大葉家の居間に流れる空気は、息が詰まるほど重く、静まり返っていた。
ダイニングテーブルの上に並べられた二台の端末。ディスプレイが放つ青白い光が、暗がりの中で没頭する大葉継人と桑折春雄の顔を無機質に照らし出している。
二人は椿の勇者端末と、春雄が妹の晴美から大赦の「定期点検」と称して一時預かってきた端末を中継ノードとし、大赦の最深部データバンクへの侵入を完了させていた。
「……おい春雄。これを見ろ」
継人の指がキーボードの上で止まった。モニターに映し出されたのは、270年前の西暦終末期に構築された『最初期の勇者システム』に関するデータだった。
「270年前の初期型システム……神樹の加護を直接身に纏う方式か。だが、圧倒的な出力不足で完全体バーテックスの『御魂(みたま)』まで破壊することはできなかった……。だから今回の大赦の連中は、システムを根本から設計し直したんだ」
継人の声が、低く冷ややかに響く。画面には、今回の『試作勇者システム』の構造図が展開されていた。そこにあったのは、神格への祈りなどではなく、極めて機械的なシステムだった。
「完全体バーテックスの外装ごと御魂を粉砕するための莫大な出力……それを確保するために、こいつらは使用者の『生命力』をそのまま神樹エネルギーの触媒として使っていやがる」
「生命力……だって?」
春雄が息を呑み、モニターを覗き込んだ。彼の額から冷や汗が伝い落ちる。
「……ああ。だが、システムとしての完成度が低すぎる。エネルギー変換効率が絶望的に悪いんだ。神樹から引き引き出した莫大なエネルギーの八割以上が余剰として無駄になり、使用者の肉体を内側から焼き切ろうとする。だから大赦は『精霊』という安全弁を作った。余剰エネルギーを精霊という形に固形化して外部に吐き出すことで、とりあえずの冷却機構にしているんだよ」
「待てよ……じゃあ、あの精霊の新しい力ってのは……」
「冷却の過程で偶然生まれた産物に過ぎない。ただの余剰エネルギーの気まぐれな副産物だ。二度目の襲撃で二夜たちの端末に都合よく新しい能力が発現したのは、単なる『運』だったんだよ。システムが意図して与えた力なんかじゃない」
継人は苛立ちを隠さず、机を叩いた。
さらに深い階層の生体ログを読み進めていた継人の表情が、突如として凍りついた。画面に浮かび上がったのは、『散華』と名付けられた不可逆のグラフだった。
「……そうか。『生命力』の切り崩し……その本質は『魂』の削り取りだ。そして、人間にとっての魂の基盤とは、脳の『認識能力』そのものなんだよ」
「認識能力……? 二夜ちゃんの右脚の麻痺も、晴美の身体の衰弱も……脳が肉体を認識する能力そのものを神樹に喰われたからなのか?」
「そうだ。脳の感覚野と運動野の『認識回路』が、生命力の代償として神樹のシステムに強制徴収されている。……だが、裏を返せば」
継人の瞳に、暗い執念の火が灯った。
「脳の認識能力そのものを、外部から強制的に再構築・再生させてやれば……神樹に奪われた肉体の機能を取り戻せるはずだ。認識の再生こそが、奪われたものを取り戻す唯一の鍵だ」
「……本気か、継人? 脳の認識能力の再生なんて、大赦の現在の医学でも不可能な領域だぞ」
「不可能なら可能にする。あいつらを死なせてたまるか」
それからの日々、継人と春雄は毎日のように病院へ見舞いに通った。
表面上は、入院中の椿、二夜、晴美に差し入れを届け、軽口を叩き合う「いつもの日常」を演じながら、陰では二人で認識能力復活のための極秘理論を確立させていった。
病院の屋上や、深夜の大葉家の居間で重ねられる議論。
膨大な医学論文と大赦の生体データを照らし合わせる中で、継人は禁忌の領域へと踏み込んでいく。
