私=東郷美森が戦って、どれほどの時間が経過したのだろう。
人型バーテックスの迎撃を友奈と二夜さんの二人に託し、私たちが残存するバーテックスの大群を食い止め始めてから、おそらく二時間近くが経っていた。 だが、その二時間は永遠にも等しい地獄の苦痛だった。無数に押し寄せる星屑と進化体と完全体バーテックスの波。どれほど撃ち抜いても、どれほど散華させても、赤黒い雲の隙間から溢れ出る怪物の群れは減る兆しを見せない。それどころか、敵の密度は刻一刻と増していき、気がつけば上空は完全に異形の肉体によって埋め尽くされていた。
かつて私たちが愛した讃州の青い空は、一枚の隙間もなく遮断されている。
息が苦しい。青い空が見たい。
装束の機能によって維持されているはずの体力が、削り取られていくのが分かった。
背中の飛行ユニットの推進器が激しく熱を帯び、過酷な連続射撃によって両手のライフルが悲鳴のような駆動音を上げている。
視界の端に映る仲間たちの姿も同様だった。
縦横無尽に槍を振るう園子も、双斧を振り回す銀も、大剣を握る風先輩も、ワイヤーを張り巡らせる樹ちゃんも、そして両腕の灼熱刃と陽電子砲を放ち続ける夏凜ちゃんと芽吹さんも、全員が肩を激しく上下させ、満身創痍の体で踏みとどまっていた。
「はぁ……っ、はぁ……! くっ……まだまだぁっ!!」
銀の叫び声が通信越しに聞こえるが、その声には明らかな掠れと疲労が混じっている。
いくら新システム『焚骸』によって満開の為の力を直接吸収・変換できるようになったとはいえ、それを行使する私たち自身の精神と肉体の消耗までを完全にゼロにできるわけではない。絶え間ない緊張と恐怖、そして休む間のない連続攻撃が、全員の限界を確実に削り削ぎ落としていた。
それでも――私たちは戦い続けていた。
ここを突破されれば、市街地で必死に生きようとしている人々が、そして作戦室で指揮を執る継人さんや春信さんたちが踏みにじられる。何より、たった二人で戦っている友奈ちゃん達に敵を通すことなど出来ない。
「東郷先輩! 左からまた大型の集団が来ます!」
樹ちゃんの切羽詰まった声に、私は即座に長距離ライフルを向け、限界まで威力を引き上げた光弾を撃ち込む。
爆ぜる赤黒い肉片。だが、その爆炎の向こうから、さらに倍の星屑が溢れ出してきた。
キリがない。 このままではジリ貧だ。
焦燥が胸を締め付けた、その瞬間だった。
バリンッ!と世界そのものがガラスのように割れたかのような、凄絶な破壊音が戦場全体に響き渡った。音の発生源は、上空数百メートルの空間。そこにあったはずの空隙すらも埋め尽くしていた星屑の群れが、内側から弾け飛ぶようにして消滅していく。
「な……に……!?」
私の網膜に映し出された光景に、思考が凍りついた。亀裂の深淵から、ぬうっと姿を現したのは──これまでのどんなバーテックスとも比較にならない、あまりにも巨大で異様な「何か」だった。 全高、優に四百メートルを超えるほどの巨躯。人の形を模してはいるものの、その皮膚は干からびた泥と黒銀の金属が混ざり合ったような悍ましい質感を放っている。何より異常なのはその顔面だった。目も、鼻も、口も存在しない。ただ、削り取られたような無機質な三つの「黒い穴」が、無感情にこちらを見下ろしている。
そしてその右腕には、腕肉と骨格が半ば融合するようにして一体化した、凶悪な長槍が握られていた。
威圧感、という言葉すら生ぬるい。
ただそこに存在するだけで、周囲の空間の質量が引き上げられ、大気が重圧で押し潰されるような錯覚を覚える。
これが天の神の一部である「イザナギ」。
神託の知識でも、大赦のデータベースでもない。
直感が、魂が、私にそう理解させた。これこそが、三百年にわたり人類を脅かし、世界を焼き尽くそうとしてきた不滅の神の本体の一つなのだと。
出現したイザナギは、私たちに視線すら向けなかった。その代わり、巨槍の先端を軽く掲げると、その周囲の空間から禍々しい黒いモヤが噴き出し、瞬く間に「五体」の影が形作られた。
それは──先ほどまで二夜さんと友奈が戦っていたものと同等の、完全な満開状態を模した「人型バーテックス」だった。
「そんな……! あんな化け物を、一度に五体も……!?」
思わず悲鳴のような声が漏れた。
五体は、出現すると同時に凄まじい速度で拡散し、地上で防衛線や市街地方向へと解き放たれた。私たち勇者を確実に殺戮し、防衛網を完全に瓦解させるための尖兵として。
そして本隊であるイザナギ自身は、重厚な巨体を揺らし、四国の命の根源──神樹様が座す結界の中心に向けて、ゆっくりと歩みを進め始めたのだ。
「……させるかぁぁぁっ!!」
風先輩が大剣を振り上げ、イザナギへ突撃しようとする。だが、それを阻むようにして、生み出されたばかりの人型バーテックスが立ちはだかった。
凄まじい衝撃波と、漆黒の爪の乱舞。
一対多数の状況を作られないよう、風先輩と樹ちゃん、夏凜ちゃんと芽吹さんが即座に連携し、互いの背中を庇い合いながら対応するが、相手は満開状態のスペックを持つ怪物だ。一本の爪撃、一回の衝撃波を防ぐだけで手一杯となり、完全に足止めされてしまう。
