結城友奈は勇者であり、彼もまたそうだった   作:ビブロス

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暗夜

 

あの嵐のような夕食の夜から、数日が経過した。

精霊能力の使用により入院していた桑折晴美が無事に退院し、3人での本格的な勇者訓練が再開された頃には、神託が示す「次の大規模侵攻」まで残り3週間を切っていた。

そして、あの一夜を境に、相良二夜の生活は劇的に変化していた。

あの日、大葉家で継人の作った手料理を食い荒らし、米を6合も平らげて大騒ぎした夜以来、二夜が大葉家で夕飯を共にすることがごく自然な「日課」となっていたのだ。

最初のうちは夕飯を食べ終えると気まずそうに自分の家へ帰っていた二夜だったが、両親が留守で誰もいない冷え切った邸宅へ戻る寂しさに耐えかね、いつしか大葉家にそのまま寝泊まりする頻度が増えていった。大葉家のデカソファーは二夜のベットと化していた。

二週間も経つと、大葉家の居間や脱衣所、そして椿と継人の部屋には、二夜の私物が少しずつ、だが確実に増え始めていた。

 

椿の部屋のクローゼットには二夜の私服や着替えが並び、洗面台には二夜の歯ブラシとスキンケア用品が備え付けられ、継人の部屋の学習机の片隅には二夜が勉強で使う参考書や文房具が侵食していた。

だが、椿も継人も、二夜が自分たちの日常に当たり前のように混ざり込んでくることに対して、何ら嫌悪感や違和感を抱いていなかった。まるで最初から、この家に彼女という家族が一人増えていたかのように、ごく自然に受け入れていたのだ。

 

ある日の夕食後。継人が台所で食後の茶を淹れていると、ソファで椿に髪を弄ばれていた二夜が、ふと居心地良さそうに目を細める。

ほぼ猫だなぁ、と継人は感じていた。

「……そういえば二夜、お前の親って母親だけなのか?」

「……継人あんたねぇ……」

椿がそんなあっけらかんと聞くこと?みたいな顔で継人を見る。

急須から湯気を立てるお茶をテーブルに置きながら、継人が何気なく尋ねた。二夜は一瞬目を見開いたが、小さく頷いた。

「ええ。私がまだとても幼い頃に、お父様は病気で亡くなったの。……それからはずっと、お母様と二人暮らしよ」

「そうだったのか。父親はどんな人だったんだ?」

継人の問いに、二夜は照れくさそうに、しかし誇らしげに胸を張った。

「……とても頭が良くて、何でもできる素晴らしい人だったわ。お母様もいつも言っていたもの。『貴方の父親は聡明で誇り高い人だった、だからその娘である貴女も完璧でなければならない』って」

二夜の言葉を聞きながら、継人は心の中で合点がいった。二夜のあの過剰なまでの完璧主義とプライドの高さは、亡き父親への憧憬と、母親からの強迫観念めいた期待によって作られたものだったのだ。

「へぇ、二夜ちゃんのお父さん、かっこよかったんだね!」

「っ……! べ、別に自慢したわけではありませんけれど!」

椿に冷やかされ、顔を真っ赤にしてそっぽを向く二夜。その横顔には、かつて訓練施設で見せていた刺々しい冷徹さは微塵もなく、年相応の無邪気な少女の表情が浮かんでいた。しかし、写真は見せてくれなかった、大事な物なのであまり人に見せるなと母親から言い聞かされているらしい。

 

 

