ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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とあるひとりの中年調査員(エージェント)の憂鬱

 

          LⅩⅩ

 

 いったいどうなってるんだ……。

 いまここで何が起こっている――?

 カイツ・ノックレーベンは学園都市中心街区にあるシティホテルの一室で日本在住の連絡員でかつ、アシスタントでもある響子――オリヴィア・響子・グレーブス――からの電話を待ちながら、これまで発生した全てのイベントを一貫して説明できる方法を探しあぐねて、前髪が後退し始めた広い額を抱えていた。

 やはり事態は予想を超えている?

 そうなると、もはや自分の手にあまるのではあるまいか?

 食蜂操祈がかつてのような強大な能力者ではなく、ただの一人の女なのだとしたらクライアントの意向に適う働きも出来よう。

 しかし当初から懸念していたようにその前提が誤っていたとしたら――?

 

 二十日前――。

「……報酬は着手金として十五万ドルご用意して居ります……」

 男はアタッシュケースを開いて中にあった帯留めされた百ドル紙幣の束を示した。

「これは仮にお引き受け頂かなくとも、お返しいただかなくて結構です。成功報酬としてはその二倍、さらにボーナスとして五万ドル、しめて五十万ドル……いかがでしょう、お引き受けいただけないでしょうか?」

 カイツは眉間の縦じわを愁いのために更に深くして、無垢材の分厚い丸太テーブルの対面に座る白髪の紳士を見遣った。

 カルガリー郊外、山間(やまあい)にある彼のロッジは表向きは冬場にスキーを楽しむためのものだったが、実のところは隠れ家兼武器庫でもあるのだ。仕事を終えるとここを(おと)ない、次の仕事までの間のコンディション調整などにあてている。

 そこへいきなり見知らぬ紳士がやってきたのだから尋常ではなかった。もちろん初老の男が一時の暖を取りに茶飲み友達を求めてやってきたのではない。相手は彼の“素性”を知っていた。

 つまりは仕事の話だ――。

 しかもロッジの外には少なくとも三名の元軍人、あるいは訓練を受けたと思われる男たちが居て、周りをとりかこんでいる。とても、単なる依頼というようなシチュエーションではなかった。

「我々はあなたのキャリアと能力をとても高く評価しています。仕事を無事に終えられたあかつきには、我が社としてはあなたを経営側に招く用意もあります。警備部門のトップとして辣腕をふるっていただくことも……もちろん役員としての待遇もお約束いたします。あくまでもあなたにご希望があればのことですが……どうでしょう?」

「ミスターランベール……」

 それがはたして本名かどうかも怪しかった。肩書きも大企業の役員とのことだったが、それは表向きのことだろう。身なりもよく、一見、物静かな紳士然としてはいるが、拭いようのない同業者の臭いがしているのだ。恐らく現場から離れて久しいが、それでもいつでも実戦に復帰できるほどの力量をまだ備えている――と、カイツは相手を値踏みしていた。

 要するに必要とあれば何でもするし、それをする意思も能力もある手合い。

 そのうえ一対四ではさらに分が悪かった。

「なぜわたしを――?」

「あなたは彼女と面識をお持ちだし、信頼も勝ち得ておられていたようだ。また学園都市内部のことにも通じていらっしゃる、これ以上の適任は無いかと……二十歳そこそこの娘さんを一人、“お連れ”いただくだけのことにしては悪くない提案だと思いますが……」

「言われるように、彼女がただの二十歳そこそこの女だというのなら、好条件を携えてわざわざこんなところにまでやってくる必要もないでしょう。他の誰にやらせてもいい……しかし、そうじゃないからあなたはここに居る……いつでも切り捨てられる、わたしのようなフリーランスの前に……」

「手厳しいですな……たしかにその点はおっしゃる通りです……」

 相手は率直に、食蜂操祈の能力が現状、どの程度のものであるか見極めがついていないことを認めた。その上で、どのような手段にうったえても彼女を確保したいということをカイツに訴えたのだった。

「なぜそこまでして彼女に拘るのですか?」

「わたしにその回答をご用意できないことは、ご存知の筈ですが……」

 結局、食蜂操祈の身辺調査を行った上で、接触が可能と判断できない場合には手を引くことを条件に、カイツは仕事を引き受けることになったのだった。

 ただもし自ら任を離れるようなことになった場合、彼はこの世界から事実上引退を余儀なくされるだろう。

 ネズミを捕まえられない猫に餌をやる心やさしい飼い主など、彼の生きてきた“世界”には居ないからだ。

 十五万ドル――。

 退職金にしては安すぎた。

 

