迷走
神世紀301年、4月。
長く苦しかった戦いが、ようやく終わりを告げた。
世界を破滅へと追いやろうとしていた天の神の一柱「イザナギ」は討たれた。それに伴い、僕たち──讃州中学勇者部が患っていた「満開」の後遺症は、嘘のように綺麗さっぱり消え去ったのだった。イザナギを倒した際に神樹が再生機能を使い、後遺症を治したのだと思う。
そして大赦から下されていた神託も、パタリと途絶えた。四国を覆っていた暗雲は晴れ渡り、空には穏やかな太陽が輝いている。
まさに、誰もが望んだ平和な時が流れていた。
──だが。
平和になったからといって、すべてが元の日常に即座に戻るわけではない。
「……うーん、中学の制服まんまだから高校生になった気がしないねぇ」
「文句を言わないの真優。急ごしらえで作った高校なんだから、制服なんてまだ無いわよ、学校に行けるだけでもありがたいと思いなさいな」
僕=大葉真優は、パチパチと腕章の位置を直しながら、隣で腕を組む犬吠埼風に苦笑いを返した。
ここは讃州高校の校庭の一角。本来なら立派な校舎が建っているはずの場所には、プレハブ小屋の教室がいくつも無機質に並んでいる。
激闘の果てに社会インフラや学校設備は甚大な被害を受け、新学期の準備は大幅に遅れていた。当然、讃州高校の一学期なんて全然始まっていない。
生徒たちの制服も統一性が欠片もなくバラバラだった。以前の学校の制服を着ている者、私服に近いような服の者。そんな統一感のなさを少しでも補うために、生徒たちは全員、腕に『讃州高校』と書かれたエンジ色の腕章を巻いて登校していた。
一学期も始まっていないのに僕たちがこうして学校に集まっているのは、単に「自習」のためだ。
正式な新学期は、生徒の準備が整う6月ごろから始まると決められていた。だから今は、登校も下校も完全に自由。それでも、家でじっとしているよりは友達と顔を合わせたい生徒たちが、ポツポツとこのプレハブ教室に集まってきていた。
「でもさぁ、風ちゃん。新学期も始まってないのに、今日『新しい人』が来るって本当なの?」
「ええ、本当よ。継人さんから直接連絡があったんだから間違いないわよ」
風ちゃんが窓の外を眺めながら言う。春の暖かな風がプレハブの隙間から吹き込み、窓枠をカタカタと揺らした。
「どんな子だろうねぇ」
僕がそんな会話を交わしながら楽しみに待っていると、カツカツと廊下を歩いてくる足音が聞こえてきた。ガラリとプレハブ教室の引き戸が開く。
そこに立っていた人物の顔を見て、僕と風ちゃんは目を丸くした。
「……ごきげんよう、皆様。本日よりこちらに転入することになりました、弥勒夕海子ですわ」
優雅に髪をかき揚げ、胸を張って挨拶をしたのは、見知った顔──防人である弥勒夕海子だった。
僕たち以上に反応したのが、教室の隅で自習をしていた大赦職員の赤嶺君と桐生君だった。
「「ッ!!???」」
二人は椅子をガタッと鳴らして跳ね上がり、目を見開いて飛び上がった。
「み、弥勒夕海子!? なんでお前がここに居るんだよ!?」
赤嶺が情けない声を上げて指を指す。桐生もまた、普段のポーカーフェイスを崩して冷や汗を流していた。
「あら、失礼ですわねアルフレッド一号! 淑女に向かってその態度はなんですか!」
「誰がアルフレッドだ! 赤嶺! 一号ってなんだ一号って!」
「まあまあ、いいじゃないですの。今日からわたくしもこの学校の生徒ですのよ。仲良くいたしましょう」
高らかにほほ笑む弥勒さんだった。
◆
どうして防人の彼女がここにいるのかといえば、理由は単純だった。
今回の戦いを経て、楠芽吹が正式に「勇者」として認められた関係上、勇者に関連する人間や防人たちを讃州中学・高校の敷地内にひとまとめにした方が、大赦側の管理や防犯の都合が良かったからだ。
そのため、「勇者の護衛」という名目を立てて、防人の一部の面々が讃州中学および高校に転校してくることになったのだった。
「アルフレッド一号。わたくし特製のハーブティー用の茶葉を持ってきましたわ。そこの魔法瓶にお湯入ってますの、淹れてくださるかしら?」
昼休み。プレハブ教室で机を寄せ合い、みんなでお弁当をつつきながら、僕たちは弥勒さんからそんな事情を聞いていた。