「人間の遺伝子情報を書き換え、脳の神経可塑性を異常発達させる……。このゲノム編集ができれば、喰われた認識能力を再生出来る身体になる」
「遺伝子改造か……。一歩間違えれば人間じゃなくなるぞ」
「死ぬよりマシだ。まあ、生きてる人間そのものに出来る技術じゃない。それに、もう一つできた」
継人は画面に新しい数式を展開してみせた。
「神樹エネルギーの変換効率を劇的に跳ね上げる『バイパス・プログラム』だ。これを使えば、今以上に完全体バーテックスを打ち砕く出力を出せる。余剰熱も発生しない、散華を相当抑えることが出来る」
「……よくここまでのものを組み上げたな。お前ホントに中学生か?」
「天才、そう呼ばれる物なんだろうけど、俺には自覚がない、こんなに頭良くても良いことなんてほとんどねぇよ、今やっとこの頭があって良かったなんて思ってる」
「……そうか、大赦には内緒にするのか、このプログラム?」
「ああ。大赦のサーバーに引っかからないよう、俺たちの手で直接、あいつらの端末へ黙ってインストールする」
作業の合間、継人は勇者システムのデータベースの奥底に格納されていた、少女たちの「個人記録」を偶然発見した。
そこには、なぜこの三人が『試作勇者』として選ばれたのかという、残酷な理由が記されていた。
「……血筋か」
継人は吐き捨てるように呟いた。
270年前の最初期の勇者システムをベースにして開発された今回の試作機。その適合率を引き上げるため、大赦は270年前の「最初の勇者たち」の血を引く末裔を探し出し、強引に適合者として選出していたのだ。
桑折晴美は、歴史の表舞台から消し去られた勇者の親族の末裔。
大葉椿は、かつて讃州を守って戦った高嶋家の末端に連なる血脈。
そして相良二夜に至っては──乃木家の現当主の実兄であり、病死したはずの男性が遺した「婚外子」であった。
「最初期の勇者の血を分けた者たち……。システムへの適合率を上げるためだけに、最初から狙い撃ちで選ばれていたのか」
継人の胸に、猛烈な吐き気が込み上げた。
大赦が提示する「神託」がいかに都合よく捏造され、人間側の手によって歪められたものであるかを、継人は完全に理解してしまったのだ。
神託などという美しい言葉の裏にあったのは、血統に縛られた少女たちを効率よく生贄に捧げるための欺瞞であった。
◆
そして、その日はあまりにも唐突に訪れた。
夏休みの中盤、大赦が告げた「神託」の期日通り、三度目のバーテックス大規模侵攻が勃発したのである。
世界から色が失われ、深緑と金色の樹海空間が展開される。
出撃した椿、二夜、晴美の三人は、空間の裂け目から姿を現した敵の姿を見て息を呑んだ。
現れた敵は三体。
巨大な毒針を蠢かせる『蠍座』。
不気味な巨大な板を持つ『蟹座』。
そして、上空から極大の矢を構える『射手座』。
「三体……!? 一度にこんな数が来るなんて……!」
晴美が悲鳴を上げる。
前回の激闘による身体の不調──二夜の動かない右脚、晴美の極度の倦怠感、椿の全身の筋肉不全が、少女たちの動きを重く狂わせていた。今まで以上の苦戦は火を見るより明らかだった。
しかし、端末を構え、変身した瞬間、三人は目を見張った。
「何……これ……? 身体は重いのに……勇者システムから、今までと比べものにならないくらいのパワーが溢れてくる……!?」
椿が自分の手を見つめて呟く。
継人と春雄が密かにインストールした『バイパス・プログラム』が十全に作動し、神樹からのエネルギー変換効率が劇的に跳ね上がっていたのだ。
「理由は分かりませんが……行きますよ二人とも! 陣形を展開です!」
車椅子から白銀の勇者服へと変身した二夜が割れんばかりの声で叫ぶ。