バーテックスの想定侵攻日まで、残り1週間となった週末。

訓練が休みとなった朝、大葉家の居間に飛び込んできた椿が、唐突に大声を張り上げた。

「よし! 今日は3人で遊びに行くよ!」

「えっ……遊ぶって、今日ですか?」

目を丸くする二夜。

「そう! 晴美ちゃんももう体調は万全だし、侵攻が始まる前に思いっきり羽根を伸ばすの!」

等と演説ぶって拳を握りしめた。

二夜は首を傾げ、台所で朝食の片付けをしている継人を指差した。

「……継人は連れて行かないのですか?」

すると椿は、人さし指を立てて二夜の鼻先でチッチッと振ってみせた。

「駄目だよ二夜ちゃん! 今日は『女の子だけ』で遊ぶの! 男子は留守番!」

「おい、俺を最初からカウントに入れるな。誰が行くか」

継人は呆れたように鼻で笑ったが、二夜はどこか名残惜しそうに継人を一瞥してから、「……わかりました」と頷いた。

こうして、椿の突然の提案による"女子3人の休日"が始まった。

最寄りの駅で晴美と合流したものの、元々無計画な椿が言い出したことである。駅前広場に集合した3人は、早々に「……で、何する?」と頭を抱えることになった。

「えっと……私、あんまり外で遊んだことがないから、どこに行けばいいのか分からなくて……」

晴美が苦笑いを浮かべながら、小さな巾着袋を取り出した。

「お兄ちゃんに『遊ぶならこれで美味しいものでも食べなさい』ってお小遣いをもらってきたんだけど……」

晴美が巾着の口を開けると、中には中学生が休日に遊ぶにはあまりにも多すぎる、分厚い紙幣の束が入っていた。

「「「……多っ!?」」」

高校生である晴美の兄・桑折晴雄の過保護ぶりに3人は引きつった笑いを浮かべるしかなかった。結局、大金を持て余した3人は、ノープランのまま街をブラブラと練り歩くことに決めた。

しかし、それが意外にも楽しい「普通の少女たちの日常」の始まりだった。

服屋に入っては、椿が奇抜なデザインの服を選んで二夜に着せようとして二夜が本気で怒り、本屋では二夜が難しい学術書を熱心に読み耽り、駄菓子屋やお菓子売り場では晴美が目を輝かせて珍しいお菓子を買い込んだ。

昼食の時間になり、何を食べようかと街の飲食店街を歩いていると、二夜がふと足を止めた。一軒のラーメン屋の暖簾を、二夜はじーっと見つめている。

「二夜ちゃん、ラーメン食べたいの?」

「……食べたことがないのです。お母様が『あのような油ギトギトの品のない食べ物は体に悪い』と言って、一度も許してくれませんでしたから……」

「よし! 決まり! 今日の昼食はラーメン!」

椿に袖を引っ張られ、初めてラーメン屋のカウンター席に座った二夜。運ばれてきた豚骨醤油ラーメンの濃厚なスープを一口啜った瞬間、二夜の深紅の瞳が信じられないものを見たかのように見開かれた。

「……なっ……何ですかこれは……!? 身体に悪そうな味がするのに、信じられないくらい美味しいです……!」

「ふふ、でしょ? ラーメンって最高なんだよ!」

夢中になって麺を啜る二夜を見て、向かいに座る晴美が嬉しそうに微笑んだ。晴美は自分のレンゲでスープを飲みながら、しみじみと呟いた。

「私ね……勇者に選ばれて、本当に良かったなって思ってるんだ」

椿と二夜が手を止めて晴美を見る。晴美は柔らかい笑顔を二人向けた。

「ずっと病弱で、病院のベッドの上から外を見るだけだったの、 でも勇者になってから身体も普通くらいに動くようになったし……何より、椿ちゃんと二夜ちゃんっていう、大好きな友達が二人も出来たから。それにね……こんな油っこいラーメンを食べても、お腹がキツくならないんだよ」

晴美は嬉しそうに笑った。その無邪気な言葉に、椿は胸を熱くさせ、テーブルをバンッと叩いた。

「ならさ! これからもずっと一緒に遊ぼうよ! 夏休みも、冬休みも! 夏祭りにも行こうし、クリスマスだって3人でパーティーするの!」

「うん! 私も、絶対にやりたい!」

晴美が即座に同意し、二人はじっと二夜の顔を見つめた。

二夜は二人からの熱い視線に気恥ずかしさを覚え、明後日の方向を向きながら、ボソボソと呟いた。

「……そこまで言うなら、付き合ってあげないこともありませんけれど」

「やったー! 二夜ちゃん大好き!」

「ふふ、決まりだね!」

「とりあえず!」と椿がジュースのコップを掲げた。

「直近だと、夏休みの開始直後に『花火大会』があるでしょ! まずは3人で浴衣を着て、あの花火大会を見に行こう! 約束ね!」

「「約束!」」

3人の笑い声が、ラーメン屋の店内に賑やかに響き渡った。

 