……聞いていたのだが、弥勒さんはなぜか赤嶺君と桐生君のことを当然のように「アルフレッド」と呼び、こき使おうとしていた。
「断る。なんで俺がお前の茶を淹れなきゃならんのだ」
桐生君は腕を組んで即座に拒絶した。
「むぅ……冷たい男ですわね、アルフレッド二号。では一号! あなたが淹れなさい!」
「あーっ! だから俺はアルフレッドじゃねえって言ってるだろ! 赤嶺だ! ……おい、ちゃんとお湯入ってんだろうな、この前ただの水だったろ!」
文句を散々言いつつも、赤嶺は結局イヤイヤ立ち上がり、弥勒さんの魔法瓶を開けてお茶を入れ出した。ツンツンしながらも結局世話を焼いてしまうのが赤嶺君の優しいところだった。チョロいけど。
話を聞くと、弥勒が勇者の代わりとして大赦の広報活動に出ていた際、その護衛についていたのが赤嶺君と桐生君の二人だったらしい。
撮影現場や移動の車内で、弥勒のわがままに散々付き合わされたらしい。
「へぇ……弥勒さんと赤嶺君たちって、仲が良いんだねぇ」
僕が素直に感心して赤嶺君に言うと、お茶を注ぎ終えてガバッと振り返り、顔を真っ赤にして叫んだ。
「違う!! 仲良くなんかない! 断じて仲良くなんかないからな!!」
「え、あ、うん……そこまで否定しなくても良くない……?」
僕が苦笑いしていると、赤嶺君は「ほらよ」と少し乱暴に、でも溢さないように丁寧な手つきで、僕に温かいお茶を注いでくれた。
「……あ、ありがとう」
「おう……」
赤嶺君はぷいと横を向いて自分の席に戻っていった。
ハーブの爽やかな香りが鼻をくすぐる。一口飲むと、すっきりとした甘みが広がった。うん、すごく美味しい。赤嶺君、文句を言いながらも温度の調整とか完璧なんだから、根がマメなんだろうな。
◆
昼休みが終わると、今日の自習時間は終了となり、下校の時間になった。一学期が始まっていない今の時期は、授業もないためお昼を過ぎたら自由に帰っていいことになっている。
僕と風ちゃん、そして転入の手続きを終えた弥勒の3人は、そのまま敷地内にある「勇者部」の部室へと向かうことになった。
プレハブ校舎を出る際、野球部の練習へ向かう赤嶺君と桐生君とすれ違う。
「おい、大葉!」
赤嶺君が振り返り、僕の目をじっと見つめて真剣な顔で指を指してきた。
「言っておくがな、俺は弥勒とは絶対に仲良くないからな! 勘違いするなよ! 護衛の仕事だったから仕方がなくだからな!」
「あはは、わかってるよ。気をつけて練習してね」
「……おう」
「アルフレッド2号は恥ずかしがり屋ですわぁ」
念を押すように捨て台詞を残し、赤嶺君はグラウンドへと走っていった。素直じゃないというか、不器用というか。でも、そんな彼らの日常が戻ってきたことが、僕は少し嬉しかった。
そのまま3人で讃州中学側にある勇者部の部室に到着する。
扉を開ける前から、中から怒鳴り声が聞こえて来た。
「だから! このボランティアのシフト表は効率が悪いって言ってるのよ、夏凜!」
「なんですって!? 私は今までこのやり方でやってきたのよ! 転校してきたばかりのアンタに口出しされたくないわね、芽吹!!」
予想通りというか、お約束というか。
部室の中では、夏凜ちゃんと芽吹さんがバチバチと火花を散らして口喧嘩をしていた。
部屋の隅では、加賀城雀が「ひえぇ、また始まったよ〜」と頭を抱えて震えており、山伏しずくが静かにそれをなだめ、国土亜耶がお茶を啜りながらほわほわと眺めていた。
「やれやれ、またやっていますわね……」
弥勒が呆れたようにため息をつく。
前回のイザナギとの決戦では、命を懸けて背中を預け合い、仲良く協力して戦っていたはずなのに。日常に戻った途端にこれだ。
戦いの時はあんなに一致団結していたのに、こういう平和な時にはくだらないことで喧嘩するんだなぁ……と、僕は妙な感心をしてしまった。でも、それこそが「平和」の証拠なのかもしれない。
と、思っていると……
ガラリとドアが開き、樹ちゃんが部室に入ってきた。その腕には、小さな赤ちゃんが抱っこされている。讃州高校と中学の敷地に併設された臨時保育園から、樹ちゃんがわざわざ迎えに行って連れてきてくれたのだ。
その子は相良二夜の子供、名前は『夜継(よつぐ)』という。
「樹ちゃんありがとね夜継のお迎え行ってくれて」
「いーえー、夜継ちゃんのお迎えは誰が行くかいつも取り合いなんですから」
