椿が大赦の医療施設で暮らすようになってから、数週間が流れた。
椿は継人の家ではなく、この白を基調とした施設に留まっているのは、勇者システムの過剰な使用と冷凍睡眠の代償により、彼女の体内の内臓が重篤な機能不全を起こしているからだ。急激な容態の悪化に備え、常時大赦の医療スタッフによる緊急対応が受けられるよう、この部屋が彼女の生活の拠点となっていた。
「椿様、本日の装備適合データと訓練スケジュールの見直し案です。ご確認をお願いします」
「ありがとう、安芸さん。いつもすみません」
書類を差し出す安芸に、椿は車椅子の上から微笑みかけた。
ここ連日、椿と安芸の二人は、新たに選出された三人の勇者たちの訓練方針、そして彼女たちが纏う装備の調整確認作業を絶え間なく行っていた。
最初の頃、安芸は「大葉様は三十年前の勇者であり、実質的な大先輩」という認識のもと、どこか固く、極度に恐縮した態度で椿に接していた。しかし、外見の年齢が自分よりもずっと幼く見える椿に対し、安芸は無意識のうちに「年下の少女を気遣うような」立場をとってしまうことがあった。
年下のはずの安芸が、見た目が年下の椿にどこか過保護で遠慮がちな態度で接し、椿が最初は「私の方が年上なのですが……」と困惑する。そんなやり取りを重ねるうちに、二人の間の不自然な硬さは氷解し、いつしか職務を超えた友人のような信頼関係が芽生えていた。
「ねえ、安芸さん。三人とも筋は悪くないと思うけど、決定的に『お互いを見る目』が足りない気がします」
「……ええ。個々のポテンシャルは極めて高いのですが、いざ戦術行動に移ると、どうしても単独で動く悪癖が抜けていませんね、そしてその場限りのゴリ押しで強行する癖があります」
「このまま実戦に投入したら、誰かが孤立して命を落とすします、だから……少し環境を変えましょう」
椿の提案により、新勇者三人の「合同強化合宿」が決定した。
場所は大赦が直轄する施設で、海に面した波の静かな海岸沿いに位置している。
打ち合わせの終わり際、安芸が真面目な顔で、しかしどこか楽しそうに椿へ告げた。
「合宿のメニューは完璧です、椿様。……あ、それと。海水浴の予定も少しだけ組み込んでありますから、椿様も必ず『水着』を持ってきてくださいね」
「えっ、水着ですか? 私歩くのは杖ですし、泳ぐのはちょっと……」
「ダメです。海辺でのリフレッシュも大切な指導の一環です、私も着ますから貴女も着てください」
グイグイ来る安芸に、椿は「まじか……」と苦笑いを浮かべるしかなかった。
◆
合宿開始の当日。
集合時間より少し早く大赦の送迎車に乗った椿は、運転手に無理を言って、とある中学校の近くで車を止めさせた。
合宿に臨む三人をお迎えに行く前に、椿にはどうしても一目見ておきたい人物がいた。かつての親友、相良二夜の息子と思われる少年──大葉真優の姿である。
事前に弟の継人からは「もう登校してる時間だぞ」と連絡をもらっていた。しかし、校門の付近や登校路を見渡しても、それらしき少年の姿は見当たらない。
椿は杖で歩きながら、学校周辺の静かな路地や公園を散策した。
すると、学校から少し先にある小さな公園の池のほとりで、ポツンと膝を抱えて座り込んでいる一人の少年の姿が見えた。
華奢な背中、どこか影のある雰囲気。一目で彼が二夜の血を引く子供だと分かった。
ものすごく話しかけたくなった。そのつもりはなかった、ただ遠くから無事を確かめるだけのつもりだった。しかし、胸の奥からこみ上げてくる愛おしさと切なさに背中を押され、椿は気づけば歩みをその池のほとりへと進めていた。