そして、その隙を突くようにして、空と地上を埋め尽くす無数のバーテックスの大群が、決壊したダムのように雪崩れ込んできた。
「きゃあっ! 袿の装甲が……持たないよぉ~っ!」
「雀さん下がりなさい! しずくさん、左を固めて!」
「弥勒!こっちの援護!!」
「わかってますわ!!」
防人部隊の悲鳴が混じる。
最終防衛ラインの一部が破られ、市街地の外郭を護る防衛線が次々と崩壊していく。
破壊される街並み。炎上する建造物。
通信機からは、戦況を見守る大赦のオペレーターたちの悲痛な叫びと、絶望的なアラート音が響き渡っていた。
もう、守り切れない。 世界が終わる。
溢れ出す絶望に心が折れかけた、まさにその時だった。
ガァン!脳裏に、直接「それ」が響いた。
頭蓋を直接震わせるほどの、凄まじく強大な「神託」。巫女としての修行など一度も受けたことがないこの私にすら、はっきりと、鮮明にその意味が理解できるほどの圧倒的な光の波動。
それは──「概念の根底を覆すほどの凄まじい力」が、いま正にこの地に降り立とうとしているという、神樹様からの報せだった。
次の瞬間、戦場にいる全員の勇者端末の通信回路に、一切のノイズを含まないクリアな、そしてあまりにも温かい声が割り込んできた。
『―――ただいま』
時間が止まった気がした。
「……え……?」
風先輩の動きが止まる。
夏凜ちゃんが、そのっちが、銀が、全員が目を見開いて空を仰ぎ見た。
その声は。
紛れもなく、私の一番の友達である「結城友奈」の声。そして──数ヶ月前に失われ、二度と声を聞くことは叶わないと諦めかけていた、もう一人の大切な仲間、「大葉真優」の声だった。
直後、上空を覆い尽くしていた暗黒の雲の真ん中に、一筋の眩い光が炸裂した。光の大爆発。
光は一瞬にして広がり、直径一キロメートルにも及ぶ巨大な「穴」を、バーテックスの密集陣形の中にぽっかりと穿ち抜いた。
穴の内部に存在していた数千、数万の星屑や大型バーテックスは、逃げる隙すら与えられず、一瞬で光の粒子となって消滅していた。
穿たれた穴の向こう側に広がっていたのは──久しぶりに見る、眩しいほどに澄み渡った「青空」。
そして、その澄み切った青空を中心にして、浮遊する二人の少女の姿があった。
「友……奈ちゃん……? 大葉先輩……!?」
私の口から、絞り出すような声が漏れる。
そこにいたのは、間違いなく二人だった。
だが、その姿は私たちの知る勇者装束とは大きく異なっていた。
友奈の装束は、従来のピンクと白を基調としながらも、幾重もの光輪と神聖な衣のような意匠が全身を包み込み、背後には神樹の神威をそのまま形にしたかのような、眩い光の翼が羽ばたいていた。
そして真優ちゃんは、黒と紫をベースにした禍々しくも美しい装束を纏い、背中からは星々の輝きを宿した翼と、十二星座の概念を模したような幻想的な光飾が幾重にも展開されている。
二人が天から舞い降りた直後、戦場に異常な変化が起きた。
あれほど獰猛に私たちを喰らい尽くそうとしていたバーテックスたちが、一斉に動きを止めたのだ。
それだけではない。彼らは先ほどまでの凶暴さとは全く異なる「方向性」で乱れ始め、お互いを踏みつけ合い、後退しようと群れを乱していた。
その光景は──異様だった。
感情を持たないはずの存在であるバーテックスたちが、あからさまに「恐怖」し、怯えているようにしか見えなかったのだ。
二人はどういう存在になった?
驚愕のあまり、私の思考は完全にフリーズしていた。その一瞬の隙を、戦場に残っていた進化体バーテックスが見逃さなかった。横合いから放たれた攻撃が、私の左推進器をダイレクトに貫通する。
「きゃああっ!?」
激しい衝撃とともに黒煙が上がり、姿勢制御が完全に不能になる。視界が激しく回転し、重力に引かれるまま高高度から地上へと真っ逆さまに落下していく。
「くっ……! 姿勢を……!!」
必死に右側のスラスターを逆噴射させ、地面に激突する寸前で体勢を立て直す。
だが、着陸の衝撃で脚の装甲が砕け、私は瓦礫の山へと転がり込んだ。
そこへ、私の落下を狙っていた完全体バーテックスが、巨体を揺らして襲いかかってきた。
尻尾が鋭い槍となって、動けない私に向けて振り下ろされる。
「しまっ……! 」
回避が間に合わない。私が目を瞑りかけた──その時だった。
ドオンッ!と視界を遮るようにして、誰かが私の「前」に立ち塞がった。
一瞬である。移動の予備動作も、風を切る音すらもなかった。上空数百メートルにいたはずの友奈ちゃんが、文字通り「一瞬」で私の目の前に空間を飛び越えて現れていたのだ。
そして、友奈ちゃんは襲いかかる完全体バーテックスに向けて、ただ優しく「手」を差し出した。
打撃も、衝撃波もなかった。
友奈ちゃんの手が触れることすらなく、差し出された空間の先いた巨大な完全体バーテックスの巨躯が、頭頂部から足先まで一瞬にして純白の光の粒子と花弁に変わり、散華して消滅した。
「え……?」
間抜けな声が出てしまった。
意味が分からない。