「ふふ、それでもだよ、おかえり夜継」
「うー……ぁう……」
夜継は昼寝の途中で無理やり連れてこられたせいか、少しご機嫌斜めで、小さな眉間にしわを寄せてぐずっていた。樹ちゃんが困ったようにあやしている。
「夜継、おいでー」
僕が手を伸ばして抱っこすると、それまでぐずっていた夜継は、ぴたっと泣き止んだ。
そして、僕の顔をじっと見つめると、「キャッ!」と小さな声を上げてニコニコと笑い出した。ぷにぷにした小さな手が、僕の頬をぺちぺちと叩く。
可愛い。
前回の戦いの中で、複雑に絡み合った事情の結果として生まれた子。
僕は二夜の代わりに母親役をやっているけれど、正直なところ、本当の母親は自分ではないと思っている。だって僕は元々は男だし、こんな風に女の子として生きるようになったのも色々な経緯があったからだ。
だが、夜継の方は、はっきりと僕のことを「母親」として認識しているようだった。僕に抱っこされると、一瞬で安心しきった表情になるのだ。
僕、母親として接してないんだけどなぁ。
そんな場違いなことを心の中で思いつつ、僕は部室のバウンシングシートに夜継を置き、部室の隅にある電気ポットへ向かい、粉ミルクを用意し始めた。お湯を注ぎ、哺乳瓶を慣れた手つきで振る。
ふと振り返ると、さっきまで凄まじい勢いで喧嘩していた夏凜ちゃんと芽吹さんが、いつの間にか喧嘩をやめていた。
それどころか、部室にいる全員が、夜継の周りに吸い寄せられるように集まってきていた。
「うわぁ……やっぱり赤ちゃんって、すごくちっちゃいわね……」
夏凜ちゃんが指をそーっと差し出すと、夜継がそれを小さな手でぎゅっと握りしめた。夏凜の顔が一瞬でドロッと溶ける。
「む……これが、本当に可愛らしいわね……」
芽吹さんも目を輝かせて夜継を覗き込んでいた。
女子的には、やっぱり赤ちゃんという存在は無条件で可愛いらしい。
もちろん、僕だって可愛いとは思っている。けれど、みんなの可愛がりようは凄かった。
よく銀さんが「任せとけって!」と面倒を見てくれるし、園子さんに至っては「夜継ちゃん〜、今日は『サンチョの大冒険』を読むよ〜」と、自作の謎の絵本を読み聞かせたりしている。
園子さんの可愛がりはまたちょっと特別というか、親戚の子供を見てる様な感じがする。
ボウルに張った冷水で哺乳瓶を冷ましつつ、僕はふと思い立って、最近ネットや街中で噂になっている「あの話題」をみんなに振ってみることにした。
「そういえばさ、みんな。最近の街の様子……聞いた?」
僕の言葉に、夜継に夢中だったみんながパッと顔を上げた。
「街の様子……? 何かあったの、真優?」風ちゃんが首を傾げる。
「うん。結界の向こう側が見えるようになってから……崩壊した旧都市群がはっきりと観測されるようになったじゃない?」
僕は冷えた哺乳瓶の乳首を夜継の口に含ませた。夜継は「ごくごく」と勢いよくミルクを飲み始める。その頭を優しく撫でながら、僕は言葉を続けた。
「それで……一部の人間が、大赦に対して反秩序的な行動に出始めてるんだって。結界が解けたことで『今まで大赦は自分たちを騙していたんじゃないか』とか『隠蔽していたんじゃないか』って疑心暗鬼になって……まあ、騙してたのは本当なんだけど」
「あー、それ。ネットの動画サイトとかでめちゃくちゃ拡散されてるわね」
夏凜が腕を組んで嫌そうな顔をした。
「そうなんだよね。それが引き金になって、最近じゃ散発的な暴徒まで出てきて、大赦の施設を襲ったり、街で略奪まがいのことをしようとしてるらしくて……」
部室に少し重苦しい空気漂う。
平和になったからこそ、今まで抑圧されていた人間の不満や疑念が爆発してしまっているのだ。
「……でもね、今日の話の肝はそこじゃないんだ」
僕がそう言うと、みんながゴクリと息をのんだ。
「その暴徒たちをね……どこからともなく現れて、一人で撃退して鎮圧している民間人がいるらしいんだよ」
「民間人……? 大赦の治安維持部隊じゃなくて?」芽吹が眉をひそめる。
「うん。その人物の名前は――『国防仮面』って言うらしいんだけど」
「「「国防仮面……???」」」
部室に微妙なネーミングの言葉が響く。
すると、それまで静かに話を聞いていた友奈ちゃんが、えへへと頭を掻きながら笑った。