「……どうしたの? こんなところに一人で」
突然上からかかった声に、少年──真優は驚いたように跳ね起き、困惑の表情を浮かべた。同い年くらいの見知らぬ杖をついた女の子が来たのだ、当然である。真優は少し椿から距離を取る。
「……何か?」
不振な目でコチラを見る真優、椿的には物凄く二夜ポイントが高く物凄くグッドな対応である。あー、これこれ、物凄く二夜っぽい、と椿は感動していた。
「いやー、こんなところで1人で居るからお姉さん的にものすごく気になっちゃってねぇ、何か悩んでる感じ?」
「……貴女には関係ないでしょ」
二夜ポイント高い、椿はニヤニヤしないように顔面の筋肉をシバきながら真優と話続ける。
真優は最初は不信感MAXの野犬みたいな間合いで椿と話していたが、椿のあまりにも自然で、ぐいぐいと踏み込んでくる温かな距離感に押され、真優は次第に視線を落とし、ポツポツと途切れ途切れに話し始めた。
「……僕、コミュニケーションが上手く取れないんです」
「学校で、友達がうまく作れないかんじ?」
「……はい」
消え入るような声だった。真優は池の水面を見つめたまま、抱え込んできた苦しみを吐露していく。自分は人付き合いが下手で、周囲に馴染めないこと。そして最近、立ち回りの下手さから質の悪い不良グループに目をつけられ、絡まれてどうしていいか分からないこと。
「大人になっても……もし、ずっとこうなのだとしたら。もう生きることだって、面倒くさくなっちゃいますよ……」
真優は深く俯き、肩を震わせた。
その言葉を聞きながら、椿の胸に溢れたのは、悲しみではなく──不思議なほどの愛おしさと嬉しさだった。
もう完全に二夜だった。
不謹慎かもしれない。けれど、目の前の少年は、かつて不器用で、周囲に素直になれず、一人で苦しみを抱え込んでいた相良二夜に、恐ろしいほどよく似ていた。
彼女は生きて、命を繋いでくれた。二夜はもうこの世にはいないけれど、彼女の命と魂は、確かにこの子の中で生きている。それだけで、椿には充分すぎるほどの救いだった。
椿は、ゆっくりと優しい声で語りかけた。
「まあ、中学生の時期ってさ、そんな感じのこと考えちゃうよね」
「貴女も中学生ぐらいでは?」
「チッチッ、お姉さんは見た目よりも年上なのだよ、テンション高めのお姉さんね、アッパーお姉さんって呼んでも良いよ」
「アッパーおばさん?」
「君の顎砕くぞ少年」
「お姉さん」
「よろしい、まあ、生きていくことってね、辛いことと良いことが、ちょうど半分ずつくらいあるのよ」
「……半分?」
「そう半分、今君がキッツイ時期なんだから、いつか絶対に、貴方を助けてくれる人が現れる。だから諦めちゃダメ」
絶対よぉ、と椿は念を押す。
「そしてね、もし誰かに助けられた時……自分も誰かを助けたいって思えたなら、その時は迷わず、自分のその気持ちに従いなさい」
「そんなこと……絶対にあるわけないよ」と俯く真優の頭に、椿はそっと手を伸ばし、「ある!ある!大丈夫!大丈夫!」と優しく撫で下ろした。
その手のひらには、すでに勇者システムの酷使と長い冷凍睡眠の代償によって、感覚がほとんど残っていなかった。温かいのか、冷たいのかすら皮膚では分からない。
けれど、椿は心の中で、手を通した確かな「真優の生命の暖かさ」を認識していた。
その時だった。
「ちょっと! 何やってんの真優! もう予鈴鳴っちゃうでしょ!」
元気いっぱいの声が公園に響き渡った。
振り返ると、当時中学一年生だった犬吠埼風が、カバンを揺らしながら走ってくるところだった。風は迷うことなく真優の元へ駆け寄ると、彼の腕をガシッと掴み、「一緒に行くわよ!」と私に頭を下げながら半ば引っ張るようにして学校へと走り出した。
