神世紀300年。
瀬戸内海から吹き込む秋の風は、かつて人類の誇りであった大橋の残骸を優しく撫で、そのまま寂れた海辺の公園へと吹き抜けていく。
破壊された大橋の袂、樹海の浸食と激戦の爪痕が今なお生々しく残るその場所に、ひっそりと佇む構造物があった。
大赦の手によって作られた、石碑。
神樹と人類を守るため、その身を捧げて散っていった勇者たちの名を刻む、慰霊碑である。
静まり返ったその場所に、ゆっくりと近づいてくる二つの影があった。
東郷美森、そして乃木園子。
過酷を極めた先の戦闘、そして勇者システムにおける「満開」の代償により、二人の少女の身体はあまりにも深く、苛烈に傷ついていた。
東郷は、右腕の自由を完全に失っている。
満開によって引き換えに差し出された右腕の神経と感覚は死に絶えていたが、現在は大赦が提供した「2A技術」の応用によって開発された、最新鋭の補完器具を装着していた。銀色に鈍く光るその器具のおかげで、かろうじて指先だけをわずかに動かすことができる。
それだけではない。彼女の両足の麻痺による二足歩行への不安も依然として消えてはおらず、腰から下にも補完器具を装着し、一歩一歩、地を踏みしめる感触を確かめるように重々しく歩いていた。
一方の園子に至っては、さらに悲壮な状態であった。
度重なる満開の代償は、彼女から「嗅覚」を完全に奪い去っていた。潮の香りも、秋の風が運ぶ草木の匂いも、今の園子には一切届かない。
それどころか、全身の運動機能をほとんど失ってしまっている彼女は、自分自身の足で立つことすら叶わなかった。現在は、大赦から彼女の身の回りの世話と護衛のために遣わされた「衛使(えいし)」の背中に背負われ、担がれるようにしてここへと運ばれてきていた。
「……やっと、来られましたね。そのっち」
東郷が息を吐きながら足を止めた。
衛使の背中の上で、園子は小さく首を傾げ、力なく微笑む。
「うん……そうだね、わっしー。ずっと……来なきゃって、思ってたけど、私外出られなかったから」
代償による忘却と身体機能の喪失、そして前大赦の対応にのり彼女たちは大切な存在の「墓参り」に来ることすら叶わずにいたのだ。
慰霊碑に刻まれた、二つの名前。
三ノ輪銀。
そして、大葉椿。
彼女たちにとって、かけがえのない仲間と自分たちを勇者として導いてくれた絶対的な指導者であった人。
その名前が刻まれた慰霊碑の前に先客の姿があった。
黒いスーツに身を包み、どこか疲弊したような雰囲気を纏った男。
大葉継人であった。
慰霊碑を見つめて立ち尽くしていた継人は、補完器具が小さく駆動音を立てる足音に気づき、ゆっくりと振り返った。
東郷と園子の姿を視界に収めると、彼は目を出会わせた瞬間、少しだけ気まずそうにバツの悪い表情を浮かべた。そして、どこか言い訳めいた口調で口を開く。
「……なんだ、お前たちか。……いや、別に深い意味はないんだよ。仕事が立て込んで来る暇が全然なかった……だから今さら、来ただけだ」
頭を掻きながら、バツが悪そうに弁解する継人。
その態度があまりにも彼らしくて、衛使の背の上にいる園子は「ふふっ」と可愛らしく声を上げて笑った。
「継人さんったら〜。そんな言い訳みたいなこと言ったら、バチが当たりますよー?」
そう言いながら、園子は背負われた状態のまま腕を伸ばし、持参していた白百合の花束を慰霊碑の台座へとそっと添えた。
東郷もまた、補完器具によって僅かに動く右手の指先を器用に使って花を整え、園子の言葉に乗りながら苦笑いを浮かべた。
「そうですよ、継人さん。私なんて……日々の日常と戦いに忙殺されて、ここに来ることを完全に忘れてしまっていましたから。まあ、ほんとに忘れてたんですけど……、バチが当たるのだとしたら、聞いたこともないような凄いバチが、私に真っ先に当たってしまいますね」
自虐を交えた東郷の静かな言葉に、継人は目元を緩め、どこか遠くを見るような目をした。そして、静かに二人に向かって深く頭を下げた。
「……二人とも。椿の墓参りに来てくれて……本当に、ありがとうな」
低く、けれど温かい感謝の言葉が、秋の風に混じって消えていく。
慰霊碑の前で、三人はしばらくの間、無言で佇んでいた。風が吹き抜けるたび、添えられた百合の花びらが揺れ、柔らかな香りを撒き散らす。もっとも、その香りを嗅ぎ取ることは、今の園子にはできなかった。
やがて、園子がぽつり、ぽつりと口を開いた。
過去の記憶の扉を開くように、あの日々の思い出を語り始める。
