ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~   作:真夜中のミネルヴァ

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特別エピソード 熱中SHOW

 どこをどのようにして此処まで来たのか翔馬にはわからなかった。

 ふと顔を上げた時には低層階のビルが立ち並ぶ見知らぬ裏通りに居て、自分が母親との約束を破ってホテルを抜け出し、炎天下をふらふらとさまよっていたことに気がついたのだった。

 いったいどれくらい歩いていたのだろうか――?

 素肌に直に着ていた半袖のワイシャツが汗でぐっしょり濡れて身体に貼りついている。

 喉がカラカラになっていてちょっと頭が重たかった。

 記憶にあるのは、あの憎い少年が女神の肉体から欲しいものをすべて奪い去った後、部屋にひとり残された彼女がとぼとぼと寂しげに浴室へと入り、やがてシャワーの音が聞こえてきたこと。それを機にクローゼットから出て、音を立てないようにドアをそっと開けて廊下へと抜け出したところまでだった。

 そこから先の記憶は曖昧になっている。

 代わりに頭の中で何度も蘇るのは、奇蹟のように甘く起伏に富んだすばらしい裸身と、白くて柔らかな肉に対して少年がしていたこと。

 初めて見た女の人の密やかな部分――。

 あんなにも美しい女性の……。

 それはネットで垣間見たことのある映像なんかとはまるで違う、とても可憐なやさしい姿をしていた。清楚でつつましい薄桜色をした花のように……。

 けれども濃厚な検分を繰り返し受ける中、やがて粘液にまみれて蒙昧な軟体動物のような(なま)めいた蠢きを示すようになっていったのだった。

 翔馬は乾いた喉をゴクリと鳴らした。唾液なんか全然でてこなくなっていた筈が、少年がしていたことを思い出し、それと同じ行為をしている自分を想像するとまた口中豊かに溢れるように湧き出してくる。

 同時に激しい嫉妬の感情に襲われて頭がおかしくなりそうになった。

 場面の一つ一つがフラッシュバックするたびに

「いやだっ――!」

 と、悲嘆の声を張り上げて耳を塞ぎ、道端に(うずくま)りたい衝動に襲われてしまう。

 そうしないために早足になって歩き回っていた。

「……あんなヤツに……」

 二人が演じたセックスシーンの一部始終を見ていて、居たたまれなくなったのは少年が見せたキスのバリエーションの豊かさ。

 そしてなにより彼女にとっての、初めて――だったらしいこと。

 それが翔馬の心を掻き乱し、(くら)く悩ませている。

 よもやずっと年下の教え子から求められるとは夢にも思わなかったのにちがいない――。

 それが彼女の驚きと恐れの表情から読み取れたのだ。

 つつましく脚を閉じ、健気に胸をかばって身をかたくして逃れようとしていたものが、ついには何もかもあらわにされて少年の舌と唇によって丹念に(ねぶ)りとられていくという、この上なくエロティックな場面の連続を一時間以上もの間ずっと見せつけられていた。

 そして二人の別れ際、最後の接吻も舌と舌とを深く絡めあった後にもっと長く、別離を惜しむように思いのこもった口づけを交わしていたのも常ならぬやり方でなのだった。

 それを翔馬は、彼女のかぐわしい吐息が顔にかかるほどごく間近で見ていたのだ。

 女は立ち上がるとクローゼットのドアの取っ手に手をかけて体を支え、少年がしやすいように(はずか)しげに片脚を持ち上げてキラキラとした美しい毛並みを差し出していた。

 薄い羽根板のすぐ向こうにつぶらな瞳をした顔があって、長い睫毛をふるわせて、瞼に繊細な皺をつくりながら哀しげに伏せられていくのがはっきりと目に焼き付いている。

 大胆な愛撫を少年に許して、信じられないくらい美しい女性がみせる愛くるしい表情。

「愛してるわ、レイくん……」

 心からの思いをうったえて彼女も別れを惜しんでいた。敏感な体が反応して腰を落としそうになるのをこらえて、時に刺戟に反応して甘いため息を吐いて。

 許せなかった――。

 自分と同じ黒い髪をした少年、多分、歳だっていくつも違わないはず。それなのにあんなにも美しい女の人の体のすみずみまでを知り尽くせるという幸せの絶頂にいる。

 彼女の愛情と信頼をひとり勝ち得ていた。

 どうしてあんなヤツだけがそんな幸運を――?

 嫉妬はやり場のない感情の奔騰となって、やがてどす黒い憎悪を目覚めさせていく。たとえそれがどんなに理不尽なことだと判っていたとしても。

 それほどまでにあの少年の振る舞いは羨ましく、(ねた)ましく、我慢がならないものだった。

 翔馬も口づけとは、ただ単に唇にするだけのものではないということは知っている。けれども、彼女のような非の打ち所がないほどの完璧な体に対してはどんなに奔放な行為も可能で、いかなる制約もないことを思い知らされていた。

 普通なら許されないようなアブノーマルな試みも、相手次第ではごく自然な、男と女の当然のいとなみとなる。

 それを翔馬は見知らぬ少年から教えられたのだ。

 女体をあらためることに一切の妥協をするつもりのない淫らな意思と情熱、それによって無垢な彼女が少しずつ変わっていったこと、少年の色に染められていったことも辛いのだった。

 白く輝く肌の上にひとつ唇が落ちて、キスの烙印が押されるたびに瞳から年上の女としての光が失われていき、愛撫に熱を込められるほどに体から頑なさがなくなって、より柔らかく優雅にしなるようになっていったのだ。その上さらに指による刺戟までが加えられたのだから女にとってはたまらない。