「えっ、あ、犬吠埼さん……!?」
突然のことに混乱しながら連行される真優は、去り際、椿にお礼を言おうと何度も振り返った。けれど、風の歩くペースがあまりにも早すぎて、声をつまらせたまま何もできなかった。
そんな二人の賑やかな背中を見送りながら、椿は小さい池のほとりで、ニコニコと満面の笑みを浮かべて真優に手を振り続けた。
「やっぱり大丈夫じゃない、まあ二夜の息子だものね、貴方の周りには、もう素敵な人がいるじゃないの」
椿の胸に、春の陽射しのような温もりが満ちていた。
◆
合宿は大赦直轄の海沿いの施設で始まった。
初日こそ環境の変化に戸惑っていた新勇者の三人だったが、椿の徹底的な指導のもと、訓練を重ねるごとに彼女たちの連携は見違えるように向上していった。
訓練場における椿は、普段の穏やかなお姉さんの顔を完全に捨て去り、一切の妥協を許さない「教官」として立ち振る舞っていた。
「乃木動きが遅い! 三ノ輪、突っ込みすぎ! 鷲尾、二人のカバーに入りなさい!」
車椅子の上から厳しい指示が飛ぶ。衰弱した身体からは想像もつかない鋭い眼光と断固とした態度に、三人も必死の様相で食らいついていった。
そして合宿の後半、三人の基本的なフォーメーションと連携が完璧な形を見せ始めた頃、椿はあらかじめ呼んでおいた弟、継人を訓練場へと呼び出した。
「これより、実践形式の模擬戦を行います。相手は継人です」
「……え? 先生、継人さんって……生身ですよ?」
三人はポカンとした顔で継人と椿を見比べた。変身もしていない、ただの私服を着た男一人が相手など、勇者である自分たちの敵になるはずがないーそう高を括っていた三人は考えていた。
「お、手加減か、いやぁ、おじさん助かるぜ40過ぎたら動き悪くなってなぁ」
「あたし達勇者服着てるんですよ、おじさんくらい軽々ポイですよ!」
「そうか?」
次の瞬間、三人の視界から彼の姿が消えた。
一瞬の風切り音とともに、先頭にいた銀の体が軽々と宙を舞い、豪快に海まで放り投げられていた。
「えっ!?」
「銀!? な、なに──」
一拍置いて海にドボンと着水する銀。
パニックに陥る須美と園子も、継人の洗練された無駄のない体術によって、手も足も出ないまま瞬く間にいなされ、海まで放り投げられていた。
目の色を変えた三人が、本気で継人に飛びかかっていく。だが、長年の修羅場を潜り抜けてきた継人の動体視力と体術の前には、3人の攻撃などかすりもしなかった。
椿は、継人に吹っ飛ばされ、何度も海へと放り投げられる三人を見下ろしながら、冷徹に訓練の主眼を説明した。
「これは対人戦の訓練ではありません。……貴方達より遥かに強い敵と出遭ってしまった場合の訓練です」
バシャーンと派手な水音を立てて海に叩きつけられ、ビショビショになりながら這い上がってくる三人に、椿の声が響く。
「一人で対応することが『死』を意味する時、どうやって敵の注目を反らすのか。どうやって仲間に撤退や攻撃のチャンスを作るのか。この訓練は、そのための連携を身につけるためのもの」
その日、三人は一度として継人に攻撃を当てることすらできず、何度も海に放り投げられ続け、全身濡れ鼠になって倒れ伏した。
流石にやりすぎて、椿は絶対に嫌われた気がした。
生憎、3人は予想以上にポジティブであり、この訓練に関しては何やっても海まで放り投げられるから一種のアトラクションみたいで楽しかったと継人にだけ喋っていた。
◆
照りつける夏の太陽が、四国の南端に広がる太平洋の海面を眩しくキラキラと跳ね返していた。
