神世紀298年、夏。
大葉椿のささやかな家族葬が執り行われてから、わずか数日後のことだった。
静寂を切り裂くように、警報の甲高い電子音が室内に激しく響き渡った。
樹海化が始まり、見慣れた街の風景が鬱蒼とした神樹の内部構造へと塗り替えられていく。
世界が黄金と緑の静寂に包まれる中、勇者端末の画面に表示された敵の識別情報は──たったの「1体」。
──『乙女座』。
「行くよ、二人とも! 椿先生に教えてもらった通りに!」
乃木園子が凛とした声を張り上げ、長槍を構えて跳躍する。
「了解!」
「任せとけってんだ!」
鷲尾須美と三ノ輪銀が絶妙な間合いでそれに続いた。
少女たちの心には、数日前に自分たちの目の前で散っていった教官──大葉椿の教えが、血肉となって鮮明に刻み込まれていた。
個の突出した力に頼らない。
互いの視線を交わし、隙を埋め合い、誰か一人に攻撃や負担を集中させない。
敵である乙女座が繰り出す変幻自在でトリッキーな攻撃に対し、三人は完璧な陣形を保ちながら寸分狂わぬ連携を展開した。
最前線で長槍を打ち込み、巧みな打ち払いとステップで敵の注意を全方位に引きつける園子。
その横合いから一瞬の隙を突き、斧で圧倒的な打撃を叩き込む銀。
そして二人の動きを完全に把握し、絶妙な射撃ラインを確保しながら後方から寸分の狂いもなく敵を撃ち抜く須美。
激しい金属音と衝撃波が樹海を揺らす。
だが、そこには以前のような危うさや、誰かが無茶をして傷つく隙など一切存在しなかった。
それはまさに、大葉椿が自らの命と引き換えにしてまで三人に残そうとし、目指した「勇者の戦い」のひとつの完成形であった。
「今だ、二人とも! 畳み掛けるよ!」
「削り取れぇぇぇっ!」
「打ち抜きます!」
園子の槍が乙女座の敵への進路をこじ開け、銀の大斧がそのボディを叩き割り、須美の放った矢が正確に射貫く。
閃光とともに乙女座の巨体が崩壊し、ボディが粉砕された。
鎮花の儀が完了する。
黄金の光が収まり、空間が元の静かな現実の世界へと戻っていく。
緊張の糸がぷつりと切れた三人は、そのまま大橋の公園に広がる青々と茂った芝生の上へ、重なるように倒れ込んだ。
「ハァ……ハァ……勝った……勝ったぞ……!」
銀が胸を激しく上下させながら、青空を見上げて荒い息を整える。
戦いは完璧だった。椿の教訓を活かし、誰一人として大きな負傷を負うことなく勝利を収めた。
青い空に流れる白い雲を見つめながら、銀がぽつりと、掠れた声で独り言をこぼした。
「………見せたかったなぁ、あたしたちの戦い……っ、ちゃんと出来たよって」
その一言が、引き金だった。
椿の葬儀の席でも歯を喰いしばり、気丈に振る舞って一度も涙を見せなかった三ノ輪銀。
その彼女の目から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出し、頬を伝って芝生へとこぼれ落ちた。
「う……あ……あぁぁぁ……っ!」
銀は小さな肩を激しく揺らし、顔を両手で覆いながら、堰を切ったように声を上げて泣きじゃくり始めた。
一度溢れ出した感情の濁流は、もう誰にも止められなかった。
「先生ぇぇぇっ……!」
その涙と叫びに引きずられるように、須美も、園子も、胸の奥底に押し込めていた絶望と悲しみを抑えきれなくなった。
「うっ……ふぐっ……先生……っ!」
「うあぁぁん! 先生ぇ……っ!」
快晴の夏空の下、柔らかい芝生の上には、ただ三人の少女たちの痛切で、幼い嗚咽だけが、どこまでもどこまでも響き続けていた。
◆
大葉椿の犠牲による勝利と、その死。
この出来事は、大赦内部の政治的な勢力図を劇的に、そして最悪の方向へと塗り替えることとなった。
「個人が勝手に構築した技術に依存した結果、貴重な指導者であり元勇者である戦力を失うに至った」
大赦の上層部は、椿の死をそう結論付けた。
大葉継人が手がけていた「強化型勇者システム」に対する非難と疑問の声が一気に噴出し、彼の立場は瞬く間に失われていった。