 

やがて終業式が終わり、待ちに待った夏休みが始まろうとした、まさにその日のことだった。

時が止まる。

四国の空が歪み、世界から色彩が失われていく。

大赦の予測は今回は当たり、神託通りにバーテックスの侵攻が勃発した。

深緑と金色の樹海空間へと出撃した3人。

今回は、前回の反省を生かして構築された「新しいフォーメーション」での初の実戦だった。

大爆発を耐え抜く絶対の防壁として前面に立つ【椿】。

圧倒的な機動力と剣技で戦場を駆け巡る遊撃の【二夜】。

そして、後方から高火力の砲撃で二人を援護する後方支援の【晴美】。

しかし、空間の亀裂から姿を現した敵を見た瞬間、3人に戦慄が走った。

現れた敵バーテックスは、なんと【2体】。

巨大な水瓶を模した『水瓶座』と、歪な人型の『双子座』。

「2体同時に来た……!? 一体ずつじゃないの!?」

晴美が悲鳴を上げる。

さらに悪質なことに、双子座は自らの体を分離させ、まるで2体の独立したバーテックスであるかのように偽装して、椿の前面から怒涛の近接攻撃を仕掛けてきた。

強烈な蹴りがひっきりなしに飛んでくる。

「くっ……重い……! 二体がかりなんて……っ!手伝いなさい!『ぬりかべ』!!」

椿の精霊が展開される、灰色の板のような見た目。蹴りが直撃しても、椿は微動だにしなかった、それこそがぬりかべの能力である硬度上昇。

椿が大型の盾を掲げて2体の双子座の連続攻撃に耐える。

しかし、その双子座の背後から、水瓶座が超高圧のウォータージェット波と水流爆撃を連続で撒き散らしてくる。

広範囲を吹き飛ばす水の激流。椿一人では防ぎ切れない猛攻が、3人の陣形を突き崩そうとしていた。

「椿さん! 下がりなさい!」

その絶体絶命の攻防に、遊撃の二夜が飛び込んだ。

白銀の勇者服を纏った二夜は、双子座の蹴りを見事に受け流す。

『真っ芯で捉えられなければ攻撃はよほどの事がない限り受け流せる』等と良くわからないレベルの技量の話を真に受けて実践する二夜、しかしそれは現実に実現している。

「身体の軸をブレさせない……! 相手の力のベクトルを外す……!」

二夜は白銀の刀の側面を巧みに使い、双子座の一激を最小限の力で受け流し、そして弾き飛ばし、椿への負荷を劇的に軽減させた。継人に生身でボコボコにされた屈辱の経験が、二夜の剣技を「敵の攻撃を受け流す実戦的な技」へと進化させていたのだ。