大赦が直轄する訓練施設に隣接したプライベートビーチ。波音だけが静かに響くその海岸線は、いまや賑やかな少女たちの歓声によって埋め尽くされていた。
「わっしー、見て見てー! この浮き輪、フラミンゴの形してるんよー!」
「そのっち、はしゃぎすぎてケガしないでくださいね。……それと、砂浜を走ると足取られて危険です」
「かーっ! 細けえこと気にすんなって須美! ほら、海だぞ海ーっ!」
豪快にビーチサンダルを脱ぎ捨て、短パンとラッシュガード姿の三ノ輪銀がバシャバシャと豪快に波打ち際へ飛び込んでいく。その後ろから、どこか独特なデザインのフリル水着を嬉しそうに着こなした乃木園子がふわふわと続き、日焼けを気にして帽子とラッシュガードをきっちり着用した鷲尾須美が、呆れつつもどこか嬉しそうに二人を追いかけていた。
過酷な訓練──生身の大葉継人によって一瞬で何度も容赦なく海へと放り投げられた地獄のようなシゴキ。その苦い思い出などどこへやら、三人は水着に身を包み、弾けるような笑顔で海を満喫していた。
「ほらっ、須美! 覚悟しろー!」
「きゃっ……! もう!銀!お返しです!」
銀がバシャリと掛けた水鉄砲の豪快な水飛沫に、須美も持参した小型の水鉄砲で対抗する。園子はぷかぷかとフラミンゴの浮き輪に揺られながら、「あははー、わっしーのお顔が本気だよー」と呑気に笑っていた。
そんな少女たちの賑やかな歓声から少し離れた、パラソルの日陰。
心地よい潮風が吹き抜けるコテージのテラスに、二人の「大人」の姿があった。
「……本当に、私まで水着を着る必要があったのでしょうか……」
椅子に腰掛けた椿は、上から薄手の羽織ものを羽織りつつも、どこか照れくさそうに頬を朱に染めて俯いていた。
その隣で、トロピカルドリンクのストローを咥えた安芸が、実に満足気な笑みを浮かべて椿を見つめている。
「何を仰いますか、椿様。とってもお似合いですよ。いくら指導者とはいえ、たまには羽を伸ばさねば息が詰まってしまいます。海辺でのリフレッシュも、立派な指導の一環ですから」
「あー……安芸さん意外と強引なんですよね」
椿は困ったように眉を下げつつ、膝の上に置かれた自分の膝掛けに目をやった。
勇者システムの過剰使用と三十年におよぶ冷凍睡眠の代償──機能不全を起こした内臓と、すでに感覚を失いつつある手足。杖が手放せない身ではあるが、こうして冷たいジュースを飲みながら潮風を感じる時間は、確かに久しく忘れていた安らぎだった。
パラソルの下から、海辺ではしゃぐ三人を見守る二人。
「あの子たちの、あの若さが眩しいです……」
安芸が遠くを見つめながら、しみじみと呟いた。
椿はカッカッカッと笑い、車椅子の肘掛けに肘をついた。
「安芸さんだって、まだまだお若いでしょう?」
「いいえ。……冷凍睡眠期間を含めれば、現在四十二歳であらせられる椿様の前では、私などまだまだ若輩者です」
「……だから、その痛い事実をわざわざ突きつけないでって、前にも言ったじゃない」
椿が心底嫌そうに頭を抱えて溜息をつくと、安芸は「ふふっ」と悪戯っぽく微笑んだ。
いつしか二人の間には、立場や年齢を超えた、友人同士のような軽妙で心地よい空気が流れるようになっていた。
しかし、戯れ合いの時間が過ぎると、遠くで戯れる三人を見つめる椿の瞳に、静かな真剣さが宿った。
「……あの子たちの連携、随分と形になってきましたね」
「ええ。最初は個々の能力に頼り切った動きでしたが、椿様のご指導のおかげで、お互いの死角を意識できるようになっています」
「……私にできるのは、ここまですね」