「あ、それ私知ってるよー! この前、買い物帰りにお財布奪われそうになった時、助けてもらったんだー!」
「えっ、友奈さん助けられたんですか!?」樹ちゃんが驚く。
「うん! マントをバサーッて羽織った人が空中から降んできてね、『悪事は許さん!』って言って暴漢を一瞬で倒して去っていったの! すごくカッコよかったよー!」
無邪気に喜ぶ友奈ちゃん。
その場にいた全員の反応は、綺麗に二つに分かれた。
「へぇー、そんなヒーローみたいな人がいるんだねぇ」
と、呑気に感心する『へぇ』の面々。雀さん、しずくさん、弥勒さん。
そして──
そのネーミング。その挙動。その無駄な行動力。
と、一瞬で顔を引きつらせて察した『もしや』の面々。風ちゃん、樹ちゃん、夏凜ちゃん、芽吹さん、園子さん、銀さん。
ちなみに僕は完全に『へぇ』のグループだった。世の中には物好きな正義の味方がいるんだなぁ、くらいにしか思っていなかったのだ。
腕を組んで考え込んでいた風ちゃんが、ふと部屋を見回して口を開いた。
「……ねえ。ところで……東郷はどこ行った?」
そういえば、いつも友奈ちゃんの隣にぴったりと寄り添っているはずの東郷さんの姿が、今日はずっと部室になかった。
「そういえば……東郷の奴、お昼休みから姿を見てないわね」夏凜が周囲を見渡す。
銀と園子が「あー……」という、全てを察したような何とも言えない表情を浮かべた。
園子は胸ポケットから端末を取り出すと、ポチポチと操作して大赦のGPSモニター画面をみんなに見せた。
「わっしーの位置情報ね、今ここに出てるよ〜」
画面に表示されたマップ。
そこには、港の倉庫街付近を示す点滅するアイコンがあった。
「港……? そんなところで何やってんのよ……」
風ちゃんが嫌な予感を隠しきれない顔になっていた。
◆
僕たちは港付近へと向かった。
港特有の磯くさい風が吹き抜ける倉庫街。静まり返った工場群の屋上を見上げていた僕たちは、言葉を失った。
カツンッ! カツンッ!
青空を背景に、港の巨大な工場の屋根の上を、何かが凄まじい跳躍力で飛び跳ねていた。
黒いマントを風にはためかせ、顔には謎の覆面。
それだけではない。その人物の後ろには、『衛使』が、黒いマントを着せられた状態で3体、ゾロゾロと怪しく追従していたのだった。
マントを羽織った謎の人物と、マントを着た3体の衛使。それらが屋根から屋根へ、まるで特撮ヒーローのように飛び移っていく。
「………………」
「国防仮面さんだー!」
全員、無言になった。友奈ちゃん以外。
間違いない。
仮面を被っていようが、マントを羽織っていようが、あの動き、あの衛使の使い方は──東郷さん以外の何者でもなかった。
「……東郷ね」風ちゃんが深くため息をつく。
「……東郷だわ」夏凜ちゃんが頭を押さえる。
「……須美だな」銀さんが呆れ顔で呟く。
「とりあえず!」
風ちゃんがポンと手を叩いて仕切った。
「東郷を追いかける追跡組と、あいつが港で何やってたのか調べる現場調査組に分かれましょう! 私と真優と芽吹と園子は現場調査! 他は追跡組ね!」
こうして僕たちは二手に分かれ、東郷さんが飛び去っていった工場の下へと向かった。
港の裏路地に着くと、そこには悲惨な光景が広がっていた。
暴れていたらしく刃物や鉄パイプを持った暴漢数人が、見事なまでにぶち回され、アスファルトの上で白目を剥いて転がっていたのだ。骨が折れている者もいそうだった。
「ひえっ………」
周辺にいた住民や作業員に話を聞いてみると、彼らは怯えつつも口々に証言してくれた。
「あ、いやね……あの暴漢どもが、通りすがりの住民から金品を奪おうと襲いかかってきたんだよ。そしたらどこからともなく、マントを着た『国防仮面』が現れてな……」
「凄かったんだぞ! 銃も使わずに、素手と蹴りだけであっという間に男たちをぶちのめして……『治安を乱す悪党に天罰を!』とか叫んで、空へ飛び去っていったんだ……」
何それ。僕と風ちゃんは、ただただ呆れ顔になるしかなかった。東郷さん、一体何を目指しているんだろう。完全に迷走している。
一方で、芽吹さんだけは真面目な顔で「なるほど……」と頷いていた。
「勇者部というのは、平和になった後もこうした地域の治安維持活動を行っているのですね。さすがは讃州中学勇者部、抜かりがないですね……」
