。

「あーあ、人生って不公平よねっ」

「あら、淳ちゃん、哲学科へ転科でもするつもり?」

「だめよ、町村さんには数学の才能があるんだから、変な浮気心を起こしちゃ」

「ヘンっだっ、持てる者に持たざる者の苦しみが、わかってたまるかってんだっ! 夕焼けのバカヤローっ」

「夕焼けですか?……岩影に居るからわからないけれど、まだお日様は高いはずですよ、もう少し日が翳ってきたら、せっかくだから軽くひと泳ぎしましょうか?」

「わたし、泳ぐのはあまり得意じゃないけど……」

「やったー、ミサキチにも不得手なこと、あるんだ」

「やったーってなによぉ」

「じゃあ、わたし、ミサキチに泳ぎ、教えてあげるわ、これでも元水泳部だったんだから」

「うーん……そうね、じゃあ、せっかくの機会だから教えてもらうことにするわ」

 操祈はちょっと迷ったが、淳子の提案に応じることにする。

「わたしにも教えて下さい、いままでずっと我流でやってきたから正式な泳ぎ方って習ったことがないんです」

「いいだろう、みんなわたし習うが良い、フォッフォッフォ」

 満足げに淳子は胸を反らした。が、すぐにつるんと未発達な自身の胸許と両隣のけしからんボディとを比較して、また唇をグッときつく結ぶことになるのだった。

 




遅くなってしまいました
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。