ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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年が明けて ~往くものは往き、留まるものは留まり続ける~

          LⅩⅪ

 

 密森黎太郎が自宅から寮の自室に戻ってきたときには、もう午後も八時近くになっていた。当然、ルームメイトの那智陽佐雄は既に部屋に居た。

「新年、あけましておめでとう。今年もよろしくね」

「先輩こそ、今年もよろしくお願いいたします」

「年賀状、ありがとう、ちゃんと受け取ったよ。でも返事は実家宛だと間に合わないと思って、直接、手渡しになるけどいいかな……? ちょっと風情がないけど……」

 レイは申し訳なさそうに言った。

「もちろんです、ありがとうございます」

「ごめんね……」

 詫びを言いながらショルダーバッグの中から陽佐雄宛の年賀状を探すと、後輩の少年に手渡した。

 年賀状の交換は親しさの度合いを反映していた。生徒同士であってもメール交換だけで済ませる相手と、互いのアドレスまで交換していてハガキを送りあえる仲とでは、やはり違っている。

 今日の昼過ぎ、操祈のアパートを出てから自宅に戻った時、郵便受けには自分が出していない相手からの賀状が幾つかあるのに気がついて、その返事を書いたりしていたために結構、時間を取られてしまったのだ。

 もともと学園都市内に実家のあるものには、それぞれのアドレスに返信を投函しておいたが、陽佐雄に対しては表書きの宛先こそ実家にしておいたものの、投函しても主なきデスクの上などに何ヶ月もさらされるだけだろうと、手渡しすることにしたのだった。

 裏は干支には拘らずに、体育祭のときの写真を貼りつけたものにコメントなどをつけて体裁を整えていた。お得意のバスケットで陽佐雄が綺麗なシュートを決めた時のものである。

「ありがとうございます……あ、これ……」

「カッコイイよね、撮影部の人が撮ったものなんだけど、とてもいい写真だったから譲って貰っていたんだ」

 写真を見て屈託のない様子で相好を崩している後輩に微笑みながら、レイは窓際にある自分のデスクに腰を下ろした。

「お休みはどうだった?」

「ハイ、とても有意義でした」

「それは良かった」

 後輩がニコニコと幸せそうな笑顔をしていて、何か言いたげであるのに気がついて

「あ、なんかいいことでもあったのかな?」

 水を向けてみる。

「え、わかりますか?」

「まぁねぇ、そんな顔をされてればね……じゃあ聞こうか、キミの物語を」

「えーと……」

 いつもは外連味のない陽佐雄が、珍しく勿体つけた風に躊躇っていて

「別にボクは無理強いするつもりはないんだよ……」

「いえ、そうじゃないです……どうしようかな……密森先輩、このこと、他の人には言わないでくださいね……誰にも……」

 どうやら他人には知られたくない、けれども自分ひとりの胸に収めておくには大きすぎて溢れ出してしまいそうな類の内緒話のようだった。

 それでおよその察しがついたのだが、

「わかった、約束するよ」

 レイは頷いた。

「それで……?」

 後輩に話を促す。

「うーんと……僕……実は、ずっと好きで憧れていた女の人がいて……」

「うん」

「それで……その人に……ようやく気持ちが届いて……」

 陽佐雄は少し顔を朱らめて、言葉を選びながらそれを口にした。

「そうか……それは良かった……」

 思った通りで、レイも安堵に似たため息をついた。

「それってもしかして……そういうこともふくめてのこと? プライバシーに立ち入るようで悪いけど……」

 レイは祝意のこもった暖かい眼差しを送りながら確かめた。

「え? ええ……先輩が訊かれているのがその話なら……そうです」

「……じゃあ、去年までのキミと今のキミは、もう違うんだね……」

「別に……自分は何も変わってないと思いますけど……でも、そうかもしれません……」

「よかったね……」

「ありがとうございます……」

「隣、いいかな?」

 レイは陽佐雄の座るベッドの横に並んで腰を掛けた。

「とても素敵なことだよね……先輩としては、二つも年下の後輩に先を越されて悔しいところなんだけど」

 レイは頬笑んだ。

「でも全然、悔しそうには見えませんよ」

「だって、キミがとても幸せそうだからさ」

「僕、先輩なら、きっとそう言ってくれると思ってました」

「相手は誰? とか、どうだった? なんて野暮なことを訊くつもりはないけど……その人のことをだいじにできる覚悟はできたかい?」

「はい――」

 陽佐雄は大きく頷いた。

「それを聞かせてもらえただけで十分だよ……縁があって、キミのいちばん近くに居てくれる人なんだから、誰よりも大切にしてあげないとね……セックスはそうなるための二人だけの特別な入り口にすぎなくて、その先にはもっとずっと素敵なことが待ってるんだから……」

