ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~ 作:真夜中のミネルヴァ
こうしたことになるほんの一時間半ほど前には、操祈はまだ教師として教壇に立って教え子たちと向き合っていた。この後、自分が成人指定ドラマのヒロインになる運命にあるとも知らずに、いつも通りの平穏でちょっと退屈な午後を送っていたのだった。
「ゔぇーっ、今からテストするんですかぁ?」
男子生徒側からすぐに不満そうな声があがったが
「テストじゃなくてただの小テストよ、いいでしょぉ、別に成績に反映させるつもりはないんだしぃ、ただあなたたちの理解度をこちらが確認したいだけなんだからぁ」
と、軽くやり過ごす。
たしかに生徒たちの不満はわからないわけではない。
水曜日、五限の代数の授業の終了間際、あと十分ほどで教室から解放されると思っていた矢先、気分はもう放課後のあれやこれやに向かっているだろうスローダウンの状況で、最後の最後にまた緊張を強いられるのだ。
「微分方程式を解くだけの計算問題がたった二問よ、簡単でしょ? 五分と言いたいところだけど、まぁ残り時間があればみんな解けるわよねぇっ」
それを聞いた生徒たちはみな一様に凝固して、教室内を気まずそうな沈黙が支配した。
「あらぁ、なぁに、そのしょっぱい反応はぁ? だって、たったいまやったばかりのことでしょ? 忘れたくたって忘れようがないじゃないのよぉ」
「そりゃ、やれって言われれば、こっちはやるっきゃないから付き合いますけど、でも先生もこっちに付き合ってもらわないと報われないッスよ」
夏上康祐は食いさがり、「そうだ、そうだ」と、仲間からの賛同の声があがった。
「だったら満点とったら今度こそデートしてくださいっ」
授業中、クラス全員を前にしての大胆な告白に、一部から「オーっ」というどよめきがたつ。
「いいわよぉ、約束するわぁ」
操祈は悪戯っぽい笑顔を向けて、男子生徒たちのハートをくすぐっている。ちょっとお
賢明な女子たちは、彼女がこうして無自覚に愛嬌をふりまくと男どもはすぐに陥落させられてしまうのを知っていたので、案の定、魅了されるままに見事に術に堕ちていくカースト下層の男子たちを、自ら奈落の底に飛び込んでいくレミングの群れを見るように冷ややかに眺めていた。
女子たちの情報は早く、既に操祈が午前に三組で小テストを実施していて、まるで売れない芸人のコントの台本でもあったかのように、似たような男子たちによるよく似た寸劇が、いかなる顛末を迎えることになったのかを知っていたからだ。
それに――。
操祈に、恋人がいる――というのは、“二人”の事情を知っている栃織紅音や舘野唯香はともかく、他の女子たちの間でもとっくに共通認識となっていた。
二年あまりの時を共に過ごしてきた少女たちは、自らの変化と共に、この若く美しい女教師の変貌ぶりを敏感に肌で感じ取っていた。初めの頃、肩のラインにどこか頑なさを残して無垢な処女性を感じさせていた食峰操祈が、ふと気がつくといつの間にか言葉や振る舞いもやわらかく、優雅なまろみを帯びていた。
そのとき少女たちは、目の前の教壇に立って指導していた敬慕すべき自分たちの長姉が、あるとき男の愛を受け容れていたことを悟ったのだった。
操祈からツノ――ヴァージナルチェックマーク――が取れた! というのは、多感な少女たちにとっては少なからずショックではあったものの、一方でこんなにも美しい女性が自分たちと同様に恋をし、そしてセックスをしている――ということには密かな感動すらも覚え、多くは好感を持って受けとめていた。
だから少女たちの目に愚かな男子生徒の跳ねっ返りぶりは、ただ単に愚かという以上に哀れなピエロに映るのだった。
「えっ! ホントっすかっ?」
案の定、計算問題だからチョロいかも、と思ったのかコースケは俄かにやる気を見せている。だが、
「ただし、全員が満点とったらね――」
「え――?」
狙い澄ましたようなパッシングショットが決まって、少年は呆然と立ち尽くしていた。
ノータッチエース、フィフティーンラブ――!