「二夜ちゃん! すごい!」

「感心している暇はありません! 二人で耐えますよ!」

背中を合わせる椿と二夜。二人は完璧な立ち回りでお互いの死角をカバーし、双子座の苛烈な攻撃と水瓶座の水流攻撃を泥臭く捌き続けていく。

しかし、防御はできても「決め手」に欠けていた。

決定的なダメージを与えられないまま時間が過ぎれば、試作勇者服のエラーと過負荷で、こちらが先に自滅してしまう。

その時、後方の晴美が意を決して叫んだ。

「遊火……私に力を……もっともっと、高いところから攻撃する力を……!」

晴美の全身から、これまでにない密度の炎が吹き荒れた。晴美の杖が組み替わり、新たな精霊能力が発動する。

晴美の杖の先端に巨大な陣が展開され、彼女ごと上空へと上昇する。そのまま彼女は衛星砲のごとき極大の火炎砲撃を双子座と水瓶座の頭上へ向けて垂直に降り注そがせる。

炸裂と爆発。

「きゃあぁぁぁっ!」

地面が陥没するほどの衝撃。上空からの極大砲撃により、双子座の動きが完全に停止した。

だが──後方支援の晴美もまた、限界を超えた出力を絞り出したことで杖を落とし、下へと落ちていく。

「今です……椿さん! 二夜さん!」

「よしっ……行こ……くっ……!?」

椿が打突兵器を構えて突撃しようとしたが、これまでの猛攻を一人で耐え続けたダメージが蓄積し、膝がガクガクと震えて即座に動くことができない。

椿さんも、晴美さんも限界。

私がやるしかない。

二夜は姑獲鳥を展開し、新たなる力を発動。それは勇者服の出力を強引に解除するもの。リミッター解除とも言える代物だった。

勇者服から激しい赤い放電が巻き起こる。右脚に劇的な激痛が走ったが、二夜はそれを精神力でねじ伏せ、爆風のような速度で地を蹴った。

「姑獲鳥!!力を貸せぇッ!!」

白銀の翼を広げた二夜が、交差するように一瞬で真横へと駆け抜ける。

銀色の閃光が走り——動きを止められていた『双子座』の2体のコアが、同時に真っ二つに両断される。

双子座が同時に大爆発を起こして消滅する。

「残るは……水瓶座ぁぁぁッ!!」

二夜が作った絶好の機会。膝の痛みを気合いでねじ伏せた椿が、死に物狂いの形相で水瓶座の懐へと突撃した。

「これで……終わりにさせるんだあぁぁぁぁッ!!」

椿は全エネルギーを注ぎ込んだ最大出力の『パイルバンカー』を、水瓶座の胴体中央へ直接叩き込んだ。

杭が深々と突き刺さり、超高圧のエネルギーが水瓶座の内部で炸裂。水瓶座は巨大な水の泡となって弾け飛び、消滅した。

静寂が訪れ、樹海空間がゆっくりと崩壊していく。

二戦目にして、3人は完全型バーテックス2体という絶望的な脅威を、死闘の末に撃破してみせたのだった。

 

 

激闘の代償はあまりにも大きかった。

バーテックスの撃破と引き換えに、精霊能力の使用と激しい負荷を全身に受けた椿、晴美、二夜の3人は、戦闘解除と同時にその場に崩れ落ちた。駆けつけた大赦の救急チームによって緊急搬送され、そのまま大赦の専用医療施設へ揃って入院することが決定したのである。

「うわぁぁぁん! 花火大会行けないじゃんかぁぁぁ!!」

個室を繋げた特設の3人部屋で、点滴のチューブを腕に繋がれた大葉椿がベッドの上で枕を抱きしめて絶叫した。

本来なら夏休み初日、3人で浴衣を着て賑やかな花火大会へ繰り出すはずだったのだ。それがまさか、白い天井を見上げる病院のベッドの上で夏休みを迎えることになるとは思いもしなかった。

「……うるさいわね、椿さん。病人らしく静かにできないのですか」

隣のベッドで右脚に厚いギプスのような固定器具を装着された二夜が、呆れたように溜息をつく。しかし、その二夜の表情にも隠しきれない落胆の色が滲んでいた。

「ごめんね、二人とも……。私がもっとちゃんとしていれば、花火大会にも行けたのに……」

「晴美ちゃんのせいじゃないよ! 全部あの空気を読まないバーテックスのバカのせいなんだから!」

シュンとする晴美を椿が慌てて慰める。

そんな騒がしい病室の窓の外から、ふと街の喧騒と小さな破裂音が届いた。窓枠に寄って下を見下ろすと、病院の高層階にあるこの病室からは、遠くの海岸沿いで打ち上げられる花火大会の輪郭が綺麗に見えることが判明したのだった。

「……あ、見える! ほら、二人とも見て! 花火見えるよ!」

「……本当ですね。小さくしか見えませんけれど……」

「ふふ、特等席だね」

3人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。

行けなかったのは残念だが、こうして3人で同じ部屋で同じ花火を見上げられるだけで、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

それからの入院生活は、想像していたよりもずっと賑やかなものとなった。

3人は大赦から支給された大型モニターで映画やアニメを鑑賞したり、カードゲームに興じたりと、まるで修学旅行の夜のような時間を過ごした。

そして、その入院生活を影で支えていた(強要されていた)のが、大葉継人だった。

「おい、頼まれていた『少女漫画の最新刊』と『激辛のポテトチップス』と『二夜の参考書』持ってきてやったぞ」

「継人、遅い! 映画のいいところ終わっちゃったじゃん!ポテチ待ちだったのよ!!」

「自分で食う奴だろ!バカ姉貴!まだ映画あるから我慢しろよ!」

毎日のように大量の買い出し品を両手いっぱいに抱えて病室に現れる継人。

口では「面倒くさい」「お前らのパシリじゃない」と酷い暴言を吐き捨てながらも、二夜が頼んだ学習参考書や、晴美がリクエストした柔らかいゼリー、椿の無茶苦茶なお菓子リクエストを完璧に揃えて届けていた。