「密森先輩……」

「交際を深めていくと、きっと相手の欠点に気がついたりするようにもなるだろうけど、でも、それを正そうとするのではなくて受け容れるようにすること、そうするとその人のことがさらに好きになって、自分のことよりも大事に思えるようになる……」

「……先輩は……やっぱりそっちの方も経験豊富だったんですね……」

 後輩の尊敬の眼差しに驚いて、

「あ、いや、いけないな、ちょっと言い過ぎてしまったみたい。今のはみんな誰かの受け売りだよ、忘れていいから」

 慌てて釈明した。

「ごめんね、説教臭くなって。後輩の変化についていけなくてテンパってた……ハハハ」

「そうなんですかぁ? なんだか思いっきり怪しいですよ、隅に置けないなぁ、先輩こそ冬休み中にイロイロあったんじゃないんですか?」

「無いよ、なんにも、ありふれた普通の年末年始だったよ、観音様に初詣に行って、クリきんとんとか、好物の蜜たっぷりの甘いおせち料理を食べて、一日中ゴロゴロして、夜更かしして……」

 嘘ではなかったがレトリックもかなり交えていた。

「だって、プレゼントはどうされたんですか?」

「プレゼントって、何の話?」

 予想外のツッコミを受けてつい真顔になる。

「僕、見ちゃったんです、先輩がクリスマスに銀座の宝石店をハシゴしていたのを……きっと女の人に渡すプレゼントを探しているんだろうなって……」

「えーっ! 見られてたのかぁ、参ったなぁ……それなら声をかけてくれれば良かったのに……」

「ボクもちょうどデート中だったので……」

「そうか……でも、そのことはみんなには内緒にしてくれるとありがたいんだけどな……」

 レイは照れ臭そうに頭を掻いた。

「もちろんです……お互いに……」

「そうだね……」

「それで、先輩は探しものは見つかったんですか?」

「え、いや、困ったなぁ……」

「今度は僕が先輩の物語を聞かせてもらう番です」

 後輩にきっぱりと言われて、レイもヤレヤレといった按配で口を開くのだった。

「残念だったけど、とても高くて中学生の小遣いでは手が届かなくてね……」

「そりゃ、和光もティファニーも高級店ですからね……」

「だよねー、一万円以下で買える小物でもあればと思ったんだけど、一桁違っていて退散するしかなかったよ、それで仕方なくブラブラしていたら、偶然、手作りのアクセサリーができる銀細工の工房が見つかって」

「銀座にそんなお店があるんですか、知らなかったなぁ……」

「うん、地名にもあるように歴史的なものなのかもしれないけど、ボクが入ったお店の他にも何軒かあるみたいだから後で調べてごらん」

「それで、何を作られたんですか?」

「ちょっとしたリングをね……三千円くらいでオリジナルのが作れるっていうから」

「銀座って名前だけで敷居が高いんですけど、それなら僕たちでも十分に手が届くから……今度、試してみようかな……」

 陽佐雄が“僕”ではなくて“僕たち”と言っていて、またレイは頬を緩めた。

「カップル御用達みたいだったから、その人と一緒に行くのも楽しいかもしれないね、お揃いの指輪を作ったりして」

「先輩は、その作ったリングを……僕が気になるのは顛末なんですが……」

「まぁ一応、渡したけど……でも、ボクはキミと違って片思いだから……」

 肩をすくめてみせる。

「受け取ってもらえなかったんですか?」

「いや――」

「なら、それってまんまオーケーのサインじゃないですかっ! だって好きな人にクリスマスに指輪をあげて受け取ってもらえたんでしょ、アブないアブない、またはぐらかされるところだった」

