ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~ 作:真夜中のミネルヴァ
“これは簡単、単純な常微分で二次式の一般解は……”
舘野唯香は問題を見てすぐに安堵していた。授業で習ったばかりのもので、ただ係数が違っているだけだったからだ。
“……二問目も……これも授業でやったものとほとんど同じ、変数分離で左右を積分すればいいだけ……”
スラスラと鉛筆を走らせる。
案外簡単な問題に当たってラッキーだったと思う。自分の所為で敬慕する先生との貴重な親睦会の機会を失ってしまうのはイヤなのだった。
まさか操祈からカラオケの提案がされるとは意外だったが、美しい女教師が歌うところを是非、見てみたいとも思う。
どうか、全員が満点でありますように――。
答案を何度か見直して間違いがないことを確かめると、まずはほっと安堵する。
見るとはなく二列離れた斜め向こうの密森黎太郎の背中が目に入り、少年の容子を伺った。彼には難しい問題が当たってしまったのか、意外にもカリカリとまだ鉛筆を走らせている。
これまでずっと件の少年のことを自分のタイプではないと思っていたが、よく見るとけっこうかわいい顔をしているとも思うのだった。横から見ると案外、長い睫毛をしているのが窺える。知性的なすっと整った鼻梁の横顔、広い額の童顔、ちょっと女の子みたいにつつましく見える口元。
銀縁メガネの奥の黒い瞳はいつも穏やかで優しいが、稀にとても冷たそうな輝きを宿すときがあって、ただの便利な男の子ではないことは判っていたつもりだった。
だが――。
“まさか、あなたが……先生の恋人だったなんてね……”
女子たちの間では食峰操祈は既にロスヴァーしているものと見做されていたが、唯香は彼女がまだ処女であることを知っていた。だがプラトニックな意味でのヴァージンというのではなく、実際には単にセックスをする以上のことを操祈は経験“させられて”いる。
それもあろうことか教え子の男子生徒から――。
少女は、クラスメートの少年の顔が操祈の股間と接しているのを想像して、あらためて胸を高鳴らせるのだった。
ありえないようでいて、それが今ではいちばん収まりがいいように思えてくるから不思議だった。
きっと彼らしい抑制された情熱で真摯に向き合っているんだろうと想う、女にとっていちばんやっかいな手合いだ。自分もそうだったが、時間をかけて取り組まれると本当に参ってしまう。
体は嘘をつけないのだ。それを相手には間近ですぐに知られて……。
だから絶対にいちばん好きな男だけにしか許せないこと――だった。若い生徒との道ならぬ恋に身を灼く操祈の気持ちが良くわかるのだ。
きっと先生には凄くショックだったはず……。
たぶん、今も――。
でもそれが恋にのめり込むエネルギーになるのも確か。
女神が羽を
奈良のお風呂で見た操祈の体は、どこにも欠点なんて無いように思えた完璧なプロポーションをしていた。女の子が憧れるものを全て備えていた白く充実した肉体、やさしげに繁った飴色のくさむら。
あんなものを目の前にしたら大抵の男の子は冷静ではいられなくなってしまうハズ、きっと恐れ多くてどうしていいかわからなくなったりするんじゃないかしら? あるいは、どこまでも禁忌の背徳の行為にのめり込むかのどちらか……。
はたして、密森黎太郎は後者だった――。
操祈との話で窺えたのは、少年が自身の肉体的欲求に対しては信じられないほどストイックであり続けていること。もう一年以上も交際を続けている筈なのに、体を求められないどころか愛撫のお返しも拒まれているというのは、さすがに驚きだった。
それは、彼がそれだけ女教師に魅了されていて彼女の体に強い執着があるということ以外には考えられない。そして事実、そうなのだ。
きっと先生は自分に話してくれたこと以上に、いろんなエッチなこと、密森くんからされちゃってるんだろうな――。
少女の妄想は漂流を続ける。
操祈の美貌にときに屈折した陰りがよぎることがあるのは、彼女にとってエロティックな記憶のフラッシュバックがあるからなのかもしれない……。
かわいそうな先生……本当はずっと密森くんと一緒に居たい筈なのに……でも、それが許されないなんて……。
それだけでなく彼女はほぼ毎日、最愛の恋人と顔を合わせているのにもかかわらず、お互いにそしらぬ風を装っている。
それが恋する女にとって、どんなに悩ましくてせつないことか。
先生にそんな哀しい思いをさせるなんて、密森くんって、なんてワルいオトコなのっ!
しっかり責任とって先生を幸せにしてあげてよねっ、この上もし、あの人のことを傷つけるようなことがあれば、わたしは貴男を絶対に許さないからっ!
授業終了を告げるチャイムが鳴った。
「はい、じゃあそこまでにして、答案用紙を後ろから前の人に送ってちょうだい」
操祈が試験の終了を伝えた。
後ろから伏せて送られてきた答案用紙に、密森黎太郎は自分の答案をただ重ねるだけではなく、中に紛れ込ませるように差し込んだのに気づいた唯香はちょっと小首を傾げたが、自分にも背後から答案用紙が回ってくると、そんな不審な振る舞いへの疑念もすぐに日常の中にかき消されていくのだった。
「答案は明日のホームルームで返すからぁ、みんな楽しみに待ってるんだゾっ」
操祈はそう言い残すと答案用紙を抱えて教室を後にする。シックなグレーのスーツの背中に揺れる長い金髪にはセックスの翳など微塵も感じられないのだった。その優美な後ろ姿を憧れの眼差しで追っていた唯香に、
「テストできた――?」
と、横から声をかけられた。篠原華琳だった。
「うん、わたしのは簡単だったから。華ちゃんは?」
「わたしもっ、授業どおりだったから楽勝っ」
女子たちの間ですぐに自主的にテストの答え合わせが始まった。同じ問題に当たった者もいて、声の届く限りでは女子たちの中に失点は見られないようで安堵の輪が拡がる。
「先生、ああ言ってたけど、全員が満点とれるようなサービス問題だったりするんじゃないのかな?」
「それ、あるかもー、卒業するとみんなバラバラになっちゃうから、もしかすると操祈先生も口実を設けて、なるべくウチらとの親睦の機会をつくりたいのかもね」
「あーあ、もうあと七十日かぁ……」
誰かがそう言うと、少女たちの周りにちょっとセンチメンタルな空気が兆してくるのだった。
夢の正夢 4
は明日以降になります
誤表記に気づき修正しました
申し訳ありませんでした