大赦との取引から、一年という月日が流れていた。
継人が提供した最新の適性診断プログラムと高効率化システムによって、全国から新たな少女たちが次々と「勇者」として徴用されていった。しかし、機能が改善されたとはいえ、神樹の恩恵を引き出す代償が消え去ったわけではない。大赦から送られてくる極秘データの中には、新しく選ばれた勇者たちの死亡通知が、無機質な数字として淡々と刻まれ続けていた。
そんな少女たちの犠牲を横目に、継人と春雄は水面下で大赦への工作を続けていた。
神樹を解析する大赦の急進派に対し、彼らが喉から手が出るほど欲しがっていた「神樹の解析データの完全解読」を提供する──その莫大な成果と引き換えに、継人たちはついに相良二夜の身柄を取り戻すことに成功したのだった。
だが、大赦の地下施設から引き渡された二夜の姿を目にした瞬間、継人と春雄は息を呑み、言葉を失った。
「二夜……ちゃん……?」
春雄の声が震える。車椅子に座る二夜の身体——その小さな腹部は、不自然なほど大きく膨らんでいた。
「……現役の勇者が妊娠した場合、誕生する子供の能力や適性はどう変化するか、それを調査してました」
冷淡な大赦の研究員は、そう言い捨てた。
二夜は大赦の急進派の手によって、遺伝子改造を施された胚を胎内に入れられ、人工的に妊娠させられていたのだ。そしてその遺伝子改造技術のベースには、皮肉にも継人が大赦に渡した脳神経や身体機能の再生理論が不完全に悪用されていた。
「すまない……俺がもっと早く……」
病院の別室で、継人は膝をつき、二夜の膝に頭を擦り付けて激しく謝罪した。自分の知識が、大切な少女を弄ぶ実験に利用されていたという凄絶な後悔が、継人の心を苛む。
だが、動かない左手と大きくなったお腹を抱えた二夜は、残された右腕で優しく継人の頭を抱きしめた。
「謝らないで、継人……。……また、こうして会えた。……私、すごく嬉しいんですよ……」
二夜の声には怨嗟も絶望もなく、ただ継人と再会できたことへの純粋な温もりが宿っていた。
継人は二夜を、大赦でも病院でもなく、自身の実家である大葉家へと連れて帰った。一刻も彼女のそばにいたいという継人の強いエゴだった。
しかし、事情を知らない大葉家の居間では、未曾有の修羅場が巻き起こっていた。
「ただいま、父さん、母さん——」
娘である椿が冷凍睡眠となり、失意の底にあった継人の両親。そこへ、中学生の息子が、自分と同い年くらいのお腹の大きい女の子の手を引いて帰ってきたのだ。
「……おい継人。これは、どういうことだ……?」
父親の顔が怒りと困惑で般若のように般若のように歪む。
「ああ親父、少し話が」
「言い訳無用ッ!!」
ドガア、と父親の起死回生のドロップキックが、継人の顔面にクリーンヒットした。吹き飛んで畳の上を転がる継人。
「継人!?」
「あなた! どいて!あたしもやるわ!」
母親が叫び、父親をどかして継人をひっぱたく。その後、必死に誤解を解こうとする継人だったが、一部真実を隠しながら説明したため、さらに混迷を極め、説明の合間に母親からもパンチやビンタを2〜3発顔面に叩き込まれる羽目になった。
ようやく両親が落ち着き、二夜が「大赦の特殊な医療実験の被害に遭ったこと」「自分たちは決して不真面目な関係でそうなったわけではないこと」をぼかして説明すると、両親の態度は一変して深い同情へと変わった。
「二夜ちゃん……大変だったわね。でも、それならご実家のご家族に連絡して、ご両親のもとで静養したほうが──」
「いえ……っ!」
二夜は車椅子の上で深く頭を下げ、膝の上で動く方の右手を強く握りしめた。