大赦が総力を結集して組み込んだ最新機能『焚骸』は、敵の肉体に直接武器やエネルギーを接触させることで己の肉体と認識させ散華を誘導し、力に変換するシステムのはずだ。
だが、今の友奈は相手に触れてすらいない。
それどころか、完全体バーテックスという強大な個体を、何の一撃も加えることなく「一瞬で」消滅させてしまったのだ。
「……東郷さん、大丈夫?」
振り向いた友奈は、以前と変わらない、暖かく柔らかい笑顔を浮かべていた。
だが、その背後に漂う神々しいまでのエネルギーの奔流は、もはや人間どころか、勇者の枠組みすら遥かに超越していることを物語っていた。
直後、耳元の通信機から大葉さんの声が聞こえてきた。
『結城さん、地上の敵の処理は任せるよ。……僕は上空の群れを叩く』
「うん、分かった! 上は任せたよ、大葉さん!」
友奈ちゃんは力強く頷くと、私の方に向き直った。
「東郷さん、ちょっと待っててね。すぐ片付けるから」
そう言って、友奈は右手をすっと天に向けて掲げた。手首付近の装束機構がカチリと音を立ててスライドし、光で形成された「複雑な輪」が幾重にも出現する。
それは──樹ちゃんがワイヤーを操る際に展開する、あの糸と同じ意匠だった。
「樹ちゃんの力……借りるね!」
友奈ちゃんが呟いた瞬間、光の輪が拡散し、消えた。次の刹那、信じられない光景が私の視界一面に広がった。地平線の果てまで埋め尽くしていた無数の星屑、進化体、大型バーテックスたち──私が目視できる限りの全範囲に存在する全ての敵の首元や胴体に、先ほど出現した光の輪が「絶対的な拘束」として出現し、一斉に強く絞め上げられたのだ。
パァンッ……!と何千、何万という散華の光が、同時に炸裂した。戦場全体が純白の光と花弁の海へと変貌する。
私の端末のレーダーコンソール画面を見る。
友奈ちゃんを中心とした半径数十キロメートル内に存在していた無数の赤点が、まるで最初から存在していなかったかのように、一瞬にして「全て」消滅していた。
「あ………」
言葉が出ない。
あまりにも常軌を逸した現象。一人で戦争を一瞬で終わらせてしまうような、神の権能そのもの。
唖然として立ち尽くす私に、友奈ちゃんは優しく歩み寄り、屈み込んだ。
「びっくりさせたよね、東郷さん」
友奈は私の手を、温かい両手で包み込んでくれた。
「神樹様がね……新しい力をくれたんだ。でもね、これは私だけの力じゃないよ。東郷さんや風先輩、みんなが諦めないで、傷つきながらも命懸けで世界を守ろうとしてくれたから……その頑張りに、神樹様が応えてくれたんだよ」
友奈ちゃんの瞳には、一切の驕りもなかった。ただ純粋な、仲間への感謝と愛しさだけが満ちていた。
「だから……今度は私が、みんなを守る番だからね!」
ニッコリと笑うと、地面を強く踏みしめた。
凄まじい衝撃波とともに、彼女の身体は光の残像を残して空へと飛び立ち、まだ遥か遠くに残っている敵の群れを目指して、音速を超えたスピードで突進していった。
◆
「な……んだってんのよ、あれは……!?」
地上で人型バーテックスと刀を交えていた私=犬吠埼風は、開いた開口部から見えた光景に目を見開いていた。
上空で光を放ち、縦横無尽に空中戦を展開している影。通信機を開き、それが大葉真優なのだと理解した私は、夢中で叫んでいた。
「真優! あんたなの!? 一体何が起きて――」
『犬吠埼さん、動かないで』
静かだが、異常なほどの重圧を秘めた真優の声が通信越しに落ちてきた。
「は? 動かないでって、どういう――」
言い終わるより早く、上空の真優の両手から、青白い巨大な光芒が全方位へと解き放たれた。
バリバリッッ!と天を覆いつくす、巨大な雷の嵐。
広範囲の空間を覆い尽くすその雷光は、私や仲間たちを完璧に回避しながら、周囲に群がっていた星屑や大型バーテックスだけをピンポイントで打ち抜き、瞬時に散華させていく。
牡羊座の能力。私は直感で悟った。
かつて私達が苦戦していた十二星座の能力。それが今、神樹の力と合わさり、純粋な「勇者の力」として完全に行使されているのだと。
だが、その雷撃の直後だった。
真優の圧倒的な力を危険視したのか、街へ向かっていたはずの人型バーテックス「三体」が、残像を残すほどの超高速で反転し、三方から同時に真優へと襲いかかった。
「真優!!」
思わず叫ぶ。
人型バーテックスの爪が、漆黒の刃となって真優の肉体を切り裂こうと迫る。
真優の周囲に瞬時に『精霊バリア』が展開された。しかし、人型バーテックスは先ほどと同様、バリアの波長を一瞬で同期させ、その分厚い力場を容易く破ってみせたのだ。
ガキンッ!と嫌な音が響き、三方の爪が真優の喉元、胸元、脇腹へと深く突き刺さる。
「真優――ッっっ!?」
絶叫が喉を突いた。
またしても仲間が目の前で殺されるという恐怖に、生きた心地がしなかった。
だが突き刺された当の本人は、眉一つ動かしていなかった。鮮血すら流れない。
真優は平然とした、冷徹ですらある瞳で、自分の胸元に爪を突き立てている正面の人型バーテックスを見据えていた。
「……僕と二夜の憎しみを模倣した個体か。バリアを容易く破れるか。……で?」
真優の低く冷ややかな声が流れる。
