ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~ 作:真夜中のミネルヴァ
LⅩⅦ
コンコン、と軽いノックの音がして、木山春生は、
来たか――と、思いながらもディスプレイからは目を離さずに
「どうぞ、鍵は開いてるから――」
と、声を上げた。
カチャッと音がして訪問者が研究室内に入ってきたのが判ったが、「失礼いたします――」の声は案の定の人物のものなのだった。
「すまない、もう少しで片が付くので、今しばらくの間、そこらへんの椅子にでも掛けて待っていてくれないか……」
「ハイ、わかりました――」
キーボードを叩いては画面を確かめる、といった作業が繰り返されること数度、春生は
「こんなものか……」
と、つぶやきながら椅子を回して来訪者へと顔を向けるのだった。
山崎碧子――。
これまでの接触は声だけで面識はなく、直接、会うのはこれが初めてだったが、少女についての噂は耳にしていた。
なるほど、大した美少女っぷりだ、と感心する。一見したところ十五歳という年齢とは思えない老成ぶり。
生徒会長を二年もの長きにわたって務めた常盤台の女帝にして、八年前の学園都市の巨大スキャンダルにも責任を問われることのなかった謎の不倒翁、あの山崎清十郎の孫娘だ。そして、メンタルアウト食峰操祈の再来――とまで呼ばれる精神系能力者の美少女。
そこへ食峰操祈が教師として赴任してきたというのだから、いったいなんの因果だろうかと思わずにはいられない。
とはいえ少女の能力は“オリジナル”の食峰操祈には遠く及ばない。レベル2では能力値はメンタルアウトの十万分の一、百万分の一にもなるまい。測定誤差、端数にもならないほどのささやかなものだ。
その劣等感こそが少女を今の“行動”へと駆り立てる動機となっているのは間違い無いだろうが、それをけして認めようとはしないだろうことも彼女には解っていた。
「木山先生、初めまして、常盤台の山崎碧子です」
少女は椅子から立ち上がると恭しく頭を下げた。
「堅苦しい挨拶は抜きにして、本題に入ることにしよう」
「解析が済んだとお伺いしたので、お邪魔させていただいているのですが」
「ああ……それであの映像、キミはどうするつもりなのだね?」
「それは……先生には関係は無いことかと……」
顔を上げた少女は視線を強くしていて、譲る気はないという意思を示していた。やはり気の強い子だと思う。
「まぁいい、ただしキミがこれからここで見聞きすることは一切、口外無用だ、画像についても同様の扱いになるが、いいかね?」
碧子が頷いた。
「では、ついてきたまえ」
木山春生はデスクから立ち上がると、そのまま研究室の奥へと足を運んだ。IDカードを使って入退室する管理区域へと入っていく。
そこは教室ほどの広さがあり、部屋の真ん中に黒い物体が静置されていた。そいつは巨大な懐中電灯のような形をしていて、装置からはおびただしい数のケーブルが伸びて周囲に配された機器に接続されている。
「これが
「眼ですか……」
碧子は興味深げに装置に近づくと
「触れてもかまいませんか?」
「パネルに触れないなら、他はかまわんよ」
少女の白い手が装置に触れ、黒光りするそれのなめらかな手触りを確かめるようになぞっていた。
「HDDワイディマ……透視能力者の眼が再現されたもの……」
「再現、となると言い過ぎかもしれんがね……」
「でも、遠隔透視が可能になる……」
「ああ……理論的にはね……」
「理論的?」
「知っての通り、我々は目には見えないし、直接観測することもできない
春生は手を動かしてみせた。
「といっても正確にはダークマターは物質に干渉せずに通り抜けてしまうから、相互に何の影響もあたえることはないが……だが近年になって量子重力場に微弱なさざ波の痕跡を残していくことが知られるようになった。そのわずかな揺らぎによって生じた波と種類の異なる複数の素粒子が作り出す二次的な干渉波の痕跡を追うことで空間を占める物体の距離、位置情報を捉えようとするのがこの装置の機能だ。私も専門外なので詳しく知りたければ、後で資料を紹介しよう。要するに物理的な距離にはほとんど関係なく、厚さが数十センチのコンクリートも透過して、その物質の固有値に応じた距離を計測することができることから、ビルの倒壊現場や土砂災害などで生き埋めになった人間の救助や、地質調査などで使われることを目的として開発されたものだそうだ。しかし、ここでは別の用途での応用を探っている……」
木山春生は部屋全体を見回しながら、