「椿先生……最初から最後の日まで、ず〜っと厳しい人だったなぁ。……合宿の時なんて、私とわっしーとミノさんを継人さんに海へ投げ込ませたりして。でもね……」
園子は目を細め、愛おしそうに慰霊碑の文字を見つめる。
「私の役割のことを『誰よりも先に敵と接触する、最も勇気が必要なポジション』って言ってくれた時……すごく、嬉しかったんだよなぁ。私、ちゃんと勇者になれてるんだって、思えたの」
それを聞いた東郷は、背筋をすっと伸ばすと、補完器具を装着した腰を誇らしげに揺らした。
「ふふっ、いやいや、そのっち。私だって椿先生に『一番高度な技量が必要なポジション』って褒められましたよ? 遠距離からの正確な射撃と、全体を把握する目が必要だって」
「え〜? でもでも〜、私の方が絶対に褒められてましたよー? 『一番勇気が必要』なんだよ!」
「いいえ、私です。『技量』こそが戦術の要だと椿先生はおっしゃっていました!」
「私ですよー!」
「私です!」
「いや私の方が」「いや私の方が」と、小学生のように張り合い始める園子と東郷。
二人の無邪気な言い争いを眺めていた継人は、思わず口元をほころばせ、ふと思い出したように二人へと尋ねた。
「……ちなみにさ。三ノ輪は何て言われてたんだ?」
その問いかけを受けた瞬間、東郷と園子はピタリと言い合いをやめた。
ふたりは顔を見合わせると、まるで前もって合わせていたかのように、完璧なタイミングで——異口同音に答えた。
『椿さんが、一番頼りにしている勇者のポジション!』
寸分違わぬその答えと、二人の誇らしげで、弾けるような笑顔。
それを見た継人は、一瞬ぽかんと口を開けた後、静かに天を仰ぎ、くっくっと肩を揺らして笑った。
「……そうか。あいつ、そんなこと言ってたのか……」
溢れ出す思い出。
継人の脳裏に、神世紀298年の記憶が、鮮明に蘇ってきていた。
◆
神世紀298年。
過酷を極めた新勇者たちの合宿が、無事に終了を迎えた。
だが、大葉椿の胸中には、晴れやかな解放感とは程遠い、重く冷たい澱のようなものが居座っていた。
合宿の最後の夜、静まり返った海岸で遭遇した「霞の二夜」の幻影。
『次の戦いで、貴方に出てきてもらわなければあの三人は死ぬ』
『私たちが、貴女を殺してあげる』
二夜が残したその不穏すぎる言葉と行動の意図を測りかね、椿は強い疑問と一抹の恐怖を抱いていた。
しかし、その事実を弟である継人に打ち明けることはできなかった。
すでに多くの重荷を背負っている継人に、これ以上余計な懸念や不安をかけたくないという姉としての意地。そして何より、あまりにも不吉なその「予言」を口に出すことへの躊躇いが、椿の口を重くさせていたのだった。
結局、不吉な予感の真相を掴めぬまま、日常へと戻った椿を待っていたのは、桑折春雄による「2A技術」を用いたリハビリと治療であった。
「はい、これで終わりだよ椿君。特に痛むところはなかったかい?」
春雄の穏やかな声とともに、治療はあっけなく終了した。
「治療」と言っても、大仕掛けな手術や仰々しい機械を使うわけではない。ナノマシンを配合した試作段階の精製薬剤を、注射器で腕に一本打つだけの実に簡素なものだった。
「これでナノマシンが君の損傷した脳神経系に作用を始める。……ただし、薬を打って終わりじゃないよ。ナノマシンを順調に体内へ馴染ませるためには、できるだけ日常的に身体を動かさなきゃいけない。脳がそこに自分の身体があるのだと思い出させる、じっとしているのが一番良くないんだ。リハビリこそが、最大の薬だと思ってくれ」
春雄からそう告げられた椿は、「分かりました」と素直に首を縦に振った。
とはいえ、現在の彼女の身体は勇者システムの代償と長年の冷凍睡眠の悪影響により、酷く損なわれている。万が一、街中で急な容態悪化や発作が起きた場合に備えて、椿は弟である継人に連絡を入れることにした。
自身の現在位置とリアルタイムのバイタルデータが常に伝わるよう、データリンクとGPSを「ON」にしっぱなしにした状態で、椿は杖をつきながら街へと繰り出した。
トコトコと、一本の杖がアスファルトを叩く規則的な音が響く。
目の前に広がる街並みは、椿が二十八年前に「勇者」として戦っていた頃と、驚くほど変わっていなかった。
整然と並ぶ建物、陽光を浴びて輝く街路樹、穏やかな風。3人で歩いた時とさほど変わらない。
店の中に並ぶ商品や、そこを利用する人々が変わっているだけだ。
一体何を守れたんだ?
