ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~ 作:真夜中のミネルヴァ
物憂げなノックの音に応えると、部屋のドアがしずしずと押し開かれて五十絡みのメイドが視線を伏せたまま恭しく頭を下げた。
「お嬢さま……旦那さまが、お呼びでございます……」
時刻はじきに夜の十二時になるところ。雷雲が近づいているのか、ときに窓の外が稲光りに明滅する。
「わかっているわ……」
若い女は読みかけの本を閉じると椅子から立ち上がった。スラリとした立ち姿、長い金髪に白皙の顔が美しい。
「あの……」
初老のメイドはまだ何か言いたげにドアの前に立ちつくしている。
「ありがとうヨハンナさん、あなたもお家にお帰りになってください。折角の長いお休みよ、旦那さまとのんびり夫婦水入らずの旅行に出かけるのもいいんじゃないかしら」
「ありがとうございます……ですが……」
容子から、今夜これからこの屋敷で何が行われるのかを彼女も薄々感づいているのが窺えた。この家に長く仕えていれば、一族の抱える呪わしい秘密に気がついていたとしても不思議ではなかった。
「心配してくれてありがとう。でもわたしは大丈夫よ……」
他の使用人はみな前日から休暇を取らせていて、いま広大な屋敷に居るのは自分と、このメイド長のヨハンナ、そして“父”の三人だけになっている。
その、父――も、
明日の朝までには居なくなる……。
「お嬢さまのせっかくのお誕生日だというのに、本当にお世話をする者が一人も居なくなってしまっても宜しいのでございますか?」
「ええ、お祝いは自分でするからいいわ。お父さまからシャンパンのボトルを与っているの。十八歳になったら栓を開けても良いってお許しがあったのよ、だからあと少ししたら開けるつもり……ひと口だけ、自分へのご褒美に乾杯っ、ねっ、とってもステキでしょっ」
明るい声をつくって笑顔を向けた。
「はぁ、さようでございますか……」
「でもみんなが居ない一週間は、自分でお料理やお洗濯もしないといけないから、ボンヤリ浸っているわけにはいかないわよね……きっとヨハンナさんたちのご苦労がよくわかると思うわ、どんなに助けられていたかを」
「そんな、もったいないお言葉……わたくしは自宅に控えておりますので、何かございましたらいつでもお申し付け下さいませ、すぐにとんで参りますので」
「ありがとう、頼りにしているわ」
ヨハンナを送り出し、彼女を迎えに来ていた娘の運転する車が遠く一本道の先、林の中に消えていくのを窓から見届けると、時計に目を遣って長針が十二時を回っているのを確かめた。
十八歳――。
それは一族に生れた女にとって特別な意味を持つ日なのだった。
棚の中ほどに置かれた黒いボトルを手にとって、父の部屋に持って行こうかと考え、ため息をひとつ、小さくかぶりを振る。愁いをたたえた美しい貌にはいつしか諦観の微笑が生まれているのだった。
「よく来たね……」
女が書斎のドアを開いたとき、父――アンソニー・ヴィルダーベント Jr.――は、豪奢なデスクの縁に腰をあずけてブランデーグラスを傾けていた。歳はまだ四十前、娘と同じ金色の髪を綺麗に整え、体格も見事な美丈夫である。
日頃、子供の前では飲酒をしている姿など見せたことのなかった男が酒に手を伸ばすところを見ると、やはりいくばくかの屈折が窺えて、女は興を惹かれるのだった。
「来ないかもしれないと思っていたよ……」
「もしそうしたら、どうなさったんですか……?」
「さぁ……どうしただろうね……」
父は娘を一瞥し、眩しさに怯んだように視線を床に這わせながら言った。
「おまえも呑むか? もう十二時を回ったから、今夜だけはいいことにしよう……」
「いいえ、結構です、お酒に逃げたくはないので……」
最愛の父親を見つめる娘の瞳は瞋恚に燃えている。
「そうか……」
男は、自分に言い聞かせているかのように深く首肯した。娘の言葉が刺さったのか、また視線を床に落としている。
「それで、どうすればいいのですか? お父さま……いえ、アンソニー……」
美しい娘から詰め寄られて、男は顔にかかる前髪を物憂げにかきあげた。端正な顔には懊悩の色が、碧い瞳には逡巡が宿っているのだった。
「これは仕方のないことなのだよ……ファミリーの尊い血をまもるためには……おまえの母さんも、お祖母さまも、そしてこのわたしも通ってきた道なのだ……弟のエーダムも、去年生れたノーマンも、男の子が十六を迎えた夜には……そのときは、おまえが“導く者――”となるのかもしれない……」
「もう、そのお話はわかっています――」
「おまえは賢い子だ、そしてとても美しい……わたしの自慢の娘だよ……」
「わたしも父であるあなたを愛していました。あなたの娘であることを誇りに思っていました」
美しい娘からの過去形での宣言は、親娘の決別を意味していた。
「………」
「明日、たとえそれが形を変えることになったとしても、その気持ちが偽りであったとは思いたくありません。さあ、命じてください、それに従うためにここに居るのですから、わたしは何をすればいいのですか?」
「ミサキ……」
アンソニーは躊躇いを覘かせながら手を伸ばして娘を招いた。
「こっちへおいで……」
「……抱いてください……あなたの女にされる前に……もう一度、最後に娘として……」
「わかった……」
ミサキはおずおずと近寄ると、実の父親の腕の中に倒れ込むようにして抱きつくのだった。
この話はもう少し先に載せるつもりだったのですが