「違う、 完全に個人的な暴走、 勇者部はボランティアがメインの部活だからね」
風ちゃんは全力で見当違いな勘違いをしている芽吹さんに教え込み、即座に追跡組へと連絡を入れた。
「あー、こちら風! 聞こえる!? 東郷はどうなったの!?」
風ちゃんの大声が響く。追跡組の夏凜ちゃんからの返信は──
『あ、風!? 東郷のやつ、私たちが追いかけてることに気づいたみたいで……強烈なジャミングを展開して、煙幕と一緒にどこかへ逃げ去っちゃったわよ!』
『用意周到ね!あのバカ!!』
風ちゃんが天を仰いで叫んだ。自分の仲間に向かってジャミングを展開して逃げる女子中学生がどこにいるというのか。用意周到すぎる。東郷さんらしいが。
「なんであいつは、一人でこんなバカな行動をしとるんや……!」
風先輩がぷんぷんと怒りに肩を揺らしていると、隣で端末をいじっていた園子と銀が、どこか静かな目をして語り始めた。
「……風先輩。わっしーはね……みんなが必死に守ったこの世界を、乱すようなことをやってる人が許せないんだと思うの」
園子さんの言葉に、みんなの動きが止まった。
「今の平和はね、誰かの犠牲や、みんなの血と汗の上に成り立っているでしょ? それを……何も知らない人たちが、勝手なことを言って無茶苦茶に壊そうとしたら……わっしー、怒っちゃうんだよ」
銀も頷きながら言葉を継ぐ。
「須美の気持ちも分からなくはないさ。あたしたちが命がけで守った街で、暴徒が好き勝手やってるなんて、見ててヘドが出るからね。……でもさ」
園子が優しく、けれどハッキリとした口調で締めくくった。
「でもね……それは、私たちがするようなことじゃないと思うの。そういう暴徒の取り締まりは、継人さんたち大人がやることなんだと思う。私たちだけの考えで、勝手に裁いちゃいけないの。……あと」
「あと?……」
「普通に警察に捕まっちゃうんよ」
ぐうの音も出ない正論だった。
最後の一言が特にリアルだった。どれだけ世界を救った勇者であっても、お面をかぶって街で人をぶちのめしていたら、ただの「不審者」であり「傷害罪」なのだ。
風ちゃんは深く息を吐き出すと、ガシガシと自分の頭をかいた。
「……そりゃそうよねぇ、 よし、腹はくくったわ、東郷を止めるわよ!」
東郷さんの行動パターンは予測がついた。
彼女は「治安の悪い場所」を重点的に周回し、暴徒が出現するのを待って鎮圧しているはずだ。
ならば、僕たちも同様のことをすればいい。
◆
作戦である。
一番治安が破綻していそうな通りに、暴徒に対して一番対応できそうなメンバーを配置する。
ジャンケンで負けた夏凜が「可愛い格好」をして一人で治安の悪い場所を歩き、暴徒を誘き寄せ、さらにそれを撃退しようと上空から躍り出てくる東郷さんを捕獲する、という作戦。
「ちょっと待ちなさいよ! なんで私がそんな格好しなきゃいけないのよ!?」夏凜が猛抗議する。
「ジャンケンで負けたからでしょ! それに、アンタなら暴徒の二人や三人、素手でひねり潰せるじゃない!」
「そういう問題じゃないでしょーー!!」
非常に危険な作戦なのだが、なにせ全員が過酷なバーテックスとの戦闘を生き抜いてきた猛者たちである。一般的な「危険」に対する感覚が完全に麻痺していた。
ちなみに。
東郷をより確実に誘き寄せるため、いくつかのポイントで何人かが「可愛い格好」をして待機することになった。
服のチョイスを担当したのは、もちろん園子さんである。
結果、園子さんによって信じられないほどフリフリで可愛らしい服を着せられたのは──夏凜ちゃん、銀さん、そして風ちゃんの3人だった。
「写真よろしくなんよ〜、マユマユ」
「任せて園子さん。バッチリ収めとくよ」
僕は物陰に隠れながら、顔を真っ赤にしてフリフリの服を着せられている夏凜ちゃんを、スマホのカメラで連写していた。実に良い画が撮れている。
「ちょっと! 真優! 撮ってないで助けなさいよ! 芽吹も笑ってないで何とか言いなさい!」
物陰に隠れた芽吹さんは、腕を組んで冷ややかにアドバイスを送っていた。
「夏凜、囮なんだから、もう少し可愛い感じで歩きなさい。そんな肩で風を切って歩いては、暴徒も警戒して出てこないわよ」
『言いたい放題言ってんじゃないわよ!!あんたやる!?』