「……ありがとう、継人」

「おう。残さず食えよ二夜」

素直にお礼を言う二夜に無造作にジュースを押し付け、継人は病室を後にした。

 

 

買い出しの袋を空にし、病室の重いドアを閉めて廊下を歩いていた継人は、エレベーターホールに向かう曲がり角で、不意に一人の人物と正面から鉢合わせした。

「……お?」

立ち止まったのは、背が高く、どこか鋭い眼光をした高校生くらいの青年だった。警察官や防衛関係者のようなピシッとした雰囲気を纏っている。桑折晴美の兄、桑折春雄だった。

春雄は継人の顔と、彼が出てきた病室の部屋番号を交互に見比べると、急にその目つきを怪しく細め、ニコリと笑う。

「ねえ、君。……今、あの部屋から出てきたよね?」

「あ? ああ、そうだけど……誰だお前」

継人が首を傾げた瞬間——ガシッと強い力で肩を掴まれた。

「……ちょっと屋上に行かないかい?風を感じよう、ね?」

「は!? なんだよ急に…ぬわー!」

抵抗する間もなく、継人は春雄によって非常階段へと連れ出され、そのまま誰もいない病院の屋上へと引きずり込まれた。

夏の熱風が吹き抜ける屋上で、春雄は逃げ道をふさぐように継人の目の前に仁王立ちし、信じられないほどの近距離まで顔を近づけてきた。息がかかるほどの超近距離である。

「……ねえ、毎日甲斐甲斐しくあの病室に通い詰めているね? 晴美の部屋には入れないから外で監視してるから全部見てるんだ」

「監視とか気持ち悪いこと言ってんじゃねぇよ! 頼まれたから荷物届けてるだけだ!」

「ホントにぃ?」

春雄がガバッと継人の肩を揺さぶる。その瞳には過剰なまでの警戒心と、凄まじい圧力が宿っていた。

「……あの中に、好きな人でもいるのかな!?」

「はあぁぁぁ!? なわけねぇだろバカ言え!!」

「隠さなくていい! 中学生の男子が理由もなく毎日女子の病室に通うわけがない! まさか……まさか君、俺の妹(晴美)を狙っているんじゃないだろうねぇッ!?」

「狙うかボケぇ!! 晴美さんはただの姉貴の友達だ! 俺はパシリにされてるだけだって言ってるだろ!!」

必死の形相で否定する継人。

その真剣すぎる嫌がりようと必死な反論を見て、春雄はハッと正気に戻ったようにポンと手を打った。

「……なんだ、違うのか。妹の彼氏候補かと思って肝が冷えた」

「冷や汗かいたのはこっちだ! いきなり屋上に連れ出して何言い出すんだこのブラコン兄貴!」

「ハハハ! いやごめんごめん! 晴美のことが心配でねぇ」

先ほどまでの威圧感が嘘のように、春雄は爽やかに笑った。そして継人の背中をポンポンと叩いた。

「まあ、同じ『女の子たちの世話を焼く苦労人』同士、年も近いし仲良くしようじゃないか。腹が減ってないかい? 近くの食堂で何か奢ってあげよう」

「奢るなら最初からそう言え……」

継人は呆れ果てて息を吐きながらも、春雄の後に続いて屋上を後にした。

 

 

二人が病院の外にある食堂へ向かって廊下を歩いていた時のことだった。

向かい側から、黒いスーツを着た大赦の幹部職員数名が、神妙な面持ちで歩いてくるのが見えた。職員の一人が抱えていたバインダーから、チラリと一枚の書類が覗いている。

そこに書かれていた文字が、継人の鋭い視線に留まった。

『試作勇者適合者 バイタル・適合率推移データ』

「……?」

継人は足を止めた。

ただならぬ雰囲気と、その書類に記載されていた「大葉椿」「相良二夜」「桑折晴美」の文字。

「おい、継人? どうした?」

「……春雄さん、ちょっと待て」

継人は直感的に胸騒ぎを覚え、春雄の制止を振り切って、気配を消しながら大赦職員たちの後を密かにつけ始めた。春雄も継人の異常な様子に気づき、眉をひそめて無言で後に続く。