 想定内だったのは、食蜂操祈を“獲得”に動いている企業、組織、あるいは国家は雇い主を含めて複数あること。そして彼らのうちの幾つかが既に何らかの仕掛けを企てて動き始めていたことだ。その中には非合法の裏社会の実行部隊、チャイニーズマフィアやロシアンマフィアなども含まれていて、学園都市の暗部では、さながら表裏が入り混じっての食蜂操祈争奪戦の様相を呈していたのだが、こうした流れを受けて、カイツの当面の任務は先行しているグループの妨害及び撹乱となっていた。しかしそのうちの一つは彼の工作によらずに既に“排除――”されていたのだ。

 年明け直後の一日未明、その荒っぽい手口で知られるチャイニーズマフィアの系列組織、藩元皇(ファン・ユンフアン)を首魁とする『赤蛇(レッドスネーク)』の数名が食蜂操祈のマンションに急襲を試みたものの、あっさり撤退に追いこまれたことは、すぐに競合者(コンペティター)たちの知るところとなっていた。

 そこでいったい何が起きたというのか、以降、赤蛇(レッドスネーク)はすっかりなりを潜め、他の競合者たちも怯えるように巣に引き蘢って、今は動きが沈静化している。

 カイツもその時の監視カメラの映像を手に入れて確認したのだが、何が起きたのか判然としなかった。

 映っていたのは、ワゴン車から飛び出してきた男たちが、なぜか一瞬の間に昏倒し、その後、運転士役のひとりが倒れた仲間たちを車内に回収して慌てて逃げ去って行くシーンだけだったのだ。

 画像を見る限り、男たちには外傷はみられないようである。

 となると、何らかの理由で意識をとばされたと考えざるを得ない。それは強大な精神系の能力者にとっては不可能なことではなかった。

 つまり、食蜂操祈はやはり能力を回復している、すくなくとも全盛期の能力の回復途上にあるのではないか――?

 結論を急げばそうなった。

 

 だが――。

 

 その時、食蜂操祈は確実に自室に居た筈なのだ。精神系能力者唯一のレベル5、人類史上最強のテレパスである彼女をもってしても視界に入らない相手に影響力を行使はできない。

 ならば、外部増幅装置でも使ったというのだろうか?

 その可能性を完全に否定できないのが、ここ学園都市の恐るべきところだった。

 仮にそうであれば自分にできることは何もなかった。任を解いてもらうよりないだろう。結果、その行きつく先がビジネスからの強制的引退になるのだとしても、それは仕方がなかった。

 あの事件から十年近くたった今も食蜂操祈は依然として彼にとっては畏怖の対象なのだ。彼女の愛くるしい容姿と冷厳な性格は、思い出すと今も背中に冷たいものがはしるのだった。

 数日前、意図せず偶然に学園都市の街中(まちなか)で彼女と会った時、彼はあらためて自分が食蜂操祈の前では蛇に睨まれた蛙であることを思い知らされていた。

 大人のレディへと成長した操祈は、容姿こそかつての鋭利な刃物のような剣呑な雰囲気を放っては居なかったものの、強大な心理掌握の能力者と間近で接したことのある者としては、こちらの胸の裡など何もかも見通されているのではないか、との不安と疑いが常に晴れなかったのだ。

 自分の行動は果たして自由意志を反映しているものかどうか――?

 それは自己の存在の足元が揺らぐことへの恐れに他ならない。

 そしてもしも彼女から敵だと認定されたら、あの、氷の女王(ICY QUEEN)――は、いったい自分にどのような罰を下すだろう?

 再覚醒した彼女をこちらの意に添わせるなどということはありえなかった。

 もし常人がそれを望むのだとしたら、ある限りの能力者をかき集めた実行部隊を組織する他はないだろう。それでも間に合うかどうか……。

 胸の内ポケットが振動して、カイツはジャケットからスマートフォンを取り出した。

「わたしだ――」

「ボス、いま例の少女の家の近くまで来て居ますが……」

 電話の相手は響子だった。日本国内では何かと目立つカイツの代わりに実動任務を任せていた。今、彼女は操祈のアパートに逗留していた人物の尾行をしていた。

「場所はどこだ?」

「こちらのGPSの座標をお送りします、ご確認下さい……映像、ご覧になられますか?」

「そうしてくれ――」

 響子が装着したモニターカメラからの映像には、件の“少女”の家と思われる古びた一軒家が映っていた。

「ここが、そうなのか?」

「ハイ、つい先ほど家のなかに入って行くのを見届けました」

 カイツにはこの家の娘と操祈との繋がりが全く想像できなかった。年末年始の四日間を共に過ごすほど親密な間柄だとすれば、まずは親族相当なのかもしれないと思っていたのだが、どうもそうではないようだ。