ふと、歩みをとめ、行き交う人々を眺めながら椿は自問自答した。
自分たちの人生を捧げ、仲間を失い、身体を壊してまで守ろうとした世界。
だが、そこにあるのは何一つとして劇的な変化を遂げた未来ではなく、拍子抜けするほどに平穏で、退屈な日常だった。
椿は小さく息を吐き、唇の端を緩めた。
自分が身を削って守ってきたものとは、きっとこの『代わり沸えのしない景色』そのものなのだ。
自分が奪われた多くのものの代償として、目の前で子どもたちが笑い、人々が平和に暮らしている。
それならば、自分が歩んできた過酷な道のりにも、少しは意味があったのだと思えた。
そんな感慨に耽りながら路地を歩いていた椿の視界に、妙な動きをする小さな人影が飛び込んできた。
路地の曲がり角で、頭を抱えて右往左往し、右へ行っては戻り、左へ行っては首をかしげている少女。
乃木園子であった。
「……こんなところで何やってるの、乃木?」
椿が杖をつきながら近づき、声をかけると、園子はパッと顔を輝かせた。だが次の瞬間、困り果てたようなふにゃふにゃの眉を下げて溜息をつく。
「あ! 椿先生〜! 実はですね、わっしーとミノさんの家に行こうと思ってたんですけど……待ち合わせ場所にも着けずに、思い切り迷子になっちゃいました〜」
「……遊びに行くのに迷子?」
首をかしげる椿に、園子はビシッと胸を張り、あまりにも斜め上すぎる回答を言い放った。
「遊びじゃないですよ! 『偵察』です!」
「……て、偵察ぅ……?」
椿が怪訝な顔をして眉をひそめていると、路地の奥から「そのっち〜!」と息を切らせた鷲尾須美が駆け寄ってきた。
無事に園子の姿を見つけた須美は、胸を撫で下ろして安堵の息をつく。
「まったく、探しましたよそのっち! 一人で勝手に走り出すから……あ、椿先生! お疲れ様です!」
姿勢を正して頭を下げる須美に、椿は苦笑いを浮かべながら尋ねた。
「鷲尾、ちょうど良かったわ。乃木が『偵察』なんて言ってるんだけど、一体何のこと?」
須美は少し気まずそうに視線を泳がせながらも、真面目な顔つきで説明を始めた。
「……実は、銀が最近、学校で何度も遅刻をしておりまして。理由を尋ねても『ちょっと用事があってさ!』と誤魔化すばかりで……。一体陰で何をやっているのか気になったので、本日の放課後を利用して、彼女の行動パターンと自宅での様子を密かに調べようということになりまして……」
「……あー、なるほどね」
説明を聞き、椿は心の中で思わず苦笑した。
(うわぁ……いかにも小学生らしいなぁ)
仲間の秘密が気になって、探偵気取りで尾行しようとする。その微笑ましくも他愛のない動機に、椿の心は少し和らいだ。
「そっか。じゃあ二人とも、頑張ってねぇ」
リハビリの邪魔をしても悪いと思い、椿はそのまま手を振ってお暇しようとした。
……が、ふと足を止める。
離れていく二人組の背中を見つめる。
直感的に嫌な予感がした。この二人に任せておいたら、一体どんな突飛で破天荒な行動をし出すか分かったものではない。
春雄さんにも『しっかり運動しろ』って言われたばかりである。
杖を握り直し、椿は二人の後を追いかけた。
「まあ、ちょうどいいわ。私も暇だし、ついて行ってあげる」
教官として。ついでに自身のリハビリ。
一石二鳥だとタカをくくっていた椿だったが、この選択が直後、己の肉体を恐ろしい激痛と疲弊へ追い込むことになるとは、この時の彼女は知る由もなかった。
◆
「……ハァ、ハァ……っ!」
歩く。ひたすらに歩く。
小学生の足取りというものを、椿は完全に舐めていた。
目指す三ノ輪銀の自宅は、彼女たちがウロウロと迷子になったこともあり、思いのほか遠かった。
しかも、子どもたちの足取りは気まぐれだ。あっちの路地へ寄り道し、こっちの空き地を覗き込み、縦横無尽に街を歩き回る。
障害を抱え、一本の杖を頼りに歩く椿にとって、そのペースについていくのは至難の業だった。
足首から太ももにかけて、鈍い疲労が走り、膝が笑い始めている。
速い。小学生ってこんなに歩くのか?
完全にリハビリの域を超えて限界を迎えている。
今にも足がプルプルと震え出し、その場に崩れ落ちそうになる。
だが、椿のプライドがそれを許さなかった。
自分は、彼女たちを指導する責任者であり、「先輩勇者」なのだ。
教え子の小学生二人の前で、疲れて歩けなくなりましたなどという無様な姿を見せられるはずがない。
椿は顔面の筋肉を全開に稼働させ、極限まで平然を装った。
『私? 別に全然疲れてませんよ? 余裕ですけど何か?』という顔を完璧に保持し続けたまま、意地だけで二人の後ろをついていく。
「椿先生、大丈夫ですか? 少し顔色が赤いような……」
「赤くない」
引きつりそうになる口角を必死に抑え込み、気合いだけで足を一歩前へ踏み出す。
そうして散々街を歩き回り、椿の体力が完全に底を突きかけたその時、ようやく三ノ輪銀の自宅へと到着した。
「ここがミノさんの家……!」
「静かに、そのっち。気づかれたら偵察になりません」
銀の自宅の周囲には、大人の背丈ほどもある高い生け垣が張り巡らされており、外から庭や家の中の様子を伺うことはできないようになっていた。