右脚が完全に麻痺している二夜は、自力での高速移動ができない。それを見抜いた椿が瞬時に指示を出した。
「私が囮になる! 晴美ちゃん、二夜ちゃんを運んで!」
「うん……! 『遊火』、私を空に上げて!」
飛行能力を持つ晴美が、右足の動かない二夜の身体を抱き抱えるようにして上空へ飛び立った。二夜を搬送しつつ、上空からの連携戦闘を開始する。
地上で一人、三体の標的となった椿が不敵に笑った。
「来なさいよ、バカでかい虫ども! 私が相手だ!」
その瞬間、椿の端末から眩い光が放たれた。新たに追加された能力──『高速移動』。
椿の全身が推進ロケットのような衝撃波を纏う。継人のプログラムによって神樹エネルギーがロスなく全開出力されたことで、椿の運動エネルギーは天をも穿つ領域に達していた。
「ハァぁぁぁぁっ!!」
爆音と衝撃。
音速を超えた椿のシールドバッシュが、迫り来る『蟹座』の巨体に直撃した。衝撃波が空間を揺らし、数トンはある蟹座の体が、まるで打たれた白球のように真上へと垂直に打ち上げられた。
「な……何という威力……!?」
二夜が上空で目を見開く。直後、上空の『射手座』から放たれた矢と、『蠍座』の伸縮する巨大な刺突が、地上で隙だらけになった椿へ向けて同時に襲いかかった。
「椿ちゃん!?」
晴美が悲鳴を上げる。だが、椿は逃げなかった。
「防ぎ切る……! 私の『ぬりかべ』なら……全部止められる!!」
高められた勇者システムが、椿の前に難攻不落の巨大なエネルギー障壁を展開する。刺突と光矢が障壁に激突し、激しい閃光と爆風が吹き荒れたが、障壁はヒビ一つ入らなかった。
「防げた……!? なんで……なんでこんなに強くなってるの……!?」
自分の圧倒的な防御力の上昇に、椿自身が驚いて目をまたたいた。
だが、椿が地上で一方的に三体から狙われる構図を良しとしない少女がいた。
「晴美! 私をあの『蠍座』の頭上へ投げ込みなさい!」
「えっ!? 二夜ちゃん、そんな無茶──」
「いいから投げなさい! 椿さんだけに負担をかけさせはしません!」
「……わかった! えいっ!!」
晴美は上空で二夜の身体を力任せに旋回させ、地上で刺突を繰り出そうとしていた『蠍座』へ向けて投げ落とした。
弾丸となって落下していく二夜。
それを見迎えるように、蠍座の巨大な毒針(刺突)が、真下から二夜の胸を貫こうと一直線に伸びてきた。
死の直線。しかし、二夜の表情に恐れはなかった。
「舐めるな……ッ!」
落下しながら、二夜は自由に動く『左足』のつま先で、襲いかかる毒針の先端を寸分の狂いもなく蹴り落とした。攻撃の軌道を強引に逸らし、毒針の背を滑るようにして死の懐へと潜り込む。
「ハァァァっ!!」
空中での一閃。
白銀の刀が描いた弧が、蠍座の巨大な頭部を真っ二つに叩き割った。
ズザザ、と二夜は着地した。動かない右脚を庇い、片方の翼と一枚の刃を地面に突き立てて、器用に一本足でバランスを取りながら着地の衝撃を削殺してみせた。
「なんとかッ……!」
そこへ、椿に打ち上げられて落下してきた『蟹座』が、巨大な板を振りかざして二夜の背後から襲いかかる。
「二夜ちゃん、後ろ!!」
上空の晴美から放たれた高火力の炎弾が蟹座の顔面に直撃し、視界を奪う。そこへ、地を蹴った椿の超高速シールドバッシュが横合いから叩き込まれた。
バギィン、と蟹座の巨体が再び吹き飛ばされ、遠くの樹海へと激突した。
敵三体を翻弄する怒涛の連携。
あまりにもスムーズすぎる動きと、溢れ出る異様なまでの力の高揚感に、三人は戸惑いつつも、確かな手応えを感じていた。
正直、勝てると思っていた。 理由は何であれ、この力があれば、自分達は三体同時に相手にしても、絶対に勝てる、と。