「……それだけか?」
真優は真正面の人型バーテックスの頭部を、左手で無造作に掴んだ。
掴まれた頭部から、一瞬で『焚骸』の光が侵食する。人型バーテックスは抵抗する間もなく、頭部から全身にかけて崩壊を起こし、あっけなく光と花弁の塵となって散華した。
「なっ……!?」
残り二体の人型バーテックスが、あまりの異常事態に死の危険を感じたのか、突き刺していた爪を強引に引き抜き、急降下して間合いを取ろうとする。
だが、真優は逃がさなかった。
「遅い」
真優の腰元から展開されていた光の翼から、蛇腹状に組み合わさった四本の凶悪な「針」が飛び出した。
音速を超えるスピードで空間を穿ち、逃走する一体の個体を追随する針。
四方から逃げ道を塞ぐようにして、針は人型バーテックスの胸、背中、頭部、下腹部へと同時に深々と突き刺さった。
蠍座の能力。
刺さった瞬間に『焚骸』が発動、二体目の人型も激しい爆発とともに散華した。
残る最後の一体は、既に数キロメートル先まで離脱し、さらに遠距離へと逃走を図っていた。
だが真優は、背中の翼を大きく開くと、その中央に巨大な弓矢の概念を構築させた。
音速を遥かに超える巨大な「光の杭」が、複数射出される。
逃げる人型バーテックスの背中に向けて、追尾する光の杭が容赦なく襲いかかった。
射手座の能力。
光の杭が背中を丸ごと穿ち抜き、穴だらけにされた人型バーテックスは空中で断末魔の爆発を起こして霧散した。
たった数秒。
勇者部全員でかかっても苦戦を強いられていた満開状態の人型バーテックス三体が、真優一人によって虫ケラのように解体され、全滅させられたのだ。
「なに?……これが、真優……?」
私が言葉を失って見上げる中、真優の視線は地上へと向けられた。そこには、四国の結界を破壊せんと踏み荒らしている、全高四百メートルの巨神──イザナギの姿があった。
真優の頭上に、灼熱の太陽のような超巨大な「火球」が生成され始める。
かつて獅子座のバーテックスが放ち、私達を焼き尽くそうとしたあの絶望の攻撃。だが、今真優が作り出している火球は、あの時の何倍ものスケールと圧縮度を誇っていた。
「喰らえ……ッ!!」
真優が腕を振り下ろすと、超巨大火球は重力を置き去りにしてイザナギの巨躯へと叩きつけられた。
ドゴンッ!と天地を揺るがす凄まじい大爆発。
爆風が何十キロメートル先まで吹き荒れ、上陸直後だったイザナギの巨体を完全に飲み込んでいく。
しかし──爆炎と黒煙が風に煽られて吹き飛んだ後、そこに現れたのは、驚くべき光景だった。
イザナギは、ほとんど無傷だった。
その全身を覆う不可視の重厚な「神々の防壁」が、真優の放った極大の火球すらも完全に減衰させ、防ぎ切っていたのだ。
『……チッ、対した防壁だ』
真優の不機嫌そうな声が通信から聞こえる。
真優は通信を切り替えると、地上の敵を片付けて合流してきた友奈に向けて叫んだ。
『結城さん!あれを先に倒す! 力を貸してくれ!!』
「わかった! 一緒に行こう、大葉さん!」
二人の光の軌跡が交差し、全高四百メートルの巨神イザナギに向けて、弾丸のような速度で突撃を開始していった。
◆
空を塞ぐ雲すら吹き飛ばす超高速の突撃。
僕=大葉真優と結城さんは、四国の中央へと侵攻を開始した巨神『イザナギ』の鼻先へと一気に肉薄した。
「喰らえッッ!!」
僕は腰元から展開した蠍座の針「八本」を同時に射出し、イザナギの顔面にあたる三つの黒い穴へと解き放った。
隣では友奈が風先輩から借り受けたあの大剣を旋回させ、遠心力を乗せた渾身の横薙ぎを叩き込もうとしている。
だが──ガギィンッ!と二人の攻撃は、イザナギの身体から数十センチ手前の「何もない空間」で激しい火花を散らし、弾き返された。
歪んだ光の屈折。全高四百メートルの巨躯を覆うのは、次元の壁すら歪めるような、完璧にして絶対的な「神の防壁」。
「固い……っ! でも、通らないわけじゃない!!」
僕は怯まず、弾かれた八本の針をそのままイザナギの防壁の表面へと密着させた。
「敵の能力を削ぐ!」
針の先端から新システムの焚骸を全開で送り込む。
神の防壁といえど、それは敵の能力によって構築されたものだ。『焚骸』により能力を散華させることで、防壁を乱し、崩壊を誘発させる。防壁の表面に、赤黒いノイズ状の亀裂が走り始めた。
「結城さん! 防壁が薄くなった!」
「任せてぇぇぇぇっ!!」
友奈が咆哮とともに大剣を振りかぶる。
友奈の身に宿る圧倒的な出力が、大剣の刃へと収束し、刃そのものが眩い白銀の光柱へと変化した。
大出力の一撃が、僕が弱体化させた防壁の亀裂へとピンポイントで突き刺さった。
ガラスが粉砕されるような甲高い音が響き渡り、絶対的だった神々の防壁が、ついに突破された。
白銀の刃がイザナギの巨躯へと深々と突き刺さる。
間髪入れず、僕の八本の針もまた、肉の内側へと深く食い込んだ。
「成功した……! このまま『焚骸』で消し去ってやる!」
僕は針を通して、イザナギの体組織そのものを散華させようとした。
だが──次の瞬間、異様な手応えが僕の手元に跳ね返ってきた。
抵抗されている?
