彼女
大赦の本部地下深くに存在する解析室。無数の大型モニターが青白い光を壁一面に放ち、冷排気のファンが低く唸りを上げている。画面上には、亡き真優が遺したデータと、大赦の検閲によって巧妙に抹消・改ざんされていた極秘ファイルの復元シークエンスが流れていた。
端末の前に座る大葉継人は、眉間に深い皺を刻みながらキーボードを叩き、復元されたデータの深層へとアクセスしていく。
「……見つけた」
画面に浮かび上がったのは、神世紀270年——今からちょうど30年前の記録だった。ファイルに記された名前を目にした瞬間、継人の息が止まる。
『大葉椿』
「姉貴……」
継人の脳裏に、幼い頃の記憶が鮮明に蘇る。真優が遺したデータと自身の記憶が重なり合い、30年前の「あの時」の光景が、まるで昨日のことのようにスクリーンへと映し出されていった。
◆
神世紀270年。四国を護る神樹の力が一時的に弱まるという、前代未聞の事態が発生した。
その隙を突くように、異形の神の尖兵であるバーテックスが一部地域への侵攻を開始する、という神託が降りる。神樹の防壁が不完全な中、危機感を募らせた大赦は急遽、新たな「勇者」を選定せざるを得なくなった。巫女による神託が下され、3人の少女が勇者として選出される。
大葉椿、中学2年生。
継人の実の姉である椿は、勇者に選ばれたことを「神樹様に選ばれた大変な名誉」として受け止め、両親と共に手放しで喜んだ。
「ねえ継人! 私、勇者になっちゃった! 四国のみんなを守るんだから!」
当時中学1年だった継人は、大喜びする姉を見ながら、どこか冷めた、しかし好奇心に満ちた目で事態を観察していた。「勇者」という特殊で特異な存在に選ばれたこと自体に、強い興味を抱いていたからだ。
桑折晴美、中学2年生。
生まれつき病弱で入退院を繰り返していた晴美とその両親は、「勇者となれば神樹様の加護により持病が改善される」という大赦の言葉を鵜呑みにし、歓喜した。しかし、高校生の兄である桑折晴雄だけは猛反対した。
「勇者のお役目なんて危険すぎる! 晴美の体だって持たないかもしれない、やめるんだ!」
「大丈夫だよお兄ちゃん、私、元気になってみんなとお散歩したいの」
晴美は無邪気に微笑むばかりで、兄の懸命な説得に耳を貸そうとはしなかった。
相良二夜、中学2年生。
二夜自身も、その母親も、勇者に選ばれたことを「当然の結果」として疑わなかった。
「二夜、貴女の父親は聡明で素晴らしい人だったわ。だからその娘である貴女が選ばれるのは当然のことなのよ」
母の教えを胸に抱く二夜は、自分は他の人間とは違う選ばれし存在なのだという強烈な自負を持っていた。彼女には勇者としての適性だけでなく、神の声を聴く巫女としての高い適性も備わっていたのだ。
大赦から送られてきたのは、開発段階にある「試作新型勇者服」だった。
機能が個別に特化されているため勇者同士の同期が取れないなど、多くの不満点や欠陥を抱えていたが、それでも完成型のバーテックスを撃破するだけの力は十分に保持していた。
やがて、新たな神託が下る。
『バーテックスの大規模侵攻、二月後』
270年前の過去の資料しか残されていない中、わずか2ヶ月で少女たちを戦力に仕立て上げなければならない。大赦による訓練は、苛烈を極める凄惨なものとなった。
◇
大赦の大規模訓練施設、そこは少女3名が訓練を行う場所だった。
訓練が始まると、3人の実力差は一目瞭然となった。
二夜の戦闘センスと適性値は群を抜いていた。どんな訓練も万全にこなし、一切の隙を見せない。それゆえに二夜は、必死に食らいつこうとしては脱落しかける椿と晴美の2人を、心の中で露骨に見下していた。
「……また失敗ですか? 私には、なぜそんな簡単な動作で躓くのか理解できませんけれど」
言葉の端々に滲み出る蔑視と冷笑。椿は気丈に振る舞い、晴美は苦笑いを浮かべるだけだった。
侵攻まで残り一週間となったある日。激しい訓練を終えた夕方、椿は決心したように2人に声をかけた。
「ねえ、二人とも! よかったらこの後、一緒にご飯食べに行かない?」
晴美は「わあ、行く行く! 美味しいもの食べたいな」と二つ返事で了承した。しかし、二夜は露骨に嫌そうな顔をする。
「遠慮します。ただ食事を共にするなど、何の意味も価値もありません、自主練しますので、私はこれで」
集団行動や他者との交流に価値を見出していない二夜にとって、椿の提案は不可解以外の何物でもなかった。だが、椿のポジティブさは二夜の想像を超えていた。
「あ、そっか! 人数が少ないから気まずいのかな? 大丈夫、私の弟も呼ぶから! 賑やかになるよ!」
「は? そういう問題では──ちょっと、引っ張らないでください!このバカ!!」
勘違いした椿に腕を引っ張られ、二夜は半ば強引に街のうどん屋へと連れて行かれた。
◆
「うどん」の暖簾をくぐると、そこにはテーブル席に付いた男が1人。椿に呼ばれていた大葉継人がいた。
注文したうどんが来る。
椿と晴美は楽しそうにうどんを啜り、会話を弾ませている。しかし二夜だけは、器を前に不満を全身から撒き散らしながら、苦々しい顔でうどんを啜っていた。
その様子を向かいから冷ややかな目で見つめていたのが継人だった。
「二夜ちゃん、素うどんが好きなの?」