「告白はしたよ、でも片思いっていうのも嘘じゃない……ボクはその人と将来、結婚したいと思っているけど、それはボクが勝手に見ている夢だから……」

 結婚――と、いう言葉に刹那、陽佐雄の表情が陰った。

「先輩が好きな人って、どんな人なんですか? やっぱりウチの生徒、クラスの人とかですか? 栃織先輩とか……?」

 レイは首を横に振った。

「ですよね……僕も栃織先輩は、みんなが勝手に言ってるだけで、先輩のタイプじゃないとは思ってましたから……」

「……子供の頃から好きだった人で……キミと同じように年上の女の人だよ」

「どうして僕の彼女が年上だって……?」

「そりゃ判るよ、だって、ずっと前から憧れていたって言われたら、それしかないじゃない?」

「………」

「男の子が夢中になる女の人って、けっこう身近な年上の人だったりするからね……近所の幼馴染のお姉さんとか、優しくしてくれた学校の先輩とか……」

 先生――という言葉は、意識して避けていた。

「……そう……ですよね……わかります……先輩も、そうだったんですか……?」

 陽佐雄はちょっと複雑な顔をしていて、同意を求めるかのように頷いている。

「うん、ボクもそんな感じかな……でも大切なのは誰を好きになるかではなくて、その人とどう向き合うかってことだと思うんだ……相手の年齢とか立場とかには関係無く、自分が大切にすると決めた人を信じて、その気持ちを大事にすることなんだって……」

「………」

「キミだってその人のことを思っていると心が温かくなるでしょ? 自然にその人が幸せになってほしいって願っている……その気持ちがあれば、どんな時も間違うことはないと思うよ……たとえ片思いに終わったとしても……」

「……そう……ですよね……」

「思いを遂げたヒサオくんには、関係ないことかもしれないけど」 

「いえ、わかります……やっぱり先輩はスゴいな、僕なんか、とても敵わない……」

「なに言ってるの、ヒサオくんはそんなにカッコイイのに、ボクはいつもジェラシー感じてるんだぞぉっ」

「また、そんな心にもないこと言ってるし」

「それはひどいなぁ」

「でも僕も先輩には女っ気はないないって、勝手にずっと思いこんでましたから、お互いさまですね」

「ほうら、やっぱりボクのことを軽く見てた」

「いえ、違うんですっ」

「違わないよ、イケメン男子は常に無意識の上から目線だから」

「そんなことないですってばっ、僕、先輩のこと、ずっと尊敬してましたから」

 雑にドアを叩く音に二人して「「はい」」と応じながら、

「いいよいいよ、そんな取って付けたように言ってくれなくても。まぁ冗談はともかく、お互い頑張ろう」

 少年たちは、互いに似たような境遇であることを知って、微笑みのエールを交換するのだった。

 ドアを開けて部屋を覗き込んだ夏上康祐はベッドに並んで掛けたまま、仲良く見つめ合っている二人の少年を目にするや

「え、オマエらって、いつからそういう関係だったの?」

 目を輝かせた。

「そんな無理やり勘違いしないでよ、ちょっと後輩の進路相談をしていただけなんだから、あけましておめでとう、コースケくん」

「おうっ、今年もよろしくなっ、ヤスの奴が戻ってきてな、なんか“おやき”をどっさり持ってきたとかで、みんなに配るって言ってるから、オマエらにも声を掛けてやろうと思ってな」

「夏上先輩、おやきってなんですか?」

「俺もよくわからん、なんかパッと見、饅頭みたいだったが、菓子じゃないんだと。田舎の奴らの考えることって、俺ら都会人の想像を超えてるからなぁ、ちゃんと麺にまですりゃいいのにって思う山梨の“ほーとー”とか、なんで餅にする前で止めちまうんだよっていう秋田の“きりナントカ”とかな、ワケわかんないところでオリジナリティに突っ走ろうとするから」

 チャキチャキの江戸っ子である康祐は、地方の伝統に対しては常に辛辣だった。

「たぶん、惣菜の入った饅頭で、中華まんに近いものじゃなかったかな……」

 レイがとりなすように話に割って入る。

「中華まんですか?」

「わかんないけどね」

「おい、俺は伝えたからな、早くしないとマコトの奴にみんな食われてしまうかもしれないから、オマエらも早く来いよっ、あ、そうだ純平ンとこに伝えてくれるか? 俺は勇の字ンとこをまわるからっ」