送り込んだ力が、イザナギの体内に渦巻く途方もない密度の力によって相殺され、侵食が途中でピタリと止まってしまったのだ。
まるで、大海原に一滴の毒を垂らしても薄まってしまうかのように。
「くっ……なら、やり方を変える……! 敵の『弱点』を探る!」
僕は解析へと切り替え、針を通じてイザナギの内部構造を探り始めた。
その間も、結城さんは手を緩めない。
結城さんは大剣を刺したまま、その巨大な刀身を銃身へと変形させ、東郷さんの重粒子砲の概念をそこに組み込んだ。
「喰らえぇっ!!」
イザナギの体内に直接押し当てられた銃口から、極大の重粒子が連発で打ち込まれる。
イザナギの体内で爆発が発生し、内部から黒い汁が噴き出す。
だが──これほどのダメージを与えているにもかかわらず、イザナギが弱る気配は微塵もなかった。
あり得ない、これだけ直接撃ち込まれて、何故傷つかない?
その時、イザナギが初めてその右腕を動かした。
腕と一体化した長槍が、不気味に黒く明滅する。
全身の毛穴が逆立つような悪寒。
次の瞬間、音も、光も、前兆すら存在しない「何か」が空間を駆け抜けた。
「なっ……!?」
僕の刺さっていた八本の針の半分が一瞬にしてねじ切れ、さらに友奈の大剣が真横から切断された。
それだけではない。
結城さんの「右腕」と「左足」が、まるで雑巾でも絞られたかのように怪力でねじ切られ、宙へと弾け飛んだのだ。
「あぁぁぁぁぁぁっっ!?」
友奈の悲鳴が響く。
不可視の空間湾曲。イザナギの槍から放たれる、物理防御不能の攻撃。
だが、針がねじ切られる直前のコンマ数秒間──僕の解析は、ついにイザナギを捉えていた。
イザナギには、命が存在しなかったのだ。
正確に言えば──今、私たちが戦っているこの四百メートルの巨体は、ただの「肉体と力の器」に過ぎない。その根源たる『命』は、この次元ではなく、さらに高次元の「別次元」へと隠されていたのだ。
だから、いくら現実世界の身体を攻撃しても、エネルギーを削ぐことしかできない。命そのものが別の場所にある以上、どれほど絶大な攻撃を加えようと、絶対に討ち果たすことはできないのだ。
「だったら……こちら側に引きずり出すまでだ!!」
僕の額の装束が展開する。
そこに組み込まれているのは、神樹様によって実装された、大赦の理論上・空論に過ぎなかった未完成の概念技術、『黄泉』。
世界の色が、一瞬だけ「白黒反転」した。
イザナギが潜ませていた高次元の軸と、現実世界の軸が強制的に接続される。別次元の深層に隠されていたイザナギの『命』が、目に見える現実の体組織へと、強引に「定着」させられたのだ。
違和感を察知したのか、それまで無感情だったイザナギの巨躯が、初めて「たじろぐ」ような仕草を見せた。
「逃がすかぁぁぁっ!!」
僕は間髪入れずに牡羊座の電撃をイザナギの顔面に浴びせ、射手座の光の杭を穴だらけになった皮膚へと叩き込んだ。
命が定着した肉体へ与えられるダイレクトなダメージ。イザナギの表面が激しく焼け焦げ、片腕が千切れかける。
直後──イザナギは、のたうち回るような激しい身震いを始めた。
その口なき三つの穴から、空間を揺るがすほどの悲痛の様な鳴き声が漏れ出す。
効いている。これが、二夜が天の神に残した『呪い』だ 。
神でありながら、人間と同じ『痛み』を感じる肉体。二夜が命と引き換えに刻み込んだ人間の感情が、イザナギの魂を苛んでいた。
僕はイザナギを見上げ、痛快さと激怒が混ざり合った声を張り上げた。
「それが……『痛み』だ!!」
イザナギが苦しみから逃れようと、再び全方位に防壁を再展開しようとする。
「ここから消えてなくなるのが怖いか!? それが……『恐怖』だ!!」
放たれた針で、防壁の隙間をこじ開ける。
「生きていることが愛おしいか!? それが……『喜び』だ!!」
僕は自らの爪を尖らせ、定着したイザナギの命の核に向けて、直接その手を突き立てた。
「お前たちが……今まで人間から奪い続けてきたものだっ! 奪われていった人たちの……報いを受けろっ!」
イザナギは狂乱した。
痛みに耐かね、がむしゃらに槍を振り回して「不可視の空間湾曲」を全方位へと乱射し始める。
空間そのものが不規則にねじ切れ、僕の八本の針の半分と、背中の羽が根元からねじ切られて宙に舞った。
だが残りの針は、しっかりとイザナギの核の真横に突き刺さったままだ。
奴の弱点はそこだ。
僕は切断された腕と足の激痛に耐える、地上の結城さんへと叫んだ。
「結城さん! 動けるか!?」
『……まだ……戦えるっっ!!』
友奈が雄叫びを上げた。
ねじ切られていた左足と右腕が一瞬にして肉体と装束が完璧に「再構築(再生)」されていく。
再生を果たした友奈は、地を蹴り、光の弾丸となってイザナギの腹部へと突撃した。
「勇者ぁぁぁ……パンチッッッ!!!!」
ズドォンッ!と再展開されかけていた神の防壁ごと、友奈の拳がイザナギの胴体を撃ち抜いた。
衝撃波が突き抜け、四百メートルの巨躯の腹部が、半分以上丸ごと吹き飛んで消滅する。
猛烈な激痛。
イザナギは正気を失い、無差別に空間湾曲を周囲に巻き散らした。
周囲の山々が、大地が、建造物が、目に見えない刃によってネジ切られる、一瞬にして完璧な更地へと変貌していく。
◆
「うわわわっ……! 大地がバリバリ割れてるんよ~!?」
私=乃木園子は、わっしーとミノさんと共に、後方で人型バーテックスの残り「一体」と交戦していた。
イザナギが狂ったように放つ空間湾曲の余波がここまで届き、地面が豆腐のように切り刻まれていく。
だが、目の前の人型バーテックスもまた、最後の抵抗と言わんばかりに鋭い爪を振るい、私たちに襲いかかってきていた。
「須美! 右だ!」
ミノさんの叫び。
私は即座に前へ躍り出ると、槍の柄を交差させて人型の爪撃を正面から受け止めた。
ガッ!と槍が砕け、バリアさえ波長を合わされて破壊、私の装束が引き裂かれて血が噴き出す。
だが、私は一歩も引かない。
「わっしーっ!」
「任せて……ッ!」
私の肩を跳び箱のように跳び越えたわっしーが、空中での曲芸的な旋回運動から、人型の顔面に向けて至近距離からライフルを連続斉射した。
目くらましを受けた人型がわずかに体勢を崩す。
その隙を見逃さず、背後から急接近したミノさんが、両手の大型双斧をフルスイングで振り抜いた。
「吹き飛べぇぇぇぇっ!!」
ズバッッ!!