「我が儘なのは分かっています……。ですが、私……継人君と一緒に居たいんです。継人君のそばに居させてください……!」
必死な二夜の訴えと、継人の決意に満ちた目を見た両親は、ついに折れた。こうして、大葉家での二人の静かな同居生活が始まった。
◆
その夜。風呂上がりの二夜の濡れた髪を、継人は部屋でドライヤーを使って優しく乾かしていた。
静かな部屋に、ドライヤーの温風の音だけが響く。
「……継人」
不意に、二夜が小さな声で呟いた。
「なんだ?」
「……大赦の人たちの所に居る間ね、私の身体のこと、色々と調べられたんです。……子供を産めるかどうかを調べるためだったみたいですけど……」
ドライヤーを動かす継人の手が、かすかに止まる。
「……私の身体……もう、ボロボロなんですって。勇者システムを使った反動と、内臓へのダメージが重なりすぎて……あと10年、生きられるかどうか分からないって言われました」
継人の位置からは、二夜の表情は見えない。
だが、彼女の肩は、驚くほど小さく、儚く、そしてかすかに震えていた。
10年。15歳である彼女の寿命は、25歳までもたないという宣告。
継人は静かにドライヤーのスイッチを切り、部屋に静寂が戻った。継人は二夜の肩にそっと手を置き、努めて軽やかな、しかし揺るぎない声で語りかけた。
「……なら、目指すは40代だな」
「え……?」
二夜がハッとして、涙の滲んだ瞳で振り返る。
「あと10年なんて冗談じゃない。俺と春雄でお前たちから奪われたもの……動かない右脚も、左腕も、縮んだ寿命も、全部奪い返してやる。だからそれまで、諦めずに生きていてくれ」
継人は二夜の目を見つめ、優しく、包み込むように語りかけた。
二夜は呆然と継人を見つめ、やがてポロポロと大粒の涙をこぼしながら、吹き出すように笑った。
「ふふ……なんですかそれ……。そんなに長生きしたら、私……おばちゃんになっちゃいますよ……」
「おばちゃんになっても構わないさ。俺もおじさんになるんだからな」
二人の間に、束の間のかけがえのない絆が確かめ合われた瞬間だった。
◆
翌日。継人は大赦から提供される勇者システムの運用データと向き合っていた。
中学生でありながら開発の核心に携わる継人のもとには、日々、戦闘で死亡した新しい勇者たちのリストが送られてくる。
画面をスクロールしていた継人の指が、ある名前で止まった。
『戦死:最高神官・〇〇の娘(享年14)』
それは、一年前、継人が「二夜たちの解放」を条件に取引を行った、あの最高神官の娘の名前だった。
継人の胸に浮かんだのは、哀悼でも悲しみでもなく、「当然の報いだ」という冷徹で乾いた感想だった。
自分に呆れた。
継人は自嘲気味に息を吐いた。
かつては他人の不幸に胸を痛めていたはずの自分が、いつの間にか「あちら側」──大赦の大人たちと同じ思考に染まりきっていた。
他人などどうでもいい。自分の大切な人さえ守れれば、他の誰かの子供が死のうが知ったことではない。そんな都合の良い大人と同類の思考。
死んだその少女もまた、誰かの大切な存在であり、何かを守るために戦って散ったはずなのだ。それにもかかわらず、今の自分は彼女の死を「単なる数字」として処理している。
「……あーあ」
誰もいない部屋で、継人の虚しい溜息だけが深く溶けていった。
◆
二夜が大葉家に身を寄せてから、穏やかな日々が流れていった。
世界では相変わらずバーテックスの脅威が続き、見知らぬ若い少女たちが勇者として選ばれ、そして命を散らしていたが、この小さな部屋の中だけは静かな時間が守られていた。
二夜はお腹の子供を慈しみながら、継人の帰りを待つ日々を送っていた。