椿はそっと自分の胸元に手を当てた。
「私のこの身体は……もう長くは持たない。……だからこそ、あの子たちには私たちが味わったような、悲惨な思いを絶対にさせたくないの。仲間を失う絶望も、誰かの犠牲の上に生き残る苦しみも……全部、私たちの世代だけで終わらせなければならない」
椿の静かだが断固とした言葉。その背中に込められた壮絶な覚悟に安芸は胸を締め付けられる思いだった。安芸は椿に向き直ると、深く、静かに頭を下げた。
「……あの子たちのこと、そして椿様のお心の行く末……最後まで、この私がお支えいたします」
「はは、頼りにしていますよ、安芸さん」
二人は静かに視線を交わし、温かな信頼の笑顔を浮かべた。
「あ、そういえば、初めてお会いしたときより少しふくよかになられましたね」
「……気にしてる事をズケズケと」
「昨日もお夕飯を3杯おかわりしてるのを見ていますよ」
「何かジロジロ見てるなと思ってたけど、食べる量見てたの?!」
そりゃもう、お世話してますから、と安芸は返した。
「なら食べなきゃ良いんでしょ?!お昼食べないから!」
「お、肉食わねえのか姉貴」
ふと後ろから声がする、振り返ると短パンにアロハシャツを着た継人、それと同じような格好をした男がもう1人ぞろぞろと歩いて来た。
「継人様、それに桑折様も来られたのですね」
「お疲れ安芸、早崎と御柱に警備の引き継ぎ終わったしな、それに姉貴にも久々に会わせたかったし、な、桑折」
少し白髪が混じったナイスミドルの中年が椿の横に跪く、穏和な笑顔の彼を椿は一瞬わからなかったが、先ほど言った桑折という名前で気付いた。
「え、あ、春雄さん?!うわー!すご!年取ってる!」
「はは、昔のまんまだね椿君、身体の調子はどうだい?不便な事はあるかい?」
穏和な雰囲気で話す春雄に椿はびっくりしていた、あんなイケメン高校生がこんなナイスミドルみたいになるのかぁ、と。年月は残酷だわ、と思っていた。まあでも、これはこれで、良い。
「いやまあ、不便な事多いけど、何とかなってますよ、あの子達の指導も出来てるし、でもなんで?」
そんなこと何で聞くの?という顔をすると、横にいた継人は少し呆れ顔になるが、そういや言ってなかったな、と説明する。
「あー、桑折は勇者全員の体調管理をおこなってる医療班の一番上だ、鏑矢でも俺の下についてる、めっちゃ偉い人」
「え…」
びっくりした顔で春雄の顔を見ると、笑顔のまま椿の手を握り、続けた。
「継人ほどではないけどね、椿君の身体を元に戻す研究も続けている、その理論も技術もある程度確立した、その許可も貰いたくてね、まあメインは古くからの仲間とお酒を飲むためなんだが……」
春雄は真面目な顔になる。
「2Aと呼ばれる技術だ、ナノマシンによる脳の認識機能の復活と拡大を目的としている、今の椿君の身体を元に戻せるかもしれない技術だ、試してみるかね?」
「これ、戻るんですか?」
「可能性があるだけだが、継人の技術理論を元に私達が開発している物だ、効果はあると信じたい
「なら……、お願いします」
「良かった、合宿が終わってから治療を始めよう」
では、その時よろしくね、と春雄は新たな勇者3人の方へと向かった。
「うわー、春雄さんスッゴいナイスミドルのイケメンになったわね」
「本人に言ってやれ、あれでも一児の親だ」
「子供いんの?!うわー!超見たい!」
「見せてもらえ、あ、それとこれ」
継人はそう言うと勇者端末を椿に渡す。
「言われた通り、この中に搭載出来るだけのうちの装備を入れ込んだ、中にリストも入れてある、見といてくれ、だが精霊のシステムだけは姉貴とのパスが強すぎて削除出来なかった、勝手に発動しないようにロックはかけてある、使うなよ」
