ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~ 作:真夜中のミネルヴァ
「やっぱりここに居たのかよ」
「あ、コースケくん」
「おまえんトコに行ったら部屋っ子が、キッチンに行ってるって言ってたからさ」
「どうしたの? なにかあった?」
「なにかあったもないだろ」
「これ焼き立てだけど食べる?」
窓のない狭いキッチンスペースの中は、ファンを回していても甘く香ばしい匂いがたちこめていて、レイは既に七~八枚ほど綺麗に積み盛られたパンケーキの皿を友人に勧めた。
「お、いいのか?」
「うん、ホットケーキミックスの賞味期限が迫ってきていたので焼いちゃおうと思って。焼きあがったら部室に持って行ってみんなで食べるつもりだったから、ちょうどいいよ」
教室棟の二階奥、男子寮エリアにある粗末な共用キッチンで、レイはフライパンを器用に操ってパンケーキを焼いていた。油をひいた黒いスチールパンの真ん中には、十五センチほどの大きさの丸いケーキ生地がいい色に焼けた面を上にして出来上がりを待っている。
「おまえ、山崎の部屋に行ったんだって?」
パンケーキの一枚に嚙りつきながらコースケが訊いた。
「うん、いやぁ参ったよ、いろんな意味で凄い部屋だったから」
「そうか、噂には聞いていたけど、やっぱすごいのか……男子であそこに入ったことがあるのは何人もいないからなぁ」
「彼女の個室はボクらの部屋のざっと十倍ぐらいの広さはありそうだったな、教室二つ分はあるんじゃないかってくらい。キッチン、トイレばかりかバスもあるみたいだったし、なんかもう、すっごい特別室だったよ」
「まぁ、あいつはお嬢サマだからなぁ……で、どうだった?」
「どうだったって?」
「あそこに呼ばれたってことは、あいつからよほど気に入られたってことだろっ、まさか山崎からコクられたとかってことはさすがにねぇよな?」
「そんなのあるワケないじゃない」
「だが、いま女子らの間でもちょっと噂になってるみたいだからよぉ。一時間も美少女の部屋で二人っきりってなると、さすがにちょっと穏やかじゃねぇからな」
「ボク、そんなに長居してたかなぁ……?」
レイは壁掛け時計を見あげて、時刻がじきに五時になろうとしているのを確かめて、廊下の外にも視線を転じた。外はもうすっかり日が落ちているようである。
「学園一の美少女からコクられて、ゴキゲンでパンケーキ焼いてるってんじゃねぇのかぁっ、コイツっ、スミにおけねぇヤロウだなっ」
コースケは握りこぶしを振りあげて、殴ろうとする真似をしてみせた。
「まぁ、そんなんじゃねぇのは分かってるがよっ……オマエ、いったいナニやらかしたんだよ」
「うん……まぁ疑いは晴れたみたいだからいいんだけど……」
「疑い――?」
「収賄だって」
「なんじゃそりゃっ!?」
「ボクが生徒会の雑用をしていたのは知ってるでしょ? そのことで各部の活動費に便宜をはかって、キックバックがあったんじゃないかって疑惑が一部から持ち上がっているとかで……」
「そんなバカなことがあってたまるかよっ、だってアレはオマエが生徒会から押しつけられてやらされてたんだろ」
「メープルシロップ使う――?」
「お、あんのか、そんな小洒落たモンが」
「冷蔵庫に入れっぱなしになってるから、ちょっと出して室温に戻してからにした方が美味しいと思うけど……」
「そうだな」
コースケは共用の冷蔵庫を開いて中を覗く。
「たしか、袖の上段の棚にあったと思うけど……」
「あったあった」
クルーカットの精悍な少年は手にしたメープルシロップの瓶を傾けて、食べかけのパンケーキの上にひとたらしする。
「おお、うめぇっ! やっぱホットケーキには蜂蜜じゃなくてメープルシロップだよなぁ……」
「だよね……それでね、最終的に決済は生徒会がしているんだから、問題があればそこで判るはずだって言ったんだけど、どうもその時のチェックが甘かったんじゃないかって言われて……」
「ったく、とんだ言いがかりだなっ」
「そうなんだよね、ボクもそんなこと今更言われてもって思ったよ。でも確かに、来年度予算の合理化作業のはずが、かえって増額になってる部や同好会もあって、その中には将棋部もあったりしたから……」
「だって純平ンところは、あのオンボロ部室の天井の雨漏りの修繕費が盛り込まれてたんだろっ! 前から決まってた話で関係ねぇじゃんよぉ」