「全員が満点だったら、クラスのみんなを今週末カラオケパーティーに招待するわよぉ、もちろん私のおごりでぇ」
ざわざわざわざわ――。
男子生徒からのデートの申し出を、クラス全員へのご褒美にすり替えるというクセ球のリターンに、またもノータッチエース。
サーティラブ――。
さらに、たとえ簡単な計算問題であったとしても、二十五名全員が満点をとるというのが、それがどれほど遠いことか、一瞬で全員参加の逃げ場の無いプレッシャーゲームに変貌していた。
かくして操祈の希望通りに小テストの問題プリントが配布される。
それを目にした途端、クラスのあちこちから苦しげなうめき声があがるのだった。
フォーティラブ、マッチポイント――!
「さあみんなぁっ、自慢の数学力を発揮してぇ、わたしに学習の成果をみせてちょうだい」
「鬼っ、操祈先生は鬼だぁっ」
「やさしそうな顔をしていて、これだもんなっ」
男子たちの大仰な不満の声に、にこやかに応えて、
「ハイハイ、じゃあ、チャイムが鳴るまでねっ、それとあらかじめ断っておくけどぉ、問題の組み合わせはみんな同じじゃないわよぉ、五種類、全部で十パターンあるから、もしかすると当たり外れはあるかのもしれないわねぇっ」
「当たり外れってなんだよ、モー」
「なら俺の、どっちもハズレかも、ぜんぜんわかんねぇやっ」
「あーあ、操祈ちゃんって、やっぱ女神の仮面をつけた鬼だったのかぁ」
「ちっくしょー、やられたなぁ」
口ではそう言いながらも、少年たちもまた淀みない動きで鉛筆を走らせている。生徒たちが問題に取り組むのを満足げに見守りながら、操祈は机の間をゆっくりと歩いて各人の進捗を窺っていった。時に足を止めて、さりげなく間違いを指摘して修正を促したりする。
誤りに気がついた生徒は、感謝と尊敬、憧れの眼差しになって自分の傍に立つ教師の美しい顔を仰いでいた。
「微分方程式はとっても便利な道具よぉ、仮に将来理系に進まないつもりでもぉ、役にたつから覚えておいても損はないわぁ、だって導関数の方程式を立てると未知の関数がわかっちゃうなんてステキでしょ」
「じゃあ微分値がわかれば先生のボディラインの関数も計算できるんですか?」
「コースケ、それにはまず各ポイントでの変化量を計測しないとなんないだろっ」
「やっぱそうか、ならまずは詳細な観察が必要だよな、九十二、五十八、八十九っていうスリーサイズだけじゃ情報が足りねぇや」
男子生徒たちが調子にのる。
以前の操祈であれば、こうした挑発には顔をうっすら朱くして言葉に詰まっていたところだが、
「あらぁ、無駄口きいてる余裕なんてあるのかしらぁ、一人だけ満点にならなかった時の責任は重たいわよぉ」
今ではこんなふうに軽くいなす余裕も生まれていた。
「それにね康祐くん、むしろ解ける微分方程式の方が例外で、世の中、解けないものの方がずっと多いのよぉ」
その意味するところが、判る人にはワカル、時速二百キロのビッグサーブが炸裂する。
男子生徒たちは一歩も動けず、ただ呆然自失となって見送るばかり。
ゲームセット! アンドマッチウォンバイ、ミサキ・ショクホウ――!
教職について二年あまり。
常盤台中学校教諭、食峰操祈、二十二歳はその日もいつもどおりのミス・パーフェクトなのだった。
続きの
夢の正夢 3
は明日になります