加速器の火花とともに、人型バーテックスの首が綺麗な放物線を描いて宙を舞った。
胴体が激しい爆風とともに爆散し、最後の散華を遂げる。
「はぁ……はぁ……やった……!」
だが、喜ぶ余裕はなかった。
防御と手助けに回っていた私とミノさんは、全身に負傷を負い、膝をつきかけていた。
わっしーが駆け寄ってくる。
「そのっち! 銀! ダメです、二人はもう動いては……! 私が防衛線を構築します!」
わっしーは衛使の防壁を広げ、私たちを庇おうとした。
しかし──ミノさんは、東郷さんの手を力強く押し返したのだ。
「須美……バカ言うな」
銀ちゃんは荒い呼吸を整えながら、不敵にニッと笑ってみせた。
「あたしたちは大丈夫だ……! それより……友奈たちのところへ行ってやれ!」
「でも、二人を置いてなんて行けない! 周りを見て!」
わっしーの言う通りだった。
人型バーテックスは倒したものの、周囲にはまだおびただしい数の星屑や小型バーテックスが、じわじわと私たちを包囲するように集まってきていたのだ。射撃担当のわっしーが抜け出せば、私とミノさんは一瞬で呑み込まれてしまう。
だが、私もまたわっしーを見つめ、優しく微笑んだ。
「行ってあげて、わっしー」
「そのっち……!?」
「私たちは……ここで倒れるほど弱くはないんよ。それに……友奈ちゃんたちがイザナギに負けたら、どっちにしろ全部終わりになっちゃうでしょ?」
「仲間を守るのが……勇者だろ?」
ミノさんの力強い言葉。
わっしーは唇を噛み締め、涙を浮かべながら強く頷いた。
「……分かったわ! すぐ戻るから……絶対に生きてて!!」
わっしーは推進器を限界まで吹き上げ、友奈ちゃんと真優さんが戦うイザナギの元へと一直線に飛び立っていった。
「さてと……」
私は槍を杖代わりに立ち上がり、苦笑いを浮かべた。
「ミノさん、大丈夫~?」
「……正直、ちょっとキツいかな!」
ミノさんが軽口を叩く。
わっしーが抜けたことで、包囲を完了した無数のバーテックスたちが、一斉に私たちに向けて襲いかかってきた。
絶体絶命。
私が槍を展開しようとした、その時だった──
真横の空間から放たれた光の奔流が、私たちを包囲していたバーテックスの大群を、一瞬にして根こそぎ蹴散らした。
「なっ……!?」
光の煙の向こうから飛来したのは──2挺の大型ライフルを構え、肩で息をする楠芽吹だった。
「……間一髪ですね」
「……メブー!」
芽吹は少しだけ制服を汚し、負傷している様子だったが、その瞳には強い光が宿っていた。
「もう一体の人型バーテックスは、夏凜と一緒に倒しました。……夏凜は既に、結城さんたちの救援に向かわせた」
「じゃあ……メブーは?」
「貴女方の援護よ」
芽吹は当たり前のように言ってのけた。
私が「大丈夫なの?」と心配そうに声をかけると、芽吹ちゃんは誇らしげに胸を張った。
「問題ないです。……継人さんから、徹底的にチームワーク戦を叩き込まれているもの。それも……貴女方勇者部をモデルにしたチームワークをね」
「へへっ……継人さんからか!」
ミノさんが嬉しそうに大声を上げた。
「なら……もうひと踏ん張り、行こうぜ!!」
「そうだね……、一番槍は任せてもらうんよ!」
私は痛む身体を奮い立たせ、楽しそうに槍を展開し直した。
私たちは再び、迫り来る敵の大群の中へと突撃を開始したのだった。
◆
イザナギとの死闘は、依然として続いていた。
視界の端、網膜に投射されている勇者システムの活動限界。残された時間は、すでに「3分」を切っていた。
早く決着をつける必要がある。
焦りが胸を焼く。だが、イザナギは追い詰められながらも、最後の抵抗としてあまりにも厄介な手に出ていた。
イザナギの槍から放たれる「不可視の空間湾曲」。前兆もなく、どこに着弾するかもわからないこの絶命の刃が乱れ飛ぶせいで、私と真優ちゃんは迂闊に接近することすらできず攻めあぐねていた。
それどころか、イザナギはその空間湾曲の応用で「空間跳躍」まで使い始め、縦横無尽に位置を変えて畳みかける隙すら与えてくれない。
次の瞬間──イザナギが空間跳躍を行い、突如として私の真後ろに出現した。
「しまっ――」
振り向く間もない間一髪のタイミング。
しかし、振り下ろされかけたイザナギの巨腕が、突如として前のめりに大きく体勢を崩した。 見ると、イザナギの巨大な両足に、細く眩い「光の糸」が幾重にも絡みついていたのだ。
『――友奈さん! 今です! !』
通信機から響いたのは、樹ちゃんの必死の叫びだった。地上から樹ちゃんがワイヤーを極限まで展開し、イザナギの足元を縛り上げてくれたのだ。
イザナギは強引に糸を噛みちぎり、振り払おうと激しく暴れ出す。
「樹ちゃん! 力を借りるよ……ッ!」
私は樹ちゃんの展開した糸に直接手を触れた。