 誇り高い美女が最後には他人には見せられないような姿になってトロけ堕ちていった。

 うっとりと幸せそうな顔をして彼女の匂いを嗅いでいた少年から淫らな賞賛の言葉をかけられて、顔を耳まで赤くして恥じらいながら甘える姿も初々しくて愛おしい。だがいまいましいことに彼女が思いを寄せているのは自分自身をどこまでも辱めたあの憎い少年なのだった。

 あんなこと……ぜったいに許せない……。

 でも、だからといって、どうしたらいいのかわからなかった。

 そもそも、あの人の名前さえも分からないのに……。

 悶々と気持ちが定まらぬままに道を彷徨(さまよ)い歩いて、堂々巡りのとりとめもないことを考えているうちに、急にクラッとして視界がボヤけて耳がブーンとうなるようになった。

 自身の急変ににわかに不安になって、近くにあった街路樹の影に身をあずける。ハァハァと熱い息を吐いて立ち直るのを待っていた。

 熱中症、という言葉が脳裏をよぎり、どこかで水を補給しなければと思う。ラウンジでオレンジジュースを飲んでからというもの、あれから何時間経ったのかわからなかったが、その間に一滴の水も飲んでいなかったことを思い出していた。

 冷たい麦茶が欲しかった。

 だが、コンビニに立寄ろうにも、薄く瞼を開くとまだ世界がふわふわしているようで、これはまずいことになったと再び目を閉じる。

「きみ、大丈夫かい?」

 容子を見かねたのか大人が声をかけてきた。

「大丈夫です……」

 声の主に背をむけたまま翔馬は答えた。

「でも顔が赤いよ、具合が悪そうだから、ちょっとどこかで涼ませてもらった方がいい」

 虚ろな瞳に、中年のサラリーマンと思しき男が顔を覗き込んでいるのが映った。

「大丈夫ですから……」

「ひとりなの? お父さんとかお母さんとかと、はぐれちゃったのかな?」

「……僕……大丈夫ですので……本当に大丈……」

 その時、急に世界がスーッと光を失っていったかと思うと、翔馬は足元に開いた穴に吸い込まれるような感じになるのだった。

 坊やっ――!

 慌てる男の声がして、それを最後に翔馬の意識はプツンと途切れていた。

 

 

 目を覚ました時には見慣れない天井が見えていた。

 (ひたい)に限らず体のあちこちに氷嚢が載せられていて、冷たいが火照った体には気持ちが良かった。無色透明な点滴バッグがぶら下がっているのが目に止まり、そこから伸びたチューブが左腕と繋がっていて、それでどこかの病院のベッドに横たわっているのだと分かったのだった。

「あ、気がついたのね? ちょっと待っててね、すぐにお母さん、戻ってくると思うから」

 中年の女性看護師が気がついて話しかけてくる。

「母が? あの……ここは……僕、どうしてここに……」

「道で倒れているところを親切な男の人が救急車を呼んでくれて、ここに運ばれてきたのよ」

「……ここは……?」

 看護師は宿泊するホテルからはさほど離れていない大学病院の名を言った。

「軽い熱中症だったけど、大丈夫、すぐに元気になるわ、あ、お母さんが戻ってきたみたいよ」

 看護師は振り返ると挨拶をした。

「翔馬くん、今、目を覚まして――」

 看護師と入れ替わりに、母親の森下美由紀が不安そうな顔をしたまま翔馬が横たわるベッドへと駆け寄ってくる。

 美由紀はまだ三十代の半ばを少し過ぎたばかり。出版社に勤めるキャリアウーマンで、小学校のママ友たちの間では評判の美人である。

 翔馬にとっても自慢の母だった。

「翔ちゃん、何やってるのよ、お母さんびっくりするじゃないっ」

「あ、ママ……ごめんなさい……」

「ごめんなさいじゃないわよっ……電話にも出ないし、ホテルのアナウンスにも全然反応がなくて……外には出ないって、あれほど約束したのにっ」

「電話? そうか……スマホ、サイレントモードにしてあったから気がつかなかったんだ……」

「それで事故か事件にでも巻き込まれたかもって警察に連絡しようと思っていたら、いきなりホテルの人に、いま病院から連絡がありましたって言われたものだから……もう、どんだけ心配したと思ってるのよっ!」

「ごめんなさい……」

「……でも良かったわ、お医者様のお話では軽い熱中症だから少しここで休んでいれば帰っても良いって言われて……一時はどうなるかと思ったけど……本当に良かった……」

「啓くんたちは?」

「ホテルにいるわよ。翔ちゃんがこんなことになって、遊んでるわけにはいかないでしょっ、みんなに迷惑をかけて……」

「ごめんなさい、ママ……」

 母親に心労をかけていたかと思うと胸が痛んだ。

 結局、翔馬たちがホテルに戻ってきたのは夜も更けて、普段の就寝時間を過ぎた頃になっていたのだった。

 翌日――。

 すっかり元気を取り戻した翔馬は、朝食を摂るとチェックアウトを少し遅らせることにして、それまでの時間を有効に使って双子たちとともにプールで水遊びを楽しみ、昼はスカイビュッフェでごきげんなランチをとりながら、いつものようにイニシアチブを発揮してみんなに午後からの観光の計画を披瀝(ひれき)していた。