二夜が刀を構え直し、椿と背中を合わせ、晴美が上空から援護の体制を整えた。
誰もが、このまま無傷で勝利を掴めるのだと、そう確信した瞬間だった。
一瞬の、本当に一瞬の油断だった。
上空で援護射撃を行っていた晴美の視界の端で、横転していた『蟹座』の板が不気味に発光した。
直後、遠方にいた『射手座』が解き放った高速の矢。
その攻撃は、晴美を狙ったものではなく、地面の『蟹座』の特殊な鏡面板に向かって放たれたものだった。
それは反射する。
「あっ——」
晴美が声を漏らした瞬間には、すでに遅かった。
蟹座の甲羅で屈折・増幅された極太の光の束が、上空で無防備になっていた晴美の腹部と肩貫き、後方へと突き抜けていた。
「晴美ちゃんっ!?!」
「晴美!!!!」
椿と二夜の裂けるような叫びが、樹海空間に虚しく響き渡った。
◆
身体を矢に穿たれ、上空から人形のように力なく落ちてくる晴美の身体。
「晴美ぃッ!!」
二夜は動かない右脚の感覚も忘れ、片足で地を蹴り、滑り込むようにして落下する晴美の身体を腕の中で受け止めた。
「晴美! 晴美!! しっかりしなさい!」
二夜の白銀の勇者服が、晴美の胸から溢れ出す大量の血液で真っ赤に染まっていく。
晴美の呼吸は途切れ途切れで、瞳からは急速に生気が失われつつあった。勇者システムのバイタル警告音が、耳を刺すような高音で鳴り響き続ける。
「いや……嫌だ……! 晴美ちゃん!」
椿が駆け寄り、自分の障壁で三人を取り囲むように全方位を防御した。
障壁の外側では、射手座と蟹座、そして頭部を割られながらも再生を始めた蠍座の三体が、獲物を追い詰めたように不気味に蠢いている。
「一時撤退するよ! 私が全出力で道をこじ開ける! 二夜ちゃん、晴美ちゃんを抱えて逃げて!」
椿が涙を流しながら叫んだ。だが——
二夜の腕の中で、晴美が力なく首を振った。
血の混じった吐息を漏らしながら、晴美は微かな、しかし透き通るような声で二人へ告げた。
「……ううん……だめだよ、二人とも……。……もう、手遅れなの……自分の体だから……わかるよ……」
「そんなこと言わないで! 病院へ行けば……大赦の医療なら何とかなるから!」
「……無理だよ……身体の中が……一部無くなってるもん……」
晴美は弱々しく微笑み、二夜の胸元を小さく掴んだ。
「……逃げても……この子たち(バーテックス)をここで倒さなきゃ……現実が……お兄ちゃんが……みんなが死んじゃう……。……だったら……私を置いて……ここで、全部始末して……」
「愚かなことを言わないでくださいッ!!」
二夜が声を荒らげて叫んだ。その目から、ボロボロと大きな涙が溢れ出る。
「貴女を置いていくわけがないでしょう! 三人で……三人で無事に帰って、遊びへ行くと言ったではありませんか! 私に……私にこれ以上、大切なものを失なわせないで!!」
二夜の悲痛な叫びを聞き、晴美は愛おしそうに目を細めた。
「……二夜ちゃん……ありがとう……」
晴美は残されたすべての生命力を振り絞り、自分の杖を二夜の身体へと押し当てた。
晴美の全身から、眩いばかりの暖かな炎が溢れ出し、二夜の勇者端末へと流れ込んでいく。晴美の精霊『遊火』が発動し、新たな精霊能力が覚醒した瞬間だった。
『概念付与──代償転嫁』
晴美の精霊能力は、自身の負うべき「不可逆の代償や反動」を、特定の対象へとなすりつけ、付与する力だった。
「……晴美……? 何を……」
二夜が呆然とする中、晴美は二夜の耳元へ口を寄せ、途切れ途切れの小さな囁きを吐き出した。
「……ねえ、二夜ちゃん……。……継人君と……二人で逃げても……いいんだよ……?」
「……っ!?」
二夜の身体が跳ねた。
