神世紀300年、秋。
瀬戸内海からの冷たい風が立ち込める夕刻、大葉継人は黒いワゴン車の運転席で静かにエンジンを回していた。
先ほどまで壊れた大橋の袂にある慰霊碑の前で、東郷美森と乃木園子、そして自らの亡き姉・大葉椿の面影を辿っていた。壊れた身体を押して参拝に訪れた二人を車に乗せ、彼女たちが「行きたい」と願った場所──旧友との思い出が残る街の静かな一角へと送り届けた後、継人は大赦の支部から回されてきた業務端末の暗号化ファイルを立ち上げていた。
画面に流れる無機質なログデータ。
それは、継人自身がかつて大赦のラボで構築したデータの複製でありながら、彼の手を離れたところで改竄・運用された「悲劇の記録」であった。
大赦の内部における、ある特定の課による開発データ。
そこには、現在の勇者たちが運用している「精霊システム」および「満開(まんかい)」の機構が、いかにして完成されたかが克明に記されていた。
やっぱりか。
継人は苦い唾を飲み込み、画面の文字を追う。
当時、鏑矢の内部にいた大赦の人間が、継人の構築した未実装の勇者システムの基礎データおよび試作型兵装のログを、裏で別の課へ横流ししていた。それも、大赦の権力の頂点に君臨する最高神官の直接の密命によって。
時期は神世紀298年頃、大葉椿が試作強化型勇者装束を纏い、圧倒的な火力でバーテックスを粉砕した直後のことだ。
大赦の上層部は、継人が個人の技術と狂気的な執念で完成させた「大葉椿の圧倒的な戦闘力」を目の当たりにし、歓喜すると同時に強い「恐怖」を抱いた。大赦の手を離れた個人の力があまりにも強大すぎたからだ。
『大葉継人のシステムは危険すぎる。だが、あの圧倒的な技術力を制御し、我が大赦の功績として形にしなければならない』
故に、最高神官らは継人のデータを盗用し、「精霊」による自動防御と、散華による「満開」という悪魔的なシステムを組み上げた。そして椿を失い、悲しみの縁にいた鷲尾須美、乃木園子、三ノ輪銀の三人に、あたかも大赦の慈悲と最新技術であるかのようにそれを与えたのだ。
同時に、継人たちへの予算と支援をすべて打ち切り、自らの功績として高らかに謳い上げるために。
「……功績のことを考えればやるよなぁ、アイツらなら」
継人はハンドルを強く握り締め、低く呟いた。
当時、自分が頭の中で組み上げていた推測の答え合わせが、今、最悪の形で証明されたのだ。
システムに奪われた少女たちの身体、奪われた命、そして姉の最期。当時の大赦によって良いように扱われてしまった。
継人は目を閉じ、冷えた車内で記憶の引き出しを開く。
あの過酷で、けれどどこまでも眩しかった神世紀298年──椿がまだ生きて笑っていた、最後の夏の記憶を。
◆
神世紀298年、7月初頭。
あの「牡牛座・山羊座・双子座」との激闘を経て、大葉椿は本格的な現場指導へと訓練する側として復帰していた。
大赦の訓練場では、金属がぶつかり合う激しい音と、少女たちの威勢の良い掛け声が連日響き渡っていた。
「そこっ! 乃木、突進が前傾姿勢になりすぎているわ! 相手の不意の攻撃を受けたら体勢を崩すわよ!」
「ほえ〜っ、了解です〜!」
「三ノ輪、打ち込みは良いけれど、その後の動きが大きすぎる! 空振った時の隙を須美がカバーする羽目になるわ!」
「はいっ! 気を付けますっ!」
「鷲尾、射撃の正確さは完璧だけど、自分の間合いに入られた時の退避動作がワンテンポ遅い! 弓を盾にする覚悟を持ちなさい!」
「はいっ! 直ちに改善します!」
汗を流す三人の少女たちの中に、椿自身の姿もあった。
試作強化勇者システムのテスト運用以降、椿の身体は2Aによる治療と定期的な運動により、一時期の杖の歩行が嘘のように動くようになっていた。
椿の圧倒的な戦闘データを見た大赦の上層部の一部からは、「大葉継人に正式に勇者システムの建造・改修を任せるべきではないか」という強い推薦の声が上がっていた。だが同時に、「勝手に大赦の重要システムに介入し、勝手な兵装を組み込んだ無法者を大赦の中枢に関わらせるべきではない」という硬直した反対派の声も強く、議論は難航していた。
当の継人自身は、大赦の功績や評価などハナからどうでもよかった。彼にとっては「勇者達が生き残ること」だけが唯一の関心事だったからだ。
椿としては、これからさらに激化するであろう戦いに備え、須美・園子・銀の三人のシステムも継人に頼んで改修してもらいたいと考えていた。しかし、大赦による政治的な「待った」がかかり、身動きが取れずにいたのだった。
上の面子なんてどうでもいい。
システムに頼れないのであれば、戦術とチームワークでカバーするしかない。
椿は自らを三人の「陣形」の中に組み込むやり方を模索し始めた。
椿の最大の武器は、継人が開発した大型プラズマ推進器による圧倒的な機動力だ。最前線で敵を抑える園子と、後方で精密射撃を行う須美の間を自在に駆け巡り、攻撃にも防御にも転じることができる。