 昨日のことは、なんだか曖昧な夢の中の出来事のようで、実際に“全てが熱中症になりかけた脳が作り出した幻覚だった”と判ってからはなにもかもが元通りだった。

 能力にも才能にも恵まれた自信に溢れた、将来を嘱望された男の子になっている。

 それというのも、

 やはり912号室は啓一たちの家族の部屋だったのだ――。

 彼らはシングルルームに簡易ベッドを持ち込んで親子三人で泊まっていた。繁忙期のホテルはほぼ満室で、スイートルームのような大きな部屋以外にはそこしか空室がなかったのだという。

 昨日、自分が隠れていたクローゼットの前には、通路を塞ぐようにして折りたたみ式のベッドが置かれていて、二時過ぎに三人がチェックインしたときから既にそのようになっていたとのことだった。

 それならば部屋番号を見間違えたのかもしれないとも思って九階のフロアーを歩いてみたのだが、両隣の部屋はツイン、その隣も、そのまた隣も広いサイズの客室で、結局シングルは九階には四つしかなく、そのうち三つは北側にあって、ホテルの南側に配置された912号室とは眺望が違っていて間違いようもなかったのだ。

 つまり、自分が部屋を間違えたわけでもなければ、誰かが部屋を間違えて使っていたというのでもなかった……。

 なんだか狐につままれたような感じではあったが、要するにそういうことだった。

 幻覚――。

 廊下をうろうろする最中も、翔馬はあの美しい人がいまにもどこかの部屋から現れるのではないかとドキドキしたのだが、幸か不幸かそうしたことにはならなかった。

 ただ自分がどうして部屋のレイアウトを事前に詳細にわたって知っていたのかは解らなかったが、おおかたホテルのパンフレットで目にした写真などから脳が勝手に幻影を作り出したのだろうと結論づけていた。

 そうだど判ればむしろ美味しい夢だったと思う。

 (なまめ)かしい淫夢、それも極上の夢だ。

 あんなに美しい女の人が滅多に居るはずないし、それが少年を相手にすごいセックスシーンを演じるなんてあまりにも不自然だし、あり得ないことだった。

 まさに夢ならではのことだと胸に落ちる。

 熱中症になったのは事実だし――。

 アイスレモンティーのグラスを傾けながら、あれがもし自分の未来だったら良いのにと思ってから、もしかすると正夢になるのかもしれないと考えて頬を緩めた。

 あんなにきれいな女の人……やさしそうで、とっても素敵だった……。

「あ、翔ちゃん、嬉しそうだぁ、なんかいいことあったんだぁ?」

 向かいの席で皿盛りにしたミニケーキを片っぱしから詰め込んでいた明菜が訊いた。

「うん、この後が楽しみだからさ、僕もスカイツリーに上るのは初めてなんだ」

「えー、そうなんだぁ、東京の子なのに変っ」

「住んでる幕張は東京じゃなくて千葉だけどね」

 この後の予定では、三時頃までにツリーに入り、それから浅草へ、可能なら徒歩で移動、浅草寺を見てから名店のすき焼きを堪能し、遅くても夜九時頃までには舞浜のホテルにチェックインする予定で居る。

「母さん、いま何時? まだ時間ある?」

 隣に居た啓一が母親の真彩に聞いた。言いながらも既に椅子から立ち上がっている。

「もうじき一時半よ、チェックアウトは済ませてあるからいいけど、あんたまだ食べる気なの?」

 谷口真彩(まあや)は美由紀の二つ歳下の妹だが、こちらは二人の子供ともども最近はすっかり肉付きが良くなっていた。二十代の初めの頃までは姉にも劣らないほどの美貌で鳴らしたらしいが、岡崎にある旧家の料亭に嫁いで以降、仕事柄、また慣れない世界に適応するためのストレスとかで、二十五キロも増量したとこぼしていた。

 だが翔馬の目には実際はもっと増しているように見える。細身の母親と較べると倍もありそうなのだった。

「だってあっちにアイスクリームがあったから」

 啓一はフロアーの隅の方を指をさして言った。肥満気味、というよりもはっきり肥満した顔で食い意地を張り、母親の了承を待っている。

「わたしもアイスクリーム食べたぁい」

 スイーツのこととなると双子の妹も主張する。

「姉さんところはまだチェックアウト済ませてないんでしょ?」

「ええ、二時というから、時間がたっぷりあると思って部屋に荷物を置いてきてしまったから」

「じゃあ、そっちを先に済ませてきたら? うちのはまだ食べるって聞かないみたいだから、ブッフェの時間制限いっぱいまでまだ暫くここに居ることにするわ。わたしもコーヒーを飲みたいし」

「そう、じゃあそうさせてもらおうかしら……」

 美由紀と翔馬が席を立つと、

「え、翔ちゃん、アイスクリーム食べないの?」

 啓一が翔馬の顔を不思議そうに窺っていた。

「うん、お腹いっぱい食べたから、もう入らないよ」

「だってデザートは別腹でしょ」

 明菜も誘うが、

「ごめんね明ちゃん、でも午後はこれからスカイツリーに上った後で浅草にも行くから、あんまりお腹をいっぱいにしちゃうと、夜のご馳走が食べられなくなっちゃうよ」

「それはダイジョブ――」

 体格のいい少女はこぶしをギュッと握って見せるのだった。

「で、何時にどこで待ち合わせする?」

 真彩が美由紀に訊いた。

「一階のラウンジ前で二時過ぎに、というのではどう?」

「いいわ――」

 母親たちが細かな段取りを確認すると、翔馬は母親の後に従って広いダイニングを後にするのだった。

 