しかし、大葉家に帰ってきてからというもの、二夜は一度も自分の実の母親と顔を合わせていなかった。実家からの連絡もなく、二夜自身も「合わせる顔がない」と避けていたため、二人(継人と二夜)は「このまま会わなくてもいいだろう」と判断していたのだ。
だが、ある日見舞いに訪れた春雄が、真剣な面持ちで二夜に告げた。
「二夜ちゃん。……家族には、会える時に会っておいた方がいい。……俺みたいに、晴美を失ってからじゃ……二度と話すことも、誤解を解くこともできなくなるんだから」
晴美を亡くした春雄の言葉には、重い実感がこもっていた。
その言葉に背中を押された二夜は、「とりあえず連絡してみるか……」と、一年ぶりに母親の携帯へメッセージを送った。
すると、送信した数秒後、画面が割れんばかりの『爆速』で返信が届いた。
『今すぐ会いに行きます。どこにいるの!?』
あまりの返信速度に二夜は驚き、結局、継人が車椅子を押して二夜の実家へと向かうことになった。
二夜の実家の玄関前に到着し、インターホンを押した瞬間だった。
ガチャン、 と猛烈な勢いでドアが開く。
「二夜!?」
出迎えた二夜の母親は、車椅子の娘と、その横に立つ「娘のお腹を大きくした男」の姿を視界に収めた瞬間、目にも留まらぬスピードで跳躍した。
「このクソガキャぁぁぁぁッッ!!」
ドガア、と継人の顔面に、二度目のドロップキックが炸裂した。
あまりの神速と破壊力に、継人はガードすらできず壁まで吹き飛んだ。初見かつ容赦のないその一撃は、油断していたとはいえ継人にドロップキックを食らわせる程度の戦闘力を誇っていた。
「待って、お母さん! 違うの! 誤解だから!!」
「お腹が大きいのは誤解じゃないでしょう!!?」
慌てる二夜の叫びも虚しく、誤解を解くまでの数分間の間に、継人は母親の鋭いフェイントからの拳を顔面に2〜3発叩き込まれる羽目になった。
「……痛たた……」
顔を腫らし、頬を擦る継人の横で、二夜は久しぶりに母親と正面から対面した。
一年ぶりに見る母親の顔は、以前よりも少し痩せてやつれ、目元には深いクマが刻まれていた。二夜は「私のせいで、こんなに心配をかけたんだ……」と胸を痛めた。
母親は腫れ上がった継人を一瞥した後、着座して二夜と向き合い、静かに尋ねた。
「……二夜。……どうして、そんな身体になったの。……全部、話しなさい」
二夜は誤魔化すことをやめた。
いままで起きた全ての出来事──思い出したくもない友人の凄絶な死、勇者システムの真実、お腹に宿った実験の子供のこと、動かない右脚と左腕、そして内臓の機能不全による「残り少ない寿命」のことまで、一から十まで包み隠さず打ち明けた。
母親は、二夜の話を黙って聞いていた。涙を流すこともなく、ただ拳を握り締め、娘の言葉を一つ残らず噛み締めるように。
話し終えた二夜に対し、母親は静かに立ち上がると、二夜の車椅子の前に膝をついた。
そして、二夜の動かない左手を、両手でそっと包み込んだ。
「……貴女はね。良くこの左手で……あの人の手を握っていたのよ」
母親の小さな声が響く。
「……貴女が初めて歩いた時も、この右足から踏み出していたわ。……身体が弱くて病死したあの人と違って、元気いっぱいだった貴女を見ながら……あの人は『二夜は長生きするなぁ』って、嬉しそうに笑っていた……」
母親の目から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。母親は震える手で、二夜の頬に触れた。
「……貴女の目は、あの人に本当に良く似ている……。私とあの人は、一緒にはなれなかったけれど……あの人は私に、貴女という最高の宝物を遺してくれた。……だから私が立派に育てなきゃって、一生懸命厳しくしたの。父親の役目も果たさなきゃって、プライベートを全部捨てて仕事をして……その背中を見せようとした……」