「……二夜ちゃんは……あんなに頑張ったんだもの……。足が動かなくなっても……誰よりも優しくて……気高くて……。……継人君もね、二夜ちゃんのこと……すごく心配してる……。……二人で……遠くへ逃げて……幸せになって……」
血を吐きながら、自分自身の命が消えゆくその最期まで、他人の幸せを心から願う少女の無垢な言葉。
二夜の胸が、はち切れんばかりの感情で押し潰されそうになった。
「断ります……ッ!」
二夜はボロボロと涙を流しながら、晴美の目を見つめて力強く首を横に振った。
「嫌です……! 私は逃げません! 逃げて守られるだけの惨めな自分なんて……絶対に選ばない! 私は……最後まで……貴女たちと共に戦います!!」
二夜の魂の叫びに、晴美は満足そうに「ふふ……二夜ちゃんらしいや……」と小さく笑った。
「椿! 防壁を解きなさい!」
二夜が立ち上がった。動かない右脚を、晴美から与えられた暖かな炎の精霊光が包み込む。
二夜は勇者端末の出力を、上限を超えて極限まで引き上げた。大赦が設定した安全装置を完全に破壊する——『最大出力のリミッター解除』。
本来ならば、この出力を解放すれば、二夜の身体は一瞬で崩壊し、全神経が焼き切れて即死するはずだった。
しかし──晴美が最後に遺した能力『代償転嫁』が奇跡を起こした。
二夜の身体にかかるはずだった絶大なリミッター解除の反動、神経破砕の激痛、そして死の代償の全てが、晴美の精霊光を媒介にして、目の前の三体のバーテックスへと一括して転嫁されたのだ。
「おおおおおあぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
二夜の身体から放たれたのは、樹海空間全体を白銀に染め上げるほどの絶大な剣気だった。
三体のバーテックス(蠍座・蟹座・射手座)が、自らの体内に突如として発生した「二夜の自滅の反動」による内部崩壊を起こし、苦悶の叫びを上げて硬直する。
その奇跡の好機を、二夜は見逃さなかった。
一本足で地を爆発させ、空間そのものを切り裂く速度で突撃する。
「これで……消えなさぁぁぁぁぁぁっっい!!」
一閃。
白銀の光が交差し、三体の巨大なバーテックスの体が、寸分の狂いもなく同時に真横へと両断された。
ドォォォォォォォォォン……!!
三つの巨大なコアが同時に砕け散り、樹海を揺るがす大爆発を起こして消滅していく。
勝った。三体という絶望的な数の完全体バーテックスを、彼女たちは打ち倒したのだ。
しかし──樹海の崩壊が始まる静寂の中で、歓喜の声を上げる者は誰もいなかった。
勇者服が解除され、白い病院の服に戻った三人が、地面に倒れ伏す。
椿と二夜は、力なく横たわる晴美の身体を抱きかかえた。
晴美の胸の傷からは、もう血すら流れ出ていなかった。顔色は紙のように白く、体温が急速に失われていく。
「晴美ちゃん……晴美ちゃん……!」
椿が晴美の手を握り締め、子供のように声を上げて泣いた。
晴美は、霞む視界の中で二人を見つめ、最後に残された力を振り絞って、柔らかく微笑んだ。
「……二人とも……無事で……よかった……」
「謝らないでよ……! 約束したじゃん! 遊びに行くって! ラーメン食べるって! 冬休みも、クリスマスも……ずっと一緒だって!!」
「……ごめんね、椿ちゃん……。……約束……破っちゃった……」
晴美の瞳から、一筋の涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
そして、晴美は空を見上げ、ぽつりと呟いた。
「……お兄ちゃんには……悪いこと……しちゃったなぁ……」
それが、桑折晴美の最期の言葉だった。
握られていた晴美の手から、すっと力が抜けた。
樹海空間が光の粒子となって崩壊していく中で、二人の少女の慟哭が、どこまでも切なく響き渡っていた。