 そういうと康祐はドアをあけたまま、慌ただしく廊下を走り去っていった。

「――だってサ、じゃあ、ボクは純平くんのところをまわるから、ヒサオくんは先にヤっさんのところへ行っててよ」

「了解です、ちゃんと先輩の分、確保しておきますっ」

 陽佐雄も戯けて掌を面にした英国陸軍式の敬礼をした。

「任せたよ」

 また賑やかな毎日が始まりそうで、レイは楽しげな顔になっていた。

 

            ◇            ◇

 

 食峰操祈の担任教師としての新年の挨拶と訓示が終わり、クラス委員として教卓を前に立った栃織紅音は、自分を除く女子十六名、男子八名の総勢二十四名の三年二組生徒たち一人一人の顔を、ズラした眼鏡の奥の瞳で確かめながら、冬学期の行事予定に関する生徒会からの通達を行っていた。

 もっとも、卒業年次である三年生にとっての最大の関心事は、月末にも発表される進路振分けで、その後、不満があるものは第二次申請と特考――特別考査――が控えている。実のところ、希望通りの推薦枠に収まるのはせいぜい三割、例年七~八名ほどと言ったところで、残りの殆どがこの最後のチャンスに賭けることになっていた。そのため多くはスケジュールがタイトとなるのだ。課題レポート提出と筆記試験というタフな山を乗り越えない限り、各自、希望の進路には進めない。

 正月呆けをしている余裕などないはずなのだが、顔を見る限り、まだお祭り騒ぎから醒めては居ないようで臨戦モードにはほど遠いといった空気なのだった。

 分けても、篠原華琳、安西遥果、小田切芳迺……それに舘野唯香の放っている幸せオーラ全開の様子には、なまじ彼女たちの身に何があったのか想像がつくだけに苦笑を禁じえなかった。きっと今の彼女たちの頭のなかにはあま~い蜜がたっぷり詰まっていることだろう、大方、年末年始の長い休み期間中、彼氏とのデートをたっぷり楽しんだといったところか。

 お幸せなことで――。

 だが、同じ教室内にはもっと重症の恋患いが居て、紅音はやれやれといった気分で食峰操祈の容子をチラ見していた。

 今の彼女は全身から、赤と白の混じった賑やかなピンクのオーラが溢れだすようになって煌めいていて、まさに恋に身をやつし、恋に恋する夢見がちの少女といった按配だったのだ。

 もちろんプラトニックな意味などではなく、濃密なセックスの気配。とても教壇に立って生徒を指導する教師が纏うべきオーラではなかった。

 レンズを通してみれば、いつも通りのシックな装いの中にも、肌の艶、潤み加減の瞳はいちだんと美しく、まさに輝くばかりの美貌である。

 男子生徒たちからの劣情のオーラが、彼女に集まるのも無理はなかった。

 だが、操祈のオーラは部屋の隅に居る密森黎太郎に向けられていて、彼もまた幸せなオーラを放って操祈のオーラを慰めるように包んでいるのだった。なにくわぬ顔をしていても、少年もまた操祈を強く想って、愛情を注ごうとしているようなのだ。

 熱愛中の恋人同士とはこんなふうになるのか、と紅音は、ちょっと感心しながら二人によって描かれた見事なオーラの架け橋を眺めたりもしている。

 どうやらこの二人は禁を冒して、休みの間にいっそうの関係強化に励んでいたようだった。

 しょうがないか――。

 あれだけ愛し合っているところを見せつけられていては、二人を分け隔てるというのも酷な気がした。ただ、それが危うい途であることには変わりがなかった。

「……先生、私からは以上です」

「ありがとう、紅音さん」

 紅音は教卓を操祈に返すと自分の席に戻った。

「じゃあみんな、あと三ヶ月だけど、最後までしっかり気を引き締めて行きましょうね」

 そう言って操祈がホームルームの最後を纏めたが、その三ヶ月が平穏に済むとは、紅音には思えないのだった。

 

            ◇            ◇

 

「密森くん、明日、みんなに配布する書類があるから生徒会室まで取りに来てくれる?」

 放課後、帰り支度をしていたレイの背に紅音が呼びかけた。

「いいけど、たくさんあるの?」

「そんなにないから心配しないで」

「わかった――」

 

 生徒会室に続く長い廊下を、例によって紅音の半歩後ろから、従者のようにしてレイはついていった。山崎碧子の居なくなった生徒会室は、以前ほど敷居が高くなく、紅音から仕事を言いつけられても気が重くなるまでのことはなかった。