母親の声が、激しい哭泣に変わっていく。
「だから……貴女が勇者に選ばれた時、私は『自分の育て方は間違っていなかった』って誇らしかった……! でも……こんなの……今の貴女を見たら、間違っていたって分かるじゃない……!!」
母親は二夜の膝に顔をうずめ、子供のように泣き崩れた。
「私は……貴女に立派になって欲しかっただけなの……! あの人よりも長生きして欲しかった……! 私たちなんかより、ずっとずっと幸せになって欲しかった……! なのに……こんなはずじゃなかった……!」
自分を責め、慟哭する母親。
二夜は最初、驚きに目を見開いていたが、やがて優しく目を細めた。そして、唯一自由に動く右手で、母親の背中をそっと撫でた。
「……お母さん」
二夜の声は、どこまでも穏やかだった。
「私……こんな身体になっちゃったけど、自分の人生が間違っていたなんて、一度も思っていません」
「二夜……っ」
「勇者になれて……大好きな友達と一緒に、みんなを守ることができた。……だから、間違っていたなんて言わないで。……ねえ、お母さん。お願いだから泣かないで……私を褒めてください。……私、すごく頑張ったんですよ?」
車椅子の上で、二夜は晴れやかな笑顔を浮かべて見せた。
母親は泣きじゃくりながら顔を上げ、愛おしくてたまらないというように、二夜の身体を力いっぱい抱きしめた。
「……ええ……ええ……っ! 良くやったわ……二夜……! 本当に、良く頑張ったわね……ッ!!」
母と娘。継人は腫れた顔を歪めながらも、その温かな光景を静かに見守っていた。
◆
それから、さらに三ヶ月の時が流れた。
季節は巡り、勇者の犠牲者はついに【二桁】に達していた。
バーテックスの襲撃スパンは加速度的に短くなり、新システムで大量擁立されたはずの勇者たちでは、もはや防衛線を維持できなくなっていた。
二夜のお腹はいよいよ大きくなり、臨月を迎えようとしていたある日。
大葉家の玄関を、黒いスーツに身を包んだ大赦の使者が訪れた。
「……相良二夜さんにご同行願いたい」
使者は冷徹な声で告げた。
「現存の勇者戦力は限界を迎えている。新たな勇者の補充も追いつかない。……この未曾有の危機を一時的に回避し、神樹様の怒りを鎮めるためには、緊急で『奉火祭』を執り行うほかない」
「奉火祭……だと?」
継人が使者の胸倉を掴み上げる。奉火祭とは、凄絶な生贄の儀式であることくらい、継人は大赦のデータで知っていた。
「今の巫女たちを全員生贄にしたところで、天の神の攻勢を止めることはできない。……神樹に最も近く、極めて高い巫女適性を持ち、かつ神樹の力を胎内に宿した相良二夜……彼女を奉火祭の贄とすることでしか、この状況を打破できないのだ」
使者はそれだけを言うと、立ち去ろうとした。
「ふざけるなッ!! 二夜はもう勇者じゃない! 俺との取引で解放されたはずだろ!!」
怒り狂う継人。しかし、使者の去った後、二夜は静かに言った。
「……継人、私……いきます」
「な……何を言ってるんだ二夜、冗談だろ…」
二夜の瞳には、かつて勇者として戦場に立った時以上の、悲壮で絶対の覚悟が宿っていた。
「わかっているでしょう、継人………このままじゃ、世界が滅んで……継人も、春雄さんも、お母さんもみんな死んでしまう……、私が行くことでみんなが助かるなら……」
「ダメだ! 俺が……俺が別の方法を考える、だからそれまで……」
継人は必死に二夜を説得した。だが、継人自身も大赦の内部データを誰よりも理解しているからこそ、知っていたのだ。──もう、時間が残されていないということを。他に方法がないということを。