試行錯誤の末、椿の位置は、同じく高火力で縦横無尽に動く「三ノ輪銀と同じ突撃・遊撃ポジション」へと落ち着いた。
「よーし! 椿先生、アタシと勝負です!」
「いいわよ、三ノ輪。手加減はしないから、かかってきなさい!」
大斧と大型盾が激しくぶつかり合う。
訓練で本格的に身体を動かすようになったことで、椿の身体には目に見えて活気が戻っていた。そしてそれに伴い、冷凍睡眠から覚めて以来、比較的落ち込んでいた彼女の「食欲」は、全盛期──二十八年前と全く変わらないレベルにまで回復していたのである。
◆
「……ふぅ。今日も疲れたわね」
訓練が終わり、安芸との長々とした進捗報告会議を終えた夕方。
椿は一人、大赦の施設を抜け出して街の商店街へと足を向けていた。完全な自由時間、魅惑の夕食タイムである。
最近の椿の密かな楽しみは、訓練が終わった後に三人組にバレないよう、こそこそと街に出て美味しそうな飲食店を物色することだった。運動量が増えたことで胃袋は常に腹ペコ状態であり、彼女の脳内は「旨いもの」のことで満たされていた。
今日は前から狙っていた店に行く。
椿がやってきたのは、レトロなレンガ造りの外観が特徴的な、街で評判の老舗洋食店だった。
看板に書かれたメニューの写真を思い浮かべ、椿の鉄面皮な表情の裏で、脳内は完全に躍り上がっていた。
トロトロの半熟卵、濃厚なデミグラスソースがかかった特製オムライス。 当然、大盛りである。
心の中で小躍りしながら、いざ店の扉を開けようと差し伸ばした椿の手が、ピタリと止まった。
店の前の歩道に、見覚えがありすぎる三つの人影が並んで立っていたからだ。
鷲尾須美、乃木園子、三ノ輪銀。
三人は制服姿で、じーっと椿のことを見つめていた。
「……え。何でここにいるの?」
椿は瞬時に表情を殺し、いつもの冷酷なまでに整った「鉄面皮」を作り上げて尋ねた。
すると、園子がふにゃっと首をかしげながら、口元に笑みを浮かべて言った。
「えへへ〜。椿先生、最近訓練が終わるとそそくさとどこかに行っちゃうから〜……気になって継人さんに聞いちゃいました〜」
「……継人に?」
「はい! 継人さんが『あいつは最近、街の美味い店を片っ端から食べ歩いてるぞ』って、お店のリストまで教えてくれました!」
須美が胸を張り、堂々とドヤ顔で答えた。
あのクソ弟。 余計なことを吹き込みやがった。
逃げ出そうかなぁ、と足の角度を変えた瞬間、銀がガバッと椿の距離を詰め、無邪気な笑顔で叫んだ。
「椿先生! 訓練終わりでお腹空いてんだろ!? 一緒に食べましょうよ!あたし達もお腹ペコペコなんだ!」
「え、いや……私は別に、一人でサクッと食べて帰るつもりだったんだけど……」
「ダメです〜! 先生だけ美味しいものズルいですよ〜!」
「そうです、椿先生。大勢で食べるご飯の方が美味しいと、継人さんも言っていました!」
逃げ道を塞がれ、教官としてのプライドもある椿は、ハァと重い溜息をついた。
「……分かったわよ。一緒に入りましょう」
こうして、四人で洋食店へと入ることになった。
ちなみに、この外食は完全に椿個人のプライベートな行動であるため、当然ながら「全額自腹」である。
そして椿の財政事情は、極めて限定的な状況に瀕していた。
『姉さん、あんたはお金を持たせたらあるだけボンボコ使っちゃうんだから、俺が管理するからね』
目覚めて早々、弟の継人に財布の紐を半分握られてしまい、椿が自由に使えるお小遣いは実質全財産の「半分」に制限されていた。その上、ここ最近の外食連発により、椿の財布の中身は文字通り貧困を極めていたのである。
テーブルに運ばれてくる、絶品のオムライスやハンバーグ。
「美味しい〜っ!」「うめえええっ!」と大はしゃぎで頬張る小学生三人組。
椿も念願の特製オムライス大盛りを口に運び、そのあまりの美味さに目を細めた。
美味い。 濃厚なソースとふわふわの卵が最高である。
至福の夕食タイムが終わり、食後のデザートとしてパフェやプリンが運ばれてきた。
甘味をつつきながら、舌鼓を打っていた椿だったが、伝票がテーブルの端に置かれた瞬間、現実に引き戻された。
やばい。私の財布、完全にカスカス。
奢る格好になってしまったため、四人分の食事代を支払った椿の財布の中身は、数枚の硬貨を残して見事に空っぽになった。
美味しかったからいっか、と心の中で自分を慰めていると、スプーンを咥えていた銀が、ふと思い出したように椿へ顔を向けた。
「そういえばさ、椿先生! 今度の夏祭り、一緒に行きませんか!?」
「夏祭り?」
椿はパフェのイチゴを口に運ぼうとした手を止め、首をかしげた。
「夏祭りって……いつのこと?」
「8月ですよ! 神社でやるデカいやつです!」
「……ちょっと三ノ輪。今まだ7月の最初よ? 来月の予定を今から聞くなんて、気が早すぎないかしら?」