晴美が二夜に話し掛けるが、彼女はそうよ、と素っ気なく答える。
「私もだよ!」
それに乗っかる椿、二夜はへぇ、そうなの、お似合いよ、とダルそうに返す。
継人は箸を置くと、二夜の目を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「おい。さっさとそのストレートに姉貴達を馬鹿にした態度をやめたらどうだ?」
ピキ、と二夜の眉が跳ね上がった。
「……なんですって?」
「見てれば分かる。お前、さっきから姉貴や晴美さんのことを下に見て鼻で笑ってるだろ。不快なんだよ」
食ってかかる継人に対し、二夜はさも当然であるかのように冷笑を浮かべ、優雅に言い返した。
「何でも完璧にこなせる私が、能力の劣る愚者を下に見て何が悪いのですか? それは差別ではなくただの区別です。事実でしょう?」
「なるほどな。じゃあ──俺に負けたら、二度と二人を下に見るんじゃねえぞ」
突然の喧嘩売りに、二夜は呆れたように息を吐いた。
「……ハッ、正気ですか? 勇者に選ばれた私に、ただの一般人の貴方が勝てるわけがないでしょう。どうやって勝負をつけるつもりです?」
「普通に戦え。期日と場所を指定しろ。そこで決着をつける」
「木刀か何かで打ち合いでもするつもりですか? ふん、いいでしょう。後悔させてあげます」
二夜は大赦の訓練施設のアリーナを指定した。
◆
約束の日。大赦の訓練アリーナで待つ二夜の前に、継人が現れた。
その手には、刃を落としたずっしりと重い手斧が握られていた。
二夜は眉をひそめる。
「手斧……? 刃が落としてあるとはいえ、正気ですか?」
「当たり前だ。お前も『勇者服』を着てかかってこい」
その言葉を聞いた瞬間、二夜の表情が一変した。
「……なっ!? なぜ貴方が勇者服のことを知っているのですか!? 勇者装備の情報は極秘事項のはず……!まさか椿さん弟に喋ったの…?」
家族にも秘匿されているはずの試作新型勇者服の存在を、なぜかこの中学生の少年は熟知していた。動揺する二夜だったが、継人は不敵に口角を上げた。
「姉貴は喋ってねぇよ、勇者が決まってからいきなり端末変わればそいつが勇者に関わるもんだって感づくだろ?で中身見た、お前らの勇者服のだいたいの構造はわかってる……何だその顔は? 『勇者様』がただの生身の俺相手に怖気づいたか? 装備の力を使わないと、自分より下の奴に負けるのが怖いのか?大丈夫だよ、姉貴からお前がどんくらいか聞いてる」
「…ならわかるでしょ?」
「あぁ、何とかなるぐらいだよ、バカ女」
「……調子に乗るな、クソガキッ……!!」
挑発が完璧に二夜のプライドを突き刺した。二夜は端末を操作し、瞬時に白銀の試作勇者服へと身を包む。爆風がアリーナに吹き荒れ、白銀の刀を構えた二夜が継人へと飛びかかった。
──しかし。
勝負は、二夜のプライドを完璧に粉砕する形で決した。
「くっ……あぁぁぁッ!」
二夜の鋭い一撃。だが、継人は最小限の動きでそれを完璧に見切り、交わした。
勇者服の圧倒的な身体能力をもって繰り出される攻撃が、生身の継人にただの一度も掠りもしない。それどころか、継人は二夜の動きの癖、重心のブレを完全に把握していた。
「がはっ……!?」
刃の落ちた手斧の柄が、二夜の勇者服の装甲の隙間——肘の関節部分へ正確に打ち込まれる。激痛と共に二夜の構えが崩れる。
「肘の引きが甘い。勇者服の出力に振り回されて軸がブレている」
継人の声はどこまでも淡々としており、機械のように冷徹だった。
「この……ッ!」
二夜が必死に刀を振り払うが、継人はその懐に易々と滑り込み、手斧の柄で二夜の膝裏を強く叩いた。
「うぐっ!?」
膝から崩れ落ちる二夜。継人の手斧は、寸分の狂いもなく二夜の頸椎、心臓、脇腹といった「致命傷」となる箇所へ正確に叩き込まれていく。攻撃が当たるたびに、継人の淡々とした指摘が二夜の脳内に突き刺さる。
「動作が大きい。視線で攻撃位置が丸分かりだ」
「試作服のパワーが大き過ぎる、制御に集中して無駄な力みがある」
「お前は何も出来ていない。ただ『装備の力』を振るっているだけの素人だ」
二夜は生身の継人に、手も足も出なかった。
攻撃は全て回避され、防がれ、カウンターで致命的な部位を完璧に潰される。何が起きたのかすら分からないまま、二夜は地面に膝をつき、呼吸を乱した。
白銀の勇者服を纏った自分が、ただの生身の中学生に完全敗北した。
「……あ……あぁ……」
屈辱と恐怖で全身が震える。二夜は地面に這いつくばりながら、上から自分を見下ろす継人を殺気走った瞳で鋭く睨みつけた。
「……なぜ……どうして……ッ!!」
言葉にならない叫びをあげる二夜。
まさにその時だった。
空気が固まる感覚。
さらに不気味な感覚が空間を塗り替える。
アリーナの天井、そして周囲の世界が光に染まっていく。時間の停止した異空間──「樹海化」が急速に始まり、周囲の全ての時間が停止した。
継人の動きが、手斧を構えた姿のままピタリと止まる。
「……樹海化……? なぜ……神託の期日より、一週間も早い……!?」
地面に這いつくばったまま、停止した継人を見上げる二夜。
バーテックスの侵攻は、大赦の予知した神託を裏切り、早期に始まってしまったのだった。