「別会計に全然手をつけなかったのが意図的だとか、お仲間がいるから見逃したんじゃないかって、もう、ナニがナンだか……それで元会長から直々に尋問を受けて……あの人、サイコメトラーだそうだからさ……っていうわけ」
「そいつは災難だったな、こき使われた挙句に、あらぬ嫌疑までかけられてよぉ」
「まぁ、彼女の豪華な部屋を見られたのは良かったし、憧れの美少女さまと間近で接する機会を得たので良しとするかなってことで、だからいまは機嫌をなおしてケーキを焼いてるところ」
最終的にレイが焼き上げたパンケーキは二十枚近くにまでなっていた。
大きめの皿の上をはみ出して二つのケーキの塔ができあがっている。
「しかし、サイコメトラーってのはヤバイぜっ、あいつの手にかかると、昨夜のズリネタまでバレちまうって話だからな」
「えっ、そうなのっ!? そいつは大変っ」
「おまえ、誰をオカズにしてんだよ、やっぱ栃織かぁ?」
「それはいくらコースケくんでもナイショっ、ねぇコースケくん、パンケーキ持って先に部室に行っててくれるかな? 釣り研でも将棋部でもどっちでもいいけど、ボク、ここの後片付けをしないとならないから、ついでにみんなにも声をかけておいてくれると助かるな」
レイはケーキの載った皿にふわっと何枚かラップをかけながら言った。
「おう、わかった、今日はみんなウチでグダってるからっ、オマエが来るまで手をつけずに待ってるっ、だからはやく来いよっ」
「ありがとう、でもあったかいうちに食べた方が美味しいから、先に始めてもらっていても構わないよっ、あっそうだっ、シロップとバターも忘れずに持って行ってよ」
「まかしとけって、きっちり落とさずに運ぶからよっ」
コースケはメープルシロップの瓶とバターホイップのチューブをズボンのポケットにねじ込みながら言った。
笑顔で送り出しながらレイは友の背中に向ける表情を曇らせていく。数々の嘘が心の重荷となっているのだった。
一時間あまり遡って、午後三時半過ぎ――。
碧子は水の張った洗面器に入れていた手を抜くと、不満げな気だるい仕草になってタオルで水気を拭っていた。少女はレイの目の前で軽いトランス状態になって、水を鋳型にして写し取られた少年の心のコピーを読み取っていたのだった。
美少女は少年と目が合うと瞼を伏せて視線をテーブルの上に落とした。
「これで納得してもらえたかな?」
「………」
「だからもう、ボクらにはこれ以上、立ち入ってもらいたくないんだ……残り二ヶ月余りを穏便に済ませたいから……」
「言いたいのはそれだけ――?」
「まぁね、他にもいろいろあるんだけど、今はそれだけで必要十分かな。キミがどんなに先生のことが目障りだと思っていたとしても、その短い間ぐらい賢く棲み分けることはできると思うんだけど……これまでのように……どうかな?」
美少女は渋々といった容子を隠そうとはせずに小さく首肯した。
「それと、今日のこの査問の趣旨については、キミのシナリオ通りに公式にはボクの来年度予算に関する不正疑惑、ということでいいんだよね? 疑いは払拭されたわけだから、ボクはこれで――」
レイは長椅子から立ち上がった。
「ねぇ教えてくれる、密森くん……いつからなの? あの人が力を取り戻していたのは……」
「さあ、それはボクにも判らないな……でもここ半年、一年ってことじゃないのかも……もしかすると常盤台に赴任する前から既に再覚醒されていたのかもしれないし……」
「………」
「でもこのことは絶対に口外無用の秘密だったから……だけど、今日は仕方がないか……レベル2の優秀なサイコメトラーを相手にしては隠しきれないし……だからボクは今まで、キミにはなるべく近寄らないようにしていたんだけど……」
「………」
「ボクも先生にはこのことは話さないから、山崎さんも心配しないくてもいいですよ」
「あなたは怖くないの? そんなモンスターの近くにいることが……」
「どうして? 先生はふだんは普通にすごく可愛い女の子だよ。力をふるうことについてはとても抑制的な方だし、まして他人を傷つけるようなことは決してしない人だから。ただ、危害を加えられるとなったら身を守るために必要最小限の力の行使はやむをえないと考えられるかもしれないけど……」
「………」
「そもそも先生にはキミと事を構えようという意思はないから、普通に教師として優秀な教え子の成長を期待して見守られているだけで……だから、この件はこれっきりにして、もうおしまいにして欲しい」