「約束、破ったでしょ……」

「うん――」

 紅音がなんの話をしているかは分かっていた。彼女ならば気がつかないはずがなかったからだ。

「ごめん……」

「別に謝られても、私には関係ないことだから……あなたたちがどこで、どんなことをしてたか、なんてことは訊かないけど……」

「なにか……トラブルになってたりする……?」

「それは判らないわ……でも、危ない橋を渡ってしまったことは間違いないわね……」

「迷惑をかけるつもりはないから」

「そんなの、あたりまえでしょっ、本当に困った人たち……」

「ねぇ――」

 レイは周りに誰もいないことを確かめてから

「以前に栃織さんがボクたちに言っていたこと……覚えてる?」

「ええ、覚えてるわ……」

「その件なんだけど、先生にも相談して、一応、了承してもらったから……そのことはキミに伝えておかないといけないかなと思って……」

 それを聞いて紅音は足を止めた。細い目を大きくして少年を見上げる。

「本当――?」

 レイは頷いた。

「でも……本当にいいの? 密森くん、また先生に無理強いしたんじゃないの?」

「そういうわけじゃないけど……そりゃ男と違って女の人にとっては辛いし、ものすごく恥ずかしいことだと思うし、とても勇気がいることだから……だからよろこんでってワケじゃないと思うよ……でも、納得はしてもらってる……それだけ栃織さんには骨を折ってもらったからって……」

「……私は別に……そこまでのことをしたとは思ってないわ……」

「時間と場所の設定はキミに任せるから……」

「でも、どうして急に――?」

「ただ、ひとつだけ、条件があるんだ……」

「条件、なぁに? 私でできること?」

「たぶん栃織さんにならできると思う」

「いいわ、聞かせて」

「ミスコンの時に使った高精細のホログラフ撮影装置って、キミにも扱える?」

「ええ、あれは使う分には大したものじゃないけど……って、まさか、それであなたたちを撮れって言うの?」

「うん……」

「呆れた……さすがに驚いたわ、斜め上の提案よね」

 少女は大仰に肩で息をした。

「どうしてそんなことを……」

「ペントハウスにあった栃織さんのお爺さんのライブラリーと、ミスコンの映像を見て思いついたんだけど……」

「ライブラリーって、あの変態ジジイの? あなた、あれ見たの?」

「いや、アクセス権がなかったから見られなかった、ただ、タイトルで何が撮られているのかは想像がついたよ。お妾さんとの色々だろうって……」

「………」

「変かもしれないけど、考えようによってはすごく良いことのように思えて……だって、ボクもいつかは年をとってお爺さんになるし、先生だってそう……それに、若いときの記憶は褪せやすいものだそうだから……」

「それで、記録に残しておこうって思ったの……?」

「うん――」

「よくもまぁ……先生があなたに夢中なのをいいことに、そんなひどいことを思いついたものね……」

「ひどいことかな?」

「それはそうでしょ、女にとっていちばん恥ずかしい姿を、よりにもよって産毛までくっきり再現するような高精細ホログラムにするのよ、私なら堪えられないわ」

「でも……何十年もたってから、今の自分を振り返られるとしたら……?」

「わからないわよ、そんなこと、考えたこともないから」

「先生にはそれで納得してもらえたよ、二人にとっての大切な宝物になるからって……もちろん、画像のデータはボクと先生の生理情報で暗号化してもらうし、キミは一度しか見られないけど、ボクたちは何度でも繰り返して振り返ることができるように……」