私の身に宿る力が、樹ちゃんの糸を通じて爆発的に増幅・伝播していく。光の糸は何十本、何百本と太さを増しながらイザナギの巨躯へと巻き付き、その巨大な胴体と腕を完全に縛り上げた。
『やるよ!夏凜ちゃん!!』
『合わせなさい!!!真優!』
上空から、大葉さんと夏凜ちゃんが、凄まじい残像を残す超高速移動で襲来した。
二人はそれぞれ夏凜ちゃんの一振りの剣を手に携え、動けないイザナギの左右から同時交差するように肉薄する。
ザンッ!二人の鮮やかな一閃が、イザナギの巨躯を解体するように切り刻んだ。
巨躯の割れ目から、どす黒い神格の血が噴き出す。
イザナギは呻き声にも似た地鳴りのような爆風を撒き散らし、解体された肉体を再生させようと蠢く。
だが──私と樹ちゃんの糸による拘束と、接触部位から流し込み続けている『焚骸』の能力阻害によって、イザナギの再生能力は著しく減衰していた。目に見えて遅い再生速度。
「風先輩!行きますよ!!」
「真優!!力を貸しなさい!!」
叫ぶ私の視界に、満開状態の風先輩と東郷さんが飛び込んできた。
大葉さんは風先輩と並び立ち、二人で一本の超巨大な大剣を抱えるようにして振り上げた。
互いのエネルギーが共鳴し、極限まで増幅された出力が空間そのものを歪ませていく。
「「はぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」」
振り下ろされた絶大な刃が、イザナギの上半身を縦真っ二つに叩き割った。
さらに、私は東郷さんの巨大な満開装甲の砲身の上へと跳び乗った。
東郷さんの重粒子砲に私の力を注ぎ込む。
「東郷さん!!」
「いけぇぇぇぇぇぇッッッ!!!」
ドバンッ!結界の外側にまで届くほどの極太の光柱が、イザナギの崩壊しかかった胴体を丸ごと呑み込んだ。
そのまま東郷さんは推進力全開でイザナギへ突貫。重厚な装甲で巨躯へ直接ぶつかる衝角攻撃を叩きつける。
そして──私はその激突の瞬間、東郷さんの足場から大きく跳躍した。
右拳に、全力と、全員の想いと、仲間たちの明日への願いを込める。
敵の概念そのものを崩壊させるために練り上げられた、救世の一撃。
「これでぇっ……終わりだぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」
世界そのものが震えるほどの、凄絶な衝撃波が駆け抜けた。
拳が直撃した瞬間、全高四百メートルの巨神イザナギの身体が、頭頂部から足先まで粉々に粉砕され、崩壊していった。
肉体が崩れ去った中心部から、異様な輝きを放つ『御魂』のような核が露出する。
『とっとと……命を寄越せぇぇぇっ!!』
空から急降下してきた大葉さんが、蠍座の針をその『御魂』へと深々と突き刺し、自らの両手の爪を狂暴に食い込ませた。
『焚骸』の絶対的な散華作用が、イザナギの命の核を内側から食い破っていく。
パァンッ……!!と、光と何十万枚もの純白の花弁が天へと噴き出した。
不滅であるはずの天の神イザナギの命が、ついに消滅した瞬間だった。
トドメの一撃を刺し終えた大葉さんは、散り散りになる光の中で、イザナギの「意思」に似た概念を感じ取っていた。
──イザナミを滅ぼした人間が憎かった。奪われた報いを受けさせようとした。
個別の意思を獲得していた天の神もまた、かつて人間に触れたことで、人間と同じ「愛憎」の感情を取り込んでしまっていたのだ。
◆
――静寂が訪れた。
空を、大地を、四国全土を埋め尽くしていたおびただしい数のバーテックスたちが、イザナギの消滅と同時に、まるで潮が引くように次々と光の粒となって崩壊していった。
「終わった……の……?」
私=犬吠埼風は、手に持っていた大剣をポロリと落とし、天を見上げた。
雲一つない、透き通るような美しい青空が広がっていた。
遠くの空から、変身を保つのも限界なほど満身創痍になった友奈が、動かなくなった真優を抱えて砂浜の方へと戻ってくるのが見えた。
だが──陸地に着く直前、二人の勇者装束が限界を迎えて弾けるように解除された。
ドボンッ!二人は砂浜の手前の浅瀬へと派手に落っこちた。ビシャビシャになって這い上がる友奈と、そして全裸になってしまっている真優の姿。
「ハックショイッ……!!」
二月に入ったばかりの冬の海である。
海水は信じられないほど冷たく、二人は歯をガチガチと鳴らしてブルブルと震えていた。真優に至っては鼻水を垂らしている。
「ちょっと! 大丈夫!? 二人とも!」
私や夏凜、東郷たち全員が大急ぎで駆け寄り、上着を真優の身体にバサバサと羽織らせた。
「うぐ……ありがと……犬吠埼さん……」
凍える声でお礼を言う真優。
すると、夏凜が感情を抑えきれなくなったように、上着越しに真優の身体へ思い切り抱きついた。