「やらない」
『キィー!』
額にピキピキと青筋を立てながら、夏凜が決められた周回ルートを歩く。
三周目の周回に入った、その時だった。
路地の奥から、ぬっと一人の男が飛び出してきた。
男は丈の長いロングコートを羽織り、深めのフードを被って顔を隠している。
かかった。
僕と芽吹さんは目配せをし、いつでも飛びかかれる位置へと体制を整えた。
物陰から芽吹が夏凜へ小声で指示を出す。
『夏凜、可愛らしい悲鳴を上げて、東郷さんを誘い出すんでしょ』
『うるさいわね! ちょっと待って、あの男……ただのロングコートを着た男じゃないわ! まだ暴徒か分からないわよ!』
夏凜ちゃんは言い張るが、見知らぬ怪しい男に迫られているのだから、普通の女子中学生なら恐怖で叫び出している場面だ。だが、彼女たちの感覚は完全に麻痺していた。
不意に、男が夏凜に向かってニヤリと不気味に笑い、手を伸ばしてきた。
マズいかな。
そう判断した瞬間、僕と芽吹さんは素早く物陰から飛び出し、夏凜の前に立ちふさがった。
「そこまでだ!」芽吹さんが叫ぶ。
男は僕たちの登場に少し驚いたようだったが、すぐに「ヒヒッ……」と満足そうな気味の悪い笑い声を漏らした。
あれ? これ、暴徒っていうか、もっとマズい奴に出会ったんじゃないか。
僕たち3人の脳裏に、嫌な予感がよぎった瞬間。
男はバッとフードを取り払い、着ていたロングコートの前を豪快にはだけさせた。
「わッ!!???」
僕たちの視界に飛び込んできたのは──
顔の上半分を不気味な『狐の面』で隠した、無駄にムキムキな男の全裸姿だった。
服など一切着ていない。股間に申し訳程度に、モフモフした狐のファーを垂らしているだけである。
問答無用で、ただの変態だった。
「「「きゃああああああああああーーーーーーーっっっっ!!!!!」」」」
バーテックス相手には決して上げないような、年相応の……いや、別種の恐怖に駆られた絶叫が裏通りに響き渡った。
僕、夏凜ちゃん、芽吹さんの3人は、なりふり構わず脱兎のごとく逃げ出した。
「待っておくれぇぇぇ! 俺のママ!!」
案の定、狐面全裸男は凄まじい脚力で追っかけてきた。股間のファーをフリフリさせながら。
「なになになに!? 何言ってるのアイツ!? 気持ち悪い!!」夏凜ちゃんが泣きそうになりながら叫ぶ。後ろからボソボソと、男の狂気じみた声が追いかけてくる。
『うわぁいママだ! ママボディだぁぁぁ!』
「真優を狙ってるわ! 絶対真優の母性に引き寄せられてるわよ!」
「なんで僕なのさ!? 僕は男……じゃなくて、母乳も出ないよ!?」
「出したいの?!」
「出したくないよ!」
さらに男は、荒い息を吐きながら叫び続けた。
『スラリとしたママボディ! 母性が爛れているね!』
「狙われてるの、芽吹じゃないの!?」
「いや、夏凜のことよ! 押し付けないでちょうだい!」
夏凜ちゃんと芽吹さんが激しく押し付け合っていると、男はさらに核心を突く発言を放った。
『髪の毛2つ結びはママの証ぃぃぃ!』
「わかんないわね」
「え、どっちなの?」
夏凜ちゃんも芽吹もツインテールだった。
これ誰を狙ってるか全っ然わからん。
2人は、少し冷静を取り戻した。
さらに男は叫ぶ。
『可愛らしい服でママの真実は隠せないぃぃ!』
「……大葉さん。狙われているのは間違いなく、あのフリフリ服の夏凜です。次の分かれ道で置いて行きましょう、大丈夫夏凜なら逃げ切れます」
血も涙もないこと言い出した。
「ちょっと芽吹! 聞こえてるわよ! 仲間にやることじゃないでしょーが!!」
「え?」
「ちょっとホントに傷つくからそういう反応やめて」
だが、そんな押し問答をしているうちに、僕たちが逃げ込んだ路地は──無情にも行き止まり、高いコンクリート壁にぶち当たってしまった。
「しまっ……行き止まり!?」
振り返ると、狐面全裸男が「ヒヒヒ……捕まえたぞぉ……」と、じりじりと距離を詰めてきていた。
一瞬、僕の頭の中に『……こいつ、ボコボコにすれば一発で解決するんじゃないか?』という考えが浮かんだ。
だが、即座に打ち消した。
無理だ。触りたくない。生理的に無理すぎる。素手で触れたら一生のトラウマになる。
「ど、どうするのよ……! 誰か!」
夏凜が絶叫し、僕たちが絶体絶命の危機に陥った、次の瞬間──。
