ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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碧子とレイ 1

「ごめんなさい、急に呼び出したりなんかして」

 部屋の主は、広々とした部屋の正面中央奥、壁際に置かれたデスクに座ったまま椅子をこちらに回して二人を迎えた。

 レイが連れてこられた理由を尋ねる前に、

「すぐに片付くからそこに掛けて待っていてくれる? なつき、悪いけど密森くんに何か飲み物をお出ししてあげて」

「あのボクは別に……」

「コーヒーでいいわね――」

 京極なつきが事務的に訊いた。少女の態度は常によそよそしくて、ニコリともせず親しみのかけらもない。

 レイは仕方なく頷くと、言われた通りに応接セットの長椅子の隅っこに浅く腰掛けるのだった。

 前副会長の京極なつきに連れられたのは女子寮の最上階の角部屋、碧子の専用個室だった。状況からいって緊張を強いられるシチュエーションには違いない。

 というのも昨日の放課後、操祈と図書館での束の間のデートを愉しんだあと、廊下ですれ違った際に碧子から

「密森くん、あなた、食峰先生のニオイがするわね――」

 と、意味深な笑顔で囁きかけられたからだった。その時は適当にやり過ごしたのだが、碧子のことだから、こうしたことになるのは覚悟をしていた。ただ、それが昨日の今日というのは些か展開が早いようにも感じる。

 いずれにしても早晩、決着をつけないとならない相手というのであれば、結局、今がその時なのかもしれないとも思って少年は肚を括っていた。

 それに碧子がどんな“持ち札――”を抑えているのかも気になっている。

 そんな混みいった裏の事情はともかく、レイは美少女の部屋について感じる男子の単純な好奇心、物珍しさもあって、あちこちにそれとなく視線を配りながら舌を巻いてもいたのだった。

 三年近くも生活を共にしながら、殆どの男子生徒にとっては女子寮エリアは敷居が高く、レイも寮内に立ち入るのは数えるほどしかなかった。侵入した途端に異物――として認識されて目に見えない排除圧がかかるような、ある種独特の空気感があって、常に緊張を強いられるのが苦手で遠巻きにしていたからだ。

 意に介さずに出入りできるのはきっと、那智陽佐雄のような女子側からすると“お客さま”に限られるのだろうと思う。少なくとも自分はそうではない。京極なつきの態度からして、その資格がないことが良く判るのだった。

 それにしても、何たる違いだろう――!

 男女同権というのが、ただのお題目に過ぎないという判りやすい現実が突きつけられている。それは常盤台が女子校だった頃の名残を今も止めているからなのだろう、かつてのお嬢様校としての伝統は女子には受け継がれていて、同じ二人部屋と言っても、男子寮は利用しなくなった教室を潰してでっちあげた急ごしらえで、それぞれが女子用の半分ほどの広さしかない上に、粗末なスチールパイプ製の二段ベッドがあるだけの雑な仕様であるのに対して、女子寮の方はただ広いだけではなく、こちらのベッドは木製の上質なもの二つが十分にスペースをとってゆったりと配置してある。おまけに床はリノリウムではなくて絨毯が敷き詰められていた。

 これだけでも待遇格差に驚くが、碧子の部屋はさらに立派なもので、リビングとベッドルームが続き部屋になっているという高級ホテルのセミスイート――少年は実物を見たことはなかったが――のような誂えなのだった。さらにはキッチンやトイレ、バスユニットまで専用のものが備えられているのだ!