園子は「う〜ん」と声を漏らし、爪先立ちになってピョンピョンと跳ねながら、生け垣の上から中を覗き込もうとする。
「こら、そのっち! 盗撮や不審者のような真似は感心しません! 堂々と覗くのはやめなさい!」
すぐさま須美が園子の服の襟ぐりを引っ張り、制止した。
須美が一番常識人である。
疲弊し切った身体で壁に寄りかかりながら、椿が心の中で安堵した、まさにその瞬間だった。
須美は至極真面目な顔つきで自身の鞄を開くと、中から「それ」を取り出した。
長くて黒い、筒状の金属製の物体。
潜望鏡(ペリスコープ)であった。
はい、タイム。
何でそんなの持ってる。
小学生がなんで日常的に潜望鏡なんて持ち歩いているのか。
ホームセンターで打ってるのか、それ。
喉まで出かかった猛烈な突っ込み。
しかし、指導者としての威厳と「別に驚いていませんよ」という顔を保つため、椿は必死でそれを噛み殺した。白目を剥きそうになるのを、気合いで押しとどめる。
結局、須美が取り出した潜望鏡を囲むようにして、三人は生け垣の隙間に顔を寄せ合い、庭の様子を覗き込むこととなった。
潜望鏡のレンズの先。そこに映っていたのは──あまりにも予想外な光景だった。
庭先で、銀が小さな弟と大きな弟の二人を傍らに座らせていた。
そして、どこからか拾ってきたらしい、小さな子猫を横に座らせ、エサを与えていたのだ。
「あー、ダメだぞー、一気に食べたら喉詰まらせるからなー」
いつもの豪快で、大雑把で、男勝りな「三ノ輪銀」の姿はそこにはなかった。
そこにあったのは、弟たちを優しく見守り、小さな命を愛おしそうに世話する、温かで甲斐甲斐しい「お姉ちゃん」の顔だった。
「……あ。やっぱり。ミノさん、捨て猫ちゃんを助けてたんですね」
「……だから遅刻していたのですね。まったく……困った人です。理由を言ってくれれば、私だって手伝いましたのに……」
潜望鏡を覗く園子と須美が、ほっこりとした優しい笑みを浮かべる。
だが、その横で、椿は一人だけ途方もない衝撃に打ちのめされていた。
圧倒的な『女子力』である。こちらには無い。
椿は勝手に、銀のことを「自分と同類の人間」だと思い込んでいた。大雑把で、細かいことは気にせず、勢いで突き進むタイプなのだと。
だが、現実は違った。
椿自身といえば、弟の継人に身の回りの世話を何から何まで任せきりにし、家ではダラダラと過ごす筋金入りのグータラ人間である。
よくよく思い出してみれば、二十八年前に共に戦った親友の晴美も二夜も、お世辞にも「誰かの世話を甲斐甲斐しく焼くタイプ」ではなかった。
三十年前の自分たち、全員女子力低すぎなのである。自分は弟に甘えっぱなしだったのに、銀はあんなに立派に弟たちと猫の世話をしている。
「うわぁ……私って本当に女子力低いんだ……」
あまりのショックと、己の女子力の低さに対する自責の念により、椿は魂が抜けたような顔で、ボーッと潜望鏡を覗き込んだまま固まってしまった。
その時である。
銀が世話をしていた子猫とは別に、庭の物陰で日向ぼっこをしていた猫が、生け垣の隙間からニョキッと突き出た潜望鏡と、それを覗き込む椿の顔に気づいた。
威嚇するように毛を逆立てた猫は、死角から一直線に飛びかかってくる。
そのまま腰に捨て身タックル。
「きゃああっ!?」
不意を突かれた椿は、驚きと恐怖でバランスを崩し、後ろへと盛大に倒れそうになった。
「つ、椿先生!?」
「危険です!」
倒れそうになった椿を助けようと、須美と園子が咄嗟に椿の身体へと飛びついた。
だが、歩き回って足がプルプルと震えていた椿の体重を、小学生二人が支え切れるはずもない。
バリバリバリバリッ!!と、3人は悲鳴を上げながら、そのまま生け垣を突き破り、銀の家の庭へと豪快に雪崩れ込んでいったのだった。
「うわあああああ!? な、何やってんですかー!!???」
子猫にミルクを与えていた銀が、目を丸くして大声を張り上げたのは、言うまでもなかった。
生け垣を突き破って豪快に雪崩れ込んだのは、見た目中学生の中年ひとりと小学生ふたり。
一番下敷きになった椿は、芝生の上で仰向けになりながら「あいたた……」と腰を押さえて顔を歪めた。その上に須美と園子が重なり合い、さらにその上を、発端となった野良猫が「フシャーッ!」と威嚇しながらどっかに行った。
「つ、椿先生!? 須美、園子!? なんで生け垣から落ちてくるんだよ!?」
「あ、あはは……やあ、ミノさん。ごめんねぇ、お邪魔しちゃって……」
「お邪魔しちゃって、じゃないですよー! 生け垣がバッサリ倒れてるじゃないですか!」
銀が頭を抱えて叫び、膝の上の子猫を慌ててカゴへと退避させる。
須美と園子は慌てて椿の上から退くと、土を払いながら正座し、気まずそうに下を向いた。椿もまた、プルプルと震える足に鞭を打ち、杖を支えにして何とか体を起こした。
指導者としてのプライドは、もはや跡形もなく砕け散っていた。
だが、椿は極めて真剣な顔を作り、咳払いをひとつ挟んだ。
「………2人とも怪我はなさそうね、自分まだやれます」
「何やるんですか」
銀の至極全当な突っ込みが庭に響き渡った。
◆