◆
現実世界の病院の一室。
晴美の遺体は、大赦の手によって即座に回収され、不自然な「病死」として処理された。
妹の死を知らされた桑折春雄は、病院の廊下で膝から崩れ落ち、声を押し殺して泣き崩れた。継人はただ、壁に背を預けたまま、拳を握りしめて唇を噛み切るほど強く噛んだ。
「……残りは、6体だ」
大葉家の居間で、継人は冷たい声で呟いた。
バーテックスの総数は全部で12体。
今回の3体を倒したことで、残るは6体となった。
だが、晴美を失い、二夜の右脚が動かない現状で、残り6体の完全体を椿と二夜の二人だけで倒し切ることは、客観的に見て不可能だった。
「……俺のプログラムが、甘かったんだ。俺が……晴美さんを殺した……」
自分の無力さに苛まれ、頭を抱える継人。
そんな継人の前に、椿が歩み寄ってきた。
椿の瞳には、涙の痕が残っていたが、その奥には見たこともないほど苛烈で静かな意志が宿っていた。
「継人。自分を責めないで」
椿はポケットから、一泊の混乱の中で事故現場から勝手に持ち帰ってきた『晴美のスマートフォン』を取り出し、テーブルの上に置いた。
「晴美ちゃんの能力……『代償転嫁』の能力を、晴美ちゃんのスマホから抽出して。そして、それを私の端末に移植してほしいの」
「……な……何を言ってるんだよ」
継人が目を見開いた。
「晴美ちゃんが死んだからって、私たちの戦いは終わらないよ。……だったら、私が晴美ちゃんの分の役割も全部背負う。晴美ちゃんの『遊火』の力を私が継承して、二夜ちゃんを守る後方支援も、前衛も、全部私がやる」
「そんなことをしたら姉貴の身体が保つわけないだろ」
「保たせるのよ」
椿が継人の両肩を強く掴み、顔を近づけた。
「晴美ちゃんが命を懸けて守ったこの世界を、二夜ちゃんを、継人を……私は絶対に死なせない! 頼むよ、継人……! 私に、晴美ちゃんの力をちょうだい!!」
継人は椿の悲壮なまでの覚悟に押し潰されそうになりながらも、キーボードへと手を伸ばした。
死した少女の力を、残された少女へ移植する。
禁忌の上に禁忌を重ねる、最悪の改造作業が始まった。
◆
晴美の死からわずか一週間後。
四度目のバーテックス侵攻が勃発した。
現れた敵は4体
一度に押し寄せる脅威としては過去最大だった。
樹海空間へ降り立ったのは、椿と二夜の二人だけだった。
「二夜ちゃん……行くよ!」
「ええ……! 私たちの力を……晴美の想いを、ここで見せてあげましょう」
二人の連携は、異様なまでの完成度に達していた。
椿は自信の高速移動と障壁に加え、継人によって移植された晴美の杖を担ぎ、前衛と後衛の役割を一人で完璧にこなしながら戦場を縦横無尽に駆け巡る。
動かない右脚を庇う二夜を、椿が晴美の杖で抱えて高速移動し、絶妙な位置へと二夜を投下する。そして二夜のリミッター解除の代償を相手に転嫁し、動きを止める。
二夜は空中から一閃を繰り出し、敵のコアを穿つ。
互いが互いの死角を完璧にカバーし、言葉を交わさずとも意図を汲み取れる、素晴らしいチームワーク。
今までにないほどの戦闘効率で、二人は四体のバーテックスを次々と撃破していった。
しかし──奇跡のような勝利の代償は、あまりにも残酷だった。
戦闘解除と同時に、二人は激痛の叫びを上げて崩れ落ちた。
晴美の精霊能力を強引に重複移植された椿の内臓は深刻なダメージを負い、吐血が止まらなくなっていた。
そして二夜は、右脚に続いて『左腕』の感覚を完全に失い、肩から下がだらりと力なく垂れ下がっていた。
残るバーテックスは、あと2体。
だが、二人の身体はすでに、次の戦闘に耐えられる状態ではなかった。
「……もう、限界だ」