 同じ三年生でありながら自分たちとの扱いの違いに驚かされるばかりだが、これも大人の事情なのだろうな、と納得するしかないのだった。

 なんと云っても、ここ学園都市では山崎の名はブランドで、碧子は特別なのだ。教師たちでさえ碧子には一目を置いて接する。

 レイに背を向けてキッチンでコーヒーをドリップしていた京極なつきは、碧子に淹れたてのコーヒーを運んでいった。

「ありがとう、なつき。それと洗面器に水を張ったものを置いておいてくれるかしら? それが済んだら後はいいわ、密森くんと二人にして」

「あ――あの、それでは……」

 なつきの懸念は少年にも理解できた。だが、実際のところ怖いのはこっちの方だ、とも思う。

「私が男子と二人だけになるのが心配?」

「いいえ、ただ……他の生徒たちの目もありますので……」

「大丈夫よ、彼が私に何かするとでも? それを私が許すとでも思うの?」

「いいえ、そのようなことは断じて」

「それならいいでしょ、彼に話を訊くだけ、少しの間のことだから……内々にあの件を確かめておきたいのよ。結果は後であなたにもちゃんとお話しするつもりだから」

 碧子は傍で(かしこま)る同級生の少女を見上げながら、一瞬、流し目になって鋭い視線をレイに送り、またなつきの方に戻っていった。

「はぁ、そういうことでしたら……」

 なつきもレイの方を振り返り、冷たい眼光で一瞥する。

 やはり自分のことが問題にされているらしかった。少年は身の置き所を失った心持ちになって長椅子の上で縮こまるしかない。

 まな板の上の鯉の気分で――。

「それより、あなたには別にお願いしたいことがあるのよ、いいかしら?」

「なんなりとお申し付けください」

 同級生というよりも、まるで主人と執事のようなやりとりだった。なつきの碧子への心酔ぶりが窺える。

「この資料を……」

 碧子はデスクの引き出しからB4サイズの大封筒を取り出すと、なつきに渡した。

「とても重要なものなんだけど、これをあなたに与っていてもらいたいの。必要なときまで……」

「そのようなことでしたら、容易いことです」

「ご覧のとおり封じてはいないわ……でも、今は中を見ないで……私があなたを信頼している証よ」

 その言葉に驚懼(きょうく)したのか、なつきの肩が細かく慄えているのが窺えた。

 碧子流の人身掌握術の一端を垣間見たように思って少年も、上手いものだ――と、感心する。

 崇拝している相手から信頼を示されて嬉しくない者などいない。ますますの忠誠を誓うようになる。下の者にあえて弱みを晒すという、こうした胆力は、上に立つものに必要な資質の一つだった。

 碧子はやはり生まれながらにリーダーの素養を備えていた。だてに一年の時から会長をしていたわけではなかった。

 託された封筒を大事そうに胸に抱えて戻ってきた京極なつきは、少年の座る応接セットのテーブルにもコーヒーのカップを置くと、隣に水を七分目ほど注いだ洗面器も配置している。

 その間、一切無言。

 わかりやすい嫌悪の感情が伝わってきて、レイはさらに肩をすくめるしかない。

「ではわたくしはこれで――」

「たのんだわよ、なつき」

 京極なつきは恭しく一礼をすると部屋から出て行き、レイは女子生徒の部屋で二人だけになるという絶対に不利なシチュエーションに追い込まれた形になっていた。

 何があろうとなかろうと、碧子がその気になれば卒業を控えたこの重大なタイミングでこちらを(ほふ)ることもできるのだ。

 もっとも、相手に“その気”があるのなら――の、話ではあるが。

 ただ、そのつもりが無くても、こうしたお膳立てに相手を引き込むのも碧子の長けたところだった。

「もうちょっとで済むからお茶でも飲んで、のんびりしていて」

 碧子は背を向けたまま、キーボードをカタカタと打ち込みながら言った。

「あの、ボクがここに招かれた理由がわからないのですが……」

「それは……きまってるでしょ……」

 気のないふりを装った声が返ってくる。

「きまってると言われても……ボクには……」

 レイもあくまでも韜晦(とうかい)で応じていた。相手が切ってくるカード次第で自分も対応を考えるつもりでいる。ここに来た以上、もうフロックで乗り切れるとは思ってはいなかった。あとは駆け引きと手の内の探り合いになる。

 そして碧子は手強い上に、精神系の能力者。さらに相手の土俵で戦うなんて分が悪すぎた。

 ただ――。

 こちらの勝利条件の設定次第では十分に渡り合えるとも思っていたのだった。

 むこうの狙いは判っていた。一方、こちらの防御ラインを彼女は知らない。これは協議を行うにあたっての重要なアドバンテージだ。

 それに、碧子がまだ操祈との関係を示す確証までは掴んではいないとの読みもあった。さもなければ昨日のようなカマをかけてくる必要もない筈だった。

 幸い、京都での失敗以降は常に事後の処理はしっかりしていて、男子トイレで何度も石鹸をつけて前髪のあたりまで良く洗っていたので、部屋に戻ってからもヒサオに何か言われるようなことにはならなかったし、操祈から奪ったナマ肌着も、予め用意しておいたビニール袋を幾重にもして包んでおいたので、よほど顔を近づけられることでもない限り誰もズボンのポケットの中にそのような宝物を秘めているとは思わないに違いなかった。

 いまそれは自身の洗濯物の中に紛れ込ませていて、部屋のロッカーの中に隠してあって、ヒサオが外泊するなど、夜、独りになれる時にはそれを取り出して、あの女神のように美しい女性のとても人間くさい一面に触れる感動に浸るつもりでいたのだ。

 秘密にじかに顔を埋めるのもすばらしいが、移り香には移り香にしかつくりえない、醸し出されて複雑に折りたたまれた重層感のある(かぐわ)しさがあって、また(こた)えられない魅力があるのだった。それがあの完璧と言ってもいい美貌にはそぐわないようでいて、実に彼女らしくも思えて愛おしくなる。

 やさしさと心根のいじらしさを感じて、男の欲望を焚きつけてやまない美しい魂の匂い、尊い命そのものともいえる芳香。

 たぶんこれからも、蜂が蜜を求めるように機会があれば操祈という(こうき)なる花の奥に身を潜り込ませて、香り高いドリップ(樹液)を求めてしまうだろうと思う。

 別れた後、すぐに(かつ)えを感じてしまうほど、少年は美しい女教師の肉体に憑かれているのだった。

 ただ、そうやって操祈との関係が密になればなるほど、必然的に周りにそれを気取られるリスクも増していく。それを踏まえた上での冒険ではあったが、たしかにこのところ少しイイ気になっていて、ガードが下がり気味であることも自覚していた。