結局、倒れた生け垣を気休め程度に起こし直した後、椿たちは三ノ輪家の縁側へと通されることとなった。
「はいどうぞ! 在り合わせだけど、お腹空いてるだろ!」
大きな大皿に盛られた、出来立ての特製焼きそばが縁側に運び込まれた。
キャベツと豚肉がたっぷり入った香ばしいソースの匂いが、庭いっぱいに広がる。
「わあーっ! 焼きそばだー! 美味しそう〜!」
「銀、申し訳ありません。押しかけた上に、昼食までご馳走になってしまって……」
「いいっていいって! 大皿で作った方が美味いしな!」
豪快に笑う銀の横で、椿は縁側に深く腰掛け、割り箸を手に取った。
足の疲労はピークに達しており、正座どころかまともに立っていることすら怪しい状態だったが、縁側に脚を投げ出すことでどうにか体力を回復させようと試みていた。
「いただきます……」
一口、焼きそばを口に運ぶ。
濃厚なソースの味と、シャキシャキとした野菜の食感、そして豚肉の旨味が口いっぱいに広がった。
美味い。味覚がしっかりと残ってて、本当に良かった。
勇者システムの副作用、そして長期の冷凍睡眠。椿の身体は神経系を中心に様々な機能不全を起こしていたが、幸いにも「味覚」だけは正常なまま保たれていた。
それどころか、先ほどまでの「死にものぐるいの散歩」によって限界まで体力を削られた身体に、焼きそばの塩分と炭水化物が強烈に染み渡っていく。
「美味しいわ、味付け良いわね」
「へへっ、だろ? うちの弟たちも大好きなんだ!」
椿の褒め言葉に、銀は鼻を高くして嬉しそうに笑った。
ズルズルと無我夢中で焼きそばを頬張る三人。だが、一通りの食事が落ち着いたところで、銀が腕を組んでジロリと三人を見つめた。
「で……? 何でアタシの家の生け垣を覗いてたんだよ? 椿先生まで一緒になってさ」
ギクッ、と三人の肩が同時に跳ね上がった。
椿、須美、園子の三人は、顔を見合わせると「へへぇ……」と揃って身を縮め、バツの悪そうな苦笑いを浮かべた。
観念した園子が、焼きそばの紅生姜をつつきながら白状する。
「……あのね、ミノさん。ミノさんが最近、学校に遅刻しまくってるから……何をしてるのかな〜って、気になって偵察に来たの」
「げっ、偵察!? なんだよそれ!」
銀は驚いたように目を丸くした後、恥ずかしそうにガリガリと頭の後ろを掻いた。
「いやぁ……別に隠すようなことじゃないんだけどさ。学校に来る途中でさ、荷物重そうにしてるおばあちゃんとか、迷子の犬とか、この子猫とか見つけると……どうしても見過ごせなくてさ。手貸したり保護したりしてたら、いつの間にか予鈴が鳴ってんだよな」
照れくさそうに笑う銀の言葉に、須美は呆れ半分、感心半分といった顔で溜息をついた。
「まったく……理由を言ってくれれば、私たちが一緒に先生に説明しましたに。困っている人を放っておけないのは銀の良いところですが、遅刻は感心しませんよ」
「悪かったって! 次からは気を付けるよ!」
縁側で笑い合う三人。
その賑やかなやり取りを、椿はほうじ茶の湯気をくぐらせながら、穏やかな目で見つめていた。
困っている人を見過ごせない。
根っからの勇者。
見返りや義務感からではなく、ただ目の前で困っている存在がいるから手を差し伸べる。
それは、かつて自分が知っていた、かつて自分も出来ていたものと同じ。
眩しすぎるほどの善性だった。
この子たちのこの眩しさを、私は守らなきゃいけない。
二夜が残した不吉な予言、迫り来る運命の影。
それらがどれほど暗いものであろうとも、この縁側で咲く小さな笑顔たちを絶対に失わせてはならないと、椿は胸の中で静かに誓うのだった。
◆
それから数日が経過した。
神世紀298年の平和な日常は、ある日突然、唐突かつ苛烈に破られた。
警報音が4人の端末に鳴り渡る。
樹海化現象が展開され、世界が鬱蒼とした神樹の内部構造へと塗り替えられていく。
出現したのは、巨大な角と圧倒的な質量を誇る「牡牛座(タウロス)」、そして四つの強力なドリル兵装を従えた「山羊座(カプリコーン)」の二体であった。
新勇者として選ばれた三人の少女——鷲尾須美、乃木園子、三ノ輪銀は、即座に勇者装束へと変身し、樹海空間へと足を踏み入れた。
「みんな、行くよ! 椿先生に教わった通りの陣形で!」
「了解! 先頭は頼んだぞ、そのっち!」
「後方の支援は私が行います!」
三人は合宿で椿から徹底的に叩き込まれた基本陣形を素早く構築した。
最前線に乃木園子、そのすぐ後ろに火力を担う三ノ輪銀、そして後方から全体を俯瞰し弓で支援射撃を行う鷲尾須美。
園子を先頭としたこの陣形は、敵の初動を抑えつつ、状況に応じた柔軟な対応を可能とする、まさに合宿の成果そのものだった。
しかし、バーテックスは前回の戦いよりも遥かに狡猾かつ苛烈だった。
『——————ガンンンンンンンンンッ!』
突如、牡牛座の頭上に懸架された巨大な「鐘」が、樹海全体を震わせる凄まじい大音量を轟かせた。
「なっ……!? ぐあぁぁっ!?」
「くっ……耳が……体が……しびれ……ッ!」
空間そのものを歪めるような音波攻撃。
指向性を持った破壊的な音圧と振動が三人の全身体組織を直接打ちつけ、神経を麻痺させる。