 

 森下翔馬と美由紀の親子はホテル一階のロビー、チェックアウトカウンターで支払いを終えると、美由紀は折良く居合わせた男性のベテラン接客係に

「昨日は息子の件でお騒がせいたしました」

 深々とお辞儀をして礼を述べた、翔馬も

「勝手にカードを外に持ち出して済みませんでした」

 と言って頭をさげるのだった。

「でも何事もなくて良かったです。ホッとしました。それと翔馬くん、カードのことは全然心配しなくても大丈夫ですよ。うちのカードキーはここの敷地を出ると自動的に無効になるようになってるので外で落としても大丈夫なんです」

 カードキーのお陰で病院で身元がすぐに分かったのだから、怪我の功名と言えなくもなかった。

「やっぱりそうなんですか……それにしても僕も自分がまさか熱中症になるとは思わなくて……ちょっと本屋街を散策しようと思っただけだったんですけど……ダメですね、鍛え方が足りなくて」

「翔馬くんは、あんまり勉強ばっかりしてるからじゃないですか?」

「そんなことないんですけど、そう見えますか?」

「見えますよ、長いことこういう仕事をしていると、人を見る目は磨かれるんです。メガネのキリッとした随分と賢そうな坊ちゃんだなって」

「イヤだなあ、当たってるのはメガネをかけてることだけなのに」

 翔馬はそう嘆くと頭を掻いて笑った。

「そうですよね、お母さん?」

「え、ええ……そうだといいんですけど……」

「きれいなお母さんのお子さんって、頭の良い子が多いんだそうですよ」

「じゃあ残念、ウチは違うわね」

「またそんなご謙遜を」

 多分に職業的なものなのかもしれないが、大人たちの間で和やかな笑顔が交錯していた。

 他人から母親の美貌を褒められるのは、息子としてちょっとくすぐったいがイヤではなかった。

 その照れ笑いになった翔馬の視界の隅を白く明るい気配が動いて、ふと横を見るとどこかで見覚えのあるアイボリーのスカートが目に入ってギョッとなる。

 キャリーを引いてやってきたその人物は、少し離れたチェックインカウンターの前に立つと応対する若い女性の接客係に予約のある旨を告げているようだった。

 話していたのは正確な日本語、それも耳に心地よく響く涼しげな声で――。

 スラッとした立ち姿も麗しいブロンドの長い髪の女性。

 濃いサングラスの。

 翔馬は呆然として彼女を見つめる。

「……さまでいらっしゃいますね……お一人さまで……はい、承っております」

 接客係は女の名前を言っていたようだけれど、小さな声だったので耳を澄ましていたがよく聞き取れなかった。

 裂きイタ弁当――!? とでも言っているようにも聞こえたが、もしかするとファーストネームはニキータとかの聞き間違いで、もしもサキならミドルネームにヒルダとかリタとかの洗礼名? などが入っているのかもしれないとも思う。姓はベニトだろうか? 父親がラテン系? 彼女自身はそうは見えないが、でもどれもはっきりしなかった。

 女は手続きをしながら何か聞きたいことでもあったのか、幾つか尋ねていたようである。接客係の女性が案内図を展げて示しながら丁寧に説明していて、それに耳を傾けながら素直そうに大きく頷いていた。

 話し声も記憶にある彼女のものと同じ。柔らかくてやさしげなトーン。それを耳にしているだけでもパンツの中のものが、そわそわしく身じろぎをはじめるくらい。

「チェックインは二時ですね? じゃあ、まだ少し時間があるわね、閉まる前に先にこっちを済ませてしまおうかしら」

 金髪女性はそう言うと受付係が手で指し示した方へとキャリーを引いて向かい、翔馬のいる方へと近づいてくるのだった。

 どうしよう、とドギマギする。

 きっと他人の空似だ……そうにきまってる……。

 サングラスをした外人はみんな同じようにみえるから……。

 そう言い聞かせてはみたものの好奇心は抑えられない。

 それに彼女の周りだけ、あたかも光の屈折率が変わってでもいるかのように輪郭がくっきりとしていて背景から一人、際立っているように見えるのだ。

 そんなの、絶対に普通じゃなかった。

 そして昨日、夢の中で部屋に入ってきた時の彼女がまさにそんな冒しがたいような神聖なオーラを身に纏っていたのだ。

「どうしたの翔ちゃん?」

 母親は接客係から都内観光のパンフレットをもらって、オススメなどを教えてもらっていたようだったが、息子の尋常ではない容子を訝しんで心配そうな顔をして見つめていた。

「なんでもない――」

「急に呆っとなったから、またどこか具合が悪くなったのかしらって」

 そうこうするうちに、件の美女は二人の居るすぐ傍を通り過ぎていき、翔馬はその背を息をのんで見送っていた。

 それを見た母親がちょっと拗ねたようなワケ知り顔になって頷き、一人息子に(たず)ねた。

「あら、翔ちゃんはああいう女の人が好みのタイプなの?」

「そんなこと……わかんないよ……」

「そうよね、翔ちゃんにはそういうのってまだ早いわよね」

「………」

 母親というものは息子の生理を、きっと潜在的願望もあって実際よりも幼く思いがちなものなのかもしれなかった。

「でもすごく綺麗な人ね、もしかしたらお忍びで来日した外国の女優さんかもしれないわね」

「どうでもいいよ、そんなの……」

 美由紀はエレベーターの中から妹たちが出てくるのに気がついて、長い腕を伸ばしてサインを送っている。

「ほら、啓ちゃんたちが来たわよ」

 言いながらキャリーケースを()いて彼女たちがいる方へと歩き始め、その後に翔馬も従ったが、少し歩いたところで足を止める。

「ねぇママ――」

「なぁに?」

「僕、ちょっとトイレに行きたい」

「あらそうぉ、しょうがないわね、行ってらっしゃい、みんなとあそこで待ってるから」

 母親の諒解をとりつけると翔馬は向きを変えて小走りになった。

 件の美女の後を追うことにする。どうしても確かめておきたかったのだ。

 彼女が本当に昨日の熱中症の間にみた、あの明晰夢に現れたのと同じ人物であるかどうかを。

 別人であればそれで良かった。

 でも、もしも同じだったら――?