あきれ顔で答える椿。
するとその時──右腕にヌルリとした湿り気と柔らかな感触が巻き付いた。
「……何?」
見ると、園子がぬるりとした動作で椿の右腕をしっかりと抱きかかえていた。その目は笑顔でありながら、逃げ場を一切与えない絶対的な圧力を孕んでいた。
「椿先生ぇ〜。私たち三人、今度の夏祭りは浴衣を着て行くんですよ〜……。椿先生も、絶対に着てくれますよ、ねぇ……?」
「え? いや、浴衣……? 私は大人だし、私服で──」
言いかけた瞬間、今度は左腕に、ぬるりと別の感触が巻き付いた。
鷲尾須美である。須美は椿の左腕をガッチリとホールドすると、真面目な顔のまま、椿の耳元へ静かに身を寄せ、密やかに囁いた。
「……椿先生。諦めてください。そのっち、もう先生の分の着物を準備し始めているんですよ……」
「……え、着物!? 浴衣じゃなくて!?」
困惑する椿。答弁をうやむやにして逃げ切ろうと、「いやぁ……でも浴衣はちょっと恥ずかしいというか、柄じゃないというか……」とはぐらかし始めた、その時だった。
ぬるり。
今度は背後から、三ノ輪銀の手が椿の肩をガシッと掴んだ。
「椿先生。継人さんにも話はついてるんですよ」
「……はい?」
銀はニカッと悪魔のような爽やかな笑顔を浮かべ、突きつけるように言った。
「『姉貴が渋ったら、もっと高価な本格的な着物を着せて良い。どうせ園子が用意してるだろ』って、継人さんが言ってました! つまり、ここで拒否した場合は、衣装が自動的に高級着物にグレードアップします」
「……っ!?」
弟が自分を完全に売ったという衝撃の事実。
そして、教え子たち三人からの完璧な包囲網と、笑顔の脅迫。
外堀どころか、内堀まで完全に埋め立てられてる。
右に園子、左に須美、後ろに銀。逃げ場はどこにも存在しなかった。
椿は諦めの境地に達し、白目を剥きそうになるのを必死で耐えながら、ガクッと肩を落とした。
「……分かったわよ。行きます……行けばいいんでしょ……」
「「「やったあーーーっ!」」」
店内に、三人組の大歓声が響き渡った。
◆
大赦の施設にある自分の部屋へ戻ってきた椿は、ドサリとベッドへ倒れ込んだ。
「……あいつら、容赦なさすぎるでしょ……」
クッションに顔をうずめながら文句を呟く。
今すぐ電話をかけて、自分を売った弟の継人に猛抗議してやろうと受話器に手を伸ばしかけた、その時だった。
机の上に置かれた、卓上カレンダーがふと目に留まった。
神世紀298年。
二十八年の冷凍睡眠から目覚めて以来、リハビリと訓練、そしてバーテックスとの戦闘に追われ、自分のプライベートな予定など一度も書き込んだことがなかったカレンダー。
椿は受話器から手を離し、ゆっくりと机へと歩み寄った。
ペンを手に取り、8月の祭りの日付のマス目を見つめる。
「……まったく。お節介な子たちよね、こんなおばさんに浴衣なんて」
口元に浮かんできたのは、呆れ顔ではなく、自分でも驚くほど穏やかな温かい笑みだった。
黒いペン先を走らせる。
『夏祭り。3人とお出掛け。』
小さな文字でそう書き込むと、椿はカレンダーを愛おしそうに撫でた。
二十八年前はこんな日常すら、持つことができなかった。
親友の二夜と晴美を失い、最後は命を削って眠りについた。
けれど今、目の前には、自分を慕い、強引に日常へ連れ出してくれる愛しい教え子たちがいる。
この子たちと共に過ごす夏。
それがどれほどかけがえのない宝物であるかを、椿は胸の奥で静かに噛み締めていた。
……だが。
運命の歯車は、少女たちの無邪気な願いを嘲笑うかのように、あまりにも残酷な速度で回り始めていた。
カレンダーに予定を書き込んだ数日後。
端末の警報音が、彼女達の平和を激しく引き裂いた。
◆
夏祭りの約束を交わした数日後。
警告音が、4人の平穏な空気を激しく切り裂いた。
樹海空間への引き込み。世界が鬱蒼とした神樹の内部構造へと塗り替えられていく。
端末には敵が表示される。
バーテックス、個体数、最初から3体。
出現個体識別『蟹座』『蠍座』そして『射手座』
その情報を見た瞬間、大葉椿の全身の血液が、一瞬で沸騰したかのように煮え立った。
蟹座、蠍座、射手座。
二十八年前──神世紀270年、私達を襲ったあの悪夢の戦い。
共に戦い、自らの目の前で命を散らせていった親友・晴美を死に追いやったのと、全く同じ凶悪な組み合わせであった。
「……あいつら……ッ!!」
椿の額や首筋に、ビキビキと青筋が浮かび上がる。血管が激しい怒りで弾け飛びそうなほどの怒気を、彼女は気合いと歯噛みで強引に押さえ込んだ。
復讐心に呑まれては戦術を誤る。それは少し利口になった椿の教訓だった。
椿は即座に通信機へ叫んだ。