それに取って代わるように再評価されたのが、先の戦闘において生き残った「最高神官側」の技術課が主導する勇者システムであった。
時を同じくして、その技術課はかねてより極秘裏に開発を進めていたとされる「新型勇者システム」の完成版を上層部へ提出した。
これにより、大赦は即座に最終決定を下した。
『大葉継人技術官、および彼が率いる研究チームの、これ以降の勇者システム関連事業からの完全撤退、および関与の打ち切りを命ずる』
「完全にあの子達から手を引けと?」
大赦の重厚な執務室で、継人は幹部たちに向かって確認した。
「決定事項だ、大葉技術官」
最高神官の意を受けた高官が、冷淡な目で見下しながら言葉を遮った。
「君は身内への感情と個人の執念にとらわれすぎた。……これ以降、君が乃木園子、鷲尾須美、三ノ輪銀の三名と接触することは一切禁ずる。警備課に通達済みだ。立ち去りたまえ」
決定は、一切覆らなかった。
継人がどれほど食い下がろうとも、冷徹な「決定事項」という四文字の壁によってすべて押し切られた。
継人たちは、自らの手でシステムを調整、そして亡き姉が命を懸けて守り抜いた三人の少女たちから、完全に隔離されることとなった。
自室に戻った継人は、配布された「新型勇者システム」の基礎理論と内部設計データを画面に呼び出し、激しい怒りと恐悪感で拳を震わせた。
画面に並ぶ数式と構造図。
そこに記されていたのは──継人がかつて構築し、そのあまりの危険性から封印し、破棄したはずの設計案そのものだった。
あらゆる致命傷を防ぐ「精霊システム」。
そして人知を超えた力を引き出す「満開」。
継人がこのシステムを椿や少女たちの装備に採用しなかったのは、当然だった。
そこには、人間としての尊厳を根本から踏みにじる、狂気的な「代償」が存在するからだ。
『満開』を使用すれば、神樹の力を爆発的に引き出せる代わりに、身体機能の一部が『散華』として神樹へ捧げられ、永続的に失われる。
そして、新たに組み込まれた精霊システムは、失われた身体機能を自動で補完し、どれほど肉体が機能停止されようとも「勇者を絶対に死なせない」ための呪術的なバックアップ機構であった。
たとえ散華によって心臓が機能を停止しようとも、五感が奪われようとも、精霊が不可視の命を繋ぎ止め、兵器として無理やり戦場へと立たせ続ける。
死すら許されず、肉体を削られながら戦い続ける「永遠の戦士」。
それは彼女たちの意志や幸福を完全に無視した、大赦による人身御供のシステムに他ならなかった。
データの出所は、間違いなく『鏑矢』内部の裏切り者。最高神官の息がかかった連中が横流しさせている。
データの痕跡から真実を察した継人は、即座に決断を下した。
長年自らが率いてきた「鏑矢」の最高責任者を辞任。
表舞台から完全に姿を消すフリをしながら、裏で真に信頼できる人間たちだけを密かに呼び集めた。
「……大赦の一部上層部を排除する」
継人の呼びかけに応じたのは、かつて椿の治療を担当した桑折春雄をはじめとする、大赦のやり方に以前から強い疑問と吐き気を抱いていたごく一部の者たちだった。
「目標は3年後だ。3年後のクーデター開始を目標に、大赦の体制を変えるための準備を進める。……皆、乗ってくれるか」
「言われるまでもない、継人。あんな後味の悪い真似を見過ごせんよ」
桑折が吐き捨てるように苦言を呈し、他のメンバーも無言で深く頷いた。
そして継人は、別系統の指揮下に置かれ、勇者たちの現場監督官として残された安芸へ直接連絡を取った。
「……安芸。俺たちは表から外された。あいつら三人をお願いできるのは、もうお前しかいない」
画面越しの安芸は、悲痛な面持ちを浮かべながらも、その瞳には硬い決意の光を宿していた。
「わかっています、大葉さん。……椿さんの思いは、私が絶対に継ぎます。あの子供たちは、何があっても私が守ります」
安芸の力強い言葉に、継人は静かに深く頭を下げた。
◆
一方、大赦内部の解析部門では、椿を死に追いやった「純白の人型バーテックス(二夜)」に関する調査が行われていた。