ドォンッ!と上空から、黒いマントを翻して何かが猛烈な勢いで降り立ち、アスファルトの地面に大きなヒビを入れながらダイナミックに着地する。
もうもうと立ち込める煙の中から、ポーズを決めた人物が朗々と叫ぶ。
「憂国の戦士! 国防仮面、参上!!」
東郷さんだった。
相変わらずのネーミングセンスと、無駄にかっこいい着地である。
東郷さんは、僕たちを守るように立つと、狐面全裸に向かって朗々と説明口調で言い放った。
「案ずるな、乙女たち! この男は最近、この周辺の治安を脅かしていた変態……『狐面全裸男』! 私が天に代わって討ち果たす!」
「ほう……貴様が噂の『国防仮面』か」
狐面全裸男は、悪びれる様子もなく不敵に笑うと、なんと驚くべき滑らかな動きで構えを取った。戦闘モードに入ったのだ。
次の瞬間、バシィッ!と空中でお互いの高速の蹴りが激しく激突した。 衝撃波で街灯が揺れる。
「えぇ……あれで強いんだ…」
ただの変態かと思いきや、無駄に体幹がしっかりしており、格闘技術が高いのだ。東郷さんの蹴りを受け止めている。
「何故だ! 何故このような破廉恥な真似をして、街の平和を乱すのだ!」
東郷が空中で着地し、拳を構えながら言い放つ。
すると、狐面全裸男は堂々と胸を張り、言い放った。
「ハ! 決まっているさ! 『平和になったから』だよ!!」
「「「……は?」」」
僕達3人は、あまりのとんでも理論に首を傾げた。
男はさらに熱弁を振るう。
「かつて我々は、空から現れる怪物の恐怖に怯え、明日をも知れぬ日々を送っていた! とてもではないが、変態行為などに現を抜かす余裕などなかったのだ! しかし……あの戦いの後から怪物は出てこなくなった! 世界は平和になったのだ!ならば!!」
男は股間のファーをバサッと揺らした。
「心置きなく変態行為に及ぶことができる! これのどこがおかしいというのか!!」
((全部おかしい)))
僕たち3人は、心の中で全力のツッコミを叩き込んだ。平和の使い方を全力で間違えている。平和の被害者ならぬ、平和の害悪である。
だが、東郷さんの受け止め方は違っていた。
「くっ……! なんということだ……! 私たちが必死で勝ち取った平和が……このような怪物を産み出してしまうというの……!? なんという皮肉!」
「平和とは自由!選択する自由!私は好きに生き!好きに"死ぬ"!!」
死ぬ、と男が言った。その言葉に東郷さんはピタリと動きを止めた。男は拳を振り抜くが、それを彼女は片手で止めた。何か様子がおかしい。
「死ぬ?」
「そうだ!人の自由にそれは含まれる!」
「そんなことの為に……!!私達は戦ってなどいない!!」
拳を弾く。東郷さんと男の拳が真正面でぶつかる。
「戦ったぁ?!怪物と戦った者のような物言いを……!」
「死ぬなんて!簡単に言うな!勝手を言うな!犠牲になった人達の命はなんだ!勝手に無駄にするな!!」
「な、君は……?戦ってくれた少女達の一人なのか……!」
男は狼狽した。東郷さんはその隙を突き、男の腹部に蹴りを叩き込んだ。ぐふ、とうめき声をあげ、男は壁にぶち当たる。
「私達は何のために戦った?!私達をバカにするな!!私達が勝ち取った平和を!そんなことに使うな!」
東郷さんは下を向いていた。男は腹部を押さえながらも立ち上がる。しかし彼からは戦意が消えていた。
「……俺は、あの時、あの戦いの時、戦う君達を見た、人を超え、人を救う君達を……超常的な存在だと思っていた、……だが違う、普通の女の子なんだな」
「……私達は普通の人間です、誰かと平和を生きたい人間なんです」
男は天を仰ぎ見た。すーっと息をする、そして私達を見つめた。まっすぐな目だった。
「君達のような少女が勝ち取った平和……、何という恵みか……それを俺は、俺達は、大人は顔も知らない者の甘言に拐かされて……ありがとう、俺は生きている事に感謝すべきだった……」
男はスッと手を差し出した。東郷さんは差し出されたその手を恐る恐る掴んだ。しっかりと握手する2人。
「平和とは誰かの勝ち取った物を譲られ、託されていく、大人である俺はそれを譲られ託された、その義務を、責務を、俺は……やっと理解できた」
そして男はまたありがとう、とだけ伝え。町の闇夜の中へと消えていった。