 それがどういうことなのかは分らない。だからといってどうなるわけでもなかった。

 でも……。

 気持ちを抑えることができなかったのだった。

 彼女が向かった先は漏れ聞こえてきた接客係との会話でおおよその察しがついている。

 たぶん、このフロアーの奥にある郵便局。

 彼女はエアメールを出したいとか言っていたようだったからだ。

 小走りになる。

 予想した通り、ほどなく長い通路の先に彼女を見つけることが叶ったのだった。アイボリーの上下に豪華なブロンドの眩しいほどの後ろ姿が遠目にもはっきり分かる。

 すれ違う人々が一様に驚いた顔をして振り返っていて、さもありなん、だった。翔馬もすぐ近くまで追いついて、いざ後ろから声を掛けようとして(ひる)んでしまう。どうしたらいいのか判らなくなってしまった。

 美しい女性に特有の何かに位負けして、それ以上は近寄りがたいのだ。

 どうする……どうする……どうする……。

 郵便局が見えてきて前を歩く彼女は少し足を速めたようだ。長い脚を伸ばして、普通に歩いているとすぐに間合いが開いてしまうのだった。

 局まではあと二十メートルほど。そこで閃いた。

 でも、できるかな……そんなことが僕に……。

 弱気になる。

 十メートル……五メートル……三メートル……。

 十二年間分の蓄えていたありったけの勇気を掻き集めて自動扉の直前で“女神さま”を追い越すと、ドアを開いて恭しく頭を下げて彼女に先を譲った。

「あら、ありがとう」

 頭の上から干天の慈雨のごときあたたかな声音が注がれる。その調べに奮い立って勢いのままに

「あ、あのっ――」

 声をかけた。だがその後が続かない、何を言ったらいいのか……。

 道を尋ねようと思っていたんだっけ……ちがうっ、訊くとしたら普通は彼女の方だっ、ハンカチ落としましたよ? ナニいってるんだよっ、そんなベタなっ、じゃあ、お姉さんとはどこかで会ったような気がして……冗談じゃないっ……ああ、僕のバカバカバカっ、どうしてこんな無謀なことをしようと思ったんだよっ……どうしたら、どうしたら……。

「なぁに、ボク?」

 あろうことか彼女はこちらが何か言うのを待ってくれているのだった。小鳥のように愛らしく首を傾げて。サングラスをずり下げてフレームの縁から茶色の瞳が僅かにイタズラな色になって見おろしている。

 やわらかな眼差し、広い額に小麦色の眉の絶妙なカーブがやさしげで、オトナの女の人なのにすっごくカワイイ!

 やっぱりあの人だっ!

 本当にこんなにもステキな女の人が居るなんてっ――!

「い、いえっ、なんでもありませんっ」

 とても視線を合わせることができずに、翔馬は真っ赤になってうつむくことしか出来なかった。こちらの邪心なんか一瞬で見通されてしまいそうな(けが)れの無い美しい瞳に。

 自分なんかが適う筈が無かった。

「あらそう、じゃあねっ」

 彼女は、翔馬が見たことの無いほど魅力に溢れた笑顔をプレゼントしてくれて、そのまま郵便局内へと入っていってしまった。

 清潔感のある甘やかな香りを仄かに残して。

 茫然自失、でもこれ以上は無理だった。

 かたちはどうあれ目的を遂げた翔馬はもと来た道を引き返すことにする。

 やっぱり……彼女は夢でみたのと同じ人だった……。

 リアルでも憧れの女神との邂逅を得て、甘酸っぱい恋情が胸の中で膨らんでいく。

 心がほわっとなる。

 けれど嬉しさにときめく半面、胸がなぜか不穏な感じに騒いでもいた。

 それが何なのかわからず、もやもやしたまま、今頃になって本当は学園都市のことを尋こうと思っていたのを思い出したのだった。

 カウンターで彼女がC-YEN(クレジット) キャッシュ()への両替の仕方を尋ねていたのが聞こえていたからだった。

 “クレジット――”による完全キャッシュレスを実現しているのは、首都近郊では学園都市だけだった。だから彼女がそこの住人か関係者である可能性はかなり高いと思ったのだ。

 話しかける動機としては弱いけれど、優秀な受験生であれば学園都市内への進学を一度は考えるものでもあった。

 学園都市の人であれば、日本人離れした容姿にも言葉が堪能であるのにも頷ける。

 あそこは日本国内にあっても何から何まで別格だからだ。

 いわゆる凡百のエリートを養成するのではなく、初めから世界のトップランナーになることを望む人たちのための場所。

 もちろんハイリスク――。

 以前は特殊な能力をもった子供たちばかりを世界中から集めて、彼らの才能強化を図っていたという。今は別の意味で生まれつき秀でた高い能力をもった子供たちを独自のカリキュラムで育てているらしい。

 科学、芸術、運動。

 天才たちの揺りかご。

 ただ――。

 普通の枠に留まらない人たちは、さまざまな意味で普通のままでは居られず、能力と心のバランスを失って、時に自ら命を断ってしまったり、あるいは精神障害者施設に送られるものも少なくないとも言われている。

 翔馬も友人たちの殆どが

 何が天才なものかよっ! 実験動物にされるのなんか御免だぜっ!