「3人とも、聞きなさい! 敵は連携を前提とした最悪の布陣よ! 特に射手座の超遠距離攻撃は、蟹座の防壁によって軌道を曲げられ、死角から跳ね返ってくる可能性がある、 それさえ潰せば、敵の攻撃は直線的なものだけに絞られる」
「了解です、椿先生!」
「うん! どうすればいい、先生!?」
「私が先陣を切り、真っ先に『蟹座』を撃破する! 三人は私が蟹座を撃破するまで、蠍座と射手座の攻撃を捌きつつ、戦線を維持しなさい!!」
「「「了解!!!!」」」
出撃。
四人の勇者は爆発的な速度で樹海空間を奔走し始めた。
椿は背中の試作型光輪を全開で励起させると、一直線に「蟹座」の巨体へと肉薄した。
手に握られた大口径重粒子砲を「連続射撃モード」へと切り替え、牽制の光弾を雨あられと撃ち込む。
だが、蟹座は即座に前面に巨大な防壁を展開。重粒子の光弾は防壁に阻まれ、甲高い反射音とともに別方向へと弾き返された。弾き返された光弾が椿の頬を掠める。
「やっぱりそうするよねぇ!」
椿は背中のプラズマ推進器を限界まで偏向させ、慣性を無視した強烈なGがかかる機動修正を敢行。弾き返された自身の攻撃をギリギリで回避すると、そのまま推進器の全推力で蟹座の懐へと潜り込んだ。
「沈めぇ!!!!」
大型盾のパイルバンカーを蟹座の装甲に叩き込み、そのまま至近距離で重粒子砲をゼロ距離射撃。
閃光。
零距離での爆発的エネルギーが蟹座の巨体を内側から破壊し、ボディが粉砕される。その奥から、バーテックスの生命線である赤黒い御魂が露わとなった。
よし、次だ。
一瞬でコアを露出させ、即座に3人の援護に回ろうとした、その次の瞬間だった。
露わになった蟹座の御魂が、不気味な黒いモヤを噴き出しながら、ドロドロと形状を変え始めた。
コアの表面が隆起し、人の形へと再構成されていく。
現れたのは、全身が純白の霊衣に包まれた、一人の少女の姿であった。
しかし、その顔──冷徹な瞳と、歪んだ笑みを浮かべた口元は、紛れもなくあの夜に巡り会った「霞の二夜」そのものであった。
「……なっ!? 二夜……!? なんで……!?」
あまりの異常事態に、椿の思考が一瞬だけ停止した。
バーテックスのコアから現れた二夜の幻影。混乱する椿を余所に、純白の二夜は手にした長刀を静かに構えると、音もなく地を蹴った。
そのターゲットは、椿ではない。
他方で戦線を維持していた、新勇者の三人であった。
「しまッ! 3人とも、避け──!!」
椿の制止の叫びは届かない。二夜の速度は、すでに音速を超えていた。
「きゃああっ!?」
一瞬。ほんの一瞬の交差であった。
二夜が振るった一閃は、最前線で盾を構えていた乃木園子の槍の盾機能を、まるで紙切れのように真っ二つに切り裂いた。そのまま刃が園子の二の腕を深く深く切り裂き、鮮血が舞う。
「なっ……何だこいつっ!?」
銀が大斧を振るって迎撃しようとするが、二夜は素手で斧の側面を極めて正確に弾き飛ばすと、反転した勢いのまま、手にした長刀を銀の右太ももへ深く深く突き立てる。
「いっ……ぐああああっ!?」
「銀!!」
後方から弓を構えた鷲尾須美が絶叫し、矢を放とうとする。だが、二夜は矢が放たれるよりも早く須美の懐へ潜り込むと、長刀の柄で須美の神弓を真っ二つに叩き割り、間髪入れずに放たれた蹴りが須美の右腕を直撃した。
バキリと、生々しい骨折音が響く。
「ぐああああああっ!!!」
右腕をへし折られた須美が、地面を転がっていく。
ほんの二秒。
たった二秒の出来事の中で、三人で完璧に維持していた戦線は、二夜という異次元の個体によって完全に壊滅させられた。
痛みにのたうち回り、樹海に激痛の悲鳴を響かせる三人の少女たち。
二夜は転がる三人を一瞥すらすることなく、冷酷な足取りのまま、ゆっくりと神樹本体の方向へと最速で進め始めた。
◆
「ああああああああああっ!!!!!」
少女たちの凄惨な悲鳴を聞いた瞬間、椿の精神のタガが完全に外れた。
殺させない。 殺させるな!!
脳裏を焦がすのは、二十八年前の死線。
自分の目の前で絶命した晴美の血の冷たさと、二夜のあの呪わしい言葉。
『次の戦いで、貴方に出てきてもらわなければあの三人は死ぬ』
「よくも……よくもぉぉぉぉっ!!!」
椿は凄まじい叫びとともに地を蹴り、二夜へと襲いかかった。
重粒子砲の光弾と、大型盾による強烈な一撃。だが、二夜の動きはあまりにも洗練されていた。椿の超高機動に完璧に追従し、長刀の一振りが椿の攻撃をすべて完璧に受け流し、あるいは最小限の切り返しで弾き返していく。
強い。 継人の兵装の出力をもってしても、捉えきれない。
押し込まれるのは椿の方だった。
継人が開発した試作兵装は、間違いなく規格外の戦闘力を引き出していたが、今の二夜の異様な戦闘力の前には、ジリジリと体勢を崩され、装甲を削り取られていく。
このままでは、削り殺される。
自分が倒れれば、あの傷ついた三人は間違いなく殺される。
どうすればいい?どうすればあの子たちを護れる?