消えていく男、その背中を見つめる東郷さん、そして着いていけなかった僕達3人。
静寂。そして、「それでは、私は次の街の平和を守るために……」と、どこか満足そうに東郷さんは飛び去ろうとした──
その瞬間。
「──どこへ行こうとしてるのかしら、東郷」
「へ? ぐべぇ!?」
東郷さんの真後ろに風ちゃんの、魂の入った拳骨が、彼女の頭頂部に思い切り炸裂した。
「なぜバレたぁー!?」と頭を押さえて悶絶する東郷さん。
僕がこっそりスマホで、全員に位置情報を連絡していたのだった。
◆
その後。
部室に連行された彼女は、正座をさせられた状態で、風ちゃんからこっぴどく叱られることになった。
「アンタねぇ! アホなことやってんじゃないわよ!! 一人で国防仮面だかなんだか知らんけど、警察沙汰になったらどうするのよ!!」
風ちゃんの怒号が部室に響き渡る。
国防仮面をやっていた理由は、港で園子が予想していた通りのことだった。
世界を守った後の平和な日常で、自分にできることを見失い、走る方向を完全に間違えてしまっていたのだ。
正座をしたまま項垂れる東郷に、園子と銀が優しく、けれど諭すように声をかけた。
「わっしー。街を守りたい気持ちはわかるけど……それはもう、わっしーが一人で背負うことじゃないんだよ」
「そうさ須美。それは大人の仕事だ。あたしたちは今は普通の女子中学生に戻っていいんだって」
二人に諭され、東郷さんはシュンと肩を落とした。
さらにダメ押しとなったのは、友奈ちゃんの言葉だった。
「東郷さん……ううん、国防仮面さん。助けてくれたのは嬉しかったけど……でもね、東郷さんが危ないことして怪我したら、私、すごく悲しいなぁ、……やめてくれないと、私、困るなぁ」
友奈ちゃんが少し寂しそうな、困ったような笑顔で東郷を見つめる。
その言葉は、東郷にとってどんな怒号よりも効果的だった。
「ゆ、友奈ちゃん……!!」
東郷はボロボロと大粒の涙をこぼし、泣く泣く「国防仮面の服一式」を風ちゃんへと返上したのだった。こうして、短くも奇妙な「国防仮面騒動」は幕を閉じた。
……はずだったのだのだが。
◆
「……ねえ、真優」
数日後である。
勇者部のボランティアを終えて片付けをしていた夕方。夏凜ちゃんと芽吹さんが引きつった顔で僕にスマホの画面を見せてきた。snsで拡散されてる動画のようである。
暴徒数人が銀行を襲っており、そこに窓ガラスを突き破って一人の男が現れる。
『平和を脅かす者達よ!俺は憂国の紳士!FOX仮面!!!』
と、この前の変態狐面と同じ声と同じ仮面が出てきた。違うのはちゃんと服を着ていたのだ、東郷さんの国防仮面と似たような軍服を。
『てめえは最近全裸で仮面つけてるらしい変態じゃねぇか!こんなところで俺達の邪魔すんな!あと服着てんじゃねぇ!』
『脱げば気持ちいいという中学生のような思想は卒業した!隠すことに興奮しろ!そして聞け!』
そして男は続ける。
『怪物と戦った少女達を俺達は見たはずだ!彼女達の思いを!願いを!輝きを!そして俺達は勝ち取った平和を譲ってもらった!託されたのだ!その意味がわかるか!我々大人がすべきことをわかっているか!』
『うるせぇ!変態がそれっぽいこと言ってんじゃねえ!!』
『変態ではない!!託された平和を守る紳士!FOX仮面だッ!!!』
長流跋扈する仮面の男。暴徒数人があっという間にボコボコにされていく。snsのコメントにはとんでもねぇ変態と同じ時代に産まれちまったなぁ、とか、空中で何秒滞空してんだコイツ、ナーフしろ、とか書き込まれてた。
総評して好意的な方が多かった。
「……見なかったことにしようか」
僕たちは静かにスマホを閉じ、夕暮れの空を見上げた。
イザナギを倒し、世界は確かに平和になった。
けれど――僕たちの日常には、まだまだ別の意味での試練と騒がしい毎日が待ち受けているようだった。
「ちなみにですけど、私、服の下に補完器具を改造した強化外骨格着てたのでパンチ力とか1tいってましたよ」
と、真後ろから東郷さんが驚愕の事実を話し出した。そうなるとあの全裸は生身で1tのパンチ等をくらっていたということになる。
「バグみたいな全裸だね」
「逸般人ね」
「勇者部ってあんなことばっかあるの?」
違う違う、と夏凜ちゃんと否定しつつ僕達は部室へと帰った。