病院のベッドで横たわる二人の痛々しい姿を見た継人は、静かに立ち上がった。
継人は二人にも、春雄にも何も告げず、単身で大赦の本部施設へと向かった。
施設から出てくる黒塗りの車、その中の一台を目を付ける。そこに乗っている人間の調べはついていた。大赦の最高神官の一人で、現勇者関係の最高責任者、そして最高神官の中では一番"下"。向上心のある人物であり、若くして最高神官になっている。
その黒塗りの車が停止した際に継人はスルリと後部座席に入り込み、最高神官の隣に座り込む。
最高神官はぎょっとした顔で継人を見た。だが、すぐに彼が何者なのかわかったようだった。
「大葉……継人君だったか?何故このような事を?」
「姉貴達の勇者の任を解いて欲しい、これ以上戦わせたら、あいつらは死ぬぞ」
最高神官は、暖かな目で中学生の継人を見下ろした。わがままを言う子供を諭すような目だ。
「……大葉君、彼女たちは神樹様に選ばれた尊い方々です。人類の存亡がかかっているのです、おいそれと降りれる任ではないのです」
「死ぬことがわかっていても?データは勝手に見せてもらってる、そちらの状況はわかっているものとして話してもらいたい」
「……どうやって見たのですか……、状況を知っているのであれば、もうわかっていますね?……新たな『適性者』を見出し、次の勇者として立てるしかありません。ですが、現在の勇者システムでは適合率の判定に時間がかかり、次の侵攻までに新しい勇者を準備するのは不可能です。ゆえに、彼女たちには最後まで戦ってもらうほかありません」
継人は予定通りの回答が来たか、と"歯を食い縛り"、ポケットから一枚のデータディスクを取り出して最高神官に渡した。
「これは?」
「"既に俺が勝手に搭載させてもらっている"神樹の力を高効率で使用出来るプログラムだ。これを使えば、前のバージョンに比べて段違いに出力が上がる、代償はそのままだがな、直近2回分の戦闘データは確認してるだろ?」
最高神官は懸念していた事案の解答が目の前にあることに驚いていた、その上で値踏みするような目付きにもなった。目の前の子供がどれ程の価値を持つか判断している、そういう目だ。
「……あれは君がやったのか……大赦の技術者でもあれが限界だったのに」
「……そしてもう一つ、"勇者適性診断プログラム"、最初期の勇者の血縁を調べなくても済む、採血診断で適性者が判別出来るようになる」
「それで代わりの者を探せと?我々も適性者を見付ける技術はある程度確立している、君のそれが無くても我々は見つけ出すことが出来る」
「"ある程度"、時間がかかる手法しか無いのは知ってる、これは診断プログラムを走らせるだけで適性者をピックアップ出来る。それにこれは俺の"手柄"じゃなくても良いはずだろ?」
「私の作った物として使えと?」
「先ほどの効率化プログラムもそちらの開発した物として構わない、ただし条件として、適性者システムの構築と勇者システムアップデート作業に俺が参加する、……その代わり、椿と二夜を今すぐ勇者の任から解放しろ、二度とあいつらに勇者システムを触らせないと約束してほしい」
最高神官は思案する、やがて満足そうに頷いた。
「……分かりました。貴方の頭脳と引き換えに、彼女たち二人の戦闘義務を解除し、新しい勇者を選出することを約束しましょう」
「……約束だぞ。絶対に、あいつらを巻き込むな」
継人は自分の自由と未来を大赦へ売り渡した。あいつらの命を救えるなら、そんなものは安い代償だった。
◆
継人の提供したプログラムにより、大赦は即座に全域から新たな勇者候補の選出を開始した。
最新の勇者システムが開発され椿達がこれ以上戦わなくてもよいという決定が下された。