「そのワイディマが眼だとすると、この部屋全体が能力者の脳を模したものだと思ってくれていい。レベル3の透視能力者の脳細胞を培養して得られた生体脳パネルがこの部屋の壁全体に全部で二千四十三個、配置されている。厖大な数に思えるが、これは映像を再現するために必要な最小限度と思ってくれたまえ、我々の研究はまだ途についたばかりなのだ。だが、このワイディマとエイミー……エイミーというのはこの脳細胞を提供してくれた能力者の少女の名前なんだよ、彼女の名前をとって、この人工知能システムをエイミーと呼んでいるんだが……これらを使うことで遠隔透視の可能性を探り、基礎理論となるものを組み上げるのが目下のわたしの中心的課題というわけだね……」
木山春生はワイディマの操作パネルに数値を入力して作動させた。すると、装置の側面にあるディスプレイにオレンジ色の人型をしたものが幾つも映しだされたのだ。
「この映像は、ワイディマが今、“見て”いるものだよ……ここから七キロほど離れたところにある、ある企業ビルの内部らしいが……見たところ椅子に座って仕事をしている事務員さんたちだろうか……」
「本当の映像はもっと鮮明になるんですよね?」
少女は少し表情を曇らせて言った。
「単体ではこんなものだね……通常、ワイディマの精度は数センチ程度とされているが、少なくとも相互に補完しあえる最適な角度で三方向から測定することによって、それをミリ単位にまで上げることができる。さらには三次元情報に作り直しているから、この映像のイメージとはだいぶ違うと思うが」
「ミリ単位……ですか?」
「不満かね? もしキミが映画のような、我々が普段、肉眼で目にしているような鮮明な画像を期待しているのなら、それはさすがに困難だ。理論的には数百台のワイディマで対象となるものを囲い込んで緻密に“見る”必要があるだろう。しかし、これ一台で二十億円以上もするものだから、それにはあまり実現性が無い」
「………」
「まずは映像を見てから判断してもらおうか」
「わかりました、お願いします」
「一般のパソコンでも表示できるようにしてあるから――」
木山春生は部屋の隅に置かれたPCデスクの鍵のかかる抽き出しの中から一枚のチップを取り出すと、上に置かれたありふれたPCの端子に差し込んだ。タブレットを操作して、チップの中に保存された動画像ファイルを開く。
すると――。
ディスプレイにはいきなりカップルの熱愛場面が映し出されたのだった。女は明るい色の髪をしていて、一糸纏わぬ見事なまでのプロポーションの肉体をあられもない姿になってさらけ出している。男の方は暗い髪色の、やや小柄で華奢な体つきをしていた。
映像を見つめる少女の目が妖しく輝く。
女の開いた脚の付け根を飾るヘアはぼやけてはいるが、広がり具合はしっかりと見て取れるのだった。濃厚な愛撫に身をまかせている最中で、そこに顔を寄せている男の目鼻だちまではよくはわからないが、幼い印象の造作であることはかろうじて窺える。
だが、個人の特定となると難しい。
「画像をもっと鮮明にはできないのですか?」
「無理を言わんでくれ、元のデータがさっき見てもらったようなオレンジ色をした人形なんだから、これでもかなりよく再現されている方だと思うんだが」
「でも動画であれば、補完ソフトを使ってもっと鮮明にできると思うんですが?」
「それをやった結果がこれだよ。入手可能な三十以上のソフトをつかって最適化を試みてある」
「………」
「どうやらキミの期待には添えなかったようだね」
「いいえ、そんなことはありません。ありがとうございます、木山先生」
「では、そのチップは進呈しよう、持って行きたまえ。ただし、さっきも言ったように、あくまでもそのデータはキミだけのものとして留めておいてもらいたい。けっして外部には洩れることのないように確実な管理をすることを約束して欲しい。特にプロテクトを掛けていないのはキミを信頼しているからだからね」
「わかりました――」
少女はチップを取り出すとケースに戻し、制服のジャケットの内ポケットにしまい込むのだった。
「しかしキミは、なにゆえ食蜂くんの男関係なんかに興味を抱くのかね? 生徒が教師のセックスを覗こうとするのは、とうてい尋常なことではないのだが」
さきほど訊いたことと同じ意味のことを、別の角度から斬り込んでみた。
「それは……」
「キミのように魅力のある子は、他人を気にする必要もないほどプライベートも充実しているだろうに」
「先生には関係のないことです……」
少女も同じ答えを繰り返したが、今度は視線を伏せていた。