 片や世界的なコングロマリットの一族の血を引く娘と、この下町の、どちらかと言えば暮らし向きが良いとは思えない住人の間には何の接点も感じられない。

 イヤな予感がしていた。

「接触を試みますか?」

 カイツは少し考えてから、画面に映った響子に頷いて同意を示した。

「画像はそのままにしておいてくれ、状況による臨機対応を許可する」

「諒解です」

 画面が当該家屋に近づいて行き、女らしい白い手が丸い呼び鈴のブザーボタンに指をのせた。

 ブーっと安っぽい音がして、家のなかからノシノシと近づいてくる人の足音が近づいてくるのがわかった。

#なんだい――#

 閉じたままのドア越しに女のダミ声が聞こえた。声からすると中年女のもので、想定していたものとはかなり違っていたがあの“娘”の母親だろうか、と思う。

「あの――」

#新聞なら間にあってるよっ#

「いえ、わたし、ちょっとお嬢様とお話がしたくて……」

#オジョーサマだぁ……#

「けしてお手間をおかけいたしませんので……」

#押し売りの類いなら容赦しないよっ#

「ほんの五分ほどで結構です、お取り次ぎ願えませんか? お礼はいたしますので」

#お礼……だって……?」

 ノソッとドアが開いて、五十代半ばといったところの肥った女が顔を覗かせ、油断ならない目つきで周りの様子を窺っている。

「あんた一人かい?」

「はい――」

「トシコとはどういう関係なんだい?」

「あの……」

「ダチには見えないね、ダレだい、あんた?」

 中年女はこちら――響子――の顔をねめつけている。

「わたし、東都通信社会部のグレーブスと言います」

 響子は身分証を提示したようだ。それは彼女の表の顔だった。

「おや、記者さんかい、そんなおエラいお方がうちの娘にいったい何の用があるっていうんだい?」

「ちょっとお尋ねしたいことがあって……不躾で大変恐縮なのですが……」

 そう言いながら響子は菓子折りよりも有効なものを相手に差し出した。

「おや、こんなことまでしてもらわなくてもいんだけど……まぁ、せっかくだからいただいとくよ」

 中年女は手にした札びらを縒れたズボンのポケットに捩じ込んだ。

「いいよ、入ンナ」

「いえ、こちらで結構です」

「そうかい、お茶も出さないで失礼するけど……」

 中年女はドアをあけたまま背を向けると、玄関わきにある階段の上の方へと声をかけるのだった。

「トシコ、トシコっ、おまえにお客さんだよっ」

 ちょっと間があってから、鈍い声が返ってきた。

#ダレぇ――?#

「新聞社の人だって、おまえと話がしたいんだそうだ」

#新聞社の人ぉ……なんだろぉ……わかったぁ、いま行くぅ……#

 ややあってから襖の開く音がして、階段をドスドスと響かせて降りてくる。

 娘を見たとたん、カイツは愕然としていた。もちろん響子も同様だろう。

 現れたのは体重が百キロはあろうかという、母親よりもさらに大きな女だったからだ。髪が茶髪であること以外、件の少女と一致したところは何もなかった。

「あの、お嬢様は……こちらの方ですか?」

 響子の声にも動揺が窺えた。

「痩せ型の……ツナギを着た高校生ぐらいの方は……? こちらのお嬢様じゃなかったんですか?」

「あんたナニ言ってんだい、うちは二人暮らしで、あたしの娘はコレひとりだよっ」

「なぁにあんた、わざわざケンカ売りにきたのぉ」

 体型を揶揄されたと思ったのか娘の方が気色ばんだ。

「じゃあ、さっきの方は……?」

 響子はなおも懸命に食い下がろうとしていたが、

「響子くん、もういい、丁寧にお礼を言って戻ってきたまえ……我々はやられたんだよ、完全に……」

 カイツはスマートフォンを一方的に切るとベッドの縁にドスンと腰を下ろした。

「心理掌握か……幻想を追っかけさせられていたとは……」

 ひとりごちた。

 胸のポケットから煙草を一本取り出して口に銜え、火をつけると長く吸い込む。

 しばらく肺の中に蓄えて、たっぷりニコチンを吸収させてから白い息をゆっくり吐き出した。

「この年でレジ打ちのバイト探しをしなきゃならなくなるとはなぁ……」

 そう愚痴る顔には、どこか安堵の頬笑みも泛かんでいるのだった。

 




ちょっとサボってしまいました
どうかよろしくお付き合いください
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