職員たちは廊下の最奥にある、厳重にロックされた会議室へと入っていった。ドアが完全に閉まる直前、継人は素早く身を滑らせ、ドアの隙間に足先を挟んでわずかな隙間を作り、壁に身を潜めた。

中から、大赦の幹部たちの冷酷で無機質な会話が漏れ聞こえてくる。

『……第二次侵攻の撃退、見事でしたな。しかし、試作勇者システムの負荷は予想以上だ』

『ええ。桑折晴美のバイタルは既に危険水域です。大葉椿の肉体耐久値も限界に近い。相良二夜に至っては、精霊の過剰同調による神経系の損傷が出始めている』

継人の呼吸が止まる。

『……彼女たちがバーテックスの侵攻を防げるのは、持っても……あと3回が限度です』

『致し方ありません。二人の力の反動による体の不具合、神経麻痺と器官不全は……現在の医療技術では"治るものではない"。使い潰す前提の試作機ですから、それも次の勇者様に繋がる大事なお役目です』

『それにしても、神託の期日より大幅に多くバーテックスが襲来したのは想定外でしたな』

『仕方あるまい。本部の急進派が焦るあまり、神樹様の境界領域を強引な手法で直接解析しようとしたのだからな。その刺激によって神樹が防衛反応を起こし、結界の一部が弱体化、そこにバーテックスを引き寄せられた……芙蓉氏の手法はいつも強引過ぎる』

——ドクン。

継人の心臓が、激しく警鐘を鳴らした。

治らない体の不具合。あと3回で使い潰される命。

そして——今回の襲撃は、神託でも何でもなく、大赦の愚かな一部の人間が神樹を強引に解析した暴走による「人災」だったという事実。

あいつらは、椿も、晴美も、二夜も……最初から使い捨ての駒としてしか見ていなかったのだ。

継人は拳を握りしめ、爪が皮膚に食い込んで血が滲むのも気づかないほど激しい怒りに震えた。隣にいた春雄もまた、顔色を失い、信じられないものを見る目で密談の行なわれるドアを見つめていた。

 

 