しかし、なぜか前回の戦闘における樹海内のログデータには、二夜の姿や波長が一切記録されていなかった。
生き残った須美たちの証言を聞き取っても、「あまりにも一瞬の出来事であり、何が起きたのか詳細がわからない」という曖昧な答えしか得られなかった。
椿が最期まで保持していた勇者端末のブラックボックスを解析しても、決定的な映像データは残されていなかった。
だが、大赦の研究者たちにとって、一つの恐ろしい仮説が現実味を帯びて浮き彫りとなった。
──バーテックスという異形が、『人型』の形態を採用し始めたということ。
人間という形状こそが、人間同士の戦闘、あるいは人間を精神的・物理的に追い詰める戦いにおいて最も適した「効率的な殺戮の形」であると、敵であるバーテックス側が理解し始めた可能性を示していた。
◆
それから数日後。
大赦の訓練場に集められた須美、園子、銀の前に、安芸の手によって新しい勇者端末が提供された。
「これが、大赦から正式に授与された新しい勇者システムよ」
安芸は震える声を押し殺し、努めて平静を装いながら説明した。
「『満開』という新しい機能が搭載されているわ。これまでのシステムよりも格段に強力な力を発揮できるようになっているの」
「満開……!」
銀が目を輝かせる。
しかし、安芸の口から、そのシステムが引き起こす恐怖の反動──『散華』についての説明がなされることは決してなかった。
大赦上層部から「本人たちへの説明はパニックと戦意喪失を招くため、固く禁ずる」という情報統制の命令が下されていたからだ。
安芸は一人、苦渋の選択として、少女たちの保護者の元へ足を運んだ。
「……今回のシステム改修により、お子様の身体に重大な影響、支障が出る可能性がございます。ですが、本人たちの精神的負担を考慮し、本人には伏せていただきたいというのが、大赦の方針です」
深々と頭を下げる安芸に対し、親たちからは悲痛な怒りと非難の声が飛び交った。
「支障が出るって……具体的にどうなるんですか!? それじゃあ、うちの子たちは大赦の生け贄じゃないか! 子供たちを何だと思っているんですか!」
激しい叱責と涙ながらの訴えを全身に受けながら、安芸はただただ頭を下げ続けることしかできなかった。ここで大赦の職員としての立場を捨ててしまえば、現場で彼女たちを護り、サポートする者すら居なくなってしまうからだ。
だが、すべての説明を終え、玄関から出ようとした際。
安芸は足を止め、振り返って親たちに向かって深く深く一礼した後、絞り出すような声で告げた。
「……大赦の方針を変えることは、今の私にはできません。ですが、これだけは誓います。……彼女たちから奪われたものは、私たちが、将来必ず取り戻してみせます」
それは、大赦という組織ではなく、安芸自身の言葉だった。
◆
8月。
大葉椿と交わした、あの「夏祭り」の日がやってきた。
境内の華やかな提灯の光が夜の神社を彩る中、色鮮やかな浴衣に身を包んだ三人の少女たちが歩いていた。
その手には、自分たちの着物だけでなく、もう一着──落ち着いた藍色の美しい着物が大切に抱えられていた。大葉椿が着るはずだった着物。その胸元には、色鮮やかな夏の生花がそっと添えられていた。
「これ……椿先生へのお手向けだね」
園子が悲しみを包み込むような温かい笑顔で微笑む。
「ええ。きっと椿先生も、私たちの隣で一緒に歩いてくださっています」
須美が強く頷き、銀が「よっしゃあ! 今日は椿先生の分まで思いっきり楽しむぞー!」と腕を捲り上げた。
屋台で買った甘いりんご飴を頬張り、金魚すくいに一喜一憂し、境内を駆け回る。
椿との別れの哀しみを胸の奥に抱えながらも、今この瞬間だけは、どこにでもいる普通の無邪気な少女として、三人は目一杯の夏を謳歌した。
やがて、境内の裏手からドーンと重腹に響く音が上がり、夜空に巨大な大輪の花火が打ち上がった。
赤、青、紫色の光が夜空を焦がし、見上げる三人の顔を色鮮やかに染め上げていく。
光弾ける空を見上げながら、銀がふと、愛おしそうにつぶやいた。
「……また3人で、見たいなぁ。来年も、その次もさ」