「………」

「条件はそれだけ……それで良ければ、あとはキミのスケジュールに合わせるようにするから」

「どうやら本気みたいね……いいわ……後でやっぱり止めたってのは無しにしてよね……こっちも色々あるんだから……」

「うん、わかった……」

「後悔しないわね……?」

「それはわからないな……ボクは平気でも、先生はそうじゃないだろうから……」

「わかったわ……その点についても、可能な限りこちらでも配慮するから……」

「ありがとう……」

「なにがありがとうよ……わたしの操祈先生にそんなことまでさせるなんてっ! 可哀想じゃない」

「栃織さんは本当に先生のことが大好きなんだね……」

「ええそうよ、私にとって、いちばんの憧れなんだから……だから、密森くん、あたし、あなたのことが憎らしくて、大っ嫌いよ」

 レイは肩をすくめるしかなかった。

「おーいオマエら、また痴話喧嘩かぁー? 仲イイなぁっ」

 廊下の先に、ちょうど生徒会室から出てきたところの志茂妻真が居て、百キロ超えの巨体を揺すりながら近づいてきた。

「あたし、先に行ってるからっ」

 紅音は、顎をツンと反らしてその場から立ち去る。

「機嫌悪いな、カノジョー、生理かぁ?」

 すれ違いざまにマコトから下品な言葉を投げつけられて、紅音は振り返るとマコトに中指を突き立てて、最大限の侮蔑の視線を投げ返していた。

「オマエも大変だな、ヒステリーの相手をしなくちゃなんなくて……リアルはこれだからやんなっちゃう」

「まあね……それにしても珍しいね、マコトくんが生徒会室に用事があるなんて」

「ああ、ちょっと新会長に話があってね」

「黒田さんに?」

「来年度の予算の件でさ、ちょっとだけイロをつけてもらおうと思って、先手必勝っ」

 前会長の山崎碧子と比べて、黒田アリスは組し易し、と思う手あいは少なくはなかった。

「でもボクら、卒業じゃない? 関係ないっ……とは言えないのか、やっぱり……」

「休み中、うちの近くの骨董屋に行ったら、ちょうどいい盤があってさぁ、俺の名前を刻んで、後輩たちに遺してやりたいわけよ。その金を今、使っちまったら、来年、後輩たちが可哀想だろ、だからさ」

 真は、将棋部員としてロクに活動しているとも思えないが、それなりに部の後輩たちのことを考えてもいるようだった。

「ところでオマエ、黒田アリスとは面識あるの?」

「うん、一応、栃織さんの使いっ走りとして出入りしてるからね」

「なかなかいいオンナだよな、山崎碧子とはタイプは違うが、しっとりとしていて妙な色気がある」

「そうだね、綺麗な人だよね」

「ニオイもなかなかのもんだったぜ」

 真はにきび面のだんごっ鼻を、態とらしくヒクつかせてみせるのだった。

「はいはい、いい男は鼻が利くんだよねっ」

「そそそっ、そういうことっ」

「やっぱりリアルの方がバーチャルよりもいいでしょ?」

「それはまた別腹、マコトの漢にはいろんな楽しみ方があるもんよ」

「それはごもっともで――」

「オマエ、今夜、暇?」

「うん、まぁ特に予定は入ってないけど」

「じゃあ、俺の部屋に来いよ、ヴァーチャルの凄さを教えてやっから」

「えー、どうしようかな……」

「まぁ、試してみろって、食わず嫌いは良くないぜ」

「考えとくよ――」

「約束したからな、ちゃんと来いよっ」

 そう言い残すとマコトは巨漢でありながら、軽い足取りで去っていくのだった。

 

            ◇            ◇

 

 この子も休み中に一皮向けたクチか――。

 まったく……。

 メガネの縁の上から生徒会長用のデスクに目をやりながら、栃織紅音は、フッとやや寂しげな息を吐くのだった。

 書類に目を通しているようでも、時折、赤や白のオーラが溢れ出してきていて、彼女の心が揺れているのがわかるのだ。黒田アリスが恋を知ったのは明らかだった。その他にも嬉しさ、歓び、羞恥や後悔、痛みや不安、驚き、そして好奇心、といったものを意味するオーラの色合いが賑やかで、それは処女を失ったばかりの女に特徴的に現れるサインなのだった。

 間違いなく、新会長の黒田アリスはこの冬に男と深い関係を結んでいた。

 でも、恐れ、罪、というのは何故かしら……?

 オーラにネガティブな意味合いのある暗い色が混じっているのが珍しくて、見入ってしまった。

 相手が妻子持ちの不倫関係とか?

 十四、五の女の子がいきなり、そんな相手と関係を持ったりするもの?

