ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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恋バナ 女の子、男の子 ~女の子編〜

恋バナ 女の子、男の子 ~女の子編~

 

          LⅩⅪ

 

「唯香さんとここでお話をするのは久しぶりね……」

「すみません、お忙しいときに……」

 放課後の本館屋上で、舘野唯香は担任の食峰操祈と欄干に並んで眼下に広がる街並みを眺めながら、二人だけの時間を作ってもらっていた。

 冬になり、めっきり気温が下がってからというもの、屋上であまり長い時間“密談――”するのにも無理があって自然、足が遠のいていたのだが、職員会議の後、会議室から出てきた操祈を見つけた唯香はこの機会を逃してはならないと勇気をもって声をかけたのだ。

 他の教員たちにも普通に進路相談にやってきた生徒に見えるように装って。

 最終学年の冬学期が始まって、はや一週間あまり、多くの生徒が授業よりも進学についての関心の方が先に立ち、誰もが程度の差こそあれ神経質になりがちな季節となっていたが、舘野唯香についていえば志望はほぼ確定しているといってよかった。

 だから少女が話したかったのはそのことではない。

「相談って、なあに? 進路のことかしら……?」

 敬愛する美しい女教師は、いくぶん探り探りといった顔できりだしてきた。

 食峰操祈がそうなるのも宜なるかな、舘野唯香とこうして二人きりになる場合、持ちかけられる相談内容の多くが男女関係についてのものだったからだ。

 女子の密やかな話、恋バナだ。

 立場や年齢こそ違え、互いに同じような問題を抱えた戦友、気心の知れた“大人の女”同士なのだった。

 それゆえにかなり立ち入った話題、セックス――に関する内容に及ぶこともしばしば。

 二人の足がこの屋上に向かったのも、自然、話がそうした流れになるのをわかっていてのこと。阿吽の呼吸でひと気のない場所を求めていたからだった。

 それをわきまえた上で、操祈は同じことを少女に尋ねていた。

「……もしも気持ちが変わって変更したいのならまだ間に合うわよ……」

 冬の午後、雲の切れ間から時折こぼれる鈍い日差しに、風になぶられた長い金髪が、どこか寂しげに煌めくのを少女は憧れを持って見つめた。端正な顔の上に落ちる前髪の陰りが同性の目から見ても神秘的で、胸をキュンとさせるほど魅力があるのだ。

 本当に綺麗な女の人だ――。

 少女は女教師を間近にするたびに感心せずにはいられない。心根のやさしさを含めて、女神さま――と、敬慕するのがとても自然なことのように感じている。

 それが自分と同じように人間の男を愛して、女ならではの途惑いや哀しみを抱いているのだから、素直に力になりたくなる、応援したくなったとしても無理からぬこと、と、そんな風に少女は心に期しているのだった。

「いいえ、私は希望を変えるつもりはありません」

「でも唯香さんなら、たいていの所なら十分に合格圏にあるのに……長点上機じゃなくても藍鈴とか霧ヶ丘でもいいし、医学系や生物科学系で定評のある静菜高校なんかも唯香さんには高い適性があると思うんだけど……」

「私、あまり理系の方の才能がないので……それに、やっぱりやりたいのはお芝居とか、物語を作ったりする方で……医学や生物学は、覚悟を決めたら後で学ぶ機会をつくれると思うんですけど、でも美術系のトレーニングは早いうちにやらないと一生、身に付ける機会を失ってしまって後悔することになりそうだったので……だから桜ヶ丘美工院を第一志望にする気持ちに変わりはありません。仮に実技試験で不合格になったら、そのときは、トリタマでもどこでも受け容れてもらえるところに進学するつもりです……」

「そう……そういうことなら……」

 少女の意思が固いと察したのか女教師はそれ以上、繰り言を唱えることはなかった。

「唯香さんが実技で篩いにかけられることは、まずないと思うけど……」

「旧五本指じゃないから、ウチと較べると設備や環境等で見劣りを感じることがあるかもしれませんけれど……でも、絵を描いたり、文章を描いたりするのに必要なのは心と――」

 美少女は両手を大きく広げて見せた。夢をつかもうと長く美しい指がまっすぐに伸びている。

「手、ですから……」

「そうね……そうよね……」

「今からこの手がどれだけ動かせるようになるか分からないし、才能なんてぜんぜん無いと思うんですけれど……でも、鍛えておけば自分が将来、何をするにしてもきっと役に立つ時が来ると思うんです……舞台演出をするのにだって絵心は必要ですし……」