須美と園子は顔を見合わせ、心からの真実の笑顔を向けた。
「もちろんですよ、銀」
「うん! 毎年見に来ようね、みんなで絶対に!」
祭りの帰り道。
夜の静寂が包む街角の二股の分岐点に差し掛かった。
左へ向かう須美と園子。右へ向かう銀。
「じゃあな、二人とも! また明日!」
銀が眩しいほどの笑顔で手を振り、右の道を元気に駆け抜けていく。
「ええ、また明日!」
「また明日ね〜!」
それが、平和で温かな日常の中で交わした約束となった。
◆
9月。
須美はある夜、不気味で凄惨な「夢」を見た。
暗闇の向こうから、巨大な漆黒の脅威が自分たちを呑み込もうと押し寄せてくる夢。
そしてその猛威の渦の中に、異様な「白い力」が揺らめいている。
──大葉椿を死に追いやり、自分たちを打ち砕いた、あの純白の存在の再来。
冷や汗をびっしょりと書いて目を覚ました須美は、確信とともに悟った。
これは単なる悪夢などではない。神樹様から与えられた未来──『神託』なのだと。
翌日、学校の帰り道で須美はその夢の内容を二人に打ち明けた。
「……来るわ。あの白い奴が、また私たちの世界を壊しに」
言葉を聞いた瞬間、銀がガタリと椅子を蹴って立ち上がった。
「上等じゃねえか! 椿先生の仇を討つチャンスが向こうからやってくるってわけだ!」
園子もまた、力強い瞳で大きく頷いた。
「うん。今度こそ、私たちが決着をつけよう。椿先生の教えてくれた戦いを見せてあげるんだ」
少女たちの胸には、悲しみを超えた強い覚悟──『弔い合戦』への炎が静かに燃え上がっていた。
◆
10月。
秋の深まりとともに、ついに最後のバーテックスによる大侵攻が始まった。
夕暮れ時、街全体の時間がピタリと静止する。
神樹の力が展開され、見慣れた街並みが不気味で美しい樹海空間へと塗り替えられていった。
「みんな、勝つんよ!!」
園子が空に向かって咆哮する。
「「了解!!」」
三人は端末を掲げ、大赦から授与された「新しい勇者システム」を起動した。
黄金の光が彼女たちを包み込み、変身が完了する。
姿を現した勇者装束は、以前のものからデザインが大きく刷新されていた。
園子の持つ長槍はより重厚な意匠へと変わり、須美の武器は大弓から近現代的な「ライフル」へと変貌を遂げていた。そして銀の持つ大斧もまた、排熱機構を備えた巨大な鋸刃状のものへと進化していた。
目の前に立ちふさがる敵の群れ。
出現したのは──『牡羊座』『魚座』『獅子座』。
そしてその中央に浮遊する、あの忌まわしい『白いヒト型バーテックス』。
三人はまだ知らなかった。
このヒト型バーテックスという存在が、かつて神世紀270年代に人類のために戦い、散っていった「かつての勇者」の凄惨な成れ果てであることを。
開戦と同時に、魚座が即座に樹海の大地へと潜航。
間髪入れずに牡羊座が広範囲への放電攻撃を放ち、空中に陣取った獅子座が巨大な火球を生成して降り注がせる。
「させない!」
園子が前に躍り出で、変形した長槍の大盾で牡羊座の放電を防ぐ。
「狙い撃ちます!」
須美が新兵装のライフルを構え、緻密な精密射撃で上空の火球を空中爆破していく。
その連携の隙を縫い、銀が爆発的な速度で最前線へと突進した。
「喰らいやがれぇぇっ!」
銀が投げつけた大斧は、刃の反対側の排熱口から猛烈な火炎を噴射し、空中でさらなる加速を果たす。
ドズンッ!と音を立てて牡羊座の巨大な角を真っ二つに切り裂くと、ブーメランのように弧を描いて銀の手元へと戻ってきた。
「すごい……! 出力が前とまるで違う!」
三人は新システムの桁違いのパワーに目を見張った。これならば勝てる、そう確信したその瞬間──
地表を突き破り、魚座が姿を現した。
その巨大な背の上には、長刀を構えた二夜が乗っていた。
二夜は音もなく躍り出ると、空中から銀目掛けて斬撃を繰り出す。
「もう来たかよっ!」
銀は大斧の柄で長刀を受け止めようとしたが、二夜の太刀筋はあまりにも速く、複雑だった。
斧の隙間をすり抜けた長刀の切っ先が、銀の胸元を深く穿つ──はずだった。
ガキンッ!!