二夜は継人の手を取り、自分の大きくなったお腹へと当てさせた。
「……でもね、継人君。一つだけ……ワガママを聞いてほしいの」
二夜は愛おしそうにお腹を見つめ、微笑んだ。
「……この子だけは、産みたいんです。……私が生んだこの子を、一度でいいからこの手で抱きしめたい。……そのあとになら、私……どんな運命でも受け入れますから」
「二夜……」
「だから、もう少しだけ……待ってくださいね」
二夜の固い決意に、継人はなすす術もなく、ただ彼女の手を握りしめることしかできなかった。
だが、大赦はそのささやかな願いすら踏みにじった。
翌日。継人が大赦との交渉の手がかりを探すため、一時的に家を空けたわずかな隙を突かれた。
一人で家にいた二夜のもとへ大赦の部隊が押し寄せ、彼女は力ずくで拉致されたのだった。
◆
二夜を強制的に拉致し、奉火祭を強行した主犯──それは、かつて二夜を非道な遺伝子実験の材料にした大赦の「急進派」であった。
彼らのトップである最高神官は、自分の実の娘が次の勇者候補として選ばれそうになったことに狼狽し、我が子を救うための「防波堤」として、奉火祭でバーテックスの侵攻を無理やり終わらせようと企てたのだ。
「やめて……! お願いです、お腹の子だけでも……! この子を産ませてください!!」
暗く冷たい奉火祭の祭壇、結界の境界の壁の上で、二夜は動かない身体を狂おしいほどに捩らせ、号泣しながら乞うた。
大人たちは二夜の悲痛な叫びを冷酷に無視し、彼女を境界の際、結界の外へと追いやる。
結界を超えると見えていた青空や地平線は消え去り、真っ暗な世界と延々と燃え続ける炎だけが存在する世界が広がっていた。
そして、二夜はその際から落とされた。
天の神の炎が、二夜の身体を、そして命を焼き尽くしていく。
愛する人の名を叫び、お腹の子を守ろうと拒絶しながら、相良二夜は——絶望と、怨嗟と、胸をかき乱す後悔にまみれながら、激痛の中で焼失していった。
◆
継人は二夜を必死に探していた所、春雄から二夜の死を知らされた瞬間。
大葉継人の中から、すべての「感情」が消え去った。
涙も出なかった。叫びも出なかった。
ただ、彼の顔から「笑顔」という機能が完全に喪失した。
継人は自室のデスクに向かい、静かにPCを立ち上げた。
そして、二夜を実験に巻き込み、奉火祭を実行した大赦の一派、最高神官、研究員、関与したすべての人間たちの「名前」と「血縁」をリストアップし始めた。
一人残らず、地獄へ叩き落とすために。
◆
二夜の凄惨な死から、14年の歳月が流れていた。
西暦から神樹空間の平穏が保たれた表向きの世界の裏側で、大赦の組織構造は一つの「影」によって支えられていた。
大赦第8技術課・最高神官。
そして、大赦内部の異分子や反乱分子を暗殺・排除する裏の処刑部隊『鏑矢(かぶらや)』の最高責任者。
その頂点にいるのは、28歳となった大葉継人であった。
この14年間、継人は冷酷な悪魔と化していた。
二夜を犠牲にした大赦の急進派のメンバー、彼らとその一族全員に対し、継人はあらゆる濡れ衣と冤罪を被せ、社会的に、そして物理的に一人残らず「粛清」し尽くしてきたのである。
そして今日、ついに最後の復讐が終わりを迎えようとしていた。
灰色の雲が垂れこめる、誰もいない浜辺。
波が打ち寄せる砂浜の上に、二人の親子が膝をつき、恐怖にガタガタと震えていた。
かつて二夜を実験台にし、奉火祭で焼き殺した元最高神官の男。
そして、彼女の命と引き換えに生き残った、20代半ばとなった彼の娘である。
「ひ……ひぃぃっ! た、助けてくれ……大葉君! いや、大葉最高神官!!」
老いた元最高神官が、砂に顔をこすりつけて命乞いをする。