 と(そし)って、学園都市のことはあえて目を瞑っていた。

 安定と未来を約束された者たちにとっては、わざわざリスクを取ることもあるまいと遠巻きにされているのだった。

 そこに忸怩(じくじ)がないかと言えば嘘になるが、目の前にはっきり見えている道があるのだからそっちに向かうのは当然じゃないか、というのは納得しやすい言い訳だった。

 そんなことを思いながらボチボチと歩いて、翔馬がみんなの待っているのが見えてくるところへやってくると、啓一と明菜から

「翔ちゃん、おそいーっ!」

 と、非難の声が上がった。

 母親も、またしても心配そうな顔をして迎える。

「お腹でも悪かったの?」

「いや、そうじゃなくて、ちょっと道に迷って寄り道しちゃったりしてたから」

「しょうがない子ねぇ、用意はいい?」

「うん――」

「さあ、これからどうするの? 翔ちゃん、あなたがツアーコンダクターなんだからしっかりしてよ、頼りにしているんだから」

 叔母からも圧力がかけられていた。真彩からの場合はプレッシャーの方もリアルに二人分の重さがありそうだった。

「じゃあ、これから駅に移動します。錦糸町で半蔵門線に乗り換えて、徒歩の時間を含めても、まあ三十分ほどですから……」

 話をしながらも視界に郵便局での手続きを終えた“彼女”が戻ってくるのが映って、翔馬はやっぱり魅入ってしまうのだった。

 長い腕の優美な動作でフロントでカードキーを受けとるとエレベーターへと向かう。アイボリーのスーツの前をきっちり閉じていると、陰影が曖昧になってパッと見た印象通りのスレンダーで細身であるように見えるのだった。

 けれども本当はすばらしいバストラインを秘めていることを翔馬は知っている。

 知っている……。

 知っている――!?

 胸がまたイヤな感じにドキドキと騒いでいた。悪い予感にリムレス眼鏡の中の細い眼を見開いて立ち尽している。

「どうしたの翔ちゃん、行こうよ、もう二時半だよ」

 明菜に腰の辺りを突っつかれてビクッとした。

 二時半――!

 と聞いて愕然とする。

 たしか昨日も二時半ごろ――だった。彼女が部屋に現れたのは。

 それまでバラバラだったパズルのピースが突如揃って意味のある絵になったときのように、胸の中がもやもやしていた理由がくっきりとした像を結んでいた。

 けれどもそれは翔馬にとっては悪夢のような気づきなのだった。

 祈るような思いで彼女がひとり乗ったエレベーターの上方にあるデジタル表示を見つめる。体が緊張のためにブルブルと揮えだしていた。

 しかし願いに反して、エレベーターが最初に止まったのは九階で、翔馬はひどく落胆するとともに背筋にゾッと冷たいものが走るのだった。

 まさか……まさか、そんなっ――。

「ホラ、いくよっ翔っ」

 ショックに悄然と立ちつくす翔馬の背中に、また真彩叔母からハッパをかけられた。

「う、うん……」

 気もそぞろ、後ろ髪を引かれる思いで歩き出す。

 ただの偶然、思い過ごし、そんなのありっこないし……。

 自分を励まして良い方に考えることにした。

 気のせい、気のせい、気のせい……ただの偶然の一致……。

 それにきっと彼女とはすぐに再会できると確信できるのだった。幻影を見るほど心と心が繋がっているのなら、もっとずっと親密になることだってできるかもしれなかった。

 そんな風に考えるのは満更でもなかった。

 運命の恋人――なのかもしれないし。

 さらには、彼女が学園都市の教育機関に勤めるどこかの先生――たぶん中学だろう――だというのであれば、早晩、身元の洗い出しもできるだろうと思う。

 外国人教員で、名前も……ニキータとかサキとか、そんな感じで検索をかければ……。

「翔、本当に大丈夫なの? 具合が悪いのならお家に帰ってもいいのよ、無理しなくても」

 建物の外に出た途端、照りつける陽光に(たま)らず、母親たちは日傘をさしている。

 前を歩く三人の子供たちを見ながら美由紀がひとり息子の背に声をかけた。

「うん、でも平気だよママ、僕は元気だから」

「そう、ならいいんだけど……ちゃんとお水飲んでる? もうイヤよ、昨日みたいなことになるのは」

「それは大丈夫っ!」

 翔馬は背にしたリュックに手をまわして軽く叩くと、

「ここにちゃんと入ってるし」

「過保護ねぇ、姉さんのところは。昨日みたいなことなら、うちの啓一なんて何度もやらかしてるけど、いつも麦茶のんでお昼寝したらケロッとしてるわよ。あっちはここ(東京)よりも暑いから」

「そうかもしれないけど……でもうちはあの子ひとりだから……」

「翔悟さんが亡くなって、二年だっけ……」

「ええ、この秋に三回忌……」

「ご免なさい、辛気くさい話になって」

「いいのよ、それにあの子は受験生だから」

「できる子を持つ親の悩みね……うちはあの通り、店を継げばいいって感じで放任してるから」

「でも、それも良いのかもしれないって思うわよ……翔馬は線が細くて、小さい頃から冷や冷やさせられることばっかりだったから……放ったらかしにしていたら昨日みたいなことでは済まないかもしれないし……」