甲高い衝突音が響く。
銀の身体の表面に、見慣れない光の防壁が展開され、二夜の刃を完全に弾き返したのだった。
システムに搭載された精霊『鈴鹿御前』による精霊バリア。
「……なっ!?」
刃を弾かれ、一瞬だけ動きを止めた二夜。
「人間みたいな反応だなぁ!!」
銀は即座に斧を横一文字に振るい、二夜の腹部を豪快に抉り、吹き飛ばした。
「須美、上だ!」
「任せて!」
跳躍した魚座に対し、須美がライフルから最大出力のエネルギー弾を連射。魚座のボディが砕け散る。
追い詰められた魚座は、最後のあがきとして体内から大量の不透明なガスを撒き散らした。
「目潰し……! 距離を取ります!」
須美が後方へ跳躍しようとした瞬間、ガス圏外から牡羊座の追撃の放電が突き刺さる。
電撃がガスを引火させる。──ドンッ!と、樹海の一角を吹き飛ばす凄まじい大爆発が発生した。
「須美っ!園子っ!」
銀が悲鳴を上げる。
だが、爆心地の炎が晴れると、そこには傷一つない須美と園子の姿があった。
二人の周囲には、精霊のバリアが強固に展開され、爆風も熱量もすべて無効化していたのだ。
さらに頭上から、獅子座が放った最大級の火球が三人を呑み込むように着弾する。
しかし、それすらも精霊のバリアによって、完璧に防ぎ切った。
「すごい……本当に無傷だわ……!」
その時、端末が狂おしいほどの光を放ち始めた。
限界を超えたエネルギーが三人の中に流れ込み、空間に巨大な花の紋章が浮かび上がる。
──『満開』の起動。
システムに導かれるまま、三人はその力を解放した。
「これが……私たちの本当の力……っ!」
満開を果たした須美の兵装は、巨大な浮遊する稼働砲台へと変形。眼前の魚座に向かって怒涛の重砲撃を叩き込み、その巨体ごと内部の御魂を木っ端微塵に粉砕した。
「はぁぁぁぁっ!」
園子の満開は、無数の長槍を携えた船。牡羊座を地表ごと幾重にも串刺しにし、御魂を完全に破壊する。
さらに銀は、四脚獣のような戦闘装甲の上に乗り、超神速で獅子座へ接近。
獅子座が放つ決死の至近距離火球を紙一重で回避し、凶悪な爪の一撃で獅子座の御魂ごと胴体を両断した。
三体のバーテックスが同時に爆散し、樹海に静寂が訪れる。
「やった……! 勝つことができました!」
須美が汗を拭い、勝鬨を上げた。
しかし──樹海空間が解ける気配は、一切なかった。
「おかしい……全部倒したはずなのに……?」
園子が周囲を見回す。
その時、三人の身体から爆発的な光が抜け落ち、満開が強制解除された。
「……え?」
直後、三人を過酷な異変が襲った。
「きゃああっ!?」
須美が崩れ落ちる。足に力が入らない。どれだけ命じても、自分の両足がピクリとも動かない。替わりに後頭部付近から四つのリボンのようなパーツが発生した。
「……目、が……?」
園子が右目を押さえる。視界の右半分が、漆黒の闇に塗り潰されていた。
「……あ? おい、二人とも……なんて言った……?上手く聞こえない」
銀が首を傾げる。右耳からの音が完全に消失し、静寂しか届かなくなっていた。
「な……なにこれ……どうなって……!?」
唐突な身体の障害に、混乱し、恐怖に怯える三人。
その隙を見逃さず、先ほど腹部を抉られたはずの『二夜』が、傷口を蠢かせながら完璧に再生し、長刀を構えて襲いかかってきた。
「くっ……!」
足が動かない須美の元へ。四つのリボン状のパーツによりなんとか移動は可能になったものの、以前のような回避速度は出ない。二夜の一撃を受け、須美の体が激しく吹き飛ばされる。
「わっしーっ!」
園子が長槍で二夜の刀を受け止める。だが、右目の視界を失ったことで距離感が狂い、防戦一方に追い込まれる。
「そこを離れろぉっ!」
銀が側面から斧を振り下ろすが、二夜は卓越した戦闘技術で銀の斧の柄を足先で器用に固定。そのまま反転させた刀の柄で園子の胸元を突いて弾き飛ばした。
すべての攻撃は精霊のバリアによって防がれ、身体的な傷はつかない。
二夜はそれを見ると反撃の手を止め、そのまま後方へ大きく跳躍した。
次の瞬間──さらに後方、樹海の空が、不気味な赤黒い色に染まった。
結界の壁を破り、外の世界から蠢きながら現れたのは、12体ものバーテックスの群れだった。
まるで煮えたぎるマグマのように形を歪ませ、不完全な姿で這い出てくる敵の群勢。
それらは完全体ではない、形だけの出来損ないのバーテックスであったが、その圧倒的な「数」は、絶望以外の何物でもなかった。
「そんな……どうすれば……!」
あまりの異常事態に、須美と園子は息を呑み、思考を停止させかけた。
その時、右耳の聞こえない銀が、腹の底から声を張り上げた。
「弱気になるな!! あたしが白いのを抑える! 足の速いお前たちが、あのバーテックスどもを撃破しに行けっ!!」
しかし、二人はすぐには動けなかった。
直感が、脳内で警報を鳴らし続けていたからだ。
再びあの『満開』の力を使えば自分たちの身体は、さらに壊れてしまうのではないか?