その瞬間──椿の身体の奥深くに植え付けられていた「あるもの」が、彼女の強い感情と共鳴を起こした。
2A技術。
桑折春雄によって投与された、脳の認識機能を復活させる技術。
それが椿の「絶対に折れない生への意志」と「大切な者を護る執念」に反応し、勇者端末の内部で固くロックされていた精霊の力を強引に解放した。
ガキンッ!!と、端末から不可解なロック解除音が響く。
「ハアアアアアアアッ!!!!」
椿の全身から、それまでの比ではない蒼白く禍々しいオーラが爆発的に吹き出す。最後の命の輝き。
試作型光輪が過剰駆動を起こし、空間を歪めるほどの莫大なエネルギーが椿の身体を駆け巡る。
限界突破。
全力を解放した椿の超高速の踏み込みが、二夜の長刀と激しく激突。
互いの武器が打ち合い、周囲の樹海の地面がクレーター状に陥没する。
激しい白兵戦の中、二夜は感情の籠もらない冷徹な瞳で、椿を凝視しながら言葉を投げかけてきた。
『何故……戦うの? 椿』
その声は、かつて共に戦った親友、二夜そのものの声だった。
『何故、あんな奴らのために……大赦のために、命を使い潰すの?』
『見なさい……あの幼い勇者の子供たちを。彼女たちもまた、私たちと同じように身体を壊され、理不尽に命を弄ばれ、同じ残酷な運命を辿る』
二夜の問いかけ。
それは、椿自身が二十八年間の眠りから目覚め、日常の中で、何度も何度も自問自答し、苦しんできた「問い」そのものであった。
自分たちは何のために身を削ったのか。
大赦の都合で戦わされ、理不尽に奪われていく命。
これから育っていくあの三人の少女たちも、自分たちと同じようにボロボロにされ、捨て駒のように扱われていくのではないかという強い疑問。
だが──今の椿の心には、一切の迷いは存在しなかった。
「……違う!!」
椿は二夜の長刀を盾で強引に押し返すと、血を吐くような叫びを返す。
「同じじゃない……! あの子たちの運命は、私たちと同じなんかじゃないわッ!!」
あの合宿で見た、少女たちの真っ直ぐな瞳。
あの時見た、生け垣の向こうで弟や子猫を愛おしそうに育てる三ノ輪銀の優しさ。
照れくさそうに「一番勇気が必要」「一番の技量」と褒められて笑い合っていた、3人の温かな時間。
「あの子たちには……私たちが持てなかった『未来』がある! 私たちとは違う、平和で温かな運命を生きる権利があるのよ!!」
「そのために……この命を使う!!そのために私は此処に居る!!!それのどこに……意味がないなんてことがあるもんかああああっ!!!」
魂の底からの叫び。
椿の言葉とともに、晴美の重粒子砲が至近距離で最大威力の光を吐き出す。
◆
その頃──、地上に倒れ伏していた三人の少女たちは、血と激痛の中で必死に呼吸を繋いでいた。
太ももを深く刺された三ノ輪銀。
左の二の腕を深く切り裂かれた乃木園子。
右腕をへし折られた鷲尾須美。
普通の中学生であれば、あまりの痛みに気絶していてもおかしくない凄惨な負傷。
だが、三人は互いの顔を見合わせると、途切れ途切れの声で自身の傷の状況を共有し始めた。
「……ぐっ……右足が……まともに動かねえ……」
「私……は左腕が上手く動かない……」
「右腕が……折れています……」
絶望的な負傷。だが、彼女たちの瞳から光は消えていなかった。
上空と遠方では、自分たちを護るために椿先生が死力を尽くして二夜と戦っている。そして、戦場にはまだ「蠍座」と「射手座」の二体が残され、神樹様へと向かって進軍を続けていた。
「……やるよ……二人とも……!」
「おう……! 先生だけに……カッコつけさせてたまるかよ……っ!」
「はい……! 敵を、倒します!」
激痛を根性と勇者システムでねじ伏せ、三人は立ち上がった。
まず動いたのは乃木園子だった。
彼女は二夜に真っ二つに叩き割られた長槍の「盾機能」を完全に切り捨て、攻撃のみに特化させた槍の身一つで二体の前に立ちふさがった。
上空から射手座が放ってくる無数の光の矢。園子は長槍だけで飛来する矢のすべてを槍の「切っ先」だけでピンポイントに叩き落とし、弾き返した。
「ミノさん!今だよーーっ!!」
「任せとけえええっ!」
右足を負傷した銀は、無事な左足一本だけで凄まじい脚力を発揮し、器用に跳躍。
空中高く躍り出ると、両手で持ち上げた大斧を、遠方の射手座の頭部目掛けて全腕力で投げつける。
空を切り裂いて飛んで行く大斧が射手座の頭部を叩き割り、その巨体を大きく揺らさせる。
だが、間髪入れずに「蠍座」の巨大な尻尾が、後方の鷲尾須美へ向けて振り下ろされた!