 翔馬は双子の相手をしながら親たちの話を聞くともなく聞いていたが、たしかにタフさでは啓一にも明菜にも敵わないかもしれないという自覚は持っていた。

 体だけではなくメンタルの方も丈夫とはいえないだろう。

 父親の病気がことのほか重大だと知らされた時には母親よりも苦しんで、実際に父親を(うしな)った時よりもそっちの方がむしろ辛かったのかもしれなかった。以降、週一回の心療内科の通院が半年以上も続くことになって、投薬治療は今も続いて、月に一度は主治医の後藤先生の診察を受けることになっているくらい。

 ただ、その所為で打撃を緩和する術を覚えたというか、自分自身との付き合い方は多少、以前よりも上手くなったとも思っている。

 錦糸町駅を下車、乗り継ぎをしてツリー駅に着いたときには三時をまわっていた。

 双子たちは車内に居る間はスマホゲームに熱中してくれているため、とりたてて相手をする必要もなく、翔馬は寧ろ親たちの会話に耳を傾けていて、叔母から母親へ再婚話が持ちかけられていることが分ると、聞き耳をたてて当惑していた。

「……だって相手は銀行の副頭取よ、そりゃちょっと歳がいってるかもしれないけど」

「その話は勘弁してよ、彩ちゃん――」

「いいと思うんだけどなぁ……姉さんの写真を見せたら、すっかり向こうも乗り気になって……」

「私も仕事があるから……」

「だから橘さんもね、姉さんには仕事はそのまま続けてもらって構わないからって言ってるの……前の奥さんとの間にできた子供も、二人とも成人してもう社会に出てるから……ご両親はとっくに亡くなられているし……だから広いタワマンの部屋に一人暮らしで、舅も姑さんも小姑も居ないのよ、お買い得物件だと思うんだけど……だって姉さん、いまだって全然イケテル美人だし、女としての賞味期限が来る前に収まるところに収まっておいた方が将来、楽できるわよ」

 幸い、母親の方にその気がないようなのでホッとする。ただ、油断はできないのだ。

 叔母の真彩は強引なところがある上に狡知にも長けていて、学校では姉の方がずっと出来たかもしれないが駆け引きとなると妹の方に分があった。 

 翔馬に言わせれば、六十近い爺さんと母親が再婚するなんて、ぞっとしない話以外のなにものでもなかった。もちろん相手が若ければ良いというのでもない。

 母親が女としての扱いを受けるというのは、息子としては受け容れがたいものなのだ。好きになった女が誰かに抱かれるのとは別の意味の寝取られ感があって落ちつかない。

 好きな女……?

 もしも自分なら――。

 いま真っ先に脳裏を過るのは、三組の藤本絵美梨でもなく、早川先生でもなく……。

 彼女だ――。

 名前も知らないし、年齢も判らないけど……。

 ただ綺麗なだけじゃなくて、裸になるとびっくりするくらいのメリハリのある体をしていた。

 ふんわりとした股間の茂みは髪の毛よりもちょっと暗い感じの金色。

 やわらかそうで、あそこに顔を埋めたらきっととてもいい匂いがするにちがいなかった。

 でも、どうしてそんなことまで分るんだろう?

 ホームに降りて時計の針が三時八分を差しているのが目にとまった途端――。

 鮮やかな記憶のフラッシュバックとともに、

「言わないでっ、レイくんっ――!」

 と、うったえる彼女の切ない声が聞こえたように思うのだった。

 そのとき、昨日、潜んでいたクローゼットから見て正面、裸の二人が抱き合うベッドの横、奥の壁に掛けてあった丸い時計も三時八分だったのを思い出していた。

 彼女の体がきっと初めてとなる深刻な愛撫を経験して、そして歓びを迎えさせられた後のこと。

 強い恥じらいに甘えるように少年の胸に顔を埋めて添い寝をしていた。

 レイという名であるらしい少年の方は股間のものを猛々しく屹立させたまま、興奮に乾いた声で、でも満たされた顔をして女の耳許で淫らな感想を伝えていたのだ。

 弱みを晒して羞恥に身を小さくしている女の背中を撫でて慰めながらの、残酷な言葉、彼女の体の特長を褒めたたえた言葉を。

 たとえ賞讃であっても女にとっては無慈悲な辱めとなるもの、そして翔馬の心を激しくかき乱した物言いだった。

 その時の彼女の哀しい反応が、幻聴――となって再び耳に届いたようだった。

 それをきっかけにして翔馬の耳にはまるでラジオのように睦合う二人の会話が聞こえてくるようになっていた。同時に昨日、間近にしていた光景がまた甦ってくる。

 

#だから、今日はもっといっぱいペロペロしますね、先生には……#

#……あんな……いけないことして……#

#イケナイことなのかな? クンニリングスは男と女にとってのいちばん大切なコミュニケーション方だと思うんだけどな……だってボクは先生の体のことをよく知ることができるし、先生がもっとステキな気持ちになれるように大切にかわいがってあげられるから……#

#……嘘つきっ、猫かぶってたのね……レイくんがこんなに悪い子だったなんて……#

#かわいいな、すっごくかわいいっ! 恥ずかしがる先生って可愛すぎて、もう反則ですっ……#

 

 まさかこれって……今、起きてることっ……!?