「唯香さんは将来、舞台に関わるお仕事がしたいの? 演劇部だから女優さんの方が向いているのじゃなくて?」

「女優? そんなっ、私が女優だなんてっ、操祈先生だったらともかく私は……そんなに容姿に恵まれているわけでもないですし、自分は人に見られる側じゃなくて、人を見せる側の方だっていう自覚はあるんです」

「あら、唯香さんはずいぶん自分に厳しいのね、とっても綺麗だし可愛いから、女優さんになっても人気が出ると思うわよぉ……凡人の私はただ見る側ね、唯香さんの作品を見るのが楽しみだわ」

 教師の言葉に少女は大袈裟にため息を吐いて見せた。

「先生ご自身の呆れるほどの自己評価の低さについては今更なので、もう驚きませんけど……でも、さすがに今のコメントは全部、間違っていると思います」

 少女からキッパリと否定されて

「こらぁっ、先生に向かって全否定するなんて、生意気なんだゾ」

 操祈も美少女が拗ねるように頤をツンと上げて抗議する。

 やがて二人の美女は互いに、ぷっ、と吹き出すようにして相好を崩して、仲の良い姉妹のように身を寄せ合うのだった。

 笑いの発作が去って、真顔に戻った少女は、

「わたしが相談したかったのは、先生ご自身のことです……」

 ようやく本題を切り出した。

「あたしの……? あら、どうして……? どうしてかしら?」

「ちょっと気になることがあって……わたしの勘違いだといいんですけど……」

「うーん、なぁに……?……わたし、何かしたぁ?」

「だって最近の先生、とても切なげなお顔をされることがあるので、だから、心配になって……」

「えっ、わたし、そんな顔してたのっ?! いやだっ、みんなにとって大事な時なのに、生徒に心配かけてしまうなんて、それじゃあ担任教師失格ねっ」

 操祈を白い歯並みを覗かせたが、晴れやかな表情はすぐにくすんで、また寂しげな微笑みに置き換わってしまうのだった。

 常の操祈は、いつも明るくて楽しげな笑顔のイメージだっただけに、このところの翳り様はやはり目立つのだ。年明け以降にそれが加速しているように思う。

 

 まさか卒業を機会に別れ話を持ちかけられたとか――?

 

 唯香の懸念していたこととはそれだった。

 春は出会いの季節であるとともに別れの季節でもあるからだ。

 卒業、上京や帰郷、転勤転属、そうした機縁によって恋人たちが離れ離れとなり、そのまま関係が途切れてしまうというのは珍しいことではない。

 もしもそんなことになっていたら……。

 操祈先生にこんな顔をさせるなんて、許すまじっ、密森黎太郎っ――!

 ことと次第によっては、二度と不埒を働けないように責任を厳しく追及してやらないとっ!

 さんざん女の体を弄んでおいて、飽きたら捨てるなんてっ――!

「あの……立ち入ったことをお伺いするようで、不躾だとは思うのですが……その……彼氏の方と上手くいってなかったりするんですか……?」

「え――!?」

 操祈はと胸を衝かれた顔をしたが、すぐに少女の懸念を察したように、ゆったりとした笑顔に変わっていくのだった。

「もし、そうなら私……」

 操祈はゆっくり頭を振った。

「いいえ、ちがうわ……心配してくれてありがとう……でも、ちがうの……」

 風に乗って自分と同じシャンプーの香り――操祈に倣って、同じ銘柄のものを使うようになっていた――が運ばれてきて、少女は大きな目をぱちくりさせる。

 操祈が纏うと全く違って新鮮に感じられるのが不思議なのだった。

 ささいな秘密だったが、それを自分以外の、それも男――密森黎太郎――も知っているということが少しだけ悔しい。

「唯香さんはどう? その後、彼氏さんとは上手くいっているの?」

「ハイ、わたしたちは……一応、順調みたいです……」

「じゃあ、クリスマスやお正月は一緒に過ごせたのね?」

「さすがにお泊まりデートとなると、父や弟の目があるので無理でしたけど、ハイ、彼のアパートには毎日おしかけて行って、通い妻してました……お正月は一緒に初詣に出かけたりして……先生はどうされてたんですか?」

「わたしもよ……ずっと一緒に居られたわ……お雑煮や、おせち料理を一緒に食べたりして、とっても楽しかった……」

「じゃあ、良かったじゃ無いですか」

「ええ――」

 それじゃあどうして――?!