「もしキミが、何か彼女に対して思うところがあるのだとしたら、悪いことは言わない、あまり深入りせんことだな」
あえて少女の心の琴線に触れる物言いをして容子を窺ってみた。予想どおりに碧子が顔を上げて意志的な瞳を返してきたので、木山春生は少女が食蜂操祈をひどく恐れているのが良く判ったのだった。
恐れはしばしば人を恐慌に、そして攻撃的な行動へと誘う。
もしも少女が操祈に対して、何らかの優位なポジションを得るためのカードを血眼になって探し求めていたのだとしたら、それを手にした今、望みの多くは達成されたことになる。
しかし、反応を見るに、どうやらそれだけではないようなのだ。
「これ以上、無体なことはしないほうがいい」
「御詮索は無用に願います……お約束は守りますので、ご懸念なく」
「そうかね――」
「わたくし、この後もございますので、これで失礼させていただきます」
「……ただ、一言だけ伝えておかねばなるまい……」
木山春生が踵を返しかけた碧子の背に呼びかけるように言うと、少女は足を止め
「まだ何か――?」
と、言って振り返る。
「もしかすると、もうキミの耳にも届いているのかもしれないが、未確認情報だが、つい先日、元旦の未明、食蜂くんを拉致しようとしていたマフィアのグループが一瞬で気絶させられて、這々の体で逃げ帰ったそうだ……」
「………」
「驚かないのか、やはりキミも知っていたようだね」
「私はべつに……」
「もしかすると彼女は、もう能力をある程度まで回復させているのかもしれない……人類史上最強の精神系能力者、メンタルアウトの食蜂操祈は、ある意味でもっとも厄介な超能力者だ。他の物理系のレベル5は、単に火力が大きいだけの爆発物に過ぎんが、彼女の能力は我々が全く気がつかないうちに我々を自在に操ることができるのだからね」
「………」
「彼女は、自分の能力を隠している可能性がある。そうだとしたら、キミには万に一つも勝ち目はないよ。だから興味本位で彼女のプライバシーに立ち入ろうとするのはとても危険だ。大火傷をする前に止めたまえ」
「わかっています……」
少女は背を向けたまま応えた。
「それと……先生のラボへの支援の件は、そのうち具体的になると思いますので……」
「ああ、諒解だ――」
少女が研究室を出て行き、またひとりになった木山春生は
「少しばかり老婆心が過ぎたかな……」
ひとりごちた。
「三十路も半ばを過ぎて、正真正銘のおばあちゃんだからね……」
自分のデスクにつくと、碧子に渡したものと同じチップをPCに差し込んだ。
ファイルをクリックして映像を映し出す。
「どちらのチップを渡すべきか迷っていたんだが……こちらにしなくて正解だったようだ……」
ディスプレイに映し出された映像は、まるですり切れてノイズ混じりとなった古い録画像のようではあったが、食蜂操祈の股間に顔を埋める少年の顔がはっきり識別できるまでになって映し出されていた。
既得していた操祈の生理的なデータを使って画像を補正をすると、恋人である少年の顔もくっきりと浮き上がってきたのだ。
木山春生は、元日未明の二人の容子を捉えた遠隔透視画像を、ホットパートを中心にすでに何度も見直していた。
そしてその都度、感銘を受けていたのだった。
食蜂操祈が不届きにも教師でありながら教え子を慰みものにしていたのではなく、少年からの情熱を必死に受けとめていたことが良く判ったからだ。
男の子の一途な想いや憧れが行為に形を変えるとどのようなことになるのか、というのを目の当たりにして、うっすら抱く焦燥感は、恋を知らぬままに老いて行く自分への憐憫もあったことだろう。
互いの体を熟知したレズビアンでも滅多にしないような、細やかな愛情に溢れる行為の全てに、女冥利に尽きるような貴重な経験を重ねる若い女が素直に羨ましく思えるのだった。
男の胸に安らぎ、委ねきった女の表情が二人の関係性を物語っていた。
いま画面では、女がためらいながらも膝を大きく割って
その美しくも淫らな姿に目を奪われながら、自分も――と、春生の思いは過去へと遡っていた。
教え子のひとり、男子生徒から告白された時のことを。
もしもあの時、その子の気持ちを受け容れていたら――と、考えてから、ありえない、と首を振る。たとえどうであろうと小学生の男子児童と関係を結ぶことなど、許されることではなかったからだ。
アルカイックな笑みを浮かべた木山春生は、ディスプレイのスイッチを落とすと立ち上がり、すっかり冷えたコーヒーを淹れ直そうとマグカップを持って喫茶コーナーへと向かうのだった。
随分間を開けてしまいました
年内にはなんとかと思っていましたが
いつの間にやら大晦日に