「わ……っ! 夏凜ちゃん……!?」
「……心配かけすぎなのよ、バカ真優……っ!」
夏凜の声は、涙で大きく潤んでいた。
「……おかえりなさい」
夏凜の温かい言葉に、駆けつけた全員──東郷も、園子も、銀も、樹も、芽吹たちも、笑顔で言葉を重ねた。
「「「おかえりなさい」」」
真優は一瞬驚いたように目を見開いたあと、照れくさそうに口元を緩めた。
「……うん。ただいま」
その時だった。
「……あ、お姉ちゃん……」
樹が、自らの「肉声」で『おかえりなさい』と喋ったのだ。
「え……? 樹……いま、喋った……!?」
「あれ?声が治ってる」
驚く私たちのもとへ、回収船に乗った継人さんや春信さんたちが大急ぎで駆け込んできた。
継人さんが真っ先に船から飛び降り、真優の元へと走ってくる。
「真優! 無事か!?」
継人さんが真優の肩を掴んだ、その瞬間だった。
真優の口から、真優自身のものではない──澄んだ女性の声が発せられた。
『──二週間、本当に楽しかったわ』
二夜さんの声だった。継人さんが息を呑む。
『二人で過ごした時間は、絶対に忘れない。……大丈夫、また会えるから。それまでは少しだけお休み……私の大好きな人』
その言葉を最後に、二夜さんの気配がそっと引いていき、再び真優の瞳に光が戻った。
「……二夜の意思は途切れたよ。でも……まだ消えてない。僕の中にいる。時が来れば、また会えるよ」
真優は継人さんを見上げ、まっすぐな瞳で告げた。
継人さんは静かに目を閉じ、込み上げるものを噛み締めるように力強く頷いた。
そして真優は、継人と私たち全員に向けて、今日一番の笑顔を見せてくれた。
「……ただいま!」
◆
神々の戦いが終わり、世界に再び平穏な日常が戻ってきた。
真優は無事に讃州中学校へと復学を果たした。
さらに嬉しいことに、銀と園子の二人も中学へと正式に入学してきたのだ。
卒業までの残り期間はほんの僅かだったけれど、私たちは毎日部室に集まり、賑やかでかけがえのない「勇者部」としての時間を過ごした。
受験勉強の末、私=犬吠埼風と真優は何とか揃って高校に合格することができた。
ただ、先日の戦いで高校の校舎が吹き飛んでしまったため、新校舎はなんと讃州中学校の真隣に建てられることになり、バーテックスの襲来で進学に影響が出た子供たちを広く受け入れる場所となった。
そして──今日、私と真優の中学校の卒業式が終わった。
式が終わり、部室へ向かう途中、真優が不意に足を止めた。
「ねえ、犬吠埼さん。部室に行く前に、ちょっと学校の近くの公園に行かないか?」
「公園? ええ、いいわよ」
二人で並んで公園へと向かう道すがら、真優は静かに語り始めた。
「……僕が『僕』でいられたのは、あそこでの出来事があったからなんだ。あそこで彼女に励まされ、犬吠埼さんに助けられた。だから……僕が今、ここにいる」
真優は立ち止まり、私の方へ振り向いた。
「だから……今言うね。助けてくれて、ありがとう。友達でいてくれて、ありがとう。そして……一緒に卒業してくれて、ありがとう」
真優は、どこまでも澄み切った笑顔で私に微笑みかけてくれた。
その笑顔を見た瞬間、私の胸の奥に溜まっていた過去の葛藤や迷いが、すべて温かい光となって溶けていくのを感じた。
間違いじゃなかった。真優は私を恨んでなんていなかった。
溢れ出る感情を抑えきれず、私は真優の身体を力いっぱい抱きしめた。涙が溢れて止まらなかった。
「……真優……っ!」
真優は優しく私の身体を包み込みながら、クスッと笑った。
「……また、“一緒”に学校に行こうね」
「うん……っ! うんっ!!」
私は涙を拭いながら、二つ返事で強く頷いた。
そして、ずっと言いたかった一つの提案をした。
「あ……ねえ、真優。『犬吠埼さん』じゃなくて……友達なんだから、これからは『風』って呼んでよ!」
真優は一瞬驚いたように目を丸くし、それから少し照れくさそうに頬を染めた。
「……わかったよ。……風ちゃん」
照れくさそうに笑う真優の手を取り、私たちは部室で待っている友奈たち、そして二夜さんの息子の元へと歩き出した。
──しかし、人類の物語はここで終わりではなかった。
イザナギという存在が倒されたことで、個別の意思を獲得した天の神たちは分裂を起こし、それぞれの群体を形成し始めていた。
その影響により、かつて四国を覆っていた外側の結界が完全に消滅。
崩壊した旧時代の巨大都市群が、数百年ぶりに人類の目の前へとその姿を現したのだった。
人類と神々の戦いは──新たな局面へと、静かに移行していく。
観音寺への聖地巡礼中に書けました。
次の章は日常の話です。
高屋神社登ったけど、ヤバかったです。
眺めは最高ですね。
友奈って呪いを受けた身でこれ登ったの?本当に?