 と、訊こうとした先に

「……プロポーズ……されたの……」

「――!?――」

 操祈からの驚きの告白だった。

「でも早とちりしないでね、ずっと先のことなんだから、それに本当に結婚できるかどうかも、まだわからないし……」

 確かにそうだろうと思う。

 法的に婚姻が認められるのは男子は十八歳からだ。だとすると三年も先の話だった。

「わからないだなんて……大丈夫ですよ、そうにきまってるじゃないですか。それとも、先生の方で何かお相手の方に気になることでも?」

 操祈は首を振る。

「ただ……」

 と、そう言ったきり操祈の口が、また重たくなった。

 少女は操祈の心中を想って思考を巡らせる。

 密森黎太郎は自分と同じで十五歳。もしも操祈が年上の女として、若い恋人の多感な時期の生活環境の一変を危ぶんで、畏れているのだとしたら、日を追うに従って曇りがちになる表情のわけが頷けなくもなかった。

 ミドルティーンの三年と二十二歳になる年上の女の三年は意味も重みも違う。

 結婚の約束も、女の側からすると遥か彼方、未来の絵空事のように思えるのかもしれない。

 これまで毎日、顔を合わせていたところから、自分の手の届かない遠くへと去ってしまうように感じられたとしても不思議ではなかった。

「だんだん、みんなとお別れする日が近づいてくるのが寂しいの。たった二年間だったけど、一緒に同じ時間を生きて、家族のようだったから……」

「そうですね……」

 唯香は言うべきかどうか、しばし迷っていたが

「でも“彼”が高校に入れば、今よりも制約が減ってもっとずっとデートがしやすくなると思いますよ……」

 思い切って口にした。

 すぐに操祈の表情が驚きに一変する。

「高校って――?!」

「わたし……知っていたんです……先生の恋人が密森くんだってこと……」

「――っ!――」

「でも、心配されないで下さい。誰にも話してはいませんし、誰の噂にもなってなんていませんから」

 操祈の顔がたちまち上気していった。

「いつから……なの……?」

「最初に疑いを持ったのは修学旅行の時ですけど……でもそれが確信に変わったのは学園祭の前後だったと思います……密森くんと話をしていてはっきり判りました……彼はもちろん、トボけていましたけど……」

「じゃあ、いままであなたとしていた話、みんな……彼とのことだって……」

「気づいてました……ごめんなさい、嘘をついていたみたいで……」

 風に煽られて長い髪が乱れ、操祈が耳まで朱く染めているのが伺えた。

「知っていたなんて……恥ずかしい……」

 少女は美しい女教師の体に身を寄せると体に腕をまわした。

「恥ずかしいことなんてありませんよ、とっても素敵なことですから……彼にはちょっとジェラシー感じたりするくらい、女の私から見ても先生には魅力を感じますから……」

「おかしなことを言わないでちょうだい……」

「先生は愛しておられるんですよね、密森くんのこと……」

 詰め寄られて女教師は一瞬、たじろいだが、覚悟を決めたように頷いた。

「ええ、そうよ……愛しているわ、彼のことを女として……でも、教師としての本分は犯してはいないから……」

「わかっています、先生がけじめをおろそかにされない方だってことは。それにわたし、悪いのは全部、密森くんだってことも知ってますからっ、彼って相当な狸だからっ」

「タヌキさんなの――?」

「ええっ、猫を被ったワルい狸ですよっ、彼」

「まぁ――」

「だから、ここを出て心配で心配でたまらないのは、むしろ密森くんの方なんです、先生が誰かに取られちゃうんじゃないかって……請けあってもいいですけど、卒業したら、彼、毎日の様に先生にアプローチしてくるはずですよ」