 でも人は見かけによらないから……。 

「会長……お茶が入りました……ここに置きますね」

 栃織紅音はコーヒーカップを執務デスクの隅に置いた。

「あ、紅音先輩、そんなことは私がっ」

 アリスが恐縮する。

「いいえ、アリスちゃん……アリスさんは新会長なんですから、今までとは違うんです。雑用は私たちの仕事で、会長には執務に専心していただかないと生徒会の運営が成り立ちません」

「あの……すみません……いただきます……」

 アリスはコーヒーカップに口をつけた。

「幸せそうですね」

「え、そんな……わたし……」

 白皙の美貌に朱がさして、蕾が開いたような初々しい魅力が輝いた。

「ああ……そうか……そうでしたね、紅音先輩も精神系の能力者でしたね……あまり心を読まないでください」

「読むだなんて、わたしの能力は限りなくゼロに近いレベル1ですから、黒田会長の心の声なんて何も聞こえたりなんかしませんよ」

「そうなんですか?」

 美少女はちょっと不安そうな顔をして、紅音の視線を避けるように俯いた。

「ただ、心の整理がしっかりつくまでは、山崎前会長の近くには行かないほうがいいかもしれませんね……だってあの方は……」

 紅音はアリスの方へ身を屈めて、耳元で囁きかけた。

「……そういうことにすごく敏感で、とても関心を持たれる方ですから……」

「そういうことって……」

 アリスも小声になって方をすくめる。まるで疚しいことでもあるように、逸らしたままの大きな目を(しばた)かせていた。 

「でも大丈夫ですよ、山崎さんは当分、ここに来ることは無いようですから……いまはとてもお忙しいみたいで」

 その言葉に、アリスがホッと緊張を緩めるのが伺えた。

「わたし……」

「大丈夫です、ちゃんとサポートしますから……たった三ヶ月ですけど、でも、会長の部下として勤めを果たさせていただきますので」

「頼りにしています……紅音先輩……」

 ようやくアリスは明るい笑顔になるのだった。

 チャイムが鳴った。ピーンポーンパーンポーン……。

 馴染みは無くても、どこか不穏で聞き覚えのある四連音が二度繰り返されて、生徒会室に居合わせた全員が怪訝そうに天井近くのスピーカーに目を遣った。

#臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます――#

 これはあきらかに“聞き覚えのある声”で、紅音は頬をピリリとさせる。

#帝国海軍はっ、本八日未明っ、西太平洋はわっ……えっ、ちがうのっ……なに? コレ、コレを読むのっ?……失礼いたしましたっ、こちらは名誉ある常盤台中学三年二組、堀田靖明でありますっ。本日、午後四時、たった今より、本館校舎一階大食堂にて、長野県名産、おやきを無料配布いたしますっ。生徒諸君はもとより、教職員の皆様方にも漏れなく、配布できるように量は十分に確保してございますっ。どなたさまも慌てることなく、配給にお並びいただけますようお願い申しあげますっ、繰り返します――#

「放送部はなにをやってるのよっ、あのバカに放送室を占拠させるなんてっ」

 紅音は低く呪詛のような罵声を発してから、

「うちのクラスなので、あいつには後でペナルティを科しておきます、お騒がせして申しわけありません」

 頭を下げた。堀田靖明を切り裂いた返す刀で、

「高梨くん、あなた、食堂に行ってここにいる全員、十名分のおやきを貰ってきてくれる?」

 黒田アリスの代わりに命じる。

「え、僕ですか?」

 高梨祐太はあきらかに不満そうな顔をしていた。腰巾着をしていた山崎碧子が生徒会室を去ってから、生徒会での彼の立ち位置はますます痩せ細っていた。

「そうよ、だってここには貴男しか男は居ないじゃない……まさか女の子に並ばせるつもりなの?」

「わかりました……」

 しぶしぶ、不承不承といった態度もあらわに、高梨祐太は席から立ち上がる。それを見て、また紅音はまた叱責を加えた。

「そういうところが、あなたに人望が集まらない理由の一つよ。他にもいっぱいあるけど、嫌なことでも進んで楽しそうにやれるようになれば、人は自然にあなたのまわりに集まるようになるものよ」

「でも紅音先輩、それって、ただの便利な人ってだけじゃないんですか?」

「たとえそう思っても、そういうことを口にしないの、笑顔笑顔っ、ホラ行ってっ」

 手をうち振ってむくれ顔の高梨祐太を送り出す。

 山崎碧子の居なくなった生徒会室で、初めて紅音は羽を伸ばして自分を押し出すことができるようになっていた。

 




サボっていた上に
無駄に長くなってしまいました

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