「……おい、椿! 二夜! 晴美さん!」

バンッ!! と激しい音を立てて病室のドアが開け放たれた。

ベッドで寛いでいた3人が驚いて跳ね起きる。息を荒らげ、血走った目で立っている継人の姿に、二夜が眉をひそめた。

「……何なのですか急に。粗野にも程がありますよ、継人」

「そんな場合じゃねぇんだよ!!」

継人は怒鳴り散らすように、先ほど地下の会議室で盗み聞くことになった全ての真実を3人にぶちまけた。

大赦が神樹を強引に解析してバーテックスを呼び寄せたこと。

3人の身体に起きている障害は二度と治らない後遺症であること。

そして、あと3回の戦闘で3人の命が尽きるということ──。

「……え……? 治ら……ない……?」

晴美が青ざめた顔で自分の手を見つめる。椿も絶句し、言葉を失っていた。あまりにも残酷で、非人道的な現実。

「だから……今すぐここを逃げ出すぞ!」

継人は二夜の腕を強く掴んだ。

「こんな狂った奴らのために戦う必要なんてねぇ! 大赦の手が届かないどこか遠くへ、俺が連れて行ってやる! 逃げるんだよ!」

必死の形相で叫ぶ継人。しかし——。

二夜は、継人に腕を掴まれたまま、静かに首を振った。

「……無理よ、継人」

「なっ……なんでだよ!? 逃げなきゃ死ぬんだぞ!?」

くってかかる継人に対し、二夜は悲しげに目を伏せると、ベッドにかかっていた毛布をゆっくりとめくった。

そこにあったのは、痛々しい固定具で固められた、白く冷たい二夜の右脚だった。

「……見て」

二夜は静かな、しかし今にも壊れそうな声で呟いた。そして、自分の右足の指先を動かそうとした。だが——右足はピクリとも動かなかった。

「……もう、感覚がないの。指一本すら……私の意思では動かないのよ」

「……っ!?」

二夜の瞳から、ボロボロと大きな涙が溢れ出した。

「これで逃げて……どうするの……? 歩くことすらまともにできない私がついていったら……貴方の足を引っ張るだけ……迷惑をかけるだけじゃない……っ!」

涙を溢す二夜。

完璧であることを誇りとし、誰よりも気高くあろうとした少女の右脚は、すでに精霊の代償によって永久に機能を失っていたのだ。

「……俺が背負って逃げればいいだろッ! 迷惑なんか思うわけねぇだろ!!」

「嫌よッ!!」

二夜は継人の手を激しく振り払った。

「私は……貴方と対等でいたいの……! 貴方と肩を並べて生きていたいのッ! 足手まといになって……貴方に憐れまれながら守られるだけの存在になるなんて……そんなの死ぬより嫌よッ!!」

二夜の悲痛な叫びが、病室に響き渡った。

自分の無力さ。二夜の失われた足。大赦への激しい怒り。

あらゆる感情が混ざり合い、継人は言葉を失った。何もできない己の無力感に激しく苛まれ、継人は逃げるように病室を飛び出していった。

静まり返った病室。

残された椿は、涙を流し続ける二夜の隣にそっと座り、その肩を優しく抱きしめた。

「……二夜ちゃん。継人と一緒に逃げてもいいんだよ? 継人は絶対に二夜ちゃんを見捨てたりしないよ」

椿の温かい言葉に、二夜は首を振って椿の胸に顔をうずめた。

「駄目なの……椿さん……。あの人の隣に立ちたかった……。あの人と対等な私でいたかったの……。こんなボロボロの私じゃ……あの人に助けられる資格なんて……ないのよ……」

二夜の嗚咽が、夏の夜の病室にどこまでも切なく響いていた。

 

 

病院を飛び出し、夜の街を当てもなく走り続けていた継人。

荒い息を吐きながら立ち止まった暗い公園で、追ってきた足音が背後で止まった。

桑折春雄だった。

「……ハァ……ハァ……速いですねぇ……」

息を整えながら、春雄が継人の背中に声をかける。

「……あいつらの足を、身体を……俺が絶対に治す」

暗闇の中で、継人がぽつりと呟いた。その声には、先ほどまでの狼狽は消え、冷たく研ぎ澄まされた絶対の意志が宿っていた。

春雄は驚いて眉をひそめた。

「……治すって……どうやってだ? 大赦の医療チームすら『治らない』と言っているんですよ」

継人は振り返った。その瞳には、暗い炎が静かに燃え上がっていた。

「まずは……データ解析だ。姉貴の勇者端末から大赦の機密データバンクに直接侵入して、勇者システムの全データと後遺症のメカニズムを徹底的に洗い直す」

堂々たるサイバー犯罪の宣言。

中学生の口から飛び出したあまりにも破天荒で無茶苦茶な計画に、春雄は呆れ果てて頭を抱えた。

「いやいや、……中学生がそんな大赦のセキュリティを破れるわけがないでしょう。それに犯罪ですよ?」

「うるせぇ!! できるかどうかじゃねぇ、やるんだよ!!」

継人は春雄の胸倉を掴まんばかりの勢いで睨みつけた。

「おい、ブラコン兄貴! 妹を助けたいなら四の五の言わずに手伝えッ! あんたのとこの妹の端末も貸せ!!取ってこい!」

「……はぁぁぁぁ……」

春雄は深々と溜息をついた。だが、その唇の端には、どこか呆れつつも覚悟を決めたような笑みが浮かんでいた。

「……何するかわかりませんね。妹のために、高校生が犯罪の片棒を担ぐ羽目になるとはな」

春雄は継人の隣でやれやれといった顔をする。

「でも、まあやれることないですしね。危ないことしないように監視ってことなら良いですけど。」

「危ないことするんだよ、端末取ってこいよ、俺の家で速攻作業開始だ!」

継人は夜の街を自宅へと向かって走り出した。春雄はその後ろを走っていた。

 

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