三人は耳を押さえ、その場に膝をついた。椿の教え通りに組んだ完璧な陣形が、物理的な攻撃ではなく広範囲の行動不能攻撃、によって一瞬で金縛り状態に陥れられたのだ。
「しまっ……動きが……!」
動けない三人を目掛け、空中に浮遊していた山羊座が動いた。
その巨体から切り離された四つの巨大ドリルが、激しい回転音を上げながら死角から飛来。
ドリルは三人を直接殺傷するためではなく、彼女たちの配置を物理的に遮断するように地面へ突き刺さり、互いの視界と連絡を強引に分断した。
「わっしー! ミノさん!」
「クソっ、足が……動きやがれ!」
音波の痺れとドリルの障害物によって、孤立させられる三人。
それでも彼女たちは諦めなかった。すさまじい根性で痺れをねじ伏せ、互いに声を掛け合いながら、分断された位置から援護射撃と牽制を繰り出し、チームワークでジリジリと立て直そうと抗う。
しかし──悪夢はそこで終わらなかった。
ズズズ……と樹海空間の空気がさらに歪み、漆黒の亀裂が弾けた。
「……嘘……でしょ……!?」
出現したのは、さらなる3体目のバーテックス——「双子座(ジェミニ)」。しかも二体一組で素早く連動する、極めて厄介な個体であった。
2体ですら危険な状況において、突如としての3体目の乱入。
音波で束縛され、ドリルで分断された三人の勇者は、広大な樹海戦場の中で完全に「個」として孤立させられてしまったのだ。
「あいつら……神樹様の方へ向かってやがる!」
「陣形を……立て直さないと……!」
だが、山羊座のドリルが執拗に牽制を繰り返し、三人が合流することを許さない。
死の匂いが、戦場を支配し始めていた。
◆
戦場から少し離れた神樹の根の上。
端末のモニターに映し出される絶望的な戦況を凝視していた大葉椿の瞳に、静かな、けれど圧倒的な炎が灯った。
ここで動かねば、あの子たちが殺される。
脳裏に過ったのは、あの夜、二夜の幻影が残した言葉だった。
『次の戦いで、貴方に出てきてもらわなければあの三人は死ぬ』
ふざけるな。誰が死ぬものか、誰一人として、私の目の前で死なせはしない。
椿は杖を手放し、立ち上がろうとした。
衰弱し、ナノマシン投与のリハビリ中である彼女の身体は、本来ならば激しい戦闘に耐えられる状態ではない。出撃すれば、過剰な負荷によって二度と動かなくなるかもしれない。あるいは、そのまま死に至る可能性すらあった。
だが、椿の頭のどこにも「自分が死ぬかもしれない」という恐れや躊躇いは存在しなかった。
あるのはただ一つ。あの子たちを守るという、絶対的な意志だけだった。
椿はポケットから、最新型の「勇者端末」を取り出した。
弟・継人が大赦の裏をかき、自室とラボで寝る間も惜しんで組み上げた、幾重もの試作兵装を組み込んだ特注品。
「継人。……あんたの作った力、借りるわよ」
眩い光が、椿の全身を包み込んだ。
勇者システムの展開。
光が弾け飛んだ中心に現れたのは、かつて椿が纏っていた勇者装束とは一線を画す、禍々しくも美しい「試作強化型勇者装束」であった。
背中には、試作型として組み込まれた大型の光輪が蒼白く輝き、莫大なエネルギーを絶え間なく励起させている。
「大葉椿!!勇者復帰します!!!」
椿が叫ぶと同時に、背中の試作型光輪の大電力による大型プラズマ偏向推進器が、猛烈な青白いプラズマ噴流を爆発的に吹き出した。
ソニックブームが樹海全体を激しく揺らした。
二十八年前の現役時代すら遥かに凌駕する、見たことも、聞いたこともない圧倒的な超高速。
椿の身体は一本の青い閃光と化し、樹海の空間を切り裂いて飛翔した。
「なっ……何だ、あれ!?」
孤立していた銀が、空を見上げて目を見開く。
閃光となった椿が狙いを定めたのは、鐘の音波で三人の足を止めていた巨体──「牡牛座」だった。
音波の波動すらも置き去りにする速度で急接近した椿は、左腕に装着された大型盾を前方へ構え、超運動エネルギーをそのまま叩きつけるシールドバッシュを放つ。
大気が爆発したかのような凄まじい衝撃音が轟いた。
数千トンはあろうかという牡牛座の巨体が、下から突き上げられるようにして垂直に天空へと打ち上げられる。
「私の大切な子達にっ!!!」
椿は空中で反転すると、反対の手に握られていた長大な武器を上空へ向けた。
それは、かつて共に戦い、散っていった親友・土居晴美が愛用していた「杖」の形状を模した、大口径重粒子砲であった。
推進器の莫大なエネルギーが重粒子砲の極太の砲身へと収束していく。
「消えなさいッ!!!」
トリガーが引かれた。
極太の光の柱が天を突いた。
閃光が夜空のような樹海を真っ白に染め上げ、上空に打ち上げられていた牡牛座のボディの大半を一瞬で蒸発させ、吹き飛ばした。
残骸となって落下していく牡牛座を見上げながら、椿は己の手を見つめ、全身を駆け巡る感覚に息を飲んだ。
なんだこれは。
身体の激痛も、重苦しさも、何一つとして感じない。
勇者システムを使用している時につきまとうはずの「寿命や身体を削り取られている感覚」すらも皆無だった。体に充満するのは、どこまでも湧き上がる圧倒的なパワーと、思い通りに追従する推進力。
継人は一体何を作った?