 卒業式まであと二ヶ月半ほど――。

 常盤台を卒業し、学園都市を出てしまえば操祈との間にある障害はぐっと低くなるだろう。それまでは何とか穏便にすませたかった。

 互いの生理と向き合いながらの綱渡りを続けながら……。

 あんなにも愛くるしい女性を毎日、目の前にしていながら、触れることも可愛がることもできないというのは、思春期真っ盛りにある身にはやはり辛すぎるのだ。

 それどころか普段は視線を絡めることはおろか、言葉に思いをのせることさえ努めて避けている。

 それなのに操祈には無自覚に魅力を振りまく時があって、そんなときは体に脂汗が滲むほどの感情の奔騰に悶絶することになるのだった。

 グロスをしていない美味しい唇から紡ぎ出される心地よく胸に響く声音、サラサラと流れるような美しい金髪の清潔な香り、スーツの前から垣間見える胸の膨らみの目にも悩ましい魅力的な曲線、キュッと締まった腰のラインには牡の庇護欲をかきたてずにはおかないか弱さがあるのだった。そしてスカートの裾から覗く伸びやかな脚、かぐわしい体臭、ほのかに香る好ましい汗の匂い……。

 少年はひっそり舌なめずりをして、口の中にあふれてくる唾液をゴクリと呑みくだした。次のデートの時、明後日の夜にはきっと思い知らせてやろうと心にきめる。

 操祈にしかつくれない肌の匂いと肉の味とを求めて、時間をかけてくまなく隅々にまで探求の手を拡げていく。長い睫毛の瞳が驚きに大きく見開かれて羞らいに伏せられる時、ふだんは耳にすることのない愛らしい声で啼くのだ。汗ばんだ肌はいっそう(なまめ)いて、健気に発情のサインを示して素晴らしい肉の蜜をふるまってくれるようになる。

 それがどんなにかわいらしいか……。

 欲しい……先生のカラダが……恋しい……抱きしめたい……。

 椅子が軋む音がして、少年はふと我に返った。

 一瞬のことだったが美しい恋人のことを想って股間を滾らせてしまっている。

 作業を終えたのか碧子がデスクから立ち上がると、少年のいる応接セットの方へとやってきた。

 少年は、この時ほど相手の能力がオーラリーダーではなくて良かったと思ったことはなかった。紅音であればたちどころにこちらの劣情に気づいたであろうが、碧子はそれには気がつかない……ハズ。

「ごめんなさい、呼びつけておいて待たせるなんて」

 碧子はレイの前の肘掛け椅子に座ると、背筋をピンと伸ばして見据えてくる。碧い瞳が神秘的なまでに美しい。

 実際に、こうして対峙すると改めて山崎碧子という美少女がいかに非凡で卓越した女性であるかを意識しないわけにはいかなくなるのだった。

「どうして呼ばれたのか理由がわからないから……ボク、女子寮って苦手で……」

 畏まって応えると美少女は婉然と微笑んだ。

「まったく……」

「………」

「大したものね、そんなふうにしていると、この私でさえ密森くん、あなたが大人しくて無害な小動物のように思えてくるから……うふふっ」

「……?……」

「まぁ有害か無害かはともかく、あなたが猫っかぶりしていることは判るわ、中身が狡猾な肉食動物であることを隠しているのを」

「あの山崎さん……いったい何の話?」

 美少女は、フン、と鼻で笑うと

「その洗面器の中に手を入れてくれる?」

「たしか山崎さんはサイコメトラーだったと思うけど……」

「ええそうよ、水には人の心が良く溶け込むものなの。私の能力はそれを読むこと」

「ボクの心を覘くつもり? それってプライバシーへの介入でしょ?」

「否定はしないわ――」

「能力を軽々しく使うことはどうなのかな? 理由も明かされずに尋問をされるのは不当だし乱暴だよ。とても名会長と呼ばれた人のすることとも思えない」

「だから無理強いをするつもりはないの、あなたは今すぐ、ここから出て行くこともできるわ」

 レイは、

 それなら――と、

 言いつつも立ち上がろうとはしなかった。互いに間合いを量っている状態では、常に先に動く方が不利になるからだ。

 それに相手が次にどんなカードを開いてくるのかにも興味があった。

「やっぱり思っていた以上に食えない男ね、密森くんって」 

 珍しく苦笑いを見せた碧子は、肘掛け椅子から立ち上がるとパソコンが置かれたデスクに戻っていった。そして引き出しを開けて封筒を取り出すと、またレイの前に戻ってくる。

「これを見て――」

 少年に封筒を差し出した。

 古めかしい綴じ紐のついたA4サイズの紙封筒である。

「話はそれからよ――」

 レイは紐を解いて封筒を開くと、中にあったものを引き出した。そして驚きに目を瞠る。驚愕の表情を貼り付けたままで碧子の顔を見上げた。

「これっ……こんなの……ウソだよ……」

 激しい動揺にプリントされた写真を持つ手が戦慄えている。

 そこに写されていたのは淫らな愛撫に堪える操祈の姿なのだった。

 

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