「ありがとう、使わないわ、多分」
使うなって、と継人は言い残し3人の勇者の方に向かった。向こうでは既に春雄が水鉄砲でビショビショにされていた。
◆
瞬く間に数日が過ぎ、合宿の最終日の夜。
椿は自室で一人、ため息をついていた。
あれほど厳しくしごき上げ、弟にボコボコにさせて海に投げ込ませたのだ。年頃の少女たちから恨まれていてもおかしくはない。
そう思いながら、椿は誰もいない時間を見計らって大浴場へと向かった。
しかし、ガラリと扉を開けた瞬間──椿は絶句した。
「あ!椿先生じゃん!」
「先生も今からお風呂ですかー!?」
そこには、すでに湯船に浸かっていた三人組の姿があった。鉢合わせである。
「あ……入ってたのね、私、後で出直すわ」
椿が慌てて出ようとすると、三人が一斉に湯船から上がって椿の元へ駆け寄ってきた。
「ダメですよ先生! 一緒に入りましょうよ!」
「そうですよ! 合宿最後の日なんですよ!無礼講です!」
「その言葉は上の人が言う奴と思うんだけど」
三人に押し切られる形で、椿は断りきれず、少し長めに風呂に入ることとなってしまった。
ゆったりとした湯船の中で、とりとめもない会話が続く。
「合宿の前にね、三人で『イネス』に行ったんですよ!」
「そこで食べた醤油豆ジェラートがすっごく美味しくて!」
「今回の合宿で三人で色々と話せて、本当に良かったです!訓練はキツかったけど、……楽しかったんよ!」
無邪気に笑い合う三人を見て、椿の胸の支えがスッと消えていった。彼女たちは、椿の指導の真意をちゃんと理解してくれていたのだ。
「ねえねえ、先生の話も聞きたいです!」
「先生の勇者時代のこと、教えてくださいよぉ!」
せがまれる視線に負け、椿はそっと目を細めた。
「そうね……二夜ちゃんと、晴美ちゃんという、大切な友達がいたの」
椿は語り始めた。三人で一緒にお出かけしたこと。病室で入院していた時、深夜にこっそりカードゲームをしたり映画を見たりしたこと。みんなで囲んだご飯の味。
そして──
「あとはねぇ、私の弟と、二夜ちゃんが良い雰囲気になりそうだったんだけど……」
そこまで話した瞬間、三人が一斉に「待った!」と手を挙げた。
「先生! それ以上はダメです!」
「それはお風呂で話すことじゃありません! 寝る前に部屋でやる女子会のネタです!」
「えっ、ええ!?」と驚く椿をそのままに、風呂から上がった三人は手際よく椿の体を拭き、着替えさせると、そのまま彼女たちの部屋へと椿を連れ込んだのだった。
◆
ふかふかの布団が敷き詰められた部屋で、三人は目を輝かせながら椿を取り囲んでいた。ワイワイと身を乗り出し、椿の弟──継人のことについて質問攻めにしてくる。
「継人さんって、普段はどんな感じなんですか!?」
「あんなに強いのに、先生の言うことなんでも聞きそうですけど!」
椿は困ったように笑いながら、膝の上に手を置いた。
「継人はね、私の一つ下の弟なの。私と違って……昔から頭が良すぎて、姉としては苦労させられっぱなしだったわ」
「へえ〜! 一つ下なんですね!じゃあ椿先生って四十……」
「それは言わないで」
すると、三人のうちの一人、銀が「私も弟がいます」と手を挙げた。
「うちのも二人がやんちゃ盛りで……毎日手がかかって大変なんですよ」
「分かるわ。継人もそんな時期があったもの」
弟を持つ身同士として共感し合い、場が温かい空気に包まれる。そんなリラックスした雰囲気の中で、椿はつい、ぽろりと口を滑らせてしまった。