「須美っ!!」
須美はへし折れてブラブラと垂れ下がる右腕を完全に「無視」した。
残された左腕一本で地面から神弓を拾い上げ、再生、矢を右手に持てないならばと、自らの「口」で矢の端を強く噛み締めた。
「ふ……ぬううううっ!!!」
左腕で弓幹を押し出し、口で弦と矢を引き絞る。
歯が欠け、唇の端から血が噴き出すほどの異常な力で引き絞られた神弓。
「射ち……ぬけええええええっ!!!」
口を離す。
放たれた最大出力の光の矢が、一直線に蠍座の頭部を貫通。
爆発とともに頭部が吹き飛び、蠍座の尻尾の動きが目に見えて鈍り始める。
「ぐあっ!?」
だがその瞬間、姿勢を崩した隙を突き、射手座が放った光の矢が須美の「右肩」を深々と穿つ。
鮮血が吹き出し、激痛で膝をつく須美。
しかし、須美は悲鳴を上げる代わりに、血反吐を吐き出しながら絶叫した。
「敵を……っ! そのっち! 銀!! 構わず敵を潰せぇええッ!!」
「うおおおおおっ!!」
園子は即座に長槍の先端を地面と平行に構え、そこへ跳躍してきた銀の「左足」を直接乗せた。
「いいっけぇっっっっ!!」
園子の全身の力と長槍のしなりを利用し、銀を大砲の弾のように最大出力で撃ち出す!
その代償として、すれ違いざまに振るわれた蠍座の尻尾が園子の「左腕」を横凪に直撃。強烈な衝撃で左腕の骨が完全にへし折れ、園子の小さく華奢な体が吹き飛ばされた。
「よくもやったなぁっ!!」
空中へ跳ね上がった銀は、先ほど回収した大斧を上段に構え、頭下へ位置する蠍座の頭目掛けて振り下ろす。
「これでも……喰らいやがれええええええっ!!!!」
ドゴン!!と銀の渾身の一撃が蠍座のボディを直接粉砕、蠍座は凄まじい爆発とともに砕け散った。
だが──攻撃は終わらない。
生き残っていた「射手座」の追撃の矢が、空中で無防備になった銀の「左肩」を容赦なく射抜く。
「ガハッ……!?」
肩を撃ち抜かれ、地面へ叩きつけられる銀。
「ぎ……銀………っ!!」
傷だらけで横たわる須美の視界に、なおも残された矢を引き絞り、瀕死の自分たちにとどめを刺そうとする射手座の姿が映った。
須美の瞳に、人間を超越した鬼神のごとき怒りが宿る。
「……私の大切な仲間を……傷つけるなあああああっ!!!!」
右腕は折れ、右肩は撃ち抜かれている。
須美は片足を地面に突っ張らせると、自らの「足の指」で弓幹を保持し、残された左腕と「口」で、限界を超えて弦を引き絞った。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、皮膚が裂けて血が吹き出す。
「消えろ……ッ!!!!」
放たれた、渾身を込めた一矢。
極太の光の柱と化した矢は、射手座の巨体を正面から完全に射抜き、木っ端微塵に爆散させる。
崩壊する射手座。
二体のバーテックスの消滅。
その瞬間、限界を遥かに超えて戦い抜いた須美、園子、銀の三人は、プツリと糸が切れたように意識を失い、傷だらけのまま完全に動くことができなくなったのだった。
◆
満身創痍となり、動けなくなった三人の少女たち。
その凄惨な光景を視界の端で捉えた大葉椿の胸を、烈火のごとき感情と悲痛が突き刺した。
あの子たちは自分の役割を完全に果たした。あとは私だけ。
対峙する純白の二夜。
二夜の刃は激しさを増し、椿の試作兵装の装甲を削り、肉体を切り刻んでいく。
互いの距離がゼロ距離へと肉薄した、その一瞬。
椿は勝負を決するべく、晴美の杖型重粒子砲を投げ捨て、左手に携えた大型盾の先端──強力なパイルバンカーを二夜の胸元へ向けて突き出そうとした。
「そこだあああああっ!!!!」
だが、打撃用杭(パイルバンカー)が二夜の胸を穿ち抜く、まさにその寸前だった。
ガクンッと椿の全身を、人間が耐え得る領域を超えた激痛と麻痺が襲った。
「精霊の力」の過剰駆動による強烈な反動。椿の全身の筋肉と神経が激しく痙攣を起こし、動きが、ほんの一瞬だけピタリと停止する。
二夜はその致命的な隙を、逃さなかった。
静かな音とともに、二夜の長刀が椿の防具を容易く貫き、彼女の腹部へと深々と突き刺さった。
口から激しく血を吐き出す椿。腹部からあふれ出る鮮血が、勇者装束と二夜の純白の衣装を赤く染めていく。だが、意志は潰えない。
「くっ……ガハッ……! か……勝ったと……思ったか……!?」
痛みに顔を歪めながらも、椿の瞳には漆黒の執念が宿っていた。
椿は刺し込まれた長刀と二夜を自らの両手でガッシリと掴み、二夜の腕を強引に抱きかかえるようにして、その身を固定した。逃がさない。死んでも離さない。
「リミッター……解除……ッ!!!!」
椿の叫びとともに、勇者端末と背中の光輪が狂おしいほどの暴走発光を始める。限界を超えた精霊の出力と、神樹の力が椿の身体から溢れ出す。
同時に──バーテックスの御魂が露出したことで、神樹のシステムが起動。
鬱蒼とした樹海全体が黄金の光に包まれ、バーテックスを外に追い出す鎮花の儀が静かに発動し始めた。だが、このままでは"コイツ"は追い帰せない。私が追い帰す。
「ハアアアアアアアアッ!!!!」
椿は二夜を捕縛したまま、背中のプラズマ推進器を最大出力で噴射させた!