直感めいた恐怖に足が竦む二人。
それを見た銀は、迷わず端末の『満開』ボタンを叩きつけた。
光に包まれ、四脚獣の装甲を従えた銀が、二夜に向かって跳躍する。
そして、戸惑う二人に向かって、血を吐くような喝を飛ばした。
「あたしたちのために、椿先生が何をしたと思ってんだよっ!! ここで足を止めるためか!? 違うだろっ! みんなを……この世界を守るためだろっ!! 行けぇぇぇっ!!」
銀の魂の叫びが、二人の胸を強く突いた。
二人は言葉を発しなかった。
ただ無言で、悲壮な決意とともに端末を掲げ──再び『満開』を起動した。
◆
銀は、直感で理解していた。
満開によるこの圧倒的な強大な戦闘力は、そう長くは続かない。すぐに決着をつけなければ、こちらの命が先に尽きてしまう。
「ハアアアアアアアッ!」
四脚獣による無数の重打撃と鋭利な刃を繰り出し、二夜へ向かって激しく突進する。
だが、二夜の長刀の捌きはあまりにも美しく、そして完璧だった。銀が繰り出す捨て身の猛攻をことごとく最小限の動作で受け流し、滑らかな円を描くように刀身を翻す。その冷酷な瞳には、人間に対する深い憎悪と、どこか悲痛な影が宿っていた。
『……力の波長を、合わせる』
不意に、二夜の裂けた口から掠れた声が漏れ出た。
二夜は無数の攻撃の隙間を滑るようにすり抜けると、銀の懐深くへと一瞬で潜り込んだ。
一閃。
長刀が美しく跳ね上がり──ドバッと、銀の『右腕』が宙を舞った。
精霊『鈴鹿御前』の絶対バリアは、確かに発動していた。
しかし、二夜が放った絶妙な一閃は、精霊のバリアが持つ固有の波長を完全に透過・同調し、銀の生身の肉体を直接切り落としていた。
直後、限界を迎えた銀の満開が強制解除される。
右腕を失った凄まじい衝撃と、二度目の散華による「新たな代償」が容赦なく銀を襲う。
痛み。そして見知った右腕が切れたことへの絶望。
驚愕と猛烈な激痛が脳を焼き尽くす。
だが、次の瞬間、銀の胸の奥底に燃え上がったのは、何ものにも屈しない灼熱の「怒り」であった。
それは椿先生に対しこんな痛みを味わせたという、正当な怒り。 こんな惨い目に会わせたという後悔。それは眼前の敵を倒す事へと集約する。
「舐めるなァァァァッ!!」
右腕を失い、銀の動きが止まったと油断した二夜の肩口へ、銀は残された左手だけで斧を根性で振り下ろす。ドゴンッ!と鈍い衝撃音が響き、火炎を噴く刃が二夜の肉体に深く食い込む。
「ガっ……!?」
初めて顔を歪める二夜。
しかし、二夜も即座に反撃に出る。手にした長刀を、銀の胸部──「心臓」目掛けて深々と突き立てた。
刃が胸を貫通し、背中へと抜け出る。
だが──銀は倒れなかった。それどころか、血だらけの顔で笑ってみせた。
「痛くも……痒くもねぇよ……! だってあたしの心臓は……さっきので、もう動いてねぇみてぇだからよぉ!!!」
心臓が停止しても、精霊システムが呪術的に命を繋ぎ止めている。死ぬことすら許されない身体。
永遠の戦士。それを銀は最大活用していた。
銀は左手の斧の火炎噴射を限界まで最大開放した。
猛烈な爆炎と火炎が噴き出し、二夜の巨体を力任せに押し込んでいく。
焦った二夜は攻撃部位を変更し、銀の首筋、頸動脈、そして主要な血管を高速で切り刻んだ。
鮮血が大量に噴出し、銀の視界が赤く染まっていく。
それでも、銀は止まらない。
痛みを完全に超越した、人間としての限界を遥かに超えた凄まじい「執念」が、彼女の動かないはずの肉体を動かしていた。
「これがぁぁぁぁッ!! 人間様の……根性ってやつだぁぁぁぁぁッ!!!!」
銀の魂の咆哮とともに、大斧が二夜の体を肩口から下腹部へ向かって一直線に両断する。
ビキビキと不気味な音を立て、二夜の内部にある「御魂」の一部が粉砕され、その身体は二つに別れながら吹き飛んだ。
「あぁぁぁぁぁッ!!」
銀は大声で叫び──そのまま崩れ落ちるように意識を失い、冷たい地表へと倒れ伏した。
◆
その頃、須美と園子は12体の不完全なバーテックスとの絶望的な死闘を繰り広げていた。
御魂を持たない不完全な敵は、予想よりは脆く、威力を高めた攻撃を叩き込めば容易に粉砕できた。
しかし、いくら倒しても、結界の外から無限に新たな個体が湧き出てくる。
特に厄介だったのは、最後方に陣取り、高威力の火球を執拗に放ち続けてくる『獅子座』だった。
「そのっち!私を前へ! 獅子座を叩きます!」
「わかった!」
園子の構築する槍の絶対防壁を盾にし、須美は獅子座の火球の雨を縫うように潜り抜けた。
至近距離まで肉薄し、稼働砲台の砲口を獅子座の核へ突きつけたその瞬間──、満開が解除された。
「ああぁぁぁぁっ!?」
猛烈な頭痛が須美の脳を破裂させる勢いで襲いかかった。あまりの激痛と衝撃に、須美は空中から地面へと落下していく。あのままではまともに着地できない。