 疑念は、デジャビュのような二人のやりとりが重なっていくごとに確信へと育っていくのだった。

 

#一服したところで、またつづきをしましょう、今度は四つん這いになって下さい#

#……なにを……#

#だから、四つん這いになるんです……ワンちゃんみたいに……じゃないとシーツを濡らしてしまいそうで……さっきはちょっとアブなかった#

#……イヤよ……そういうのはもう……#

#じゃあ、もっとイケナイことしますか?#

#いけないこと? いけないことって……?#

#……それは……#

 

 昨日、少年は彼女の耳許で何かを囁いて、それは翔馬の耳にまでは聞こえなかったけれど、彼女が真っ赤になって狼狽(うろた)える容子から、とても酷い提案だったことが判ったのだった。

 

#いやぁっ、それだけはぜったいにいやよっ、そんなことしたらレイくんのこと、あたしキライになるからっ#

#じゃあ、いうことを聞いて下さい、ボクが嫌われずに済むように#

#レイくん……#

 女は渋り、何とか逃れる方法を探っているよう。でも最後には彼女の方が折れることになるのだった。体を慰められながら口説かれては選択肢なんて無いのと同じだった。

 案の定、彼女が「いいわ」と応じるのが聞こえる。

 クローゼットの中で目にした時と全く同じ会話、やりとり。

 やっぱり……昨日、僕が見たのは……今日の……あの部屋で起きる未来を見ていたんだ……。

 消沈する。

 いまあの人はアイツからイヤラシイことをされてる……これからまだ一時間も――。

 想うと胸の中に狂おしい焦燥感が寄せてくる。

 あんなことや、こんなことをされて……。

 彼女の体からプライバシーが奪われていったのだ。

 やめてくれっ――!

 願うとともに、悩ましいラジオ放送は始まったのと同様に、不意に終わっていた。

 最後に聞こえたのは、女の切なげな息づかいと、ちゅくちゅくというキスの音だった。彼女が長い脚を拡げて少年の顔を跨いでいた時のものだったのに違いない。

 いまあの少年は自身を慰めながら、白く張り切った見事なお尻を抱き寄せているのだろう。

 畜生っ――。

 ただ、昨日ほど激しく混乱することが無かったのは、間近で目撃していたのとは違うことと、二度目、というのもあるのかもしれない。周囲の喧噪も救いになっていた。

 なんとか気持ちのダッチロールをコントロールすることができそうで、じわっとくるイヤな気分をやりすごしていた。

 どんなに嫉妬してみたところで、彼女が愛しているのはアイツなんだ。自分が彼女を知ったのは昨日、名前さえも知らないのに。それよりもずっと前から知り合っていたのなら、今さら分け入る隙間なんてあるはずがなかった。

 理性を働かせて感情に手綱をかける。

 でも、やっぱり……僕はあの人が好きだ……。

 似たようなことを早川奈美で経験していたことも助けになっていた。早川先生に憧れて、既婚だと知ったときもとてもショックだったけど、でも彼女のことは大好きだった。

 パンツの中は正直で既にぬかるみ始めていて、そのとき不意に、昨日はどうしたんだろう? と気がついた翔馬は記憶を辿ってみる。もっとずっと酷いことになっていた筈なのだが、それを気にする余裕さえ失って街をさまよっていた。

 僕、パンツをいつ穿き替えたんだっけ――?

 病院で? でも……あのときは……。

「どうしたの、翔ちゃん、また気分が悪いの?」

 母親が心配そうに自分を見ていた。

「大丈夫、ただ真彩叔母さんとの、ママが再婚するかもって話がちょっとショックだっただけで」

「あら、聞いてたの? でも、そんなことママがするはずないでしょ」

「だったらいいんだけど」

 翔馬は笑顔を作って見せた。ややぎこちなかったかもしれないが、母親にはそれで納得してもらえたようだった。

「なにしてんだよ、翔ちゃん、早くいこうよっ」

 スカイツリーをすぐ目の前にして、啓一は、待て、を命じられた犬のように逸っていた。大好きなオモチャを見せつけられては我慢するのにも限度があるだろう。

「今いくからっ」

 翔馬はそう言い返すと、まだ愁いの残る顔をしている母親を置き去りにして駆け出していくのだった。

 

            ◇            ◇

 

 

 あの後、調べても学園都市にはニキータという名の教師は居なかったし、サキという名前も見つからなかった。ベニトでも引っ掛からず、その他、サキイタベントウ――から思いつくかぎりの様々な名前を入力しては試してみたが、いくら探してもヒットすることは無かったのだ。

 学園都市の人じゃなかったのかな――?

 だとしたらもう調べようがなかった。著名人でもない限りは、個人では身元を探る手だてが無い。

 ホテルに問い合わせるのが唯一の方法だったが、むろん教えてもらえる筈も無く、諦めて、もう謎の美女のことを考えるのは止めようと、記憶も薄れかけたある日のこと、翔馬はついに恋い焦がれた“憧れの女神”の名前を知ることとなったのだった。

 あの夏休みの衝撃的な午後から二ヶ月余りも経った頃、秋の盛りに、彼女の名前はマスコミを通じて大々的に報じられるようになったからだった。

 ミス学園都市コンテスト、ファイナリストとして。

 食蜂操祈――。

 それがその人の名前だった。

 




ただ無駄に長い特別エピソードの3になります

特別エピソード2になる 失恋篇は さすがにR15では無理そうなので


それからテコ入れに ママキャラ投入? 
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