「私……私は君の技術を認めていた! 娘は……娘は関係ないじゃないか! なぜこんな……なぜ我が一族に何の恨みがあるんだぁ!!?」
黒いロングコートを纏った継人は、無表情のまま二人を見下ろしていた。
その瞳には光がなく、まるで底なしの深淵のようだった。
継人はコートの懐から、黒光りする拳銃を抜いた。
「助けて……お願い……! 私、何も知らないの……!」
娘が悲鳴を上げる。継人はその顔を一瞬だけ見つめた。
14年前、死亡者リストに乗るはずだった女、そして奉火祭の身代わりによって生き延びた女、二夜が守らされた存在。
「……アイツが命を払った代償がこれか……」
感情の篭もらない、氷のような声。
冷たい銃声が二度、海辺に響き渡った。
頭部を撃ち抜かれた二人の身体が、砂浜の上に崩れ落ち、赤黒い血が波に洗われて広がっていく。
これですべてが終わった。
二夜を殺し、お腹の子を奪い、彼女の未来を踏みにじった者たち全員への復讐が、完了した瞬間だった。
「……はぁ」
継人は空を見上げ、深く息を吐いた。
復讐を果たしても、胸の中に残るのは途方もない虚無感だけだった。二夜は戻らない。椿も凍りついたままだ。自分はただの怪物になってしまった。
継人が銃を収め、引き返そうとしたその時だった。
「……あ……う……」
かすかな、赤ん坊の泣き声が聞こえた。
継人が足を止める。声は、波打ち際のすぐ近くから聞こえていた。
風に吹かれる砂浜。引き波の境界線に、小さなゆりかごが漂着していた。波に揺られながら、その中で小さな赤ん坊が必死に手足をバタつかせている。
「……なんだ、これは……」
継人は眉をひそめ、潮風に濡れながら波打ち際へと歩み寄った。
ゆりかごを引き上げ、カバーを開ける。
そこには、生後数ヶ月と思われる赤ん坊が眠っていた。そして──その赤ん坊の小さな懐に、大切そうに抱えられていた「ある物」に、継人の目が釘付けになった。
それは、14年前に焼失したはずの、彼女が持っていた、古びた一台のスマートフォンだった。
継人は震える手でそのスマートフォンを取り出し、画面を開いた。
端末の保護ケースの裏側。透明なカバーの隙間に、一重の擦り切れた「一枚の写真」が挟まれていた。
そこに写っていたのは──
14年前の夏の日。大葉家の居間で、照れくさそうに笑う大葉継人と、その横で車椅子に座り、飛び切りの笑顔でピースサインを作る茶髪の髪の少女──相良二夜の姿だった。
「あ……」
継人の喉から、かすれた声が漏れた。
このスマートフォンは、二夜の形見だった。
そしてこの子は彼女の子供だ。
何故ここに居るのかわからないが、この子は彼女の子供だ。どうやって奉火祭から生き延びたのか、何故天の神によって帰されたのか。わからない。
それでもこの赤ん坊は──14年前、二夜がその命を賭して護り抜き、産みたいと願った子供だ。
継人は何故かそう確信していた。
赤ん坊がうっすらと目を開けた。
その瞳は、かつて二夜の母親が言っていた通り、そして二夜自身がそうであったように──澄み切った、あの少女と同じ光を宿していた。
「……二夜……」
14年間、一度も泣くことができず、笑顔を失っていた継人の目から、大粒の涙が溢れ出した。
継人は冷たい膝を砂浜につけ、赤ん坊を愛おしそうに胸に抱きしめた。
溢れ出る涙が赤ん坊の頬を濡らし、継人はむせび泣いた。
復讐の果てに残された、最後の希望。
少女が遺した「命の証」。
「……お前は立派だな、ちゃんと帰ってきた…」
継人は赤ん坊を抱きかかえ、力強く立ち上がった。
黒いコートを風になびかせながら、継人は二夜のスマホを固く握り締め、新たな命と共に、歩み始めたのだった。