「わっしーっ!」
園子は獅子座に向かって長槍を突き刺しながら突撃。
落下する須美を左腕で間一髪抱きかかえると、そのままの勢いで獅子座の巨体を細切れに粉砕。
そのまま「結界の外」へと飛び出してしまった。
意識を失った須美を抱えたまま、園子は顔を上げた。満開も解除され、心臓に違和感と痛みが走る。心臓の機能を持っていかれた、と園子は直感した。
そして、見てしまった。
結界の向こう側──そこには、大地も、空も、海もなかった。
何もない暗黒の虚無空間の中に、太陽のごとき巨大な炎の渦が、世界を呑み込もうと蠢いていた。
「……あぁ……」
自分たちがこれまで戦ってきたものの「正体」。
どれほど絶望的な規模の敵と、自分たちが戦わされていたのか。
園子は、すべてを理解してしまった。
勝てない。私たちがどれだけ頑張っても絶対に勝てない。
心がポキリと折れかける中、抱えられていた須美がうっすらと目を覚ました。
しかし、須美の様子は明らかに異常だった。
「……あ……?」
園子は一時的に結界の内部へ撤退し、後方まで退却。須美を静かに地表へ降ろした。
「よかった、目が覚めたね、わっしー……!」
だが、須美は冷たい、どこか怯えた瞳で園子を見上げ、ぽつりと告げた。
「……乃木さん。……どうしたのですか? 『わっしー』などという不躾な呼び方は、やめてください」
「……え?」
園子の動きが凍りつく。
「な……何言ってるの、わっしー? 私だよ、そのっちだよ……?」
「何ですか、その呼び方は。……くっ、……痛い……!」
須美は突然、両手で頭を抱え、激しく暴れ出した。
「あぐぁ…嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だっ、 『そのっち』が……『銀』が……『椿先生』が……みんなが私の中から……消えていくっ!! 誰か……そのっち!銀!誰か助けて……!!」
「わっしー! しっかりして、わっしーっ!」
暴れる須美を、園子は泣きながら強く強く抱きしめた。
数十秒後、須美の身体から力が抜け、静かになる。
須美はゆっくりと顔を上げ、抱きしめてくれている園子を、まるで見たこともない他人を見るような目で見つめた。
「……貴女は……誰ですか? ……ここは……どこですか……?」
言葉を聞いた瞬間、心臓がすでに停止している園子の胸が、破裂するほどの激痛に包まれた。
満開の代償──散華。
須美の失ったものは、彼女の足でも、体でもなく──『仲間たちと過ごした思い出と記憶』だったのだ。
あまりにも残酷な、認めたくない事実。
しかし、園子の脳裏に、最期の椿の言葉が蘇った。
『園子……貴女はチームのリーダーよ。……二人を守りなさい』
園子は必死に溢れ出ようとする涙を我慢し、怯える須美に向かって、今までで一番優しく、温かい微笑みを向けた。
「……私の名前は、乃木園子。貴女の名前は、鷲尾須美っていうの」
園子はするりと自分の髪を留めていたリボンを解くと、傷つき震える須美の手に優しく巻き付けた。
「ここはね、少し怖いところだけど……大丈夫。私が、絶対に守ってあげるからね」
後ろでは、撃破されたはずのバーテックスたちが、再び無数に再生し、咆哮を上げていた。
怯えて身を縮こまらせる須美。
「大丈夫だよ。……あれぜーんぶ、私がやっつけちゃうんだから」
園子は立ち上がり、長槍を握り締めると、たった一人で絶望的な敵の群れへと突撃していった。
自らの何もかもを犠牲にする、孤独で凄惨な戦いが始まった。
◆
須美は、突撃していく少女の背中を、ぽかんと見つめていた。
何か言葉をかけるべきだった気がする。何か、大切な、言わなきゃいけない言葉が。
自分がやるべきこと。大切な何か。
それが思い出せない。頭の中にぽっかりと空いた巨大な空洞。
一人で行かせてはダメ。怖い、自分に何ができる?でも、行かなくてはならない。
動かない足を引きずり、手を使ってでも前へ進もうとする須美。
その時──
地表を這うようにして、上半身だけとなった二夜が襲いかかってきた。
腕と刀だけを器用に使い、狂ったような速度で跳躍する。
冷たい長刀の切っ先が、動けない須美の喉元へ突き刺さる──その瞬間。
どすっ。
誰かが、須美の上へ覆いかぶさり、代わりにその刃を肉体で受け止めた。
噴き出す鮮血が、須美の顔を赤く染める。
その人物は、長刀が須美に届かないよう、自らの体で刃をしっかりと押し止めていた。
「……ぎ……『銀』……!?」
須美の口から、無意識にその名が漏れ出た。
失われたはずの記憶。けれど、魂の最奥に刻まれた名前。
「……しつこいんだよ……このテケテケ野郎がぁぁぁっ!!」
片腕を失い、血の海に染まった銀が、残された左手の斧を二夜の顔面目掛けて叩きつけた!