「……私ね、本当は妹が欲しかったのよね」
言った瞬間、椿の脳裏に、かつて妹のように可愛がっていた晴美の笑顔が浮かんだ。いつも晴美の世話を焼き、後ろをついてくる彼女を愛おしく思っていた日々。
それを聞いた三人は、顔を見合わせてニッと笑うと、声を揃えて提案した。
「それじゃあ! 私たちのこと、妹として扱っても良いですよ!」
「そうですよ! 今日から先生の妹第一号です!」
無邪気で、あたたかな申し出。
しかし、椿はゆっくりと首を横に振り、三人の頭を順番に優しく撫でながら拒否した。
「……ううん、それはダメ」
「ええ〜、なんでですかー!?」
ちぇー、と不満そうに声をあげる三人。椿は苦笑しながらも、澄んだ目で彼女たちを見つめた。
「私はね……肉親にはとことん甘くなってしまう性分なの。……身内になってしまったら、戦場で貴方たちを冷静に指示できなくなってしまう。だから、ダメ」
椿の言葉に込められた重みと愛情を察したのか、三人はそれ以上駄目を捏ねず、少し悔しそうな顔をしながらも素直に布団へと潜り込んだ。
「はーい……おやすみなさい、先生」
「おやすみ。良い夢をね」
「ふふふ、私達3人がそう簡単に寝ると思ってます?」
「夜更かし宣言?明日は帰るだけだし、時間に間に合うようにしなさいね」
はーい、と三人が返事をすると小さく喋り始めたのを確認し、椿は静かに部屋の外へと出た。
◆
真夜中の海辺。
波音が静かに打ち寄せる砂浜のデッキで、椿はスマートフォンを開いていた。
画面に映し出されているのは、かつて自分と二夜、そして晴美の三人で撮った写真だった。
海にも行く約束をしていた。お祭りにも、みんなで浴衣を着て行くはずだった。
果たされることのなかった約束。取り戻せない日常。
三人の寝顔を見た安心感と、静まり返った夜の孤独が交差し、椿の胸の奥から押し殺していた感情が溢れ出した。
「くっ……ひぐっ……」
自然と嗚咽が漏れた。視界がぼやけ、ポロポロと大きな涙がスマホの画面の上に落ちていく。
「……ひとりぼっちに、なっちゃったなぁ……」
ぽつりと漏らしたその言葉は、波音の中に虚しく消えていくはずだった。
「──椿」
背後から、不意に懐かしい声が自分の名前を呼んだ。
二夜の声だった。
「……え!?」
椿は弾かれたように振り返った。
そこには、月光を背に受けて立っている相良二夜の姿があった。あの日のままの制服を纏い、静かに椿を見つめている。
「二夜ちゃん……!? どうして……だって貴方は……!」
死んだはずの親友の姿に、椿は転びそうなほどの勢いで身を乗り出し、手を伸ばして二夜の元へ駆け寄ろうとした。
しかし、差し出した椿の手は、虚しく空を切った。
二夜の姿は、まるで透明な霞のように揺らめき、触れることができなかった。実体など存在しない、幻影のような存在。
「二夜ちゃん……私、私ね──」
「椿、聞いて」
幻影の二夜は、椿の言葉を遮るように、静かで冷徹な声を紡いだ。
「次の戦いで……貴方が出てこなければ、あの三人は死ぬわ」
「え……?」
椿は息を飲んだ。
二夜は悲しそうに、けれどどこか慈愛に満ちた笑みを浮かべ、少しずつその姿を薄くさせていく。
「待って! 待って二夜ちゃん! いかないで!」
椿は必死に不自由な腕を伸ばした。けれど、二夜の影は夜の潮風に溶け込むように消え去っていく。
そして——完全に影が消え去る最後の瞬間。
消えゆく二夜の残響が、椿の耳元で、甘く、酷く残忍な余韻となって響いた。
『──私たちが、貴女を殺してあげる』
波音だけが残された静寂の海辺で、椿は伸ばした手をそのままに、呆然と夜の空を見上げていた。