「そうかしら……」

 自己評価の低い人はこれだから――と、少女は嘆息する。

「そうにきまってるじゃないですかっ、だって、先生のお話を伺えば、密森くんがどれだけ先生に一途に憧れているかよくわかりますから」

「言わないでっ……本当に恥ずかしいの……ああ、あたしっ……どうしよう……」

「私だって先生に負けないくらい、一成さんとはいっぱいイケナイことしてますから、だから先生の気持ち、よくわかります。お互い様じゃないですか」

「でも……わたしは……」

「年齢も立場の違いも、裸になってしまえば男と女です、違いなんてありません」

「………」

「男と女って不思議ですよね、恋人が、いつの間にか誰よりも大切な人になっているんですから。その人のことを好きになって、言葉にならない気持ちを体で思いを伝え合うようになって、どんどん好きになって、いつしか大切な人、かけがえのない人になっている……血の繋がった家族のような絆が生まれて、互いに離れられなくなっていく……信じていいと思うんです、そういうことを……」

「それは、唯香さんがとても大切にされているから、そう感じるようになったのよ」

「先生だってそうじゃないですか? 気がつかないはずないんですけど……女の体ってそういうのが判るように作られているので……」

「………」

「そのご容子ですと、先生はまだ処女のままなんですよね?」

「え?……うん……」

 操祈は仕方なさそうに肩を頼りなげにして、しぶしぶ認めた。

「それなら私の方がその点では先輩ですから、先輩の言うことを信じて下さい。男が先生の処女も奪わずに別れることなんて、ぜーったいにないですっ、お日様が西から上るよりもありえませんので」

 

            ◇            ◇

 

「卒業してからも、こうしてまた時々会っていただけますか?」

「あたりまえでしょ、大切な“お友達”なんだから」

「先生……」

「卒業したら、操祈でいいわよぉ」

 唯香と話すことで気持ちが晴れたのか、すっかりいつもの操祈に戻っていた。

「そんなことできるはずないです、先生は私にとって、ずっと憧れの先生なんですから」

「そんな……でもうれしいわ、私のことを気にかけてくれて……教師冥利につきるんだゾ」

「春になれば、もう隠れたりしなくても良くなって、密森くんとも普通に一緒に外を出歩くことだってできるようになりますよ、だって、卒業したら先生と生徒から、お友達になるんでしょ?」

「え、うん……そうだけど……でも……」

「相手が高校生なら、もうデートしても大丈夫です。結婚を前提にしているのなら、誰も文句なんて言えませんから」

「ありがとう唯香さん」

「卒業したら、私のことは唯香って呼んでください」

「わかったわ、そうするから、唯香さんも私を操祈って呼んでね」

「それはちょっと時間がかかるかもしれませんけど……努力目標ということで手打にできませんか? 学園都市と言っても、やっぱりここは日本なのでファーストネームで呼び合う習慣はなかなか定着しませんね」

「そうね……彼も、いつまでも先生って呼ぶばかりで……」

「それだけ操祈先生のことを大切にしているんですよ。ヴァージンを奪おうとしないのも、先生への愛情と忠誠の証ですから」

「もう、そのことは言わないでちょうだい……恥ずかしいんだからぁ……」

 年上で、教師であるにもかかわらず、少女のようにはにかんで身を揉む仕草が愛らしかった。少女の目にもとても鮮やかに映る。

「いっぱい可愛がられるのは、可愛い女の子の特権みたいなものなんですから、先生も思いっきり我がまま言って、密森くんを困らせるくらい甘えてもいいんですよっ。そうすれば密森くん、先生のことがますます可愛くなって、何でも言うことを聞いてくれるようになりますから」

「ほんと――?」

 操祈は瞳を大きくして、興味津々、という様子で少女の言葉に耳を傾けていた。

「あのレイくんをちょろいさんにできるのぉ?」

「ええ、間違いありません、わたしもその手を使って一成さんをメロメロにしてやってるので」

「まぁ……じゃあその秘密の女子力を私にも教えてちょうだい」

 美女たちの間に共犯者にも通じるような含み笑いが交叉する。

 日が翳ってきても、

 

 #うっそー!#

 …………

 #ホントですよ#

 #まあ……#

 …………

 #そうよねぇ――#

 …………

 #ああ、そうなんだぁ#

 #ええ、そういうことなんですっ#

 …………

 #なるほどねぇ#

 …………

 #すごいわ、すごいすごいっ――!#

 

 寒風に煽られる中も、恋バナのネタに尽きることは無かったのだった。

 




例によって無駄に長くなってしまい
男の子編は繰り延べです


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