ドガンッ!と二夜の顔が真っ二つに割れ、空気中で光の粒子となって消滅していく。
それを見届けた銀は、力なくグシャリと須美の上へと倒れ込んだ。
口から、ゴボゴボと絶え間なく血液が溢れ出る。
「銀! 銀っ!!」
須美は叫び続けた。
彼女がどういう人間で、自分にとってどれほど大切な存在だったのかすら思い出せないまま、ただ必死にその名を呼び続けた。
銀は血だらけの手をゆっくりと持ち上げ、須美の頬にそっと触れた。
「……そんなに……大声出さなくても……聞こえてるぜ……。……ケガは……ないか……?」
喉から血を溢れさせながら、銀はただそれだけを尋ねてきた。
「ないわ……! ケガなんてないわっ!」
須美は嘘をついた。足は動かず、頭は割れるように痛かったが、この子の前ではしっかりしなければいけないと、心が叫んでいたからだ。
それを見た銀は、満足そうに口元を綻ばせた。
破れた肺から、もうまともな声は出ない。
それでも──須美の耳には、その言葉がはっきりと届いていた。
『……約束守れたぜ』
銀の腕が、力なく地面へと落ちた。
彼女は二度と、喋らなくなった。
樹海に響くのは、須美の悲痛な泣き声と、遠くで響く園子の戦いの音だけだった。
やがて過剰な頭痛とショックにより、須美の意識もまた、深い闇の中へと沈んでいった。
◆
神世紀300年。
大葉継人は、車で桑折春雄を迎えに来ていた。
先の戦いで足を負傷した春雄が「家族の墓参りがしたい」と言うので、自らハンドルを握って連れてきたのだ。
「……ったく。部下に送り迎えさせたくないからって、上司を使うなよ」
継人が愚痴をこぼすと、春雄は「ハハハ」と力なく笑った。
そして、少し痛そうに自らの腹部を強く押さえた。
それを見た継人は、静かな声で尋ねた。
「……あと、どれくらいだ?」
春雄は苦笑いを浮かべながら答えた。
「年は越せるくらいだな、……春を迎えられるかは、分からんよ」
春雄の身体は、すでに肝臓癌の最終ステージに侵されていた。
2年前、大橋の落橋事故で妻と一人娘を同時に失い、荒れて酒に溺れ続けた結果だった。
「自業自得だよ」と笑う春雄とともに、二人は墓前に花を添え、静かに手を合わせた。
立ち上がり際、春雄は不躾とは思いながらも、尋ねた。
「……真優くんの墓はどうするんだ?」
継人は涙を見せることもなく、平坦な表情のまま答えた。
「……用意はしてある。だが、今じゃない」
「……そうか」
「……国土の方から神託があった。いずれ、また巨大な敵が来る。それがいつになるかはわからないがな」
継人の言葉に、春雄は深くため息をつき、ゆっくりと立ち上がった。
「はぁ……じゃあ、まだ先だな。我々大人は、次の準備を始めるとしよう」
春雄は足を少し引きずりながら、先に車へと向かって歩いていった。
継人はその場に立ち尽くし、冷たい風の中で静かに目を閉じた。
失われた姉の面影、奪われた少女たちの未来、そしてこれから来る敵。
ゆっくりと目を開けた継人は、一度も振り返ることなく踵を返し、車へと向かって歩き出した。
すべては、次なる戦いのために。自分の子供が守ったこの世界を守る為に。
過去編は終了です。
次からは劇場版編です。