キィィィィンと耳鳴りのような高周波が樹海に轟き、二人は弾丸のような速度で上昇。鬱蒼とした樹海の空、現実世界と樹海を隔てる「結界の壁」に向かって一直線に飛翔した。
刺さった長刀が腹の中で軋み、命の灯火が急速に消える。
残されたわずかな命をすべて燃やし尽くしたとしても、この凶悪な二夜の存在を結界の外へと完全に締め出し、追い出すのが関の山であることを、椿自身も痛いほど理解していた。
「あの子たちの未来に……お前なんかが触れるなぁぁぁぁっ!!!!」
結界の境界線へと突撃。
鎮花の儀の強い排出エネルギーと、椿の命を賭した最後の推進力が合わさり、純白の二夜の身体を結界の向こう側へと力任せに押し出していく。
『……椿。貴方は……最後まで……』
二夜の幻影が、どこか切なげな表情を浮かべながら、結界の外の虚無へと消えていく。
光の爆発とともに二夜は結界の外へ排除され、樹海が消えていく。
すべての力を使い果たした椿の身体は、ゆっくりと空から落下し、結界の壁の頂上、打ち捨てられた人形のように崩れ落ちた。
呼吸をするだけで、口から血が溢れる。
身体はもはや、指一本すら動かない。神樹の結界にぐったりと寄りかかるのが限界であった。
◆
「椿……先生……! 椿先生ぇぇぇっ!!」
血の海の中で意識を取り戻す、駆けつけてきたのは、同じく満身創痍の三人の少女たちだった。
右腕をへし折られ、左肩に穴が空いた須美。
左腕の骨が砕けた園子。
両足と肩を射抜かれ、2人に担がれて進んできた銀。
三人は崩れ落ちている椿の元へとたどり着くと、蒼白な顔で椿の身体にしがみついた。
「椿先生! 今……今すぐ病院に行きましょう! 鎮花の儀が終われば、すぐに……っ!」
「そうです……! 継人さんを呼びます! だから……だから目を開けてください、先生ぇ……っ!」
ボロボロと大きな涙をこぼし、必死に椿の冷たくなっていく手を握りしめる須美と園子。
しかし、椿は力なく首を横に振った。その顔には苦痛ではなく、穏やかな、どこか憑き物が落ちたような微笑みが浮かんでいた。
「……ダメよ……病院に行っても、もう無駄だわ……」
「そんなこと言わないでくれよ椿先生ぇっ!!」
銀が声を上げて泣き叫ぶ。
「無駄なことあるかよ! 先生は勝ったんだ! アタシたちを護って、勝ったんだろ!? なんで……なんで死んじゃうんだよぉっ!!」
「……勇者システムが止まれば……私の命も、そこで終わる……。私の身体は……命は使い切った……」
椿は途切れ途切れの声で、静かに告げた。
二十八年前に一度途絶えかけ、弟の執念とシステムによって無理やり引き延ばされていた命。その役割が、今まさに終わろうとしていることを、椿自身が一番よく理解していた。
シクシクと、声を上げて泣き続ける三人の教え子たち。
椿は最後に残された力を振り絞り、動かない腕をほんの少しだけ持ち上げようとして、あきらめた。代わりに、三人の顔を慈愛に満ちた瞳で順番に見つめた。
「三人とも……泣かないで……私の最後の指示を……聞きなさい……」
三人は涙を拭い、必死に耳を澄ませた。
椿は、乃木園子を見つめた。
「園子……。貴女は……このチームのリーダーよ。どんなに辛い戦いがあっても……持ち前の貴女の強さで……二人を守りなさい……」
「はい……! はい……っ! リーダーとして……絶対に二人を守ります……っ!」
次に、鷲尾須美を見つめた。
「須美……。貴女は真面目で、誰よりも周りが見えている子……。放っておいたら無茶をするあの二人を……きちんと諫めて、面倒を見てあげなさい……」
「はい……! 私が……私が責任を持って、二人の面倒を見ますから……だから……っ!」
最後に、三ノ輪銀を見つめた。
「そして……銀……。貴女の勇気は……本当は誰よりも臆病で繊細な二人を……前へ引っ張っていく力になる……。二人を……引っ張っていってあげなさい……」
「椿先生……っ! うああああんっ! 嫌だ……嫌だよおっ……!」
椿は三人へ、温かな眼差しを向けた。
「そして……三人とも……仲良くしなさい。互いを信じて……助け合って生きていきなさい……。……約束よ……」
返事は上手く返って来なかった、それは椿自身の耳が既に上手く聞こえなかったからだ。
三人からの号泣だけが聞こえる、それでも椿はふっと満足そうに口元を綻ばせた。
良かった。この子たちなら大丈夫。
脳裏に浮かぶのは、二十八年前の晴美と二夜の笑顔。そして、自分を救うために必死になってくれた弟・継人の顔。
胸の奥から溢れ出す温かな光に包まれながら、大葉椿は静かに目を取り閉じ、永遠の眠りについた。