「あなたは自分があの人に操られていると感じたりすることはないの?」
「無いけど……でも、仮にあったとしても、それはそれで構わないんだ。ボクが先生のことをとても愛しているのは、キミにも、もう判ってもらえたと思うから……ボクは……あの人が傍にいてくれるだけでいいから……それで十分……」
「大した忠誠心ね」
美少女は苦々しげに口の端を歪めて言った。そうすると、十代というよりもすっかり
「あんなこと、あの人の
「あんなことって、キミがさっき見せてくれた映像でボクが先生にしていたこと? それはないな。だって自覚しているし、今もはっきり覚えていることだから……ただボクがしたいからしているだけで……オーラルプレイは男なら大好きな女の子には普通にする事だと思うよ……それにいくら強い力をもっていても、セックスの時に相手の心を支配することなんて、さすがにできないと思うんだけど……」
「………」
「本音を言えば今この瞬間も、ボクは先生の体が恋しい……あんなものを見せられたんだからすっかり興奮しちゃって……」
唇の周りを舐めながら少年がそう言い放つと、美少女は疲れたため息を吐くのだった。
「もうわかったわよ……せいぜいエッチなプレイを楽しめばいいわっ……お似合いよっ、あの人のパートナーとしてあなたは……」
少女が精一杯の虚勢と皮肉を込めていることが窺える。
「それはどうも……わかってもらえて嬉しいよ。それからもう一つ、さっきの映像のことを知っているというもう一人に対しても勧告、ボクらには関わらないで欲しいって、キミから伝えておいてくれないかな?」
「それは問題無いわ、そもそもあの映像も、その人からは他の誰にも見せるなと釘を刺されて提供されていたものだから……」
「それは良かった……お互いに……」
「………」
「じゃあこれで……」
レイは美少女に背を向けると歩み去り、ドアノブに手をかけた。
「あとひとつだけ教えて、密森くん」
「なんですか――?」
肩越しに振り返って、ひじかけ椅子の上で身を
「昨日、あなたはどうやって図書館から抜け出したの?」
少年の顔に理解の色が拡がっていった。
「抜け出すも何も、ボクはキミとすれ違っているんだけどね……ただキミが気がつかなかっただけで」
記憶を辿っていた碧子の碧い瞳が驚愕に見開かれるのを見届けるとドアを引き、外の廊下へと出て行くのだった。
ドアの外では京極なつきが待ち構えていて、瞬間、よもや盗み聴きをされていたかと身構えたが、彼女の碧子への忠誠心からみてそうした無作法をするとも思えず、
「どうやら疑いは晴れたみたいでほっとしました」
と、何事もなかったように声をかけた。
当然のように相手からの反応は無い。やはり彼女の関心は碧子の事だけのようである。
なつきは許しがない限り、自分から部屋の中へ入ろうとはしなかった。それをちょっと不憫に感じて、レイは扉が閉まりきる前に部屋の中の碧子へ
「副会長が来てますよ」
と伝える。
「あら、なつき、来てたの? ごめんなさい、入って」
ご主人さまからのお呼びがかかると、少女は表情を一変させて部屋の中へと消え、少年の前でドアをピシャリと閉ざすのだった。
「男ひとりを女子寮の中に放置するって、いったいどんな罰ゲームなんだろうな」
少年は肩をすくめて小さくひとりごちると、エレベーターホールへと足を向けた。
途中、すれ違う女子生徒たちからの胡乱な輩に対するような視線が痛かったが、とりあえず碧子とのゲームでは自分が望む方向に相手をコントロールできたことで満足していた。
何よりも心理戦序盤の
操祈との関係を認めるという大きな対価は支払ったが、逆に彼女が能力者として再覚醒したことへの恐れを相手に植え付けることに成功していた。
ただ実際のところは操祈がメンタルアウトとしての力を消失している以上、そのハッタリでどのくらい時間が稼げるかはわからなかった。
碧子が油断のならない相手であることにはかわりがないのだ。それが今日の件ではっきり判ったのだった。
あんな映像まで撮られていたなんて……。
いったい誰が、どんな方法で……?
もう先生の部屋さえもセーフティーゾーンじゃないということなのか……。
そう考えると背中に冷たいものが走る。
「まぁ今は“セキ”に持ち込めただけでも良しとしないと……」
エレベーターの中で少年は、両手で顔をパンパンと軽く