驚愕と、ほんのわずかな恐怖。
それは、弟が姉を護るために積み上げてきた、狂気すら孕んだ「技術と執念の結晶」であった。
空中に静止する椿の勇姿を見上げ、孤立していた須美、園子、銀の三人は、言葉を失ってただただ呆然と立ち尽くしていた。
◆
「つ……椿……先生……!?」
頭上を切り裂いた爆音と、天空を染め上げた圧倒的な閃光。
そしてそこに舞い降りた、禍々しくも神々しい勇者装束を纏う女性の姿を見上げ、孤立していた鷲尾須美、乃木園子、三ノ輪銀の三人は、息を飲んで完全に呆然としていた。
リハビリ中でまともに歩くことすら覚束なかったはずの先生が、見たこともない凄まじいスピードと圧倒的な火力で、自分たちを追い詰めていた大型バーテックス「牡牛座」を一瞬で消滅させてしまったのだ。
だが、空中に踏みとどまった椿は、驚く暇すら与えない鋭い喝を樹海全体へと響かせた。
「何をしているの! 敵はまだ残っているわ! ぼーっと見取れていないで、即座に陣形を再構築しなさい!!」
その凛とした怒声が、三人の脳揺らし、意識を正気へと引き戻した。
「「「は、はいっ!!!!」」」
ハッと我に返った三人が、弾かれたように動き出す。
戦場にはまだ2体の敵が残されていた。
神樹本体を目指して凄まじい速度でダッシュを続ける「双子座」、そして地上でドリルを撒き散らし、勇者たちの追撃を遮ろうとする「山羊座」である。
「山羊座は三人に任せるわ! 双子座は私が始末する!」
「了解です! わっしー、ミノさん、山羊座を集中攻撃するよ!」
「おうよ! 任せときな!」
椿は背中の試作型光輪を眩しく輝かせると、推進器を再び爆発的に噴射させた。
キィン、と駆動音が響き、音速を超えた椿の体が地上を走る双子座の1体へと一直線に急降下する。
「ハアッ!!!」
逃げ延びようとする双子座の頭へ、上空から超重量の大型盾をそのまま叩きつける。
地煙が上がり、叩き伏せられた双子座が地面に深く埋まり込む。
間髪入れず、椿は盾の先端に仕込まれたパイルバンカーを叩き込む。
打ち込まれた高密度の打撃用杭が、双子座の硬質なボディを内部から完全に打ち砕き、一瞬で粉砕せしめた。
「次ッ!」
即座に反転した椿は、晴美の杖を模した重粒子砲を、さらに前方へ逃走を図っていたもう1体の双子座へ向けると、砲身のセレクターを「連続射撃モード」へと切り替える。
引き金、そして閃光。
重粒子の光弾が、まるで機関銃の様に連続して吐き出される。
光の弾幕が夜空を埋め尽くし、逃げる双子座の全身を正確に穿った。蜂の巣にされた双子座は、悲鳴を上げる間もなくボディが砕け散った。
その間、わずか数秒。
圧倒的な、そして容赦のない蹂躙であった。
◆
「アタシたちも負けてらんねえぞっ!!」
椿の規格外の戦闘を目撃し、新勇者たちの士気は最高潮に達していた。
山羊座は地上からの接近を嫌い、攻撃が届かない高度まで上昇すると、四つの巨大ドリルを次々と射出し、上空から一方的な爆撃を行おうとしていた。
「地上からの射撃では届きません……ですが、そのドリルは繋がっている!」
後方に位置した鷲尾須美は、鋭い眼光で上空を見上げた。
彼女は山羊座の本体と、そこから伸びてドリルを操作している伸縮自在の組織——「靭帯」を正確に捉える。
「そこですッ!」
須美は弓をキリキリと限界まで引き絞ると、一息のうちに連続で矢を放った!