崩れ去る樹海空間の中で、鎮花の儀の光が静かに降り注ぐ。
やがて、生命活動を停止した椿の肉体は、柔らかな粒子となってほどけ、まるで温かな母に抱かれるように、神樹の中へと静かに取り込まれていった。
残されたのは、血と涙に濡れた三人の少女たちの、悲痛な慟哭だけであった。
◆
樹海化が解け、現実世界へと戻った。
公式には死んだことになっている彼女の葬儀は、雨がしとしとと降る日、小さな斎場で、身内だけのひっそりとした「家族葬」として執り行われた。
参列していたのは、喪主である大葉継人と、安芸をはじめとするごく一部の大赦職員だけだった。
祭壇の中央に飾られた、凛とした笑顔を浮かべる椿の遺影。
棺は存在せず、代わりに彼女が命を懸けて使用していた「試作型勇者端末」が、白い布の上に静かに鎮座していた。
継人は、一度も涙を見せなかった。
ただ、黒い喪服に身を包み、冷ややかな瞳で静かに端末を見つめていた。
「……勝手な姉貴だよ、まったく」
継人はポケットから一輪の白い百合を取り出すと、そっと端末の傍らに添えた。
「俺がどんだけの想いで……あんたの命を繋ぎ止めたと思ってんだよ。……結局、あの子供たちを庇って逝っちまうなんて……あんたらしいと言えば、あんたらしすぎるだろ……」
拳を強く握り締め、爪が皮膚に食い込む。
「……見てろよ、姉貴。あんたが命を張って護ったあの子たちを……俺が何としてでも見届けてやるからな」
深く頭を下げ、手を合わせる継人。
外の雨音が、悲しく斎場に響き続けていた。
◆
椿の葬儀が終わり、季節は巡り、夏休みに入った。
乃木園子、鷲尾須美、三ノ輪銀の三人は、傷を癒やしながら、再び「いつも通りの日常」へと戻っていた。
訓練後、三人で食べるお菓子。
それは、椿が自らの命と引き換えに奪い返し、彼女たちへ受け渡してくれた「平和な日々」そのものであった。
だが──鷲尾須美の胸の中には、拭い去ることのできない「違和感」と「黒い澱」が留まり続けていた。
私たちは……何のために戦っている?
ある日の夕方。
夕暮れに染まる大橋の公園で、須美はブランコに揺られながら、隣にいる園子と銀に向かって、胸の内に溜め込んでいた言葉を静かに吐き出した。
「……ねえ、二人とも」
「ん? なに〜、わッシー?」
「どうしたんだよ、須美?」
須美は膝の上で両手を強く握り締め、下を向いたまま呟いた。
「私……時々、分からなくなるの。……私たち勇者は、顔も知らない誰かの幸せのために、命を懸けて戦っているでしょう? でも……椿先生みたいに大切な人が死んでいって……自分たちもボロボロになって……誰かの犠牲の上にしか成り立たない幸せなんて……私、なんだか嫌になってしまうの……」
悲痛な須美の告白。
椿を失った悲しみと、理不尽な運命に対する疑問。
その言葉を聞いた三ノ輪銀は、一瞬だけ目を見開いた後、ブランコから飛び降りると、須美の前にどかりと立った。
「須美。それは違うぞ」
「え……?」
顔を上げた須美に、銀はニカッと、あの太陽のような眩しい笑顔を向けた。
「顔も知らない誰かの幸せなんてさ……そんなの、ただのおまけなんだと思う」
「おまけ……?」
「そうだよ!」
銀は胸をドーンと叩き、堂々とした声で宣言した。
「アタシが戦うのはさ、顔も知らない誰かのためなんかじゃない! アタシの大切な家族や、須美や、そのっちや……椿先生が命懸けで守ってくれたこの日常を守りたいからだ! アタシが守りたいから、守ってるだけなんだよ!」
銀の言葉。それは粗削りでありながら、どこまでも本質を穿っていた。
「アタシたちが戦った結果、ついでに顔も知らない誰かが幸せになれるんなら、それで万々歳じゃねえか! だからさ……犠牲だなんて思わなくていいんだよ。アタシたちは、アタシたちの意思で、大切なものを守るためにここにいるんだからさ!」
「ミノさん……」
園子もブランコから降りると、須美の背中に優しく手を添えた。
「うん……私も、銀ちゃんと同じ気持ちだよ〜。椿先生が教えてくれたのは……『自分の役割を信じて、大切な人を守る』ってことだもんね〜」
二人の言葉が、須美の心に温かな光となって染み渡っていった。
犠牲の連鎖ではない。
椿が命を懸けて自分たちに繋いでくれたのは、「大切な者を護りたい」という強い意志と誇りだったのだ。
須美は涙を拭うと、二人に向かって深く頷いた。
夕暮れの空に、風が吹き抜けていく。
それはどこか、三人を見守る大葉椿の温かな微笑みに似ていた。
運命がどれほど残酷で、過酷な試練を突きつけてこようとも。少女たちの胸に灯った「希望の光」は、決して消えることはない。