ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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乙女の祈り

 

          Ⅸ

 

 

「あれ、もしかしてスタインウェイ?」

 操祈はすり鉢状になったシアタールームの底、壇上の隅にあったグランドピアノに目敏く注意を向けると、嬉しそうな笑顔になって紅音に訊いた。

「はい」

「触ってもいいかしら?」

「もちろんです、どうぞ」

 操祈は幅広のなだらかな階段を足取りも軽やかにトントントンと降りていき、紅音とレイはその後に従った。

「やっぱり、ボストンの曾御爺(ひいおじい)さまのお家にあったのと同じものだわ」

 ピアノカバーを捲るなり目を輝かせている。

「先生も弾かれるんですか?」

「ちょっとだけね……でも才能がないって判ってからはあんまり熱心にやらなくなっちゃったの。紅音さんも弾くの?」

「私も全然ダメだったんですけど、でも少しだけ」

「弾いてみてもいいかな?」

「ええ、ただずっと調律してないので、ちゃんと音が出るかわかりませんけど……」

「きっと大丈夫よ……この環境なら……」

 周囲をぐるりと見回しながら言う。

 少年には学校の音楽教室にあるグランドピアノと見分けがつかなかったが、ブランド名だけは耳にしたことがあった。とにかく、ものすごーく高価だということぐらいしか印象になかったが、上流階級のお嬢様方にはなじみのものらしいということだけは理解できた。

 白く優美な手が、始めは鍵盤を確かめるように弾いて幾つかの音を響かせていく。

「ステキ……」

 やがて操祈の両手がやわらかく、時に力強く動いて、少年にも聴き覚えのある曲が天井の高いシアタールームを満たしていった。

 一曲、演奏が終わって、レイと紅音は拍手で応えた。

「先生、すごくお上手じゃないですか……密森くん、今の曲名は知ってる? 聴いたことあるでしょ?」

「あるけど、曲名までは覚えてないなぁ……」

「乙女の祈り、よ、操祈先生のお気持ちに相応しい曲だと思わない?」

 少女は意味深なウインクをする。

「うん……」

 紅音が言わんとすることは、もう何となくわかったが、少年はそれには反応しない方が無難だと思って深入りを避けた。

「ごめんね、レイくん――」

 口にしてから、操祈はちょっとキマリの悪そうなようすになって“密森くん”と言いなおす。

「先生、いいんですよここでは気にされなくても、お二人がお交際(つき)あいしていることを隠す必要なんてありませんから」

「そうだったわ……でも……」

 操祈はぽっと頬を染めて、

「つい子供の頃を思い出して、懐かしくなっちゃって……ごめんなさい……」

「先生がピアノも上手いなんてこと、ぜんぜん知らなかったから、ボク、びっくりしてます」

「上手くなんかないわ、ただ譜面にあるとおりに弾いてるだけだから……紅音さんも何か弾く?」

「えーっ、今の先生の演奏の後でそれを言われると、尻込みしちゃいます」

「そんなことないわ、じゃあ、連弾しましょうよ……レイくん、もう少しだけいい?」

「いいに決まってるじゃないですか、先生の演奏を聴けるんですから――」

「紅音さん、曲は何がいいかな?」

「じゃあ、ショパンのノクターンで……」

「二番?」

「ええ、それで――」

「いいわね、楽しみっ」

 操祈の演奏レベルが相当なものであることは素人にも感じられたが、意外にも紅音もけして見劣りしない腕前であることが判って、少年はいい意味であてられたような気持ちになっていた。

 連弾をする二人が鍵盤を通して互いに心の会話をしているのが窺えるのだ。

「すごいじゃない、紅音さん」

「そんなことありません、先生についていくのが精一杯で」

「ぜんぜんそんなことなかったわよ、寧ろ私の方がたどたどしくて頼りなかったくらい、ね?」

「ね、って、こっちに振られてもわかりません、ただただ、二人の意外な才能を見せつけられた気分で。だってボクが扱える楽器なんてせいぜいカスタネットとトライアングルぐらいしか思いつかないから……もしかして、ピアノができないとここへの出入りは禁止になりますか?」