「……良かった……! 本当に良かった……!」
事の顛末を聞いた春雄は、継人の肩を抱きしめて涙を流した。
「これで……晴美が命を懸けて守った二人も、助かるんだな……」
二人が戦わなくて良くなったことを心から喜び、継人と春雄は、椿と二夜の入院する病室へと駆けつけた。
退院の準備をし、二人を大葉家へ連れて帰り、今度こそ温かい日常を取り戻すために。
「姉貴、二夜、終わったぞ、もう戦わなくて──」
バン、と病室のドアを開けた継人の言葉が、喉の奥で凍りついた。
病室は、もぬけの殻だった。
ベッドは綺麗に整理され、昨日までそこにあったはずの二人の私物も、車椅子も、すべてが消え去っていた。
「……な……なんだ…どこへ…?」
春雄が慌ててナースステーションへ走る。
そこへ、黒いスーツを着た大赦の男が一人、静かに歩み寄ってきた。
「……大葉継人君ですね」
「お前ら……姉貴と二夜はどこへやった」
継人が男の胸倉を掴みかからんほどに詰め寄る。
しかし、男の表情はピクリとも動かなかった。
「……ええ。約束通り、彼女たちを『次のバーテックス侵攻で戦わせる』ことはありません。……ですが、大赦として、彼女たちには最後の最後まで勇者だった者としてお役目についてもらうことになりました」
「何の話だ……?」
男は淡々と、血も涙もない決定事項を告げた。
「大葉椿は、新しい勇者たちが万が一バーテックスを撃退できなかった際の『最終切り札』として、大赦の最深部施設にて冷凍睡眠の処置が施されました」
「冷凍……睡眠……!?」
「そして相良二夜は……神樹の境界領域を解析した我が本部の研究一派へ引き渡されました。今後、研究陣に大赦内部で従順に従わせるための交換材料として」
「……ふざけるな、貴様等最初からそのつもりだったな?」
「いいえ、上の方々の苦渋の決断です」
「苦渋だぁ……?」
騙された。
大人たちは、最初から継人の技術だけを奪い取り、用済みとなった少女たちを最後の最後まで生贄として搾り取るつもりだったのだ。
去っていく黒服の背中を睨み付けながら継人は立ち尽くす。
怒りに任せてその背中に飛び掛かろうとしたところで春雄に肩を掴まれる。
「やめろ…… 継人」
「放せ、 あいつらを……あいつらを助けに行かなきゃならねぇだろ」
「落ち着け、その前にアイツを殴り殺すのか?それに今お前が突っ込んでも犬死にするだけだ」
春雄はボロボロと涙を流しながら、継人を止めていた。それを見た継人は血が出るほど握り込んでいた手を緩めた。
「晴美が……晴美が命を賭して守ったこの時間を、あいつらが繋いだこの命を……お前の無駄死にで終わらせるつもりか?」
「ならどうすればいい、 姉貴は凍らされて……二夜は実験道具にされて……俺は何のために……」
継人は苦々しい顔になる。春雄は涙を拭い、落ち着いて話し掛ける。
「……椿くんの冷凍睡眠は……短期間での強行処置だ。今の壊れかけた彼女の身体に多大な過負荷がかかる以上……今すぐ強引に解凍すれば、彼女の命そのものが持たない……」
「……っ……」
「だが……二夜ちゃんだけなら…… 二夜ちゃんだけでも取り戻すことなら、まだ可能性があるはずだ、俺たちの手で……二夜ちゃんを取り戻す」
春雄の言葉に、継人は冷静になる。二夜だけでも、取り戻す。明確な目的が男2人を繋ぎ止めていた。
それが、絶望の中で残された、唯一の細い蜘蛛の糸だった。
継人は、血の滲む唇を強く噛み締め、その瞳から感情が消え去り、冷たく、漆黒の深淵のような絶対の復讐心だけが宿っていた。
「……わかった」
継人はゆっくりと歩き出す。目的の為に。
「二夜を取り戻す、しかしあいつらには俺達を騙した償いはしてもらう」
少年と青年の胸に暗い炎が宿った日だった。