放たれた光の矢は、寸分違わず山羊座とドリルを繋ぐ靭帯に次々と命中し、その肉体組織を強固な矢で穿ち、破壊していく。
「靭帯の破壊を確認! そのっち、銀、今です!」
「よ〜しっ、行くよ〜!」
「よっしゃああああっ!」
垂れ下がった山羊座の靭帯とドリルの残骸。
園子と銀は、それをまるで天空へ続く「坂道」のように蹴り立て、駆け登り始める。
常人ではあり得ない跳躍力とバランス感覚。
山羊座の死角から一気に肉薄した二人は、空中へ躍り出た。
「はああああっ!」
園子の長槍が山羊座に深々と突き刺さる
そこへ、極限まで加速した銀が両手に携えた大斧を振り上げた。
「これでも……喰らいやがれえええええっ!!!」
銀の放つ渾身の連続打撃が、山羊座のボディを粉砕していく。巨体が悲鳴を上げ、空中で大爆発を巻き起こした。
空中で役目を果たした園子と銀は、槍を巨大な盾の形態へと変形させると、それに捕まってフワフワとタンポポの綿毛のように地上へと降りてきた。
「ふぅ……完璧ですね」
着地した二人を横目に須美は、すぐさま背後で変身を解除した椿の元へと一瞬で駆け寄った。
「椿先生! お体は……お体は大丈夫なのですか!?」
顔を蒼白にし、必死な手つきで椿の手足や身体を撫で回しながら心配する須美。
変身を解き、少しだけ肩で息をしていた椿だったが、その顔には疲労の色よりも、温かな微笑みが浮かんでいた。
「ええ、全く問題ないわ。どこも痛くないし、ピンピンしているわよ」
「……良かった……! 本当に……良かったです……!」
須美は胸に手を当て、心の底からホッと安堵の息を漏らした。
椿はそんな須美の頭にそっと手を置き、優しく撫でながら告げた。
「それにしても鷲尾。あの山羊座の靭帯を即座に見抜いて打ち抜くなんて……見事だったわ。あれはおいそれとできる芸当ではないわよ。凄いわね」
自分なんかが真っ先に褒められるとは思っていなかった須美は、一瞬目を丸くした後、ぽっと頬を赤く染めた。
「へ、へへへ……。椿先生にそう言っていただけるなんて……」
照れくさそうに笑う須美。
その直後、周囲の空間が静かに揺らぎ始めた。
鎮花の儀が完了し、破砕された3体のバーテックスの残骸は瞬時に結界の外へと排除され、鬱蒼とした樹海が光となって消えていく。
◆
現実世界の大橋の公園前へと戻された4人。
夕暮れの柔らかい光が、公園の芝生と4人の影を長く伸ばしていた。
「いや〜! 椿先生、めちゃくちゃ凄かったんよ! ドカーンって!」
「ほんとすごかったぞ! あのスピード何なんだよ! カッコよすぎだろ!」
変身が解けた園子と銀が、興奮冷めやらない様子で手振り身振りを交えて盛り上がっている。
すると、その横で須美がふふんと鼻を鳴らし、少しばかり威張った様子で胸を張った。
「ふふん、お二人とも。私は椿先生に『凄いわね』って、直々に褒めていただきましたから!」
「え〜っ! わっしーずるーい!」
「なんだよそれ! アタシたちだって頑張って登って切り刻んだのに!」
園子と銀が、物欲しそうな目をして、じーっと椿の方を見つめてくる。
子供みたいにアピールしてきて可愛い。子供だけど。
椿は苦笑いを浮かべると、まずは乃木園子の前に進み出た。
「乃木」
「は、はいっ!」
椿は園子の目をじっと見つめ、静かに言葉を紡ぐ。
「貴女のポジションは、誰よりも先に敵と接触する、最も勇気が必要な役割。敵の不意の乱入があるまで陣形を崩さず、さらに素早く立て直すことができたのは、最前線で踏みとどまった貴女のおかげよ。本当によくやったわ」
「〜〜〜っ! 嬉しいです〜〜!」
園子がパッと顔を輝かせ、飛び跳ねる。
続いて、椿は三ノ輪銀に向き直った。
「そして、三ノ輪」
「は、はい!」
「敵を速やかに撃破することが貴女の役割であり、三人の役割の中で、最も結果を出さなければいけないポジションよ。それをしっかりと果たしてくれた。……それこそが、私と最後まで一緒に戦ってくれた私の友人のポジションであり、私が最も信頼するポジションよ」
「椿先生……! へへっ、へへへっ! アタシ、一番頼りにされてる……!」
「やったぁー! 褒められたー!」
「よっしゃあー!」
三人は手を取り合い、ピョンピョンと無邪気に飛び跳ねながら大喜びした。
その眩しい笑顔と弾けるような歓声を見つめながら、椿は少し不思議そうに首をかしげた。
普段そんなに三人のこと褒めてなかったか?
ふっと笑みが漏れる。
厳しい訓練ばかりを強いてきたかもしれない。だが、この子たちは確実に強く、そして優しく育っている。
この子たちとなら、どんな過酷な運命であっても乗り越えていけるかもしれない──そう思えるほどに、胸の奥が温かな光で満たされていくのを、椿は静かに感じていた。
◆
「……あの時の椿先生、本当〜に誇らしそうだったなぁ」
神世紀300年。
風が吹き抜ける壊れた大橋の公園、慰霊碑の前。
過去の思い出を語り終えた乃木園子が、空を見上げながら静かに呟いた。
衛使の背の上に背負われたその身体は小さく傷ついていたが、その表情はどこまでも穏やかだった。
「……ええ。あの時、椿先生が言ってくださった言葉があったから……私たちはどんなに過酷な戦いでも、自分たちの役割を信じて戦い抜くことができたのかもしれません」
東郷美森もまた、2A技術の補完器具が装着された右手の指先をそっと胸に当て、慰霊碑に刻まれた「大葉椿」「三ノ輪銀」の名を愛おしそうに見つめた。
あの日、椿が注いでくれた教え。
それが、どれほど深く自分たちの魂に刻み込まれていたかを、今更のように実感する。
少し離れた場所で黙って話を聞いていた大葉継人は、ポケットから煙草を取り出そうとしたが、ふと思い直したようにそれを仕舞い直した。
そして、ゆっくりと慰霊碑の前に歩み寄ると、静かに目を閉じ、深く手を合わせた。
瀬戸内海から吹き込む秋の風が、慰霊碑の周りを優しく駆け抜けていく。
添えられた白百合の花びらが揺れ、柔らかな香りが空へと広がっていく。
失われたものは大きく、残された傷痕はあまりにも深い。
けれど、かつて繋がれた希望の光は、確かに今もこの少女たちの胸の中で生き続けていた。
遠く聞こえる穏やかな波音の中に、微笑む椿の優しい声が交ざっているかのように、秋の陽射しは温かく、慰霊碑と三人を優しく包み込んでいた。