「密森くん、あんなこと言ってますけど、どうされますか、先生?」

「あらぁ、そうねぇ……うふっ……次回までの課題曲をあげましょうか?」

 悪戯っぽい目で迫られる。

「勘弁して下さいっ」

 少年が頭を下げると、女二人の愉快そうな笑い声がひろがっていった。

 

「本当にステキなお部屋ね……」

 少年は操祈と紅音が肩を並べて歩く後ろから、まるで二人の貴族の娘の下男のように付き従っていた。きっとこれが夜道なら提灯持ちをすることになるんだろうな、と思ってふきだしそうになる。が、自分に縁のある二人の女性が心を通わせているというのはなかなかいいものだとも思うのだった。

 紅音は味方につけるとなると、期待していた以上に心づよい存在だといえる。

 世事に長け、用心深く、頭の回転もいい。

 おまけに自分の力を軽々しく表にしない知恵も持ち合わせていた。

「ここが主寝室です。ベッドルームはここ以外にゲスト用のものが三部屋あって、その日の気分に合わせてみんな使っていただいて結構です」

 主寝室には広い部屋の中ほどにキングサイズのダブルベッドが置かれていて、ドレッシングルームやウォークインクローゼットもゆったりとしたスペースをとっていた。

「それから、お使いになった寝具はそのままにしていただいてかまいませんので、ホテル感覚でお使いになって下さい」

「お嬢様、洗濯はこの黎太郎にお任せ下さいませ」

「苦しゅうない――」

 少年の軽口におどけて応じた操祈だったが、すかさず紅音に窘められた。

「姫、なりません、この者の見かけに騙されてはなりませぬ。たいそうな不届きものでありますゆえ、もしも姫さまのお召しになられたものを任せられようものなら、どのような不埒をはたらくやもわかりませぬ」

 少女が何を言わんとしているのかすぐに察したようで、操祈は初々しく頬を染めると少年に困惑げな顔を向けてくる。

「え? あの、ボク、ずいぶんな言われようをしているんですけどフォローなしですか? さっきから心做しか扱われ方がザツになってるような……」

「しょうがないでしょ、だって先生を泣かせるようなひどいことをする男を、どうやって懲らしめてやろうかって思っていたんだから」

「わたし、別に泣いてなんかいないわよ……ひどいことって……」

 操祈は紅音が何をどこまで知っているのかを案じるように視線を泳がせている。教師の仮面が崩れだし、女くさい素の顔が表になりかけていた。

「お二人のことはわたしは何も知りませんし、関わりませんのでご存分になさってください……あと、先生のご案内は密森くんに任せるからお願いね、私はお茶の用意をしているわ」

「ご存分にっていわれても……」

 操祈は少年の顔をチラッと盗み見ながら不安げに呟いた。

 紅音がその場を後にして寝室に二人だけになると、にわかに互いを、褥をともにする恋人同士であると意識してしまうようになるのだった。

「明日の夜、先生はこの部屋を使われますか?」

「――?――」

「じゃあ、ボクは他のゲストルームを使うようにしますので」

「……そう……」

 操祈の表情からは安堵ではなく戸惑いが窺えた。

「……わかったわ……」

「これからは時間を気にしなくてもいいので……先生のペースでゆっくりでいいです……」

「うん……」

 少女がするようにコクン、と頷く。

 その愛くるしい仕草が少年の胸を熱くさせるのだった。

「ボクはお茶よりコーヒーの方がいいから、栃織さんに言ってこないと……」

 きびすを返しかけた少年に

「待って……レイくん……」

「はい?」

「ありがとう……」

 とても良いにおいのするいきものが少年の方に近づいてきて、長い髪を耳に掛けながら身を屈めてくる。

 まるで引き合う磁石のように二つの体がぴったりとひとつになった。

 少年の腕の中で温かくやわらかな体が息づいていた。華奢なウエストのくびれは、強く抱くと壊れてしまうのではないかと思うほどほっそりとしている。

 指に触れる肉の柔媚(じゅうび)な感触に、少年はまた股間が滾ってくるのを感じるのだった。

 

 

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